アナキズムFAQ

セクションJ.4.6 反政府・反大企業感情は何を暗示しているのか?

 ニューズウィークのレポート(「良い生活とその不満」、1996年1月8日号)によれば、失望の感情が政府と大企業に対する信念を荒廃させている、という。以下が、自分は様々な諸制度に「大きな信頼感」を持っていますか、と人々に問うた調査の結果である。

 

1966197519851994
国会42%13%16%8%
行政支所41%13%15%12%
新聞29%26%16%13%
大企業55%19%17%19%

 お分かりのように、大企業に対する人々の信頼は、調査が行われた28年間にわたり36%下落していた。大企業を「全く信頼していない」という回答は、国会に対する同じ回答(34%)よりもさらに悪かった。

 政府に対する失望の感情の中には、保守派や右翼ポピュリストが行っている「大きな政府反対」レトリックのせいだと言えるものもある。だが、そうしたレトリックは、アナキストにとっても同様に潜在的な利益を持っているものである。もちろん、「保守的」政権下では、政府はそれ以前よりももっと官僚的で贅沢なものになっていた、という事実からも分かるように、右翼が本当に国家を除去しようなど夢にも思いはしない。

 言うまでもなく、この右翼のレトリックが持つ「地方分権的」要素は、誤魔化しである。政治家・経済学者・ビジネス「リーダー」が、政府は余りにも大きすぎるなどと論じているときに、こうした人は、あなたが考えているのと同じ政府の諸機能について考えていることなどないのである。あなたがタバコ農家や国防会社(defece firms)に対する助成金について懸念を持っているかもしれないが、彼らは公害管理について考えている。あなたが福祉をより良く改良することについて考えている一方で、彼らの考えは完全に福祉国家を分解することだったりする。それ以上に、彼らは「家族の価値観」・「健全な」テレビ・堕胎の禁止などを支援しながら、多くの私的領域に対する政府の侵入レベルを増加させること(労働者に対するボスや借地人に対する地主などの権力に対する国家の支援を増加させることと同様に)こそ自分たちの勝利なのだと思っているであろう。

 もし、右翼が話していることではなく、右翼が行ってきたことと現在行っていることを見るならば、(誰に本当に責任があるのかだけでなく)右翼「リバータリアニズム」の主張の馬鹿馬鹿しさがすぐに分かる。公害と健康に関する法律を妨害すること、製品の安全性に関する法律から財源を剥奪すること(defunding)、国立公園で森林伐採や採掘を許可したり国立公園を閉鎖したりすること、金持ちに対する課税を減らすこと、資本利得に対する課税を減じること、ストライキ中の労働者を会社が解雇できるようにすること、大規模なテレコミュニケーション会社が利益を上げやすくすること、危険性のある商品に対する会社の責任を限定的なものにすること−−こうしたプログラムは、明らかに、政府の介入抜きで大企業が行いたいことを行えるように、そして、金持ちがさらに金持ちになるように支援しているのだ。つまり、私企業の力に対する「自由」の増大である。そして、その力は、企業の「リバティ」を保護するという役割を持つ国家と組み合わされているのである。

 だが、右翼のラジオ煽動者とビジネスに支えられたメディアがまき散らしているビジネス賛同型で、私有企業専制賛同型で、人種差別的、反フェミニスト的、同性愛恐怖症的ヨタ話の一方で、重要な権力分散型で反国権主義的な思想も大衆意識の中に植え付けられてきている。こうした思想が、生活の全領域(家庭・地域社会・仕事場)において追求され、適用されるならば、合州国におけるアナキズムの復活を導くことができるであろう−−だが、そのためには、急進主義者が、リバティに基づいた社会システムを必ず伴う以上、資本主義は生来反権威主義的ではない(将来そうなる見込みもない)、というメッセージを広めるためにこの機会を利用しなければならないのだ。

