メルボルン

オーストラリア日記・2

メルボルンへ



島より戻った翌日の21日の晩、
サーファーズよりずっと一緒だったケーコちゃんと別れ、
私は一人、メルボルンに向けて夜行バスに乗った。

ケーコちゃんは西海岸のパース経由で
「オーストラリアのへそ」と呼ばれる‘エアーズロック‘に登りたく、
私はメルボルンに向かいたかったので、やむなく別行動をとる事となった。

私も不安だが、
これまで黙って付いて来てくれたケーコちゃんが、
一人でやっていけるのか・・・そちらの方が心配だった。

夕食はライダーさん達を交えてカンボジア料理を食べに行き、
簡単なお別れ会もしてもらった。

「ケーコちゃん頑張って!又会おうね!」
寂しく思いつつも、乗車とともにすぐに眠りについた。


翌朝、メルボルン入り。
かつてはゴールドラッシュに沸いていた、
オーストラリア第二の都市だ。
しとしとと小雨が降り、心細く思いつつバスを降りた。


さて、まずは泊まる所を探さなければならない。
たまたまバスが一緒になった、F1で顔見知りの国分さんが
「バックパッカーズをあたってみるけど、行ってみる?」
・・と誘ってくれた。

・・・アドレードで宿が無く、途方に暮れ、
アンおばさんの家に泊めて貰った事が蘇る。

とにかくついて行く事にした。


ラッキーな事に1件目から部屋は空いていた。
部屋代は驚くほど安く、即決!

しかし、部屋を見て更に驚いた。
狭い男女混合部屋に3段ベッドが通路を挟んで二つ。
安いバックパッカーズってこんなものなんだ・・・。


それでも何とか落ち着き、
お腹も空いたので外に出る事にした。

外はすっかり雨があがっている。
メルボルンの街は碁盤の目状に整備されており、
ビクトリア様式の建物も重々しく、
美しい街並みに緑のトラムが一際目を引く。

早速大きなマーケットを見つけ、
楽しそうな雰囲気に不安は期待へと既に変わっていた。



今までケーコちゃんと旅をしていた時は、
思うままにいく所を決めて、その目的に向けて行動していた。
なのでこちらから日本人に声を掛けて旅をする・・・という事をしてこなかった。
しかし、一人となるとやはり友達が欲しくなるものだ。
そして意外と女の子の一人旅をしている子が多い事に気付いた。

一人旅の女の子もこちらが一人でいると、
気にしてくれるもので、友達になるのも早かった。
日本だったらすぐにこうはいかない。
異国で同じ目的を持って旅をし、
寝泊りを共にする事ですぐにその距離は縮まっていく。


そして早くも旅のグループが結成され、
全長50m、海沿いに絶壁・奇石が続く風光明媚な海岸道路をドライブする
グレートオーシャンロード」への旅に出発する事となった。

なんの情報ツールを持たない私にはとてもありがたい事だ。
初めて聞く名前ばかりだった。

メンバーは私を入れて5人。
一人旅をしている女の子が中心だ。
中でもエアロビのインストラクターの職を持つ、
同い年のゆかりちゃんは個性的だ。

ケアンズでホームステイしていたいた時、
そのステイ生活を綴ったエッセイが
地元の宮崎新聞に掲載されていたらしく、
「ただ者ではない雰囲気」は初対面から感じていた。
そして私はゆかりちゃんと一番の仲良しとなっていた。


「グレートオーシャンロード」の景色は素晴らしく、
私達は車をおりる度に歓声を上げていた。
それは私が今までに見たこともない広大なものであり、
南極からの冷たい海流と風による侵食が創りだした自然の大産物に、
長いながい年月を感じた。

切り立った断崖は、形によっていろんな名前が付いていた。
海から突き出た12の岩は「12人の使従」
岬の一部がダブルアーチになっている「ロンドンブリッジ」
(現在は侵食が更に進み、一方のアーチが落ちてしまったという。)



自然の力を感じ、
ながい年月のほんの一部に存在している自分を感じた旅だった。



又、皆でシェアして借りた大きなホテル(モーテル)の生活も楽しかった。

モーテルはいたる所にあり、
しかも長期滞在用にキッチンの設備はどこも整っている。
最近の日本では増えてはきたが、
当時の私達にはこの環境はかなり画期的に感じた。
(この時点で日本の遅れを痛感!)

