イスラームの大学、マドラサ
北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコを マグリブ地方(西方の意)と呼ぶが、エジプト以東のイスラーム圏とちがって、ここでは異教徒が モスクの中に立ち入ることを許さない。イスラーム建築の代表的存在であるモスクを、単に外から覗き込むことしかできない というのは大変に残念だが、その代わりに、どこの町にもマドラサがあって、これは異教徒も中に入って じっくりと観察することができる。
マドラサというのはイスラームの高等教育機関で、規模は小さいものが多いが、ヨーロッパに発達した大学に相当するものである。
イブン・ユースフ学院 断面図と平面図
(From "Islamic Sacred Architecture" by Jose Pereira, 1994)
中世の時代、ヨーロッパはまだ黒い森に覆われた 半未開の地であって、科学や文芸は中東のイスラーム世界のほうが はるかに進んでいた。プラトンやアリストテレスの哲学を受け継いでいたのも イスラーム世界であって、ヨーロッパ人は それらアラビア語訳の書物を通じて ギリシア哲学を学んだのである。
イスラームの最高の聖典は『コーラン』であったから、マドラサでも『コーラン』の研究を主としたために、しばしば神学校と訳されたりしてきたが、実際はもっと広く 法学や歴史や自然科学をも学ぶ 広範な教育施設であった。
イブン・ユ-スフ学院への入口の通路
内向きの建築構成
マグリブで最も規模の大きいマドラサは モロッコのマラケシュに残る イブン・ユースフ学院である。マドラサはモスクと共に計画されることが多いが、ここでも同名のモスクと共に 1564年頃に サアド朝によって建設された。マラケシュのメディナ(市壁で囲まれた旧市街)の迷路のような細道を、スーク(店舗街)を突き抜けて奥へと進むと、このイブン・ユースフ学院に至る。
ところが、このマドラサは2面が道路に面しているにもかかわらず、無表情な背の高い壁で囲まれているだけで、名建築らしい外観というものが全くないことに驚くことだろう。で、角近くの入口を入ると、長い通路によって奥の方へ導かれる。突き当たって右を向くと、ふいに明るく整然とした中庭が開け、それを囲む壁は イスラームの建築工芸の粋で飾られている。
学院の中庭と、タイル・モザイクの壁面
この、外に対して閉じ、内に美しい空間を囲い込む方法、これこそがイスラーム建築の特質である。インドのヒンドゥ寺院のように 建物全体を一つの彫刻作品のように 造形的に作り、細部も立体的な彫刻で飾り立てながら、内部の空間はひどく貧しい、という「彫刻的建築」と対蹠的な「皮膜的建築」の性向の表れである。
外観を誇示するのでなく、すべてが内へ内へと内向する性格は、ブルカで身を包んだ イスラーム女性と似ているかもしれない。
モロッコ建築の 「渋さ」
静謐な中庭の中央には モスクと同じように泉があり、ここで人は手足を浄める。かつては噴水の出る水盤があったはずだが、今は失われてしまった。正面が礼拝室で、これは小モスクであるから、メッカの側の壁にミフラーブがある。中庭の左右には回廊があり、ここも礼拝室も 講義の場所であったろう。
壁面は、腰壁が鮮やかなタイル・モザイク、中段は白いスタッコ(化粧漆喰)、上段は茶色の木の羽目板 という三段構成とされ、すべてがアラベスクの幾何学模様で飾られている。全体としては、けばけばしさのない 渋い いぶし銀のような美しさを放っていて、日本人好みである。
イブン・ユースフ学院の回廊と、タイル・モザイクの壁面
興味深いのは、この回廊に アーチではなく 水平の梁が架け渡されていることであり、屋根は瓦葺きの 勾配屋根となっていることである。イスラーム建築といえば、中東の砂漠地帯で生れた アーチとドームによる丸い造形を思い浮かべがちであるが、イスラーム圏の東端のインドと 西端のモロッコでは、木造原理の柱・梁構造が多く用いられた。アーチに見える部分が単なる飾りにすぎず、実際は裏に 水平の梁が架けられていることも珍しくない。
寮室の小中庭と 個室の高窓
このマドラサがさらに興味をそそるのは、「全寮制カレッジ」としての構成を 完全に保存していることである。中庭と礼拝室の周囲は2階建ての寮室群で囲まれていて、それらは坪庭を囲む廊下に面して 6〜7室が並ぶクラスターをなし、全部で 100ほどの寮室が 学生と教授のために用意されていた。その空間構成の妙と 光の扱いの巧みさは、モロッコ建築随一である。
それぞれの個室には、鉄細工のグリルが嵌められた高窓が一つあるだけで、禁欲的な修道院を思わせる。日本の レジャーランド化した現代の大学とちがって、彼らは真摯に勉学に打ち込んだのであろう。
( 2004年 4月 "EURASIA NEWS")
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