 だからといって、右翼的諸傾向がアナキズム的要素を持っている、などと述べているのではない。当然、そんなものはない。また、アナキズムの運命が右翼の成功と何らかの形で結びついている、などと述べているのでもない。全く違うのだ(全く逆のことが実際には真なのである)。同様に、大企業が行っている大きな政府反対プロパガンダもアナキズム的ではない。だが、例えば権力分散のような、ある種の考えをそのアジェンダに載せるという利点は持っている。アナキストが行おうとしていることは、右翼のレトリックが持つ完全に矛盾した性質を指摘することなのである。結局、大きな政府に反対するという主張は、大企業にも賃金奴隷にも同じように適用できるのである。もし、民衆が自分たち自身の意志決定を行うことができるのなら、なぜ、この能力が仕事場で無視されなければならないのだろうか?ノーム=チョムスキーは次のように指摘している。社会の内部には『放っておけ』、『自分のことを行え』といった潮流があるが、これは実際には『プロパガンダのシステムが全時間稼働しているということを述べているのである。なぜなら、合州国の、例えばビジネスが持っているイデオロギーでそのことを信頼しているものなどないからだ。北米社会の始まりから、ビジネス利権を支援するために強力な介入主義国家が強要されていたのであり、現在も強要しており、今後も強要するであろう。企業に関して個人主義的なことなど何もない。ただ、性質として本質的に全体主義的で、個人主義的ではない、大規模な複合的諸制度があるだけなのだ。その中で、君は大きな機械の歯車なのだ。人間社会の諸制度で、ビジネス組織ほどに厳格なヒエラルキーとトップダウンの統制を持ってるものはほとんどない。そこには「私を踏みつけにするな」ということなど何もないのだ。君はいつでも踏みつけられているのだ。このイデオロギーの要点は、統制の取れた権力セクター外にいる人々が、連合し、政治的土俵で意志決定を行うことができないようにしようとしていることなのである。そのポイントは、権力セクターを統合し、高度に組織化したままにさせ、もちろん、資源を支配させておく一方で、その他の人々を原子化しているのである。』そして、チョムスキーは次のように述べている。

『北米文化には自律と個人性という傾向がある。私はこれを良いことだと思っている。この「私を踏みつけにするな」という感情は多くの点で健全である。この感情は、自分を原子化し、他者と一緒に活動することから遠ざけてしまうまでは健全なのである。それは、健全な側面とネガティブな側面を持っている。このネガティブな側面こそが、プロパガンダと教化によって自然に強調されているのである。』(暴徒を統制する, pp.279-280)

 上述の世論調査が示しているように、人々は諸制度に対する嫌悪感と不信感を大企業に対しても同様に向けている。このことは、人々が莫迦だということを示しているのではない。ただ、企業が導いた階級戦争・ダウンサイジングなどの期間の後でさえ、大企業に対する不信感が少しばかり減少していることは、多少気になるところではあるが。不幸にして、ゴブルズが充分気づいていたように、民衆があることを信じ始めるためには、嘘を一つつくだけで充分なことが多いのである。大企業が自由にできる資金・メディアに対するその影響力・「シンクタンク」の後援・PR会社の使用・経済「科学」の支持・大規模公告などを考えれば、非常に多くの人々が大企業をそうあるものだと捕らえているということは、人々の常識について多くを物語っている。全ての人をどんなときでも騙すことなどできはしないのだ!

 だが、こうした感情は、物事は良い方に変えることもできないし、個人は社会を変革する手助けもできないという皮肉と絶望感に簡単に変わってしまいかねない。さらに悪いことに、右翼・権威主義者・ポピュリスト・(いわゆる)「リバータリアン」右翼の支持へとねじ曲げられてしまいかねないのである。アナキストの仕事は、このことと戦い、政府と企業に対して人々が持っている健康的な不信感を、社会諸問題に対する本当の解決策、つまり、権力分散型自主管理アナキスト社会に向ける手助けをすることなのである。

 

J.4.7 コミュニケーション革命についてはどうなのか?

 アナキストにとって好都合なもう一つの重要な要素は、洗練された地球規模のコミュニケーションネットワークが存在することと、主要産業諸国家の人々の間で高いレベルの教育と識字率があることである。これら二つの発展が一緒になって、地球の各地で行われている様々な進歩的・急進的運動のメンバーが、情報をほとんど瞬時に共有し、公に広めることができるようにしている。中央の権威による抑圧の効果を減じる傾向を持っている現象なのである。電子メディアとパソコンの革命も、エリート主義グループが知識を独占し続けていることをさらに難しくしているのである。つまり、情報化時代の到来は、潜在的に、近代の方程式にある最も破壊的な変数の一つなのだ。

