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サリーのひとり言



思ったこと、感じたことを適当に並べています。
反論のある方もおられると思いますが、「ひとり言」ですから・・・ (#^.^#)


「サリーの樹」について

サリーは、2本の「樹」を育てています。

1本は、太陽の光を浴びて、すくすくと育つ「樹」、
もう1本は、温室の中で環境を十分整えてあげないと育たない「樹」、悠くん

    悠くん        菜ちゃん

その、温室の中の「樹」、悠くんのことを書いたページです。

が・・・・もう1本の「樹」、菜ちゃんが、「私がいない!!」と怒っていますので、急いで
アイコンを作りました。(^^ゞ
どこに登場させようか・・・悩んでいます(--;)


         

        可愛〜い頃の菜ちゃんと悠くん
        さて・・・何年前でしょうか?


「TEACCHプログラム」について

TEACCHプログラムを学んで、初めて「自閉症って何?、どうやって育てたらいいの?」の答えを見つけました。
本人の理解しやすい方法で伝える。
本人の出来る方法でコミュニケーションを取る。
当たり前のことですが、それがなかなか解りませんでした。
言葉の理解が出来ない悠くんに、言葉でいくら伝えたつもりでも、私の自己満足でしかなかったことが、よく解りました。



情報として伝えなくてはいけないこと

悠くんは、自閉症だけでなく、重度の知的障害を持っています。
「悠くんに解るように伝えて、悠くんからは悠くんの出来る手段で伝えてもらう」こういったことを続けてきて、知的障害が重くても、思いは健常児と同じだけ持っていることが解りました。
「重度だから何にも解らない子供だ」と思っていたことが、私の誤解だったことに気がつきました。
健常の兄弟に伝えてあげていることと同じだけのことを伝えてあげなければいけないということです。
「今日はハンバーグだけど、いい?」
「お買い物行きたいんだけど、一緒に来てくれる?」
こういった会話は健常児だと当たり前のことですが、悠くんのように重度の知的障害を持っていると、本人の了解なしで親が勝手にしていることが多いのではないでしょうか。
悠くんも、伝えるべきことを伝えてあげないことで、たくさんのパニックが起きます。
何かをするとき、必ず、「もし、健常児なら何を知りたがるか、何を伝えてあげないと後で怒るか」を考えながら、悠くんにも出来るだけ、同じ情報を伝えています。



障害を受容すること


頑張れば健常児に追いつくかもしれないという思いが無くなってから、成長を期待する事を諦められるようになって、とっても気が楽になりました。
ゆっくりですが、本人は本人なりの成長をしています。それまでは、ずっと健常児の成長と比べていました。そうすると、「あれが出来ない、これが出来ない」とその差だけが目に付いて、評価が全てマイナス評価になってしまいます。でも、スタート時点、生まれた瞬間から考えると、確実に出来る事は増えています。歩けるようになった、靴が履けるようになった、ズボンが脱げるようになったなど、本当に小さな成長ですが、「あれが出きる、これが出きる」と全てプラスに評価出きるようになりました。それまでは成長ととらえる事が出来なかった小さな事を本人なりの成長と思えるようになって、初めて、悠くんの本当の姿が見えてきました。

・・・なんて書いてますが、なかなか諦められるものではありませんね。
私、療育手帳を1歳10ヶ月で取ったにもかかわらず、悠くんの障害受容が出来るようになったのは、小学校になってからです・・・(^^ゞ

待つことについて


「待つ」ことが出来るということはとても大切なことだと思います。では、「待てる」というのはどういうことなのでしょうか。待つことの意味が理解出来ない子どもにとって待つことは苦痛でしかないはずです。待つことによって、何を手に入れられるか、またどれぐらい待てば終わるのか解かっている、動機と見通しがないと待てません。
例えば、おいしいと評判のラーメン屋さんの前で待っておられる方には、後何人か待てば必ずラーメンが食べられるということが解かっていて、それだけ待っても食べたいと思うから待てるのでしょう。何人待てばラーメンにたどり着くかという見通しと、その時間を待ってでも食べていという動機があるから待てるのです。見通しと動機付けがない状態でただ待つことは苦痛です。それに、 いつ終わるか解からない永遠に続くかもしれない時間を何もせずただ待つことに意味があるのでしょうか。それこそ、とにかく誰かの指示があるまで動かないことを要求されていることになります。きちんとした動機があって、見通しがもてたら本人の意思で待つこと出来るようになると思います。
「何のために待っているのか」「いつまで待つのか」を本人に解かるように伝えて、本人がそれを理解して、自分の意思で「待てるようになる」ことが大切だと思います。