分担して食事を作り、
ワイワイ騒いで懐かしい修学旅行を思い出させた。


食後、ゆかりちゃんが旅の間撮り続けているビデオを観る事となった。
(これもとても当時珍しかった。)

野生のバンドウイルカに餌付けが出来る「モンキーマイア
・・・沢山のイルカに囲まれていたW
本来なら1番に行きたい所だが、
ガイドブックを持っていなかったので、知るヨシもなかった。

そしてもう一つ私を驚かせたのは、彼女の行動力だった。

エアロビのインストラターの彼女のオーストラリアでの夢は
地球のへそ‘と呼ばれるエアーズロックのてっぺんで
ミュージックに合わせて踊る事。

このエアーズロックとはオーストラリアのど真ん中、砂漠の中に忽然とあり、
周囲9`、地上348mの世界最大級の一枚岩だ。

急な斜面には鎖が張られ、その険しさゆえ、
転落して命を落とす者もいると聞いた。

その岩のてっぺんの大観衆の手拍子の中、
満足げな表情で彼女は踊っていたのだ。
(今ならYouTubeのランキング上位だね!)

「凄いな〜」
私もオーストラリアで何か一つ目標を立てたいと誓う。

・・・そんな事を考えながら見ていると、
なんと踊っているゆかりちゃんのバックに
この旅のメンバー唯一の男子学生、
中玉利君が偶然にも写っている姿を発見。

お互い初めて知り合ったメルボルンだが、
実はエアーズロックで本人同士は気付ずか、会っていたのだ!
この広いオーストラリアで、余りの偶然に皆で大爆笑した。


笑いの絶えない、本当に楽しい旅だった。
・・・忘れられない思い出の一つとなった。

*現在は聖地エアーズロックには登れないそうです。


メルボルンに戻ると、
私は皆が宿泊しているYHAへと移る事にした。

その頃には私も旅にも大分慣れ、
一人で電車に乗ってサーファーズでの知り合いの家を訪ねたり(これもとても迷った)、
YHAにいる時もリビングで過ごすようになっていた。

リビングはいろいろな国の人達のコミュニケーションの場となっている。
私も英語でまあまあコミュニケーションも取れるようになっていた。

皆母国語の他に必ず英語もしっかり話す事が出来た。
それは当たり前の事で、
何年間も学校で英語を習ったはずの私は恥ずかしい限りであった。


旅をしているのはオージーはもとより、
ドイツ、アメリカ、フランス、スウェーデン人等が多い。

しかし何と言ってもカナダ人が、一番目立つ。
それは彼らは皆自分のバックパックに
カナダの国旗のカエデを付けているからだ。
よほどカナダの国に「誇り」を持っているのだろうと思い聞いてみた。

すると旅先ではいつも「アメリカン?」と聞かれる事が多く、
それがイヤでいつの間にか皆がそうするようになったと教えてくれた。
確かに私からは区別がつかない。
日本人と中国人みたいなものだろう・・・。


そんな賑やかなYHAでも、いろいろな格安ツアーを行っていた。
そしてゆかりちゃんと必ず行きたい!・・と言っていた
メルボルン最大の観光スポット「ペンギンツアー」に申し込む事にした。

フィリップ島に生息する世界一小さいフェアリーペンギンが、
日没後、海より巣に戻る姿を見に行くツアーだ。
いくつかのツアーを調べたところ、
やはりYHA開催のツアーが内容・値段共に一番良かったので、それに決めた。


出発は午後1番にYHAのマイクロバスに乗り込んだ。
各自簡単な自己紹介をしながら
まずは野生のコアラ保護区のユーカリ林に向う。


コアラを探しブッシュの中を進むが、大きな林でなかなか見つからない。

やっと4〜5頭見つけたが、みな高い木のてっぺんに張り付いている。
カンガルー島では目の前で見る事が出来たが、今回はちょっと遠かったな。
これも人に慣れていない自然の証拠だけれど。


