アナキズムFAQ

A.4 アナキズムの主な思想家は誰か?

 ジェラルド=ウィンスタンリー(「新しい正義の法 The New Law of Righteousness」, 1649)やウィリアム=ゴドウィン(「政治的正義の研究 Enquiry Concerning Political Justice」, 1793)が初めてアナキズム哲学を展開したのは17世紀と18世紀のことである。しかし、体系的で先進的なプログラムを持つ一貫した思想としてアナキズムが現われたのは、19世紀後半になってからだった。この作業は、主に4人の先駆的思想家が始めた。ドイツ人のマックス=シュティルナー(1806-1856)、フランス人のピエール=ジョセフ=プルードン(1809-1865)、それに二人のロシア人、ミハイル=バクーニン(1814-1876)とピョートル=クロポトキン(1842-1921)である。彼らは労働者大衆の中に広く流布していた思想を取り上げ、文章で表現したのである。
 ドイツロマン主義哲学の雰囲気の中で生まれたシュティルナーのアナキズム(「唯一者とその所有 The Ego and Its Own」で述べられている)は、極端な個人主義つまりエゴイズムであった。それは、国家・財産・法律・義務などよりも、何にもまして唯一者としての個人を上位に考えている。彼の思想はアナキズムの礎であり続けている。シュティルナーは、資本主義とそれを支える国家とをエゴイストの立場から批判し、資本主義と国家社会主義双方を攻撃し、社会的アナキズムと個人主義的アナキズムの基礎を作ったのである。国家と資本主義に代わるものとして、マックス=シュティルナーは「エゴイストの連合(union of egoists)」を主張した。「エゴイストの連合」は、自分の自由を最大にし、自分の欲望(シュティルナーが「交際(intercourse)」と呼んだ、連帯を欲する感情を含む)を満足させるために、唯一者が平等な立場で協力する自由な組織である。こうした連合は非ヒエラルキー型のものになるだろう。シュティルナーは思い巡らしている。『大部分のメンバーが、最も自然で最も明白な自分の利益について、穏やかでいられるようにしている組織は実際にエゴイストの組織なのだろうか?一方が他方の奴隷や農奴でありながら団結している人々は本当に「エゴイスト」たり得るのだろうか?』[No Gods, No Masters, vol. 1, p. 24]
 個人主義は当然ながら、様々な社会条件を変革する具体的なプログラムを持っていなかった。これをやろうとしたのが、自らをアナキストと宣言した初めての人、ピエール=ジョセフ=プルードンである。彼の相互主義連合主義・労働者自主管理と労働者協会(association)の思想は、大衆運動としてのアナキズムの発展に深い影響を与え、アナキズムの世界がどのように機能し・調整されるのかをハッキリと示していた。プルードンによる研究が、反国家・反資本主義運動としての、そして、思想としてのアナキズムの根本的性質を定義したと述べても過言ではあるまい。バクーニン・クロポトキン・タッカーは皆プルードンの思想からインスピレーションを受けたと公言している。彼の思想は社会的アナキズムと個人主義アナキズム双方の直接的源であり、それぞれの流れが相互主義の異なる側面を強調しているのである(例えば、社会的アナキストは相互主義の連合的側面を強調する一方、個人主義アナキストは非資本主義市場の側面を強調している)。プルードンの主要著作には、「所有とは何か What is Property」「経済的諸矛盾のシステム System of Economical Contradictions」「連合の原理 The Principle of Federation」「労働者階級の政治的能力 The Political Capacity of the Working Classes」がある。相互主義がどのようなものかを最も詳しく論じているのは「革命の一般概念 The General Idea of the Revolution」である。プルードンの思想はフランス労働運動と1871年のパリコミューンに重大な影響を与えた。
 プルードンの思想を確立したのはミハイル=バクーニンである。バクーニンは、自分の思想は単にプルードンの思想を『大きく発展させ、その最終帰結まで一直線に押し進めた』だけである、と謙虚に述べていた [Michael Bakunin: Selected Writings, p. 198]。しかし、彼はアナキズムの発展における自身の役割を低く見ているだけである。なぜなら、バクーニンは近代アナキズム活動主義・アナキズム思想の発展における中心人物だからだ。自由な無階級社会を創造する手段として彼が重要だと強調したのは、戦闘的労働運動への参加・集産主義大衆暴動革命であった。それ以上に、彼は、プルードンのセクシズムを否定し、アナキズムが敵対する社会悪のリストに家父長制を付け加えた。また、バクーニンは、人間性と個性とが持つ社会的性質を強調し、自由主義が述べている抽象的個人主義を自由の否定だとして拒絶した。彼の思想は20世紀に多くの急進的労働運動で有力なものとなった。実際、彼の思想の多くは後年にサンジカリズムもしくはアナルコサンジカリズムと呼ばれるようになったものと殆ど同じだったのである。バクーニンは多くの労働組合運動に影響を与えた。特に、1936年に大規模なアナキスト社会革命が起こったスペインに多大な影響を与えた。バクーニンの著作には、「アナーキーと国家主義 Anarchy and Statism」(彼の生前に刊行された唯一の本だ)・「神と国家 God and the State」「パリコミューンと国家理念 The Paris Commune and the Idea of the State」などがある。サム=ドルゴフが編集した「バクーニンのアナキズム Bakunin on Anarchism」は、彼の主要著作の優れた選集である。ブライアン=モリス著「バクーニン:自由の哲学 Bakunin: The Philosophy of Freedom」はバクーニンの生涯と思想を上手く紹介している。
 ピョートル=クロポトキンは教育を受けた科学者であり、近代諸条件に関する洗練された詳細なアナキスト分析を行い、その分析を未来社会に対する周到な処方箋、無政府共産主義に関連づけた。これは今でもアナキストの中で最も広く支持された理論であり続けている。個人が発達し成長する最良の手段は相互扶助であると彼は見なし、人間の間での競争(異種との競争も)は、競争に参画している人々に最良の利益をもたらさない場合が多い、と指摘している。バクーニン同様、クロポトキンも、経済的な階級闘争を直接的に行うことと、民衆運動、特に労働組合に、アナキストが参加することが重要だと強調していた。彼は、コミューンというプルードンとバクーニンの思想を受け継ぎながら、彼等の洞察を一般化し、自由社会で社会的・経済的・個人的生活はどのように機能するのかというヴィジョンをもたらしたのである。クロポトキンはアナキズムを『現在の社会でハッキリと現れ』、アナーキーに向かう『さらなる進化を示している可能性を持っている諸傾向を研究することで、科学的根拠に』基づかせようとしていた。同時に、アナキストが『自分の思想を直接的に労働者組織の中で宣伝し、こうした組合が、議会立法を頼みにせずに、資本に対する直接闘争を行うように促す』ように強く勧めていた[Anarchism, p. 298 and p. 287]。バクーニン同様、彼も革命家であり、バクーニンのように、彼の思想も世界中で自由を求めた闘争を刺激した。クロポトキンの主著には「相互扶助論 Mutual Aid」「麺麭の略取 The Conquest of Bread」「田園・工場・仕事場 Field, Factories, and Workshops」「近代科学とアナキズム Modern Science and Anarchism」「自主行動論 Act for Yourselves」「国家:その歴史的役割 The State: Its Historic Role」「反逆者の言葉 Words of a Rebel」などがある。彼の革命的パンフレットの選集は、「アナキズム Anarchism」というタイトルで出版されており、彼の思想に関心を持つ人にとって必須の読み物である。
 こうした「アナキズム創始者たち」の理論は互いに対立するものではない。様々な面で互いに結び付いており、それぞれがある程度まで、社会生活の異なる側面について述べている。個人主義は私生活と密接に関わっている。他者の唯一性と自由を認め、他者と団結することによってのみ、自分自身の唯一性と自由を守ることができる。相互主義は自分と他者との一般的関係に関わっている。共に働き、協力することで、他人のために働く必要がなくなるのである。アナキズムの下での生産は、人々が自分達のために協働する集産主義になるであろう。そして、より広い政治的・社会的世界での共通の利益はコミューン的に決定されるであろう。
 強調しなければならないが、様々なアナキズム思想の流れは個々のアナキストの名前をとって名付けられてはいない。つまり、アナキストは「バクーニン主義者」でも「プルードン主義者」でも「クロポトキン主義者」でも(三つの可能性を述べれば)ない。マラテスタを引用すれば、アナキストは『思想に従っているのであって、人に従っているのではない。一人の人間に一つの原理を具現化する習慣に反抗しているのである。』だからといって、彼はバクーニンを『我々の偉大な教師であり、我々のインスピレーションだ』と呼ぶのを止めはしなかった[Errico Malatesta: Life and Ideas, p. 199 and p. 209]。同様に、著名なアナキスト思索者が書いたものが全て自動的にリバータリアンだとは限らない。例えば、バクーニンがアナキストになったのは彼の人生の最後の10年間だけであった(しかし、マルクス主義者は彼がアナキストになる以前の人生を利用してアナキズムを攻撃し続けているのだ!)。プルードンは1850年にアナキズムに背を向け、1865年の死の直前にアナキズム的(厳密にアナキズムではないが)立場に戻っている。同様に、クロポトキンやタッカーが第一次世界大戦中に連合国を支持した方が良いと主張したことは、アナキズムとは無関係である。つまり、例えば、プルードンがセクシストのブタだったからアナキズムは間違っているのだなどと言われたところでアナキストは納得しないのである。ルソーの女性に対する意見がプルードンと同じぐらいセクシストだったからといって、民主主義を却下する人などいないだろう。何事においてもそうだが、近代アナキストはそれ以前のアナキストの著作を分析し、ドグマではなく、インスピレーションを引き出しているのである。従って、こうした人々がアナキズム理論の発展に建設的に貢献していることを認めても、「有名な」アナキストだという非リバータリアン的な考えは拒絶しているのである。この点について長々と述べてきたことを申し訳なく思うが、マルクス主義者によるアナキズムの「批判」は、基本的に、死んだアナキスト思想家の否定的側面を指摘しているわけで、こうしたアプローチは明らかにバカげていることをハッキリと述べることが最も良いのである。
 もちろん、アナキズム思想は、クロポトキンが死んだ時に発展を止めたわけではない。また、アナキズムは上記の四人だけが発明したわけでもない。アナキズムは、本質的に、多くの思想家・活動家と共に進化する思想である。例えば、バクーニンとクロポトキンが生きているとき、彼等は自分の思想の様々な側面を他のリバータリアン活動家から汲み上げていた。例えば、バクーニンは、1860年代のフランス労働運動にいたプルードン信奉者の実践的活動を踏まえていた。クロポトキンは、無政府共産主義理論の発展に最も関係していたものの、単に、バクーニンの死後に第一インターナショナルのリバータリアン派で発展し、自分がアナキストになる前に発展していた思想の最も有名な解説者だったに過ぎない。つまり、アナキズムは世界中の何万という思索者と活動家の産物であり、個々人は、社会変革を目差した一般運動の一部として、自分に必要なアナキズム理論を形成し、発展させていたのである。ここで数多くのアナキストについて述べることが出来るだろうが、ほんの一握りの人々についてだけ触れることにしよう。
