大杉 栄 11


 

獄中記      (1919年1-2月)


[巣鴨の巻]

 ちょいと眼鏡の旦那

 巣鴨行きと云えば、世間では、電車は別として多少気の触れた人間の事を指すが、僕等の間では監獄行きの事になる、だが此の僕等と云う奴等は世間から随分気違い扱いされてもいるのだから、どっちにしても要するに同じ事になるのだろうが。
 此の巣鴨へは都合三度行った。と云っても実は二度で、最初は新聞紙条例違犯で食っているうちに、二度目の新聞紙条例違犯がきまって、前のが満期になると直ぐ引続いてあとのを勤めた。次ぎが治安警察法違犯。

 多分鍛冶橋のだろうと思うが、古い謂わゆる牢屋が打ち壊されて、石と煉瓦との新しい監獄がここに出来た時、其の古い牢屋の古木で古い牢屋其儘の建物が一つここの一隅に建てられた、と云う話しだ。そして此の建物はめくらだとかびっこだとか、足腰のろくに利かない老人だとかの、片輪者や半病人をいれる半病監みたようなものになっていた。僕は二度とも此の建物の中の広い一室をあてがわれた。
 始め東京監獄からここに移されて、冷たい暗い一室の中にほうり込まれた時には、実は少々心細かった。春ももう夏近い暖かい太陽のぽかぽかと照る正午近い頃だった。それだのに、室へはいると急に冷たい空気にからだぢゅうをぞっと打たれる。四方の真白に塗った煉瓦の壁や、入口の大きな鉄板の扉は、見るからにひいやりとさせる。試みにそれに手をあてて見ると、そこからぞくぞくと冷たさが身にしみて来る。それに、窓が伸びあがってもとどかない上の方に小さく開いているので、薄暗くて陰気だ。座席として板の間に敷いてある一枚のうすべりまでが、べとべとと湿っているような気がする。
 命ぜられたまま、扉に近く扉の方に向いて此のうすべりの上に座っていたが、其の扉は上下が鉄板で其の間が鉄の格子になっていて、しかも僕の室の直ぐ真ん前に看守がテエブルを控えて突っ立っているので、絶えず監視されているという不愉快が、其の看守の大して意地悪るそうでもない平凡な顔をまでも妙に不愉快にさせる。「石の家は人の心を冷たくする」と云うロシアの諺が思い出されて、ちょいちょい窃み見するようにして僕の方を見る其の看守を、此の男はきっと冷たい心を持っているに違いないなぞと思わせる。
 やがて、暫く廊下でガタガタ騒がしい音がすると思っていると、看守が扉を開けて「出ろ」と云うので出て見ると、二十人ばかりの囚人が向い合って二列にコンクリートの上のうすべりに座って、両手を膝に置いて膳に向っている。僕も其の端に座った。
「礼!」
 始めての僕にはちょっと何んの意味だか分らない、大きな声の号令がかかった。皆んなは膝に手を置いたままの形で首を下げた。僕はぼんやりして皆んなのする事を見ていた。
「喫飯!」
 又何んの事だか分らない。ただぱあんと云うのだけがはっきりと響く、大きな声の号令がかかった。皆んなは急いで茶碗と箸とを手に持った。そしてめいめい別な大きな茶碗の中に円錐形の大きな塊に盛りあげられている飯を、大急ぎに、餓鬼道の亡者と云うのはこんなものだろうと思われるように、掻きこみ始めた。どんぶりから茶碗へ飯を移す、それを口に掻きこむ、呑みこむ、又掻きこむ、呑みこむ。其の早さは本当に文字通りの瞬く間だ。僕は呆気にとられて見ていた。
「何千何百何十番!」
 看守が又大きな声で怒鳴った。僕はびっくりして其の方を向いた。
「何にをぼんやりしてるんだ。早く飯を食わんか。」
