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![]() 元々三島大社の門前町として古くから発展していたが、慶長6年正式の宿場として制定されると、箱根越えて来た旅人やこれから越えようとする人々で大いに賑わった。又箱根を越えて一息つく所でもあったので、三島女郎と呼ばれる女性が多くいる宿場でもあった。富士山からの湧水が市内いたる所で見られ、水と景観の町として発展している。 本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠74軒 |
![]() ![]() ■白龍観音堂 平安時代からこの地にあって、観世音菩薩が祀られている。当時は北にあって堂の傍らより白い滝が落ちてたことから白龍観音堂というそうだ。 ■水辺の文学碑通 お堂の前の通りは水辺の文学碑通と呼んで、牧水などの三島にゆかりの文学碑が並んでいる。 |
![]() ![]() 創建の時は不明であるが、古くより三島の地に鎮座し、。延喜式、大社となる。特に頼朝の祈願が成功して依頼東国武士の崇敬を集めている。祭神は大山祇命、事代主神の二神。社殿は慶応二年の完成で総欅造りの壮大なもので感心させられる。境内には天然記念物の「キンモクセイ」などがあり、広重の三島宿はここの鳥居が描かれている。 |
![]() ![]() 三島大社を出てしばらく歩き、宿の中心「本町」へ入る。本町交差点を過ぎたところに、左右に「世古本陣」「樋口本陣」があった。今は共に碑があるだけ。 ■時の鐘 また少し歩くと左手に「三石神社」があり、横に「時の鐘」が保存されている。時の鐘はあちこちに残っており、宿内の人々に鐘をついて、時間を知らせていたもの。 |
![]() ![]() 次に伊豆急「三島広小路駅」を越えると右手奥に「伊豆国国分寺跡」が残っている。現在は「最勝山伊豆国分寺」といって、日蓮宗の寺となっている。本堂裏手に、七重塔の礎石のうち8個だけが残っており、往時を偲ぶ唯一の史跡となっている。本来の寺域は二町四方とか。また伊豆の国衙は、三島大社の近くにあったらしい。 |
![]() ![]() ![]() 街道に戻り西に進むと、加屋町へ入る。左手に秋葉神社があり、ここが三島宿の西見附で宿はここまでで終わり。 ■千貫樋石碑 神社のわきに小さな千貫樋及び西口見附跡」と刻まれた碑がある ■千貫樋 石碑のちょっと先の民家の脇に残っている。農業用水を引く為に伊豆と駿河の境の境川の上に架けられた樋で、全長42.77m、幅1.99m、深さ45cm。由来について案内板によると、天文24年(1555年)今川、武田、北条の三家の和睦が成立したとき北条氏康から今川氏真に聟引出物として楽寿園の小浜池から長堤(蓮沼川)を築き、その水を駿河に疎通させたというのが一般に認められる。当時のものは関東大震災に崩落し、鉄筋コンクリート製となった。案内板の後ろにちょこっと見えるだけで、脇に回ったりしてみたが、建物の影でこれ以上見ることは難しかった。 |
![]() ![]() 街道をまた進んで行く。一里塚が見えてくる。左側が宝池寺の境内にある。右側の方が玉井寺の境内にある。日本橋から29番目のもの。宝池の方は修復されており。芝で覆われている。玉井寺の方は当時のままだそうで、ただ榎木などは失われていて、雑草に埋もれてよくわからなくなっている。 |
![]() ![]() 一里塚を出て、国道1号線を越え、しばらくいくと右手に長沢八幡宮がある。長めの参道を行くと、奥に竹垣に囲まれて「頼朝、義経対面石」というのが残されている。 ■対面石 10:50 源頼朝と義経兄弟が対面した時、二人が腰掛けたといわれる伝説の石であって、富士川で平家に大勝した頼朝と、奥州から駆けつけた義経がここで涙の対面を果たしたと伝えられる。 |
![]() ![]() ■智方神社 この神社には「護良親王」にまつわる伝説がある。建武二年、足利氏によって首をはねられた後、従者がその首を櫃に入れて京都に運ぶ途中、黄瀬川までたどり着いたが、川は大洪水のために渡れず、長い道中を運ぶのは困難と考えてこの地に葬ったという。 |
![]() ![]() ここには遊女「亀鶴」の伝説が残っていて、「亀鶴観音」の名で知られている。亀鶴はの長者の子として生まれて、不幸にも父母と早く死に別れ、頼朝が富士の巻狩りの際、その美貌を認めて招こうとしたが、一生独身を貫き通すという誓いを立てていたため、滝に身を投じて死んでしでしまったと伝わっている。 ■狩野川堤防 11:20 狩野川を左手にして歩くが、現在は高い堤防で川は直接見えない。「狩野川台風」と呼ばれる台風により、甚大な被害に見舞われたことでも有名になった。東海道53次沼津の図はこの堤防を歩いて沼津に入る図となっている。 |
![]() ![]() 黒瀬橋のたもと。「日本三大仇討ちの一つ。(有名な鍵屋の辻の仇討ち)平作地蔵の由来」と書かれた大きな説明板が立っている。ここは浄瑠璃の「伊賀越道中双六」に出てくる、沼津の平作ゆかりの場所で詳しいことは省いておきたい。 ■玉砥石の一里塚 11:30 日本橋から数えてちょうど三十番目のもの。前の宝池寺からの距離は少し短いが、沼津宿内になるので東方へ設置された。ここを過ぎると沼津宿。前方には古代の玉類を磨いたという砥石の記念碑が建っている。 |
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