2010年07月04日(日):「心配の毎日」 2010年07月05日(月):「さらなる心配」 2010年07月07日(水):「七夕の日に(1)」 2010年07月07日 (水):「七夕の日に(2)」 2010年07月09日(金):「日 獣の先生との大切な話」 2010年07月12日(月):「届け出、ふたつ」 2010年07月23日(金):「鈴の香り」 2010年07月26日(月):「美花の夏の日」 2010年07月28日(水):「鈴音をめぐって:ガン治療 のこと」 2010年07月31日(土):「初めてのお留守番」 2010年07月某日:「鈴音との別れ」 |
2010年07月某日 鈴 音との別れ つれあいの実家に連絡をして、鈴音のことを伝えました。連休前に遊びに行って元気な姿を見せていただけに、とても驚いていました。腫瘍のことは言ってあっ たのですが、それにしても早すぎたねと言われました。 最後の2匹一緒の「旅」となりました。美花は物心ついてから初めての車です。おいて行くわけにはいかないので、慣らすもへったくれもなく、美花を乗せまし た。
実 家に着くと、「まあちょっと休憩をして」と義母にうながされました。義姉もやってきて「大変だったねえ」と言いました。この日は梅雨の晴れ間の夏日とな り、車の中にすずをおいておくことができなかったので、玄関にあげておきました。義姉はドアを開けたらいきなりすずが寝ていたので驚いたことでしょう。 義母が「痩せたんじゃない?食べないとだめだよ」と私に言いました。「食べられなくなっただけなので、まあ仕方がないです」と私。「でも、今回は大丈夫」 話をしているうちに、義父が「穴を掘ってみたから、ちょっと見てみて」と言いました。今回こそは自分たちで掘ろうと思って、着替えのジーンズも持って行っ たのに、義父は手際よく準備をしてくれました。 つれあいが「じゃあ、やりますか」と言いました。「私、まだすずにお別れしてない」と私。「じゃあ、お別れしよう」と、私たちは玄関に向かいました。 「す ずちゃん、こんなに早く死んじゃってだめじゃない。(鈴音の)ママは12歳近くまで生きたんだから、それくらい生きるんだったんじゃなかったの?でも、す ずはがんばった。治療は大変だったね。きらいな薬をたくさん飲ませてごめんね。飲みたくなかったのに、いい子で飲んでたよね。えらかったね。助けてあげら れなくてごめん。謝っても許してもらえないよね。気づくのが遅かった。もっと早く病院に連れて行っていればよかった。旅行に行かなくてもよかったのに連れ て行ったから。謝ってもらっても生 き返れるわけじゃない。調子が悪かったのを放ったままにしてしまって、ごめんで済むはずがないよ。取り返しのつかないことをしてしまった。私のいのちを返 せってすずが言ってるよ」 つれあいが「すずは許してくれるよね」と言うので、思わず「許さないよ、すずは許してくれないよ。なんでもっと早く気づかなかったんだって、なんで放って おいたんだって。許してもらえない。ごめんね、すず」と私は続けました。 「す ずちゃん、お別れだね。短い間だったけど、美花と遊んでくれてありがとう。すず、大好きだったからね。ありがとう。また会いましょう」と私は最後に言いま した。すずのからだを抱くと、確かにそれは鈴音ではあ りましたが、もはや鈴音自身ではありませんでした。大きなふさふさのかわいい子。まだ4歳と少しで、とても死んでしまうような年齢ではないのに。年をとっ て迎えた最後ではないので、まだとてもきれい。 私たちは、鈴音の毛をいくらか切って形見にしました。私たちは鈴音の口角の部分が大好きで、そのそばにチュっとするのが常でした。つれあいは苦笑 いしながら「いくらここが好きだからと言っても、切り取るわけにはいかないからね」と言いました。私も泣きながらも笑いながら「それはそうだよ」と言いま した。 つ れあいがすずの尻尾の先の白い毛をざっくりと切ったので、私は思わず「何するの、そんなに切っちゃってかわいそう」と言いました。するとつれあいはは 「だって、ほしかったんだもん、いいじゃない」と言いました。鈴音はつれあいが連れてきた子でした。私が体調を崩している中、「ぼくが責任をもって育てる から」と言ったのでした。私よりも思い入れが強く、とてもかわいがっていました。「そうね、取っておきたいんだよね。すずちゃんごめん、尻尾がこんなに なっちゃったけど」。私はすずの 後ろ足の、パッドの近くのちっちゃくくるりと渦巻いた毛をもらいました。トリミングは私の仕事なので、いつもここの毛がなんでこんなふうな巻き毛なのかな あと思っていた んです。 バーニーズの4歳と言えば、成犬とはいえ、まだ完全に大人になっているわけでもなく、鈴音にもようやく飾り毛がそろってきている、そんなころでした。お腹 にはまだ大きな手術跡が残っていて、少しだけ毛がのびはじめていました。 「じゃあ、運ぼう。ぼくが抱くから、ドアを開けて」とつれあいは言い、力の抜けた鈴音をよっこらしょと持ち上げました。健康的でもともと太っていなかった ので、体重が落ちたとは言っても、29キロ近くはありました。かわいそうに、肩、背骨、腰骨はごりごりと突き出 ていました。頭のとっぺん、うちではずっとこの部分を「とんがりくん」と呼んでいますが、そこもポコンと出ていました。 鈴音を、すずが好きだった左側を上にして土の中に寝かせ、花を顔のまわりに飾り、私はことばをかけながら、すずが食べたもの、食べられなかったものを入れ ました。 「ずっと食べられなかったフード、食べなさいね。最後にたくさん食べたトリと豚のおやつ、入れとくね。お魚も好きだったね。もらったびっけもね。たくさん 食べるんだよ。食べたかったのに食べられなくて辛かったね」 土をかけてやりました。すずの姿がだんだん見えなくなってゆきます。義父が「これでみんな一緒だよ」と言いました。あんずとつばめと、そして鈴音。 義父は3匹一緒がいいだろうと、2匹の隣を上手に掘り起こしてくれました。「つばめによろしくね。あんずちゃんにもよろしく。仔犬のときに遊んでもらった でしょう」と私は言いました。いつかは来るとはいえ、どうして今なんだろう。どうしてここに3匹が眠っているんだろう。
数 時間前に、義姉に美花をちょっと見ておいてくださいとお願いしました。「美花、ちゃんとごあいさつしなさい」と、私が冗談まじりで「私は美花です。○○ちゃん(義姉の名)、よろしくお願いします」と言うと、義姉はきちんと正座をしていて、そのとき美花は「おすわり」の状態からなぜだか「ふせ」をしたので す。私たちは目を見合わせて笑いました。「あら、かわいい。ちゃんとごあいさつできるのね」と義姉。
私は徹夜だったし、つれあいも看取りの役で疲れていたので、しばし休ませてもらうことにしました。美花はその間も、扇風機の前を陣取ってすやすやと寝てい たようです。 帰るときに私は3匹が眠っているところへ行き、「すず、一緒に帰ろうね」と、「つばめちゃん、あんずちゃんも、すずをよろしく」と言いました。義母は「大 丈夫だよ。毎日花の様子を見て、お参りしてあげるから」と言ってくれました。いつもありがとうございます。 帰 りの車では、美花はもう慣れた様子でした。でもさすがに家に戻ってからはぐったりとしてしまって、やっぱり仔犬なんだなと思いました。家の中には鈴音の姿 はなく、とても奇妙な感じがしました。ついこの前まで「元気」にしていたのに、あっという間にその存在が消えてしまいました。「美花、すずちゃんいなく なっちゃったね」と私は言いました。 |
