ひとり言


ここの記事については、もう何十年も前の記憶からのもので正確性に欠けているかもしれません。
記憶違いなどがあればご容赦願います。また、指摘頂けたら幸いです。

<ロクハン・スピーカー>
私がスピーカーの自作を試みたのは、中学3年の文化祭の前でした。
当時はバスケット部と理科部だったかどうか定かでありませんが、文化部にも所属していました。
中2にアマチャア無線の電話級を取得し、それから真空管の自作送信機を、少ない小遣いから少しずつ部品を買いながら作っていました。(開局できたのは高1の時になっていました。)
そんな中、雑誌「ラジオの製作」「初歩のラジオ」などからオーディオにも興味が湧き、パイオニアのスピーカーユニットのキットを購入しました。
スタジオのモニター用としても採用されていると評判でしたパイオニア「PE−16」のキットで「PE−16KT」だったような気がします。
コイルとかセンタードームとかコーン紙など、接着剤を利用して組み立てするんですが、2千円しない価格だった記憶があります。
今時、スピーカーユニット自体のキットなんて聞いた事無いですが、昔はあったんですね。
この当時は、「ロクハン」ブームでもあったような気がします。6インチ半、つまり16センチ口径のスピーカーですが、フルレンジで、日本の家屋で4畳半から6畳くらいの広さで聴くにはバランスも良く音の定位の良さなども評判だったような記憶があります。
で、文化祭の話に戻りますが、丁度、友人は、同じくロクハンの三菱DIATONE「P−610A」を購入し、それぞれエンクロージャーと真空管のアンプを作り、違いを比べて見ようとなりました。
「P−610」は当時から中音域に評判で、ボーカルなどを聴くには高い評価がありました。
AとBがあり、「P−610B」は、インピーダンス16オーム、Aは8オームだった記憶がありますがこれも定かでありません。

でアンプですが、アルミのシャーシをハンド・ドリルとか、シャーシパンチ、リーマ、ハンドニブラなどを利用して穴あけ加工から始めます。
シャーシパンチは優れもので、先に10ミリ程度の穴をドリルで開け、後は真空管のソケットのそれぞれの規格に合った穴の大きさの丸い刃とその受けでシャーシを挟み込み、ネジを締め付けて行くと見事に綺麗に穴が空くものです。
ハンドニブラは、ハサミのように使用して四角でも曲線でも、切ることが出来て、トランスなどを取り付ける為の穴などをこれで空けました。

回路については、色々な雑誌から、自分たち流に設計した(だいたい基本は決まっていますが)もので、ラジオなどの低周波増幅管で、確か、6BQ5だった記憶ですが、5極管で、それをプッシュプルで組みました。
私は、そのまま5極管として使用し、友人は、3極管結合にて作りました。
なんでも、友人曰く、「3結は良い!!」、です。

で、エンクロージャーですが、スピーカーは自費、アンプも自費、エンクロージャーはもともと自宅にてそれぞれ使用するつもりで、文化祭までの期限も少なく製作時間も無いことから、学校の経費で15ミリの厚さのサブロクのラワン合板を2枚購入し、それぞれ自分の考えているエンクロージャーの木取りを合板上に線引きし、その中のスピーカーユニットの取り付け穴だけを空けました。
2枚の合板は、異なるところに穴が空けられ、平面バッフルとしての利用だった訳です。
勿論、文化祭終了後は、この合板は自宅に持ち帰り、それぞれの木取りにて、密閉型のエンクロージャーに変身しました。
文化祭では、天井からワイヤーで吊るした平面バッフルと、自作アンプ、それに、クリスタル・ピックアップの安物のレコードプレーヤーを接続し、どんな音楽を鳴らしたのか覚えていませんが、無事終了となったしだいです。

その後、友人とは、ジャンクのスピーカーユニットをバラし、コーン紙の代わりに薄いステンレスの板を円錐状にしたものを、ユニットに取り付けて、ツィーターを色々、何種類も作った思いもあります。

その後、高校生になり、この友人宅に遊びに行った時に、ダイヤトーンP610は健在で、自作のFMチューナーで音楽を聞かせてもらった時の、あの中音域のすばらしさは、今でも忘れません。
また、友人の部屋には、自作のコンピュータボードや自作キーボード、それにジャンク利用の音楽カセット装置をコンピュータボードに接続されていて、なにやら将来が見えてくる思いがありました。
この友人は、その後、大学を経て、T社の技術者として研究所で活躍をしています。

