33号

2002.1.15

「テロにも戦争にも反対」とはいいたくない

水田ふう


三里塚の小泉くんとみよちゃんが野菜を毎月送ってくれる。

「循環農場」いうて、農薬や科学肥料やビニールや輸入の種やをいっさい使わず、天の恵みのうちに土やいきものの循環する生命力でものをつくろうとしている現代まれなる百姓や。

今月の野菜といっしょに入ってた「循環だより」に「ぼくたちの生活の本拠である東峰地区は成田空港の暫定滑走路(2002年4月開港の予定)の真下にあたります。わが家の上空40mを、飛行テストの飛行機が金属音をたてて襲来します。これは音の暴力です。力づくで空港をつくってきたことを、深く反省したはずの政府のやることとは思えません。……」とあった。

みよちゃんと小泉くんは、70年頃から三里塚にはいって、強制代執行でブルトーザーで土地を奪われた小泉よねさんの夫婦養子になってもう30年。ずっと百姓を続けてる。その「循環農場」は最後数軒残った空港予定地や。

2人にとって政治的な取り決めや、政府との談合や買収は無用な介在物や。妨害があろうとなかろうと、世間から忘れさられようと、厳然と自分自身の手で自分のつくりたいものをつくる。それがそのままで、くらしと密着した闘い――直接行動――なんや。

そして最後の1軒になっても、再び機動隊やブルトーザーが襲いかかってきても、もくもくと耕作の手を止めないやろう。

小泉くんの30年まえの詩にこんなのがある

すわりこむことは

ごみのひくさにちかづくことだ

くる日もくる日も、アフガン空爆のニュースをただただテレビで見させられるだけという情けない状態のなかで、ほんまにひとびとの歴史は大昔からこんなふうにじっさい塵のようにあつかわれてきたんや、とつくづく思いしらされる。なにが進歩や。なにが民主主義や。いまも昔もちっとも変わらん。いつだって「正義」や「大儀」を口にして、権力者のやりたい放題やんか。得意げなブッシュの顔を見るたびにおもわず「おまえら地獄に落ちろ」と呪いをかけたくなる。

神戸「救援ニュース」に暫定滑走路敷地内・天神峰で百姓している市東孝雄さんの話がのっていた。

「ほんとうに歯がゆい気持で一杯です。くやしくてしょうがない。事情が許すなら、空港に突入して思う存分暴れて、開港できなくさせてやりたい。」「……暫定滑走路建設のひどさについて、まだまだ世の中に明らかになっていない。マスコミは公団の宣伝機関だし、公団も、自分たちがどれほどの暴力をふるっているか自覚していない。ニューヨークの反米テロではないが、率直な気持を言えば、公団にここまで一方的にやられるのなら旅客機の一機ぐらい撃ち落してやりたいくらいですよ……」

これと同じことをむかし戸村一作さんから聞いたことがある。

「飛んでる旅客機をみると、機関銃で撃ち落してやりたい……」

こういう思いを抱く人はこの国でもあちこちにいると思う。東北、北海道を奪われたアテルイの子孫たち、占領米軍に貢物として差し出された沖縄のひとびと、ダム建設で村ごと家や土地をうばわれたひとびと、原発で村を二分され追い出されたひとびと、海を埋めたてられ、くらしを奪われたひとびと……そのやり方のえげつなさにどんな思いを胸にしまっているか……そして物言えぬどれだけの鳥や虫や動物や魚や木や森や山やいきものたちが殺されていってるか……

いま冤罪で刑務所にいれられてるOさんという人がおるんやけど、そのOさんが手紙に書いてきてた。「ニュースの時間」にニューヨーク貿易センタービルに飛行機が突っ込むのをみて、そのニュースを見てた全員が「おーッ」と歓声を挙げた、というんや。

塵のように扱われてきたひとたちの、これは本心や。

そやけど、この日本という国でわたしは屋根のある家に住み、電気もガスもあってパソコンも使い、三食昼寝つきの安閑としたくらしをしている。テロのまきぞえをくったとしても、決して自分を「無辜の民」というわけにはいかん。それどころか、核爆弾とみまごうばかりの新型爆弾を毎日アフガンのひとびとの上に落とすことを「毅然と支持」して「参戦」した小泉を大多数が支持してる国の住人やからな、「無辜の民」どころかいな。

12月11日の朝日新聞に、「9月11日のハイジャック犯に共感を覚えるか」――こうした質問をテロ発生後、FBIは全米各地の警察にたいし、5,000人のイスラム教徒の外国人にするように求めた、という記事がのってた。「共感を覚える」といったら逮捕、拘留されるんや。日本では逮捕・拘留まではまだされへんのに、まず、「テロには反対です」いうことをいってからでないと、次が云われへんいうたいがいの論調や。

で、日本の反戦運動は「テロにも戦争にも反対」ゆうてデモをした。そう云わんと人が集らん?