看守はぼくに怒鳴っているんだ。僕は自分の襟をうつむいて見て、其の何千何百何十番と云うのが自分のきょうからの名前だと云う事に始めて気がついた。そして急いで茶碗をとりあげた。が、僕が其の円錐形の塊の五分の一位を漸くもぐもぐと飲みこんだ頃には、もう皆んなは最初のように其の膝に手を置いてかしこまっていた。
 其後も終始見た事ではあるが、囚人等の飯を食うのの早いのは実に驚く程だ。まるで歯なぞと云うものは入用のないように、ただ掻きこんでは呑みこむ。
「どうも仕方がないんです。いくらからだに毒だからと云っても、どうしてもああなんです。しかし其の云い分を聞くと、随分無茶な事ではあるが、多少の同情はされるのです。よく噛んでいた日にゃ、直ぐに消化(こな)れて腹が空って仕方がないと云うんですな。」
 坊さんは坊さんらしく、或時教誨師と其の話をしたら、眉を顰めながらにこにこしていた。
 僕は此の上もぐもぐやるのも、きちんと正座して待っている皆んなに相済まず、自分でも少々きまりは悪し、それにもみ沢山の南京米四分麦六分と云う謂わゆる四分六飯に大ぶ閉口もしていたのだから、其のまま箸をおいた。
 皆んなはめいめいの室に帰された。いい加減心細くなっていた僕は、此の喫飯で、又例の好奇心満足主義に帰った。そして僕等の仲間たちで其の数年前に始めてここへはいった堺の話のように、はいって直ぐ身体検査をされる時、裸体のまま四ん這いになって尻の穴をのぞかれたり、歩くのに両手を腰にしっかりとつけて決して振っちゃいけないと云うような事が、今ではもう廃止されているのが却って物足りなく思えた。
 其の翌朝、僕は先きに云った半病人や片輪者の連中の中へ移された。今までいたところは、新入りや、翌日放免になるものや、又は懲罰的に独房監禁されたものなどの一時的にいる、特別の建物であったのだ。
 石川三四郎と山口とは既に、矢張り新聞紙条例違犯で、其の一室を占領していた。山口、石川、僕と云う順で、僕は其の隣りの室へ入れられた。十畳か十二畳も敷けようと思われる広い室だ。前後が例の牢屋風の格子になっていて、後の格子には大きな障子がはまっていて、その障子を開けるとそとには直ぐそばに大きな桐の木が枝を広げていた。前の格子は、三尺ばかりの土間を隔てて、矢張り障子と相対していた。此の障子の向うにも矢張り桐の木が見えた。室の左右は板戸を隔てて他と同じような室と続いていた。土間には看守がぶらぶらしている。
「はあ、此の格子だな、例のは。」
と僕は、土間に近い一隅にうすべりを一枚敷いて、其の格子の眼の前に座った時、堺の話を思い出した。堺が前にはいった時にも矢張りここに入れられたのだ。そして堺は教科書事件の先生や役人と一緒に同居した。小人で閑居していればそんな不善はしないのだろうが、大勢でいると飛んだ不善な考えを起すものと見える。皆んなは此の格子を女郎屋の格子に見立て、又髯っ面の自分等を髯女郎(インテレクチュアル・プロスティテュト)の洒落でもあるまいがとにかく女郎に見立て、そして怪しからん事には看守をひやかし客に見立てて「もしもし眼鏡の旦那、ちょいとお寄りなさいな」と云うような悪ふざけをして遊んだそうな。
 僕も此髯女郎になってからはすっかり気が軽くなった。室は明るい。そとは可なり自由に眺められる。障子は妙にアト・ホオムな感じを抱かせる。直ぐ隣りには仲間がいる。看守も相手が片輪者や老人の事だから特に仏様を選んであるらしい。