 事実、インターネットの正にその存在こそが、権力分散型構造は今日の非常に複雑な世界で効果的に機能できるという力強い主張をアナキストに提示しているのである。インターネットには中央集権型の司令部がなく、いかなる中央集権型統制機関によっても取り締まられることもないが、それでも、非常に有効に機能しているからである。それ以上に、インターネットは、アナキストなどの急進主義者が自分の考えについて他者とコミュニケーションを取り、知識を共有し、共通のプロジェクト(このFAQのような)で活動し、活動と社会闘争を調整する効果的なやり方でもあるのだ。インターネットを使うことで、急進主義者は自分の思想を、そうでなければアナキズム思想に接することなどなかったであろう人々が接触できるようにするのである(明らかに、世界の大多数の人々は、コンピュータはともかく、電話にもアクセスできていないということに我々は気づいてはいるが、コンピュータへのアクセスは多くの国々で増大しており、仕事場・図書館・学校・大学などを通じて、さらに多くの労働者が接することができるようになってきている)。さらに、そしてアナキストが自分の思想を接しやすくすること以上に重要なのだが、インターネットは、全ての人が自由に自分を表現し、他者とコミュニケーションを取り、新しい思想や観点に接したり(ウェブページを訪れたりメーリングリストやニュースグループに参加することで)それを提供したりする(ウェブページを作ったりオンライン議論に参加したりすることで)機会を可能にしている、という事実である。このことが非常にアナキズム的なのだ。人々が自身を表現し、新しい思想に、自分の思考方法と行動方法を変革するかも知れない思想について考えはじめることを可能にしているからなのだ。もちろん、この惑星にいる大部分の人々は、電話を持っておらず、コンピュータなど問題外である。だが、それが、インターネットは人々が自由にコミュニケーションできるメディアだという事実を傷つけはしないのだ(少なくとも、それが完全に私有化されるまでである。そうなれば、インターネットが大規模ショッピングセンターになるかも知れず、自由なコミュニケーションはもっと難しいものだと証明されるかもしれない。)

 もちろん、進歩的・急進的運動が組織を作る能力だけでなくビッグ=ブラザーをも考えれば、コミュニケーション手段と情報テクノロジーの改善が持つ示唆は多義的だということを否定はしない。だが、問題は、ここで我々が見ている他の新しい社会発展と情報革命が組み合わされることで、社会的パラダイム=シフトに貢献しうる(だが、必然的にそうなるのではない)、ということなのだ。明らかに、こうしたシフトは自動的に生じることはない。事実、情報テクノロジーに対する人々のアクセスを制限し(例えば、暗号プログラムのような)、市民のコミュニケーションを検閲するという政府の試みに対する強力な抵抗がない限り、そのようなシフトなど全く起こらないであろう。

 闘争を調整し、情報を流布するために、アナキストがどのようにインターネットを有効活用しているのかについては、セクションJ.4.9で論じられている。

 アナキズムのメッセージを流布するためにインターネットとコンピュータを利用することは、反語的である。今日、コンピュータ・ソフトウェア・その他のテクノロジーのコスト=パフォーマンスが急速に改善することは、自由市場の信念を妥当なものとしているように思える。だが、情報革命は市場の必然的優越性を証明していると述べるためには、短期的歴史記憶の莫大な欠落が必要なのである。結局、インターネットに限らず、コンピュータ科学とコンピュータ産業は、公的投資のめざましい成功を示しているのである。ケネス=フラムが1988年に著した書物コンピュータの創造によれば、1970年代と1980年代初頭に、連邦政府は、全てのコンピュータ関連の研究の40%に、そして基礎研究の60〜75%の代価を支払っていた。ビデオ=ターミナル・ライト=ペン・描画タブレット・マウスといった近代的に見える付属品でさえも、1950年代・1960年代・1970年代にペンタゴンから資金提供された研究から発展したのだった。ソフトウェアさえも国家の影響力抜きには存在していなかったのであり、データベースソフトは合州国空軍と原子力委員会のプロジェクトにその起源を持ち、人工知能は1950年代に軍部との契約で開発され、航空機予約システムは1950年代の空軍防衛システムで開発された。1950年代と1960年代に、IBMの研究開発予算の半分以上は政府との契約からのものであった。