パレードのサマーランドビーチにはどこのツアーよりも早く着いたので、
1番前の良い場所を陣取る事が出来た。

とても寒くなるとの事で、YHAより借りてきた毛布に包まって待機をする。
パレードでは暗い海から戻ったペンギンが失明してしまうという事で、フラシュは禁止!
その為、高感度フィルムを奮発した。
(現在はカメラ等持込禁止)

8時になると辺りは急速に暗くなり、目を凝らして砂浜を見つめる。

1匹ひょこひょことやって来るのが見える。
あっ、あそこにいるな・・と確認したかと思うと、あっという間に砂浜はペンギンで満杯になった。

私達のすぐ目の前をペンギンがゾロゾロと家路を急いでいる。
手を伸ばせばかわいいペンギンに届きそうだ。
お腹の中は我が子へのエサの魚が詰まってパンパンで、もうはち切れそう。
歩く時はお腹が重たくて左右に大きく揺れている。
中にはケガをして足を引きずっているものもいた。

沢山のペンギンは砂浜を歩いている時は良いのだが、
子供の待つ巣は小高い斜面を登り切った所にあり、
その道が一羽通れるかどうかの狭き道。
ペンギン達は自分の番が来るまで順番に長い列を作り、待っていた。

列を乱したり、割り込む者もいない。
行儀がいいね!・・・観察しながら笑みがこぼれてしまう。


かわいいペンギンの姿を見て大満足の中、
帰り際巣の周りで親の帰りを待つ子供の姿を見る事が出来た。
子ペンギンが今か今かとお腹を空かせて待ちわびているのだ。
親らしきペンギンを見ると大きな口を開け、
鳴きながら近付いて行く。

親ペンギンは鳴き声とにおいでわが子を見分けるが、
「うちの子じゃない!」となると、あっちへ行けとばかりに攻撃をする。
なかなか親と会えないと、
あちらこちらで総攻撃を受ける羽目になるのだ。

逃げる姿が滑稽でちょっと笑ってしまったが、
ふとさっきの足を引きずっていたペンギンの姿が目に浮かんだ。
危険な海で命を落とすペンギンもいるだろう。
・・・そんな親の子供はどうなってしまうのだろうか?
笑ってしまってごめんなさい。

環境破壊が続くこの世の中、
いつまでもこの自然が続いて欲しいと願いつつバスに戻った。



メルボルンでの生活は毎日飽きる事がなくスケジュールが一杯だった。
YMCAで行っているエアロビに混ぜてもらい、外人さん達と大勢で踊って
「フェームだ〜(古っ・・)」なんて言っては喜び、
大きな市場の中のアンティークマーケットへ出掛けては値切ったりと、
新鮮な日々を過ごす事が出来た。


サーファーズでの知人ピーターの同居人、
ブライアンが「ビクトリアアーツセンター」に勤めていたので、
館内を案内して貰う機会があった。

白い鉄塔の建物はバレリーナのフワッと広がるスカートをイメージしたもので、
どこからも目を引き、11年の歳月を掛けて建設されたという大物だ。
中はコンサート会場・三つのシアター・ギャラリーからなり、芸術の殿堂といったところだ。

案内後、ソウルドアウトの人気のオペラを舞台裏から見せてもらった。
内容はよく分からなかったが、大掛かりな舞台装置にびっくり!!
初めてのオペラ体験だった。

そこでオペラを見に来ていたブライアンの友人に
「明日ここでバレエをやるから観においで・・。」
と招待され、二人でいそいそと出掛けた。

なんとそのお兄さんはバレエの主役で素敵なショーだった。
人から人へどんどん輪が広がった出来事でした。



そんな楽しいメルボルンでの日々が過ぎ、
ゆかりちゃんも本拠地シドニーに戻る日が来た。

メルボルンで知り合いがなく心細かった頃に出会ってから
ほとんど行動を共にして来たゆかりちゃん。
彼女は英語が堪能で沢山の外国の人達と触れ合っていたので、
私も自然とその輪に入って楽しむ事が出来るようになっていた。
とにかく底抜けに明るく、常に前向きで好奇心旺盛!
とても不思議な魅力を持っている人だ。。

別れるのは寂しいが、シドニーでの再会を約束して、
私は次にタスマニア島に行く事を心に決めていた。



大切なものにもどる

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