十二月に観た映画
1999/12
教授と美女 地雷を踏んだらサヨウナラ 雲晴れて愛は輝く 永遠の戦場 ヒズ・ガール・フライデー 御法度 エンド・オブ・デイズ
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直接その感想に飛びます。
12/4 教授と美女
1942年アメリカ映画 12/4NFC
監督:ハワード・ホークス 脚本:ビリー・ワイルダー
撮影:グレッグ・トーランド 音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:ゲーリー・クーパー/バーバラ・スタンウィック/オスカー・ホモルカ
ニューヨークという名の「森」で起こる『白雪姫と七人の小人』という名のファンタジー。
一番好きなシーンは、白雪姫である踊り子が「もっと光が必要だわ」と言って天窓のカーテンを開くところかな。暗い書斎に光が入り込み、踊り子は七人の小人である世間知らずの老教授たちにダンスのステップを教える。幸福に満ちた時間が流れる。
光は『教授と美女』のキーになるものかもしれない。踊り子が窓ガラス越しの陽光を背後にして立つ時、王子である中年の教授は恋心を燃やす。そして中年の教授は明かりが消され、窓から光が差し込み闇の黒の美しさを際立たせている夜のバンガローの部屋の中で、「9」が「6」に変わったアクシデントから、図らずも恋人にストレートな恋心を告白する。
一度は終わったかに見えた恋を成就させるのも、光だ。天窓から差し込む陽光は恋を終わらせてしまう危機的状況を切り開く。
フランスを代表するような文学者がマルセル・プルーストを光と風の作家だと評していたが、ハワード・ホークスもまた光と風の作家なのかもしれない。僕はフィルム・センターの椅子に座りながら、笑いに身を任せるよりも、ハワード・ホークスの映画の中にある光に強く心を動かされ続けていた。
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12/6 地雷を踏んだらサヨウナラ
1999年日本映画 12/6シネ・ラ・セット
監督/脚本:五十嵐匠
撮影:岡雅一 音楽:安川午朗
出演:浅野忠信/ロバート・スレイター/川津祐介
この映画にあるものは一体何だろうか?最初僕は生きる勇気を与えてもらうつもりで映画館に入ったが、暗闇の中でスクリーンが明るく輝いたとき、そこで展開したのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』的テーマだった。
どこへ行っても子供たちに取り囲まれてしまう主人公の戦場カメラマンは、僕には一番末の弟、アリョーシャのイメージと重なってしまう。子供たちを目にしただけで思わず微笑んでしまうアリョーシャ。アリョーシャは子供たちは未来への唯一の希望なのだと言う。
アリョーシャが子供たちに惹かれるのは、彼らが無垢な存在だからだ。まだ罪を知らず、知らない故に罪を犯すことのできない存在。この子供たちという存在について説明するには、イワンについて言及しなければならない。
アリョーシャの上の兄、イワンはその無垢な存在が苦しめられている事例を集めている。いまだ罪を犯すことのできない存在が不当にも苦しみを与えられている。世界がそのようであるならば、世界にはどんな救いもあり得ない。なぜならば無垢な存在が受けた苦しみは誰も癒せないからだ。世界がどんなに輝く場所になったにせよ、無垢な存在が受けた苦しみは消えはしない。
たぶん、そうたぶんとしか言えないのだが、イワンはあまりにも理知的なのだ。知性は無垢な者が受けた苦しみの前で絶望して立ち止まってしまうが、感性は、この感性という言葉については説明が必要なのだが、そこで立ち止まらず無垢な存在へと向かう。それがアリョーシャなのだ。
感性は知性と違って自分が向かう方向を知らない。ただただ呼びかけるものへと向かう、なぜ向かうのかも知らずに。戦場カメラマンは無垢なものへと、そして世界の闇へと、人を悪魔にしてしまう場所へと向かう。それは、またしてもこの言葉を使うが、たぶん世界を生きるに値する場所にする戦いなのだ。アンコール・ワットは子供たちがほとんど無意味に殺されて行く世界で一つの象徴としてある。
アンコール・ワットが僕たちに呼びかける声。その声がはっきりとでないが、確実にこの映画からは聞こえる。それならばこの戦場カメラマンは生の戦いにおいて勝利しているのだ。
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12/9 雲晴れて愛は輝く
1927年アメリカ映画 12/9NFC
監督:ハワード・ホークス 脚本:ウィリアム・M・コルセルマン
撮影:L・ウィリアム・オコネル 美術:ウィリアム・S・ダーリング
出演:ジョージ・オブライエン/ヴァージニア・ヴァリ/J・ファレル・マクドナルド
映画を通して光と風があった。まだまだ断言できないのだけれど、光と風はハワード・ホークスの命のようなものではないだろうか?車と飛行機を自在に操ったホークスは乗物がスピードを上げ風の中に入る時、光と風でできた世界の住人となったのだ、と、間違っているかもしれないが、感じる。
