マレイ・ブクチン


社会的アナキズムかライフスタイル=アナキズムか

=== 掛け橋不可能な亀裂 ===

ここ二世紀で、アナキズム−−非常に普遍的な反権威主義的考え方の一群−−は二つの根本的に相反する傾向間に緊張をはらみながら発展してきた。二つの傾向とは、個々人の「自律」に対する私事本位主義的コミットメントと社会的「自由」に対する集産主義的コミットメントである。これらの傾向がリバータリアン思想史の中で調和したことなど一度もなかった。事実、前世紀の大部分では、これらの傾向はアナキズムの中に単に共存していただけだったのだ。その共存の仕方も、その場に造りだされるべき新たな社会を明確に述べたマキシマリスト的信条表明ではなく、国家に対する反対というミニマリスト的信条表明に過ぎなかったのである。

個別に見ればさまざまな違いが明確にありはしても、言うまでもなく、アナキズム諸派は特定形態の社会組織を擁護していなかった。しかし、基本的にアナキズム全体として提起していたのは、アイザイア=バーリンが「ネガティブ=フリーダム」と呼んだ、形式的な「〜からの自由」であって、本質的な「〜への自由」ではなかったのだ。事実、アナキズムはその多元論、イデオロギー上の寛容性、創造性、さらにはある近代ポストモダニスト信奉者が論じたように、論理の支離滅裂性さえもその現れだとして、ネガティブ=フリーダムに対するコミットメントを賛美していたものであった。

アナキズムがこの緊張を解決できず、個人の集産集団に対する関係をはっきりと述べることができず、無国家無強権社会を可能ならしめる歴史的背景を明言できなかったことが、アナキスト思想の中で今日まで解決されていない諸問題を生み出したのだ。ピエール=ヨセフ=プルードンは、当時の多くのアナキストよりも、リバータリアン社会の充分な具体像を描き出そうとしていた。基本的に小規模生産者・消費者協同組合・共同体間の契約に基づいたプルードンのヴィジョンは彼の生まれた地方職人世界の芳香を漂わせるものであった。しかし、「a patroniste」を混合した彼の試みは、契約的社会構造を持った、リバティという族長主義的概念となることが多く、深みを欠いていた。プルードンの職人・協同組合・共同体は、職人が持つ個人的自律への偏向を映し出しており、能力と欲望といった共産主義の言葉よりも、平等や正義といったブルジョア契約用語にそれぞれが関連しており、集産集団に対するいかなる道徳的責任もその成員の良心程度にしか定義していなかったのだ。

確かに、プルードンの有名な宣言である、『私を支配しようと手を差し出す人は誰であれ強奪者か暴君だ。宣言しよう、奴は敵である。』は、個人主義的なネガティブ=フリーダムに強く偏向しており、抑圧的な社会制度に対するプルードンの反対と彼が意図していたアナキスト社会のヴィジョンとを覆い隠してしまっている。彼の言明は、ウィリアム=ゴドウィンの明快な個人主義宣言、『私が心の底から服従できる唯一の力とは、私自身の理解による意思決定、私自身の良心の命令しかない。』、と簡単にブレンドできる。ゴドウィンの自分自身の理解と良心という「権威」に対する宣言は、プルードンが「自分の」リバティを制限する恐れのある「手」を非難したように、アナキズムに巨大な個人主義的推進力を与えたのだった。

このような宣言は人をつき動かす力を持っているのであろう。北米合州国において、これらの宣言は、その「自由な」事業の是認とともに、いわゆるリバータリアン(もっと正確に言えば、有産主義者)右翼から絶大な賛美を勝ち取ることとなり、アナキズムがそれ自体で全く一貫性のないものだと明らかにされたのである。逆に、ミハイル=バクーニンとピョートル=クロポトキンは基本的に集産主義的見解を持っていた。クロポトキンの場合、明らかにそれは共産主義のものであった。バクーニンは個人よりも社会を強く優先していた。彼によれば、社会は、『全ての人間個々人より先にあり、同時にすべての人間よりも生き長らえる。ちょうど自然それ自体のようなものである。自然のように永遠、というよりもむしろ、自然のようにこの地球上に生まれていたのであり、地球と同じぐらい長く生き残りつづけるであろう。したがって、社会に対する革命的反逆は、人間が自然に反逆するのと同様、不可能なものとなろう。人間社会はこの地球上における自然の最後の偉大なる出現物、もしくは創造物以外の何物でもないのだ。社会に対して反抗したいという個人は、(中略)実在の範囲外に自身の身を置くことになろう。』(*1)

バクーニンは幾度となく、議論上の重大な焦点を当てながら、自由主義とアナキズムにおける個人主義的傾向に対する反対を表明していた。バクーニンは比較的穏やかな調子で書いている。社会は『個人に借りをしている』のだが、個人を形成するのは社会なのだ。