2010年07月31日(土) 初 めてのお留守番 おととい29日(木)、初めて美花 は部屋に開放された状態でお留守番に挑戦してみました。たった1時間半でしたが、なんの問題もなくいい子にしていました。予想どおりとはいえ、あまりにお となしいのが不思議でなりません。 美 花みたいな仔犬もいるんでしょうけれども、そういう話も聞いたことはありますが、ぜんぜん手がかからないというのはちょっと拍子抜けです。もう何年も家に いるような、この家を知っているような落ち着きがあります。仔犬って、もう少しケージの中でもじたばたするものなんだけど。鈴音がいなくなって比較的すぐ にケージから出した生活を始めました。夜寝るときには、「ハウス」と言うと、自分からケージにさっさと入っていき、ちょこんとお座りしておやつを静かに 待っています。これまでの犬たちも同じようにしてきたんですが、たいてい開放を始めると、「絶対入らないから」と抵抗したものです。「みはちゃん、いい子 すぎてこわいよ」と言っています。「前に、私たちに会ったことある?」 平和な時間が過ぎてゆきます。
最近は猛暑続きなので、夕方は18時ごろに出かけます。水入りのボトルを持って、美花の様子を見ながら距離を考えています。仔犬なので元気いっぱいに歩き ますが、気づいたらばたんとなると怖いので、手前手前で家に戻ることにしています。 チョー クを使った本格的な歩行訓練はしていません。でもだんだん引く力が強くなってきたので、首輪のまま、ゆるい訓練は始めています。まだまだ、向こうから来る 犬にあいさつしたがりますし(飼い主さんみんながあいさつさせてくれるわけじゃないんだよなあ)、小さい子どもの動きには敏感です。自転車、オートバイが 通り過ぎるのも追いかけようとします。まあ、興味をもつなというほうが無理ですね。 夜は、冷房が入っているのが分かると、扇風機の前を陣 取りつつ、つれあいに抱かれたり、背中あわせになったりして、どこが涼しいのか暑苦しいのか分からない感じで寝ています。バーニーズのこの距離感。たいて いはキッチンか、気づくと玄関で寝ていることもあります。歴代、そうでした。
07月最後の日。あと1週間で5ヶ月の美花の体重は18.8キロ。同じころのつばめより3キロも軽く、鈴音よりも1.5キロほど軽い。君は頭だけ大きいの か? 最近、ぽろぽろと歯が抜け始めました。今朝はつれあいがむりやり1本引っこ抜き、只今3本保管中。口の中には上下ともにぐらぐらしたのがあります。ごはん と一緒に食べてしまわないでね。 |
2010年07月28日(水) 鈴 音をめぐって:ガン治療のこと 少しずつ鈴音に起こったこの数カ月 のことを書いてゆきたいと思います。今回はガン治療についてです。経緯もまとめてみます。 鈴 音の診断名は「肥満細胞腫」でした。それも原発が内臓で、それも消化管にできていました。いわゆる「悪性度が高い」というものです。消化管にできた場合、 病状は人間の「消化 管間質腫瘍」に似ています。初診のときには、細胞診もできない状態だったのですが、血液検査の結果、血中に肥満細胞がたくさん出ていることから、担当医が 肥満細胞腫を疑いました。それで、効果がないかもしれないけれども、もしかしたら効くかもしれないと「グリベック」(分子標的薬)を試してみないかと言わ れました。 その後の遺伝子検査の結果、すずの場合は、c-kit遺伝子の変異はなかったのですが、偶然、効果があるタイプだったのです。ここらへんのメカニズムはま だ解明されていません。 「い つ死んでもおかしくない」と言われたものの、このときは今ひとつピンときませんでした。それでも目の前にいる、とても死にそうには見えない「元気」な すずが死んでしまうのかと考え、このまま放置するわけにはいかないと、高額だと言われたグリベックの治療をやってみようと思いました。分子標的薬は見事に ガンをたたいてゆきましたが、 これが本当に高額な治療の始まりでした。特に、初めのころは新薬を使うしかなかったので、毎日万単位でお金が消えた計算になります。その後、後発薬になり ましたが、それでも1日1,500円。もちろんグリベックだけの金額です。鈴音は大型犬なので、人間の成人と同じくらいの薬を使います。小 型犬だったら負担はそれほどでもなかったでしょう。 犬を飼っている友人から、何度も「よくそんな高額治療ができたね」 とか、「うちだったら絶対無理」と言われました。誤解のないように、友人たちが悪い意味で言ったと私は受け取っていません。正直な気持ちだと思いますし、 実際それだけ高額だったということなんです。それで私はいつもこう答えてきました。「うちだって、初めから何十万もかかるとわかっていたら、治療はしな かっ たかもしれない」と。 そう。初めに医者から、「これからの治療は、検査費や投薬料で数週間ごとに10万単位でかかっていきます。手術をする可能性も あるのでそれにも何十万も必要です。半年もすれば100万くらいの支払いになりますが、それでもやりますか」と言われていたら、おそらく考えたこ とでしょう。いや、やめたことでしょう。もちろん、臨床的観点から、予後はよくて数ヶ月、悪くて数週間だろうから、短期間の支払いならなんとかなるかもし れないと担当医は考えたのだと思います。専門医でさえ、先行きがまったく読めない状況でしたので(鈴音はとても珍しい病態だった)、目の前に見える選択肢 を誠実に提示してくれたと思っています。 そ して私たちはじわじわとお金の支払いにしめつけられることになりました。治療をする、支払いをする、鈴音は元気になっている、これからもすず が元気でいる確証はないけれども次の予約をする。この繰り返し。お金はどんどん出て行きました。治療を受けて支払わないわけにはいきません。病院に行く前 に静かに溜息をつきながらお金の用意をして、涼しい顔をして支払いを済ませ、車に戻って心の中で溜息でした。正直言って泣きたい気持ちでした。「なんでお 金のこ となんかで悲しまなければならないんだろう」 鈴音にグリベックが効かなくなったとき、「ああ、こんなに早く耐性がついてしまった」と思う と同時に、「これで1週間1万円以上の支払いから逃れられる」とほっとしたのを覚えています。そしてそういう自分がとてもいやになりました。お金さえあ れば治療のことだけを考えることができるのに。こんな状況で、すずのいのちとお金を同じ天秤で量っているなんて。とんでもない罪悪感。 で も実際の話、すずに耐性がつかずに(そんなことは夢のまた夢だったけど)、今だに治療が続いていて、今年いっぱい治療が続いて、予後が2年くらいに延び て、ということになっていたら、私たちは根本的に生活を見直さなければならなかったことでしょう。人間の経済基盤を壊してまで、飼っている動物の治療を続 けるなんて、非現実的極まりない。 