MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
ブハラ(ウズベキスタン)
カラーン・モスク

神谷武夫

ブハラ旧市街


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サマルカンドとブハラ

 「中央アジア」というのは アジアの中央部を意味するが、海に面しない内陸部なので、日本人にはその位置がつかみにくい。北はロシア、東は中国、南はアフガニスタンに囲まれた かつてのソ連領で、イスラーム圏に属する5カ国と言ったら、多少はイメージできるだろうか。その中央アジアにおける最も有名な歴史的古都は サマルカンド、ブハラ、ヒヴァで、いずれも現在のウズベキスタン領内にある。シルクロードの都市だと言った方が、最近の日本人には親しみやすいのかもしれない。
 はるか昔には仏教圏であって、ブハラという都市名は、仏教の僧院を意味する サンスクリット語のビハーラが なまったものである。しかしイスラーム化して以来、仏教寺院は全く姿を消してしまい、現在見ることのできる宗教建築は、8世紀以後の イスラーム教のモスクや廟である。

  
カラーン・モスクのピシュタークと ドームの胴部

 モンゴルのチンギス・ハーンが 1220年に西征した時には、中央アジアの諸都市も 徹底的に破壊された。その 150年後に現れたティムールは 中央アジアを中心に トルコにまで至る大帝国を打ちたて、チンギス・ハーンとは逆に、都市と文化の大建設者となった。征服した諸国から文化人、芸術家、建築家を駆り集めて 首都サマルカンドに住まわせると、都に大モスクやマドラサ(学院)を建設し、学問を奨励して イスラーム世界の文化中心となしたのである。
 しかし、支配者の権力誇示としての大モスクや廟は、敬虔な宗教空間であるよりは、勇猛な気概に満ちた城砦のような印象がある。その意味では、サマルカンドよりも ブハラの宗教建築のほうが 私には好ましく思われた。

カラーン・モスク


カラーン・モスクの平面図
(From "Samarkand Bukhara Khiva" Editions Flammarion, 2001)

 ブハラの町の歴史は 紀元 1世紀に遡るらしいが、現在の都市の骨格は8世紀にイスラーム化してから作られた。都市の全住民が集団礼拝することのできる金曜モスクは、木造から始まって 何度も建設が繰り返され、現在の敷地に建てられたのは 794年のことである。これをタジク語でカラーン・モスク(大モスク)と呼ぶが、前にも書いたように、カラーンというのは 偉大という意味であって、巨大という意味ではない。1127年には大々的に建て直されたが、これは 100年後にチンギス・ハーンによって破壊されてしまった。ところが、なぜかミナレットだけは破壊を免れ、今もなお レンガ造の、古拙でありながら 優美な姿を見せている。

 現在のモスク本体は 1514年に再建されたものである。ソ連時代には宗教が否定されて倉庫に転用され 荒廃していたが、1970年代に修復が始まり、ソ連崩壊による独立後は 他のすべての歴史的建造物と同じように、いささか過剰なまでに復原・修復が進められて、新品同様の姿となったのである。
 特に前面広場に面する門楼は イーワーンとその上部に立ち上がるピシュタークの壁面が 華々しく彩釉タイルで飾られて、古建築の趣を そいでしまっている。しかし門楼をくぐって一歩中庭に足を踏み入れたとき、そのあまりにも美しいたたずまいに息を呑んだのである。

カラーン・モスクの中庭


厳格な韻律の中庭

 その修復は 完全な成功だったと言える。古い写真の荒廃した姿からは 見違えるように整備されたが、それが門楼のような過剰な姿とならなかったのは、もともと全体がシンプルな構成であり、抑制された簡素な装飾だけを まとっていたからだ。鮮やかな色彩に輝くのは、礼拝室のピシュタークの上にのぞく ドーム屋根のみであり、あとは基本的には 小口だけ青い色が焼かれたレンガで幾何学パターンをつくり、部分的に コーランのカリグラフィー(書道)で飾っているのみ なのである。したがってパターンは 近くで見ればずいぶんと大柄であって、構造体そのものと分かちがたい。すべてはレンガの肌の色が主調をなしているので、けばけばしさとは程遠いのである。

 プランは ペルシアの四イーワーン形式で、中庭の手前方には樹が一本、奥には 19世紀の泉水堂(手足を清めるための泉)だけがあり、周囲は同形アーチの繰り返しで、各辺の中央に高く イーワーンが立ち上がっている。色や形の要素を極力 限定して作られたその中庭空間には、深い瞑想を誘うような宗教性が感じられる。

  
カラーン・モスクの鳥瞰と ミナレット

 カラーン・ミナレットには モスクの屋上から小さな橋を渡って中にはいり、螺旋階段を上る。頂部の部屋の窓から眺めると、モスクの屋根には 288の浅い小ドーム屋根が並んでいるのが見下ろせる。一つの単純な原理の貫徹、それがイスラーム建築における 力強い宗教性を形作るのだと、改めて思われた。

( 2005年10月 「中外日報」 )


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