コメディ映画で愛とはとか言い出すのは、ずいぶん野暮だということは充分に承知しているが、この映画から感じられるのはホークスの愛への信頼だ。パリの安酒場で観光客を欺いて金を稼いでいる札付きの女性も愛の前では少女のような純情を見せる。そしてその愛への信頼は光と風がもたらすもののように感じられるのだ。その女性が結婚してもいいと思うほど愛する人と再会するとき、そこでは光と風が充ち満ちている。
もちろんホークスは愛の持つ暗い面も充分に承知している。バナナを効果的に使ったシーンでは、愛の持つ醜悪さが嫌悪感をもよおわせるほど見事に表現されている。僕は正直このシーンが嫌いだが、でも愛は醜悪だからこそ美しいのも真実だ。暗さが光を生み出す。愛は性欲という暗い欲望から生まれるが、その愛は闇へとでなく、光と風の世界に向かって成長する。芸術家たちが愛に惹かれるのは愛が闇と光との中間にあるものだからだ、とプラトン哲学を無粋になぞってしまうものをこの映画は持っている。
ここまで書いてかなり滑稽だなと感じる。この映画はラブ・ロマンスであり、軽快な明るさを持つ映画であり、以上のような議論にこれほど似合わない映画もない。
ラスト・シーン、クールな観光客があれは芝居で毎晩繰り返されているのさと得意げに言う。それが真実でないことを知っている僕たちは笑いに誘われるが、映画が終わった後、そのせりふはもう一段高い段階で真実であることに気付く。ホークスは愛を信じながら、愛を皮肉る。そこが魅力なのかもしれない。
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12/10 永遠の戦場
1936年アメリカ映画 12/10NFC
監督:ハワード・ホークス 脚本:ウィリアム・フォークナー
撮影:グレッグ・トーランド 美術:ハンス・ピーターズ
出演:フレデリック・マーチ/ワーナー・バクスター/ジューン・ラング
光はこの映画では消されていく。消されて空を巨大な怪物が飛びながら地上に破壊をもたらすとき、闇の中に残るのは一本のロウソクの炎が発する光だ。この男らしさをテーマにした骨っぽい映画を愛の映画だとするならば、その儚げで移ろいやすくもあれば導きでもあるロウソクの光がこの映画の愛を象徴する。
移ろいやすく儚いものである愛。そんな愛の軽薄さを知りながらも、ハワード・ホークスは愛を信じている。そう僕は感じた。重要なのは、唯一大切なのは無骨で不器用な大尉の愛なのだ。
大尉の愛は不器用で、不器用なだけひたむきだ。大尉は愛する人の心が自分から離れていってもその人を愛しつづける。大尉の愛は導きであるロウソクの光だ。大尉は恐怖が日常になっている場で、愛を生きがいに生きている。たぶん大尉はあまりにもナイーブなのだろう。愛する人の心が完全に自分から離れてしまったことを言葉で知った大尉は怒る代わりに後ろによろめく。岩のような厳しさと不屈さを持った大尉がよろめくのは、「可愛く」切ない。
失明は象徴なのだ。愛を失った大尉はもはや一人では生きていけない。父親の助けが必要だ。いや、父親が息子にお前の目の代わりになろうと言うとき、父親は息子にとって愛がどんな意味を持つのかを誰よりもよく知っていたに違いない。父親が息子に助けを申し出るとき、父親は息子に死地に赴く手伝いをしようと言っているのだ。
大尉の愛を真に理解するのは、大尉の愛のライバルである中尉だ。一度は大尉を愛した女性は大尉の心はどこか歪んでいると言う。そう言うとき彼女は大尉を理解していないことを露にする。
ホークスは愛を否定しながら、愛を肯定している。こう言っても同じことだ。ホークスは愛を肯定しながら、愛を否定している。映画が終わったとき、心に残るものはなんだろうか。僕の心には導きであるロウソクの光が残った。たぶんそれは正しいことなのだ。
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12/18 ヒズ・ガール・フライデー
1940年アメリカ映画 12/18NFC
監督:ハワード・ホークス 脚本:チャールズ・レデラー
撮影:ジョゼフ・ウォーカー 美術:ライオネル・バンクス
出演:ケーリー・グラント/ロザリンド・ラッセル/ラルフ・ベラミー
この映画でとりわけ印象的なのは、主人公である女性新聞記者がまだ新聞記者がやくざ稼業で、新聞記者たちが荒くれ者たちだった頃にあって、男たちと互角或いはそれ以上に渡り合い、溌剌と生き生きと仕事を進めることだ。1940年代にあってハリウッド映画の女性像は1990年代の女性像以上に解放されている。なぜこの女性像が1950年代家庭的な女性像に後退したのかという問題は興味深い問題だが、ここでは放っておこう。
チラシにはもともとこの記者役は男性だったと記してあるが、その記者役を女性が演じても不自然でないものが当時のアメリカ社会にはあったということをこの映画は証明しているし、その当時のアメリカ社会にあったおそらく自由で解放された雰囲気が、この映画に命を与えて、溌剌と生き生きしたものにしているのだと想像されもする。
マシンガンのように会話を交わすケーリー・グラントとロザリンド・ラッセルとの間にあるものを名付けるとしたら溢れるようなエネルギーだが、そこに1940年代のアメリカ社会の持っていた活気がはっきりと感じられてそこに強く惹かれる。