 開発動機は国家安全保障だったが、結果は、私企業が大喜びで搾取し拡張させてきた合州国の情報テクノロジーの相対的優位性の創造であった。利益が不確実で、捕らえることが難しかった時代に、私企業は投資に気が進まず、政府が決定的役割を果たしたのだった。努力が欠落していたわけではなく、軍部での鍵となる人物が、当初、新しく潜在的に儲かるビジネス機会を提示して、ビジネスと投資銀行家を納得させようとしたのだが、それは成功せず、政府が手を引いたのは市場が拡大し利益がもっと確たるものになったときだったのである。リスクと開発コストが社会化された一方、利益は私有化された。どのみち市場がこのことを行っていたという主張は全て、非常にありそうもないことなのだ。

 コンピュータ産業に対する国家の支援を越えて見てみれば、コンピュータ産業に本質的だった自分のことは自分でやる(do-it-yourself)(さらには、自主管理の)文化が見つかる。例えば、最初のパソコンは、自分の安いマシーンを組み立てたいと思っていたアマチュアが発明したのである。アマチュアと趣味者の間に存在する「贈与」経済は、パソコン発展の必要な前提条件だったのである。情報と知識の自由な共有抜きにしては、コンピュータの開発は妨げられていたことだろう。つまり、開発者間と作業環境内での社会主義的諸関係が、コンピュータ革命の必要諸条件を創り出したのだ。もし、このコミュニティが商業的諸関係によって特徴づけられていたなら、偶然こそが必要な突破口であり、知識は少数の企業と個人によって独占されたままとなり、そのことで全体としての産業を妨げたことだろう。

 インターネットの発展の最初の20年間は、ほとんど完全に国家からの援助−−例えば、合州国軍部や大学−−と、趣味者間の反資本主義的「贈与経済」に依存していた。したがって、公的資金と共有型コミュニティの組み合わせが、インターネットの枠組み、資本主義最大の成功の一つだと現在主張されている枠組みを創り出す手助けをしたのだ!

 この社会主義的「贈与経済」がコンピュータやソフトウェア開発とインターネットの核心に今でも存在している、ということには勇気づけられる。例えば、フリーソフトウェア財団は、General Public Licence(GPL)を作りだした。GPLは、コピーレフトとしても知られ、ソフトウェアがフリーであり続けることを保証するためにコピーライトを使うのである。コピーレフトは、一つのソフトウェアが、全ての人が使用し、自分が望むままに修正できるようにすることを保証する。唯一の制限は、使用した、もしくは修正したコピーレフト素材はいかなるものであれコピーレフト下においたままにしなければならない、というものだ。このことで、自分が元々のコードを使用したときと同じ権利を他者も持つことを確実にしているのである。これが、誰もが加わることができるが、誰も減じられることのない共有の場を創り出している。ソフトウェアをGPL下に置くことは、全ての貢献者が、自分とその他のユーザーがコードを無制限に動かし、修正し、再配布することができるということを保証していることを意味するのである。商業ソフトウェアとは異なり、コピーレフト規定は、個々人が引き出すことができ、そして同様に重要なことだが、貢献できる知的基盤の増大を保証している。このようにして、商業コードとは異なり、コードが全ての人によって改善できるため、全ての人々が利益を得るのである。

 多くの人々は、この本質的にアナキスティックなシステムは失敗すると考えるだろう。だが実際は、このようにして開発されたコードは商業ソフトウェアよりも非常に信頼性があり、しっかりとしているのである。例えば、Linuxは、DOSよりも遥かに優れたオペレーティングシステムであるが、それは正に、何千という開発者の集団的経験・スキル・知識を利用しているからなのだ。アナキストではない人々は驚くかも知れないが、アナキストならば驚きはしない。相互扶助と協働は生活の進化に利益を持っているのだから、ソフトウェアの進化に利益をもたらさないことなどあるだろうか?

 アナキストにとって、コミュニケーション革命の核心にあるこの「贈与経済」は、重要な発展なのである。これは、共有発展の優位性と、所有システムが生み出した革新とお上品な商品に対する障壁を示しているのだ。我々はこうした経済が「現実の」世界にますます広まることを期待しているのである。

 

J.4.8 変革の加速と情報爆発の意義は何なのか?