指示待ち


障害を持った子どもに周囲の大人が要求するのは、よく言うことを聞く良い子です。大人の言うことをよく聞いておとなしいという状態は、大人からの指示がなければ一切動けないということです。これでは自立できません。自分で判断し行動できる力を身につけていくことが自立につながると思っています。
ただ、自分で判断するときに、本人が自分で判断できるだけの情報を本人に与えていなければ、結局判断できない、または間違った判断をして怒られたり失敗したりします。障害を持った子どもたちは、たいてい、いつも叱られたりして、失敗体験ばかりをしています。私も含めてですが、周囲の大人に責任があると思います。自主的に行動できるように、なおかつ、失敗をしないように配慮するのが、適切な援助なのではないかと思います。

自閉症の子どもに失敗体験をさせてしまうと、間違った行動や反応を身につけてしまい、問題行動になってしまうことがあります。

我が家の例ですが、悠くんは学校から帰ってきて「公園に行きたい」「ゲーセンに行きたい」の要求を出してきます。時々「舞洲のプールへ行きたい」「遊園地に行きたい」など、お休みの日でないと無理と思うような要求を出してきました。私はもちろん「今日は舞洲へは行きません」、「遊園地は行きません」と伝えました。
自閉症の息子はもともと『要求を出す』ということが弱いです。その『要求を相手に伝える』という苦手なことを一生懸命したわけです。なのに、結果は『×』、あたって砕けてしまいましたでも、自閉症の息子にとってこれは大きな失敗体験です。こういったことを何度かするうちに、要求に対して拒否されるのが怖くて、せっかく要求を相手に伝えることが出来るようになってきたのに、ストレートに要求を出さなくなってしまいました。そればかりか、要求したいけど、失敗するかもしれない恐怖のせいか、要求したくなると、要求を出さずに突然怒り出したりするようになりました。
本人が自信を持って行動できるだけの援助、失敗しないための配慮が必要だったと思います。


就学について〜なぜ普通学級を選んだか

悠くん、2年生まで地域の普通学級にいました。

悠くんの場合、選択肢は、「養護学学校」か、地域の小学校で「障害児学級籍で普通学級」という2つだけです。
最重度判定の重度の障害児が、普通学級で・・・周りの方も不思議に思ったと思います。いつも手伝ってくれている私の母も大反対でした。悠くん、当然養護学校が適切な子どもだと思います。
大人と関わってもらうことが大切な時期ですので、健常児の刺激からは絶対に学べませんし、反対にその強すぎる刺激が邪魔になるだろうと思っていました。

その頃目標としていたことは、悠くんがコミュニケーション手段を身につけること、時間の流れや周囲の状況、今何をする時間かがわかるように、スケジュールを理解して欲しいこと、この2点でした。お友達との関わりではありません。
養護学校より、地域の方が適切だろうと思い、2年間地域にいました。
その間に、1対1に近い状態で先生が付いていてくれたこともあって、目標としていたことは、しっかり身につきました。

悠くん用のスケジュールや息抜き用のおもちゃなどを持ち込みました。養護学校では、「他の子が・・・」と言われて無理だっただろうと思うことが、健常の子どもたちの集団では可能でした。授業中に、悠くんのペースで、課題を3つしたら休憩、5分間おもちゃを使ってもいい、5分経ったら、課題3つ・・・ということを教室の中でしました。みんなが授業しているのに悠くんがおもちゃを触ることになりますが、さすが健常児・・・差し障りません。悠くんの専用のスケジュールも壁に貼って、本当に、悠くんのオリジナル空間を作ってもらいました。これらのことは、養護学校では、実現しなかったのではないかと思います。


