La Nigreco

N-ro.2 2000.9.16


8月23日

中島雅一


インターネットで、海外のアナキスト・サイトをよく見るようになった。

理由は、まず日本語には翻訳されることのないアナキストたちの声に、直接触れることができるからだ。廉価な翻訳ソフトでも、おおよそ、中身の見当はつく。

労働の廃棄」(ボブ・ブラック)、「ライフスタイル・アナキズムか、ソーシャル・アナキズムか」(マレイ・ブクチン)など、すでに「古典」とされているような同時代の文章に、ようやく手が届いた。

シアトルのWTO暴動のような出来事の後でも、即座にアクセスすることができた。ショウウインドを叩きわったアナキストたち――N30/Black Blocの行動は、数ヵ月後、たとえばこのような日本語の文章のなかに見い出される――いわく、「貧困の世界化」よりは、あの黒装束のアナキストたち、少年少女の無軌道な行動の方がましヽヽだ、と。

しかし、私が知りたいのは、少なくとも、ましヽヽかどうか、ではない。彼ら・彼女らの感じ方、考え方、その内部の声なのだ。

*

そうしてモニターをながめていると、過去からやってくる未来にぶつかることがある。

ある夜、いつものように、頻繁にチェックするサイトを眺めていた。気になるリンク・サイトをあらかた見た後のこと。何気なく、サッコとヴァンゼッティのページをひらいてみた。期せずして、今号、死刑廃止運動に関する原稿が2本寄せられたこともあった。

彼らについての記録はほとんどそこに集まっていた。新たにかかれた記事や最近上演された芝居の台本などもラインナップに加わっている。再審却下の判決の後に語られた、ヴァンゼッティの有名な声明も、もちろんそこにあった。

「寛容のため、正義のため、人間の人間的理解のために、これだけの仕事をすることができるとは」

「あの苦悶こそ、我々の勝利なのだ」

画面には、1927年8月23日という日付とふたりの写真。そしてその下に小さな電気椅子。その日、彼らはその椅子に座った。73年前の今日だ。

彼らは、ずっと達成されないだろう「人間の人間的理解」という時間の壁に、自分の死の意味を刻んだ。未来を含んだ過去。「苦悶」の現存とその死の意味は、「理解」が達成され得ないことによってよみがえり、いまも再話され続けている。

2000.8.23


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