『我々の現存社会にいる最も酷い状態にある個人でさえ、数えきれないほどの世代からなる累積的な社会努力なしには存在も発達もできなかったのだ。したがって、個人・その自由・存在理由は、社会の産物なのであり、その逆などありえはしない。社会はそれを形成している個々人の産物ではない。より高次な社会になればなるほど、個人がもっと十全に発達し、その自由はより大きくなる。人が社会の産物であればあるほど、人は社会から多くのことを受け取り、社会により大きな借りをしているのである。』(*2)

クロポトキンは、驚くべき一貫性を持って、この集産主義的強調点を堅持した。多分彼の著作の中で最も広く読まれていたであろう、「エンサイクロペディア=ブリタニカ」の「アナキズム」という項目に載せたエッセイでは、アナキズムの経済概念を『全ての社会主義』の中でも『左翼』に位置すると明確に述べ、『中心から円周へという現在のヒエラルキーに「とってかわる」、地域と個人の独創力、単純なものから複雑なものまでの自由な連合という精神』において、私有財産と国家の徹底的な排除を要求したのである。事実、倫理学に対するクロポトキンの著作は、社会に対して個人を対立させ、実際に個人やエゴに対して社会を低く見積もるような自由主義的試みを一貫して批判していたのだった。彼は社会主義の伝統にはっきりと身を置いたのである。彼の無政府共産主義は、テクノロジーの進歩と生産性の増大に基づき、1890年代における圧倒的なリバータリアン=イデオロギーとなり、平等に基づいた分配という集産主義概念を一貫して推進していた。『大部分の社会主義者と同様』、アナキストは、『地域の生産者と消費者集団からなる各郡区や各コミューン』の連合に基づいた社会を最終的には生み出すことになる、『革命と呼ばれる加速度的な進化の期間』が必要だとクロポトキンは強調し、認識していた。(*3)

19世紀後半と20世紀前半にアナルコサンジカリズムと無政府共産主義が出現すると、個人主義傾向と集産主義傾向との緊張を解消する必要性が本質的な論争の的となった(原注)。無政府個人主義は、大規模な社会主義的労働者運動によって全く問題外だとされた。その運動に関わっている大部分のアナキストは自身を左翼だと考えていた。1930年代とスペイン革命において絶頂に達した大規模な労働者階級運動の勃興に特徴づけられる嵐のような社会動乱期において、アナルコサンジカリストと無政府共産主義者は、マルクス主義者と同様、無政府個人主義を風変わりなプチブルであると考えていた。彼らは無政府個人主義をアナキズムではなく自由主義に断然多くの根を持つ中産階級の道楽だとして非常に直接的に攻撃していたのだった。

(原注:実際、アナルコサンジカリズムは、英国国教会が企図した「グランド=ホリデイ」つまり、ゼネストの概念にまで辿ることができる。スペインのアナキストの中では、1880年代までに既に受け入れられた実践となっており、これは、フランスにおける教義としてアナルコサンジカリズムが詳細に述べられるようになる十年ほど前のことである。)

その時代は、個人主義者が、その「唯一性」という名の下に、人を動かさずにおかない一貫したプログラムを持ったエネルギッシュな革命組織の必要性を無視することを許しはしなかったのだ。マックス=シュチルナーの自我とその「唯一性」という形而上学への耽溺とはまったく別個に、アナキスト活動家は、理論的で、多方面を取り扱い、実行計画を示しているような基本的書物を必要としていた。そうした書物の中には、クロポトキンの「パンの略取」(ロンドン、1913)、ディエゴ=アバド=サンティジャンの 「革命の経済機構」(バルセロナ、1936)、 G=P=マキシーモフの「バクーニンの政治哲学」(英語版は1953年、マキシーモフの没後3年で出版された。元々の編纂日は英訳本には載っていないが、多分その数年前かあるいは数十年前だと思われる。)がある。私の知る限り、シュチルナー主義者の「エゴイストの組合」がこれまでに目立って出現したことはなかった−−そうした組合は確立可能で、その自我中心主義的参加者の「唯一性」を存続させることができたと仮定すればの話しだが。

個人主義アナキズムと反動

確かに、イデオロギーを持った個人主義はこの徹底的な社会動乱期に消滅しはしなかった。個人主義アナキズムの相当大きな貯蔵庫が、特に英国系アメリカ世界で、シュチルナー自身の思想だけでなく、ジョン=ロックとジョン=スチュワート=ミルの思想によっても成長していた。リバータリアンの見解に対するコミットメントは様々なレベルではあったものの、自家製個人主義者達がアナキストの地平を埋め尽くしていた。事実、無政府個人主義はまさしく「個人」を引きつけていたのだった。自由競争の風変わりなバージョンに固執していた合州国のベンジャミン=タッカーから、自分の支離滅裂なシュチルナー主義的信条を大切にしていたスペインのフェデリカ=モンツェニーまでいた。その無政府共産主義イデオロギーをはっきりと公言していたにもかかわらず、エマ=ゴールドマンのようなニーチェ主義者は個人主義の精神を深く留めていた。

