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 前世・過去生、あなたのいくつもの人生!

 今回の人生が、あなたにとってすばらしい旅でありますように!

● 前世、永遠の命の輝き

スピリチュアルな時代の到来!

昨今より、精神世界という言葉に代わって、「スピリチュアル」という言葉が使われるようになりました。スピリチュアルは「精神的な、霊的な」という意味ですが、これを形容詞で使い、「スピリチュアルな世界、スピリチュアル〇〇」と使ったりします。

「精神世界」という言葉の場合、閉ざされた特殊な世界をイメージさせ、その対極にある現実社会とかけ離れたイメージ、誤解を与えます。やはり言葉としては、「スピリチュアル」の方がよいです。

21世紀は「自分探しの時代」です。
自分とは何か、人は何のために生まれてきたのか、どこから来て、どこへ行くのか。そのようなことに関心を持つ人が増えました。「スピリチュアリティー」とは、なんでしょうか?

スピリチュアリティー(Spirituality)は「霊性・精神性」と訳されますが、言葉を変えて言えば「自分を見つめること」。自分とは何かを追求し、自分と向き合うことで「自己成長を図ること」と言えます。それは自分の「心の内」に向かうことであり、この点、自分の「外」に絶対性(神)を求める既存の宗教とは異なる。


● 前世、過去世の記憶

人はこの世に何度も何度も生まれる。
生まれる環境さえも自分で選んで生まれてきます。 そして何かを学んで帰っていきます。


米国精神科医「ブライアン博士」は言う。「私たちは永遠の存在であること、誰もが宇宙のかけがえのない一部であり、何回も生を繰り返しながら学んでいる。そして、この真理を知ったとき、私たちは完全に癒されていく」と 。

21世紀という時代を迎え、私たちは「人間とは何か、自分とは何か」、「何のために生まれてきたのか」という問いかけに、真正面から取り組まなければならない時代を迎えている。人はこの世に何度も生まれてくる。そして、それぞれの「生」で体験しなければならないことを体験し、そこから学び、次に向かって進んでいきます。

このことを理解することで、いま自分が直面している問題を解く「カギ」が見つかったり、また長い間、苦しんでいた問題や人間関係から解放されたり、時には病気の原因が見つかることもある。そして「今の自分が理由があってこうしている」ということが分かれば、今まで抱えていた苦しみや悲しみが薄れ、時として問題そのものが解決に向うこともある。

誰にでも前世はある。前世が「あるとか、ないとか」 ではなく、まずは、「ある」と考えた方がよいでしょう。人は、この世に生まれてくるとき、前世の記憶を忘れてしまっただけなのです。しかし忘れることの意味もある。ひと口に前世と言っても、この世に生まれた数だけの前世があり、何百、何千もの前世の数になる。

もし、私たちがその全てを記憶していたら、現在を生きていくことが大変窮屈になる。今は善人であっても、前世では犯罪者だったかもしれない。自分が傷つけた人が、今は自分の親しい友人であるかもしれないのだ。もし、そんなことを全部覚えていたら、人間関係がおかしくなってきます。

人間の体は、単なる細胞の集まりではなく、そこには「意識」が宿っている。そこには、両親から受け継いだ遺伝子情報、さらには両親の親、さらにはその両親の親など…幾世代にも渡る情報が記録されている。そして当然のように、いま私たちが思い考えたことも、記憶として「細胞に蓄積」される。

人間の細胞には、遺伝子だけではなく、これまで経験した過去世のすべての情報も記録されているのです。 ヒプノセラピーやリーディングは、これらの情報を読み取り、メッセージとして伝えます。

例えば、お腹の中にいる「赤ちゃん」は、最初から「赤ちゃん」の姿ではありません。受胎後の最初の姿は「魚類」、次に「両生類」(メダカ・カエル)、その次に「爬虫類」(ヘビ・ワニ)、「哺乳類」へと成長し、十月十日を経て、「人間の赤ちゃん」の姿へと成長して生れる。

この赤ちゃんの誕生過程は、「生命の歴史の再現」であり、赤ちゃんは「遺伝子」情報を再現しながら、この世に生まれてきているのです。人間の細胞には、35億年の「生命の進化の記憶」が刻まれている。このように考えると、たかだか数百年前の前世の記憶なんて、砂粒みたいな小さなことです。


● 輪廻転生(りんねてんしょう)

人はなぜ生まれ変わるのでしょうか?