でも、もし予後が2年あり、その間鈴音がすずらしい生活を送れたとしたならば、貯金を崩しても治療を続 けたことでしょう。美花と遊んでもらったでしょう。いつも通り、涼しくなったら旅行に行ったことでしょう。ドッグショーでみんなに会えたでしょう。まだ一 緒にやりたいことがいろいろあったよ。 治療に関する私たちの基本的な考えは今も変わっていません。不必要な延命はしないということです。その子がごく 普通の日常生活を送れないのならば、ただただ生きているだけのための治療ならやめようねといつも言っています。あんずのときもそうでした。てんかんの発作 があって、薬が効かない、なら薬はやめてしまおう。それよりもあんずが毎日楽しく生活できればいいね、と。 そ う考えて選 択して、鈴音の治療を続けました。できるだけのことはやったという気持ちはありますが、それでもすずのためにそういう治療をしてきたことがよかったのかど うか、今も分かりません。高額治療をしたわりには、2ヶ月で逝ってしまいました。いやがることはなかったけれども、ほぼ毎週病院に通い、それはたいてい1日仕 事でした。正確な検査結果と正確な治療。医学的なデータとしては完璧だけれども、そのときにはそうするしかなかったんだけど。手術したのも、よかったんだ ろうか。当日DICの病態に近づいていたのを無理して手術したとも言えます。担当医は「このままにしておくと、また潰瘍ができて食欲がおちてということに な る。手術をするなら、むしろ体力のある今しかない」と言いました。そして私たちは連休前からの、あの鈴音の様子を思い出し、食べられなくなったあの不安な 毎日を思い出し、手術をしようと思いました。先を読めば、順当にいけば、それがもっとも正しい選択に思えました。でもすずにしてみれば、あのさびしがり屋 のすずにしてみれば、結局1週間も入院させら れて、それでよかったのかなあ。手術そのものは成功したけれども、結局よくなったわけでもありませんでした。単に、入院を含めて3週間延命できただけでし た。 結果からさかのぼってものごとを解釈するのは公平ではありませんが、終わってみれば、この治療すべてに意味はあったんでしょうか。 そ う思いながらも、再びこう思います。もしひとつひとつの治療をどこかで選択せずにいたならば、私は間違いなく自分を責めていただろうと。「やっぱり薬を飲 ませておけばよかった」とか「手術をすべきだった」とか。友人も言ってくれます。「よかったんじゃない?治療してなかったら絶対後悔してたよ」と。そうだ よね、今は治療をした結果から言っているからこんなことを考えているだけで、しなかったらしなかったで、私自身が大変辛い状況になっていたかもね。 どちらにしても、これは人間のエゴだとあらためて思いました。何が鈴音のためだったのか、それは鈴音のためだったのか、あなたは満足できたのか?あなたが よければそれでよかったんじゃないの? そう思いながらも、また思います。そのようにしかできないこともあるし、それは許してほしいなと。すずには許してほしい。最後の最後ですずをひっかきまわ してしまったけど、そのときはそれが一番だと思ってやったことだから、許してほしい。 鈴 音が逝く前日、朝の様子を見て、「こんなに食べないというのはやっぱりよくないよ。食欲が少しでも戻れば元気になるきっかけになるかもしれないから」と 言って、夕方、点滴を打ってもらいにかかりつけの病院に連れて行きました。あとになってつれあいが言いました。「ぼくらは弱いんだよ。結局こうして鈴音を 病院に連れて行ってしまう」 あれだけ延命はしないと言っていたのに、もしかしたらと思い、その機会を逃すものかと思い、私たちはばかげた ことをしていました。点滴なんてもう必要がなかったのにね、すずちゃん。家で静かにしていたかっただろうに、車に乗せて連れて行って、きらいな診察台に乗 せて。す ずはいやがりもせず、素直に従っていました。大変だったろうにね。 ガ ンだ けでなくどんな病気の場合でも、治療をしないという選択をしてもいいことを鈴音は教えてくれました。ただし、治療をしないということはとても勇気がいるこ とです。私たちの選択が正しかったのか間違っていたのかは今も分かりません。私たちの経験が、この「日誌」を読んでくださっている方たちの何かの参考にな ればと思います。 |
2010年07月26日(月) 美 花の夏の日 鈴音がいなくてさびしい毎日です。本当なら美花とどったんばったん遊んでいたはずなんですけどね。そういう予定だったんです。すずを心配する必要がなく なって、心のざわつきがなくなって、すずの存在が家から消えて、とても静かです。 美花の様子をいくつか。 美花には仔犬らしさがたくさんあるし、とても活発なのですが、とても5カ月足らずの仔犬には見えません。こんなに手のかからない仔犬っているんだなあと思 います。もちろん私たちが仔犬の扱いに慣れてしまったのかもしれませんけどね。いや、やっぱり美花は落ち着いています。 トイレシーツを破ったことは1度か2度程度。トイレの失敗はほとんどない。飛ばない。ものを壊さない。興奮しない。猫のフードを狙わない。どたばたしな い。必要以上にたんぽぽを追わない。悪さということをしないし、それを次々やらかすなんてことがない。 気づい たら、ひとりで遊んでいる、じっとこちらを見ている。 玄関から飛び出ない。リフト(エレベータ)も同じ。階段を怖がらない。だから、散歩に出るのも楽。 23日(金)の夜、姿が見えないと思うと、隣の部屋から「プー、プー」という音がします。見るとおもちゃで遊んでいました。水色のぞうさんが大好き。ぞうさん は、「(おもちゃが)全部、あんずとつばめのおさがりというのもかわいそうだね」と言って鈴音に買ってやったのですが、すずはそんなに気にいってはいませ んでした。それでも美花がやってきてぞうさんで遊んでいると「それは、私の」という表情で見ていたものでした。つい1ヶ月くらい前のことです。
冷蔵庫の氷入れの戸を引くと、寝ていても美花はとことこ走ってきて、「氷、ちょうだい」とかわいい顔をします。ほしがるものの、いつも遊ぶというわけでも ないので、氷が散乱したままになることもしばしば。今日はどうやら遊ぶんだそうですよ。
朝起きたときなんかは、おすわりをして「ワンワン」と甲高い声で吠えて、「抱っこしてくれよ」と言いま す。そんな、甘やかしていいのかなあと思いますけど、いいんじゃないでしょうか。「はい、おいで」と私は言って、美花の両前足をそれぞれ肩に乗せてから、 よっこらしょっとおしりから抱いてやります。ここからは重量挙げの選手よろしく、うんこらしょっと立ち上がります。つれあい、美花を見て「なんて顔してん の。嬉しいの?よかったね」だそうですよ。私には美花の表情は見えません。 体重は18.6キロになりました。こんなふうに抱けるのも、せ いぜい20キロくらいまでかなあ。この前、歯が1本抜けて落ちていました。「早く、大きくなあれ」とつれあい。「仔犬は心配がいっぱいだから、早く、すず くらいに大きくなってね」と。「大きくなってほしいけど、大人にはならないでほしいな」と私。