2年生になって、悠くんが毎日、「明日は学校に行きたくない」と主張をするようになりました。健常児の刺激が強すぎるので、当然ですね。無理なことがわかっていて我慢させたのですから・・・それでも、「学校に行きたくない」ということをきちんと私に伝えてくれるようになったので、十分目標は達成できたということです。
週間スケジュールが・・・勝手に、毎日休日に張り替えられてましたから。(^^ゞ

でも、この2年間が、悠くんが一番伸びた時期かなと思います。
本人の能力があるのに、私が取り組まなかったせいで、悠くんは伝えられない分からない環境にいて問題行動で表現していた頃から、いろいろなことを悠くんに分かるように示し始めたので、ものすごいスピードでそのギャップを悠くんが埋ていった時期でした。


3年生からは、養護学校に転校しました。
嫌がることなく、楽しく遊び(?)に行ってます。地域の2年間と比べると、表情が全く違います。穏やかな表情をするようになりました。本当に、がらりと雰囲気が変わりました。
悠くんを知っている同級生のお母さんたちが、「表情が柔らかくなった」と驚きます。それほど健常児の刺激が強すぎたのか・・・としみじみ思います。



これから就学を迎える方、
いろいろな専門家のアドバイスを聞くことは、いいことだと思います。
違った角度から物事を見ることが出来ますから。
本当は、何を身に付けさせたいのか、その学校に何を求めるのかなど考えていけば、どちらにするのかの答えが出てくると思います。
それでも、迷いは消えませんね。
でも、どこへ行っても、子どもに必要な環境がすでに用意されているわけではありません。どこを選んでも、自分で求めて作っていかないとその環境は得られません。
どこを選んでも、努力していくしかないのは同じですので、自分の判断を信じて飛び込んでください。
あとは、努力するだけ(^^)
あっ・・・・ちょっと、いい加減かなぁ・・・(^^ゞ


悠くんが泣く理由  

悠くん、以前は、人の期待に答えようとする態度はありませんでした。
コミュニケーションが取れるようになってからは、相手の伝えようとすることを一生懸命読み取ろうとします。悠くんが読み取るのは、聴覚からではなく視覚から。
「指示が出てる」と思えば、相手のすることを、身振り、手振り、視線を一生懸命読み取ります。

積み木を積んでと指示されて積み木を積み終わる。
先生は、「出来たね。じゃあ、もう一度」と、崩してもう一度させようとする・・・・悠くんが今完成させたものを、悠くんの目の前で崩し始める・・・言葉ぬきでその場面を考えると、どう取れるか。
「間違っています。もう一度しなさい」・・・完成させたはずの課題を間違いだからと何度もやり直しをさせられていると受け取ります。

課題が机の上にある、これをしたらいいのかな?・・・と、やり始めると、「出来たね。じゃあ次はこれ」と、どこからともなく、新しい課題が出現する。いったいいつ終わるのか、これで終わりかなと思って完成させると
・・・またどこかから出現する・・・永遠これの繰り返し。いつまで続くの・・・終わりの見えない不安。

こんなようなことが、日常茶飯事で起きています。



夏休みの障害児対象のの体操教室では・・・

「ボールを5回投げてください」そう指示したボラさんの手には、3つのボールが握られていた。3つ投げたら終わりかと思ったら、次々とボラさんの手にボールが出現し、渡される。
「5球目ね。これで終わり」とボールを渡してくれたボラさんの手には、まだ2個ボールが握られていた。また出現したそのボールも投げようとしたら、ボールをむしりとられた・・・・なぜ?手を引かれて、座らせられた・・・失敗した?・・・違う、終わって持っているみたい・・・。

言葉ではなく視覚情報の悠くんにしてみれば、こんな感じでしょう。


言葉を使っている私たちは、自分のしているしぐさや動作がどう読み取れるかなんて考えていません。それが悠くんを混乱させます。
視覚的に情報を与えてくれさえすれば、混乱することはないのですが・・・耳は聞えているのに、聴覚からの情報を処理するのが苦手な障害ってなかなか理解されませんね・・・(;;)

この日の体操教室、悠くんはそれなりにニコニコと参加していました。
でも、終わって、帰りの車の中で、悲しそうに泣き出しました。

期待にこたえようとする態度、何とか情報を読み取ってコミュニケーションをとろうとする姿勢、こういったものを身に着けないほうが悠くんは幸せだったかな・・・ふっと、そう思ってしまいました。


