4月に観た映画


パリ、テキサス この窓は君のもの 男性・女性 スターゲイト リトル・ビッグ・フィールド スリーサム アラビアのロレンス 恋ざんげ JM マークスの山 親愛なる日記 白い馬 激流
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4/1 パリ、テキサス

ドイツ映画
監督:ヴィム・ヴェンダース
主演:ハリー・ディーン・スタントン/ナスターシャ・キンスキー

 前からずっと見るのを楽しみにしていたこの映画が、いまアルゴス・フィルム特集として、日比谷の映画館で上映されているので、さっそく、出かけて見てきました。
 僕にとって、「パリ、テキサス」は、ヴィム・ヴェンダースというよりは、サム・シェパードとライ・クーダーの映画です。砂漠と、地平線を目指して歩く男と、ライ・クーダーのアーシーなスライド・ギター。それが、全ての映画です。男は、最後に、定着ではなく、さすらいを選びます。ライ・クーダーが、ブルース、カントリー、ジャズ、更には、ハワイアン、テックス=メックスと遍歴することによって、その音楽を懐の深いものにしたように、男は、さすらいによって、その生を深めるのでしょう。

***以下、ネタばれあり***

 サム・シェパードの映画としてみるならば、この映画は、言葉、或いは、コミュニケーションを主題とした映画です。
 愛する2人から、炎の中に置き去りにされた、男は、記憶を失い、話すことを拒絶します。その男が、再び話だし、記憶を取り戻すきっかけとなったのは、「パリ」という言葉です。そこは、男の父親と母親が、始めて愛し合ったところ。男の生命の出発点です。ここにおいては、言葉、言い換えれば、コミュニケーションは、生命(いのち)そのものであることが示されます。
 置き去りにした子供が、男との繋がりを確認するのは、家族フィルムによってです。男の膝に上にのって、自動車のハンドルを取る自分を見て、子供は、始めて、心を開きます。その子供が、男に向かって、自分を置き去りにしたことに対して、恨みを言うのは、トランシーバーを通してです。子供は、地球に子供を残して、光速宇宙船に乗って飛び立った男の話をトランシーバーでします。光速で飛ぶと、時間の流れが遅くなるから、男が地球に帰り着くと、子供は、既に老人だったという話です。フィルムとトランシーバー。その2つのものによって、男と子供は、心を通い合わせる。逆に言えば、その2つのものによってしか、心を通い合わせることができない。コミュニケーションの難しさが、ここでは問題になります。
 男が、妻と再会するのは、ミラー・グラス越しです。男からは、妻は見えるが、妻からは、男は見えない。男は、そこで、妻の無防備で裸の表情をまざまざと見て、自分が、妻を深く愛しているが、妻を決して理解できないことを悟ります。そして、男は、子供にテープレコーダーを使って告げます。俺には、(お前と、ママと、俺の3人で暮らすという)大きな夢があった。しかし、それができないことが分かった。俺は、旅立つ。お前は、ママと暮らせ。ここで登場するのは、ミラー・グラスとテープレコーダーです。ここでも、コミュニケーションの難しさが、問題になります。言葉は、ある意味で無力です。これらのものがなければ、心は、届きません。
 最後の場面、母親と子供は、再会します。この2人は、だだ抱き合うことによって、心を通い合わせます。人間同士のコミュニケーションに難しさを語ってきた、サム・シェパードは、ここでは一転して、人間同士のコミュニケーションの可能性・希望を示します。それは、感動的なものでした。

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4/3 この窓は君のもの

1995年日本映画
監督:古厩智弘
主演:榊英雄/清水優雅子

 この映画の監督、古厩智之は、1968年生まれ、今年26か、27歳です。  3月18日初日の日、渋谷ユーロスペース、受付の人に、ハンバーグを差し入れしている古厩監督を見かけました。爽やかで、颯爽としていて、この人は、どんな映画を撮るのだろうと心惹かれました。しかし、その日は、この映画だけは絶対見なくてはと思っていた、ヴィターリー・カネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」の初日でもあったわけで、僕は、「この窓は君のもの」が上映される、ユーロスペース1ではなく、ユーロスペース2の方に入ったのでした。