 旧友に会う

 其の室へ移されてから一時間ばかりしてからの事だ。ふいと、僕の室の前に突っ立って、切(しき)りと僕の顔を見つめている囚人がある。僕も見覚えのある顔だとは思いながら、ちょっと思い出せずに其の顔を見ていた。
「やあ!」
と漸く僕は思い出して声をかけた。
「うん、やっぱり君か。さっきから幾度も幾度も通るたんびに、どうも似た顔だと思って声をかけようと思ったんだが。一体どうして 斯んなところへ来たんだ。」
 其の男は悲痛な顔をして不思議そうに尋ねた。しかし僕としては、僕自身がこんなところへ来るのは少しも不思議な事ではなく、却ってこんなところで其の男と会う方が余程不思議であったのだ。
「僕のは新聞の事なんだが、君こそどうして来たんだ。」
「いや、実に面目次第もない。君はいよいよ本物になったのだろうけど。」
 其の男は自分の罪名を聞かれると、急に真赤になって、斯う云いながら、
「失敬、又会おう。」
と逃げるようにして行ってしまった。
 彼れと僕とは嘗て同じような理由で陸軍の幼年校を退学させられた仲間だった。彼れは仙台の幼年校、僕は名古屋の幼年校ではあったがもう半年ばかりで卒業と云う時になって、殆ど同時に退校を命ぜられた。そして二人とも直ぐ東京に出て来て偶然出遇った。彼れには猶一緒に仙台を逐い出された二人の仲間があった。其の一人は小学校以来の僕の幼な友達だった。斯くして四人の幼年校落武者が落ち合った。そしてそこへ又、大阪や東京の落武者が寄り集まって、八九人の仲間が出来た。皆んなは退校処分という恥辱を雪ぐ為めに、互に助け合ってうんと勉強する誓いを立てた。皆んなは直ぐにあちこちの中学校の五年へはいった。が、彼れともう一人の仲間とが中途で誓いを破って遊びを始めた。皆んなは憤慨して数回忠告した。そして遂に絶交を宣告した。翌年他の仲間の皆んなはそれぞれ専門学校の入学試験に通過した。しかし其の二人だけは何処でどうしているのか分らなかった。皆んなは絶交を悔いていた。
 丁度それから四五年目にになるのだ。僕の入獄は彼れから見れば「いよいよ本物になったのだ」ろうが、彼れ自身の入獄は当時の絶交と思い合わして「実に面目次第も」なかった事に違いない。しかし僕としては、僕等が彼れに申渡した其の絶交が、今になって猶更に悔いられるのであった。
 彼れは早稲田辺で或る不良少年団の団長みたような事をしていたのだそうだ。そして其の団員の強盗と云う程でもないほんの悪戯から、彼れは強盗教唆と云う恐しい罪名が負わせられたのだそうだ。そして嘗て仙台陸軍地方幼年学校の一秀才であった彼れは、今此の巣鴨監獄で、他の囚人に食事を運んだり仕事の材料を運んだりする雑役を勤めているのであった。
 彼れは僕が二度目に来て満期近くなるまで、此の建物の中に雑役をしていた。何処でどうして手に入れて来るのか知らないが、或時なぞは、殆ど毎日のように氷砂糖の塊を持って来てくれた。そして毎月一度面会に来る女房を何処でどうして知って来るのか、「君、奥さんが来てるよ、もう直ぐ看守が呼びに来るだろうから用意して待っていたまえ」なぞと知らしてくれたりした。
 或日急に彼れの姿が見えなくなった。其の日の夜或る看守の手を経て「あす仮出獄で出る、君が出れば直ぐ会いに行く」と言った紙きれを受取ったが、それっきり彼れとはまだ一度も会わない。

