本殿
天照大神の籠った岩戸を、手力雄命(たちからおのみこと)が
この地に投げ飛ばしたのが、戸放ヶ岳(とはなちがたけ)とか
有明山と呼ばれる霊峰だと伝わっている。

第8代、孝元天皇(こうげんてんのう)
(在位:紀元前214年〜 紀元前158年)
の5年に造営されたのが、
戸放(とはなち)権現、のちの有明山神社である。

後鳥羽上皇(1180〜1239)は
国家安泰を祈願され、
という御歌を賜った。

(「有明山神社 略記」より)
江戸時代末には、一時衰退したらしいが、
明治に入って、
敬神家であった豊科町寺所、岡村阜一氏が再興し、
現在地に社殿を建てた。

昭和6年の額が、幾つか飾られていた。
大きなお祭りでもあったのだろうか?
この頃は、とても栄えていたことを物語る品だ。
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