 フィリップ=スレイターが夢の延期で指摘していたように、権威主義的諸構造のやっかいさは、変革スピードが上がると共に、次第に目立つようになっている。このことは、権威主義的システムの全ての関連情報は、何らかの決定を行うことができるようになる前に、中央の命令を中継しなければならないためである。逆に、分散型システムでは、重要な決定は個々人や小規模自律集団が行うことができ、新しい情報に即時に反応するのである。つまり、権威主義的諸構造での意志決定は、分散型で民主的な構造と比べて遅く、不利なのである。

 圧倒的な官僚主義的惰性に起因する中央集権的に計画された国家資本主義(「共産党」)経済の失敗は、ここでの問題の素晴らしい実例を提供してくれる。同様に、私有財産制資本主義下では、集中的な官僚制度を伴い、その片割れである「共産党」とほぼ同じぐらい柔軟性がなく効率の悪い傾向を持つ大企業よりも、小規模で比較的権力分散型の企業の方がもっと革新的で生産的であることが多い。情報の増殖が加速している世界では、同時に、重大な経済的・政治的決定が以前よりもずっと素早く行われなければならず、権威主義的諸構造はますます不適当になってきているのである。スレイターが書いているように、権威主義的システムは、情報爆発に効果的に耐えることなどできず、したがって、次第に多くの国々が自国は「民主化」されねばならないか、さもなくば、遅れをとってしまうかのどちらかであると実感しているのである。スレイターは、この現象の兆候として、東欧の「民主化」流行だけでなく、共産党の中国における民主主義を求めた民衆圧力を挙げている。

 不幸にして、スレイターは、自分が言及している「民主主義」のタイプは究極的には偽物だ(国家資本主義の全体主義よりはましだが)ということに気づいてはいない。なぜなら、そうした「民主主義」が目的としている代議制政府は、企業の金持ちによる見せかけの政治的支配形態だからだ。だが、彼が自分の主張の基盤としている権威主義的諸構造の厄介さは、充分現実のものであり、権威主義的諸制度に関する企業−国家複合体に埋め込まれた「代議制」政治諸構造は、真の民主主義でも、社会を効果的に組織する方法でもない、ということは、アナキストの主張の信頼性に力添えをし続けるであろう。それ以上に、権威主義的諸構造の批判は、仕事場にも同様に適用できるのである。なぜなら、資本主義企業は中央集権的に計画され、ボスと管理職の手中に(職務上の)権力が集中しているミニ国家として組織作られているからだ。参加を増大させる闘争は、必ずや、仕事場でも同様に行われるであろう(賃金奴隷が存在する限り、これまでも継続的になされてきたように)。

 

J.4.9 ネット戦争とは何か?

 ネット戦争とは、自律的集団と社会運動が、社会に影響を与え、変革し、政府やビジネス政策と戦うために、インターネットを使って、行動の調整を行うことを意味する。このようなインターネットの使用は、年々着々と増大してきており、ランド社の研究員デイヴィッド=ロンフェルドは、これは重要で強力な力になってきている、と論じている(ランド社は、1948年の創立以来、軍事産業複合体の私営付属会社である)。つまり、情報革命の出現が活動主義と活動家の力と影響力の燃料となってきたのだ。コンピュータとコミュニケーション=ネットワークを通じて、特に世界規模のインターネットを通じて、草の根キャンペーンが活躍し、最も重要なことだが、政府のエリートが注目してきたのである。

 ロンフェルドは国家安全保障問題、特に、ラテン=アメリカと最新情報テクノロジーの影響という分野の専門家である。ロンフェルドとその同僚は、数年前、サイバー戦争到来!というロンフェルドの文書で、「ネット戦争」という言葉を造り出した。「ネット戦争」は、自律的集団−−特に、権利擁護グループと社会運動−−が、政府の政策に影響を与え・変革し・それと戦う活動を調整するために情報ネットワークを使用する活動のことである。