いかなる無政府個人主義者であれ、労働者階級の勃興に影響を与えることはなかった。彼らは自分達の反抗をユニークで個人的な形で表現していた。特に、激しい論調の小冊子、乱暴な行動、ニューヨーク・パリ・ロンドンの退廃的な文化的ゲットーにおける常識では考えられないようなライフスタイルという形で表現していたのであった。一信条として、個人主義アナキズムは大部分が依然としてボヘミアン的ライフスタイルをとっており、性の自由(「フリーラブ」)の要求と、芸術・行動・服装における革新への専心に最も顕著に現れていた。

個人主義アナキストがリバータリアン活動の前面に出ていたのは、重大な社会的抑圧と死にかけた社会的無活動の時期であった。そしてその活動は主としてテロリズムとして現れたのだった。フランス、スペイン、合州国において、個人主義的アナキストはテロ行為を犯し、このことがアナキズムは暴力的で不穏な陰謀だという評判を与えたのだった。テロリストになった人々は、多くの場合、リバータリアン社会主義者や共産主義者ではなく、自暴自棄になった男女だった。彼等は武器と爆弾を手に、おそらくは「行為による宣伝」の名の下に、当時の不公正と俗物根性に抵抗したのだった。しかし、ほとんどの場合、個人主義アナキズムの表現は文化的に反抗した行動だった。これは、アナキストが実行可能な民衆活動とのつながりを失うほどはっきりとアナキズムの中で突出するようになっていった。

欧米アナキズムにおいて無視できないほどの現象、つまり個人主義アナキズムの広がり、が出現しているのは、今日の反動的社会文脈によるところが大きい。社会主義の中で尊敬できる形態さえもが、何らかの形でラジカルだと解釈可能な諸原理から大あわてで退却している時代に、ライフスタイルの問題が再びアナキズムの社会行動と革命政治を補完しているのである。個人主義−自由主義の伝統がある合州国と英国の1990年代は自己流のアナキストの波に洗われている。その色鮮やかでラジカルなレトリックは置いておくとしても、それらが近頃の無政府個人主義を培養しているのである。私はそれらを今後「ライフスタイル=アナキズム」と呼ぶことにする。エゴとその唯一性への没頭、そして、その多様な抵抗の概念が、リバータリアンの伝統にある社会主義的特長を着々と腐食しつつあるのである。マルクス主義やその他の社会主義と同様、アナキズムはそれが反対していると明言しているブルジョア環境に深く影響を受ける可能性を持っている。それは、ヤッピー世代に育まれた「内面」と自己陶酔とが、ラジカルだと公言している多くの人々にその痕跡を残している結果なのである。その場限りの冒険主義・個人の大胆で華麗な演出・反理性主義のポストモダニズムと奇妙にもよく似た、理論に対する嫌悪・理論的一貫性の無さの賛美(多元論)・想像力、願望、恍惚に対する本質的に反政治的で反組織的なコミットメント・日常生活の極度に自己指向的な魔術化。これらは社会的反動が過去二十年にわたり欧米アナキズムを扱って来た代価なのだ(原注)。

(原注:その欠点にもかかわらず、熱気にあふれた1960年代初頭のアナキズム的カウンターカルチャーは、非常に政治的であることが多く、願望と恍惚のような表現を明らかな社会用語の中に投げ込み、後のウッドストック世代の持つ個人主義的傾向をあざ笑っていることが多かった。市民権運動と平和運動の誕生から、「享楽」の純粋な自己満足的形態に強調点を置いているウッドストックとオルタモントまでの「若者文化」(元々そう呼ばれていた)の変遷は、ボブ=ディランの「風に吹かれて」から「ローランドの悲しい目の乙女」までの退化に反映されている。(訳注:「風に吹かれて」は、ディランのセカンド=アルバムの最初の曲であり、「ローランドの悲しい目の乙女」は7作目の最後の曲である。この間に、ディランの唄は、社会問題を唄うプロテスト=フォークから大衆受けするフォーク=ロックへと堕落した。))

個人の心理発達テクニック概論の編纂者であるカティンカ=マトソンは、1970年代には『私たちが世界の中での自分自身を知覚するやり方に大きな変化が』起こっていた、と書いている。『1960年代には』、彼女は続けている、『政治的活動主義、ヴェトナム、エコロジー、ビ−=イン、共同体、ドラッグなどへの没頭が見られた。今日、私達は内側に目を向けている。私達は、自分自身の定義、自分自身の改善、自分自身の業績、自分自身の啓発を探し求めている。』(*4)。マトソンの不健全な動物寓話小集は、「サイコロジー=トゥデイ」誌に編纂され、鍼灸から「易経」まで、エストからゾーン=セラピーまで、全てのテクニックを網羅している。今考えると、彼女はライフスタイル=アナキズムを、内面を覗き込む催眠剤概論にうまく含めることができたと思われる。その催眠剤の大半は社会的自由ではなく私的自律という考え方を育てているのだ。心理療法はその亜種全てが、情動的に自己充足した静かな心理条件の中で、自律を探し求める内面に向けられた「自己」を養っているのであって、自由によって示される社会に参画した自己ではない。心理療法におけるものとしてのライフスタイル=アナキズムでは、エゴは集団と、自己は社会と、個人は共同体と対峙させられているのである。