 ドイツ出身の著名なアナキストはシュティルナーだけではない。数多くの独創的なアナキズム思想家がいる。グシュタフ=ランダウアーはその急進的見解のためにマルクス主義の社会民主党から除名され、その後すぐに自分はアナキストだと公言した。彼にとって、アナーキーは『国家・教会・資本という偶像からの人間解放の表現』であった。彼は、『自由連合と組合、権威の欠如』を望ましいとして、『上からの水平化、官僚制である国家社会主義』と闘った。彼の思想はプルードンとクロポトキンの結合であった。自主管理型地域社会と協同組合の発展を社会変革の手段だと見なしていたのである。彼が有名なのは次の洞察によってである。『国家は一条件である。ある種の人間関係である。人間同士の行動様式である。我々は、他の関係を協議して決めることで、お互いに対して異なるやり方で行動することで、国家を破壊するのである。』[Peter Marshall, Demanding the Impossible, p. 410 and p. 411 で引用] 彼は、1919年のミュンヘン革命で主導的役割を果たし、ドイツ国家が革命を破壊している最中に殺害された。著書「社会主義に向けて For Socialism」は彼の主要な思想を上手くまとめている。
 もう一人の著名なドイツ人アナキストはヨハン=モストである。元々はマルクス主義者で、選挙で当選した帝国議会の議員だった彼は、投票の無益さを理解していた。彼は、カイゼルと聖職者に反対する文章を書いたために国外追放された後、アナキストになり、米国アナキスト運動で重要な役割を演じ、一時はエマ=ゴールドマンと共に活動していた。彼は、大思想家というよりも宣伝者であり、その革命的メッセージに多くの人々が刺激されアナキストになった。そしてルドルフ=ロッカーである。製本業者だった彼は、ロンドンのイーストエンドのユダヤ人労働運動で重要な役割を果たした(詳しくは彼の自叙伝「ロンドンでの歳月 The London Years」を参照)。彼は「アナルコサンジカリズム Anarcho-syndicalism」の決定的入門書を書き、「アナキズムとソヴィエト主義 Anarchism and Sovietism」のようなロシア革命の分析、「スペインの悲劇 The Tragedy of Spain」のようなスペイン革命を擁護したパンフレットも書いている。彼の「ナショナリズムと文化 Nationalism and Culture」は、政治思想家とパワーポリティックスとを分析しながら、昔からの人間文化を綿密に分析している。彼はナショナリズムを解剖し、民族が、どのように国家の原因ではなく、国家の産物となっているのかを説明し、人種科学をナンセンスだとして退けている。
 米国では、エマ=ゴールドマンとアレキサンダー=バークマンが指導的なアナキズム思想家・活動家であった。ゴールドマンはシュティルナーのエゴイズムとクロポトキンの共産主義との最良の部分を結びつけ、情熱的で力強い理論へと統合した。同時に、アナキズムをフェミニズム理論・フェミニズム活動主義の中心に据えるだけでなく、サンジカリズムも擁護した(「エッセイ集:アナキズムなど Anarchism and Other Essays」という本や(「赤のエマ語る Red Emma Speaks」というエッセイ・論文・講演のコレクションを参照)。アレキサンダー=バークマンは、エマの生涯の伴侶であり、「アナキズムとは何か? What is Anarchism?」「無政府共産主義とは何か? What is Communist Anarchism?」「アナキズム入門 ABC of Anarchism」としても知られている)というアナキズム思想の古典的入門書を書いた。ゴールドマン同様、彼も労働運動へのアナキストの参画を支持しており、多くの文章を書き、講演を行った(「あるアナキストの人生 Life of An Anarchist」は、彼の最良の文章・本・パンフレットからの優れた選集である)。1919年12月、彼とゴールドマンは米国からロシアに追放された。1917年のロシア革命は米国人のかなりの部分を急進化させていた。彼らはあまりにも危険すぎて自由の土地に居続けることを許可することは出来ない、と見なされたのだった。その正に二年後、米国からパスポートが届き、彼らはロシアを出発した。内戦後の1921年3月にクロンシュタット反乱をボルシェビキが虐殺したことで、ボルシェビキ独裁はかの地での革命の死を意味していると彼らはついに確信したのである。ボルシェビキの支配者たちは、原理原則に忠実であり続けている二人の本物の革命家を追い払うことが出来て非常に喜んでいた。ロシアの外に出ると、バークマンはこの革命の破滅について数多くの論文を書き(「ロシアの悲劇 The Russian Tragedy」「クロンシュタット叛乱 The Kronstadt Rebellion」を含む)、日記を「ボルシェビキの神話 The Bolshevik Myth」という単行本の形で出版した。ゴールドマンは有名な著作「ロシアでの私の幻滅 My Disillusionment in Russia」を著し、有名な自叙伝「自分の考えに従って生きる Living My Life」を出版している。また、彼女は時間を見つけて、クロンシュタットに関するトロツキーの嘘を「トロツキーはむきになって言い張る Trotsky Protests Too Much」で論駁していた。
 バークマンとゴールドマンだけでなく、米国には著名な活動家・著作者がいた。ヴォルテリーン=デ=クライアーは米国アナキズム運動で重要な役割を果たした。彼女の論文・詩・講演で米国のアナキズム理論と国際アナキズム理論とを深化させた。彼女の著作には、「アナキズムと米国の伝統 Anarchism and American Traditions」「直接行動 Direct Action」といった古典がある。「ヴォルテリーン=デ=クライアー読本 The Voltairine de Cleyre Reader」には、これらの論文だけでなく他の論文や有名な詩が収録されている。さらに、「アナーキー!エマ=ゴールドマンの『マザー=アース』選集 Anarchy! An Anthology of Emma Goldman's Mother Earth」という本は、彼女の著作だけでなく当時活動していたアナキストの著作も収録されている優れた選集である。また、1886年に国家に殺されたシカゴ犠牲者たちに注目を向けるべく彼女が行ったスピーチの選集も興味深い(「第一回メーデー:ヘイマーケットのスピーチ1895年〜1910年 the First Mayday: The Haymarket Speeches 1895-1910」を参照)。彼女は、病気で出来なくなるまで、毎年11月11日に犠牲者を偲んでスピーチを行っていた。前の世代のアナキスト思想はシカゴ犠牲者が象徴しているが、この思想に関心ある人は、アルバート=パーソンズ著「アナキズム:その哲学と科学的基盤 Anarchism: Its Philosophy and Scientific Basis」が必読である。
 アメリカ大陸の他の場所では、リカルド=フロレス=マゴンが1910年のメヒコ革命の下地を作る手助けをした。彼は、1905年に(奇妙な名前だが)メヒコ自由党を設立した。そして、失敗に終わったものの、1906年と1908年の二度、ディアス独裁政権に対する蜂起を組織した。自分の新聞「大地と自由 Tierra y Libertad」を通じて、彼は、サパタの農民軍だけでなく、発展中だった労働運動にも影響を与えた。彼は、革命を社会革命に転じなければならない、と繰り返し強調した。社会革命は『工場や鉱山などの所有』だけでなく『大地を人民に与える』のである。このことだけが民衆が確実に『騙されない』ようにしてくれる。農民たち(サパティスタ軍)について語る中で、リカルドの弟であるエンリケは次のように述べている。農民たちは『多かれ少なかれアナキズムに傾倒して』おり、どちらも『直接行動論者』であるが故に、アナキストと農民たちは協力できる。『彼らは完全に革命的に行動している。金持ち・聖職者の政略・権威者を追求し』、『あらゆる公的記録だけでなく私有財産証書をも灰になるまで焼き尽くし』、同時に『私有財産を特徴付けている柵を打ち倒し』ている。つまり、アナキストは『自分たちの原理原則を宣伝し』、サパティスタは『それらを実践している』のである。[David Poole, Land and Liberty, p. 17 and p. 25 で引用] リカルドは米国の刑務所で政治犯として死んだが、皮肉なことに、メヒコ国家からは革命の英雄と見なされている。
 イタリアには、強力でダイナミックなアナキズム運動があり、最も優れたアナキスト著述家を排出している。エンリコ=マラテスタは50年間世界中のアナキズムのために闘い、アナキズム理論の中でも最良の著作を書いている。実践的で刺激的な彼の思想に関心がある人には、簡潔に書かれたパンフレット「アナーキー Anarchy」)が必読である。彼の様々な論文は、「アナキズム革命 The Anarchist Revolution」「エンリコ=マラテスタ:人生と思想 Errico Malatesta: His Life and Ideas」に収録されており、どちらもヴァーノン=リチャーズが編集している。彼の対話劇「農民に伍して Fra Contadini: A Dialogue on Anarchy」は多くの言語に翻訳され、1920年にはイタリアで10万部が出版された。この年、マラテスタは人生の全てを掛けて闘い求めた革命が現実になりそうになっていた。当時、マラテスタは「Umanita Nova」(イタリアで初めての日刊アナキスト新聞で、発刊後すぐに発行部数が5万部になった)を編集しており、2万人程の全国アナキスト組織「Unione Anarchica Italiana」のためのプログラムを書いていた。工場占拠中に行った活動のために、彼は80名のアナキスト活動家と共に67才で逮捕された。他にも重要なイタリア人アナキストには次のような人々がいる。ルイジ=ファブリはマラテスタの友人であるが、その著作は、残念なことに「アナキズムに対するブルジョア階級の影響 Bourgeois Influences on Anarchism」「アナーキーと『科学的』共産主義 Anarchy and 'Scientific' Communism」を除き、英語には殆ど翻訳されていない。ルイジ=ガレアーニは非常に強力な反組織の無政府共産主義を作り出し、「アナキズムの終焉? The End of Anarchism?」の中で次のように宣言していた。『共産主義は、個人が自己を規制し、自分の機能を果たす機会を持つための経済的基盤に過ぎない。』カミーロ=ベルネリは、スペイン革命中に共産党に殺される前、イタリアのアナキズムと結びついている批判的で実践的なアナキズムの素晴らしい伝統を継承していた。クロポトキンの連合主義思想に関する彼の研究(「ピョートル=クロポトキン:その連合主義思想 Peter Kropotkin: His Federalist Ideas」)は有名である。彼の娘、マリー−ルイズ=ベルネリは、若くして悲惨な死を迎えたが、それまで英国のアナキズム雑誌に寄稿し続けていた(著書「東でもなく、西でもなく:著作集1939年〜1948年 Neither East Nor West: Selected Writings 1939-48」「ユートピアの遍歴 Journey Through Utopia」を参照)。