<コーラル、フラットシリーズ>
私ですが、その後、スピーカーについては、コーラルのフラットシリーズの1つ、やはりロクハンにこだわり、FLAT6を購入し、バスレフにてエンクロージャーを作成しました。
ドンシャリ傾向で、低域は結構でる方だったと思います。ボーカルは引っ込んでしまい、NGですが小編成のジャズなどには個性もあり良かった覚えがあります。
このころ、JBLの20センチ、フルレンジスピーカーのLE8Tは、それはそれは憧れでした。
今でも、その気持ちは変わりませんが、私の小遣いでは手が出ません。
また、FETなどで、プリアンプを自作したり、プレーヤーなどもターンテーブル、アーム、ピックアップなど、好みのものを購入し、プレーヤーケースなども自作していました。
このプレーヤーケースのターンテーブルなどのベースの部分は、高校の机の天板で、かなり良質の分厚い合板で、これを利用しました。えっ、天板・・・は壊れた机が学校の裏に捨ててあった?ので天板をリサイクルさせて頂きました。
このころ、中学時代のギター仲間で、FLAT5にて製作した友人がいまして、友人の自宅で聞いたあの小さなバスレフのエンクロージャーからは、まとまり締まりのある音量とギターのタッチの効いた弾けるような音がこの10センチ程度のスピーカーから鳴っていることに驚きがあった覚えがあります。
それから、高校の終わりごろには、友人の中で、そこそこリッパなオーディオ機器を所有するやつとなっていました。
この友人は、音楽大学を経て、クラリネット奏者として活躍、いくつかの大学の講師として、また、音楽工房の代表として、活躍しています。

<アイデンのスピーカー>
丁度、高校の時に、アイデンの大宮の工場を見学できる機会がありました。
各メーカーのOEMでスピーカーを製作しているところでした。
高校の先輩がここに勤務していて、無響室や会社のとてもリッパなオーディオルームなども案内して頂きました。
オーディオルームで聴かせて頂いた、多数並んでいるスピーカーのどれか分かりませんでしたがジャズを聴かせてもらいました、先輩が、この音、どのスピーカーから流れているか分かりますか?
なんて、聴かれましたが、見当もつきませんでしたが、とても素晴らしい音には違いがありませんでした。
分からないと答えると、先輩は、ちょっと自慢げに、実は、これなんですと、指さしたのは、なんと10センチ程度のユニット1個が、そのユニットには大きくて不釣合いなエンクロージャーに納められていたスピーカーでした。
今、研究、実験中のスピーカーユニットで、OEMでなく、「アイデン」の自社ブランドとしてこのユニットを世に送り出す計画があると聞かせてもらいました。
この時、初めて私の頭の中にあるスピーカーの常識のようなものが覆されたように思いました。
それから、何年か後に、スピーカーに興味が薄れた時に、ラジオ雑誌の広告にアイデンブランドの小さいスピーカーの広告を見て、先輩が言っていたものは、これだったのか、もうとっくに出ていたのか分かりませんでしたが、OEMでなく、アイデンブランドが出ているんだと、何か、心の奥で感じていました。
ただ、その価格たるや、とても高価なものだった記憶があります。
それから、私が社会人になったころかこれも定かではありませんが、アイデンが倒産したと耳に入り、あの先輩はどうしているのだろうかと、ふと、脳裏をあの見学会がよぎりました。

それから、アイデンのことは、最近まで忘れていましたが、最近アイデンのスピーカーを調べてみると1980年ごろ、AF-50Xという製品を出していたらしいのです。口径12センチ、アルニコマグネットでつぼ型ヨーク、黒いダイキャストのフレーム、センターが高音のラジエターになっているメカニカル2ウェイで、レンジはそう広くないにもかかわらず、骨太でマッシブな音はジャズを聴くのに好適で、その筋では垂涎の品であったとのことです。それも、こんなに小さなスピーカーながら、当時1本1万5千円という高級品だったそうです。

<おじさん世代>
あれから、何十年かを経て、今、ここに、Helix−L102を製作して、再び、音の世界に興味を持てたことの喜びと幸福感を感じています。
私は多趣味で、現在の仕事からリタイヤしても、その趣味で人生楽しく暮らそうと願っているのですがまたまた、1つ楽しみが増えました。
あのころは、物もなくお金もなく、あるのは時間でした。
無ければ作ろう、買えなければ作ってしまおうと言う、物作りの必要性と楽しさが原点でした。
今でこそ、作ることは、贅沢でもありお金もかかるものが多々あります。
作らなくとも、安くて特性の良いものが沢山あります。

物作りの楽しさは、作る前からの思いを膨らませ、それを思考し、作り出す過程を楽しみ、完成の達成感を味わい、物への大切な気持ちを持ち続ける。
おじさん世代は元気です。

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