8月に観た映画


鯨の中のジョナ イレイザー シクロ デッドマン・ウォーキング 右門捕物帖 拾萬兩秘聞 卵の番人 南風 魅せられて 夏物語 出世太閤記 ドラゴンハート
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8/3 鯨の中のジョナ

1993年イタリア映画
監督:ロベルト・ファエンツァ
主演:ジャン=ユーグ・アングラード/ジュリエット・オウブリィ/ルーク・ペターソン

 ホロコーストをテーマにした映画です。
 心を打つのはそんな重いテーマを持ちながらこの映画が優しく淡々とした語り口を持っていることです。カメラはまるで世界を慈しむかのようです。

 ホロコーストはまだ幼い少年と少し成長した少年の視点を通して描かれます。

 道路に腰掛けているまだ幼い少年。年長の少年が立ち塞がる。幼い少年は友達になろうと微笑みかける。自分の大切な玩具を差し出す。それを壊す年長の少年。汚らわしいユダヤ人め!幼い少年は傷つき涙を流しながら家に戻る。優しく抱きしめる母親。

 収容所の中。少年は仕事のミスを犯す。少年はドイツ兵に手を鞭で打たれる。母親は少年の腫れた手を優しくなでながら、少年に言う。
  Keep looking up to the sky.
  Don't hate anybody.

 少年と妻を心から愛する優しい父親は収容所の中で希望と健康を失い死んでいく。母親は昏睡状態の夫とせめて言葉を交わしたくて医者に覚醒剤の注射を頼む。医者は冷たく拒否する。言葉を交わせないまま夫は亡くなる。それでも母親は少年に言うのです。
  Keep looking up to the sky.
  Don't hate anybody.

 ああ、この言葉がこの映画のテーマなんだなと思いました。だからこの映画はこんなにも優しい様子をしているんだと思いました。

 そんな母親もついには憎しみの心に負けて狂い死んでいきます。
 父親を失い、母親も失った少年も最後には憎しみの言葉を吐き、狂い始めます。

 そんな少年を救うのは自転車によって呼び起こされた父親の記憶です。父親は優しく少年に微笑みかけます。少年は閉じかけていた心を開き、ドアを開け光の中に出ていくのでした。

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8/5 イレイザー

1996年アメリカ映画
監督:チャールズ・ラッセル
主演:アーノルド・シュワルツェネッガー/ヴァネッサ・ウィリアムス

 アーノルド・シュワルツェネッガーは「ラスト・アクション・ヒーロー」の時が一番好きだ。
 Tシャツにジーンズ、シンプルな革のジャケットとバンド。立っているだけで様になっていた。鍛えられた肉体の魅力を改めて教えてくれた。

 この映画もシュワルツェネッガーの肉体が中心で光を放っている。僕は波止場のシーンでのアクションが一番気に入った。  鉄柱の上に立つシュワルツェネッガー。気付き慌てて銃を構える見張りの二人。次の瞬間にはシュワルツェネッガーは舞い降り背後から二人を襲っている。
 スピード感があってかっこいいなあと思った。アクション設計は誰なんだろうとエンド・クレジットに目を凝らしたがなかったか見逃したかした。

 この映画は「ボディー・ガード」のシュワルツェネッガー版かなと思ったが、ヴァネッサ・ウィリアムズはどこか少年のようだ。幼い頃ウィリアムズを悪夢から守ってくれたペンダントをウィリアムズの首から外しながら、「これからは俺が守る」と言うシュワルツェネッガーは大きくて逞しく父親のようだ。一瞬こんなにも大きく強いものに守られたらどんなに素敵だろうと思った、と強引に僕はこの映画を僕の好みの少年と父親の話にしてしまうのだった。