日本では、二つの世界大戦の間に、八太舟三がクロポトキンの無政府共産主義を新しい方向に発展させていた。「純正無政府主義」と呼ばれるアナキズムを彼は創造した。これは、八太とその同志が積極的に携わっていた農民主体の国に対する具体的代案であった。サンジカリズムの特定側面を拒絶しながら、彼らは労働者を組合に組織すると同時に、農民と共に活動した。なぜなら『我々が切望している新社会を築く礎石は、人口の大多数を占めている小作農の覚醒以外の何者でもない』からである。彼らの新社会は工業と農業を結合させた分権型コミューンに基づいていた。八太の同志の一人が述べているように『村落は単なる共産農村であることを止め、農業と工業が融合した協同社会となるだろう。』八太は、理想的な過去に戻ろうとする、という考えを拒絶し、次のように述べていた。アナキストは『中世賛美者に完全に反対する。我々は、生産手段としての機械の使用を求める。実際、もっと精巧な機械の発明を期待しているのである。』[John Crump, Hatta Shuzo and Pure Anarchism in Interwar Japan, p. 122-3, and p. 144 で引用]
 個人主義アナキズムの分野では、その「教皇」は疑いなくベンジャミン=タッカーであろう。タッカーは著書「書物の代わりに Instead of Book」の中で、自由の敵と考えられるもの全てを、知性とウィットを使って攻撃している(ほとんどが資本主義者だが、若干の社会的アナキストも同様に!例えば、タッカーはクロポトキンなどの無政府共産主義者をアナキズムから破門したが、クロポトキンは返事をしなかった)。タッカーはジョシュア=ワレン・ライサンダー=スプーナー・スティーヴン=パール=アンドリュース・ウィリアム=B=グリーンといった著名な思想家を踏まえ、プルードンの相互主義を資本主義以前の米国が持っていた諸条件に合わせたのである(詳しくはルドルフ=ロッカー著「米国の自由の先駆者たち Pioneers of American Freedom」を参照)。国家の介入によって資本主義を構築しようという国家の意志から労働者・職人・小規模農家を守るために、タッカーは、資本家の搾取は完全に自由な非資本主義市場を創り出すことで廃絶される、と主張していた。国家は資本主義を創り出すために四つの独占を使うわけだが、タッカーは、相互銀行、そして、土地と資源の権利の『占有と使用』という方法でそれらの独占を行き詰まらせることが出来ると述べていた。社会主義の陣営に断固として身を置きながら、彼は(プルードン同様に)あらゆる不労所得は窃盗であると認識し、利潤・家賃や地代・利子に反対していた。彼はプルードンの「所有とは何か What is Property」「経済的諸矛盾のシステム System of Economical Contradictions」だけでなく、バクーニンの「神と国家 God and the State」を英訳した。タッカーの同胞ジョセフ=ラバディは活動的な労働組合主義者であると同時に、タッカーの新聞「自由 Liberty」への寄稿者でもあった。彼の息子ローレンス=ラバディは、タッカーが死んだ後、個人主義アナキズムの灯火を受け継いだ。彼は『人生のどの段階でも、自由は、人間を幸福な状態にするための最高の手段である』と信じていた。
 ロシアのレフ=トルストイは、宗教的アナキズムを唱えた最も有名な作家であり、宗教的アナキズムが持つ精神的・平和的な思想を広める上で最も大きな影響力を持ち続けている。ガンジーのような著名な人々やドロシー=デイ周辺の「カトリック労働者グループ」に影響を与えながら、トルストイは、キリスト信仰のラディカルな解釈を提示した。主流キリスト教の多くが持つ愚かな権威主義とヒエラルキーではなく、個人の責任と自由を強調したのである。トルストイの活動は、急進的なリバータリアン=クリスチャンのウィリアム・ブレイク同様、多くのクリスチャンの目を、教会の主流からは見えてこないイエスのメッセージが持つリバータリアン的ヴィジョンに向けさせた。その結果、キリスト教アナキズムは、トルストイに従って『真の意味でのキリスト信仰は政府を廃絶する』と主張しているのである。(例えば、トルストイ著「神の王国は汝の中に The Kingdom of God is within you」やピーター=マーシャル著「ウィリアム=ブレイク:夢想的アナキスト William Blake: Visionary Anarchist」を参照)
 最近では、ノーム=チョムスキー(「民主主義の阻止 Deterring Democracy」「必要な幻想 Necessary Illusions」「新旧世界秩序 World Orders, Old and New」「ならず者国家群 Rogue States」「覇権か生存か Hegemony or Survival」など)やマレイ=ブクチン(「欲望充足のアナキズム Post-Scarcity Anarchism」「自由の生態学 The Ecology of Freedom」「生態調和社会に向けて Towards an Ecological Society」「社会の再構築 Remaking Society」他)が、政治理論・政治分析の前面で社会的アナキズム運動を行い続けている。ブクチンの活動は、グリーン思想の中心にアナキズムを置き、生態調和社会を創り出す運動を神秘化しようとしたり、潰そうとしたりしている人々の強敵になっている。「マレイ=ブクチン読本 The Murray Bookchin Reader」は彼の代表的著作の選集である。チョムスキーの最も有名な著作は、米国の帝国主義とメディアの機能を充分な証拠に基づいて批判したものだが、同時に、彼はアナキズムの伝統とアナキズム思想についても頻繁に書いている。最も有名な論文は「国家の事由 For Reasons of State」に収録されている「アナキズムに関する註釈 Notes on Anarchism」であり、ブルジョア歴史家に対してアナキストの社会革命を擁護した論文は「米国権力と新しい上級官吏たち American Power and the New Mandarins」に収録されている「客観性とリベラルな学問 Objectivity and Liberal Scholarship」である。彼のもっとハッキリとアナキズムを打ち出したエッセイは、「急進主義の優先事項 Radical Priorities」「言語と政治 Language and Politics」で読むことが出来る。チョムスキーの思想に関する優れた入門書は、「権力を理解する Understanding Power」「チョムスキー読本 The Chomsky Reader」である。
 英国にも多くの重要なアナキズム思想家がいる。ハーバート=リード(多分、爵位を受け入れた唯一のアナキストであろう!)は、アナキズム哲学と理論に関して幾つかの著作を書いている(エッセイ集「アナーキーと秩序 Anarchy and Order」を参照)。彼のアナキズムは自分の美学的関心から直接現れており、彼自身は献身的な平和主義者であった。彼は、アナキズムの様々な伝統的テーマに新鮮な洞察と表現を与えるだけでなく、アナキズム系の雑誌に定期的に寄稿していた(記事の選集については「フリーダム=プレスからの著作集:独りだけのマニフェストなど A One-Man Manifesto and other writings from Freedom Press」を参照)。もう一人の平和主義アナキストはアレックス=コンフォートである。「セックスの喜悦 Joy of Sex」を著しただけでなく、コンフォートは活動的な平和主義者でありアナキストであった。彼はリバータリアンの観点から特に平和主義・精神医学・性の政治学について書いていた。彼によるアナキズムに関する最も有名な著作は「権威と非行 Authority and Delinquency」であり、アナキズムに関するパンフレットと記事の選集は「権力と死に対抗する著作集 Writings against Power and Death」というタイトルで出版されている。
 しかし、最も有名で影響力のある英国人アナキストは、コリン=ウォードである。彼がアナキストになったのは、第二次世界大戦中にグラスゴーに駐在し、地元のアナキストグループと出会ったときだった。アナキストになってから、彼は、幅広くアナキズム系雑誌や新聞に寄稿し続けている。彼は、「フリーダム Freedom」紙の編集者であると同時に、1960年代に影響力を持っていた月刊誌「アナーキー Anarchy」も編集していた(ウォードが選んだ記事の選集は「アナーキーの十年間 A Decade of Anarchy」という本で読むことが出来る)。しかし、彼の最も有名な著作は何といっても「アナーキーの実践 Anarchy in Action」である。その中で、資本主義の中でさえも日常生活にアナキズム的性質があることを明らかにし、立証することで、クロポトキンの「相互扶助論 Mutual Aid」を現代的にしたのだった。住宅問題に関する包括的な著作では、私有化と国有化という二つの害悪に対し、集団的自助と住居の社会的管理の重要性を強調している(例えば、「住宅について語る Talking Houses」「住宅:アナキストのアプローチ Housing: An Anarchist Approach」を参照)。彼は様々な問題に対してアナキズムの視点を投げかけている。水利用(「水に映し出されて:社会責任の危機 Reflected in Water: A Crisis of Social Responsibility」)・輸送(「移動の自由:自動車時代の後に Freedom to go: after the motor age」)・福祉国家(「社会政策論:アナキストの反応 Social Policy: an anarchist response」などがそうである。彼の著書「アナキズム入門 Anarchism: A Very Short Introduction」はアナキズムとアナキズムに対するウォードの観点について知る良い出発点である。「アナーキーを語る Talking Anarchy」は彼の思想と人生の優れた概論書である。最後に、アルバート=メルツァーとニコラス=ウォルターにも触れねばならない。二人ともアナキズム系雑誌に頻繁に寄稿し、二人とも良く知られた簡潔なアナキズム入門書(それぞれ「アナキズム:賛同論と反対論 Anarchism: Arguments for and against」「アナキズムについて About Anarchism)」を書いている。
 更に続けることもできる。更に多くの著作者について述べることもできる。だが、こうした著述家以外にも、何千という「普通の」アナキスト闘士がいた。本など一冊も書かずとも、その常識と活動主義が社会の中で叛逆の魂を勇気づけ、旧世界の殻の中で新世界を構築する手助けをしていたのだ。クロポトキンは言っている。『アナキズムは民衆の中で生まれた。アナキズムは、民衆のものである限りは、生き生きとし続け、創造的力であり続ける。』[Anarchism, p. 146]
アナキズム思想家について集中して論じたからといって、アナキズム運動の中に活動家と知識人との何らかの分断があるなどと受け取らないでほしい。全く違う。純粋な思想家だとか純粋な活動家といったアナキストは殆どいない。例えば、クロポトキンはその活動のために投獄された。マラテスタもゴールドマンもそうだ。マフノはロシア革命に積極的に参加したことでよく知られているが、革命中と革命後にアナキズム新聞や雑誌に理論的論文を寄稿していた。同じことがルイズ=ミシェルにも言える。パリコミューン中とその後のフランスアナキズム運動の構築において彼女は戦闘的に活動していたが、だからと言ってリバータリアン新聞や雑誌に論文を書かなかったわけではない。我々は、単に、関心ある人が直接その人たちの思想を読むことが出来るように、重要なアナキスト思想家を示しているだけのことなのである。