エゴは−−もっと正確に言えば、様々なライフタイルにおけるエゴの具体化は−−1960年以後の多くのアナキストにとって「強迫観念」となってしまった。そうしたアナキスト達は、既存の社会秩序に対して組織立ち、集産主義的で、計画性のある抵抗の必要性との接触を失ってしまっている。脊椎のない「抗議」(既存システムの変化を引き起こそうとせずに単に私的スリルのためだけになされる抗議)、方向性のない脱出、自己主張、非常に個人的な日常生活の「再植民地化」は、退屈し切ったベビーブーマーとジェネレーションXの持つ心理療法的、ニューエイジ的、自己指向的なライフスタイルと歩調を合わせている。今日、合州国におけるアナキズムを通過し、次第に欧州で増えて来ていることは、責任ある社会的コミットメントを侮蔑した内省的な私事本位主義、「コレクティブ」とか「親和グループ」のように名前をいろいろと変えているエンカウンターグループ、構造・組織・公的な参加を傲慢にもあざけっている心理状態、風変わりな青年どもの遊び場以外の何物でもないのだ。

意識していようといまいと、多くのライフスタイル=アナキストは、社会革命ではなく、ミシェル=フーコーの「私的暴動」アプローチを明瞭に表現している。その前提は、民衆集会・評議会・同盟における抑圧された側の「制度化された」権能の要求ではなく、権力自体の曖昧で表面的な批判にある。この傾向は社会革命の実現可能性を、「不可能だ」とか「空想的だ」として否定している限りにおいて、本質的な意味で社会主義的もしくは共産主義的アナキズムの価値を下げているのだ。実際、フーコーは、『抵抗は権力に対して外側に位するものではない(中略)権力に対して偉大な拒絶の場が一つ(不変的にとも読める)−−反抗の魂、すべての反乱の中心、革命家の純粋な掟といったもの−−あるわけではない。』(邦訳書、123ページ)という観点を促している。フーコーの誇張と言い逃れは置いておくとしても、反抗が完全に多種多様な形になるほどに、非常に大きな、いたるところにある権力の抱擁の中に皆がとらわれているため、我々は『孤独』と『奔放』の間を役に立たないまま漂っているというわけだ(*5)。あちこちをさまよっているフーコーの考えは、抵抗はいつでも現前にあるゲリラ戦に必ずなってしまい、絶対に負けてしまう、という考えにまでおちぶれている。

ライフスタイル=アナキズムは個人主義アナキズムと同様、理論を軽蔑している。一般に余りにも曖昧で、直感的で、直接分析を行うには反理性的でさえある、神秘的で原始的素性を持っているのだ。これらは、既存の社会不安からの逃げ場として自己の神聖化に向かう一般的傾向の適切な症状なのであって、その原因ではない。だが、多くの私事本位主義的アナキズムは、それ自体を批判的検証に役立つほどの泥まみれの理論的前提を未だに持っているのである。

そのイデオロギー的系図は基本的に自由主義であり、それは十全で自律した個人という神話に根差している。その自己主権の要求は、公理となっている「自然の権利」、「内在価値」によって、そして、もっと洗練されたレベルでは、全ての知覚可能な現実を生み出している直感的なカント主義的超越的エゴによって正当だとされているのである。これらの伝統的観点は、マックス=シュチルナーの「我」、つまりエゴ、に表面化している。それは、あたかも世界は自己指向的個人の選択如何によるかのような、現実全てをそれ自体へと吸収する傾向を実存主義と共有しているのである。(原注)

(原注:このエゴとその財産という哲学的系譜は、フィヒテからカントまで辿ることが出来る。シュチルナーのエゴの観点は、カント主義、特にフィヒテ主義のエゴの粗雑な突然変異でしかなかった。それは洞察よりも空威張りで特徴づけられていた。)

ライフスタイル=アナキズムに関する最近の著作は一般に、エゴ中心主義的強調点を残してはいるものの、全てが「我」を指し示したシュチルナーの主権者を回避し、実存主義・リサイクルされたシチュアシオニズム・仏教・道教・反理性主義・原始人主義、もしくは非常に普遍的に、様々な変異前のそれら全てに向かう傾向がある。これから見ていくように、その共通性には人類が堕落する前の、原始的で、拡散していることも多く、短気で幼児的でさえあるエゴ、歴史・文明・洗練されたテクノロジーよりも、多分言語それ自体よりも、表向き優先されているエゴへの回帰の臭いがする。そして、これらは前世紀を支配していた一つの反動的政治イデオロギー以上に成長しているのだ。

自律か、自由か?

