十六夜心中3は、シリーズの第五話のみで構成されています。四話からキャラが繋がっています。



                   

                 第五話  遊 戯




                1


 さっきまで夏の名残を残す日射しが地上に降り注いでいたというのに、いつの間
にかその光は分厚い雲に覆いかぶされ、地上は日没を待たずに薄暗さを増していっ
た。
 予報が当たらないと定評のある気象庁も近頃は侮れないものがある。
 改札口の前に立ち、茶色に染めたばかりの髪の毛を掻き上げながら見上げた空は、
今にも雨が降ってきそうな気配だ。これで降れば、四日連続の夕立になる。
「どうしようかな……」
 言葉と一緒に悔恨のため息が出てくる。
 今日に限って傘を持ってくるのを忘れたのだ。あまりの自分の間抜けさに舌打ち
したい気分だった。
 確かに、このまま素直に家に帰れば雨に遭わずに済むだろう。けれど、家に帰っ
てもこの言いようのない憂鬱な気分は晴れやしない。
 それならば……。
 視線を向けた先には、駅前の商店街のショーウィンドウが広がっている。もし、
夕立が降ったとしても、そのぐらいの時間なら充分しのげるだろう。それに目新し
いものが飾ってあるかもしれないし、違う高校に通っている友達に会えるかも知れ
ない。
 はたして、その友達は茶色に染めたこの髪の毛をみてどんな反応を示すだろう?
「あの優子にそんな勇気があったなんて思わなかった」
 きっと、みんな口を合わせてそう驚くだろう。自分自身、そんな勇気があったこ
とに驚いているのだから。
 茶色に染めた髪の毛は、クラスで浮いていた自分の存在をより一層浮き上がらせ
てくれた。担任なんかは目を丸くして「なにがあったんだ」としつこく聞き返して
くる始末。
 たかが髪の毛を茶色にしただけなのに、何故そこまで騒がられなければいけないん
だろう? 髪の毛が茶色になったといっても所詮は染めただけで、いつかは元の黒
色に戻るというのに。
 これは少しの間だけ自分を隠すために使っている仮面だけなのに。
(うっとうしいばかりの二学期だ!)
 心の中でそう毒づく。
 すっかりうっそうな雲に覆われてしまった空は、まるで今の自分の心を表してい
るようで気分が滅入ってしまう。
(気分を切り替えなくちゃ!)
 そう自分に言い聞かせて、駅前のロータリーに踏み出した瞬間、背中から聞いた
ことのある声がかかってきた。
「優子!?」
「!!」
「やっぱり、優子だ。ねっ、言ったとおりでしょ!? 久しぶりだね」
 振り返ってみると中学のときに同じクラスだった恭子が、そしてその隣には好き
だったけれど告白もできずに終わってしまった恋の相手――光一が立っていた。
「元気にしていた?」
 中学の時とちっとも変わらない笑みを浮かべながら恭子は私の横に並ぶと、ポン
ポンと軽く肩をたたいてきた。
「一応ね」
 夏の太陽のように明るい恭子に、とりあえず愛想笑いで答えてみせる。
(気分が乗ってないときに会うなんて、タイミングが悪いな)
 そんなことを心の中で呟いている私に、追い打ちをかけるような光一の非難がま
しい台詞が聞こえてきた。
「お前、なんて髪の色しているんだよ。ヤンキーみたいだぞ」
 恭子の横で渋い顔をした光一が立っている。
(光一もそう言うんだ)
 光一の一言が気分をさらにマイナス方向に走らせていった。
(誰も本当の私に気づいてくれない……)
 自分でも気づかないうちに、光一だけは気づいてくれるんじゃないかと期待して
いたようだ。微かな期待を抱いていただけに、みんなと変わらない返事をよこした
一に少しばかりの幻滅を感じてしまった。
(何も期待なんかしないでおこう)
 そう心の中で思った瞬間、
「そう!? 私は綺麗な色だと思うけど……。優子って髪の毛の色が真っ黒だったか
ら、このくらい茶色のほうがいいよ。いつも光一は言い方が大袈裟なんだから……。
ヤンキーの髪の色はね、もっと赤いの!」
 と、恭子の光一に反撃する声が聞こえてきたのだった。
「優子。絶対、いいからね。その髪の色」
 改めて私の方を振り向くと、恭子が力強く頷いてくる。
「あ……ありがと」
 恭子の台詞は、私にとって意外な出来事だった。まさか、恭子がこの髪の色をほ
める最初の人間になるなんて予想すらしていなかったのだから。それに、同じクラ
スだっただけで、そんなに親しくなかった私のことで光一に言い返すなんて思いも
しなかった。けれど、そのおかげで、すこしばかり気分が軽くなり始めた気がする。
「優子、何笑っているのよ? 私、おかしなこと言った?」
 いつの間にか口の端に笑みが浮かんでいたらしい。それを鋭く見取った恭子が聞
き返してくる。
「別に」
「嘘! まだ、顔が笑ってるよ。優子って昔から何考えてるかわかんなかったもん
なぁ。優子みたいな人をミステリアスっていうのよね? ところで、久しぶりにあっ
たんだから、そこの喫茶店でお茶しない?」
 あっけらかんとした態度でいきなり恭子がそんなことを提案してきた。
「俺はかまわないけど、お前の方が時間に余裕がないんだろう?」
 光一が心配そうに空の雲行きを見守りながら呟く。
「何か予定が入っているの?」
「うん。ちょっと商店街から離れた場所にある喫茶店でバイトしてるんだ。けど、
バイトまでまだ時間あるし、大丈夫。久しぶりに優子と会えたのにここでお別れなん
て寂しいじゃない! あっ、でも優子のほうが時間ない?」
「ううん。時間はいっぱいあるよ。恭子がよければお茶していこう!」
 断る理由なんて何もない。かえって家に帰らなくて済む理由ができたのだ。感謝
しなければいけない。
 こちらの事情を全然知らない恭子は、私の台詞を素直に受け取ると、
「行くよ。光一」
 と、自分たちより三歩後ろにいる光一に声をかけ、私の手を引っ張って商店街の
入り口にある喫茶店へと走りだしたのだった。