A.4.1 アナキズムに近い思想家はいるのか?

 いる。アナキズムに近い思想家は数多くいる。自由主義の伝統から来ている者もいれば、社会主義の伝統からの者もいる。これは驚くべきことのように思われるかも知れないが、そうではない。アナキズムはどちらのイデオロギーとも関連している。明らかに、個人主義アナキストは自由主義の伝統に近く、社会的アナキストは社会主義に近いのである。
 実際、ニコラス=ウォルターは次のように述べている。『アナキズムは、自由主義が発展したものか、社会主義が発展したものか、もしくはその双方の発展だと見なすことが出来る。自由主義者同様に、アナキストは自由を欲する。社会主義者同様に、アナキストは平等を欲するのである。』しかし『アナキズムは自由主義と社会主義の単なる混ぜ合わせではない。(中略)根本的に異なっているのである。』[About Anarchism, p. 29 and p. 31] 彼は、ロッカーが「アナルコサンジカリズム Anarcho-Syndicalism」において述べていたことに同意しているのである。アナキズムと他の理論との繋がりを見るときに、このことは有用となるだろうが、アナキズムは自由主義と社会主義双方に対してアナキズム側からの批判を行っていることは強調しなければならない。アナキズムのユニークさを他の哲学で覆い隠してはならないのである。
 
セクションA.4.2においては、アナキズムに近い自由主義思想家が論じられ、セクションA.4.3ではアナキズムに近い社会主義者に焦点が当たる。リバータリアン思想を自分達の政治運動に注入しているマルクス主義者さえもがおり、こうした人々についてはセクションA.4.4で論じる。もちろん、それほど簡単に分類できない思想家もおり、このセクションではそうした人々について論じる。
 経済学者のデヴィッド=エラーマンは、仕事場民主主義について一連の優れた著作を書いている。彼の思想は初期の英国リカルド派社会主義とプルードンにハッキリと結びついており、例えば、「民主的労働者所有企業 The Democratic Worker-Owned Firm」「経済における財産と契約 Property and Contract in Economics」において、彼は資本主義に反対し、権利を根拠とし、かつ、労働−財産を根拠として自主管理を擁護している。彼は次のように論じている。『今日の経済的民主主義者は、仕事場における民主的自主管理に賛同し、民衆を賃貸ししている全制度を廃絶しようとする新しい奴隷廃止論者である。』彼の『批判は新しいものではない。不可侵の権利という啓蒙の原則で展開されていた。自己奴隷化への自発的契約に反対する奴隷廃絶論者によって、そして、非民主的政府を擁護した自発的矮小化に反対する政治的民主主義者によって採用されていたのである。』[The Democratic Worker-Owned Firm, p. 210] アナキストだけでなく、賃金奴隷に対する代案として生産者協同組合に関心を持っているあらゆる人は、彼の著作を非常に興味深いものだと思うことであろう。
 エラーマンだけが協働の利点を強調している人物ではない。協働の利点に関するアルフィー=コーンの重要な著作はクロポトキンによる相互扶助の研究に基づいており、従って、社会的アナキストにとって関心あるものである。「競争社会を越えて No Contest: the case against competition」「報酬による罰 Punished by Rewards」において、コーンは(広範囲にわたる経験的証拠を使って)競争しなければならない人々に対する競争の欠点と競争が持つ負の効果を論じている。彼は著作の中で経済的・社会的諸問題を扱い、競争は言われている程良いものではないということを示している。
 フェミニスト理論の中で、キャロール=ペイトマンは、明らかに最もリバータリアンに影響された思想家である。エラーマンとは無関係に、ペイトマンは仕事場においても全体としての社会においても、自主管理型提携(association)を強く主張している。ルソーの主張に関するリバータリアン分析に基づいて、彼女は契約論の画期的な分析を行っている。あるテーマをペイトマンの著作に起因するものだと見なさねばならないとすれば、それは自由と、自由であるということが何を意味しているのか、ということであると言えよう。彼女にとって、自由は自己決定としてのみ、従って、服従の欠如としてのみ見なすことができる。それ故、彼女は、最初の大著「参加と民主主義理論 Participation and Democratic Theory」以降、参加型民主主義を擁護しているのである。参加型民主主義の先駆的研究であるこの本において、彼女は、自由民主主義理論の限界をつまびらかにし、ルソー・ミル・コールの著作を分析し、関与する個人が実際に参加することの利益について経験的証拠を提示していた。
 「政治的責務の問題 Problem of Political Obligation」において、ペイトマンは、自由に関する「自由主義」の主張を論じ、そこに何が欠如しているのかを見いだしている。自由主義者にとって、個人は他者に支配されることに同意しなければならない。しかし、このことは、個人が同意しないかも知れず、実際、一度たりとも同意しない可能性があるという「問題」をもたらしている。そうなれば、自由主義国家は正当性を欠く。彼女は分析を深め、支配されることに同意することと自由とが同じにならねばならない理由を疑問視し、参加型民主主義理論を提起した。この理論では、民衆が集団的に自分達自身で決定する(これは、国家ではなく自分の仲間の市民に対する専断的義務である)ことになる。クロポトキンを論じる中で、彼女は、自身の理論がハッキリと関連している社会的アナキズムの伝統を意識していることを示したのだった。
 ペイトマンはこの分析を踏まえて「性の契約 The Sexual Contract」を書き、古典的自由民主主義理論が持つ性差別主義を解剖した。「契約主義的」理論と呼ばれるもの(古典的自由主義と右翼「リバタリアニズム」)の脆弱さを分析し、それがどのようにして、自治的個人の自由提携ではなく、少数者が多数を支配する上で権威・ヒエラルキー・権力に基づいた社会的関係を導くのかを示している。国家・結婚・賃金労働に関する彼女の分析は、全くリバータリアンであり、自由は支配に同意する以上のことを意味していなければならない、と示しているのである。これが、資本主義リベラルのパラドックスなのだ。人は契約に同意するために自由であると仮定されるが、一旦契約が成り立つと、他者の意志決定に服従するという現実に直面するのである(詳しい議論についてはセクションA.4.2を参照)。
 彼女の考えは、個人の自由に関する西洋文化の中核的信念の幾つかに挑戦しており、主要な啓蒙主義政治哲学者に対する彼女の批判は強力で納得できるものである。そこには、保守的・自由主義的伝統の批判だけでなく、左翼にも同様に内在している家父長制・ヒエラルキーの批判も含まれている。こうした著作以外にも、「女性の混乱 The Disorder of Women」という題のエッセイ集も出版されている。
 いわゆる「反グローバリゼーション」運動の中では、ナオミ=クラインがリバータリアン思想を意識している(ここで「いわゆる」と述べているのは、反グローバリゼーション運動のメンバーがインターナショナリストであり、少数者によって少数者のために上から押しつけられたグローバリゼーションではなく、下からのグローバリゼーションを求めているからである)。彼女の著作はグローバリゼーションに対するリバータリアンからの攻撃である。彼女が初めて注目されたのは「ブランドなんていらない No Logo」の著者としてであった。この本は、消費者資本主義の成長を図示し、資本主義の高級感溢れるブランドの背後に卑劣な現実があることを暴き出し、さらに重要なことだが、それに対する抵抗をも強調している。彼女は、現場を知らない学者などではなく、運動の積極的参加者である。彼女が参加している運動については、グローバリゼーション・その帰結・反グローバリゼーション抗議行動の波についてのエッセイ集「フェンスとウィンドウ Fences and Windows」の中で報告されている。
 クラインの文章は良く書けており、魅力がある。彼女が述べているように、近代資本主義の現実、『金持ちと権力だけでなく、レトリックと現実・言われていることと行われていることとの』ギャップ、『グローバリゼーションが持つ約束とその本当の帰結とのギャップ』を取り上げている。彼女は示している。我々が生きている世界で、どれほど、市場(つまり資本)がより「自由」になり、増大する国家権力と抑圧に人々が苦しめられているのか。選挙で選ばれてもいないアルゼンチン大統領が、どのようにして国の民衆集会を『反民主主義だ』などとレッテル貼り出来るのか。自由に関するレトリックが、私的権力を擁護し増大させる道具としてどれほど利用されているのか(彼女は我々に思い出させてくれている。『(グローバリゼーション)論議で常に欠落しているのは、権力の問題である。グローバリゼーション理論に関して行われている議論のほとんどは、実際には、権力の問題である。誰がそれを手にしているのか、誰がそれを行使しているのか、誰がそれを誤魔化しているのか、誰がそれをもはや問題ではないと偽っているのだろうか。』)。[Fences and Windows, pp 83-4 and p. 83]
 そして、どのように世界中の人々が抵抗しているのか。彼女は次のように述べる。『(運動にいる)多くの人々は代弁されたり、語られたりすることにウンザリしている。人々はもっと直接的に政治に参加したいと思っているのだ。』彼女は自分が参加している運動について報告している。これは下からのグローバリゼーションを目指した運動であり、『透明性・説明責任・自己決定の原理に基づいて創設された運動、資本を自由にするのではなく、民衆を自由にする運動』である。つまり『権力と富とをさらに少数の人々の手に集中させる(中略)企業主導のグローバリゼーション』に反対し、『権力を分散し、地域型意志決定の潜在的可能性−−それが労組を通じてであれ、町内を通じてであれ、農場を通じてであれ、村落を通じてであれ、アナキストのコレクティブを通じてであれ、原住民族の自治を通じてであれ−−を形成する』代案を提起しているのである。これら全ては強力なアナキスト原理である。アナキスト同様に、彼女も、人々が自分のことは自分で管理して欲しいと思っており、世界中でそれが行われていることを記録している(クラインによれば、それを行っている人々の多くはアナキストだったり、知っているにせよ知らないにせよ、アナキズム思想に影響されているという)。[前掲書, p. 77, p. 79 and p. 16]
 アナキストではないものの、彼女は本当の変革は下から、より良い世界を求めて闘う労働者階級の自主活動によってもたらされることに気づいている。権力の分散がこの本の鍵となる考えである。彼女は次のように述べている。自分が記述した社会運動の『ゴール』は、『自分たちで権力を奪取することではなく、主義として権力の集中化に挑戦することである。』従って『力強い直接民主主義の新しい文化(中略)直接参加によって増幅され、強められる文化を』創造するのである。彼女は運動に新しい指導者を任命するように勧めない。また、(左翼のように)自分達平等者のために意志決定をしてくれる少数の指導者たちを選ぶことを「民主主義」だとは考えていない(『目標は、遠くからのより良い支配と支配者ではなく、地に足を着けた身近な民主主義である』)。クラインは、問題の核心に到達しているのである。真の社会変革は、草の根にある権能、『自己決定・経済的持続性・参加型民主主義への欲求』を基盤とする。これを前提として、クラインはリバータリアン思想を広く聴衆に提示しているのである。[前掲書, p. xxvi, p. xxvi-xxvii, p. 245 and p. 233]
 著名なリバータリアン思想家にはヘンリ=D=ソロー・アルベルト=カミュ・オルダス=ハックスレイ・ルイス=マンフォード・オスカー=ワイルドがいる。つまり、アナキズムとほぼ同じ結論に到達し、リバータリアンにとって関心ある主題を論じている思索者は数多くいるのである。クロポトキンが百年前に記していたように、こうした著作者は『国家と資本主義の束縛から人間を解放するという同じ方向に向けて近代思想で行われている研究の中に、アナキズムがどれほどしっかりと織り込まれているのかを示す考えに溢れている。』[Anarchism, p. 300] それ以来、唯一変わったことといえば、さらに多くの著作者の名前が付け加えられた、ということだけである。
 ピーター=マーシャルは、アナキズム史に関する彼の著作「不可能の要求 Demanding the Impossible」において、我々がこのセクションとその後のセクションで言及している非アナキストのリバータリアンの、全てではないが、大部分の思想を論じている。クリフォード=ハーパーのアナーキー:図説ガイド Anarchy: A Graphic Guideもさらに研究する場合には有用なガイドである。

A.4.2 アナキズムに近い自由主義思想家はいるのか?

