社会生態学とは何か?


この論文は、1993年に出版されたM.E. Zimmerman編、Environmental Philosophy: From Animal Rights to Radical Ecology(Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall)に掲載された。ウェブでの発表に当たっていくつかの点が改訂されているとのことであり、原文は、What is Social Ecologyで読むことができる。1986年の現代の危機という著書にも同名の論文が採録されているようだが、訳者はその本を持っていないため、原文を確認していない。この論文はブクチンの思想全般が簡便に解説されていると思う。(訳者)

社会生態学を文字通り社会的と定義していること、それは、見過ごされることの多い次の事実の認識にある。つまり、現在の生態系諸問題のほとんど全てが根深い社会的諸問題から生じている、ということである。逆に言えば、現在の生態系諸問題は、社会内部に存在する諸問題を断固として扱うことなくしては、明確に理解することも、ましてや解決することもできないのである。この点をもっと具体的に述べてみよう:多くの葛藤のうちで、経済・民族・文化・ジェンダーの葛藤は、私たちが現在直面している最も重大な生態系混乱−−もちろん、天災が生み出しているものは別として−−の中核に位置しているのだ。

生態系諸問題を野生生物や原生地帯の保護と同一視していたり、もっと幅広く惑星的「単一性」(oneness)を確立しようとしている「ガイア」に傾聴している環境保護論者にとって、このアプローチがあまりにも「社会学的」すぎるように見えるあれば、ある種の最近の発展を考察していただきたい。ほんのいくつかだけを挙げれば、プリンス=ウィリアム海峡でのエクソン社のタンカーによる大量原油流出・マクサム社によるセコイア森林の大量伐採・ケベック州北部の森林地帯で広範囲にわたる洪水を引き起こしかねないジェームス湾水力発電計画。これらは、この惑星の生態系の将来を決定する真の戦場は、明らかに社会的なものだということを断固として思い起こさせてくれるのだ。

事実、生態系諸問題を社会的諸問題と切り離すこと−−この重大な関係を軽視したり、形だけの認識をしたりしさえすること−−は、増大する環境危機の源泉を莫大に曲解することになりかねない。結局、人間が社会的存在としてお互いを扱うやり方が生態系危機を扱うために極めて重要なのである。このことを明確に認識しない限り、非常に徹底的に社会に浸透しているヒエラルキーメンタリティと階級諸関係が、自然界を支配するというまさにその考えを勃興させている、ということを全く理解できなくなるだろう。

現在の市場社会は、「成長か死か」という残酷に競争的な至上命令を中心に組織されており、徹底的に非人格的な自動機械なのだということを実感しない限り、私たちは、環境諸問題の原因として他の現象を−−テクノロジーそれ自体や人口増加それ自体を−−非難するという誤った傾向に陥ることになる。利潤のための商売・産業拡張・企業の私利私欲と「進歩」との同一視といった、根元的原因を無視することになるのである。つまり、私たちは、社会病理それ自体ではなく、恐るべき社会病理の症状に焦点を当てることが多くなり、治癒よりも美容を達成する限定された目標に向けて努力することになるのである。

最近、社会生態学が生態調和政治におけるスピリチュアリティの問題を適切に扱っているかどうかを疑問視する批評家たちがいる。だが、実際、社会生態学は、現代の様々な生態学の中でも最も古くから、既存のスピリチュアルな価値観を莫大に変革することを求めていたのだった。そうした変革は、私たちに蔓延している支配のメンタリティを相補性のメンタリティへと大規模に変換することになるだろう。相補性のメンタリティは、私たちは自然界における自身の役割を、人間以外の生命の要求を創造し・支援的し・深く鑑賞するものだ、と見なす。社会生態学においては、真に「自然の」スピリチュアリティは、不必要な苦難を軽減し・生態系の復元に従事し・その肥沃さと多様さ全てについて自然進化の美学的鑑賞を促すための、道徳的エージェントとして機能する覚醒した人間の能力を軸としているのだ。

つまり、社会生態学は、社会を変革するために集団的努力を求めるという点で、徹底的に新しいスピリチュアリティやメンタリティの必要性を回避したことなど一度もないのだ。1965年に社会生態学思想を提起した初めての公的声明は、次の勧告で締めくくられていた:『今日の精神的傾向は、「優越性」や「劣等性」といったヒエラルキー的方向に沿って、人間と人間以外の生命体との違いを体系づけている。この精神的傾向は、生態学的方法で−−つまり、相補性の倫理に従って−−多様性を取り扱う見解に道を譲るであろう。』(原注1)そうした倫理において、人間は、より芳醇で創造的で発展的な全体を生み出すというその能力を使って−−「優占」種としてではなく支援的な種として−−人間以外の存在を補完するであろう。この考えは、「自然界の再精神化(respiritization of natural world)」へのアピールとして表現されることもあり、社会生態学文献を通じて繰り返されているが、自然界の上位に神を祭り上げたり、自然界の中に神を発見しようとしたりする神学と混同してはならない。社会生態学が提起しているスピリチュアリティは、明らかに自然主義的なもの(生物諸科学から派生している生態学それ自体との関係を考えれば分かるように)であり、超自然主義的なものでも汎神論的なものでもないのだ。

エコロジー運動は、数年にわたって、社会的諸要因(これがあらゆるスピリチュアリティを実際に腐食しているのだ)を扱う必要性よりも汎神論的な「エコスピリチュアリティ」を発達させる必要性を優先させようとしているが、その現実把握能力には重大な疑問がある。盲目の社会的メカニズムである市場が土壌を砂に変え、肥沃な土地をコンクリートで固め、空気と水を汚し、広範にわたる気候・大気の変化を生み出している時代に、ヒエラルキー社会と階級社会が自然界に及ぼしているインパクトを無視することなどできない。私たちは、経済成長・ジェンダー抑圧・民族支配−−企業・国家・官僚の利権はいうまでもなく−−の方が、スピリチュアルな自己再生という私生活中心主義的諸形態よりも、ずっと自然界の未来を形成できるという事実に直面しなければならない。こうした支配の諸形態に対峙するのは、生態系危機の社会的源泉に挑戦する集団的行動と大きな社会運動でなければならず、「グリーン資本主義」という題目の下に進められることの多い消費と投資という私事本意主義的諸形態ではない。現在の高度に吸収的な社会は、商売誇張の新しい領域を見つけだし、その広告と接客にエコロジカルな誤魔化しを付け加えようとご執心なのだ。

自然と社会

さて、基本的なことから始めよう。自然とは社会とは何なのだろうか?長い間、「自然」に関して多くの定義が定式化されてきたが、その中でも社会生態学と最も密接な関係のある定義はどちらかといえば理解しにくく、把握するのが難しいことが多いものである。というのも、それを理解し、明確に表現するためには、ある種の思考方法−−一般に「直線的思考」と呼ばれているものとは対立している思考方法−−を必要としているからである。この「非線形」つまり有機的思考形態は、分析的ではなく発展的、もっと専門的な用語で言えば、道具的ではなく弁証法的なのだ。それは自然界を発展的プロセスとして認識する。山の頂上から見た美しい眺望や、絵はがきに描かれているイメージとしてではない。人間以外の自然に関するそうした眺望とイメージは、基本的に変化せず、不動である。確かに、風景を眺めたときに私たちの注目は、鷹の急激な飛翔や、鹿の急激な躍動や、コヨーテが体を低くかがめて忍び寄っているさまに一時的にとらわれる。しかし、私たちがそうした場合に実際に目撃しているのは、身体的動きの単なる動力学であり、目前にある本質的に動かない風景イメージの枠組みにとらわれているのである。こうした不動のイメージが、自然の一瞬が持つ「永遠性」を信じるように私たちを騙しているのである。

