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四季を取り戻したこの国に、徐々に冷たい風が吹くようになった。

そして、僕の空っぽな心の中にも。


唯一のぬくもりはあの想い出。

ガラス越しの、投げキッス。


あるはずもないその感触をなぞりながら、僕は日々を過ごしていた。

 

敏芳祥 presents
KISSの温度

 

「それで? 君はどうしたいんだい?」


彼女との別れのいきさつを話したとき、彼はそう尋ねてきた。

つい先日予期せぬ再会をして以来、彼はこうして何くれとなく相談に乗ってくれる。

僕にとっては思いがけない、幸運な変化だった。


「別に......何かがほしい訳じゃないよ。」

「...........嘘だね。」

「.................。」

「かすかな希望にすがりついて、これから生きてゆくのかい?」


彼女の言葉が『行くね』でも『帰るね』でもなかったこと。
それに、投げキッス。

僕のそんな淡い期待を、彼は的確に見抜いていた。


「でも............僕に何が出来るの? 何もない僕に、何が言えるのさ?」

「何もないなら、これから見つければいい。」

「!!」

「若さの特権だろ?」


確かに......これから一生、何も変わらずにいなければならない法はない。

すべての終わりは、すべての始まりでもあるんだ。


「そうだよね。今から何か、誇れるものを身につければいいんだ! 目標を見つければいいんだ!」

「目標なら、もう見つかっているんじゃないか?」

「え?!」


それはなに? と尋ねても、彼は笑うだけで答えてはくれなかった。

それを自分で考え探すことも、僕の為すべきことなんだろう。


決意を胸に。僕の戦いは始まった。

 

 


 

 

時は流れ、またあの季節。

燦々と照りつける太陽の下、僕は独りたたずんでいた。

うだるような暑さのせいで、気力が沸いてこない。


..........ホントの理由はわかってる。

この一年、学問にスポーツに芸術に、それこそありとあらゆることに手を出してきたけれど。

結局、僕には何もないことを思い知らされてしまったからだ。


「5歳から始めてこの程度だからね。才能なんか無いよ。」

チェロに関しては、はからずも僕自身が言ったこのセリフを実証して終わった。


料理はそう............もともと好きでも得意でもなかったんだ。

ただ、ほめ言葉はなくても嬉しそうに食べてくれるひとがいたから............。


僕に何か人並み以上なものがあるとしたら、あれだけ。

結果的にこの世界を守ったのかも知れないけれど、

彼女と僕を引き裂いた、戦いの道具。

今はもう使われることはない............
けれどけして懐かしいとは思えない、忌まわしき記憶の源泉。


あまりにも皮肉すぎて、苦笑すら浮かべることも出来ず。僕は抜け殻になっていた。

また常夏が戻ってきたかのような日差しの中で、溶けてしまいそうになる。

............いっそのこと、そうなってしまいたい。


独りではやけに広く感じるリビングで、ソファーに身を投げ出して。

外部からの刺激といえば、蝉の声と時折響くクラクションくらいだった。

日付の感覚を忘れるほど、この状態が続いた。

 

 


そんなある日。

玄関からコトリ、と音がする。

何事にも無関心になっていた僕が、何故かその時だけは即反応していた。


郵便受けから、カードが1枚出てきた。

つたない文字で書かれた僕の名前。それを見た途端、文字以上に僕の手が震え始めた。


間違いない。


おそるおそる裏返してみた。


青い空の下白く映える、山の上の古城の写真。

その下に、たった一言が書き添えてあった。

 

『アンタがいなくて、せいせいするわ』

 

そのとき、僕の中の時間が動き始めた気がした。


懐かしさ、愛しさ、後悔そして抑えられない想い。

そう、彼女がいたから。............彼女がいないと!


“目標なら、もう見つかっているんじゃないか?”


去年彼に言われたこの言葉の意味が、いまやっと、手に取るように判った。

「..................!」

そして、僕は。

 

 


 

 

《ハンブルグ行き75便にご搭乗のお客様は、発着ロビーにお集まり下さい。繰り返します。ハンブルグ行き......》


彼女から1年の時を遅れて、僕はこの街を後にする。


取る物も取りあえずここまで来ていた。

去年のことが、ついこないだのように思い出される。

あれから僕は何ひとつ変わることが出来ていないけれど、もう迷いはない。


“今ここに来ている。たったひとつ、それだけでも君は変われたんだよ。”


彼の餞別の言葉は、僕の決意でもある。

 


もういちど、彼女がくれた絵はがきを見つめた。


1年の時を経てなお、彼女が日本語を忘れていなかったこと。

そして、「暑中見舞い」という風習も。

彼女の意地っ張りな、そして寂しがりな性格を思わせる一文。


多分に思いこみと、希望的観測の込められた解釈だけど。

彼女の日常には、僕の居場所など無いのかも知れないけど。

とにかく今会いたいから、逢って話をしたいから。それから............


ぎゅっと右手を握りしめ。

僕は振り返らず、一年前の彼女の背中を追って行った。

 

 

 

 

この絵はがきの消印に隠れるように。

無色のリップでもう一つのスタンプが押されていることを知ったのは、だいぶ後の話。

 

fin.

 


管理人のコメント
 ガラス越しの切ない『KISS』と、想いが込められた絵はがきの『KISS』
 二つのKISSを敏さんから頂いてしまいました。
 ありがとうございます♪
 
 最初の『KISS』。
 二人の関係が切なく、心に染み込みます。
 優柔不断なシンジを、アスカはとっても歯がゆく感じていたことでしょう。
 『ガラス越しのKISS』
 は二人の関係をとってもよく表してして、思わず唸ってしまいました。
 
 二つ目の『KISS』。
 アスカからのカード。
 そのとき、シンジの時間はやっと動き始めました。
 目標はすでにシンジの心の中にあったのですね。
 最後のリップがにくいです♪
 
 この二つのお話。
 ストーリー、構成がしっかりとしていて、読んでいてとても気持ちが良いです。
 僕も精進をしなければ、なんて思ったりもするのですが。
 思うだけで、作品に反映されることはなかったり。(笑)
 
 
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