前セクションで述べたように、自由主義と社会主義双方の伝統にアナキズムの理論・理想に近い思想家がいる。このことは、アナキズムがこれら双方と特定の考えや理想を共有している以上、理解できるものである。
 しかし、セクションA.4.3A.4.4で明らかになるだろうが、アナキズムは社会主義の伝統の一部であり、この伝統と最も共通性を持っている。この理由は、古典的自由主義が主としてエリート主義の伝統だからである。ロックの著作と彼が鼓舞した伝統は、ヒエラルキー・国家・私有財産を正当化することを目的としていた。キャロール=ペイトマンは次のように述べている。『ロックの自然状態は、父親−支配者と資本主義経済を伴っており、アナキストが好ましく思うものなどでは絶対ない。』社会契約に関する彼のヴィジョンと、それが創り出す自由主義国家のヴィジョンも同様である。ペイトマンが詳しく述べているように、その自由主義国家は『相当量の有形財産を所有している男性だけが政治に関わる社会メンバーで』あり、『明らかに、成長しつつある資本主義市場経済の所有関係を、妨げるのではなく、保持するために』存在する。大多数である無産者にとって、それらは『大人になった時点で出生国に留まることを選ぶこと』によって、少数者による支配に『暗黙に同意』しているのである。[The Problem of Political Obligation, p. 141, p. 71, p. 78 and p. 73]
 従って、アナキズムは、資本主義賛同型自由主義の伝統と呼びうるものとは対立する。この伝統は、ロックから始まった潮流であり、ヒエラルキーに関する彼の理論的根拠に基づいている。デヴィッド=エラーマンは次のように述べている。『同意−−主権者から統治権を疎外する自発的社会契約−−に基づいた非民主的政府をお詫びする、これは全くの自由主義の流儀である。』経済学において、このことは、賃金労働とそれが創り出す資本主義独裁政治の支持に示されている。こうした契約の『近代的な職場限定バージョンが雇用契約なのである。』[The Democratic Worker-Owned Firm, p. 210] この資本主義賛同型自由主義は本質的に煎じ詰めれば、ご主人様を選ぶ自由、もしくは、幸運な少数者であれば、自分自身がご主人様になる自由でしかない。自由はどんなときでも万人が自己決定することを意味している、という考えは、このこととは異質なのである。むしろ、これは、自分自身と自分の権利とを自分が「所有する」という「自己所有」の考えに基づいている。その結果、自分の権利と自由を売る(譲渡する)ことが出来るわけだ。セクションB.4で論じているように、このことは実際には、大部分の人々が、起きている時間の大部分(仕事場であろうと、結婚生活であろうと)で、独裁支配の対象になることを意味しているのである。
 古典的自由主義に対応して、現代にはミルトン=フリードマン・ロバート=ノージック・フォン=ハイエクなどと関連している右翼「リバタリアン」の伝統がある。彼等は、国家を私有財産の単なる擁護者・その社会制度が創り出すヒエラルキーの執行者に還元しようとしている。従って、どのように想像してみても彼等をアナキズムに近い思想家だと見なすことは出来ない。例えば、米国において「自由主義」と呼ばれるものは、民主主義的自由主義の伝統であり、アナキズム同様に、声高に叫んでいる資本主義賛同の最小国家擁護者たちとは殆ど共通性を持っていない。こうした最小国家擁護論者は、個人の自由に対する国家の攻撃を喜んで非難する(こともある)のだろうが、それ以上に、土地や資本を使用している人々に正に同じ制限が課せられることについては、資産家の「自由」を喜んで防衛しようとする。
 封建主義は所有と支配を組み合わせ、土地所有者がその土地で生計を立てている人々を統治していたのだから、右翼「リバタリアン」の伝統を、単に封建主義の(自主的な)近代形態であると述べたところで誇張にはならないだろう。自分自身の土地と農奴に対する権力を保護するために王の権力と戦っていた封建領主程度にリバータリアンなのだ。チョムスキーは次のように述べている。『「リバタリアン」の教義は、特に米国と英国で流行っている。(中略)私からすれば、これは、何らかの不当な権威、非常に多くの場合には全くの専制政治という形態の擁護に帰着するように思える。』[Marxism, Anarchism, and Alternative Futures, p. 777] それ以上に、ベンジャミン=タッカーが彼らの先人について述べているように、彼らは、多くの人々に利益をもたらしたり、自分達の権力を制限したりする国家規制を大喜びで攻撃している一方で、少数者に利益をもたらす法律(と規制と「権利」)については沈黙を守っているのである。
 だが、自由主義の伝統はもう一つある。これは、本質的に資本主義以前のものであり、アナキズムの熱望と多くの点で共通している。チョムスキーは次のように述べている。

 アナキズムの思想は啓蒙主義から生じている。そのルーツはルソーの「不平等に関する対話 Discourse on Inequality」、フンボルトの「国家行動の限界 The Limits of State Action」、フランス革命を擁護した際のカントの主張にある。カントは、自由は、自由の成熟を獲得するための前提条件であって、自由の成熟が達成された時に与えられる贈り物ではない、と主張していた。予期されなかった新しい不公正システムである産業資本主義が発展するにつれ、啓蒙主義の急進的人道主義のメッセージ・古典的自由主義の理想を保持し拡充したのはリバータリアン社会主義であった。古典的自由主義の理想は出現しつつある社会秩序を維持するイデオロギーに歪められた。実際、古典的自由主義を社会生活に対する国家の介入に反対させた正に同じ前提のために、資本主義の社会的諸関係は許されないのだ。例えば、このことは、(ヴィルヘルム=フォン=)フンボルトの古典的著作「国家行動の限界 The Limits of State Action」から明らかである。この著作は、(ジョン=スチュアート=)ミルに先行し、彼を鼓舞したのであろう。この自由主義思想の古典は1792年に完成し、時期尚早ではあったが、その本質は完全に反資本主義である。その思想は、産業資本主義イデオロギーに変形され、見る影もなく希釈されてしまったに違いない。["Notes on Anarchism", For Reasons of State, p. 156]

