
こんな恋愛もアリでしょう?っていう感じで作った話です。


月 下 美 人

【月下美人】 げっかびじん
サボテン科の着生植物。
夏の夜。長さ30センチメートルほどの白色漏斗状の花が咲く。
花は芳香を放ち、濫時間でしぼむ。
三省堂「大辞林 第二版」より 抜粋
* * * * *
まるで不夜城だ。
この街を訪れる度に、僕はいつもそう思うのだった。眠りを知らない街。昼間だろうが、夜だろうが、人の波が切れることはない。
きらびやかなネオン街を、彼女はスキップするかのような軽やかな足取りで僕のすこし前方を歩いていた。そして、不意に僕の方に振り返ると、
「ねぇ、知っている?」
と聞いてきたのだった。
朱色の鮮やかなルージュを塗った口元には意味深な笑みを浮かべている。
突然の質問に僕は返す言葉がなかった。
「ねぇ、知っている?」
再び、彼女が首を傾げながら同じ台詞を口にのせる。
猫を連想させる少々つり目の瞳が、返事をよこさない僕をまどろっこしそうに見つめている。それでも僕には答える言葉が見つからなかった。
「ねぇ、知っている?」
三度目の質問。
しつこく彼女は同じ質問を同じ口調で繰り返す。けれど、僕には彼女が何を知っているのかと聞いてきているのか、皆目検討がつかなかった。
適当な返事など出来ない気迫で彼女が僕との距離を縮めてくる。
「知っているよ」
より一層自分を窮地に追い込む台詞とわかっていても僕にはこの言葉しか言えなかった。
彼女のペースで時間が過ぎていっている。それを僕は自覚する。きっと彼女には、僕がなんと口にするか、初めからわかっていたのだろう。だからちゃんとそれに対する台詞を用意している。
そして、その台詞を僕は容易に想像できた。
「わたしの何を知っているの?」
意地悪そうに彼女が聞いてくる。
分かりきった質問。
彼女は、僕の側まで戻ってくると、小動物をいたぶるような蠱惑な表情を浮かべながら僕の顔を覗き込んできた。
朱色に濡れた唇に視線が集中する。
「ねぇ? 何を知っているか教えて」
妖艶に彼女の唇が動く。
「……躰……」
考えるよりも先に言葉が生まれた。
「僕は……君の名前もどこに住んでいるのかも知らない。けれど、躰は知っている……」
そうきっぱりと答えた。
その台詞を聞いて彼女は大きく目を見開く。どうやら彼女が予想していた答えじゃない返事を僕はしてしまったらしい。
彼女の表情を見た瞬間から、彼女が僕に対して興味を失っていくのがわかった。そして、心の中に何かしらの亡失感を覚える。
今日、偶然、雑踏の中で会っただけの彼女。そして、気が付けば、どちらが誘うわけもなく、成り行きで肌を重ね合わせていた。ただそれだけの関係だ。そこに心があったかどうかなどわからない。
なのに、この感情はなんだろう?
「なつみよ」
「えっ?」
俯いた顔を上げると、目の前に少女のような笑みを浮かべた彼女が立っていた。今までに見たどの笑みよりも親しみの持てる無邪気な笑みだった。
「なつみ。覚えていてね。またどこかで会うかもしれないから……」
そう言い終えると、彼女は傍目を気にせず、僕の首に腕を回したと思うと、そのままキスをしてきた。優しいキスだった。
「バイバイ」
耳元で余韻を残す声で囁くと、彼女は大通りに向かって駆けだしていった。その間、一度も僕の方を振り向くことなく……。
大通りの光の中に彼女が消えていっても、僕はしばらくその場所に立ち止まって、彼女の消えていった通りを眺めていた。
一夜限りの恋愛。
彼女はまだどこかで会うかもしれないからと言っていたが、僕にはそんなことなどないことを知っていた。
一期一会。
もし、今度また雑踏の中で彼女と会ったとしても、それは「なつみ」という彼女じゃない。きっと別の誰か……。
「なつみ」と「躰」
僕が彼女に関して知っているのは、たったそれだけ……。
<了>


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