全てのカテゴリーを所与の社会秩序の産物と見なす社会的構造主義の罠に陥ることなく、「自由な個人」の定義を求めねばならない。個性はどのようにして存在するようになったのだろうか?そして、どのような条件下で個性は自由になるのだろうか?

ライフスタイル=アナキストが自由ではなく自律を要求するとき、彼等はそのために自由の持つ豊潤な社会的含蓄を失っている。実際、社会的自由よりも自律を求める今日のアナキストが鳴らす一様の太鼓の音を偶然だとして、特に、自律という概念が私的リバティと密接に対応しているリバータリアン思想の英国系アメリカ的変種の中で現れたものだとして見過ごすことはできない。そのルーツは「libertas」というローマ帝国的伝統にあり、そこでは拘束されていないエゴは、「自由に」その私的所有物を持つ−−そして私的肉欲を満足させる−−というものであった。今日、「主権者の権利」を賦与された個人は、多くのライフスタイル=アナキストによって、国家に対するだけでなく、社会それ自体に対するアンチテーゼとしても見なされている。

厳密に定義すると、ギリシャ語の「autonomia」は「独立」を意味している。それは、その維持のために他者に対して何者にも依存もしていない、自己管理しているエゴを暗示している。私の知識では、これを広く使っていたのはギリシャの哲学者達ではなかった。実際、F=E=ピートの歴史的語彙目録「ギリシャ哲学用語集」ですら言及されていない。「自律」は、「リバティ」と同様、プラトンならば皮肉を込めて「自身の主人」と呼んだであろう男(女)のことを差しているのであって、それは「人間の魂の持つましな原則が悪しき原則を統御している」状態なのだ。プラトンにとってさえ、自己の主人となることを通じて自律を確立しようという試みは、パラドックスを作りだしていたのだ。『なぜなら、主人はまた召使でもあり、召使は主人でもあるからであり、いかなる種類の対話をしようと、同じ人間が叙述しているからなのである。』(共和国、第4巻、431ページ)。特に、本質的に個人主義的アナキストであるポール=グッドマンは、『私にとって、アナキズムの主要原則は自由ではなく、自律である。仕事を開始し、自身のやり方でこなす能力なのである。』を堅持していた−−美学者としては価値があるが、社会革命家としては価値のない観点である(*6)。

「自律」は自己主権を推定している個人に関連している一方、「自由」は個人と集産集団とを弁証法的に織り混ぜている。「自由」という言葉はその類同語としてギリシャ語の「eleutheria」があり、「ゲマインシャフト(gemeinschaftliche)」やチュートン族の生活と法における共同体的系譜を今でも保っているドイツ語の「Freiheit」から派生している。したがって、個人に適用されると、「自由」は、その個人の起源と自己としての発達の社会的・集団的解釈を保持しているのである。「自由」において、個人の自己性は、集団に対抗したり集団から離れていくような点に立脚しているのではなく、自身の社会的存在性によって大きく形成される−−そして理性的社会においては実現されるであろう。したがって、自由は個人のリバティを包含しているだけでなく、その実現も意味しているのである。(原注)

(原注:不幸にして、ロマンス言語の「自由」はラテン語の「libertas」から派生した言葉だと一般には説明されている−−フランス語では「liberte」、イタリア語では「liberta」、スペイン語では「libertad」。英語は、ドイツ語とラテン語が混ざっているため、自由 Freedom とリバティ Liberty との区別を行うことが出来、他の言語では出来ない。私はこのことに関して、他言語で書いている人々は、それらの区別をきちんとする必要がある場合に英語を使うことをお勧めする。(訳注:本翻訳では、「Liberty」をリバティ、「Freedom」を自由と訳した。))

自律と自由の混乱は、L=スーザン=ブラウンの「個人主義の政治学」(The Politics of Individualism: POI)に全く明らかである。この書物は基本的に個人主義アナキズムを明確に述べ詳細に検討しているのだが、無政府共産主義との派生関係も残している(*7)。もしライフスタイル=アナキズムに学問的系譜が必要ならば、それはバクーニンとクロポトキンを、ジョン=スチュワート=ミルに混ぜ合わせたブラウンの試みに見出せるであろう。ブラウンの書物は、私的自律に関わる諸概念が社会的自由の諸概念とどれほどうまくなじまないのかを示している。本質的にグッドマンのように、彼女はアナキズムを社会的自由の哲学としてではなく、私的自律の哲学として解釈している。そこで、彼女は「実存的個人主義」という概念を示し、リバータリアンの殿堂の中で最も才能ある思索者であったエマ=ゴールドマンからの多くの引用をしながら、「道具的個人主義」(つまり、C=B=マクファーソンの「所有的(ブルジョア)個人主義」)と「集産主義」の双方と鋭く区別している。