チョムスキーは「言語と自由 Language and Freedom」というエッセイ(「国家の事由 For Reasons of State」「チョムスキー読本 The Chomsky Reader」に収録されている)でさらに詳しくこのことを論じている。フンボルトとミル同様、こうした「前資本主義」自由主義者にはトーマス=ペインのような急進主義者も含まれる。ペインは、職人と小規模農家(つまり、前資本主義経済)に基づき、大雑把な社会的平等、そしてもちろん、最小限の政府を持つ社会を心に描いている。彼の思想は、世界中の労働者階級急進主義者を刺激した。E=P=トンプソンが思い出させてくれるように、ペインの「人間の権利 Rights of Man」は、『イングランド(とスコットランド)の労働者階級運動にとって基本的テキスト』だった。政府に関する彼の思想は『アナキズム理論に近い』一方で、彼の改良計画は『20世紀の社会立法に向かう基点となった。』[The Making of the English Working Class, p. 99, p. 101 and p. 102] 自由への関心と社会公正への関心の組み合わせが、彼をアナキズムに近くしているのである。
 そして次にアダム=スミスである。右翼(特に「リバタリアン」右翼分子)は、彼を古典的自由主義者だと主張しているが、彼の思想はそれよりも複雑である。例えば、ノーム=チョムスキーは、スミスは自由市場を擁護していたと指摘している。なぜなら『それが、単なる機会の平等ではなく、完全な平等、条件の平等を導く』からである [Class Warfare, p. 124]。スミス自身は次のように述べている。『物事を自然の方向性に従うままにさせている社会、完全な自由が存在する社会』が意味しているのは、『利益がすぐさま他者の雇用レベルに跳ね返ってくる』ということである。従って『多様な労働者雇用と株式運用は、完全に平等になるか、継続的に平等になる傾向を持ち続けるかするはずである。』また、彼は労働者階級に対する国家の介入や国家の支援に敵対してもいなかった。例えば、彼は労働分業が持つ負の効果に対抗するために公教育を擁護していた。だがそれ以上に、彼は国家の介入に反対していたのだった。なぜなら、『立法府が主人とその労働者との違いを規制しようとする』時には常に、『立法府が相談するのは、いつも主人なのである。法律が労働者の味方をしているときには、それは常に正しく公平である。しかし、主人の味方をしているときにはそうではない。』彼は『法律』が、主人の団結を無視する一方で、どれほど労働者の団結を『非常に激しく』『罰し』ているのかを記している(『公平に扱うのなら、主人も同じように扱われるであろう』[The Wealth of Nations, p. 88 and p. 129])。つまり、スミスは、一般的には、国家の介入に反対していたのである。なぜなら、国家は少数者のために少数者によって運営されているからであり、このことが国家の介入を、多数ではなく少数を利するものにしているからである。スミスが生きていて株式会社資本主義の発展を目の当たりにしたとき、自分の思想を変化させずに自由放任主義のままにしていたかどうかは疑わしい。スミスは古典的自由主義の伝統にいると主張している人々が都合良く無視しているのは、彼の著作が持つこのクリティカルエッジなのだ。
 チョムスキーによれば、スミスは『啓蒙主義にルーツを持つ前資本主義・反資本主義の人』だった。チョムスキーは次のように論じている。『古典的自由主義者・(トーマス=)ジェファーソン信奉者・スミス信奉者たちは、自分達の周りに見られる権力の集中化に反対していた。彼らは、その後に発展した別形態の権力集中化を理解していなかったが、それを目の当たりにすれば嫌がったことであろう。ジェファーソンは良い例である。彼は、目の前で発展している権力の集中化に強く反対し、金融機関と工業会社(これらは彼の時代には成立しなかった)が革命の達成を破壊するだろう、と警告したのだった。』[Op. Cit., p. 125]
 マレイ=ブクチンが述べているように『初期の米国史において独立農民−地主の政治的要求と利益とに最も明確に共鳴していたのは』ジェファーソンであった [The Third Revolution, vol. 1, pp. 188-9]。言い換えれば、前資本主義経済形態に共鳴していたのである。また、ジェファーソンは『貴族』と『民主主義者』とを対比させている。前者は『民衆を恐れ、民衆に不信感をもっており、あらゆる権力を民衆から引き出して上層階級の手に渡す人々である。』民主主義者は『民衆と一体になり、民衆を信頼し、民衆を』、常に『最も賢明』ではないにせよ、『正直で安全で公益の受託者だと見なしている。』[Chomsky, Powers and Prospects, p. 88 で引用] チョムスキーが記しているように『貴族』は『勃興する資本主義国家の擁護者であり、ジェファーソンは、民主主義と資本主義との明らかな矛盾を認識しながら、失望を持って資本主義国家を見なしていたのだった。』[前掲書, p. 88]
 ジェファーソンは、次のように論じさえもしていた。『時折なされるちょっとした反乱は良いことである。それは、健全で健康な政府に必要な薬である。自由の木は、時間と共に、愛国者と圧制者の血でリフレッシュされねばならない。』[Howard Zinn, A People's History of the United States, p. 94 で引用] しかし、彼のリバータリアンとしての資格は、彼が合州国大統領であり、奴隷所有者だったというこの二つのことで傷つけられているが、米国国家の他の「建国の父」と比べれば、彼の自由主義は民主主義的形態のものである。チョムスキーは次のように我々に思い出させてくれている。『あらゆる建国の父は民主主義を憎んでいた。トーマス=ジェファーソンは一部の例外であった。ただし、ほんの一部のである。』古典的自由主義国家としての米国国家は、(ジェイムズ=マディソンを引用すれば)『大多数から華麗なる少数を守るために』作られている。もしくは、ジョン=ジェイの原理を繰り返せば『国を所有している人々が国を統治せねばならない』というわけだった[Understanding Power, p. 315] 。米国が寡頭政治でなく(形式的に)民主主義であるとするなら、それは古典的自由主義だからなのではなく、古典的自由主義にも関わらず、なのである。
 そして、ジョン=スチュワート=ミルである。彼は、古典的自由主義が持つ根本的矛盾を認識していた。個人の自由を宣言しているイデオロギーが、どのようにすれば、実際にその自由を組織的に無効にしている諸制度を支持できるのだろうか?この理由で、ミルは、結婚は『一方的な権力や他者への服従無しに、共に愛し合いながら暮らす、平等な共感を伴った』平等者間の自発的結合でなければならない、と主張して家長的結婚を攻撃した。あらゆる結合の中には『絶対的な主人』が存在するはずだという考えを拒否しながら、彼は次のように指摘していた。『ビジネスにおける協力関係』において『あらゆる協力関係で、一方がその関係全てを完全に制御し、他方は一方が創り出したルールに従わねばならない、ということが成立しているわけでもなければ、それが必要だと思われてもいないのだ。』["The Subjection of Women," quoted by Susan L. Brown, The Politics of Individualism, pp. 45-6]
 さらに、彼が示している例は、自由主義者が資本主義を支持する上での欠陥を示している。なぜなら、従業員は、一方が権力を持ち、他方は従うだけという関係に支配されているからだ。従って、ミルが次のように示しているのは驚くべきことではない。『この結合形態は人間が継続して改善し続け、最終的に優位を占めるものだと考えねばならない。この結合が、支配者としての資本家と、経営に対して何の発言権も持っていない労働者との間に存在することはできない。平等・資本の集団所有・自分達自身で選び解任できる経営者の下での労働という点で、労働者自身の結合なのである。』[The Principles of Political Economy, p. 147] 労働時間の独裁的管理は『自分自身、自分自身の肉体と精神に対して、その個人は主権者なのだ』というミルの格言と両立しない。中央集権政府と賃金労働に対するミルの反対は、大部分の自由主義者よりも彼の思想をアナキズムに近いものにしていた。彼は次のようにコメントしていた。『未来の社会原理』とは、『個々人の行動の自由を最大限にすることと、地球上の原材料を共有すること・協働の恩恵に万人が平等に関与することとを結びつける方法』なのである[Peter Marshall, Demanding the Impossible, p. 164 で引用]。個性を擁護した著作、「自由論 On Liberty」は、誤りがあるとはいえ、古典的著作であり、社会主義的諸傾向に対する彼の分析(「社会主義に関する章 Chapters on Socialism」)は、(民主主義的)自由主義の観点からそれぞれの賛否両論を評価する上で読む価値があるものである。
 プルードン同様、ミルは近代市場社会主義の先駆者であり、地方分権と社会参加の断固たる支持者だった。チョムスキーによれば、このことは資本主義以前の古典的自由主義思想にとっては驚くべきことではない。『それは、社会生活に対する国家介入に反対しており、それは、自由・多様性・自由提携を求めた人間の欲求に関するより深い諸前提を持っていた結果である。同じ諸前提の故に、生産・賃労働・競争・「所有個人主義」イデオロギーという資本主義の諸関係は、全て、根本的に反人間だと見なされねばならないのだ。リバータリアン社会主義は、啓蒙主義が持つ自由主義的理想の相続人だと見なすのが適切なのである。』["Notes on Anarchism", Op. Cit., p. 157]
 つまり、アナキズムは前資本主義的・民主主義的自由主義と共通点を持っているのである。こうした自由主義者の希望は、資本主義の発展と共に打ち砕かれた。ルドルフ=ロッカーの分析を引用しよう。

 自由主義と民主主義は卓越した政治概念だった。しかし、どちらも元々の支持者達の大多数が古い意味での所有権を維持しようとしていたため、経済発展が、民主主義の元々の諸原理を−−ましてや自由主義の元々の諸原理を−−実際には満足させ得ないような方向を取ると、どちらも放棄されねばならなかったのである。民主主義のモットーは「法の下での万人の平等」であり、自由主義のモットーは「我が道を行く権利」(right of man over his own person)である。どちらも、資本主義経済の諸現実の上で難破してしまった。万国にいる何百万もの人々が少数の所有者に対して自分の労働力を売り飛ばさねばならず、買い手を見つけることができなければ最も惨めな貧窮状態に陥らねばならない以上、いわゆる「法の下での平等」など偽善的誤魔化しに過ぎない。法は社会的富を持っている人々が決めるからだ。だが、全く同じ理由で、ひもじい思いをしたくなければ他者の経済的独裁に従わねばならない時に、「我が道を行く権利」など語ることなどできはしないのだ。[Anarcho-Syndicalism, p. 10]

A.4.3 アナキズムに近い社会主義思想家はいるのか?