こういう「時」と「場所」と「状況」やから、「おまえは『アメリカにつくかテロにつくか』どっちや、はっきりせえ」と聞かれたら、わたしは「テロにつく」と答える。それがわたしの立場や。わたしは、非暴力直接行動の立場から、テロを否定せえへん。やむにやまれぬものとして否定しない。肯定する。

そのわたしの非暴力直接行動の立場をごく原理的にいうと――

  1. どんな手段であれ、抑圧と闘うことに対しては肯定する。やられてるものがやりかえすのは、当り前や。

  2. やりかえす手段として、せっぱつまった、他に余地のないものとして出てきている暴力的手段(テロも)は、第三者的立場にあるものにとって、よい、わるいとかの評価や批判をこえた、どうしようもないもんや。

  3. 暴力は結果として強い装備のものが勝ち、弱い者が負ける。勝った者は、その勝利を守るために、いよいよ暴力的構造的にならざるをえない。革命の歴史はこの悪循環が、暴力によって断ち切れないことをおしえている。

    「弱者」にとって、自分が支持した強者の勝利は、決して自分の勝利とはならない。それは歴史が充分おしえている。

  4. わたしが、たとえば今回のテロの側にたつ、という時、あくまで非暴力直接行動の立場からである。非暴力を力とする以外に闘いはない。

テロを支持するか、せえへんのかの前に、自分は権力の側に立つのか、それと闘う側にたつのかの問題としてあると思う。

そやから、抑圧と闘うものであるかぎり、それが暴力闘争であろうとなかろうと支持するのがわたしの「非暴力直接行動」の立場や。

「支持」というのは、自分もいっしょになって爆弾なげる(そんなことは決心だけでは簡単にできることやないけど)とか、いうこととはちがう。

「支持」とは、自分の立場はどこにあるかいうことをはっきりさして、それをうちだしていくことや。

それにしても、今回の「テロ」はすごかった。これほど世界中を震撼させた「テロ」はいままでの「テロの歴史」のなかではなかったことや。それはたぶんに現代都市建築の構造上の問題(東アジア反日武装戦線の三菱爆破で死傷者が出たのもビルのガラスというガラスが壊れて地上に降注いだことが大きい。)やらが重なっての偶然やけど、アメリカとそれにつながる世界の体制、経済そのものを揺るがすほどのものやった。そして世界中のひとびとがいままで知らんかったことに目を向けさせられた。

復讐としてのテロは成功してもそれで体制を転覆したりすることはでけへん。むしろ失敗のほうが圧倒的におおいんや。難波大助にしても、和田久太郎にしても、伊藤博文を狙った安重根は成功したけど、それで日本政府が揺らいだいうことはない。

それに反して、その反動の方は確実に何十倍何百倍にもなってかえってくる。パレスチナの人々がどんなに歯軋りしても、抵抗としてのテロをやればやるほど、イスラエルはそれを口実にミサイルを打ち込む。戦車をくりだす。

報復は報復を生む。憎みあう者は似る。テロでは実際どうにも収拾がつかんいうことをわたしらは、依然にもまして思い知らされたことになった。

それでも抑圧されるひとびとがおる限り、テロはなくならんやろ。この悪循環を断ち切るのは、「非暴力直接行動」の「力」を力として見出す以外にない。

遠いアフガンのひとたちが、まいにちまいにち、ミサイルや新型爆弾で塵のようにふきとばされているのをテレビで見ながら、結局ひとびとは塵のように死んでいくほかないものなんか、いうことをつくづく思わされた。それでもなおひとびとは営々と生き続けている。その「力」はいったい何や。

それは、やっぱり、大昔からひとびとが共同してきた、そのくらし方そのものがもっている、非暴力直接行動――生産、創造、遊戯、そのよろこびとおもしろさ――以外にはないんや。その「力」を自覚すること、わたしらにはそれしかないんや、いうことをいままでにまして、強く思った。

三里塚で騒音やはりめぐらされた鉄条網や、機動隊の検問やらのなかで、30年も百姓を続けてきた小泉くんたちの、そのやわらかなしかも不屈な意志と実力は非暴力直接行動の自覚こそにある、とわたしは思ってるんや。(2人はこんな角張ったことばからはほど遠く、もっとふつうで、淡々としてるんやけど)

(『死刑と人権』119号 かたつむりの会 2001.12.27より転載)

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