ブラウンの『実存的個人主義』は、自由主義の『個人の自律と自己決定へのコミットメント』を共有している、と彼女は書いている(POI、2ページ)。彼女は以下のように述べている。『多くのアナキズム理論が、アナキストによる共産主義と非アナキストによるそれとを同様に見てきているが、アナキズムをその他の共産主義哲学者達と区別しているのは、個人の自己決定と自律に対する非妥協的で容赦のない賛美なのである。アナキストになるということは、−−共産主義者であれ、個人主義者であれ、相互主義者であれ、サンジカリストであれ、フェミニストであれ−−個人の自由の第一位性に対するコミットメントを断言することなのである。』(POI、2ページ)。ここで彼女は「自由」という言葉を自律の意味で用いている。アナキズムの『私有財産批判と自由な共同体的経済関係の擁護』(POI、2ページ)がブラウンのアナキズムを自由主義よりも超越させているにもかかわらず、集産集団の権利よりも−−そしてそれに対抗して−−個人の権利を持ち上げているのである。

ブラウンは次のように続けている。『(実存的個人主義を)集産主義の観点と区別していることは、個人主義者は』−−自由主義者に他ならないアナキスト達は−−『内的に動機づけられた権威ある自由意志を信じている、ということである。一方、大部分の集産主義者は人間個人を他者によって外的に形成されている−−他者に対する個人は、集産集団によって「作り上げ」られている−−と理解している。』(POI、12ページ、強調は筆者)本質的にブラウンは集産主義−−国家社会主義だけでなく、集産主義それ自体も−−を、集産主義社会が個人に集団への従属を課すという自由主義的流言を使って却下しているのである。彼女の法外な示唆は、『「大部分の」集産主義者』が個人を『歴史の流れに流されている単なる人間漂流物』(POI、12ページ)と見なしているというものであるが、これは、ある点においては事実である。スターリンは明らかにこの観点を持っていたし、多くのボルシェヴィキもそうだった。彼らは、個人の願望と意図に及ぼす社会的力という仮説を持っていた。しかし、集産主義「それ自体」もそうだというのだろうか?我々は、理性的で、民主的で、調和した社会を捜し求めていた集産主義の豊潤な伝統を無視しようとしているのではないだろうか?例えば、ウィリアム=モリスやゲシュタフ=ランダウアーのヴィジョンはどうなのか?ロバート=オーエン、フーリエ主義者、民主的なリバータリアン社会主義者達、初期の社会民主党、カール=マルクスやピョトール=クロポトキンはどうなのか?私は、『「大部分の」集産主義者』が、それがアナキストであったとしても、ブラウンがマルクスの社会解釈に帰した粗雑な決定論を受け入れるとは思えない。強行路線の機械論者達である偽の「集産主義者」を作りだすことで、ブラウンは言葉巧みに、一方では神秘的で自然発生的に作りだされた個人を、他方ではどこにでもおり、圧制的だと仮定され、全体主義でさえある集産集団を対峙させている。その結果、ブラウンは、「実存的個人主義」と「大部分の集産主義者」の信念とのコントラストを誇張しているのである−−彼女の論法が良くて思い違いを助長し、悪くて陰険に見える点まで。

ジャンジャック=ルソーの「社会契約論」の名高い始まりにもかかわらず、人間は明らかに自律しているわけでもなければ、「自由に生まれ」たのでも「ない」。実際、全く逆で、人間は「非常に」不自由で、非常に依存的で、明らかに他律的なのである。人間がある歴史的時期にどのような自由、独立、自律を持つのかは、長期にわたる社会的伝統、そう、「集産的」発展の産物なのである。それは、個々人が、その発展の中で重要な役割を演じ、実際自由になりたいと願うならば、最終的にはそうする義務があるということなのだ。(原注)

(原注:人間が自由に生まれたという神話を味わい深く冷やかす中で、バクーニンは抜けめなく宣言している。『ジャンジャック=ルソー学派個人主義者の思想とプルードン主義相互主義者の思想は何と馬鹿げていることだろう。彼等は社会を、お互いに絶対独立している個々人の自由契約の産物と見なし、相互関係を作るのは、単にそれが人間間でこれまで行われて来た慣習だからだというのである。まるで、こうした人間達は空から振って来て、そのときに話言葉・意思・最初の思想を持って来たとでも言いたげだ。まるで、人間は地上のいかなるものに対しても、つまり、社会的起源を持っているいかなるものに対しても何の関わりも持っていないと言っているようなものだ。』マキシーモフ著、「バクーニンの政治哲学」、167ページ。)