 アナキズムは資本主義の発達を受けて発展したため、アナキズムではない社会主義の伝統にアナキズムの共鳴者が数多くいる。
 ロバート=オーエンの後に続く最初の英国社会主義者(いわゆるリカルド派社会主義者)は、アナキストと似通った思想を持っていた。例えば、トーマス=ホジスキンは、プルードンの相互主義に似た思想を詳説し、ウィリアム=トンプソンは、『相互協同組合からなるコミュニティ群』に基づいた非国家型共同体的社会主義を発展させた。これは無政府共産主義に似ていた(トンプソンは相互主義者だったが、非資本主義市場さえもが持つ諸問題を考慮して、その後共産主義者になった)。ジョン=フランシス=ブレイも、急進的農地改革運動家のトーマス=スペンス同様の関心を持っていた。土地を基本とした共同体型社会主義を発展させ、一般にアナキズムと関連づけられている多くの考えを詳説していたのだった(ブライアン=モリス著、「生態学とアナキズム Ecology and Anarchism」収録の「トーマス=スペンスの農民社会主義 The Agrarian Socialism of Thomas Spence」を参照)。それ以上に、初期の英国労働組合運動は、バクーニンと第一インターナショナルリバータリアン派の40年も前に『段階的に、サンジカリズム理論を発展させていた。』[E.P. Thompson, The Making of the English Working Class, p. 912] ノエル=トンプソン著、「人間の本当の権利 The Real Rights of Man」は、こうした思想家と運動全てを上手く要約しており、E=P=トンプソン著、「イングランド労働者階級の形成 The Making of the English Working Class」は、当時の労働者階級生活(と政治)に関する古典的社会史である。
 リバータリアン思想は1840年代の英国で死滅しなかった。1910年代と1920年代にはギルド社会主義者という疑似サンジカリストもいた。彼等は、労働者による産業管理と共に地方分権型共同体システムを擁護していた。G=D=H=コールの「ギルド社会主義再論 Guild Socialism Restated」は、S=G=ホブソンとA=R=オレージといった著者たちを含むこの学派の中で、最も有名な著作である(ジェフリー=オスターガード著、「労働者管理の伝統 The Tradition of Workers' Control」は、ギルド社会主義の思想を上手くまとめている)。バートランド=ラッセルもギルド社会主義の支持者であり、アナキズム思想に引きつけられ、アナキズム・サンジカリズム・マルクス主義に関する非常に情報の豊富な思慮深い論議を「自由への道 Roads to Freedom」という古典的著作の中で行っている。
 ラッセルは近い将来にアナキズムが生じる可能性については悲観的であったが、彼はアナキズムを『社会が近づくべき究極の理想』だと感じていた。ギルド社会主義者として、彼は、『仕事を行っている人が同時にその経営を管理するまで、いかなる本物の自由や民主主義も』あり得ない、と見なしていた。良い社会に関する彼のヴィジョンはあらゆるアナキストが支持するものである。つまり、『創造的精神が生き生きとし、生活が楽しみと希望で満ちた冒険となり、自分達が所有しているものを保持し他者が所有しているものを奪取する願望ではなく、建設の衝動に基づいている世界である。愛情が無制限の活動を有し、愛が支配の本能を追放し、生を築き、精神的喜びで生を満たすあらゆる本能の自由な発達と幸福によって、残酷さと嫉妬が払拭される世界でなければならない。』[quoted by Noam Chomsky, Problems of Knowledge and Freedom, pp. 59-60, p. 61 and p. x] 多くの主題について豊富な情報を提供し、興味深い内容を書いている人として、彼の思想と社会的活動主義は、ノーム=チョムスキー(彼の「知識と自由の諸問題 Problems of Knowledge and Freedom」はラッセルが扱ったトピックスの幾つかを幅広く議論している)を含めた多くの思想家に影響を与えてきた。
 もう一人の重要な英国リバータリアン社会主義思想家・活動家はウィリアム=モリスである。モリスは、クロポトキンの友人であり、「社会主義者同盟」で積極的に活動し、その反議会主義派を主導していた。自分はアナキストではないと強調しながらも、モリスと大部分の無政府共産主義者の思想の違いは実質的にほとんどない(モリスは自分は共産主義者であって、彼にとって、共産主義は民主主義で解放的だったがゆえに、そこに「アナキスト」を付け加える必要はないと思っていた)。「芸術と工芸」運動の卓越したメンバーだったモリスは、仕事を人間化することに賛同し、それは、最も有名なエッセイの題名を引用すれば、「有用な仕事vs無用な苦役 Useful Work vrs Useless Toil」の主張としてであった。彼のユートピア小説、「ユートピア便り News from Nowhere」は、魅力的なリバータリアン共産主義社会を描いており、その社会では産業化が共同体の工芸型経済に置き換えられている。この有名なユートピアの文脈におかれたモリスの思想を論じたものとしては、「ウィリアム=モリスとユートピア便り:現代にとってのヴィジョン William Morris and News from Nowhere: A Vision for Our Time」(スティーブン=コールマン・パディ=オサリバン共編)を参照して欲しい。
 同様に、ギリシャ人思想家、コウネリュウス=カストリアディスにも触れねばならない。カストリアディスは、元々はトロツキストであり、スターリン主義ロシアは堕落した労働者国家だというトロツキーの全く誤った分析を検討する中で、最初にレーニン主義を、次にマルクス主義それ自体を拒絶するようになった。このことが彼をリバータリアンの結論へと導き、重要な問題は、生産手段の所有者ではなく、ヒエラルキーだと見なすようにさせた。つまり、階級闘争は権力を持つ側と権力に支配される側との間にあったのである。このことが彼をして、マルクス主義経済学を拒絶させることになった。マルクス主義経済学は、その価値分析を、生産問題の核心にある階級闘争から抽出していた(すなわち、階級闘争を無視していたのだ!)。アウトノミア系マルクス主義はマルクスのこの解釈を拒絶しているが、そのようにしているマルクス主義者はアウトノミアだけである。カストリアディスは、社会的アナキスト同様に、未来社会を、徹底的自律性・全般的自主管理・下から上へと組織された労働者評議会に基づいたものだと見なしていた。彼の三巻にわたる全集(「政治・経済著作集 Political and Social Writings」)は、マルクス主義に対する徹底的批判とリバータリアン社会主義政治運動に関心のある人にとって必須の読み物である。
 米国の急進主義歴史家ハワード=ジンは、自分自身をアナキストと呼ぶこともあり、アナキズムの伝統について充分な知識を持っている(彼は、ハーバート=リードの著作の米国版に「アナキズム Anarchism」という優れた入門エッセイを書いていた)。彼の古典である「合州国人民史 A People's History of the United States」だけでなく、市民の不服従と非暴力直接行動に関する彼の文章も極めて重要である。このリバータリアン社会主義学者による優れたエッセイ集は、「ジン読本 The Zinn Reader」というタイトルで出版されている。アナキズムに近い著名なリバータリアン社会主義者としては、エドワード=カーペンター(例えば、シェイラ=ローバトム著、「エドワード=カーペンター:新生活の予言者 Edward Carpenter: Prophet of the New Life」を参照)とシモーヌ=ヴィーユ(「抑圧と自由 Oppression and Liberty」)がいる。
 アナキスト同様に、自分の社会主義を労働者自主管理に基づかせている市場社会主義者について言及することも価値があろう。中央集権型の計画立案を拒絶しながら、こうした人々は、プルードンのような人々が擁護していた産業民主主義と市場社会主義の思想に立ち戻っている(ただし、こうした人々は、マルクス主義のバックグラウンドから来ているために、一般に、中央集権型計画立案に敵対している人々が強調している繋がりに言及できないでいるものだ)。アラン=エングラー(「貪欲の使徒 Apostles of Greed」)とデヴィッド=シュワイカート(「反資本主義 Against Capitalism」「資本主義の後に After Capitalism」)は、資本主義に対する有効な批判を提供し、協同組合的に組織された仕事場に根差す社会主義ヴィジョンを提起している。その思想の中に政府と国家の要素を保持しているが、こうした社会主義者は、経済的自主管理をその経済ヴィジョンの中心に据えており、その結果、大部分の社会主義者よりもアナキズムに近接している。

A.4.4 アナキズムに近いマルクス主義思想家はいるのか?