 1995年の3月半ば、パシフィック=ニュース=サービスの通信員ジョェル=サイモンがロンフェルドの見解について文書を書き、ロンフェルドの著作がインターネット上で論争となった。それは、サパティスタ蜂起後のメキシコの政治状況に対するネット戦争の影響についての文章であった。サイモンによれば、ロンフェルドは、インターネット上での社会活動家の働きが莫大な影響力を持っていた、と見なしている。社会活動家は、サパティスタを支援するためにメキシコシティでの大規模なデモを連絡調整し、コンピュータ=ネットワークを通じてEZLNコミュニケを世界中にばらまく手助けをしたのである。こうした行動は、メキシコ政府に敵対する集団のネットワークが国際的反応を、多くの場合はその行動がなされてから数時間内に、召集することができるようにした、とロンフェルドは論じている。その結果、メキシコ政府にEZLNとの交渉を表面上でも維持させ、多くの機会に、軍がチアパスへ侵入し、サパティスタを残忍に虐殺することを実際に止めさせたのである。

 ロンフェルドがランド社(ポール=ディクソンが著書シンクタンクで、『初めての軍事的シンクタンク(中略)疑いもなく、合州国軍部と関係を持っている最も強力な研究組織』と記述している)に雇われていることを考えれば、そのコメントは、合州国政府とその軍事・諜報派閥は左翼とアナキストが何をインターネット上で行っているかに非常に関心がある、ということを示している。有効でなければ彼らはこのことに関心を持たないだろうと考えられるため、「情報スーパーハイウェイ」のこうした使用は、それを当初開発した人々(インターネットは合州国政府と軍部が元々資金提供していたことを忘れないでおこう)が企図していなかったやり方で、テクノロジーが使用されたポジティブな例である、と言えるだろう。インターネットは次の巨大市場であると誇大宣伝されているが、それは活動家によって覆されているのである−−当局を悩ませている社会内部にあるアナキズム的諸傾向の一例なのだ。

 ロンフェルドは、『情報革命は(中略)諸制度を計画するときに通常中心となるヒエラルキーを混乱させ、浸食する。多くの場合、弱くちっぽけな行為者と見なされているものが、権力を拡散させ、再配分するのである。』と論じ、続けて次のように述べている。『多重組織ネットワークは、(多くの場合小規模な)諸組織や諸機関の一部から成り立ち、共同で活動しするようにそれらを一つに結びつけ、(中略)多様で、分散した行為者が莫大な距離を越えて以前よりも多くの良質な情報を基盤として、コミュニケーションを取り、相談し、調整し、協働することを可能にしている。』そして次のように強調している。『新しいコミュニケーション=ネットワーク・コミュニケーション=テクノロジーを最大活用している人の中には、進歩主義的活動家・中道左派・社会活動家もおり、(中略)人権・平和・環境・消費・労働・移民・人種・性別に関わる問題(について活動している)』つまり、社会活動家は新しく強力な「ネットワーク」組織編成システムの最先端にいるのだ。

 あらゆる政府、特に合州国政府は、効果的な情報利用という考え、特に、政治的左翼とアナキストによる情報利用に対して極端に敵対してきた。インターネットの利用は、もう一つの「民主主義の危機」(つまり、資本主義が好んでいるいかさまエリート民主主義ではなく、本物の民主主義の発展)を促す可能性がある。エリートと戦うためにインターネットを利用する可能性と戦うことについて、ロンフェルドは、教訓ははっきりしている、と述べている。『諸制度はネットワークによって打ち負かされる可能性があり、ネットワークに対抗するためにはネットワークが必要であろう。』彼は次のようにも論じている。合州国政府や軍部がこのイデオロギー戦争に勝つという意志を持って適切に戦う−−そして、ロンフェルドはイデオロギーについて特定的に言及している−−のであれば、合州国政府は、ヒエラルキー型組織を廃棄してもっと自律的で権力分散型のシステム(つまり、ネットワーク)へと、自身を完全に再組織編成しなければならない。このようにして、『ネット戦争は非国家的行為者と戦うために驚くほど適合しているかも知れない、(中略)と思われる。』とロンフェルドは述べているのである。

 ロンフェルドの研究と意見は、政治的左翼を実物以上に良く見せているに違いない。彼は基本的に、コンピュータ上の活動家の活動は、非常に有効だった、少なくともその可能性を持っていると論じているだけでなく、もっと重要なことに、この活動に対抗する唯一の方法は、社会活動家の例に倣うことだとも論じているのである。ロンフェルドは、私的通信を強調して次のように述べている。『情報革命は、多くのポジティブなやり方で市民社会的行為者を強めてもいる。そしてそれ以上に、ネット戦争は、必然的に合州国などの利権に対する「脅威」であるといった「悪い」ことでは必ずしもない。事情によりけりなのである。』同時に、アナキストなどの活動家はロンフェルドの著作が持つ重要な示唆を理解しなければならない。政府のエリートは、そうした活動を監視する(驚きだ)だけでなく、そうした活動に対抗する活動をしようとしているのである。