ブラウンの論法は、驚くほど単純な結論を導いている。『個人を形成しているのは集団ではない』と我々は述べられる。『むしろ集団に形と中身を与えているのは個人なのである。集団は「個人の集積なのであってそれ以上でもそれ以下でもない」のだ。集団には生命も無く、それ自身の意識もないのである。』(POI、12ページ、強調は筆者)この驚くべき公式は、マーガレット=サッチャーの、社会なるものは存在せず個々人がいるだけである、という悪名高い発言によく似ているだけでなく、世界は具体的なことから完全に引き離されているという実証主義的で、確かに素朴な社会的近視眼を宣言しているのである。既に思い起こしている人もいるだろうが、アリストテレスは、プラトンが言語に絶した「形式」の王国を作り上げ、その具体的で不完全な「コピー」から離れて存在させたと叱ったときに、この問題を解決していたのだ。

個人が単なる「集積」を作りだすことはない、これが依然として真である−−電脳空間は多分例外であろう。逆に個人は、ばらばらにされ密封されているように見える時であっても、社会的存在としての正にその存在により、個々人が確立する関係や、お互いに確立しなければならない関係によって大きく定義される。集産集団−−そしてそこから推定される社会−−が単なる『個人の集積であり、それ以上でもそれ以下でもない』は、人間関係の性質に対する「洞察」を示しているが、それは自由主義的どころか、特に今日においては、潜在的に反動的なのだ。

集産主義を執念深い社会決定論だと強く特定することで、ブラウン自身は、抽象的な「個人」を「創りだして」いる。それは個人という語の厳密に慣習的な意味には実在してさえいない。人間経験は、最低限、生命・衛生・知性・対話を維持するのに必要な社会的条件と物質的条件を「前提としている」。そして、ケア・関心・共有といった感情もそうであり、これらはブラウンが自分の任意主義形態の共産主義にとって不可欠だと見なしている性質なのだ。誕生から成人へそして老年へと至るまで人間に埋め込まれている社会関係の豊潤な言及がないため、ブラウンが前提としている「個人の集積」は、乱暴に言ってしまえば、「社会」では全くないであろう。それは、着脱自在で、自己探求的で、エゴイスティックな単細胞生物群というサッチャー的意味での文字通り「集積」となるであろう。個人自身で完全だとすれば、弁証法的倒置により、それらは、自身が持つ欲望と享楽−−今日ではいかなる場合であれ社会的に処理されていることが多い−−の満足以上の目的が無いため、大きく「脱」個人化されているのである。

個人は自分で動機付けするものであり、自由意志を持っているということを認めても、集産主義を拒否することにはならない。個人はこうした優れた潜在能力を行使できる社会条件に関する意識をも発達させることが出来るためである。自由の達成は、子供を育てたことがある人なら誰でも知っているように、一部生物学的事実に依っており、地域生活をしたことがある人なら誰でも知っているように、一部は社会的事実に依っており、そして社会構造主義者とは正反対に、思索する人なら誰でも知っているように、一部を環境と生来の私的諸性癖との相互作用に依っている。個性は「ab novo」となるように発現していなかったのだ。自由という思想同様、それは長い社会的心理学的歴史を持っているのである。

自身の自己に留まることで、その人は不可欠な社会的よりどころを失ってしまう。その社会的よりどころは、アナキストが個性の中で賛美すると思われているであろうこと−−その大部分が対話から生じる熟考力、不自由に対する激情を育む感情的技量、急進的変化への希望を動機づける社会性、社会的行動を引き起こす責任感覚−−に多大なる影響を与えているのである。

確かに、ブラウンのテーゼには社会行動を妨げる示唆がある。もし個人の「自律」が「集産性」に対するいかなるコミットメントをも覆しているのなら、社会的制度化・意志決定・行政的調整に対してさえも何ら基盤が無いことになる。自分の「自律」に自己充足している個々人は、自分が欲していることなら何でも行う自由があることになる−−多分、昔の自由主義的公式に従えば、他者の「自律」を阻害しない限り。民主的意志決定でさえ、権威主義だとして放り出されてしまう。「民主的ルールはそれでもルールである」とブラウンは警告している。「それが独裁政治や全体主義独裁よりも多くの個人が政府に参画できるようにしているとしても、そこではなおも誰かの意志を抑圧しているのである。これは明らかに実存的個人とは調和しない。実存的個人が実存的に自由となるためには、意志の誠実さを保ち続けなければならないのだ。」(POI、53ページ)。実際、ブラウンの目に非常に超越的に神聖不可侵だと映っていることは、自律した個人の意志であり、彼女はピーター=マーシャルの、アナキスト原理に依れば『小数が大多数を支配する権利を持っていないように、「たった一人の小数派であっても」、大多数は小数を支配する権利を持っていない』(POI,140ページ、強調は筆者)という要求を賛同的に引用しているのだ。