前セクションで焦点を当てたリバータリアン社会主義者にマルクス主義者はいない。大部分のマルクス主義が権威主義である以上、これは驚くべきことではない。しかし、マルクス主義学派の全てが権威主義だというわけでもない。マルクス主義の重要な傍系の中には、自主管理社会というアナキズムのヴィジョンを共有しているものもある。評議会共産主義・シチュアシオニズム(情況主義)・アウトノミアがそれである。多分、重要なことなのだろうが、アナキズムに最も近いこうした少数のマルクス主義諸傾向は、アナキズム自体の分派同様に、個人の名前をとって名付けられてはいない。それぞれの傾向を順に論じていこう。
 評議会共産主義は、1919年のドイツ革命で生まれた。当時、これらのマルクス主義者はロシアのソヴィエトの実例に感化され、中央集権主義・日和見主義・マルクス主義社民の主流派にウンザリし、バクーニン以来アナキストが堅持していたものによく似た反議会主義・直接行動主義・権力分散という結論を導き出した。第一インターナショナルでマルクスに敵対したリバータリアン同様、彼等は、労働者評議会の連合が社会主義社会の基礎を形成すると見なし、故に、その形成を促すために戦闘的仕事場組織を構築することが必要だと考えた。レーニンはこうした運動とその擁護者とを、痛烈な批判の書「共産主義における左翼小児病 Left-wing Communism: An Infantile Disorder」で攻撃した。評議会共産主義者ヘルマン=ホルテルは、「同志レーニンへの公開書簡 An Open Letter to Comrade Lenin」においてこの書を粉砕した。1921年までに、評議会共産主義者は、全国共産党と共産主義インターナショナル双方から正式に除名され、ボルシェビキと決別した。
 アナキスト同様、彼等は、ロシアを国家社会主義政党の独裁であり、社会主義とは何の関係もないと主張した。また、これもアナキストと同じだが、評議会共産主義者は、新社会を構築するプロセスは、革命それ自体と同様に、民衆自身の活動となるか、さもなくば最初から破滅するかのどちらかだと論じている。アナキストもそうだが、彼等もまた、ボルシェビキによるソヴィエトの(労働組合も)乗っ取りは革命の転覆であり、抑圧と搾取の回復の始まりだと見なしていた。
 評議会共産主義についてもっと良く知るためには、ポール=マティックの著作が必須である。彼は、「マルクスとケインズ Marx and Keynes」「経済危機と危機理論 Economic Crisis and Crisis Theory」「経済学・政治学・インフレの時代 Economics, Politics and the Age of Inflation」といったマルクス主義経済理論に関する著述家として良く知られているが、1919年と1920年のドイツ革命以来、評議会社会共産主義者であり続けている。その著書、「反ボルシェビキ共産主義 Anti-Bolshevik Communism」「マルクス主義:ブルジョア階級の最後の隠れ家なのか? Marxism: The Last Refuge of the Bourgeoisie?」は彼の政治思想の優れた入門書である。また、アントン=パンネクックの著作も必須である。彼の古典、「労働者評議会 Workers' Councils」は、評議会共産主義を第一原則から説明しており、「哲学者としてのレーニン Lenin as Philosopher」においては、自分はマルクス主義者であるというレーニンの主張を解剖している(セルジュ=ブリシアネ Serge Bricianer著、「パンネクックと労働者評議会 Pannekoek and the Workers' Councils」は、パンネクックの思想発展を研究した最良の書である)。英国において、戦闘的婦人参政権論者シルヴィア=パンクハーストは、ロシア革命に衝撃を受けて評議会共産主義者になり、ガイ=アルドレド(Guy Aldred)のようなアナキストとともに、英国共産主義運動へのレーニン主義の輸入に反対した(英国におけるリバータリアン共産主義の詳細については、マーク=シップウェイ著、「反議会主義共産主義:英国における労働者評議会運動、1917年〜1945年 Anti-Parliamentary Communism: The Movement for Workers Councils in Britain, 1917-45」を参照)。オットー=リューレとカール=コルシュもこの伝統における重要な思想家である。
 評議会共産主義の思想に基づき、シチュアシオニスト(情況主義者)は自分達の思想を重要な新しい方向に発展させた。彼等は1950年代と1960年代に活動し、評議会共産主義思想とシュールレアリズムなどの急進主義芸術を組み合わせ、戦後資本主義の見事な批判を行った。シチュアシオニストに影響を与えたカストリアディスとは異なり、彼等は、マルクス主義者として自身を見なし続け、資本主義経済に対するマルクスの批判を資本主義社会の批判へと発展させた。疎外は資本主義的生産現場から日常生活へとシフトしたのである。彼等は、「スペクタクル」という表現を作り、民衆が自分自身の生から疎外され、聴衆の役割、観客の役割を演じるようになっている社会システムを記述した。つまり、資本主義は存在(being)から所有へ(having)、そして現在では、スペクタクルを伴って、所有(having)から出現へ(appearing)と変貌しているのである。彼等の主張は次のようなものであった。我々は遠い将来の革命を待つことなど出来ない。むしろ、今ここで自分自身を解放すべきであり、社会内部で割り当てられた役割から人々を抜け出させるために、平凡で普通の状態を混乱させる出来事−−「シチュアシオン」(情況)−−を創り出さねばならないのだ。主権者である庶民の集会と自主管理評議会に基づいた社会革命は、究極的な「シチュアシオン」であり、全てのシチュアシオニストの目的でもあった。
 アナキズムには批判的だったが、これら二つの理論の違いは比較的小さなものであり、アナキズムに対するシチュアシオニストの影響を過小評価することは出来ない。多くのアナキストは、シチュアシオニストによる近代資本主義社会の批判・革命的目的のための近代芸術と文化の転覆・日常生活の革命化の呼びかけを受け入れている。皮肉なことに、シチュアシオニズムは、伝統的なマルクス主義とアナキズムを超越しようとする試みとして自身を見なしているが、本質的にはアナキズムに包摂されることになった。ギー=ドボール著、「スペクタクル社会 Society of the Spectacle」とラウル=ヴェネイジェム著、「日常生活の革命 The Revolution of Everyday Life」はシチュアシオニズムの古典である。「シチュアシオニスト=インターナショナル選集 Situationist International Anthology」(ケン=ナッブ編)は、ナッブ自身の「パブリック=シークレット Public Secrets」同様に、シチュアシオニストに関心ある人にとって必須の読み物である。
 最後に、アウトノミア系マルクス主義がある。これは、評議会共産主義・カストリアディス・シチュアシオニズムなどの著作を使いながら、階級闘争を資本主義分析の中核においている。アウトノミアは元々1960年代にイタリアで発達し、多くの潮流があるが、中にはアナキズムに近いものもある。アウトノミアの伝統で最も有名な思想家は、多分、アントニオ=ネグリ(その著書、「マルクスを超えたマルクス Marx Beyond Marx」で『金銭は一つの顔しか持っていない、それはボスの顔である』という素晴らしいフレーズを作った)であろう。しかし、彼の思想は伝統的マルクス主義の範囲内のものである。アナキズムに近い思想を持ったアウトノミアについては、米国の思想家・活動家であるハリー=クリーヴァーに目を向けねばならない。彼は、クロポトキンの思想の優れた要約本を著し、無政府共産主義とアウトノミア系マルクス主義との類似点を上手く示している(「クロポトキン・自主的価格安定政策・マルクス主義の危機 Kropotkin, Self-valorisation and the Crisis of Marxism」、「アナキズム研究 Anarchist Studies」、第2巻、第3号)。彼の「資本論を政治的に読む Reading Capital Politically」は、アウトノミアとその歴史を理解する上で必須のテキストである。
 クリーヴァーにとって「アウトノミア系マルクス主義」は、様々な運動・政治・思想家の総称的名前である。こうした思想家たちは、自律的な労働者−−明らかに資本から自律しているが、同時に、公式的組織(例えば、労働組合や政治政党)からも自律している−−が持つ力、さらに、他のグループからも自律的に行動している特定の労働者階級グループ(例えば、男性から自律した女性)が持つ力を強調している。「自律性」(オートノミー)という言葉が意味しているのは、労働者階級民衆が、自分自身の利益を定義し、自分達のために闘争し、批判的に、搾取に対する単なる反応を越えて階級闘争を形成し、未来を定義するようなやり方で攻勢に出る能力のことである。従って、彼等は、資本主義を考える上でその中核に労働者階級の力を置いている。資本主義内部での階級闘争においてだけでなく、その力関係においても労働者階級の力を発展させる方法を中心に据えているのである。このことは単に仕事場のみに限られてはいない。労働者が工場やオフィスの中でスローダウン・ストライキ・サボタージュを通じて仕事の負担に抵抗しているように、無給の人々も自分達の生が仕事に還元されることに抵抗するのである。アウトノミアにとって、共産主義の創造は、後々にやってくるものではなく、現下での新しい形態の労働者階級自主活動の発展によって繰り返し創造されるのである。
 社会的アナキストとの類似性は明らかだ。アウトノミアは、何故それほどまで時間を掛けてマルクスを分析し、引用して、自分達の思想を正当化しているのだろうか?そのようにしなければ、他のマルクス主義者が、評議会共産主義に対するレーニンの情報に従い、アウトノミアをアナキストだとレッテル貼りし、無視してしまうからだ!アナキストにとって、こうしたマルクスの引用全ては可笑しく思える。究極的に、マルクスが本当にアウトノミア系マルクス主義者だとすれば、何故アウトノミアはマルクスが「本当に」意味していたことをそれほどまでの時間を掛けて再構築しなければならないのだろうか?何故、マルクスは最初からそれをハッキリと述べなかったのだろうか?自分の洞察を正当化するためにマルクスの引用(曖昧な場合もあるのだが)・マルクスのコメント(ふと口にしただけの場合もあるのだが)を使うのを止めたらどうだろうか?マルクスが最初に述べなければ、それは真実ではないのだろうか?二人の死んだドイツ人のテキストにその政治が根差しているがために、アウトノミアの洞察がどのようなものであれ、そのマルクス主義に足を引っ張られているのだ。1920年代に、レーニンの引用を使ってトロツキーとスターリンの間で行われた「一国における社会主義」という超現実的な議論のように、ある思想が正しいかどうかではなく、単に、お互いに同意した権威者(レーニンにせよマルクスにせよ)がその思想を持っているかどうか、が証明されるに過ぎないのである。アナキストはアウトノミアにお勧めしたい。マルクスとエンゲルスに取り組む上で何らかの自律性を行使してはいかがだろうか。
 アナキズムに近いリバータリアン=マルクス主義者には、エーリッヒ=フロムとヴィルヘルム=ライヒもいる。二人ともマルクスをフロイトと組み合わせ、資本主義の急進主義分析と資本主義が引き起こす人格障害を提起しようとしていた。エーリッヒ=フロムは、「自由の恐怖 The Fear of Freedom」「独立した人間 Man for Himself」「正気の社会 The Sane Society」「持つべきか、存在するべきか? To Have or To Be?」といった著作の中で、資本主義に関する説得力と洞察に満ちた分析を展開している。その中で、資本主義がどのように個人を形成し、自由と本物の生に対する心理的障害を築き上げているのかを論じている。彼の著作は、倫理・権威主義的人格(何がその原因で、それをどのようにして変えるのか)・疎外・自由・個人主義といった数多くの重要なトピックスを論じており、良い社会がどのようなものになるかを論じたものもある。
 資本主義と「所有」(having)生活様式に対するフロムの分析は、途方もなく洞察に満ちている。特に、今日の消費主義の文脈ではそうである。フロムにとって、我々が生活し、労働し、共に組織を作るやり方は、自分達が薄々気付いている以上に、自分達の発達・健康(精神的にも肉体的にも)・幸福に影響を与えている。彼は、人間性よりも財産を切望し、自己決定と自己実現よりも服従と支配の諸理論に固執している社会の正気さを疑問視する。彼による近代資本主義の冷酷な告発は、資本主義こそが現在蔓延している孤立と疎外の主たる源泉であるということを示している。フロムにとって疎外はシステムの核心である(私有資本主義であろうと国家資本主義であろうと)。自分が自己実現する限りにおいて人は幸福なのであり、自己実現のためには、社会は生命のないもの(財産)ではなく、人間に価値を置かねばならないのだ。
 フロムの思想は、マルクスの人道主義的解釈に根差している。そして、レーニン主義とスターリン主義をマルクスの思想の権威主義的堕落であるとして拒絶している(『社会主義の破壊は(中略)レーニンで始まった』)。それ以上に、彼は地方分権型リバータリアン社会主義が必要だと強調していたのだった。彼の主張によれば、国家と中央集権化をマルクスが望ましいとしていたことに疑問を呈しているという点で、アナキストは正しかった。そして、彼は次のように述べていた。『マルクスとエンゲルスの誤謬、そして、彼らの中央集権的方向性は、彼らが、フーリエ・オーエン・プルードン・クロポトキンよりも遙かに、心理的にも知的にも、18世紀と19世紀の中産階級の伝統に根差していたという事実のためであった。』『中央集権の原理と地方分権の原理』に関するマルクスの『矛盾』もそうだが、フロムにとって『マルクスとエンゲルスは、プルードン・バクーニン・クロポトキン・ランダウアーといった人々以上に遙かに「ブルジョア」思想家だった。逆説的に思われるかも知れないが、社会主義のレーニン主義的発展は、国家と政治権力というブルジョア概念への回帰を示していたのであって、オーエン・プルードンと言った人々がもっとハッキリと表現していた新しい社会主義概念ではなかった。』[The Sane Society, p. 265, p. 267 and p. 259] 従って、フロムのマルクス主義は根本的に、リバータリアンで人道主義のものであり、社会をより良く変えることに関心を持っている人にとって彼の洞察は非常に重要である。
 フロム同様、ヴィルヘルム=ライヒはマルクス主義と精神分析双方に基づいた社会心理学を苦心して作り上げようとしていた。ライヒにとって、性的抑圧は人々を権威主義に影響されやすくし、喜んで権威主義体制に服従するようにさせる。彼がナチズムをこのように分析した(「ファシズムの大衆心理学 The Mass Psychology of Fascism」において)のは有名であるが、彼の洞察は他の社会と運動にも適用できる(例えば、米国の宗教右翼が未成年のセックスに反対し、セックスを病気・不潔・罪と関連づけているのは偶然ではない)。
 彼の主張によれば、性的抑圧のために、我々は「人格の鎧」と呼ばれるものを発達させている。この鎧が抑圧を内部化し、ヒエラルキー社会で機能できるように保証している。この社会的条件付けは、家父長制家族によって生み出され、その最終結果は、支配的イデオロギーの強力な強化と永久化、そして、その中に組み込まれる従順な個々人の大量生産である。こうした個々人は、主要な社会構造を是認するだけでなく、教師・牧師・雇用主・政治家の権威を喜んで受け入れるのである。このことは、個々人と集団が、自分達を搾取したり、抑圧したりしている諸運動と諸制度をどのようにして支持できるようになるのかを説明してくれる。言い換えれば、自分自身に反して思考し、感じ、行動するだけでなく、それ以上に、自分の従属的立場を防衛しようとしさえする程までに、抑圧を内面化しうるのである。
 従って、ライヒにとって、性の抑圧は、権威主義的秩序に順応し、権威主義的秩序が引き起こすあらゆる悲惨さと堕落全てにも関わらず、その秩序に服従する個人を生み出す。その最終結果は自由の恐怖であり、保守的で反動的なメンタリティである。大衆一人一人を受動的で非政治的にするプロセスを通じてだけでなく、権威主義秩序を積極的に支援することへの関心を人格構造内部に創り出すことで、性の抑圧は政治権力を支援しているのである。
 彼が性の問題だけに焦点を当てているのは誤っている。しかし、ヒエラルキー下で生き残るためにどのようにして自分の抑圧が内部化するのかに関する彼の分析は、何故、それ程までに多くの抑圧された人々が、自分の社会的立場と自分を支配している人々を愛しているように見えるのか、を理解するために重要である。この集団的人格構造を理解し、それがどのように形成されているのかを理解することで、人間は、社会変革に対するそうした障害物を乗り越える新しい手段を準備することにもなる。民衆の人格構造がどのようにしてその真の利益に気付くことが出来なくしているのかを意識して初めて、その人格構造と戦うことが出来、社会的自己解放を確実に出来るのである。
 モーリス=ブリントン著、「政治の中の不合理 The Irrational in Politics」は、ライヒの思想を簡潔に上手く紹介しており、彼の思想が持つ洞察をリバータリアン社会主義に結びつけている。

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