行き着くところ、人は自分で実際にそれを体験しないかぎり、真に理解はできないということかもしれない。何不自由のない贅沢な暮らしをしている人は、貧しい人のつつましい生活は理解できないでしょう。愛する人と別れた悲しみは、それを経験した人でないと、その辛さは理解できない。人を傷つけた人は、自分が傷つけられて初めて、その痛みが分かる。

人は一つの人生で、すべてを学ぶことはできない。だから、さまざまな人生を生き、さまざまな立場を体験するために生まれ変わる。それが成長への階段である。たとえそれが何であれ、誰でも同じ経験をしているのだ。誰もが善人であり、悪人であった。誰もが男であり、女であった。そして今回の人生では「今の自分」を体験するために、生まれてきている。

それは舞台で劇を演ずる「役者」のように、今回は「今の役柄」を演じているのだ。男性・女性、金持ち・貧乏人、成功者・落伍者。それは、あるときはドラマの主役のような華やかな人生であり、あるときは、はかない人生で終わる。喜びと悲しみ、愛と絶望、光と影、人はそのすべてを体験する。


この世に生まれてくる時、人はすべてを選んで生まれてきます。自分が学ぶことや、経験するこ とを自分で計画します。基本的な事柄、生まれた環境・場所、両親、兄弟はもちろん、自分の容姿さえも自分で選んで生まれてきます。たとえ、自分の置かれている環境がどんな環境であって も、ほんとうは自分で選んできたものなのです。厳しい状況にある人には、ほんとに辛いことです。(・_・、)。。

体に障害をもって生まれたり、苦難を背負って生まれてきた人は、同情や哀れみではなく、それを選んだ「勇気」を讃えるべき人たちです。 私たちはその人たちから学ぶことがいっぱいある。

病気や事故、生まれて早々に別れを告げる子供たちもいる。
それは両親にとって残酷、同意しかねる理不尽なことですが、その子供たちは尊敬すべき人達です。

幼くしてこの世を去った子供は、時を経ずに、再びこの世に生まれる。縁ある人の次の世代の子供(孫)として、もしくはその次の世代の子供として生まれる。

今世、あなたはどんな目的、どんな課題を抱えて生まれてきたのでしょうか!

それは、現在の自分を注意深く見渡せば、自分がどんな課題を抱えて生まれてきたのか分かる。もしかしたら、いま抱えている問題が、自分が学ぶ課題かもしれません。やり過ごした課題として、今世で取り組んでいるのかもしれません。

親子の関係では、前世で親であった人が、今世では子供であったり、その逆の場合もある。それぞれ立場を変えて学び、やり残した課題に取り組んでいる場合もある。また前世で憎しみ合っていた人たちが、今回は家族という関係を選んで、再び出会うということもある。そこでは、お互いが理解しあうために、異なった背景のもとで共通の問題解決に取り組むことになる。


人はこの世に、何百回、何千回も生まれてきたのだ。あらゆる国々に、さまざまな文明・文化の中に生き、さまざまな国籍、肌の色、顔かたち、人生を体験している。男性、女性、商人、農民、兵士にもなった。医者、教師、僧侶、芸術家にもなり、英雄、敗北者、乞食にもなった。そのすべてになったのだ。自分で選んで。

いくつかの人生では、愛する人と結ばれて、幸せにその生涯を終え、いくつかの人生では、悲しみの中で人生に終わりを告げたでしょう。争いで人を傷つけ、その犠牲者にもなった。喜びと悲しみ、遠い過去に、そのすべてを体験し、そのような経験をして今の自分になったのである。

だから、かつては誰もが「善人」であり、また「悪人」であった。かつては、自分もそうだったのだ。悪を見て、あなたが責める他人は、「かつての自分」なのだ。『人を憎まず罪を憎む』、なんと意味深い言葉だろうか。。
      
ただ、前世を知るのはいいですが、これに囚(とら)われてはならない。過去は過去、今の自分とは関係 がありません。大事なのは「この今」、この今を100%生きるということです。前世を知ることの意味は、そこから何かを学び、「前向きに生きていく」ことです。この点をしっかり理解してない人は、前世を知っても何らプラスにならないでしょう。

人との出会い‥友人、恋人、同僚、それは短い出会いであったり、一生の付き合いであったりする。親や兄弟はもちろん、夫婦、友人や恋人、それは自分で引き寄せたのである。そして理由があって、あなたも彼らに引き寄せられたのである。共同作業のように。

だから、この世には偶然はない。何事も行き当たりばったりに起こったりしない。過去世をのぞくと、すべての出会いに意味があることが分かる。


● 生命は永遠、私たちは一体である

死、あなたが自分の肉体から去るとき、強烈に光り輝き、「光の存在」に戻る。光の存在、それが私たち人間である。

そして肉体は滅びても、生命は永遠に続き、終わりがないこと、死んではないことに気づく。


この世に別れを告げたとき、人は「走馬灯」のように自分の人生を振り返えると言われる。 終わったばかりの人生のあらゆる時を、もう一度味わう。嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと。すべての行い、すべての言葉、すべての経験が、まるで超高速で映し出されるビデオを見るように、自分の一生が「一瞬のうちに」映し出される。

そして死の瞬間に、さらなる生命に気づく。
生命は永遠であることに気づく、
生きていることに気づく。

死の際に、人はこの人生で体験したことを、お互いが相手の立場に立って振り返る。それぞれの場面で、そのとき、「自分がどのように思っていたのか、なぜそうしたのか」、さらには自分と相手が 「入れ替わった」ようになって、相手の思いを感じ取ると言われる。たとえ、人を傷つけたとしても、その行為の「善悪」の価値判断はない。誰もそれを非難する人はいない。しかし・・・

