穂高上原の道祖神
元は北側にあった道祖神群を、
道路拡張のため現在の位置に、
元の配列で遷座させたのは、
昭和五十二年六月二十二日だったという。

石屋さんも腕を振るったという、
立派な自然石の石組みの基礎の上に、
東向きに並んだ姿は、壮観だ。

いちばん右側が、この村の道祖神である。
石全体の大きさは、
高さ110センチ、幅110センチ、厚さ55センチの花崗岩である。

中央に直径62センチの円を彫って、
二神を収めている。

円の周囲には、
「文政七年(1824年)申年正月吉祥日保高上原中」の銘。
裏には、
「帯代、拾五両」とある。

淡い色彩がなされている。
像丈、男神52センチ。女神51センチ。
男神は、黒い冠に青い衣装束帯の姿である。
女神は、着物と帯は赤一色に、
頭上に束ねて肩から腰に流れる髪は、黒く塗られている。
右から二番目は、文政七年の庚申像。
二十三夜塔、大黒天も立派だ。

二十三夜塔と大黒天の間の、文字碑の道祖神。
こちらは、文政元年(1818年)という事だ。
高さ40センチ、幅25センチ。
この村は、牧や田中、穂高の村人が、
入植して拓いたと云われ、
寛文二年(1662年)の検地帳が残っているという。
 
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