だが、人間以外の自然は、眺めの美しい風景以上のものであり、多少とも注意して調べてみると、自然は基本的に進化する現象なのであり、芳醇に多産で、永遠に変化し続けるドラマティックな発展でさえあるということがわかり始める。つまり、人間以外の自然は、進化するプロセスとして、事実、その進化の全体性として正確に定義されるのである。このことは、無機物から有機物へ、単細胞生命体の未分化で比較的限定された世界から単純な多細胞生命体へ、次には複雑な多細胞生命体へ、そして革新的な選択も可能にしている相当知的な神経機構への発展を含んでいる。最終的に、温血性の獲得が、最も厳しい気候環境で存在するための驚くべき柔軟性を生命体に与えているのである。

人間以外の自然が持つこの莫大なドラマは、あらゆる観点から見ても、見事であり驚くべきものである。その進化は、主観性と柔軟性の増大によって、そして、分化の増大によって特徴づけられている。この分化の増大が、新しい環境上の困難と新しい機会に有機体を適応できるようにし、生命体がその欲望を達するよう環境を変化するのに必要な機能を備えさせているのである。事物それ自体の潜在的可能性−−新しい化学的組み合わせを形成し、もっと複雑な分子・アミノ酸・プロテイン・適切な条件下では初等生命体を生み出す原子の絶え間ない相乗効果−−は、無機的自然の中に本来備わっていると推論する人もいよう。また、ますます主観的でもっと柔軟な存在の方がそれほど主観的ではなく柔軟でもない存在よりも効果的に環境変化に対処できる理由は「生存競争」や「適者生存」によって説明される、と全くの事実問題であるかのように決めつける人がいるかもしれない。だが、私が記述した進化のドラマは確かに生じていたのであり、化石記録として石に刻まれているという事実は依然として残っている。自然とは、この記録、この歴史、この発展的もしくは進化的プロセスである。これはまさに粛然たる事実なのだ。

人間以外の自然を単なる眺望ではなくそれ自体の進化として認識することは、生態学的精神を持つ人々に対して−−生物学的にだけでなく倫理的にも−−重大な意味を持っている。人類は、少なくとも潜在的可能性として、人間以外の発展が持つ諸特性を具現化している。この諸特性が有機的進化のただ中に人類をおいているのである。人間は、ネイル=エヴァーンデンのフレーズのように「自然のエイリアン」などではないし、全くの外来物でもなく、その道具づくりの能力のために「いかなる場所での生態系とも共に進化することができない」系統発生の奇形児でもない(原注2)。ましてや、人間は、地球(「ガイア」)は一つの生物だと信じているガイア理論家が述べているような「知性ある蚤」などではないのだ(原注3)。人間性と進化プロセスについてこのような受け入れがたい分断をする事は、それらが人間嫌いになりかねないのと同様に皮相的なのだ。人間は、高度に知的な、事実、非常に自己意識的な霊長類なのである。つまり、人間は脊椎動物から哺乳類へそして最終的には霊長類へという長い進化から−−「分岐した」のではなく−−出現したのである。人間は、口頭言語であろうと身体言語であろうと、知性・自己意識・意志・意図・表現力に向かう深刻な進化傾向の産物なのである。

人類は自然の連続体に属している。霊長類の祖先や哺乳類全般と同様である。自然進化に人間の居場所はないとか、人間は自然進化に由来していないなどと人間を「エイリアン」として表現したり、人間は本質的に蚤が犬や猫に寄生するようにこの惑星に寄生して蔓延っているのだと見なすことは、偽の生態学だというだけでなく、誤った思考である。プロセスの感覚が欠如しているため、この種の思考−−残念ながら倫理学者の中で非常に一般的なものになっている−−は、人間と人間以外の生物を徹底的に二分している。事実、環境保護思索者たちが、人間以外の自然を「原生地帯」としてロマンチックに語り、それを人間の活動よりも真正な「自然」だと見なす限り、そうした人々は、自然界を束縛された領域として凍死させているのだ。そこでは人間の革新・先見・創造性が存在する余地がなく、いかなる可能性も提供していないのである。

真実はと言えば、人間は自然に属しているだけでなく、長期にわたる自然進化プロセスの産物なのだ。外見上「不自然な」人間の活動−−テクノロジーと科学の発展・変わりやすい社会諸制度の形成・高度に象徴的なコミュニケーション諸形態の形成・美的感覚の形成・町や都市の創造−−これらは全て、計り知れない年月を掛けて創り出されてきた莫大な物理的諸属性−−大きな脳であれ、道具を作ったり食物を運んだりするために手を自由に使うという二足歩行の動きであれ−−抜きには不可能であろう。多くの点で、人間の諸特性は人間以外の生物の諸特性を拡大したものであり、長年にわたり進化してきたのである。若年者に対する世話の増加・協働・大部分本能的な行動に代わる精神に導かれた行動、これらは皆、人間行動にさらに鋭敏に存在している。人間以外の生物とは逆に、人間では、こうした諸特性が充分に発達し、家族・バンド・部族・ヒエラルキー・経済階級・国家といった諸機関−−つまり、高度に変化しやすい諸社会−−を構成しながら、諸文化を生み出すほどの精緻化と一体化に到達している。こうした諸社会は、人間以外の生物の世界では、遺伝的にプログラムされた昆虫の行動を「社会的」だと見なそうとしない限り、前例がない。事実、人間社会の出現と発展は、本能的行動特性の脱皮であり、潜在的に理性的な行動に向かう新しい領域を解放する継続的なプロセスなのである。

人間は、常に、生物学的進化史に根元を持ち続けている。この進化史は「第一自然」と呼ぶことができる。だが、人間は自身の特徴的に人間的な社会的性質を生み出している。これを「第二自然」と呼ぶことができる。「不自然」であることとはほど遠く、人間の第二自然は、著しく、有機的進化である第一自然の創造物なのである。第二自然を全体としての自然とは無関係に評することは、実に、第二自然を軽視することは、自然進化それ自体が持つ創造力を無視し、一面的に見なすことである。「真の」進化が、ハイイログマ・オオカミ・クジラのような生き物−−一般に、美的魅力があり、比較的知性を持っていると人間が考えている動物たち−−にだけ具現化されているのならば、人間は文字通り自然化しているのだ。そうした見解は、「エイリアン」だと見なそうと「蚤」だと見なそうと、人間を、本質的に、主観性と柔軟性の増加に向かう自然進化の自己組織的推進力の外に置いているのである。人間性の脱自然化をさらに熱心に擁護している人々は、ポール=シェパードが進化プロセスの「異常」だと述べているように、人間は、人間以外の生物の進化とは切り離されて存在していると見なすかもしれない。他の人々は、「内在価値」という点で無差別的にカブトムシと同等視することによって、単に、自然進化における人間のユニークな立場を明確にする問題から単に逃げているだけなのである。この「二者択一」命題思考では、社会的なことは有機的なことから切り離されているか、さもなくば、有機的なことへと半ば皮肉を込めて還元されている。その結果、一方の極では不可解な二元論が生じ、他方では素朴な還元主義が生じている。二元論アプローチは、世界は人間に利用されるために「作られた」などというその疑似神学的前提と共に、人間中心主義なる名前を背負い込み、他方、還元主義アプローチは、「生物中心主義的民主主義」なるほとんど無意味な概念と共に、生物中心主義なる名前を背負い込んでいるのだ。

