MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
ザワレ(イラン)
金曜モスク

神谷武夫

ザワレの金曜モスク


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ペルシア・ルネサンス

 7世紀にアラビアに生まれたイスラーム教は またたくまに中東全体に広まり、さらに 西はスペインから 東は中央アジアにまで勢力を伸ばした。各地に建てられたモスクの形式は、預言者ムハンマドの家の庭をモデルとした アラブ型であった。それは、中庭を囲んで フラット・ルーフの列柱ホールが連なり、メッカに面するキブラ壁に ミフラーブとミンバルを設けるという、単純な原理の建物である。
 これに対して 新しいモスク形式を考案し、広めたのはペルシア(現在のイラン)である。ペルシアも早くからイスラーム帝国に征服されて、バグダードを首都とする アッバース朝の支配を受けていたが、ペルシア人には、自分たちの方が 紀元前のアケメネス朝ペルシアや 紀元後のササン朝ペルシアという 大帝国の歴史をもち、アラビアよりも高度な文化と伝統を受け継いでいる という自負があった。

金曜モスクの西側入口、ザワレ

 広大になりすぎた イスラーム圏全土を コントロールすることが困難になったアッバース朝が弱体化するにつれ、次第に ペルシア・ルネサンスともいうべき 古代文化の復興が 10世紀頃から顕著になる。
 宗派的には、多数派である アッバース朝のスンナ派に対して、少数派である シーア派の中核を ペルシアが担うこととなり、言語的にも アラビア語に対してペルシア語の使用が復活する。そしてそれに相当する ペルシアの建築言語が、ドームとイーワーンであった。


ドームとイーワーン

 アラビアではフラット・ルーフが主流であったから、壁は組積造であっても 屋根は木造を原則としたのに対し、ペルシアの砂漠地帯は 紀元前から土の建築を発達させていた。すなわち日干しレンガや焼成レンガを 放射状に積んだアーチ、そのアーチを連続的に並べて得られる 半円筒形ヴォールト、そして球を二つに割った形のドーム屋根 という技法である。ゾロアスター教時代の拝火神殿には ドーム屋根が架けられていたので、それをモスクの礼拝室の ミフラーブ前にも用いるようになる。


ザワレの金曜モスク 平面図 1135年
(From "Architecture of the Islamic World" by George Michell (ed.), 1978)

 さらに モスクの中庭まわりを 劇的に変えることになるのが、イーワーンであった。イーワーンというのは、古代ペルシアの宮殿において 玉座や謁見室として用いられた 半外部空間である。大きなアーチ開口を四角く枠取りした壁で囲み、アーチの内側の空間には ドームを半割りにした半ドームや、あるいは トンネル状のヴォールト天井を架ける このシンボリックな建築要素が、日陰の快適さを提供する空間であるとともに、王権の表現ともなっていた。

 アラブ型の フラットなモスク形式は、ペルシア人にとって単調に過ぎたのだろう。中庭を囲む 4辺のアーケードの各中央に このイーワーンを挿入することによって、建築的にメリハリのある造形とし、モスクの中核をなす中庭に 宗教的シンボリズムを与えたのである。
 4基のイーワーンが向かい合う「四イーワーン型」モスクは 12世紀から急速に広まり、それは モスク以外の建物、マドラサ(学院)や 病院、キャラバンサライのような 世俗建築にも適用され、そして ペルシアの領域を超えて エジプトからインドに至るまで用いられることになる。


ザワレの金曜モスク

中庭に面する南側のイーワーン

 最初期の 四イーワーン型モスクを典型的な形で 今も見せているのは、カヴィール砂漠の オアシス都市、ザワレの金曜モスクである。金曜日に 都市の住民の多くが集まって集団礼拝をする大モスクを 金曜モスクと呼ぶが、ザワレは小都市なので、この金曜モスクも 中庭の大きさが 16m角と小規模である。 そこに各辺の長さの三分の一ほどの幅のイーワーンが 4基向かい合うので、これは アラブ型の単調なモスク中庭とは 決定的に異なった印象を与える。ここにおいて、単なる実用性を超えた 新しいモスク型が、鮮明に誕生したのである。

 では、これは宗教建築として、現在のイランの国教でもある シーアの 12イマーム派の教義と関係があるのだろうか。
 この四イーワーン型は ペルシアから、他のイスラーム諸国に広く輸出されたので、後のエジプトにおいても モスク建築の主流となった。しかもそこでは4基のイーワーンが(シーア派とは対立する)スンナ派の四大法学派を象徴するという こじつけ的な説明がなされたりしたくらいだから、本来 宗派とイーワーンとは、関係がない。

  
円形ドームへの移行部をなすスキンチと、ミフラーブ

 建築には 建築自身の伝統や自律的発展がある。宗教建築の原理がすべて宗教の理念や教義に基づいているわけではない ということを、これはよく示している。そのことは ヨーロッパのキリスト教においても、カトリックとプロテスタントのあいだで、宗教音楽にも 宗教建築にも 本質的な違いがないのと同様である。

( 2004年7月 「中外日報」)

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