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2010年07月23日(金) 鈴 の香り あんずのころからのおつきあいの方がいます。「方」というのも、友だちというには失礼な、尊敬すべき人生の先輩です。当時はその人も犬を飼っていたので知 り合ったのですが、今は犬抜きでのおつきあいです。 つばめのこともとてもかわいがってくれました。つばめもその人のことが大好き。私のことも心配してくれました。鈴音もかわいがってくれていました。鈴音も その人の姿を見ると、ふんふん言って駆け寄ったものでした。 い つも会えるのでもなく、わざわざ玄関の呼び鈴を押せるほどあつかましくもできず、鈴音が体調を崩したときも、家の前は通るもののなかなか会えませんでし た。ある日偶然会って、「ああよかった、実は鈴音が」と話しました。そのときは美花の散歩をしていたときだと思うので、すずには結局会ってもらえずじまい になりました。たぶん06月の早いころ。手術をする前のこと。 そのときに、すいかをいただいて、「す ずちゃん、元気になるといいですね」と、「あなたもからだに気をつけてね」と言ってくれました。年上には甘えるものと、ありがたくすいかを抱えて帰りまし た。数日後、再び美花の散歩のときにばったり会って、「ちょうどよかった、おいしいさくらんぼがあるんです」と、またいただいて帰りました。一旦会い始めると生活の時間がぴったり会うのか、たびたび会えた りするものです。 数 日後また私が散歩をしていると、道の向こうから歩いてくるその人の姿が見えました。「ちょうどよかった。渡したいものがあって」とおっしゃいます。家まで ご一緒すると、「ちょっと待っててね」と言って、小さな包みを手に戻ってきました。わざわざ私のために買ってくれたんだそうです。「香りのものなんですけ どね」と。家に着いて開けてみると、なるほど香りだ。小さな丸い紙にしみ込ませた香りが六種類。ひとつは鈴の模様でした。
私のために鈴の絵柄を見つけてくれた。そして、これ見よがしではなくて、どうぞおひとつと差し出してくれた。私は無言のいたわりを感じました。 この方に話したことがありました。 鈴音に「すずは、つばめと次の子とのつなぎなんだよね」と冗談で言っていたんですよ。そしたら、本当につなぎの子になってしまいそうです。そんなこと、言 わなければよかったと思って。 す るとその方はちょっと間をおいてから、「まあ、変なことは言うもんじゃないわねぇ」と静かな口調で言いました。「そんな変なことを言って、とんでもない」 という意味ではありませんでした。「冗談で言ったことが、まさかこんなことになってしまうなんて、なんて皮肉なこと」と私を思いやったのです。何かにつ け、これまで二人して冗談混じりで楽しい話をしてきたのでそのように言ってくれたんですね。「さぞや、あなたはつらいだろう」と。 鈴 音がいなくなったあと、その人の姿を見たのは2回ありました。一度は、他の散歩友だちにすずの報告をしている最中、私の視界に入ったと思ったら、優しい笑 みを浮かべながら玄関口に消えました。言うきかっけを失いました。もう一度は、車で走り去ってしまって声をかける間もありませんでした。このときもにこや かに手を振っていました。たぶん、今もすずはなんとか元気にしているんだと思っているんだろうな。いつかちゃんと知らせないといけないなと思っています。 鈴の絵の香りは今も私の机の上においてあります。香りがなくなってもずっと私のお守りです。 |
2010年07月12日(月) 届 け出、ふたつ 今 日は、本当なら鈴音を日獣に連れて行く日でした。もう連れて行くことはないとは思っていたけれども、机の前のカレンダー(ジョディプリのMさんがくれた ゴールデン)には、「すず日獣」と書いてあります。抜糸の日に予定を決めて、そう書いたのです。予定がなくなるというのはつらいことだ。 そ んな日に、区役所にふたつ届け出をしてきました。ひとつは鈴音の死亡届。ひとつは美花の登録です。区役所の人には、たぶん、「前の犬が死んだから、また同 じ犬種を飼ったんだ。なんともすばやい」と思われたことでしょう。まあ、どうでもいいこと。窓口の向こうで電話をしている声が聞こえます。「・・・(苗 字)鈴音ちゃん、はい、それと、同じ飼い主さんで、こちらは登録なんですが、美花ちゃんです・・・」 本当に入れ替わりになってしまいました。 鑑札料が550円と登録料が3,000円。玄関口に貼るシールがアルミになっていました。散歩のときに、赤い文字で「犬」と書かれたそれを見たことがあっ たのですが、そうかこれなのかと思いました。 すずには、04月にちゃんと狂犬病予防接種をしたんだよなあと思いました。意味なかったなあ。フィラリアの予防薬も買ってるんだけどなあ。 一週間前は、ステロイド剤に切り替えて、病院でジャーキーをもらって、家ではなぜだか砂肝と豚耳と牛タンを食べたんだったなあ。苦しそうだったけど、まだ 元気だったんだけどなあ。おなかを出して寝ていたこともあったんだよなあ。 犬は登録をするので、死亡届も出すことになるんですよね。登録は嬉しいけれども、死亡届は悲しい儀式です。 昨日、ジョディプリMさんから花が届きました。カードには「鈴音ちゃん、大好き」。いつもいつもすてきなメッセージ(ありがとう、ジョディーくん)。いい 香りが部屋中にただよっています。
美花が仔犬のときに、元気になった鈴音と一緒に遊びに来てくださいとのことでしたが、望みは叶いませんでした。容体が落ち着いたらと思っていたんですよ。 ユリの つぼみがゆっくりふくらんでゆくことでしょう。すず、よかったね。 |
2010年07月09日(金) 日 獣の先生との大切な話 日獣の担当医は外来が月・金なので、昼過ぎには手がすくだろうと思い、時間のあるときに電話をくださいと受付の人に伝えておきました。 初 め先生は、その声の感じから、鈴音の治療変更についてのことだと思っていたらしいです。05日(月)に、かかりつけの病院でステロイド剤を処方してもらい ました。そのことについてかかりつけから担当医に連絡したのが07日(水)で、私たちが花を買いに行っていたときに留守電に伝言が残っていました。徐々に 容体が悪くなっていたとはいえ、この1週間、すずは結構「元気」だったんです。 「残 念なのですが」と私が切りだすと、先生は「ええ、はい・・・」と言い、「グリベックが効かなくなったらしいということで、緩和治療にするということでした よね」 というふうにことばをつないだので、「そうなんです、この前はそうだったんですが、残念なのですが、鈴音はなくなりました」と告げました。電話の向こうか らはは「え?そう、です、か」という声。「いつですか?」と先生。「07日です。七夕の日です」と私は言いました。「あー、そうですか・・・」と先生は言いまし た。 「私自身も、こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったんです。でも07日の昼には立てなくなって、急変して・・・」と、経 緯を話しました。一個人の飼い犬の話ではありますが、おそらく医者としては、 内臓原発の肥満細胞腫の犬の最期を知りたいだろうと思いました。 