人間を人間以外の生物から分断することは、有機的に考えることができていないことを、もしくは、進化的思考方法を使って進化現象に接近できていないことを示している。言うまでもなく、自然が眺望の良い景色程度のものならば、自然に関する単なる比喩的で詩的な表現を、自然に関する体系だった思考と置き換えれば事足りることであろう。だが、自然は自然史であり、私たちの正にその眼下である程度まで進行している進化プロセスなのだから、プロセス的やり方以外のもので自然を考えることは、このプロセスを汚していることになるのだ。つまり、自分の現前に横たわっているように見える「現在そうあること」は、常に、「現在そうないこと」へと発展し続けているということを認識し、それが継続的な自己組織プロセスに従事していることを認識する思考方法が私たちには必要なのである。このプロセスは、過去と現在が、芳醇に分化しながらも共通の連続体に従いながら、永続的にどんどん芳醇になっていく全体性への新しい潜在的可能性を勃興させる。従って、この種の思考は、人間と人間以外の生物を、進化の連続体の諸側面として見なすことができ、人間の出現は、一方が他方「より優れている」とか、一方が他方「のために作られた」などという幼稚な主張を押し進めずとも、人間以外の生物の進化の中に位置づけることができるのである。

同様に、プロセス的で有機的で弁証法的な思考方法を使えば、生物学的なことから社会的なことが、第一自然から第二自然が、出現していることを位置づけ、説明することにそれほど困難はない。近年、生態学的に重大な社会諸問題を帳簿係のように扱うことが流行になっているようだ。あたかも貸借を扱うようにして、二つの欄−−「古いパラダイム」・「新しいパラダイム」とラベルが付けられている−−に併記しているだけなのである。明らかに、中央集権のような嫌悪すべき言葉を「古いパラダイム」の欄に置き、分権化のようなもっと魅力的な言葉を「新しいパラダイム」だと見なすわけだ。その結果、バンパーステッカーの目録が作られるのである。その「計算結果」(要点)は、明らかに、絶対悪vs絶対善なのである。このこと全ては、優れた要約で目に優しいかもしれないが、脳への食料としては全く欠如しているのである。そのように配列された社会諸問題と社会思想を真に理解し、解釈的意味を与えることができるようになるために、私たちは、他者と全般的発展の一部から、各自がどのようにして導き出されるのかを知ろうとしなければならない。実のところ、分権化は何を意味しているのだろうか?人間社会の歴史において、どのようにして中央集権化から分権化を導き出し、どのようにして分権化は中央集権化を勃興させるのだろうか?もう一度言おう。生態系諸問題を扱う上で方向性の感覚を−−理論的にも実践的にも−−獲得しようとするのであれば、プロセス的諸現実を把握するためにはプロセス的思考が必要なのだ。

特徴として基本的に有機的で発展的な諸問題を熟考して解決する有機的で発展的な方法を呼びかけているという点で、社会生態学は現在のところ無類のものだと思われる。自然界を発展だと定義している正にそのことが、有機的思考の必要性を示しているのである。丁度、人間以外の自然からの人間の派生がそうであるように−−この派生が、私たちの生態系諸問題を解決する真面目なガイドラインを提供できる生態調和倫理の発展に対して広範囲にわたる結論を持っているのである。

社会生態学は、自然と社会は、二つの分化−−第一自然もしくは生物的自然、そして、第二自然もしくは人間的自然−−から成る一つの自然へと進化することにより、連結すると見なすように求めている。人間的自然と生物的自然は、より大きな主観性と柔軟性に向かう進化的潜在性を共有している。第二自然は、柔軟で高度に知的な霊長類としての人間が自然界に生息し、自然界を変容する方法である。つまり、人間は、その存在様式に最も見合った環境を創造するのだ。この観点から、第二自然は、あらゆる動物が、その能力に応じて、それが生息しなければならない生物物理的状況−−つまりエココミュニティ−−に適応し、それを創造している環境と何ら異なることはないのである。この非常に単純なレベルでは、人間は、原則的に、人間以外の生物の生存活動−−ビーバーがダムを造ることにせよ、ジリスが巣穴をほったりすることにせよ−−とは何も異なったことを行ってはいないのである。

だが、人間が生み出す環境変化は、人間以外の存在が生み出す環境変化とは全く異なっている。人間は、莫大な技術的先見性を持って−−その先見性が生態学的観点をどれほど失っているにせよ−−自身の環境に影響を与えている。動物は周囲の世界に適応する。人間は思考と社会的労働を通じて革新する。良かれ悪しかれ、人間は自身の欲望と願望を満たすべく自然界を変えるのである−−それは人間が邪悪だからではなく、長年にわたりそうするように進化したからなのだ。人間の文化は、知識・経験・協働・概念的知性で溢れている。だが、人間の文化は、グループ間・階級間・国民国家間・都市国家の間でさえもの紛争を通じて、その発展の多くの時点において、明らかに内部分裂してきた。人間以外の生物は、生態系ニッチの中で生きており、その行動は、本能的動因と条件反射によって主として導かれている。人間社会は、数世紀にわたり根本的に変革している諸制度によって、一つに「結びつけ」られている。人間以外の生物コミュニティは、明らかに前もって設定されたリズムのため、遺伝的に刻印されていることも多いリズムのために、その全般的固定性が顕著である。人間のコミュニティは、ある程度までイデオロギー的諸要因に導かれており、それら諸要因に制約された変化に左右される。

つまり、人間は、有機的進化プロセスから出現しながら、生物学的欲求と生存欲求の純然たる力によって、その有機的進化プロセスを深く含む社会進化的発展を開始するのである。その自然に付与された知性・コミュニケーション力・制度的組織構築能力・本能行動からの比較的自由のおかげで、人間は−−人間以外の生物が行うように−−自分の生物学的装備が十全に許す限り自分の環境を改造する。この装備によって、人間は社会発展に従事することができるのだ。人間が、原理的に、動物とは異なって行動するとか、厳密に生態学的意味で生得的に問題を抱えているというよりも、人間が自身の生物学的発展から等級付けている社会発展の方が、自身にとっても人間以外の生命にとっても問題となっていることが多いのである。そうした諸問題がどのように生じているのか・それらが生み出している様々なイデオロギー・それらがどの程度生物進化に貢献したり生物進化を中断したりしているのか・それらが全体としてのこの惑星に与えている損害、これらが近代生態系危機の正にその中核にあるのだ。第二自然は、人間の潜在的可能性を実現することからほど遠く、矛盾・敵対・対立する利権で満たされている。これらが発展に向かう人間のユニークな能力を歪めているのだ。この将来の予測には、生態圏を破壊する危険が含まれるだけではない。生態調和社会に向かう人間性の発展を考えれば、完全に新しい生態調和摂理を提供する能力を破壊する危険も含まれているのである。