 二十五年目の出獄

 此の男と一緒に矢張り雑役をしていた、もう六十を越した一老人があった。矢張り僕が二度目の満期になる少し前に放免になったのだが、何んでも二十五年目とか六年目とかで日の目を見るのだと云っていた。
「電車なんてものはどんなものだか、いくら話に聞いても考えても分りませんや。何しろ電灯だって初めてここで知ったんですからな。」
 或時彼れは夢見るような目つきで電灯を見あげながら云った。
 看守がそばにいて、一緒になって話しする時には、彼れはよくいろんな事を話した。しかしそうでない時には、雑役としての用以外には、殆ど一言もきかない。自分の監房にいる時でも矢張りそうだ。皆んなが看守のすきを窺っていろんな悪戯やお饒舌をする時にも、彼れだけは一人黙ってふり仮名つきの何にかの本を読んでいた。話しかけられても返事をしない。雑役としての用をする時にも、余程意地の悪い看守よりも、もっと一刻者だった。
「おい君、こんなきたない着物ぢゃしょうがないぢゃないか。もっと新しいのを持って来てくれたまえ。」
 僕は一度此の老人に其の持って来た着物の不足を云った。
「贅沢云うな。」
 老人は斯う云い棄てて隣りの室の方へ行った。
「おい、君、君!」
と僕は少し大きな声で呼び帰そうとした。看守はそれを聞きつけてやって来た。そして一応僕の苦情を聞いて、
「新しいのを一枚持って来てやれ。」
と老人に云いつけた。老人はぶつくさ云いながら又取りに行った。
 これは此の老人の一刻者らしいいい例ではないが、とにかく総てが此の調子だった。他の囚人の苦情なぞは一切取りいれない。毎日半枚づつ配ってくれる落紙ですら、腹工合が悪いからもう一枚くれと云っても、決して余計にくれた事はない。時には、いいから何んとかしてやれなどと云う看守に、獄則を楯にして食ってかかる事すらあったが、此の獄則を守る点では、先きにも云ったようにまるで裏表のない、獄則其者の権化と云ってもいい位だった。数年前の規則其儘に、歩く時には手を少しも振らないように、五本の指をぴんとのばして腰にしっかりと押しつけていた。賞標の白い四角な片も三つ程腕につけていた。
 最初殺人で死刑の宣告を受けたのを、終身に減刑され、其後又何にかの機会に減刑又減刑されて、遂に放免になったのだそうだ。一刻者は最初からの、しかし正直者と云う程の意味で一刻者であったらしいが、入獄以来其の一刻から出た犯罪を後悔すると共に、其の一刻をただ獄則厳守の事にのみ集中させて、益々妙な一刻者になったものらしい。

 びっこの少年

 隣りの室には十人ばかり片輪者が同居していた。其の中に七十幾つかの老人と、森の中にでもいればどうしてもチンパンジイとしか思えないような顔つきの若い大男と、尻が妙に出っぱってびっこをひいて歩く少年とがいた。チンパンジイは盲と云う程でもないが両眼ともよく見えなかったらしい。高い眉の下にひどく窪んだ細い眼をいつもしょぼしょぼさせていた。此の男は僕がいる間に一度ちょっと出て又直ぐはいって来た。皆んなほんのこそこそ盗棒らしかった。
 此の少年はひょうきん者で、一日皆んなを笑わせては騒いでいた。誰かがブッと屁を放る。すると此の少年は、「うん、うん、よしよし」なぞと、赤ん坊でもなだめすかすような事を云う。一日に幾度とちょっとは数え切れない程皆んなはよく屁をひった。そして其のたんびに此の少年はこんな事を云っては皆んなを笑わしていた。隣りで聞いている僕も時々吹き出した。
 仕事がいやになると皆んなはよく便所へはいって一と休みした。
「いつまで便所にはいってるんだ。」
 時々は看守も二三度廻って来てまた同じ人間が便所にしゃがんでいるので小言を云う。すると少年は「どうも難産で」と云いながら「うん、うん」と唸って見せる。皆んなはどっと笑う。看守も仕方なしに「いい加減にして出ろ」と云い棄てて行ってしまう。
 此の隣りの笑い声で、どれ程僕は、長い日の無聊を慰められたか知れない。