                2


(おかしなものね)
 アイスティーを胃に流し込みながら私はふとそんなことを思った。
 そんなに親しくなかった女友達と事の成り行きとはいえ、一緒にお茶をしている
のだ。そして、その彼女の横には片思いだった男の子が雲行きを気にしながら座っ
ている。
(そういえば、中学のときから恭子とは仲が良かったっけ。何回かつきあってるん
じゃないかと、噂にもなりかけていたし。今はつきあっているのかな? 確か同じ
高校に通っているはずだからつきあっているんだろうなぁ……)
 今では、なんとも思わなくなっていたが、そんな事を考えると、さすがに胸が痛
くなってくる。
「ねぇ、優子は今誰かとつきあってるの?」
 一気にグラスの真ん中までジュースを飲み干した恭子が、満足そうな笑みを浮か
べながらそんなことを聞いてきた。
「ううん。いないよ。恭子は 」
 まるで心の中を見透かされたような恭子からの質問に、すぐさま切り返したが、
内心は穏やかなものじゃなかった。けれど、恭子はそれほど気にも止めてなかった
らしく、大きく首を縦に振ると、
「まだまだ片思いだけど、好きな人はいるよ」
 と、幸せいっぱいの笑顔を作ってきたのだった。
「こいつ、バイト先のマスターに横恋慕してるんだと」
 コーヒーを一口飲んだ後、光一がごていねいに補足してきた。
「違う! 人聞きの悪いこと言わないで! 横恋慕じゃないわよ。マスターと奥さん
はとうの昔に離婚しているんだから。変なこと言わないで!」
 かんぱつ入れず、頬を膨らませた恭子が訂正を促した。
「ハイハイ。失礼しました」
 肩をすくめながら光一が口を尖らす。
(それじゃ、光一は?)
 まじまじと私は光一の顔を見つめ返した。
 その視線に気がつくと、光一はすこし苦虫をつぶしたような顔をして、
「俺は、失恋中だよ」
 と、そっけなく答えをよこしたのだった。
(誰に!?)
 危うく口に出かかった言葉を私は慌てて引っ込めた。
 いまさらそんな確認をしたところでなんの得になるだろう? 光一のことを今で
も好きなのならまだしも、今自分の心には別の人がいる。興味本位で聞くことじゃ
ないし、出てくる名前だってだいたいの予想がついている。
 そう自分を戒めながらも視線は聞けば出てくるはずの人間に動いていた。
 視線の先には、残りのオレンジジュースをおいしそうに飲んでいる恭子の顔があ
る。
「!?」
 私の視線に気づいて恭子が顔を上げる。
「恭子の好きな人って……いくつぐらいの人?」
 自然にそんな質問が口から出ていった。
 それを聞いて恭子は瞬間キョトンとした表情を作り、続いておかしそうにクスク
スと声を出して笑い出したのだった。
「やっぱり、優子ってどこかミステリアスだね。初めてだよ、一発目の質問で年齢
を聞かれたのは……。普通はみんな、『どんな人?』とか、『かっこいいの?』と
か容姿を聞いてくるのにさ……」
「ごめん!」
 慌てて謝りながら、自分の疑問をストレートに出し過ぎたことに後悔した。
(勘の良い恭子に感づかれなかっただろうか?)
 恭子に気づかれないように恭子の様子を伺ってみる。
 そう普通の高校生なら初めから年齢なんか聞きやしない。気になるのは年齢じゃ
ない、容姿なのだから。
(自分だってそうじゃなかった!?)
 光一のこと好きだったけど、一番最初に気に入ったのは綺麗にブローした前髪が
額にかかるバランスの良さだった。あの人の時だって……。
「三十半ばだったかな?」
 首を傾げ考え込んでいた恭子が、突然口を開いて年齢を言ってきた。
「エッ!?」
「脱サラして喫茶店のマスター始めるぐらいだもん。いい年こいたおっさんだよ。
それも目茶苦茶ダサいの。でもね、私には一番かっこよく映るんだ。コーヒーを作
る横顔なんて最高だよ」
(その人の横顔が最高なら今それを話している恭子の顔は超最高の笑顔だよ)
 今の私にとって恭子の笑顔は、面と向かって見つめられないぐらい眩しすぎた。
「今度見に行っていい?」
 さりげなく言った台詞に、恭子は破顔しながら大きく頷くと、
「うん。『ライラック』って名前の喫茶店だから、ぜひ来て。なんかね、風水が悪
いのか人の入りが悪くて。売上の協力してくれるんなら願ったりだわ!」
 と、手を叩いて喜んだのだった。
「本当にその人が好きなんだ」
 私の羨望に満ちた台詞は、小さく呟いたおかげで恭子に聞こえることはなかった。
しかし、ずっと怪訝そうに私の方を見ていた光一の耳には、しっかり届いていたの
だった。