社会的ヒエラルキーと優越的支配

それならば、社会的なことは、生物学的なことからどのようにして出現したのだろうか?血縁系統・ジェンダー区別・年齢差といった生物学的諸事実がゆっくりと制度化されたように、そのユニークに社会的な次元は、当初は非常に平等主義的だった、と考えることは尤もである。その後に、抑圧的でヒエラルキー的な形態を獲得し、搾取的階級形態を獲得したのである。有史以前の初期において血縁系統や血族は明らかに家族の有機的基盤を形成していた。実際、血族結婚や架空の家系諸形態を通じていくつかの家族集団をバンド・氏族・部族へと結合させ、そのことで、私たちの先祖が持つ最古の社会的地平が形成された。人間の生殖と、保護的で母性的な長期的幼児世話という単純な生物学的事実は、他の哺乳類以上に兄弟姉妹を一つにまとめることが多く、連帯と集団的内向性の強力な感覚を生み出していた。男性・女性・その子供たちは、相互責任と明確な親和性(これは、様々な物質的誓いによって神聖化されることが多かったが)に基づいた充分安定した家族生活条件に至ったのである。

家族、そして家族がバンド・一族・部族などへと精緻化したこと全て(all its elabborations into)の外にいる他者は「異邦人」だと見なされ、親切に迎えられるか、奴隷にされるか、殺されるかした。そこに存在していた社会的慣習は、遙か昔から遺伝したと思われる無分別な慣習に基づいていた。私たちが道徳と呼んでいることは、神の戒律として始まった。コミュニティに受け入れられるためには何らかの超自然的・神秘的な強化が必要だったのである。古代ギリシアの始まりと共に後年になって初めて、理性的対話と省察に基づいた倫理的行動が出現した。盲目的慣習から命じられた道徳へ、そして最終的に理性的倫理への変遷は、都市と都会的世界主義(urban cosmopolitanism)の勃興と共に生じた。人間は、血族という生物学的事実から次第に解き放たれ、「異邦人」を受け入れはじめ、人種的な民族ではなく人類の共有共同体(a shared community)として−−血縁者の共同体ではなく、市民の共同体として−−次第に自身を見なし始めている。

この原始的で社会形成期の世界においては、人間の他の生物学的特性も厳密に自然的なものから社会的なものへと作り直されていた。その一つが年齢と年齢による区別であった。初期の人間の社会集団では、書き言葉の欠如が老人に高い地位を与える手助けをしていた。なぜなら、共同体の伝統的知恵−−例えば、多くの近親相姦タブーに服従するよう婚姻関係を命じる親族関係に関する知識−−を所有し、集団の若いメンバーと成熟したメンバー双方が獲得しなければならない生存テクニックを所有していたのは老人だったからだ。さらに、ジェンダー区別という生物学的事実が社会的方向性に沿ってゆっくりと作り直された。その最初のものは、相補的な姉妹・兄弟集団(sororal and fraternal groups)だった。女性が自分たち自身の慣習・信念システム・価値観を持った食料採取・世話集団を形成した一方で、男性は、自身の行動特徴・社会慣習・イデオロギーを持った狩猟・戦士集団を形成したのだった。

親族関係・年齢・ジェンダー集団という生物学的事実の社会化−−初期の諸制度への精緻化(elaboration)−−について私たちが知っている全てのことからすれば、人々がお互いに相補的な関係の中で生存していたことは疑う余地もない。その結果、個々人は、比較的安定した全体を形成するために他者を必要としていたのだった。いかなる集団も他集団を「支配」したり、物事の普通の成り行きの中では自身に特権を与えようとしたりはしなかった。だが、時が過ぎ、コンソシエーションという生物学的基盤さえも社会的諸制度へとさらに作り直されるにつれ、社会的諸制度は、様々な時代と様々な程度で、命令と服従に基づくヒエラルキー構造へとゆっくりと作り直されていった。私はここで歴史的傾向について述べているのであって、神秘的な力や神に前もって決定されていたなどと述べているのではない。この傾向は、多くの無文字文化や原住民族文化で、さらにはある種の非常に精緻化された文明においてさえ、非常に限られた発展をしていたのだった。また、世話と養育に関わる女性的価値が、戦いと攻撃に関連している男性的価値によって影を薄くされていなければ、人間の歴史発展はどのようになっていたのかなど予測できはしないのである。

その創生期にヒエラルキーは、歴史と共に獲得された荒々しい性質で特徴づけられてはいなかっただろう。年長者は、長老支配の当初には、その知恵のために尊敬されていただけでなく、多くの場合若年者から愛されており、その愛情は本質的に相互的な場合が多かった。後年に年長支配の厳しさが増した理由は、年長者が、身体的力の衰退によって重荷を負い、地域の善意に依存しており、他の人々よりも物質的欠乏の際に見捨てられやすかった、と想定することで説明できるであろう。人類学者のポール=ラーディンは次のように述べている。『単純な食物採取文化においてさえ、例えば、50歳以上の人々はある種の権力と特権を明らかに横領していた。その権力と特権は、自分自身に特別に利益を与えるもので、他者の権利や地域社会の福祉どちらかを配慮することに必ずしも−−全くないわけではないが−−影響されていなかった。』(原注4)いずれにせよ、オーストラリアのアボリジニ・東アフリカの部族社会・アメリカ大陸の原住民族共同体のようなお互いに隔絶した地域社会において同様に存在していることによって、長老支配がヒエラルキーの最古の形態だったということは確認されるのである。世界中の多くの部族会議(tribal councils)は、実際には年長者の会議だったのである。これは、戦士社会・酋長国(chiefdom)・王位によってオーバーレイされた後でさえも、一度も完全に消滅したことのない−−古い男(訳注:alderman=市会議員の意味)という言葉が示しているように−−制度なのである。

男性的な価値観・諸制度・行動諸形態を女性のものよりも優先する家父長中心主義は、長老支配の後に現れたと思われる。無文字の初期原住民族社会はおしなべて家庭的な共同体だったため、当初、このシフトは全く無害なものだったと思われる。物質的生活が持つ本物の中心は家庭だったのであり、部族社会に広く存在している「男の家」ではなかった。厳密にそう呼べるならばの話だが、男性支配は、家父長制度においてその最も重大で強制的な形態を獲得する。これは、拡大家族や氏族の最高齢の男性が、集団の全メンバーの生死を命じるという制度である。女性は、誰と結婚するかを命じられただろうが、優越的家長支配の排他的な、独占的ですらある矛先ではなかった。その息子たちも、娘たち同様に、どのように行動するかを命じられ、「親爺」の気まぐれで殺されることもあったのだった。

だが、家父長中心主義に関する限り、男性の権威と特権は、ゆっくりとした発展の産物なのであり、多くの場合、それは巧妙に取り決められたものだった。そこでは、男性の社交クラブ(fraternity)が、その増大する「市民的」責任のために、女性の社交クラブ(sorority)を追い出している。よくある敵対行為や戦争の原因を挙げれば、人口の増加・干魃などの好ましくない条件のために移住してきたと思われる外部者集団による略奪・様々な類の復讐であるが、これらが女性の家庭的領域と平行して新しい「市民」領域を創り出す。そして、前者が段階的に後者を侵害してきたのだ。畜牛に鍬を引かせる農業の出現と共に、素朴なディッギングスティックを使っていた女性の園芸領域に男性が侵入し始め、その結果、地域内部の生活で女性が持っていた初期の経済的優越性は希薄になった。戦士社会と酋長国(chiefdoms)は、新しい物質的・文化的コンステレーションのレベルへと男性支配の契機を持ち込んだ。男性支配は極度に活性化し、究極的には、男性エリートが女性だけでなく他の男性をも支配する世界を生み出しているのだ。