 このことは多くの国々でも見られている。例えば、1995年には、これまでのところ欧州に限られているが、多くのコンピューター=ネットワークが攻撃されたり、完全にシャットダウンさせられたりした。イタリアでは、カラビニエリ防犯特殊部隊(the Carabinieri Anti-Crime Special Operations Group)が、多くの活動家−−その多くがアナキスト運動で能動的だった−−の自宅を襲撃した。ジャーナル・雑誌・パンフレット・日記・ビデオテープが押収された。Cybernet と Fidonet ネットワークの中心である「BITS Against the Empire」を主催していたパソコンの一台も押収された。起訴状は、馬鹿げたことに、『民主的秩序を転覆する企図に関連している』というものであり、7〜15年の懲役刑が求刑されていたのである。

 英国では、スコットランドの Terminal Boredom BBS は1995年に、BBSに関係していたハッカーの逮捕後、警察によってシャットダウンされた。同じ年、コンピュータ=ネットワーク上でカタログ化されていた出版物の最大のアナキスト=アーカイブである、スパンク=プレスが、英国プレスでメディア攻撃に直面した。英国のプレスは、ドイツ赤軍派のような有名なテロリストと共に活動しており、爆弾製造のレシピを提供し、『学校の破壊・商店の略奪・多国籍企業への攻撃』を調整しているとして偽りの非難を浴びせたのである。コンピュータ売買誌コンピューティングと、サンデー=タイムズは、それぞれ、『アナキズム、スーパーハイウェイで暴動』、『アナキスト、コンピュータハイウェイをシステム転覆のために利用』と題し、スパンク=プレスの主催者の一人など、自分が働いていた企業が悪評を被ったために、ほとんど失職寸前だったのである。ララ=オハラ著激高(Turning Up the Heat):冷戦後のMI5という本によれば、サンデー=タイムズの記事を書いたジャーナリストの一人は、MI5(英国のFBI)と接触していたそうだ。

 この攻撃が最初にアナキストとリバータリアン社会主義者に対して向けられたことは偶然ではない。アナキストとリバータリアン社会主義者は、現在、インターネット上で最も組織だった政治集団の一つである。コンピューティング誌の編集者サイモン=ヒルでさえもが、『私たちは、短期間でインターネット上に出現した(中略)こうした集団の組織化レベルに驚いている』と認めているのである。ロンフェルドのテーゼに従えば、このことは完全に道理にかなっている。アナキストとリバータリアン社会主義者以外に、『ヒエラルキーを浸食』し、共同行動をするに当たって分散化された自律的諸集団の調整を必要とするシステムを最もうまく搾取できるものはいるだろうか?

 こうした攻撃は、長い目で見れば、アナキストだけに限ったものではないだろう。事実、多くの国々がインターネットの管理を試みており、管理の必要があるという口実として多くの諸問題を取り上げているのである(例えば、「テロリズム」やポルノなど)。インターネットの力が活動家の手にあることに気づいている機関は政府だけではない。米国では、ワシントン=ポスト誌(トッド=ラバーソン著メキシコの反逆者、ハイテク兵器を使用:インターネットが支援集めを援助)・ニューズウィーク誌(ラッセル=ワトソン著言葉が最高の兵器になる:反逆者のインターネット・サテライトTV使用方法)・CNNでさえもがサパティスタに関するインターネットとネットワークコミュニケーション組織の重要性について報告していたのだった。

 メインストリーム=メディアはインターネットを通じて流布されている情報に関心を持っていない、ということを指摘することが重要である。メディアはその活動をセンセーショナルなものにし、破壊しようとさえする事に関心を持っているのである。メディアは「反逆者」が非常に強力な道具を持っていることを正しく認識してはいるが、自分たちが見逃していることや省略していることについては報告しないのである。