「そ れで次回の予約は月曜日なのですが、おうかがいしたいこともあって、予約の時間に行ったほうがいいでしょうか。それとも先生のご都合もあるでしょうから、 別の日にとも考えています」と言うと、「受付を通すと診察なので、もう診察ではありませんし(含みとしては、「お金がかかります」という感じでした)、 そうですね」と先生は考えているふうだったので、「もしよければ電話でもいいのですが、ご迷惑かと思いまして」と私が言うと、「いえ、電話でかまいません よ」と言います。「お忙しいのにすみません」が私の口癖です。 これから書くことは文字だとあまりにも感情がないように思えます。特に、担当医のあの優しいもの言いを上手に書くことはできそうにありません。どうぞ行間 をお読みください。 私: どうしても先生におうかがいしたいことがありました。もちろん、これはもしもの話ですし、過程で話をするというのは正しくないかもしれませんが、もし私が 03月の段階で、すずの血便をおかしいと思って病院に連れて行っていたら、すずはもう少し長生きできたでしょうか、もしくは寛解(ガンが臨床的には治った 状態)になったでしょうか。 先生:もしその 段階で連 れてきたとしても、腫瘍の診断はできなかったでしょう。飼い主さんが「血便=腫瘍」とは普通思いませんし、専門医でもそれは考えません。血便であ れば、消化管の治療をするのが普通で、腫瘍は疑いませんから、エコーを撮るようなことはなかったでしょう。 私:そうする と、消化管の治療をして、薬を処方してもらって1週間、2週間ということですね。そして様子を見る、と。 先生:高齢犬な ら腫瘍の疑いももちます が、鈴音ちゃんのようにまだ若い犬の場合はまず腫瘍は疑いません。猫の場合は内臓に(肥満細胞腫が)できることも多いのですが、犬はほとんどありません。 それに、鈴音ちゃんのように内臓でも消化管にできるのは非常にまれです。からだの表面にできれば気づくことができますが、内臓は気づきにくい。初診の ときには、血液中に肥満細胞がたくさん出ていたので肥満細胞腫ではないかと疑ったんです(このときは細胞診ができる状態ではなかった)。 私:では、もし04月の早い段階で、吐いたり、食欲がなくなったりということが続いていたときに連れて来ていたらどうだったでしょうか。 先生:お話だ と、その前に環境の変化があったり、(鈴 音は)音が怖かった りということだったので、そういう場合はストレス性のものと考えるか、またはお腹に虫がいるのではないかと考えます。だから、やはり腫瘍を疑うということ はまずなかったと思います。 私: 私としては、もっと早く気づいて病院に連れて行けばよかったのではないかと、旅行になんか連れて行かなければよかったのではないかと思っています。言わ ば「ガン患者」を1週間の旅行に無理やり連れ出したようなものですから。かわいそうなことをしたのではないかと。血便が出ていたときに病院に行くべきだっ たので はないかと。自分を責める気持ちがあるんです。 先生: 飼い主さんはみなさんそのようにおっしゃるのですが、そういうふうにお考えになるのはよくないと思います。人間とは違って、動物はものを言いませんから、 診療をしたと きに分からないことが多いんです。人間ならば、「ここが痛い」とか「調子が悪い」ということで検査をすることもあるんですが、動物の場合はなかなかうまく いきません。腫瘍の場合、人間のような「マーカー」もありませんし。これは動物医療の限界なんです。 私:じゃあ、私 たちはできる限りのことをしたと言っていいんでしょうか。 先生:そうです ね。現在の動物医療の最高の治療をしたと思います。 私:そうです か、分かりました。私たちはそちらの指示どおりに治療をすすめてきたので、すずのデータを、嬉しいデータではないので申し訳ないのですが、今後の治療に活 かしてもらえればと思います。 先生:そう言っ ていただけると嬉しいです。これからの子に少しでも鈴音ちゃんのデータが役に立つようがんばりたいと思います。 私:これからも 研究、がんばってください。うちにもバーニーズのちび(美花のこと)がいますので、また腫瘍科にお世話になるかもしれませんが、お世話になることがないほ うがいいんですが、そのときにはよろしくお願いします。 私は電話を切ったあと、重い荷物を下ろした気がして、ほっとしました。つれあいに「私たちがしたこと、間違ってなかったよ」と言いました。 私 は04月に、鈴音がフードをまともに食べなくなってからずっと心の片隅ですずのことを心配していました。連休の旅行に出るのも気が向きませんでした。病院 に連れて行っ たほうがいいのではないかと。でも、散歩のときに犬にかまれそうになったから、そのショックで吐いたんだろうし、毎日の騒音で怖がってしまって食が細く なっていたんだろうと思ってもいました。何かがおかしいと思いつつも、結局旅行を決行し、不安な気持ちのまま旅を続けました。 旅行になんか行かなければよかったと、どれほど思ったことでしょう。旅行になんていつだって行けたのに、人間の都合で、連休くらいしか長い休みが取れない からと、無理やりすずを連れて行き、さらに状態を悪くさせたのではないかと。 で も旅行に出るときには、これでようやく騒音から解放されると思ったことも確かでした。すずは私たちと一緒に過ごせる旅行が大好きでした。あんずもつばめも そうでした。旅行は知らない土地の刺激がいっぱいだし、歩きまわるのも楽しいし、ソフトも食べられる。旅行に出ればすずも気分が変わってフードを食べるよ うになるかもしれないと期待しました。 もし03月に便の色が変わったときに病院に連れて行っておけば、その後の変化にも気づき易かったはず。そ うすれば初期の段階で腫瘍が見つかったはず。そうすれば薬で抑え込むことができたのではないか、グリベックはあんなに効いたじゃないか、腫瘍も転移の前な ら外科的にきれいに取れたのではないか。 少なくとも寛解状態が1〜2年は続いたのではないか。 私の頭の中は、鈴音の腫瘍が分かって以来、つまりこの2ヶ月の間、ずっとこんなこと を考え続けていました。つれあいはこのことについてひとことも言いませんでしたが、同じようなことを考えていたと思います。だから、私はすずの状態がひと 段落し たら、一度担当医に聞いてみたいと思っていました。 そして答えを聞くのは怖いことでもありました。もし先生から「そうですね、03月の段階で、少なくとも04月のときに病院に連れて来ていれば、助かったかもしれません」と言われたらどうしようと思っていたんです。でも、今日先生の話を聞いて、それは多少は 飼い主の私を思いやった言い方だったかもしれませんし、今の獣医師はそのように言う訓練を受けているのかもしれませんが、それでもその話しぶりに信憑性 を、医学的な整合性を感じました。 私は先生と話をして、ようやく旅行が楽し い思い出としてよみがえってきました。07日にT&Tさんから「旅行に行ってよかったんだよ。だって治療が始まったら旅行になんて行けな かった じゃない。最後の旅行に行けてよかったよ」と言われたことが、徐々に真実味をおびてきました。最善ではなかったかもしれないけれど、それでも、私たちはできる 限りのことをしてやったんだと思えるようになりました。 日獣の先生との話は、私にとってとても大切なことでした。 |