 ハイテク武器にしてはかなり武骨な電磁銃がこの映画の魅力のひとつになっている。圧倒的破壊力を持ち、誰よりもシュワルツェネッガーが持つと様になるというのがいい。
 しかし、あの強力なX線スコープは使うほうも使われる方もかなり放射能を浴びそうだ。危険だ。アルミニュームの塊を電磁力で加速して光速発射させると説明されていたが、アルミニュームの塊に比べれば遥かに質量の小さい電子を光速加速させるのに巨大な装置を必要としている原子物理学者は喉から手が出るほど欲しがるだろうなと思った。
 でもあの破壊力は気持ちがいい。シュワルツェネッガーの肉体に似合っている。

 最後は肉弾戦というのもいい。片手でウィリアムズを支えるシュワルツェネッガーは絵になっている。肉体の詩がある。

 アクション映画はまず肉体だ、そのことを教えてくれる映画だ。

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8/6 シクロ

1995年ベトナム映画
監督:トラン・アン・ユン
主演:レ・ヴァン・ロック/トニー・レオン/トラン・ヌー・イエン・ケー

 映像は気連を感じさせる程独特で個性的だ。主人公の青年シクロが金魚の水槽の中に入れた自分の顔を抜き上げる瞬間をカメラをロールさせ重力線を水平線と合わせて撮影したショットが典型的だ。画面の左から右に真っ直ぐに流れる水。はっとする美しさがある。だからこの映画はその映像美を評価される。

 それはこの映画にとって不幸なことだ。なぜならこの映画は映像よりも音がさらに素晴らしいからだ。音が映画に命を与えることもある。なぜ音は過小評価されるのだろうか。

 冒頭からいきなり聞こえてくる街の音に感動してしまう。この街の音はこの映画の通奏音だ。登場人物たちが会話を交わすときにも街の音はほとんど絞られない。その結果「街」がテーマとして浮かび上がってくる。
 街の音が途絶えるシーンがひとつだけある。やくざと主人公の姉がバイクで自然の中をドライブするシーンだ。バイクのエンジンの音は拾われない。草が風に騒めく音と水が流れる音だけだが録られている。その結果このシーンは幻想的なしみじみとした美しさを獲得している。
 空き地でやくざが客をナイフで刺し殺すシーンの音の使い方も印象的だ。ナイフで刺されて首から血を流している客とナイフを持ったやくざがいてシーンは始まる。ワンショットワンシーンだ。やくざが客に止めを刺すとカメラはパンして街を映す。止めを刺すまではほとんど無音だ。カメラはそのままパンして街の日常的な生活音が聞こえてくる。暴力と街の日常生活が結び付けられる。この街では本来非日常的なものである暴力が日常生活と断絶することなく直線的に繋がっていることが明らかになる。

 街の人々が携わる苛酷な労働、その結果虚ろに乾いた心、そんな心が生みだす暴力、それらがこの映画のテーマだろうだが、最後に救いがある。

 朝。なにもかも失ってベンチに座る主人公の姉。唯一の思い出であるやくざの子供の頃の写真も人込みで掏摸れて無い。見知らぬ少年が来て側の川で足を洗う。母親が少年に食事だと告げる。母親はその人も連れてきなさいと言う。少年は主人公の姉の手を引く。最初は抵抗するが最後には笑って少年に従う主人公の姉。

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8/9 デッドマン・ウォーキング

1995年アメリカ映画
監督:ティム・ロビンス
主演:スーザン・サランドン/ショーン・ペン/ロバート・プロスキー

 朝の恵比寿ガーデンプレイスは夏の静かな光に包まれていました。

 この映画も光から始まります。
 自動車のフロント・ガラスに木漏れ陽が映り流れていく。その向こうにハンドルを握るスーザン・サランドンの顔がクローズ・アップされている。
 映画はそんなふうにして始まります。女性の顔に風格があると言ったらもしかしたら失礼なのかもしれませんが、僕は終始サランドンの風格のある顔に惹かれ感動していました。
 不安になり目を落ち着きなく動かせたり怯えたり傷ついたりしても、けっして逃げずに戦う顔でした。変な表現ですが顔が支えている映画だと感じました。

 人が人を殺すこと、すなわち死刑制度をテーマにした映画なのでしょうが、本当のテーマはもう一つ深いところにあると感じました。
 いや死刑制度をテーマにした映画として観ても優れた映画でした。ティム・ロビンス監督はこの死刑囚は冤罪じゃないかと観客に思わせて引っ張っておいて最後に死刑囚が全く同情の余地の無い人間であることを明らかにして、その上で死刑制度の問題を突き付けるのです。それでもなおあなたは死刑制度に反対ですか?観客は死刑制度の持つ本質的な問題に向かわざるを得ません。相手が人非人であってもそれでもなお人を人が殺すのは間違っているのか?