 獄中からの手紙

 僕の生活は、毎朝起きると先づ此の広い室のふき掃除をして、あとは一日机に向って読み書き考えてさえいればいいのだった。
 本は字書の外五六冊づつ手許に置く事が出来た。そしてそれを毎週一回新しいのと代えて貰う事が出来た。ペンとインキとノオトとは特別に差入を許された。
 其の頃の生活を当時の気持其儘に見る為めに、獄中から出した手紙の二三を次ぎに採録して見る。いづれも最初の時のものだ。
「暑くなったね。それでも僕等のいる十一監と云う所は獄中で一番冷しい所なのだそうだ。煉瓦の壁、鉄板の扉、三尺の窓の他の監房とは違って、丁度室の東西がすべて三寸角の柱の格子になっていて、其の上両面とも直接に外界に接しているのだから、風さえあれば兎も角も冷しいわけだ。それに十二畳ばかりの広い室を独占して、八畳づりの蚊帳の中に起きて見つ寝て見つなどと古く洒落ているのだもの。平民の子としては寧ろ贅沢な住居だ。着物も殊に新しいのを二枚もらって、其の一枚を寝巻にしている。時に洗濯もしてもらう。
「老子の最後から二章目の章の終りに、甘其食、美其衣、安其所、楽其俗、隣国相望む、鶏犬声相聞、民至老死不相往来と云う。其の消極的無政府の社会が描かれてある。最初の一字の甘しとしだけが些か覚束ないように思うけれど、先づ僕等の今の生活と云えば、正にこんなものだろうか。妙なもので、此頃は監獄にいるのだと云う意識が、或る特別の場合の外は殆んど無くなったように思う。」(堺宛)

 此の蚊帳で思い出すが、或る夜、暑苦しくて眠れないので、土間をぶらぶらしている看守に話しかけた。
「少し位暑くたって君等はいいよ。僕はさっきから蚊帳の中に寝ている君等を見ながらつくづく思ったんだ。斯うして格子を間にして君等の方を見ていると、実際どっちが本当の囚人だか分らなくなって来るよ。」
 看守は笑いながらではあるが、しみじみとこぼして云った。

 それから暫くして幸徳に宛てた手紙を出した。
「暑かった夏も過ぎた。朝夕は冷しすぎる程になった。そして僕は『少し肥えたようだね』などと看守君にからかわれている。
「此頃読書をするのに甚だ面白い事がある。本を読む。バクニン、クロポトキン、ルクリュス、マラテスタ、其他どのアナアキストでも、先づ巻頭には天文を述べてある。次ぎに動植物を説いてある。そして最後に人生社会を論じている。やがて読書にあきる。顔を上げてそとを眺める。先づ目に入るものは日月星辰、雲のゆきき、桐の青葉、雀、鳶、烏、更に下っては向うの監舎の屋根。丁度今読んだばかりの事を其儘実地に復習するようなものだ。そして僕は、僕の自然に対する智識の甚だ浅いのに、いつもいつも恥ぢ入る。これからは大いに此の自然を研究して見ようと思う。
「読めば読む程、考えれば考える程どうしても此の自然は論理だ。論理は自然の中に完全に実現されている。そして此の論理は、自然の発展たる人生社会の中にも、同じく又完全に実現せられねばならぬ。
「僕は又、此の自然に対する研究心と共に、人類学や人間史に強く僕の心を引かれて来た。こんな風に、一方にはそれからそれへと泉のように学究心が湧いて来ると同時に、(中略)
「兄の健康は如何に。『パンの略取』の進行は如何に。僕は出獄したら直ぐ多年宿望のクロの自伝をやりたいと思っている。今其の熟読中だ。」