何故ヒエラルキーが出現したのかは、透き通るほどはっきりしている。老化による衰弱・人口の増大・自然災害・園芸機能よりも狩猟と動物の管理に関わる活動に特権を与えたテクノロジー変化・市民社会の成長・戦争の広がり。これら全ては、女性の責任を犠牲にして、男性の責任を促す手助けをしている。強調しておくが、どれほど強制的であろうとも、ヒエラルキー型優越的支配は階級搾取と同じではない。私が自由の生態学で述べたように、ヒエラルキーは『制度化された諸関係、人類が制定したり、創造したりしている諸関係である。だが、それは本能によって情け容赦なく決められているのでもなければ、人間に特異的なものでもない。つまり、私が意味しているのは、そうした諸関係は、強制的で特権を持った階層という明確に「社会的な」構造を構成していなければならなず、所与のコミュニティ内部で支配的になっているように見える特異的な個々人とは別個に存在する、ということなのだ。ヒエラルキーは、個々人の相互関係や先天的な行動パターンを越えた社会的論理によって導かれているのである。』こうした諸関係を、労働の搾取に基づく厳密に経済的な諸関係に還元することはできない。実際、多くの酋長は、自分の権威にとって非常に本質的なその特権を獲得するために、贈り物を配分したり、自分の個人的財産を莫大に崩しさえしている。多くの酋長に与えられる尊敬は、権力獲得の手段として剰余分を蓄積することではなく、寛大さの証明として剰余を分配することで、得られているのである。

階級は、別な方向性に沿って作用することが多い。階級社会での権力は、通常、富の獲得に依っているのであって、富の分配には依っていない。支配権は公然たる物理的弾圧によって保証されるのであって、説得によってではない。そして、国家は、権威の究極の保証人なのである。ヒエラルキーが階級よりも定着しているということは、階級諸社会では徹底的な変革が幾度もあったにも関わらず、女性は数千年にわたり支配され続けているという事実によって立証することができるだろう。同じ理由で、階級支配と経済搾取の廃絶は、精巧なヒエラルキーと優越的支配システムの消滅を保証しないのである。

非ヒエラルキー社会では、ある種の慣習が基本的に適切な方向に沿って人間行動を導く。初期の慣習で主として重要だったことは、「還元不可能な最小の法則」(ラーディンの表現を使えば)であった。共同体の全成員が、その人が行う仕事量に関わりなく、生活手段に対する権利を持っているという共有概念である。食や住といった基本的生活手段を誰かに与えないことは、無気力だからとか、軽率な行動をとったという理由でさえあったとしても、生きるという正にその権利を悪質に否定するものだと見なされたであろう。また、共同体を維持するために必要な資源が、完全に私有されることもなかったのだ。最も重要な個人主義的管理は、用益権−−ある集団に使用されていない生活手段は、必要な場合にはいつでも、他者によって使うことができるという概念−−という大局的原理だった。つまり、使用されていない土地・果樹園・道具や武器さえもが、遊んだままでいるのであれば、それを必要としている共同体のメンバーの意向で使用されたのだった。最後に、慣習が相互扶助−−事物や労働の非常に賢明な協働的共有−−の実践を促していたため、困窮した状況にいる個人や家族は、他者に支援してもらえると期待できていたのである。全体としてみれば、そうした慣習は有機的社会の中に非常に堆積するようになったため、ヒエラルキーが抑圧的になり、階級社会が優越的になってからも長い間維持されていたのである。

自然を支配するという思想

生物的環境という広い意味での自然−−人間はそこから生存のために必要な単純事物を取っている−−は、文字を使用していない人々にとっては何も意味していない場合が多い。ビーバー「ロッジ」や人間に類似した精霊の場合のように様々な生物種の行動に自身の社会制度を転嫁することが多く、自分たちが生命の絆だと見なしている環境の中でアニミズム的儀式を祝しさえしていても、自然の中にどっぷり浸かっているため、「自然」それ自体の概念を理解できないのである。我々の慣例的自然概念を表している言葉は、原住民族の言葉には、仮にあったとしても、見つけるのは難しいのである。

しかし、ヒエラルキーと優越的支配が勃興すると共に、第一自然は別世界のように存在しているだけでなく、ヒエラルキー的に構成されており、人間が支配できるという信念の種子が植え付けられた。魔法の世界観はこのシフトをはっきりと明らかにしている。その世界観では、自然は世界とは別個のものとは認識されていなかった。むしろ、それは本質的に、弓や槍の方向に動物を誘導するために、魔術師が獲物の「酋長の精霊」にお願いするといったようなものであることが多かった。その後、魔術はほとんど完全に道具的になってしまう。狩人は、獲物を「強制的に」餌食にするために、魔法のテクニックを使ったわけだ。初期の魔法は、一般に非ヒエラルキーで平等主義的な共同体の実践として見なすことができるが、後年のアニミズム的信念は、多かれ少なかれ、自然界に関するヒエラルキー的見解を、そして、潜在的な人間の支配力というヒエラルキー的見解を明らかにしているのである。

ここで、私たちは強調しなければならない。自然を支配するという考えの主要源泉は、人間による人間の支配であり、そして、自然界をヒエラルキー的な存在連鎖(これは静的概念であり、ついでに言えば、次第に進んだ主観性と柔軟性の諸形態へと生命進化とは何の関係もない)へと構造化することなのである。アダムとノアが生命界の統御権を与えられたという聖書の勧告は、結局のところ社会的摂理の表現だった。自然を支配するというその考えは、公的生活だけでなく私的生活においても支配と服従に寄与している階級構造とヒエラルキー構造のない社会の構築を通じてのみ、克服しうるのだ。この新しい摂理に態度と価値観の変化も含まれるということは言うまでもない。だが、そうした態度と価値観は、客観的な諸制度(人間がお互いに具体的にやり取りするやり方)を通じて、そして、子供の養育から仕事と遊びまでの日常生活の現実を通じて実体を与えられない限り、空虚なままなのだ。人類が経済的階級とヒエラルキーを中心に組織された社会に生きることを止めない限り、私たちは、儀式・呪文・エコ神学・一見して「自然」な生活様式の採用を使ってどれほど優越的支配を追い払おうとしたところで、それから自由になりはしないだろう。

自然を支配するという考えは、ヒエラルキーそれ自体の歴史とほとんど同じぐらいの古い歴史がある。4000年ほど前のメソポタミアのギルガメッシュ叙事詩では既に、その主人公が神々に反抗し、不死を探求する中で神聖な木々を切り倒していた。オデッセイアは、ギリシア戦士(英雄と言うよりも機転の利いた人物だが)の膨大な旅行記であり、本質的に、余りよく知られていない先人たちから古代ギリシア世界が相続した自然の神々をその放浪の中で始末していたのだった。近代科学・「直線的」合理性・「産業社会」(近代エコロジー運動で余りにも軽はずみに引き合いに出されている原因を引用すれば)が出現するずっと前に、ヒエラルキー社会・階級社会が、中国の丘の中腹だけでなく地中海の多くを荒廃させ、この惑星を広範囲に改造し略奪し始めていたのだ。

第二自然は、第一自然を一貫して吸収し、第一自然に危害を加える中で、エデンの園を創造しなかった。大抵の場合、生物界にある美しく・創造的で・ダイナミックだった多くのものを略奪した。ちょうど、残忍な戦争・大量虐殺・冷酷な弾圧行為で、第二自然が、人間生活それ自体を破壊したのと同じであった。社会生態学は、人間生活の運命は人間以外の生物界の運命と手に手を取り合って進んでいるということを主張するが、エリート主義社会が自然界に加えている危害は、特権を与えられていない人々にそれが加えている危害と全く一致していた、という事実を見過ごさないのである。