 でも僕が感じたのはもっと深く広がりのある問題でした。
 映画のラスト。
 死刑囚が埋葬される。立合うシスター。向こうに被害者の父親の姿が見える。近づくシスター。シスターは感謝の言葉を述べる。父親はそれでも憎しみの心は消すことができないと言う。あなたには信仰があるからそれができると言う。シスターはそんなに簡単な問題じゃないと静かに言う。憎しみの心から抜けだすには努力が必要なのだと言う。父親はその言葉を噛みしめる。そして言う。
 "I can't"
 僕はこの言葉を聞きながら「鯨の中のジョナ」のジョナの母親のことを思い浮かべました。戦争によって父親を奪われいままた母親を奪われようとしているジョナに向かって彼女はどうか憎しみの心を持たないでとやさしく語りかけます。その彼女も憎しみの心に負け狂い死んでいったのでした。

 被害者の父親が言うように憎しみの心から抜けだすのは不可能なのかもしれません。でもシスターのように努力することはできます。勝つことが不可能な戦いを戦い抜くこと、それこそが本物の強さなのではないか、そう思い戦うことを諦めないサランドンの顔が心に残ったのでした。

 そう、ともかく被害者の父親は死刑囚の埋葬に来たのでした。

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8/13 右門捕物帖 拾萬兩秘聞

1939年制作
監督:荒井良平
主演:嵐寛寿郎/志村喬/田村邦男

 東京国立フィルムセンター「日本映画の発見2:トーキーの開始と戦前の黄金時代」特集です。

 日活のロゴに下に日活京都撮影所と記されていました。日活は映画制作配給会社として1911年に設立されています。戦前日活は東京と京都の二撮影所体制をとっていました。東京が現代劇中心で京都が時代劇中心だったのです。京都撮影所の監督としては山中貞雄がみなさんには最も印象的かな?

 志村喬を始めとして脇役も魅力的ですが、なんといっても嵐寛寿郎です。

 涼しい顔立ちをしてにこりともしない嵐寛寿郎演じる近藤右門を最初見ると切れそうだけれど冷たそうな人だなあ、なんだか好きになれないなあと思ってしまいますが、自分の屋敷で生花をやりながら心から楽しそうに笑う右門に接するといっぺんに好きになってしまいます。せっかちな子分の伝六とゆったりと落ち着いた右門との対照も愉快です。少しは慌ててくださいよと右門に向かって言う伝六には笑ってしまいます。

 いやー、右門が茶の湯をやるときの動作の美しさには感動してしまいました。茶道って日常生活の動作を極限まで洗練させたものだと思いますが、右門の動作にはその美学が結実していました。日本人が無くしたものは沢山ありますが、日常の立居振舞の美しさはそのなかでも無くして最も惜しいものでしょう。

 日常の立居振舞の美しさに基づいた嵐寛寿郎の立回りの素晴らしさはなんと表現したらいいのでしょう。特に低い位置に構えたカメラが捉えた畳の上での立回りには感動してしまいました。他の人とは明らかに格が違います。ひとつひとつの動作が美でした。

 僕は大満足でフィルムセンターを後にしたのでした。

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8/14 卵の番人

1995年ノルウェー映画
監督:ベント・ハーメル
主演:スヴェレ・ハンセン/ヒェル・ストルモーン/レイフ・アンドレ

 ノルウェーって地図で見ると本当に北の国だなあと実感します。雪に閉じ込められた長い冬の間人々は暖炉の周りに集まり話をして時間を過ごす、その中から物語が生まれる、だから北の国には素敵な物語が多いんだと聞いたことがあります。この映画も冬が生んだ物語なのでしょう。