                3


 それからしばらくは脈絡のない会話をしたりして時間を潰していたが、六時を少
し過ぎたころに恭子がバイトの時間だと言って名残おしそうに店を出ていってしまっ
た。
 勿論、その時、光一も一緒に恭子と出て行くものだと思っていた。けれど、光一
は恭子が席を立っても「それじゃぁな」と言っただけで、冷めきったコーヒーに口
をつけたまま席を立とうとしない。
「まだいいんだろう?」
 訝しげに見つめていた私に光一が上目使いに聞いてきた。
「私はいいけど、光一のほうが早く帰らないとヤバいんじゃないの? さっきから
外を気にしてたじゃない」
「別に。たいしたことじゃないから……」
 そっけない返事をすると、光一は私の方を見ず、ウェイトレスを呼ぶとコーヒー
の追加をオーダーした。
「なんか私に話しがあるの?」
 黙り込んだままの光一にそう尋ねてみた。これしか思い当たる節がないのだ。光
一のこの態度は何か聞きたい前触れに違いない。
 案の定、私の考えは図星だったらしく、光一は私の台詞にビクリと肩を揺らし、
少しためらった視線を私のほうによこした後、
「髪の毛を染めた理由と、恭子ンとこのマスターの年齢を聞いた理由は一緒なんだ
ろう?」
 と、独り言のように呟いたのだった。
 その台詞に今度は私がビクリと肩を揺らす番だった。返す言葉がない。
 昔から光一は頭の回転が早くて、そこがまたかっこよかったけど、こんなに鋭く
真相をついてこられたらたまったもんじゃない。
「別に言いたくないんなら、話さなくていいんだぜ」
 慌てて心配そうに様子を伺いながら付け加えるところがまた光一らしい。私はそん
な光一を見て苦笑してしまった。
(何で今でも私は、光一のことを好きでいなかったんだろう?)
 答えの出ない質問を自分にしてみる。バカげているとは思うけれど、せずにはい
られなかった。もし、光一のことを今でも好きでいたのなら、こんなふうに苦しま
なくてすんだのだから……。
「……この髪の色はね、今の私の姿を誰にも見られたくないから染めたものなの」
「どういう意味だよ?」
「妊娠」
 その言葉は思ったより簡単に自分の口から出ていった。もっと抵抗があるかと思っ
ていたのに不思議とその言葉はすっとでていったのだった。けれど、聞かされた光
一が驚いて言葉を失っているところをみると、やはりこの年齢にすればあまりにも
不釣り合いな台詞だったのかも知れない。
「お前、自分が何言っているのか分かっているのか?」
 水を一口飲んだ後、光一は一句一句確認しながら、私に聞き返してきた。
「うん。本当のことだもん。もうすぐ三カ月なんだって。不思議な気分だよ。お腹
も出てないし、まだつわりもない。けれど、あの人の子供がこのお腹の中には確か
にいるんだ」
 一度言い始めると、簡単に現実を把握することが出来た。私は妊娠している。言
葉にすればそれだけのことなのだ。
「……で、相手はそのことを知っているのか?」
 光一が小声で尋ねてくる。それに私はゆっくり首を横に振った。
「仲の良かった友達とも親ともうまくいかなかった時期があってね、そんなときに
街で偶然その人に会ったの。始めは、遊びだと割り切って映画を見に行ったり、ご
飯を食べに行ったりしてたの。気分転換にもなったし、楽しかったわ。けれど、やっ
ぱり子供よね。ついつい無いものねだりしちゃった」
 光一の前で舌を出して照れ笑いを浮かべてやろうと思ったのに、その思惑を実行
することは出来なかった。反対に鼻の奥が、だんだんとツンとしてくる。それを光
一に気づかれまいと私は空元気を出して言葉を続けた。言えば言うほど苦しくなる
のは分かっていたけれど……。
「……私が無いものねだりをした時もあの人は限りなく優しかったわ。嫌がるわけ
でもなく、すんなり私を受け入れてくれた。あの人は、ただクールでいて大人だっ