1週間後、また体操教室がありました。
解かりにくい指示で少し混乱している様な場面が何度もありました。
それでも、一生懸命読み取ろう、期待にこたえようとしている悠くん。
一応全体を通して笑顔が出でいましたが、ちょっと可哀相かな・・・と思って見ていたら、やっぱり、帰りの車を降りて家に向かう途中で泣き出しました。


プールの大好きな悠くん、健常児のスイミングスクールの夏季短期教室に昨年から参加させています。
夏休みの間に3期あって、期毎にコーチが変わり、対応がそれぞれです。
1期目のコーチは、結構自由にさせてくれました。
2期目のコーチは、少しアプローチが強いかな・・・と思ってみていましたら、2期目の最終日、ついに悠くんが少し怒り出しました。この日、帰りの車が駐車場に付くと、悠くん、やっぱり泣き出しました。


思いが伝わらなかったり、解からないことが多くて誤解したりするとその時は、何ともないように見えても、車に乗ってからとか、家に着いてから、泣き出すようになりました。
相手は熱心に関わってくれました・・・でも、悠くんは・・・やりきれない、悔しい、悲しい・・・どういうふうに感じたのかは解かりませんが、とっても悲しそうに泣きます。

途中で、スイミングやめさせようかなと思ったりしました。


地域に出すということは、こういうことなんだとシミジミ思いました。
言葉が全くわからない悠くんに適切な構造化された環境なんて、絶対に手に入りません。家でも、なかなか構造化がついていきませんから・・・(^^ゞ
でも、そんな地域社会に将来一人で出て行かなくてはいけない・・・
では、サリーはこれから何が出来るか、何をしていったらいいか考えていかないといけませんね。


なぜ、テレビもビデオも見ないか・・・


悠くん、テレビもビデオも興味を持ちません。
その理由が、なんとなくわかってきました。

5歳の頃、悠くん、写真も絵も理解していませんでした。
今でも、絵は理解していません。でも、写真はわかるようになってきただろうと思っていましたが・・・
小4になった今でも、やっぱり、無理のようです。
ある活動、ある場面にその写真や絵をマッチングさせることで、その絵や写真が、その場面や活動を意味するものだということはわかります。でも、絵や写真から、何をするかを読み取るのは出来ないみたいです。
ということは・・・テレビや、アニメのビデオを見ても、何をしているのかさっぱりわからないということですよね。
絵や写真からその状態を読み取ることって、とっても難しいのですね・・・


悠くんの迷い・・・(悠くんとのやりとりの一例)

悠くんとのやりとりが出来るようになって、悠くんの心の動きがとてもよくわかるようになりました。
やりとりが出来るようになってて良かった・・・でなかったら絶対にわからなかっただろうと思われるような出来事があったので、少し前のことですが、書きます。

夏のある日、悠くん、午後から、パパとウォーターランド(流れるプールやスライダーがある)に行きました。
その日の夕方には、スイミングもあります。
でも、悠くんがウォーターランドに行きたいからと要求したので、行くことになりました。
プールのはしごをさせるかどうか・・・迷いましたが、時間的に間に合うようだったらスイミングに行かせようと思っていました。

パパと悠くんは、ぎりぎりの時間に帰ってきたので、そのまま車でスイミングへ向かいました。
あらかじめ、1日のスケジュールとしては、「ウォーターランド」の後、「スイミング」と示してありましたが、車の中で、
再度確認。

 サリー「今からスイミング行くよ」                        『スイミング』を悠くんに示す
 悠くん ちょっとビックリして、疲れた顔で、でも・・・「スイミングに行く」  悠くん、その『スイミング』のカードをトントンする

でもすぐに

 悠くん「家に帰る」                       ブックを開けて『家』を示す
 サリー「スイミングじゃなくて、家に帰るのね」        『スイミング』の上で×を示してから『家』を示す
 悠くん「家に帰る」                       悠くん、『家』をトントンする