だが、第二自然が生み出した弊害がどれほど問題あるように思われようとも、還元不可能な最小・用益権・相互扶助という慣習は、人類学と歴史の説明においては無視できない。これらの慣習は、歴史的時代の中で充分に持続し、古代シュメールの叛乱から現代に至るまで、莫大な民衆暴動の中で時折爆発的に表面に現れていたのだった。思いやりとコミュニタリアンの価値観がエリート主義的階級弾圧の猛攻撃に曝されている時代に、そうした叛乱の多くが、それらの価値観を復活させることを要求していたのである。実際、戦争中の地域を徘徊していた軍隊・普通の村落住民を略奪していた収税官・労働者の監督者によって加えられている日常的虐待にも関わらず、地域生活はもっと平等主義的だった過去に大切にされていた価値観の多くを存続させ、維持し続けていた。古代の専制君主も封建的貴族も、農村や、独立した職人ギルドがある街では、それらの価値観を完全に消し去ることはできなかった。古代ギリシャにおいて、過度の欲求が思想と政治生活を妨害することを拒絶した理性的哲学は、質素倹約に基づいた宗教と同様に、欲望を縮小し有形財に対する人間の欲求の範囲を定める傾向を持っていた。これらが一つになって、テクノロジー革新のペースを充分緩やかにする役目を果たしていたため、新しい生産手段が開発されても、バランスの取れた社会へとそれを敏感に統合できるほどだったのである。中世の市場は慎ましく、ギルドが価格・競争・メンバーの生産物の品質に対して厳密な管理を行使する中で、通常、地域の出来事となっていたのである。

「成長か、死か」

だが、ヒエラルキーと階級構造が契機を獲得し、社会の大部分に浸透するようになると、市場もそれ自体の生命を獲得し始め、限定地方を越えて、広大な大陸の奥底までその範囲を拡大していった。交換は、主として、不可欠な欲求に必要物を提供する手段であり、ギルドや道徳的・宗教的規制によって制限されていたが、長距離貿易がこうした制限を覆した。市場は、生産増大技術に高い価値をおいただけではなかった。新しい欲望の生産者にもなったのだった。その欲望の大部分は全くの作り物であり、消費とテクノロジーに爆発的推進力を与えたのである。まず最初にイタリア北部と欧州低地地方で、その後に−−そして最も有効に−−17世紀と18世紀の英国において、販売と収益だけを目的とした物品生産(資本主義的商品)が、市場成長に対するあらゆる文化的・社会的障害を急速に一蹴してしまったのである。

18世紀後期と19世紀初頭までに、工場システムと限りない拡大へのコミットメントを持った新しい産業資本家階級が、個人的生活のほとんどの側面を含む全世界を植民地化し始めた。大切な土地と城を持っていた封建制の貴族とは異なり、ブルジョア階級は、市場と銀行の金庫以外に家を持ってはいなかった。一階級として、ブルジョア階級は世界の多くを次第に工場領土へと変えていった。古代世界と中世世界の事業主たちは、通常、その利益を土地に投資しており、田舎の紳士階級のように生活していたものだった。商売から「不正な手段で得た」利益に対する時代的偏見があったためである。だが、近代世界の産業資本家たちはひどく競争的な市場を生み出し、その市場は産業の拡大とそれが授与する商業力に高い価値を置き、あたかも成長が目的そのものであるかのように機能していたのだった。

決定的に重要なことだが、社会生態学では、産業の成長が文化的見解だけの変革から生じることはなかったし、現在も生じていない−−ましてや、社会に対する科学的理性の影響から生じることなどさらさらない−−と認識する。結局のところ、それは、市場それ自体の拡大によってかき立てられた過酷なほど客観的な諸要因道徳的配慮も倫理的説得の努力もほとんど通さない諸要因から生じるのである。事実、資本主義の発展とテクノロジー革新との密接な関係にもかかわらず、資本主義市場での事業を最も猛烈に動かしている至上命令は、そこに蔓延している非人間的な競争のため、野蛮なライバルの手で死ぬのを回避するには成長しなければならない、ということなのである。推進力としての貪欲や、富が授与する権力への欲望と同じぐらい重要なのだろうが、本当に生き残るためには、事業主は、他の事業主よりも先んじ続け、実際、他の事業主を破滅させようとするために、自分の生産的機構を拡大することが必要なのだ。こうした生の法則−−生き残り−−の鍵は拡大であり、なおも拡大する上で投資を受けるためにさらに大きな利益を追求することなのである。実際、進歩という概念は、先人たちはより大きな人間的協働と思いやりの進化に対する信念だと見なしていたのだが、現在では経済成長と同じだとされているのである。

多くの善意のエコロジー理論家とその崇拝者たちは生態系危機を社会的問題ではなく文化的問題へと還元しようとしているが、そうした試みは容易く混乱してしまいやすい。事業主がどれほど生態系に関心を持っていようとも、市場での生き残りという正にそのことが有意義な生態学的方向性を不可能にする、これが残酷な事実なのだ。生態学的に健全な実践に従事することは、道徳的に関心を持った企業家を、ライバルとの競争関係の中で著しく不利な、実際、致命的に不利な立場に置く。ライバルは、生態調和実践とは無関係に経営しながら、より低いコストで生産し、将来の資本拡大のためのより高い利益を得ているからである。

実際、環境保護運動と環境保護イデオロギーが単に私たちの反生態学的社会の邪悪性に関して単に道徳だけを論じ、個人的ライフスタイルと個人的姿勢の変化を要求する限り、それらは、共同的社会行動の必要性を覆い隠しているのである。一方、大企業は、生態学的イメージを創り出すことで、この民衆の願望をうまく操作している。例えば、メルセデス=ベンツは、二ページにわたる雑誌広告で、旧石器時代の洞窟壁画に描かれているバイソンを使って次のように弁じ立てている。『私たちは、新しい製品を設計するときに環境保護のテーマを含めることで、もっと環境に優しく進歩するように努めねばなりません。』(原注5)こうした欺瞞的メッセージは、西欧で最悪の公害源の一つ、ドイツによく見られるものである。こうした広告は、合州国でも同様に巧みに扱われている。米国では、主要な環境汚染者たちが偽善的に、自分たちにとって『毎日が地球の日だ』などと宣言しているのである。

社会生態学が強調しているポイントは、道徳的・精神的な説得や更新が無意味だとか不必要だとかということではなく、近代資本主義は構造的に道徳性が無く、従って、いかなる道徳的アピールも通用しない、ということなのである。近代市場は、どのようなCEOが企業の運転席にいようとも、操縦レバーを握っていようとも、そんなこととは無関係に、市場それ自体の命令に突き動かされている。それが従う方向性は、倫理的規範ではなく、需要と供給・成長か死か・食うか食われるかなどの無情な「諸法則」に依存している。『仕事は仕事』という格言は、生産・利益・成長という非人格的な世界には倫理的・宗教的・心理学的・感情的諸要因は絶対に存在しないことを明らかに物語っている。私たちがこの残酷に物質主義的で、実際、機械主義的な世界から、倫理的アピールを使って、その客観的特徴を剥奪できる、私たちがこの世界を変換せずにその荒々しい諸事実を蒸発させることができる、と考えるなど全く間違っているのだ。