 冒頭の雪が降り積もった平野の中を真っ直ぐに伸びる道路と最後の朝焼けの中で除雪車のフロントガラスの向こうに真っ直ぐに伸びる道路とは響き合いこの映画のテーマを浮かび上がらせます。
 この映画はいろんな見方ができると思うのですが、放浪がテーマだと僕は感じました。老人のモーが家の壁に掛けてある帆船の絵を見てから旅立つシーンは心に残りました。人はいくつになっても旅立つことができるんだ、そう僕は思い勇気づけられたのです。

 老人のモーとファーは兄弟で昔から2人で暮らしてきました。老人たちの家では時間はゆったりと同じことを繰り返し流れていきます。夜の雪の平原に浮かぶ老人たちのお伽話に出てくるような家。朝食をとるとき老人たちを包む朝の陽光。眠りに就くとき老人たちを包む星の光。そこには静かで充実した幸福があります。
 クリスマス・イヴ。ツリーの飾り付けをする二人。きちんとした服装をして夕食をとる二人。しかし訪ねてくる人は誰もありません。この兄弟は世間からは全く孤立した世界で生きていることが分かります。兄弟の幸福は孤立することによって守られているのです。
 その世界を壊すのは一本の電話です。兄のファーの息子が来ることになったのです。そしてけっきょくファーの息子は老人たちの家に住み着くことになります・・・。

 ファーの息子が弟のモーを追いだしたと見ることもできるでしょうが、それではあまりにも悲し過ぎます。
 人間には二つのタイプがあります。ひとつは定着を求めるタイプ、もうひとつは放浪を求めるタイプです。子供を作ったファーは前者のタイプで、スクーターに夢中になるモーは後者のタイプでしょう。ファーの息子はきっかけに過ぎないと思います。夜中に起きだしてラジオのチャンネルを動かすモーはロマンチストです。モーは最後には放浪のロマンの象徴である帆船の絵を眺め旅立つのでした。
 モーに祝福を!

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8/17 南風

1939年制作
監督:渋谷 実
主演:田中絹代/徳大寺伸/佐分利信

 東京国立フィルムセンター「日本映画の発見2:トーキーの開始と戦前の黄金時代」特集です。1939年の作品です。

 タイトルで「土橋式松竹フォーン」とクレジットされました。トーキー初期日本の各映画会社は独自の映画録音の技術を開発しました。これはアメリカで開発されたウェスタン方式の特許使用料が高かったためです。
 ちなみに当時は光学式の録音システムでした。音の信号を光に置き換えて映像フィルムに焼き付けて録音していたのです。

 ということで僕は音に耳を澄ましたのですが、冒頭の雨が降るのを窓の隙間から捉えたショットから映像がスタイリッシュでそちらの方に感心してしまいました。特に電球、薬罐等の物のクローズアップでシーンとシーンを繋げる手法は素敵だなあと思いました。

 佐分利信が印象に残ります。この人が持つ大らかな暖かさが「南風」という題名を支えています。

 田中絹代が演じる菊子は一言で言えば陰湿で、その奥にある孤独を周囲の人間、友人や恋人からさえも理解されず、ついには恋人も友人も失ってしまいます。この辺の切なさはよく分かるひとが多いのではないでしょうか。僕も菊子に感情移入してしまい映像も録音もどうでもよくなりました。

 子供もなにもかも失い家の中でぽつんと一人きりになった菊子が、戻ってきた佐分利信とその母親を見つけたときの笑顔は感動的でした。最後に南風が吹き映画は終わったのでした。

 この映画にはところどころに秀逸なユーモアがちりばめられていますが、これは脚本が喜劇出身の伏見晃だからかな。

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8/21 魅せられて

1996年制作
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
主演:リブ・タイラー/ジェレミー・アイアンズ/シニード・キューザック