・・・で、車を家に向けて方向転換。
もうすぐ、家に着くよーって時に・・・

 悠くん「スイミング行く」                  ブックを開けて『スイミング』をトントンして示してくる。
 サリー「家は?」                      サリーが『家』をトントンと示す
 悠くん「嫌です。スイミングに行く」            サリーが示した『家』に対して、すかさず拒否のポーズをしてから、
                                                     『スイミング』をトントンする
で、また、スイミングへ向かって出発。
もうすぐスイミングの駐車場・・・って時に、

 悠くん「家に帰る」                     ブックを開けて『家』をトントンと示す
 サリー「スイミングは、なしでいいのね」        サリーが『スイミング』の上で×を示す。
 悠くん「はい」                       そのサリーの×に対して、うんうんとうなずく。

ちょっとの間・・・

 悠くん「スイミングに行く」              ブックを開けて『スイミング』をトントンと示す。
 サリー「家じやなく、スイミングね」         サリーが『家』の上に×をしてから『スイミング』トントンと示す。
                              それに対して、悠くんはうんうんとうなずく。

以上、サリーと悠くんの会話でした。(^^)
家からスイミングまで10分程度、その間の悠くんの心の揺れです。
疲れたから、家に帰りたい・・・でも、やっぱり行こう。・・・うーん、やめようかな・・・」って感じでした。
なかなか、面白かったです。悠くんの「行きたいけど、疲れた」みたいな迷いが顔に出てましたしね。(^^)
結局スイミングに行きました。
プールの中ではとっても楽しそうにしていました。

・・・と、書くと悠くんとしっかり会話しているみたいですね。
でも、悠くんは言葉を理解していませんし、発語はありませんので細かい表現は、サリーの推測にすぎません。
横ので書いてあるのが、実際の悠くんとのやりとりです。悠くんのコミュニケーションブックを使って、その中の写真を示しあいながらのやりとりです。『』は、その意味を表す写真です。

サリーの特性(?)・・・(^^ゞ

最近、私も自閉症の障害特性のひとつを持っているかも・・・と思うことがあります。
限定された興味とこだわり(^^ゞ 結構、強いです。

車を運転するのですが、途中で寄り道が出来ない・・・不思議ですね。
ある場所に行こうとして、そこに行くのに一度通った道を変えません。
混んでいても、その道を行きます。当然途中で寄り道なんてしません。
出来ないわけではないんですが、途中で寄り道をするのに、大義名分が必要です。
ちょっとした理由だと、寄り道が出来ない理由を考え出して、自分で「だから、まっすぐ帰らなきゃ!」と思ってしまいます。

他にも、収集癖を持っています。
「全部そろえる」ことに執着してます。
100か0か、全部揃わなければ、ないのと同じ。

OL時代、お肉類、お魚類が嫌いで、毎晩スパゲティを食べていた頃がありました。
毎晩同じものでも、ぜんぜん平気です。
そういえば、出張先で、そちらの方におすし屋さんに連れていってもらったとき、一緒に行った私の上司が、「この子、スパゲティーしか食べないから、スパゲティ注文できないか?」と聞いてくれたことがありました・・・
それほど私の偏食は有名でした。(^^ゞ

・・・・しっかり、自閉ですよね。(^^ゞ

9歳の壁?

悠くん、成長する時期に入ったようです。
3歳、5歳・・・節目と言われる年齢を、だいたい1年過ぎた辺りから悠くんの成長期が来ます。
9歳を1年過ぎました。今10歳。
そろそろかな・・・と思っていたら、やっぱり(^^ゞ
9歳の壁を越える時期なのでしょう・・・いろいろとやってくれます。

ハサミを使うことを覚えて、いろいろなものを切り取り、そして、ハサミは、ちゃんと元のところに戻っています。(^^ゞ
ひとつ成長すると、多くの困った行動が出始めます。
ここ1ヶ月ほどの間に、今までとは違った困った行動が出てきて、それらの対応を考えないといけません。
今までの支援では足りなくなってきたために出てきている困った行動に対して、新たな支援を入れていかなくてはいけません。支援が追いついて、ほっと一息ついたら、また次の成長期が来ます。
悠くん、この次は・・・思春期でしょうか?
この9歳の壁を越えようとしている時期に、適切な支援を考えてあげれなければ、次の成長期(思春期)には大変なことになっていそうですが・・・
越えられるかな、私・・・9歳の壁(^^ゞ




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