もし、誰かを傷つけ、虐待すれば、自分が虐待した被害者となって、その痛みを感じるのだ。苦痛を与える者と、苦痛を受ける者の両方を体験する。そのすべてを感じる。誰かを傷つけ、苦しむ人の顔を見れば、それが自分だったということに気がつく。自分を傷つけていたのだ。それが死の瞬間に体験する事柄である。

もし、あの世に「審判」があるとすれば、それが審判である。
ある時は、失恋という報われない愛を感じる者になり、あるときは、争いで言い返せなかった人の悔しさを知る。誰かを騙せば、騙された者となって、悔し涙を味わう。誰かに何かをした時、それは自分自身にしているのだ。このときほど、「すべての人が生命の糸で結ばれている」ということを理解する瞬間はない。

そして自分のやったことを後悔する。
人に対してもっと親切に接すればよかった、もっと理解してあげればよかったと後悔する。愛する人に辛く当たらなければよかったと思う。あの人に愛を告げるべきだった、あの人にちゃんと謝るべきだったと後悔する。その思いがあなたを再び「この世」に舞い戻らせる。


あなたの生は続く・・・
次の生、また次の生、さらにその次の生へと続いていく。

もし亡くなった人が、どこか「別の世界」で、現在も同じように生きているとしたら、これまでの価値観は一変する。最愛の人を亡くし、嘆き悲しんでいる人がその事を知ったら、泣いて喜ぶでしょう。しかしそうなのだ、それが「真実」である。肉体は滅びても、生命は永遠に生き続ける、それが私たち人間なのです

そして、もう「ひとつ」分かることがある。
そうした死の体験の中で、他人は存在しなく、他人と思っていたのが、実は自分自身だったということが分かる。自分と他人の違い、簡単に言えばこうなる。たとえば、「人差し指」を自分とするなら、他人は隣の「中指」です。中指は他人だからと言って、自分の指を切り落とす人はいません。自分と他人との関係はこれほどまでに近い関係にある。

イエス・キリストの聖句にある『右の頬を打たれたら、左の頬をむけなさい』の意味は、このことを言っているのであり、その真の意味は、「他人を攻撃する者は、実は自分を攻撃している」である。『いと小さき人にしたことは、この私にしたことである』の聖句も同じことを意味している。

もし、そうであるなら、誰かを傷つければ、それは自分を傷つけていたことになる。目の前にいる他人、それはもう一人の自分なのだ。自分も他人も、深い所で繋がっている。これは死の体験のとき、すべての人が体験する。

他人などいない。誰かに何かを与えたとき、それは自分に与えているのだ。人に与えていたのではなく、実は、自分自身に与えていたのだ。受け取っていたのは、「自分だ」ということが分かる。だから、人に与えれば与えるほど、多くのものを受け取ることができる。

たくさんの物を手にするのではなく、たくさんの物を人と分かち合う、そうすれば、たくさんの物を受け取ることができるようになる。いつかそのことに気づく、そのことが分かる時がやって来る。

私たちは一体である。すべては「一つ」である。
すべての人が、目で見えない糸で繋がっている。
どんな人でも「細胞レベル」では、このことを知っている。

→次ページに続く(すべての体験は益)

<追補>
西洋では「内なる神」という言葉がある。仏教には「内在の仏(ほとけ)」という言葉がある。神道には「分け御霊」(わけみたま)、みな同じ意味です。スピリチュアルな捉え方も同じです。

「イエス・キリスト」の一番大切な教えは、
「私たちはみな神である」ということだった。神は一人ひとりの心の内に宿っている。神は外には存在しない、「自分の内」にある。これはイエスの「最大の教え」であった。(後に、その教えは消されてしまったが)。

真実、私たちは一人ひとり「神なる存在」なのです。
神なる男、神なる女です。




翻訳家で有名な『山川 紘矢・亜希子』先生。
精神世界に関する翻訳が多く、今やスピリチュアルな世界の代表者みたいな方です。紘矢さんは元・大蔵省の官僚、亜希子さんは元・外務省の官僚。それが今では、二人揃ってリーダー的存在のようになって活躍されています。人間の転機は、どこでどうなるか、本当に分からないところがあります。 今では、山川さんご夫妻が行う「セミナー」は、すぐ予約で満杯になるというから、時代は確実に変わりました。

実はお二人は、20年近く前からすでに「天使からメッセージ?」をもらっていたそうです。セミナーのテーマは、前日に「精霊」から降りてきて、当日のセミナーでは、自然に言葉が口から出てくるそうです。だから直前にならないとセミナーの内容が決まらなく、自分が決めるのではなく、天使(精霊)が決めるそうです。また、翻訳で分からな箇所があれば、「天使が教えてくれる」と言うから、不思議です。→山川紘矢・亜希子 ブログ


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