たの。私が望んだからそうしたって言う目で私を見ていた。私は割り切れなくなっ
ていたのね、あの人は割り切って私の相手をしていたの。でも満足だったわ。その
瞬間だけは、あの人は私のものになっていたから。そして、その結果がコレ。……
言えるわけないじゃない!!」
 とうとう声は涙声になってしまった。
「なんで そいつにも責任があるじゃないか!」
「何故分からないの?あの人を愛しているからじゃない!あの人には……宮城さん
には家庭があるのよ。あの人の家庭をつぶせる訳ないじゃない」
 声を荒げた私に
「じゃぁ、そのお腹の子供はどうするんだよ」
 と、厳しい現実を伴う光一の台詞が返ってきた。その台詞に私は言葉を詰まらせ
てしまった。目の前には憮然としたままの光一が私を見据えている。
「……わかんないよ。堕ろしたらいいのか、このまま生んだ方がいいのか。あの人
の子供を堕ろすことなんて出来ないし、でも生んだとして育てる自信なんてないし。
ねぇ、助けてよ」
(そう、この髪の色はそんな惨めな自分を誰にも見られたくなかったから。なのに、
その姿を光一にさらすなんて……)
 もう、まともに光一の顔を見上げる勇気もなかった。ただ、涙が込み上げてくる
だけ。そんな私の耳に光一の優しい声が入ってきた。
「心中しろよ」
「!!」
 見上げた光一の顔は言った台詞とは程遠い仏のような優しい微笑みを浮かべてい
た。そして、訝しげに見つめる私の視線に気づくと、慌てて補足を付け加えたのだっ
た。
「心中しろって言ったって、本当に死ねって言ってるんじゃないぜ。……お前、本
当に腹の中の子供のこと考えてないだろう? 子供のこと考えているのなら、自分
一人でどうしようなんて考えないからな。そのお腹の子供は、お前だけの子供じゃ
ないんだぜ。お前とその男の二人のものなんだ。しっかりそのことを心得て話し合
わなくちゃ!」
 今の自分には痛い一言だった。
(確かに、私は心のどこかでお腹の中の子供をほおっておいて宮城さんのことと自
分のことしか考えていなかったのかもしれない。そのことを光一は簡単に見抜いて
しまったんだ。『心中しろよ』か……。そうだね。私はこの子供と生きるにしろ、
なんしろ、一蓮托生でいなければいけないんだ)
「ありがとう。勇気がでてきた。本当は私、怖かったんだ、あの人に言ったら簡単
に『堕ろせ』って言われるんじゃないのかって。そして、そのまま捨てられるんじゃ
ないのかって。でも、これは三人の問題なんだよね。あの人とこの子供と私とで解
決しなくちゃいけないんだよね」
 精一杯の笑顔を今度こそ光一に向けて作ってみせる。それに光一は大きく頷くと、
「それじゃ、行くか」
 と、席を立ち上がりながら声をかけてきた。
「どこへ?」
「恭子のバイトの店に決まってるじゃないか。恭子の片思いの相手を見にいこうぜ!」
 光一がいたずらっぽく笑う。
「そうだね」
 恭子も前向きに恋をしているんだ。私も頑張らなくちゃ!
 支払いを終えた光一の後に続いて店をでる。
「ねぇ、わたし、幸せになれるかな?」
「なれるさ。お前が幸せになる気なら!」
 光一の優しい一言が、暗くなっていた私の気持ちを暖かくしてくれた。
(頑張ってみるね。あの人に別れを告げることになるかもしれないけど。頑張らな
きゃいけないんだよね? わたしの中にいる貴方のためにも。……私、今日光一に
出会えて良かった。貴方は納得いかないけも知れないけれど、私、光一のこと好き
になったことを誇りに思う)
 光一の背中に呟きながら、わたしは優しくお腹を抱いたのだった。

                                           〈了〉



           

               メールで感想なんかを頂ければ、うっれしいな♪