 この映画のパーティーの部分でバックに流れた"SUPERSTITION"を聴きながら書いています。ただし演じるのはスティーヴィー・ワンダーではなくベック、ボガード&アピスです。

 タイトル・ロールはビデオカメラで撮影されたルーシーの映像です。真っ直ぐにレンズを見るルーシー。その映像は飛行機、列車がたまたま一緒だった男がルーシーに気づかれずに撮ったものであることが明らかになります。あげるよとフィルムを残してそのまま去る男。謎が生まれ映画は始まります。

 冒頭のカメラワークは流麗で華麗。近景、少し変な表現ですが中景遠景が淀みなく繋がっていてその技に感嘆してしまいます。そうそう撮影があのダリウス・コンディなのです。僕は「デリカテッセン」「ロスト・チルドレン」での映像が印象に残っていますが、「セブン」で彼の名前を覚えたという人もいるでしょう。彼のカメラワークを観るためだけでもこの映画は観る価値があると思います。

 ルーシーの母親の友人を演じるシニード・キューザックはジェレミー・アイアンズの実際の奥さんだそうで、キューザックがアイアンズの身体に触れるシーンではなんとも言えない優しい情感が感じられてなるほどなあと思ったことでした。

 ジャン・コクトーの映画で有名なジャン・マレーが出演しています。ジャン・コクトーは幻想的な映画を撮った人です。そして「オズの魔法使い」もセリフの中で登場します。冒頭の謎、ジャン・マレー、「オズの魔法使い」これらの3つが映画に神秘性を与えています。ルーシーが処女であることもキーになりそうです。

 ルーシーの父親は蛇殺しの男です。蛇は人間をそそのかし楽園から去らせた存在です。そんなことを考え始めるとこの映画は一筋縄ではいかないなあということに気づきます。やっぱりベルトリッチの映画です。

 ルーシーから恋をしたことがあるのと聞かれて、たった一度だけと答える死を目前にひかえた初老のアレックス。
 死へ赴くとき、君が見れただけでも幸せだったとルーシーに呟くアレックス。

 僕はアレックスの少年のような恋が心に残りました。



 "There's no place like home!"、「オズの魔法使い」でのドロシーのセリフです。このセリフを思い浮かべながらこの映画を観たらまた違った面が見えてくるかもしれません。

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8/24 夏物語

1996年フランス映画
監督:エリック・ロメール
主演:メルヴィル・プポー/アマンダ・ラングレ/グウェナエル・シモン

 地下鉄を出ると曇り空で雨がぱらついていました。映画館の窓口で受付を済ませて青山ブックセンターに行きました。エリック・ロメールの短編集が置いてあったので購入しました。

 導入部のけっして急がないゆったりした語り口が印象に残りました。海岸のリゾート地ディナールに向かい到着した青年の映像が説明なしに淡々と続きます。海の輝きと夜の保養地の騒めき。青年がつま弾くギターの音。一人レストランに座る青年。このレストランで青年はウェイトレスをやっている女性と出会い、物語は始まります。

 ガスパールが泊る友人の部屋には帆船の絵が掛けられてます。マルゴが働くレストランには帆船の模型が置かれてます。エリック・ロメール自身が作った「海賊の娘」という歌が歌われます。最後にガスパールは「マルゴを残して帆を揚げ船出しよう・・・」という歌と共に船で去っていきます。そしてガスパールが泊る友人の部屋には"LA MER"と背表紙に印刷された本があります。
 ここにはあきらかにイメージの一貫性があります。このイメージの一貫性が映画を支えています。

 この映画にあるのはエロスと道徳というロメールの映画ではお馴染みのテーマです。僕は「O侯爵夫人」を思い起こしました。ガスパールは最後にエロスでなく道徳を選びます。その時ガスパールは自分が本当に愛しているのはマルゴであることに気づきます。しかしガスパールとマルゴの愛はガスパールが道徳を選んだことに基づいているので(ガスパールがエロスを選ぶような人間ならマルゴはガスパールから離れるでしょう)、ガスパールはマルゴと別れざるを得ません。