2010年07月07日(水) 七 夕の日に(2) 私が仕事に出たのが12時半ごろ。鈴音の様子がおかしくなったのが13時ごろ。だんだん息づかいが静かになっていったんだそうです。私が最後に見たときに は辛そうにハーハーしていたのですが、むしろそういう「元気」がなくなったんだそうです。 「か らだをゆすったり頭をたたいたりして、引き戻そうとしたんだけどだめだった。(私が帰ってくるまでがんばると)約束したじゃないって言ったんだけどだめ だった。いろいろやってみたんだけど」とつれあいは言います。「僕がからだを触るもんだから、まわりにはすずの毛が散らばって、それを掃除しながらから だをゆすり続けて」「最後のほうは、すずも笑ってたよ。『何するの?』って言うみたいに」 私が帰るまでなんとかしたいというのは、もちろん最後に私に会わせたいというのもあったのでしょうけど、「ひとりで最期を看取るのは辛いんだよ。だから今 回はふたりで看取りたかったんだよね」ということでした。 私が出かけたら、つれあいは少し休憩したかったんだそうです。それが、鈴音に大きな変化が起こったので、そばを離れることができなかったと言います。 「たぶん、(私が)最後のあいさつをして出かけたので、すずは安心したんだと思うよ。それで力が抜けちゃったんじゃないかな」とつれあいは言いました。私 も「うん、それは分かる気がするよ。すずはもう待てなかったんだね。辛かったんだと思う」と言いました。 それでも、誰もいない家で逝ってしまうよりも、つれあいがそばにいてやれて本当によかったと思います。病院で死なせなくてよかった。 「美 花はどうしてたの?」と聞くと、「初めは遊ぼうというふうにふざけてたんだけど、すずが動かないので、これはもうだめだという感じで離れて行ったよ」と、 「でも、すずの鼻先を噛んだり、すずのからだに座ったりしてた」とつれあいは答えました。こういうのはあんずのときの鈴音の様子とまったく同じです。 「つ ばめのときは、死んだときにばーっとおしっこがでちゃったんで、今回もバスタオルが必要だと思ってたんだけど、ぜんぜんしなかったよ。でも、小さな軟らか いうんこをしてて、それを取ったり、きれいにしてやったり、だからお尻のところの毛をはさみで切ってあるから、見た目が変になっちゃった」「そんなの、か まわないよ。大変だったでしょう」 「あとは、からだを拭いてやってさ。それが、拭いたら毛がぴかぴかでね。04月にフードを食べなくなったときは毛がばさばさになってたじゃない」 車 で花屋さんに向かう間、家に戻る間、私たちはそんなふうに話しました。家に戻り、私は動かなくなった鈴音と対面したのですが、つばめのときと同じく、なん とむなし い瞬間だろう。ああ、本当に死んじゃったんだと思った。「すずちゃん、待ってくれなかったんだ。待てなかったんだよね。でもちゃんと今日出るときもお話し たよね。すずはがんばったね。たくさんがんばった」 鈴 音のからだが妙にまっすぐになっていたので、「どうして丸めてくれなかったの?」と聞いたら、「からだを拭いている間に硬くなってきて、丸まらなくなった んだよね。硬直が早かったよ」と言います。「それで目を閉じさせてやったんだけど、そしたら美花が踏んづけたり座ったりして 開けちゃうんだよ」と、ふたりで涙をためたまま笑いました。美花はその後も何度かすずの目を開けていました。美花は鈴音のことが大好き。 私はつばめのときと同じように、鈴音の最期をこのようにつれあいから聞くわけですが、どうしても様子が分からないのです。生と死への時間を共有するのは大 変つらい経験ですが、生と死が分断されているのは、死を理解するのをとても難しくします。 買ってきた花を飾ってやりました。美花が悪さをするかもしれないと思いながら花を生けたのですが、美花は本当にできた子で、花に興味をもったのは一瞬で、 噛みつくでもなし、花瓶を倒すでもなし。
T&T さんは、鈴音の初診後にも一度訪ねてくれて、「お見舞い」と言ってたく さんのおやつを持って来てくれました(2010年05月16日の「日誌」)。そのときに、「ねえ、例の『わざ』ってどんなの?」と言われたので、「すず、『わざ』 は?」 とコマンドを出すと、鈴音はかわいい「わざ」をしてくれました。「たぶん、Tさんたちにもすると思う」と言い、「すずちゃん、やってみてごらん」。すずは T&T さんにも順々に「わざ」をかけていました。そんなことがあったのを思い出しました。すずはT&Tさんが大好きでしたよ。このとき美花にも会ってもらったん だった。犬が人と人をつなぎます。 T&T さんは、つばめのこともよく知っていて、つまり私とつばめとの関係をよく知っていて、どうして私が美花を連れてくるのにこんなに時間がかかったのかを理解 してくれています。「せっかく2匹の散歩ができるようになったのに、すずちゃんがいなくなって、また1匹になっちゃったね」、そう、また1匹になっちゃっ たよ。この前「美花ちゃんと散歩している姿を見たんだけど、よかったよ」っていうメールをくれていました。 このまま鈴音を家においておければどんなにいいでしょう。でも、いつものことなのですが、そう思えるのも数日が限度。つばめのときでさえそうでした。すず はもうここにはいないんです。ここにいてはいけないんです。また、最後のお別れをしなければなりません。 |
2010年07月07日(水) 七 夕の日に(1) 願 いを託す日に、願いをかなえてもらう日に、鈴音は亡くなりました。14時20分でした。まだ4歳3ヶ月。バーニーズとしても短く、ごく普通の犬の寿命とし てもとても短かかった。バーニーズはガンが多いことは知っていましたし、つばめのときにはそれを思い知らされました。6歳くらいになったら覚悟をしなけれ ばならないとは思っていましたが、まだ4歳。つばめがいるころに、4歳で死んでしまったバーニーズの飼い主さんに会ったこともありましたが、ま さか鈴音がこんなに若く逝ってしまうなんて。 昨日の06日(火)は、かかりつけの病院に連れ て行き、点滴を打ってもらいました。延命は望まないと思ってはいたものの、点滴を打つことでからだの調子が少しずつよくなって、何か食べられ るようになるのではないかと考えたのです。 病院でのすずの様子は、調子は悪かったのですが、それでも家にいるときよりは元気に見えまし た。動物は外に出ると案外元気にふるまうものです。診察台にも怖がりながらもいつも通り乗りました。後ろ足が立ちにくかったのは、今思えば怖かっただけで はなくて、踏ん張れなかったんだと思います。 先 生に相談して、栄養いっぱいのミルク缶(名前は忘れました)をもらい(買ったのか?)、階上の住人の生活音を怖がるので、その薬ももらいました(おま け)。下痢止めはもういいからステロイド剤だけ飲ませれば、とのこと。そうね、食べないから今日はもう出てないよね。(治療費:4,515円) 家に帰って、伏せているすずにミルクを注射器でやってみましたが飲みませんでした。ミルクはそのままだらだらと前足と床に落ちました。そして、いつもの投 薬、レスタミンを飲ませました。