完全に浸透している至上命令としての「成長か死か」に基づいた社会は、必ず、第一自然に壊滅的な影響を与える。現代の多くの著作者とは逆に、地球上での人口増加は、生態系破壊の十分原因ではない。市場競争が生み出す成長の命令を考えれば、人口増加は、ほとんどもしくは全く重要性を持ってはおらず、現在の人口をそのごく一部にまで減少させたとしても、ほとんどもしくは全く影響を持たないだろう。企業家は、生き残ろうとするのであれば、常に拡大しなければならないため、その企業はメディアを動員して、民衆が必要性とは無関係に物品を購入する割合を高めるために思慮のない消費を促すことになる。一つあれば充分どころか、多過ぎさえするのに、電化製品・自動車・電子器具などを全て二つ三つ所有することが、「必需」になる。それに加えて、軍は、これまで以上に死と破壊の致死兵器を必要とし続け、その新型モデルが毎年供給されることになるのである。

成長か死かの市場が生み出す以上、「もっとソフトな」テクノロジーならば破壊的な資本主義的目的には利用されない、などということはない。二世紀前、イングランドの森林は、斧を使って溶鉄炉用の燃料へと刈り込まれた。この森林地帯は、青銅器時代以来、目に見えるほど変化したことはなかったのにである。そして、19世紀になると、普通の帆船が商品を積んだ船を先導して世界のあらゆる場所に赴いた。事実、合州国の大部分で、その森林・原生地帯・原住民族を取り除くときに使われたのは、ルネッサンス時代の人々でも容易く見分けることができる(それがどれほど変更されていようとも)道具と武器だったのだ。近代技術が行ったことは、中世の終わりにかなり進行していたプロセスを加速させることであった。近代技術それ自体でこの惑星を破滅させることはなかったのだ。むしろ、近代技術は、永久に拡大する市場システムが引き起こす損害を促したのである。そしてその根元は、歴史の最も根本的社会変革の一つ、つまり、相補性と相互扶助ではなく交換に基づいた分配システムの精緻化(elaboration)、にあるのだ。

生態調和社会

社会生態学は、道徳の再生に対するアピールだけでなく、結局のところ、生態学的方向に沿った社会の再構築へのアピールである。社会生態学が強調しているのは、道徳の再生だけで理解されると、当局(盲目の市場要因と競争的諸関係とを具現化している)に対する倫理的アピールは役に立たないものになってしまう、ということなのである。実際、それだけで理解されることで、生態調和社会の達成を単に個人的姿勢・スピリチュアルな再生・疑似宗教的救済を変化させることだと見なすことで、今日蔓延している現実の権力諸関係を覆い隠しているのである。

スピリチュアルな見解の重要性をいつも心に留めているものの、社会生態学は、第一自然の支配といったような諸概念の主観的源泉と構造的源泉に進むことで、この社会が自然界に課している生態系の乱用を矯正しようとしているのである。つまり、社会生態学は支配それ自体の全システムに挑戦しているのであり、人間性に押しつけられ、人間以外の自然と人間的自然との関係を定義してきたヒエラルキーと階級という大建築を除去しようとしているのである。社会生態学は、相補性の倫理を提起する。その中で、人類は、潜在的に、最も意識的な自然進化の産物として、生態圏の全体性(integrity)を永続化する上で支援的役割を果たすのである。事実、人間は、その進化の開花の中で創造的に機能するという道徳的責任を持っているのである。従って、社会生態学は、触知可能な社会的諸制度に相補性倫理を統合する必要を強調する。そうした諸制度が相補性倫理に積極的な意味を与えるのである。さらに、生物種の相互作用において意識的で道徳的な仲介者として人間が参画する必要も強調する。社会生態学は、生命体の多様化によって進化プロセスを豊かにしようとしているのである。ロマン主義的見解とは逆なのだが、「母なる自然」は必ずしも「最も良く知っている」わけではない。企業世界の諸活動に反対するために、素朴なまでにロマンティックで生物中心的になる必要はない。同様に、先見性と理性という人間性の潜在能力とテクノロジー上の成果を賞賛したからといって、それが人間中心的なわけでもない。今日のエコロジー運動で非常によく見られるのだが、内省的な議論を通じて、そうした決まり文句のルーズな使用を止めさせねばならないのである。

結局、社会生態学は、好むと好まざるとに関わらず、この惑星にいる生命の未来は、社会の未来を軸にして旋回しているという認識を持っているのである。社会生態学は強く主張する。第一自然と第二自然双方における進化は、未だ完成してはいないのだ。また、これら二つの領域が、お互いに余りにもかけ離れているため、創造的生態圏の基盤としていずれかを−−「生物中心的」栄光を持つ自然進化か、現在まで私たちが良く知っている「人間中心的」栄光を持つ社会進化か−−選ばねばならないというわけでもないのだ。私たちは、自然と社会双方を乗り越え、双方の最良の部分を含んだ新しいジンテーゼへと向かわねばならない。そうしたジンテーゼは、創造的で自己意識的な、つまり「自由自然」の形を取ってそれらを超越するであろう。そこでは、人間は自身の最高の能力−−道徳的感覚・前例がないほどの概念的思考・優れたコミュニケーション能力−−を使って自然進化に介入するのである。

だが、そうした目標は、それにロジスティカルで社会的な具体性を与えてくれる運動なしには、単なるレトリックでしかない。そうした運動をどのようにして組織すればよいのだろうか?ロジスティカルには、「自由自然」は、諸都市を、それが位置する自然地域に対して敏感に調整され、連邦的に団結したコミュニティへと分権化すること抜きには達成できない。つまり、エコテクノロジーと太陽光・風力・メタンガスなど再生可能なエネルギー源の使用、有機農業の利用、連邦化された諸自治体が持つ地域的ニーズを満たすための人間規模で多目的な産業設備のデザインを意味している。同時に、リサイクルだけでなく、数世代にわたって長持ちする品質の良い製品の生産の強調も意味している。つまり、非情な労働を創造的労働に置き換えることを意味し、機械化された生産よりも芸術的な職人技能の強調を意味している。余暇が芸術的になり、公的事柄に従事することを意味している。物品が真に入手しやすくなり、自分の物質的ライフスタイルを選ぶ自由を持つようになれば、遅かれ早かれ、資本主義市場が促している消費主義に対する反応として、生の全面で節度を採用するように人々に影響を与えるだろう、と期待する人もいるだろう(原注6)。

だが、いかなる倫理も生態調和社会のヴィジョンも、どれほど見事なものであったとしても、生き生きとした政治に具現化されていない限り、有意義なものにはなり得ない。政治ということで、私は、私たちが政治家と呼んでいるもの−−つまり、社会生活のガイドラインとして政策を形成し、公共の事柄を管理するために選挙で選ばれたり、選抜されたりする代表者−−が行っている治国策を意味しているのではない。社会生態学にとって、政治は、二千年ほど前のアテネの民主主義的ポリスで意味されていたことを意味している。つまり、直接民主主義・民衆集会による政策形成・委任された注意深い調整者による政策の執行である。そうした調整者は、集会にいる市民の意志決定に従うことができなかった場合には容易くリコールされうるのである。アテネの政治が、その最も民主主義的な時代においてさえ、奴隷制度と家父長制度の存在によって、そして、公的生活から異邦人を疎外していたことによって台無しにされていた、ということを私は全く忘れてはいない。この点に関しては、当時のほとんどの古代地中海諸文明と−−そして、古代アジア諸文明とも−−大差なかったのである。だが、アテネの政治を唯一無二のものにしていたのは、いわゆる現代世界の「民主主義」が持つ共和制諸制度と比較して、驚くほど民主主義的な−−直接民主主義的でさえある−−諸制度を生み出したことであった。直接的にか間接的にか、アテネの民主主義は、後年のもっと無限定の直接民主主義を着想したのだった。その中には、例えば、中世のある種の町々・フランス革命を高度に急進的方向へと推進したほとんど良く知られていない1793年のパリ「区画(sections)」(もしくは町内集会)・米国ニューイングランドのタウンミーティング・市民自治に関する最近の試み、がある(原注7)。

