MASTERPIECES of ISLAMC ARCHITECTURE
グラナダ(スペイン)
アルハンブラ宮殿
神谷武夫

獅子の中庭の園亭の壁面装飾
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スペイン最後のイスラーム王国

 11世紀に後ウマイヤ朝が滅びると、イベリア半島におけるイスラーム勢力は次第に弱体化し、キリスト教徒によるレコンキスタ(領土回復)が進んでいった。最後のイスラーム王朝は ナスル朝で、首都の名をとって グラナダ王国とも呼ばれる。小王国ではあったが、巧みな外交手腕によって キリスト教諸国と渉りあって独立を保ち、学芸を保護したので、ヨーロッパにおける最後の華麗なイスラーム文化を花開かせた。

アルハンブラ宮殿の中庭
グラナダの町を見下ろす城塞

 グラナダの丘の上には 10世紀頃から広大な城塞が築かれていて、丘陵の赤土と、その土で焼かれたレンガの色から「カルアト・アルハムラー」(赤い城)と呼ばれた(後に インドのデリーとアーグラでも、主材料の赤砂岩によって、やはり「赤い城」と呼ばれることになる)。アルハムラーがなまってアルハンブラ(スペイン語ではアランブラ)と呼ばれる宮殿は、13世紀から 14世紀にかけて城塞内の北部に建てられ、洗練に洗練を重ねて、まさに珠玉の宮殿建築となった。


アルハンブラ宮殿 平面図
( アンリ ・スチールラン 「イスラムの建築文化」 1987 より )

 城塞というのは城壁で囲まれた都市のことで、かつて宮殿の東側には城内町があったのだが、今では跡形もない。西側には軍事的な砦(アルカサバ)があって、ダロ川の谷に面して守りを固め、都市と宮廷とを守っていた。全体を囲む城壁とともに、それら すべては赤っぽいレンガと石によって 堅固で実用本位に造られたために、外から見る限り、これが世界に名高い優美な宮殿でありそうには見えない。
 ところが、ひとたび宮殿群と それが囲みとる中庭(パティオ)に足を踏み入れると、そこには別世界が展開していて、その人間的スケールの 典雅なたたずまいに深く魅了されてしまうのである。示威的でない外観の内側に 素晴らしい空間や中庭が囲みとられていること、それがイスラーム建築の特徴である。
 世界の宮殿建築の中でも、これほど権威主義や壮大趣味と遠く、小さなスケールの感覚的経験に基づく 美的世界に徹したものはない。

  
天人花の中庭と その壁面スタッコ装飾


アルハンブラ宮殿

 宮殿の諸室は、二つの主たる中庭の周囲に展開している。ひとつは 14世紀前半の 「天人花の中庭」(パティオ・デ・ロス・アラヤネス)で、ここは王が公的謁見のために使用したエリアである。 この奥に 14世紀後半に作られたのが 「獅子の中庭」(パティオ・デ・ロス・レオネス)で、こちらは私的な用途、つまり ハーレムのエリアなので、一般の家臣は立ち入れなかった。したがって両者は別々の宮殿なので、軸線も通っていないし、今も観光客は端のほうから曲折して移動する。

 庭園(バーグ)として、より特徴的なのは 獅子の中庭で、中央に 12頭のライオンの彫刻が支える 大きな水盤から噴水が吹き上げ、周囲は二つの園亭が突き出た回廊で囲まれている。四方の部屋の室内からは水路が流れ出て中央の噴泉に合流するので、長方形の庭は 田の字型に分割された形になる。これこそイスラーム庭園の基本原理をなす、幾何学的な「四分庭園」(チャハルバーグ)なのである。

  
獅子の中庭と その回廊

 回廊は 大理石の繊細な細円柱がリズミカルに並んで、園亭側から見ると 林のように連なっている。腰壁には幾何学パターンの彩釉タイル装飾がほどこされ、その上の壁と天井では 植物紋を展開した スタッコのアラベスク彫刻 が、陽光の反射を受けて きらびやかに輝いている。 ヨーロッパ人は北西アフリカとスペインのムスリムを モーロ(ムーア)人と呼んだので、こうした華麗な美術は「モーロ(ムーア)美術」とも呼ばれた。
 回廊で囲まれた 四分庭園は、かつては四季折々の花々で埋められた花壇であった。 こうした しつらいの全体こそ、『クルアーン』に描かれ、すべてのムスリムが憧憬した「天上の楽園」の現実化だったのである。

  
アベンセラヘ一族の間と 諸王の間の天井

 イスラームの爛熟期の、この上なく典雅な美学を生み出したナスル家も レコンキスタで滅ぼされ、1492年に城を明け渡して モロッコに落ち延びる。 西ヨーロッパにおけるイスラーム勢力が途絶える この年に、コロンブスはインドと取りちがえて アメリカへと出航するのだった。

( 2006年 『イスラーム建築』 第1章 「イスラーム建築の名作」 より )


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