 朝の桟橋で手を上げて別れの挨拶をするマルゴ。同じく手を上げて別れの挨拶をする船の中のガスパール。「帆を揚げ船出しよう・・・」。
 まだ22歳のガスパールは自分でも言うように30歳になったら花開くのでしょう。

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8/27 出世太閤記

1938年制作
監督:稲垣浩
主演:嵐寛寿/河部五郎/月形龍之介

 東京国立フィルムセンター「日本映画の発見2:トーキーの開始と戦前の黄金時 代」特集です。日活京都撮影所の映画です。

 実は主演が嵐寛寿郎ということで観に行ったのですが、撮影の宮川一夫のカメラワークに魅せられてしまいました。

 宮川一夫の代表作としては「羅生門」黒澤明、「雨月物語」溝口健二、「東京オリンピック」市川崑などがあります。
 そうそう野口久光が日本で最初のオペレッタ映画だと評価した「鴛鴦歌合戦」マキノ正博もこの人の撮影です。

 川の透明な流れを捉えていたカメラがティルト・アップすると子供たちが遊んでいる情景になるショット。
 手前に夕陽を反射させた川。画面の奥で橋がシルエットになっている。その橋を独りで渡るまだ少年の木下藤吉郎を捉えたショット。
 画面一杯に捉えられた満開の桜のショット。
 今川義元の首をとるために阿修羅のように馬を走らせる織田信長のショット。
 城を築くために倒される木曾山中の大木を下から捉えたダイナミックなショット
 何度も挿入される空のショット。

 躍動感のある映像を見せるかと思えば、静かなロマンチックな映像も見せてくれていいなあと思いました。
 どちらかといえばロマンチックな映像が印象に残りました。

 志村喬が出演しています。マキノ雅広が声のいい人だと語っていましたが、セリフが明確で感心します。「鴛鴦歌合戦」では歌も歌っていて、それを聴いたディック・ミネは志村喬に歌手になることを薦めたそうです。

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8/31 ドラゴンハート

1996年アメリカ映画
監督:ロブ・コーエン
主演:デニス・クエイド/ショーン・コネリー/デヴィッド・シューリス

 死への恐怖を口にするドラゴン、ドレイコがなんといっても魅力的です。ユーモアのセンスがあって誇り高くもしかしたら女好きでなによりも友情を大切にするドレイコ。そんなドレイコのキャラクターをドラゴンの豊かな表情が見事に表現していました。もちろんショーン・コネリーの声もドレイコのキャラクターを生き生きと伝えていました。

 ドラゴン・デザインとしてフィル・ティペットがクレジットされています。7歳の時に観た「シンドバット七回目の航海」での神話世界の怪物たちによって人生が決まったというティペットはストップ・モーション撮影(「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」でティム・バートン監督が使った技法ですね)を洗練させたゴー・モーション撮影で「ドラゴンスレイヤー」(1981)においてドラゴン、ヴァーミスラックスに目を瞠るような生命感を与えているそうです。
 最近では「ジュラシック・パーク」でCGの演出を行っています。フィル・ティペットの演出があったから「ジュラシック・パーク」では恐竜たちが豊かな個性を持ち得たのでした。これは恐竜たちの動きを思い出して頂ければ皆さん納得されることと思います。
 ティペットの生涯をかけた怪物たちに対する思いがこんなにも魅力的なドラゴンを創り上げたと思うと胸が熱くなります。

 夕陽をバックに希望のために戦う決心をしたドレイコが現れるシーンは惚れ惚れするカッコ良さです。夜の雨の中騎士の魂を取り戻したボーエンに雨が当たらないようにそっとドレイコが翼をさしかけるところも好きです。

 死ぬのが怖い?お前が死んでなにを失う?俺の魂だ。ドレイコを見やるボーエン。

 死の恐怖を知りながら最後にドレイコは死を選ぶのでした。

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