鈴 音はとても荒い息をしていて辛そうでしたが、ときどき自分で水を飲みに 行っていました。横になるのが苦しいらしく、ふせをした状態で、頭をどのように前足の上にのせたらいいのか、頭をよじったらいいのか、大変そうでした。結 局ふせのまま頭を上げて荒い息をしていたり、段差があるところで頭をのせていたり、なんとか楽な姿勢をとっていたようでした。昨 夜はほとんど寝ていなかったのではないかと思います。 そして今日。つれあいは休みを取りました。来週月曜の日獣はないだろう、かかりつけに行くことになるだろうと私たちは思っていました。ただなんとなくこの 週末はどうなるんだろうと考えていました。 朝 はいつも通りトイレに出ました。昨日は「トイレに出て、おしっこをしてうんこをしたら、もう帰るって言うから」とつれあいは言っていました。ここ数日は ずっとそんな感じで、散歩に行きたいというより、トイレは外でしたいという意思表示でした。すずはトイレが終わると、「もう歩かないよ」と頭を下げて ちょっと踏ん張ってから、 私たちの目を見ていました。「帰る」というふうに。 いつも通り、レスタミンとオメプラールと、言われた通りにステロイド剤を一緒に飲ま せ、グリベックは休薬したんですが、おいておいても誰も飲まないし、少しでも効くんだったらと、これも飲ませました。2度も失敗したので、それくらいの体 力はまだあったんですね。今思えば、無理強いしてかわいそうなことをしまし た。 昨日と同じような感じで朝が過ぎ、昼ごろ、鈴音は立ち上がれなくなりました。「立てなくなったね」と私たちは言いました。たった数時間でこんなふうに なっちゃうの?私は午後から仕事だったので支度をしながら、何度もすずに言いました。「今日はすぐに帰ってくるからね。だから待っててね。できる だけ早く帰ってくるから、いい子でお留守番しててね」と。 つ れあいには「よろしくね」と言い、つれあいは「大丈夫」と言い、私は玄関で靴をはきました。その靴は靴紐が なぜだかいつもねじれてしまうんです。「どうしてなんだろうね。見た目はきれいなんだけど、そろそろ買い換えろってことなのかな」などと話しながら、私は 靴紐をよるようにしてまっすぐに直していました。「かたっぽやったら、もうかたっぽも気になった」と私はすでに結んだ紐をほどいて、 もう片方 の紐 もよりながらきれいにまっすぐにしました。「ほら、こうすると、こんどは紐の長さがずれちゃうんだよ」と言いながら、再び私は靴紐の修正をしました。 私 はそんなふうにして、本当ならさっさと出かけなければならなかったのに、その場をなかなか離れることができなかったんです。靴紐もちゃんと結べたので、私 は鈴音のところまで膝をついて行き、「じゃあ行ってくるからね。夕方には戻るからね。すずちゃんにはおとといと昨日と一応『お話』はしたんだよ ね。でも、すずちゃん、大好きだからね。すずは一番かわいいよ」と言って、すずの頬に顔を寄せてくちびるをあて、においをかぎました(ああ、すずのにおい だって思っ た。忘れないよって思った)。「じゃ、行ってくるからね」 これが鈴音との最後になりました。不思議なんですが、なんとなく、もしかしたらと思ったんです。そしてその予感が当たりました。だから、すずにはちゃんと 最後のお別れができました。 私 は職場に着いて、しばらくやるべきことをやったあと、ふとケイタイが気になりました。見るとランプがついていて(合図の点滅ランプではない)、ケイタイを 開くと画面には「メモリが一杯で受信できま せん」と表示されていました。私のケイタイは古くなっていて、ときどきこういうことが起きていました。メールが来ているのに受信できて いない、つれあいからかもしれないと思い、何度かボタンを押して解除して、メールを削除して、しばらく受信を待ちましたが、メール着信のお知らせが鳴りま せん。 やっぱり誤動作かと思ったのですが、念のため連絡してみようと思い電話をかけてみました。 「メールくれた?何かあった?」と私。つれあいは「ううん、してないよ」と、「すず、大丈夫?」「大丈夫だよ」「そう、よかった。なんかケイタイが変で さ、いつものことだけど。なら、いいんだ。じゃあ、よろしくね」と私は電話を切りました。 あとで分かったのですが、このとき鈴音はすでに死んでいたんです。つれあいが、仕事中の私に連絡をしても困るだろうと、仕事が終わったときに言おうと、我 慢していたらしいのです。 こ れも不思議なことなんですが、私のケイタイのランプがついていたのがだいたいすずが死んだ時間なんです。そして、つれあいと話した時間を確認しようとケイ タイの発信・着信履歴を見たのですが、なぜか私のケイタイには履歴が残っていません。つれあいのには残っています。なぜだかよく分かりません。 次 に私が連絡をしたのが仕事が終わった16時半すぎ。「仕事終わった、これから帰ります。すずはどう?」と私が尋ねると、つれあいは涙声で「車でそのまま花 を買 いに行こう。すず、だめだった。一生懸命やったんだけど、だめだった。(私が帰ってくる時間まで)間に合わせようと思ったんだけど、間に合わなかった」と 言いました。私は外で泣いたらばかみたいなので、一旦電話を切り、車に飛び込んでから連絡をしました。 また私はバーニーズの死に目に会えず、またつれあいはバーニーズの最期を看取りました。どうしてかなあ、どうしていつもそうなるかなあ。だめじゃん、す ず、待っててねって言ったのに。 |
2010年07月05日(月) さ らなる心配 朝一番で日獣に連絡しました。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 鈴 音の下痢はグリベックの副作用かもしれないし、腫瘍が広がっているための症状かもしれない。どちらにしてもグリベックは休薬しましょう。どのようなタイミ ングで一般の抗がん剤治療に移るかが難しいが、抗がん剤治療の副作用と効果を考えると、治療を望まない飼い主が多い。ステロイド剤で緩和治療をやってみ る。 かかりつけの病院で、超音波で腫瘍の状態を見て、血液中に肥満細胞が出ていないか確認する。ステロイド剤と下痢止めを処方してもらう。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 私→日獣→かかりつけ、日獣→私という連携で、昼前に鈴音をかかりつけに連れて行きました。 すずは思ったよりは元気な様子でした。来院していた飼い主さんからは「病気には見えないね」と言われました。 鼻先とあご、口の周りの赤みはどうやら肥満細胞腫によるヒスタミンの影響らしいです。熱は37度少しでした。体重は28.5キロくらいで、増えてもいない けれども減ってもいませんでした。 超 音波のために検査室に私が誘導すると、すずはおとなしく入って行きました。なんとなく場所に慣れたと言うか、いやがるふうもありませんでした。検査室から 出てきた様子もなんだか嬉しそうで、先生にしっぽを振っていました。先生が鶏のジャーキーを差し出すとぱくぱく食べました。「あれ?食欲ないんじゃなかっ たっけ?」と私。朝は鶏肉を200gくらい食べただけだったのです。気分が変わると食べたり、食べなかったり。