会話のスピードはこの映画の魅力の一つだ。僕の語学力が低いということも大いに関係しているが、耳で追おうとしてもその先にエネルギーを見せびらかしながら行ってしまう会話の速さはとても楽しい。
ストーリーというか筋も、複雑ではなくシンプルだが、超スピードで進んでいって気持ちがいい。そんなことはあり得ないが、江戸時代の江戸っ子がこの映画を観たら拍手喝采を送ったのではないだろうか。
最後にもう一度繰り返すとこの映画を魅力的にしているのは女性像だ。活気に満ち溢れていて、さっぱりした「男性的」女性。やはりどうしてこの女性像が失われてしまったか問わずにはいられない。
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12/18 御法度
1999年日本映画 12/18丸の内プラゼール
監督/脚本:大島渚
撮影:栗田豊通 音楽:坂本龍一
出演:松田龍平/武田真治/浅野忠信
美少年が白い剣道着を着て現われるとき、この映画のテーマは極めて分かりやすく示され、その分かり易さ故に通俗的な印象を与え、僕は失笑しながら、正直身を引いてしまった。
美少年と彼に恋する男たちとの関係に分かり難いものはない。そこにあるものは言葉によって説明できるものばかりだ。理解し易いが、その代償として僕たちはエロスについて新たな発見をすることはない。この映画で示されるのはエロスに関する常識集であり、それ以上でもそれ以下でもないと言ったら、酷だろうか。
エロスに関する以上に言葉に関してもこの映画はあんまりな使い方をしている。映画の間に差し挟まれスクリーンに映し出されるテキストは、映画のストーリーをすすめるための便宜的な機能しか提供していない。
ではこの映画を僕は否定するかというと、そんなことはない。この映画は大いに引っ掛ってくる。この映画にあるエロスと言葉のあまりにも俗な扱い方はかなり意識的なものだ。
もしかしたら、近藤勇の揺れる視線がキーになるかもしれない。近藤勇はこの映画で唯一理解不能のものとして存在している。この不可解な存在を浮かび上がらせるために、通俗的なエロスと言葉が対置されているのかもしれない。
またこうも考える。この映画はエロスと言葉に対する絶望から出発しているのだ。今の時代にあってエロスと言葉が完全に崩壊しているのを忠実になぞりながら、エロスと言葉の可能性を探っているのだ。
いや、監督の視線はもっと皮肉なのかもしれない。監督は惨めなものになり果せたエロスと言葉を笑っているのだ。
エロスは最初鮮烈に示され、惨めなものとなり、滑稽なものとなる。そして最後に魔的なものになる。監督の視線は皮肉でありながらも、どこかエロスを信じている。
でもその魔的なものとなったエロスは最後に、象徴的にではあるが、美を回りに飛び散らしながら断ち切られる。
監督はエロスが滑稽で惨めなものでしかあり得ない時代をじっと見つめている。その視線は僕たちが想像する以上に暗く、絶望に充ちている。
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12/27 エンド・オブ・デイズ
1999年アメリカ映画 12/27日本劇場
監督/撮影:ピーター・ハイアムズ
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/ガブリエル・バーン/ロビン・タニー
サタンが余りにも通俗的なイメージで姿を現すとき、この映画は宗教の浅薄ななぞりにしか過ぎないと完全に否定されるかもしれないし、それはたぶん正しいのだろうと思う。それでも僕はこのおそらく興業的にも失敗に終わるだろう映画を評価したい。
この映画のテーマは神と悪魔との戦い、或いは人類と悪魔との戦いといった大仰なものではけっしてない。この映画のテーマはもっと切実なものだ。この世界は生きるに値するか、それがこの映画を貫くテーマだ。
主人公である男がスクリーンに初めて登場するとき、男は薄闇の中にいる。男は偶然に任せて自殺を図る。男がどんな過去を持っているかは明確に示されないが、男が自ら自分の命を絶とうとするほど絶望しているのは分かる。
男は警護員として働いている。男は生に絶望してながらも、真剣に仕事に取り組む。なぜなのだろうか?僕たち観客には大きな疑問が湧いてくる。ともかく男に仕事を誠実に遂行させるものが、男をサタンとの戦いに導いていく。
男の過去が暴かれるとき、サタンは男が生み出したものであることが明らかになる。男は光と闇の間に引き裂かれている存在なのだ。男が戦うのは自分自身の中にある闇となのだ。
男はこの世で最良のものを与えられながら、最も残酷な方法でそれを奪われている。男にあるのは世界に対する底知れない怒りと復讐の念だ。それらが悪魔を呼び寄せるのだ。しかし男に与えられた最良のものは男にこの世界の素晴らしさを教え続ける。だから男は真剣に仕事に取り組むし、ほとんど勝利の見込みの無いサタンとの戦いにも毅然と立ち向かうのだ。
戦いが終わった時、男の前には男に与えられた最良のものが姿を現す。男は幸福な笑みを浮かべる。そうこの世界は生きるに値する。
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