集産的意志決定の理性的で多岐にわたった直接民主的手続きを、「独裁的」で「支配的」だと汚すことは、一人の主権者エゴの少数派に、大多数の決定を放棄する権利を与えることである。だが、自由社会は民主的なものであるか、それとも全く確立されないかのどちらかである、これが依然として事実である。アナキスト社会の「実存的」(お望みならばこう言ってもいいが)状況−−直接リバータリアン民主主義−−では、意志決定は公開討議後になされる可能性が最も高い。その後、得票数の少ない少数派は−−たった一人の小数派であっても−−その決定を変えようとする補足論証を提起するあらゆる機会を持つことになる。逆に、コンセンサスによる意志決定は、その場に現れる「意見の相違」−−個人的創造力と同様社会的創造力に必要不可欠な継続的対話・不一致・異議申し立て・その異議に対する反論といった非常に重要なプロセス−−を阻害するのである。

どちらかと言えば、コンセンサスを基に活動することは、重要な意志決定が少数派によっても操作されるか、もしくは完全に崩壊することを確実にしているのである。そして、なされる決定は、大部分の人が同意する最低限の見解を具現化し、創造性が最も低い同意を組織することになる。ここで私は、1970年代のクラムシェル同盟においてコンセンサスを使った痛々しい長期にわたる経験について触れておこう。丁度、この擬似アナキズム的反原発運動がその闘争のピークに達したときだった。この運動は少数派によるコンセンサス過程の操作によって破壊されてしまった。コンセンサス意志決定が生み出した「構造のない専制政治」は、充分組織された小数が、運動内部で扱いにくく、脱制度化し、大きく混乱した多数を支配できるようにしてしまったのだ。

また、コンセンサスに対する非難の声の中には、「意見の相違」が存在できなくなり、議論を創造的に刺激できなくなり、そのために新しく永続的に拡充する見解を生み出しうる思想の創造的な発達を促すこともできなくなる、というものもあった。いかなる地域においても、意見の相違−−そして意見を異にする個人−−は、地域を沈滞させないようにしているのである。独裁や支配といった軽蔑の言葉は、少数派反対意見の沈黙のことを適切に述べているのであって、民主主義の行使のことを述べているのではない。皮肉なことに、コンセンサスに基づいた「民意」こそが、ルソーの社会契約論からの記憶しておくべきフレーズ『人間を自由にせしめる』ことを充分にできるようにしているのだ。

いかなる地上的語意においても実存的であることから離れ、ブラウンの「実存的個人主義」は個人を「歴史から分離して」扱っている。彼女は個人を超越的カテゴリーとして純化し、それは丁度1970年代にロバート=K=ウォーフがその怪しげな書物「アナキズムの弁護」の中でカント主義の個の概念をひけらかしたようなものである。個人と相互作用することでその人を真に意図的で創造的な存在足らしめている社会要因は、超越的道徳抽象の下に埋もれている。そうした道徳抽象は、それ自体に純粋な知的生命があるとすれば、歴史と慣習の外に「実在」しているのであろう。

集産集団と個人との関係に対するアプローチの中で道徳的超越主義と単純化された実証主義の間を行き来しているため、ブラウンの詳説は進化論と創造論の関係と同じぐらいぎこちない。個人がどのようにその大部分を社会発展によって形成され、社会発展と相互作用をしているのかを示す豊潤な弁証法と豊かな歴史は、彼女の書物から全くと言って良いほど欠如している。原子的で偏狭なほど分析的な観点を多く取りながらも、抽象的に道徳的で超越的でさえある解釈をしながら、ブラウンは、社会的自由とは正反対の自律という概念に対する優れた背景を提示しているのである。一方では「実存的個人」を、そして他方では「個人の集積」でしかない社会を使うことで、自律と自由の亀裂は掛け橋不可能なものとなったのだ。(原注)

(原注:結局、ブラウンは、バクーニン、クロポトキン、私の著作を重大に読み誤っているのである−−この読み誤り全てを正すためには詳細な議論を要するであろう。私自身について言えば、ブラウンが主張しているように、「「自然の」人間」などを信じてはいない。丁度私が、「自然法」に対する彼女の古臭いコミットメント(159ページ)を私が共有していないのと同じである。「自然法」は、二世紀前の民主革命の時代には有効な概念であったかもしれないが、それは哲学的神話なのであり、その道徳的前提は、ディープ=エコロジーの「内在価値」という直感的知識が現実のものでないのと同じぐらい非現実のものなのである。人間性の「第二自然」(社会的進化)は、「第一自然」(生物学的進化)を大幅に変形させたものである。したがって、「自然」という言葉は、ブラウンが扱っているよりももっと慎重にそのニュアンスが与えられていなければならないのである。私が「自由は自然の中に内在している」と信じているという彼女の主張は、私が行った、可能性とその実現との区別について大きく思い違いをしている(160ページ)。自然進化における自由の可能性と社会的進化における今もなお未完成なその実現との区別を明確にするためには、読者は大きく改訂した私の著書「社会生態学の哲学:弁証法的自然主義に関するエッセイ」、第二版(モントリオール:Black Rose Books, 1995)を参照していただきたい。)

[つづく]



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