4年もかかってようやく先生のことが好きに なったのかな。 超 音波の結果は、肝臓に点々と腫瘍があるらしいこと(これは日獣でも言われていた)、リンパ節あたりの腫瘍は4cmくらいあり、1週間前より1cm以上大きく なっていました。今日分のステロイド剤は注射で打ってもらいました。血液検査の結果は夕方分かるそうです(今のところまだ連絡なし)。 薬 はステロイド剤が1日4錠(とっても小さい)。下痢止めは何が効くか分からないので、2種類1日2回、ビオフェルミン(おまけ、と言っていました)。また 薬を飲ませる闘いが始まったよ。これにいつも飲ませているオメプラールとレスタミン。つれあいが「オメプラール」がちゃんと言えません。「なかなか覚えな いねー」と私が言うと、「覚えたくなんてないよ」と言いました。「そうだよね、薬の名前なんて、覚える必要がなければ覚えなくていいんだけどね」と私。 診察料800円、注射料500円、採血800円、血液検査3,000円、超音波3,500円、投薬料3,000円。これに消費税を入れて、計13,230 円。 お 昼に鈴音が食べたのは、ふわふわぱんをひとかけと小さなびっけを8個くらい。病院であれだけジャーキーを食べたのにまた突然食べません。夜もあれこれ口元 に差し出しますが何も食べない。アイスも食べないし、大好きだったのに。魚を焼いたのを見せましたが反応なし。数日前は、小アジのおやつと小魚をばりばり 食べていました。でも今日は食べない。だめもとで、砂肝ジャーキーをやってみたら、なんと食べます。なぜ?なぜなんだろう?牛タンをやったら食べ始めまし たが、砂肝をちらと見て、そっちが食べたいというふうで、結局5つくらい食べたでしょうか。豚耳はどうかと思ったら、これも細切りのを5本くらい食べまし た。調子が悪いとは思えない、バリバリというよい音を立てていました。下痢にはよくないだろうけど、薬も飲んでいるんだしこの際いいや。 下痢は早朝03時から止まっていましたが、夜08時過ぎにトイレに出ました。 鈴音は病院にいるときは比較的安定した様子で したが、家に戻るとハーハーと荒い息をして寝苦しそうにしています。それがなぜなのか分かりません。空調は管理しているので、暑すぎるとか寒すぎるとか、 そういうのはないと思うんですが。 人 間が寝るときに使うマットを車から持ってきました。少しは寝やすいかなと思います。まだまだ調子が悪くないからかもしれませんが、半分くらいは私たちのと ころにやってきて近くで寝ることを選んでいます。暑いのになあと思いますが、からだをくっつけて寝るのが安心できるらしいです。 もうひと つ、鈴音の呼吸が荒いのには理由がありそうです。最近越してきた階上の住人がなにやら毎日ごとごとと音を立てるんです。単なる生活音だとは思うのですが、 鈴音はひどく怯えています。共同住宅はお互いさまなのでそれ自体はいいのですが、こういう場合はどうしたらいいんだろう。「犬が怖がっているので、あと数ヶ月だけ静かにしてくれませんか」とはまさか言えません。 あと、どれくらいなのかなとぼんやり考えています。 |
2010年07月04日(日) 心 配の毎日 06月28日(月)の日獣以来、鈴音は全体として少しずつ体調を崩しているように思われます。今ひとつ、「こういう感じだ」というご報告にはなりません が、この一週間の状況を書きとめておきたいと思います。 よいこと 目に見えてぐったりしているわけではない(寝場所を自分で選んでいるし、おなかを出して寝ていることもある) トイレに行きたいとか散歩に出るとか、意思表示があり、ときどき騒ぐくらい元気(自分だけおいていかれるのはいや) ときどき、股くぐりをすることがある(散歩のときは解放感があるからか。顔にかかった雨をぬぐうときなど) よくないこと フードを食べない(抜糸後、ずっと) 偏食があって、何を食べるのか食べたいのかがまったく分からない(鶏肉、ゆで卵、パンを主に。おやつはいろいろ) ずっと下痢続き(ほとんど食べていないのであまり出るものはない。部分的に固まっている感じ。夜中、朝方にもトイレ) 一日中寝ている(いつもそうではあるが、食べ物に反応しない) ひふに赤い斑ができていて、ぷつぷつがある(肥満細胞のヒスタミンのせいか?氷水で冷やしてやると楽になるらしい) 鼻とあごのまわりが真っ赤、口の周りが赤くはれている感じ(アレルギー反応のような感じ。ヒスタミン?) 呼吸があらい(起きているときも、寝ているときも) 何も分からないのにいろいろ考えてもしかたありませんが、日獣に診せたところで抜本的な解決はなさそう。腫瘍が広がっているのか、そのために副腫瘍症候群 が再びひどくなってきたのか、食べ物のアレルギーが出たのか、薬の副作用なのか、単なる下痢で調子が悪いのか。 下 痢が止まらないのは本人も辛いだろうと思うので、今朝、昼とごはんをやりませんでした。本人も食べたそうにしなかった。夜におじやを作ってやりましたが食 べません。犬用・人間用のチーズはたくさん食べました。結局今日はほとんど食べていません。ひふの発疹はこの数日でほぼおさまりました。散歩をさせると体 温が上がるからか、鼻先とあご、口元が真っ赤になってしまうので、この3日は短かめの散歩にするために、美花とは別々に散歩に出しています。 暑いだろうと思って、冷房や除湿を入れているのですが、かえっておなかが冷えるのかもしれません。でも暑いとやっぱりハーハーします。温度調節がとてもむ ずかしい。人間は寒さでからだをおかしくしています。 美 花とは全然遊ばなくなりました。美花が誘うのですが、調子がいいときは追い払い、調子が悪い時は自分から逃げて行きます。美花にもそれが分かるのか、無理 に追いかけることはありません。美花は本当に分別のある子です。美花は鈴音のことが大好きなので、ぴったりよりそってきます。(画像は2010年07月02日、03日のも の)
鈴 音の調子が悪くなり、美花はどんどん成長し、2匹にとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。すずは静かに残りの時間を過ごしたいよね。美花はせっかくの遊 び相手から引き離されて楽しくないよね。美花はひとり遊びが上手なのがせめてもの救い。タイミングがこんなふうになってしまって、本当にごめんね。 鈴 音にはできるだけ優しくしてやりたいし、ていねいに看てやりたい。夜中に起こされても、それは起きてトイレに連れ出せばいいだけのこと。一方美花は、あま りに分別があるので、気づかないと放ってしまいそうになります。たくさん遊んでやらなければいけない時期、今だけの時間を大切にしてやりたい。私の気持ち も鈴音と美花の中で揺れています。 明日は 日獣に電話をして、とりあえず鈴音をどうしたらいいの か助言をもらいたいと思います。下痢止めを飲ませたほうがいいのか、グリベックを休薬したほうがいいのか。それとも、予約をして(朝一番にできるのかどう か分からないけど)診せたほうがいいんでしょうか。無理な治療や延命は私たちは望んでいません。 |
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