あかし


 
 マンションの扉を開けるという動作は、室内に僅かな気圧差をもたらした。
 きっと、カーテンの隙間から舞い込んだ風が、テーブルに飾られたかすみ草を優しく揺らしたことだろう。
 ひび割れたコンクリートの廊下を抜けて、パステル・イエローの部屋に入る。
 
 部屋に差し込む光を優しく変える、白いレースのカーテン。
 テーブルに輪郭のぼやけた影を落とすのは、口の広い白磁の花瓶・・・
 
 探し求めて手に入れた、華やかで落ち着いた品々。
 
 
 ・・・もちろん、これだけじゃない。
 
 
 散々悩んで決めた壁紙と、それに合ったカーペット。
 ホワイト・オークのベンチチェスト。
 マットレスの硬さが気に入った、パインツリーのシングル・ベッド。
 
 
 鉄パイプの味気ないベッドは・・・もう、わたしは使わないの。
 
 
 絹張りのランプシェードに覆われた、白熱灯のライト・スタンド。
 少し大きめのクローゼットには、着心地の良い衣類。
 テーブルの上、花瓶の脇には・・・
 
 
 
 
 中身のない・・・フォト・スタンド。
 
 
 
 
 外出先からの帰り道に買い求めたティーカップを、とりあえずテーブルに置いてみる。
 
 一年に一つ。
 
 季節が巡って『あの日』が来る度に、少しずつ増やしてきたヒトとしての証。
 
 ヒトのココロが、あなたを忘れない為の絆だから。
 
 一年に一つ。
 
 あなたと過ごした『あの時間』が、季節のぶんだけ遠ざかるたびに。
 
 一年に一つ。
 
 わたしは、証を手に入れる。
 
 
 
「・・・着替えなくては、汚れてしまうわ。」
 
 
 
 いちばん最初に手に入れた証が、再び滲みだしたから。
 
 
 
「・・・来年は、本棚にしよう。」
 
 
 
 わたしは呟き、喪服を脱いだ。
 
 
 
 
 
 


管理人のコメント
 あかし――証。
 それは、ヒトとしての証だったのですね。
 それは、彼を忘れないための証だったのですね。
 一番最初に手に入れた証は、涙。
 それが再び滲み出し、彼の為に用意した喪服を濡らさないように――
 喪服を脱いだ。
 喪服を脱いで日常に戻った彼女は、それなりに幸せなのではないでしょうか?
 短い作品の中に、彼女の想いがいっぱいにつまっている。
 そんな大切な小さな宝石箱のような作品ですね。
 
 そして本作品には続編があります。
 そちらもあわせてどうぞ♪
 
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