 この強力な道具の一例は、メキシコとサパティスタに関連する出来事に関する情報が、劇的なスピードと範囲を持ってインターネットを飛び交っていることに見られる。アレキサンダー=コックバーンは、カウンターパンチ誌上において、チアパスとサパティスタに関するチェイス=マンハッタン銀行のメモを暴露した記事を書いていたが、カウンターパンチは限られた読者しかいないニュースレターだったため、少数の人々のみがそれを読んだにすぎなかった。リオーダン=ロエットが書いたそのメモは、非常に重要なもので、『(メキシコ)政府は国境内部と安全保障政策の有効な管理を証明するために、サパティスタを排除しなければならないだろう』と論じていたのだった。つまり、メキシコ政府は、チェイス銀行から投資してほしければ、サパティスタを壊滅しなければならないのであった。この情報は、単に紙面上に印刷されていただけでは、比較的有効ではなかったが、インターネット上にアップロードされる(多くのリストサーバーとユーズネットを通じて)と、突如として莫大な数の人々の手に届いた。そして、受け取った人々は、合州国とメキシコ政府、特にチェイス=マンハッタン銀行に対する抗議行動を調整した。チェイス銀行は、結局、自分が依頼していたロエットのメモから距離を置こうとせざるを得なくなったのだった。

 アナキストとサパティスタは、良く知られた氷山の一角でしかない。現在、インターネット上には無数の社会活動キャンペーンがある。カリフォルニアで行われているプロポジション187反対運動のような地方的諸問題から共和党の『アメリカとの契約』に反対する進歩的大学ネットワークのキャンペーンまで、活動主義ネットワーク=システムは実際に機能している−−ロンフェルドが認めているように充分うまく機能している−−だけでなく、成長もしているのだ。参画している人々の数が急速に増大しており、政治的・社会的有効性も増大している。チアパスの現状と、現在も引き続いているグアテマラの内戦とには多くの類似点があるが、グアテマラの軍部はほとんど弾劾されずに殺人できていた一方で、メキシコの軍部は、部隊を動員すると統制のとれた国際的批判を文字通り何時間も受けたのである。その理由は、ロンフェルドが認めたようにネット戦争が有効だからであり、ネット戦争が使用されると、それは非常に影響力を持っていたからなのだ。

 ランド社が、そして多分その他のエスタブリッシュメント派閥もだろうが、活動家がインターネット上で何を行っているのかに関心を持っているだけでなく、それが有効だとも考えているのは明らかだ。同様に、奴らが我々の活動を研究し、我々が持つ潜在的な力を分析していることも明らかである。我々も同じことをやらねばならないが、明らかにそれは、自分の活動を抑制するという観点からではなく、全く逆の観点から行わねばならないのだ。つまり、どのようにしてこの活動をさらに促すのか、である。同時に、我々は、いわば形勢を逆転させねばならない。奴らは我々の行動と活動を研究している−−我々は奴らの行動と活動を研究しなければならない。これまで概略してきたように、我々は、できるだけ多くの攻撃を予測できるように、奴らの運動と試みを分析しなければならないのである。

 ロンフェルドが繰り返し論じているように、我々はもっと有効になることができる。情報が噴出しているということは、現在そうあるように、あまりにも明白である。だが、我々ができることは、インターネット上の大部分の「ネットワーキング」が今のところそうであるような生の情報を調整することだけではないのだ。現在行われている活動を改善するために、我々は、もっと多くのことを−−特に徹底的分析の分野において−−提供しようとしなければならないのだ。我々が行っていることやエスタブリッシュメントが行っていることだけでなく、もっと適切に、重要な出来事に関する内実ある分析の普及を調整しようとしなければならないのである。このようにして、活動家ネットワークのメンバーは、出来事の最新情報という利点だけでなく、それぞれの出来事が、場合に応じて政治的・社会的・経済的に意味していることの背景となる優れた分析をも手にするであろう。

 つまり、ネット戦争は社会内部でのアナキズム諸傾向の良い例なのであり、コミュニケーション=テクノロジーの使用(国家のために開発され、商売を手助けする手段として資本主義が利用している)は世界中の活動をリバータリアン的やり方で調整する手段になってきたのである。

 (FAQの本セクションは、スコットランドのアナキスト誌の第2号とZマガジンに掲載された、『「ネット戦争と活動家」:インターネット上の力』というジェイソン=ウェーリングの論文に基づいている。)

 

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