 それからもう出獄近くなって山川に宛てた手紙を出した。其の中に法廷に出ると云うは、あとの方の新聞紙条例違犯の公判の時の事だ。
「きのう東京監獄から帰って来た。先づ監房にはいって机の前に座る。本当にうちへ帰ったような気がする。
「僕は法廷に出るのが大嫌いだ。殊に裁判官と問答するのはいやでいやで堪らぬ。いっその事、露西亜のように裁判しないで直ぐ西伯利(シベリア)へ逐いやると云うようなのが、却って赤裸々で面白いようにも思う。貴婦人よりは淫売婦の方がいい。
「裁判が済めば先づ東京監獄へ送られる。門をはいるや否や、いつも僕は南京虫の事を思って戦慄する。一夜のうちに少なくとも二三十ヶ所は噛まれるのだもの。痛くてかゆくて、寸時も眠れるものぢゃない。僕が二三日して巣鴨に帰ると、獄友諸君から切りに痩せた痩せたと云うお見舞を受ける。
「ただ東京監獄で面白かったのは鳩だ。丁度飯頃になると、窓のそとでばたばた羽だたきをさせながら、妙な声をして呼び立てる。試みに飯を一かたまり投(ほう)ってやる。十数羽の鳩があわただしく下りて来て、瞬く間に平らげて了う。又投ってやる。面白いもんだから幾度も幾度も続けざまに投ってやる。飯を皆な投って了って汁ばかりで朝飯を済ました事もある。あとで腹がへって困ったが、あんな面白い事はなかった。
「巣鴨に帰る。『大変早かったね。裁判はどうだった』などと看守君はいろいろ心配して尋ねてくれる。何んだか気も落ちつく。本当にうちへ帰ったような気がする。
「しかし此のうちにいるのも、もう僅かの間となった。久しいイナクティブな生活にもあきた。早く出たい。そして大いに活動したい。此の活動に就いては大ぶ考えた事もある。決心した事もある。出たらゆっくり諸君と語ろう。同志諸君によろしく。」

 鬼界ヶ島の俊寛

 出て一ヶ月ばかりして、こんどは堺や山川や其他三人の仲間と一緒に、例の屋上演説事件で又入れられた。既決になると、其他三人と云うのが東京監獄に残されて、堺と山川と僕とが巣鴨へ送られた。
「やあ、又来たな。」
と看守や獄友諸君は歓迎してくれる。
「又やられたよ。しかしこんどは、まだ碌に監獄の気の抜けないうちに来たのだから、万事に馴れていて好都合だ。」
 僕は当時吾々の機関であった日本平民新聞の編輯者で、其後幸徳等と一緒に死刑になった森近運平に宛ててこんな冒頭の手紙を書いて送った。
 山口は何にかの病気で病監にはいっていた。山川はたしかほかの建物へやられたように思う。石川、僕、堺と云う順で、相ならんでいた。
 堺はもう格子につかまって「ちょいとお髯の旦那」をやる当年の勇気も無くなっていたが、石川と僕とは盛んに隣り合っていたづらをした。運動の時にそとで釘を拾って来て、二人の室の間の壁に穴をあけた。本やノオトに飽きると其の穴から呼び出しをかける。石川が話している間は僕は耳をあてている。僕が話しをする間は石川が耳をあてる。ところがこれがなかなかうまく行かない。時々二人で口をあて合ったり耳をあて合ったりする事がある。どうしたのかと思って、耳をはづしてのぞいて見ると、向うでも耳をあてて待っている。ちょっと議論めいた事になると、お互いに「こんどは俺がしゃべるんだからお前は聞け」と云い合って、小さな穴を通して唾を飛ばし合う。時とすると、「暫くそこで見ておれ」と云って、室の真ん中へ行って踊って見せたりする。
 こんな事をしてふざけながらも、石川は二千枚近い西洋社会運動史を書いていた。これは後に出版されて発売禁止になった。堺と僕とは当時堺の編輯で平民科学という題で出していた叢書を翻訳していた。山川も矢張りそれをやっていた。
 そして丁度此の翻訳が一冊づつ出来あがった頃に堺と山川と僕とは満期になった。「可哀相だが丁度鬼界ヶ島の俊寛と云う格だな。しかしもう少しだ。辛抱しろ。」
 堺と僕とは石川に斯う云いながら、
「おい、俊寛、左様なら。」
とからかって其の建物を出た。


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