だが、孤立して生活し、自給自足を発達させようとする自主管理コミュニティは、偏狭になり、人種差別的にすらなる危険を冒している。だからこそ、生態調和政治をエココミュニティの連邦へと拡大し、内向的で無意味な独立ではなく、健全な相互依存を促すことが必要なのだ。社会生態学は、リバータリアン自治体連合論という政治の中にその倫理を具現化するだろう。そこでは、町と都市が、地域格差を調整するために、その委任したリコール可能な代理人を連邦評議会に送り、評議会のネットワークを通じて諸自治体は共同で自治権を獲得するのである。全ての意志決定は、連邦化した町と都市の民衆集会の大多数によって批准されねばならないだろう。この制度的プロセスは、小さな町のネットワークだけでなく、巨大都市の町内会でも生じうるだろう。事実、数多くの「公会堂」(town halls)の形成が、ニューヨークやパリのような大規模都市で既に繰り返し企図されていたが、結局、その分権化を可能にするのではなく、中央集権しようとしていた充分組織されたエリート集団によって挫折させられたのだった。

権力は、拡散していなければ、一部は自律的存在として、一部は社会的存在として権能を拡大した人々−−つまり、自由な個人であると同時に民衆制度に責任を持つ個人−−の間での顔を付き合わせた民主主義においても、常にエリート階層に属すだろう。この意味で、民衆の権能拡大は、国民国家−−退行的イデオロギーである民族主義の主要源泉であり、弾圧政治の主要源泉である国権主義の主要源泉−−に対する挑戦になるであろう。文化の多様性は、明らかに絶対に必要なことであり、文化的創造性の源泉だ。だが、それは、人間性全体の一般的利益との民族主義的「分離」を賞賛できはしない。賞賛してしまえば、民族国家と部族主義へと退行することになるのだ。

市民権という十全なる現実が衰え始めている。その消滅は人間の発展において取り返しがつかない損害を示すだろう。古典的な意味では、市民権は、公的事柄に参加する倫理志向的な生涯教育を意味していた。現在あまりにも多くの場合に示されているような空虚な国民法(national legitimation)ではなかったのだ。コミュニティの利益との所属関係の教化を意味していたのである。コミュニティの利益は個人的利益よりも優先されていた、いやもっと適切に言えば、個人の利益が公共の利益と一致し、公共の利益を通じて実現されていたのだった。

この倫理的コンステレーションの中で、財産は共有され、最良の状況では、生産者(労働者)や所有者(資本家)ではなく、全体としてのコミュニティに属すだろう。「コミューン群からなるコミューン」で構成された生態調和社会では、財産は、究極的に、私的生産者にも国民国家にも属さないだろう。ソヴィエト連邦は高圧的な官僚制度を勃興させた。競合する「労働者管理」工場というアナルコサンジカリズムのヴィジョンは、究極的に、労働者官僚制へと編み込まれざるを得なかった。社会生態学の観点からは、財産利権は、様々な相反する諸形態や扱い難い諸形態で再構成されるのではなく、一般化されるであろう。それらは、国有化されたり私有化されるのではなく、自治体化されるだろう。従って、労働者・農民・知的職業従事者などは、職業集団や社会的集団のメンバーとしてではなく、市民として自治体化された財産を扱うことになる。仕事のローテーション・産業活動と農業活動双方に従事する市民・肉体労働も行う知的職業従事者といったヴィジョンに関する議論はともかくとして、社会生態学が提起するコミュニティのアイディア(communal ideas)は、集団的利益が個人的利益とは切り離せず、公的利権は私的利権とは切り離せず、政治的利権は社会的利権とは切り離せないと考える個々人を生むであろう。

自治体の段階的再構成・国民国家に対抗する二重権力を形成する永続的に大きくなるネットワークへの連邦化・共和制代議員の有権者を直接民主主義に参加する市民へと作り直すこと−−これら全ては、達成するためにかなりの時間がかかるかもしれない。だが、結局、これらだけが人間による人間の支配を潜在的に除去でき、その結果、生態系諸問題を扱うことができるのである。生態系諸問題の増大は、進化した生命体をサポートできる生態圏の存在を脅かしている。こうした広範囲だが著しく実践的な変革の必要性を無視することは、私たちの生態系諸問題を悪化させ、解決するチャンスが全くないほどまでに蔓延させるだろう。生態圏に対するその影響力を無視したり、それらを個別に扱おうとしたりする計画は、大惨事に向かうレシピなのだ。今日世界の大部分に広がっている反生態学的社会が、現在私たちが知っている生物圏と、ある種の破壊に至るまで闇雲にぶつかることを保証しているのである。

マレイ=ブクチンの紹介


マレイ=ブクチンは、長きにわたり、アナキズムとユートピアンの政治理論・テクノロジー理論・都市計画・自然哲学における重要な人物であり続けている。彼は、「社会生態学研究所」(Institute for Social Ecology)の共同設立者であり、名誉所長でもある。彼は多くの本を著しており、その中には、生体調和社会に向けて自由の生態学都会化から諸都市へエコロジーと社会(原題は、社会の再構築)・社会生態学の哲学がある。

原注

  1. マレイ=ブクチン著、「生態学と革命思想」。このエッセイが最初に発表されたのは、アナキスト雑誌、Comment(1965年、9月)であり、私の60年代の主要エッセイととともに欲望充足のアナキズム(Berkeley: Ramparts Press, 1972; 再版は Montreal: Black Rose Books, 1977)に収録されている。「相補性の倫理」という表現は、自由の生態学(San Francisco: Cheshire Books, l982;改訂版は Montreal: Black Rose Books, 1991)からのものである。
  2. Neil Evernden, The Natural Alien (Toronto: University of Toronto Press,1986), p. 109.
  3. Alan Wolfe, "Up from Humanism," American Prospect (Winter 1991), p. 125 で引用されている。
  4. Paul Radin, The World of Primitive Man (New York: Grove Press, 1960), p. 211.
  5. Der Spiegel (Sept. 16, 1991), pp. 144-45.
  6. こうした諸見解は全て、拙著「生態学と革命思想」(1965年)というエッセイで詳細に説明されており、その後のエコロジー運動によって次第に吸収されてきている。1965年の「解放的テクノロジーに向けて」で提出したテクノロジー見解も吸収され、「適正テクノロジー」と改名された。この表現は、私の元来の用語であるエコテクノロジーと比べればかなり社会的にニュートラルなものである。どちらのエッセイも欲望充足のアナキズムで読むことができる。
  7. 欲望充足のアナキズム収録の「自由の諸形態」・自由の生態学の「自由の遺産」という章・都会化から諸都市へ(San Francisco: Sierra Club Books, 1987;改訂版はCassell, 1995)収録の「市民的自由のパターン」という章を参照。