文責 宮沢泰行 21期
文化祭の前夜祭に行われていた先生方によるお芝居が、いつしか青山座と呼ばれるようになりました。

先生方の素人芝居と思うなかれ、そこには準備から意気込み、そしてそこには“青山ならではの隠された理念”がありました。

演目も、“父帰る”、メリメの“マテオ・ファルコネ”、果ては劇団民芸で滝沢修の当たり役だった、“炎の人ゴッホ”やアーサー・ミラーの“セールスマンの死”など、プロの劇団でも腕が無ければできないものまで実に幅の広いものでした。



右と下の写真
山田仁彰先生 作 「新版 父帰る」から
(須貝俊男先生 談)


上手(右側)のスーツの男性:越谷先生


下手(左側)の易者:武藤先生
上演時間も50分からなる本格的なもので、ガリバン刷りの台本にビッシリ書かれた台詞の量をみれば、求められている質が極めて高かった事がわかります。
その中心となられていたのは、美術の武藤忠臣先生で、台本の脚色、演出、舞台美術、衣装、そして俳優として活躍されました。
武藤先生の後を最初に引き継がれたのが、数学の山村富太郎先生でした。山村先生も演出、俳優として出演されましたし、また演劇部の顧問をされていた時には、演劇部のためにご自分でロマン・ロランの小説を脚色した台本もお書きになっていらっしゃいます。
第19回目上演台本 昭和49年9月9日  三好十郎 作 「炎の人 ゴッホ」 武藤忠臣 脚色 


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