MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
ディヴリーイ(トルコ)
ウル・ジャーミイ と 病院

神谷武夫

ディヴリーイ


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ウル・ジャーミイ(大モスク)

 トルコのアナトリア地方の中央部に ディヴリーイという小都市があり、その丘状の町の最上部に 13世紀のウル・ジャーミイと病院の 複合した石造建築がある。
 ウル・ジャーミイとは何かというと、イスラーム教の礼拝堂はアラビア語でマスジド、これがなまって英語でモスクという。キリスト教では 安息日の日曜日にミサをあげるのに対して、イスラーム教では 金曜日に集団礼拝を行うので、都市の大部分の住民が集まって 集団礼拝を行う大きなモスクを ジャーミ・マスジド(金曜モスク)という。
 通常は一つの都市に一つのジャーミがあるのだが、どういうわけかトルコでは 中規模以上のモスクを すべてジャーミイと呼ぶようになってしまった。そこで、他の国でのジャーミ・マスジドに相当するモスクは、トルコではウル・ジャーミイと呼ばれるのである。
 ウルというのは 偉大な という意味であって、単に規模の大きさを言うのではないから、英語ではビッグ・モスクではなく、グレート・モスクと訳すのだが、日本語ではその区別がないので、大モスクと言った場合に、どちらをさすのか 判りにくくなってしまった。


ウル・ジャーミイと病院 平面図
(From "The Mosque" by Marin Frishman, 1994, Thames and Hudson)


アナトリアの セルジューク朝

 ディヴリーイのウル・ジャーミイでは 南側に病院が接続して建てられ、その外壁が一体化しているので、よけいに規模が大きく見える。しかし これらは同時の建設ではなく、数年の時をへだてた増築であるらしい。
 中央アジアにいたトルコ族が 10世紀頃から南下してイスラーム化すると、11世紀にペルシアを中心とするセルジューク朝帝国を打ち建てた。やがてアナトリア地方もその支配下におかれ、ディヴリーイの近辺は メンギュジュック朝という小王朝が支配して イスラーム化を進めた。
 そのアミール(総督)アフマド・シャーが 1229年に建築家の フッレムシャーに建てさせたのが このウル・ジャーミイである。そして その妃が慈善事業として その数年後に同じ建築家に建てさせたのが病院であり、しかもそれは精神病院(癲狂院)であったらしい。

  
病院の西扉口と内部

 モスクと病院が一体化して建てられるというのは 奇妙に思われるかもしれないが、イスラーム世界では 早くから住民のための公共福祉施設を 宗教施設と組み合わせて建設することが行われ、特にオスマン・トルコでは、キュリエと呼ばれるモスク複合体を 各地に王族が建設した。公共施設としては 学校や修道所、救貧院や公共浴場、キャラバンサライ などが数えられるが、ディヴリーイでは まだ小規模に 病院だけが付加されたのである。


イスラーム建築のバロック

 建築的に意外なのは、イスラーム建築であるのに 中庭がないことである。古くからの アラブ型モスクも ペルシア型モスクも、中庭を囲む礼拝室として設計されてきた。しかし もっと北方で、しかも冬には雪も降る アナトリア高原では、中庭がそれほど有効ではなく、次第に小規模化し、屋根がかけられて 屋内ホールのように変質していった。

ウル・ジャーミイの礼拝室内部

 ディヴリーイのモスクも病院も、それぞれ中央部に 穴の開いたドーム屋根がかかっていて、ここから採光、換気をしている。すなわち屋内化された中庭である。

 こうして トルコ型となったモスクと病院は また、ペルシアのレンガ造とは異なり、アルメニアやシリアから学んだ 堅固で正確な石造建築となった。ところが、この清楚な内部空間を否定するかのように、外部の3つの扉口は、まことに華々しい、というよりも 過剰な装飾で 我々を驚嘆させる。

  
ウル・ジャーミイの北扉口と細部彫刻

 通常のイスラーム建築では、すべての装飾が 建築的枠組みの中におさまった 平面的なパターンであるのに対し、ここでは 各細部が立体的で動きに満ち、建築的枠組みを超えて突出し、浮遊感まで漂っている。そのパターンは、よく見れば 他のイスラーム建築にも見られる 蔓草模様や植物紋に基づいていることがわかるが、しかしこれほどダイナミックで、しかも古典的調和の美であるよりは 歪んだ美とでも言うべき、不安感をあおるような構成をしているのは 異例である。これはまさに、イスラームのバロックだと言えよう。

 全体の建築的秩序や 内部の印象と、これほどまでに異なった造形の扉口を 共存させた原因は何だったのか。この建物を設計したのは、アフラト出身とティフリス出身の2人の建築家の共同だった という説があるから、あるいは 一方がアルメニア的な古典的建築を作り、もう一方が扉口を担当して、バロック的な過剰装飾をほどこしたのであろうか。

( 2004年9月 "EURASIA NEWS")


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