***以下、ネタばれあり***

 感想を書こうと思っていたら、あの「カルネ」の監督、ギャスパー・ノエが「映画自体の清々しさにもかかわらず、これを見ている僕らは、ストリップを見るときのような気持になってしまう」とこれ以上ないくらい見事に評していて、何も書くことがなくなってしまいました。まあ、書いてみましょう。
 高校生最後の夏休み、1人の女学生が、北海道に転校になる。その女学生は、あっさりと爽やかに去っていく。しかし、祖父が北海道行きに反対したため、その女学生は、残る。そのことが、周りに与えていく波紋を丁寧に捉えた作品です。夏の透明な空気。その透明な空気の中での、日本家屋の美しさ。それら2つが、この作品に、清々しさを与えていました。夏というよりは、初夏の爽やかな風を感じながら、この作品を見ていました。それならば、なぜストリップなのか。それは、古厩監督が、思春期にある、少年少女の裸の感情を捉え、それをそのまま、観客に放って寄越すからです。僕たちは、気恥ずかしさに、面を伏せます。そこでは、エロスは、スクリーンの向こうにあるものではなく、目の前にある、生々しいものになります。だから、ストリップなのです。山本正志監督は、この作品を「へたなAVより立つ!」と評したそうです。エロチックであると同時に、清々しい。それこそが恋ならば、古厩監督は、恋の本質を見事に捉えたと言えるでしょう。

 念のため書いておきますが、この作品には、一般で言うところのHシーンは全くありません。

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4/4 男性・女性

フランス映画
監督:ジャン=リュック・ゴダール
主演:ジャン=ピエール・レオー/シャルタン・ゴヤ

 アルゴス・フィルム特集、遂に、ジャン=リュック・ゴダール登場。ということで見てきました。
 見たのは、「男性・女性」と「彼女について私が知っている二、三の事柄」の2本です。ヌーヴェル・ヴァーグの成果の1つとして、ドキュメンタリー手法(シネマ・ヴェリテ)によって、街の息吹をフィルムの中に捉えたということがありますが、これは、誰もがそう言うように、「男性・女性」に強く感じました。それにしても、ゴダールは、昔から、同時録音がお気に入りだったんですね。街は騒音に満ち満ちている。そんなことに改めて気づきながら、見ていました。

***以下、ネタばれあり***

 「男性・女性」は、題名についての作品というよりは、主人公ポールのベトナム戦争時のパリ地獄巡りとも言うべき作品でした。子供を連れ去ろうとする男を、射殺する女。ベティ・ディビスの歌っているのは、黒い私なんか、あんた嫌いだろうということなんだと言う黒人を射殺する女。自分の体にナイフを突きたて、倒れる男。石油を被って、焼身自殺をする男。ポール自身も、ポルノ小説を大声で読み上げる男たちのいるところで、愛の告白をしなければならず、最後には、写真を撮るために後ろに下がって、穴に落ちて死ぬという滑稽で、無意味な死を死ななければなりません。時代の不安な動きに、身震いしているパリを捉えた作品と言ったらいいでしょうか。銃声と共に、この作品は終わります。
 映画好きのポールは語ります。いつも映画を見ていた。幕が上がると、いつも期待した。しかし、たいていの場合、退屈で、うんざりした。僕が望んだのは、「映画に中で生きること」だったのだ。その「映画の中で生きる」を実践したのが、「彼女について私が知っている二、三の事柄」です。僕は、そう感じました。
 まず、女優が登場する。右を向く。女優が演じている、主婦ジュリエットがいる。ジュリエットが、左を向く。こうして映画が始まります。女優は、ドイツの演劇理論家ベルトルト・ブレヒトの理論を紹介します。俳優は、台詞を、引用するように言わなければならない。このブレヒトの理論は、俳優は、その役に感情移入して、一体化するのではなく、常にその役に対して批判的立場に立って演ずべきだということを言ったものです。実際、マリナ・ヴラディは、主婦ジュリエットを演じながらも、ジュリエットに対しては、終始批判的です。観客も、ジュリエットに感情移入して、映画を「見る」ことはできません。ジュリエットから一定の距離を置き、ジュリエットの生を受けとめ、自分自身で、その生を「批判」しなければなりません。これが、「映画の中で生きる」ということでしょう。
 ジュリエットの投げかけてくる、生は、重たいものです。仕事をして、それを終えて、ほっとして家に帰る。眠る。朝起きる。同じことを繰り返す。そして、死ぬ。そんな都市生活者の虚無的な生の中で、ジュリエットは、自分を定義する言葉は、1つしかないと言います。それは、まだ死んでいないということ。僕たちがしなければならないことは、その生をまず受けとめることでしょう。その先は、もはや映画の中にはありません。僕たち自身の生の問題です。

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4/8 スターゲイト

1994年アメリカ映画
監督:ローランド・エメリッヒ
主演:カート・ラッセル/ジェームズ・スペイダー/ジェイ・デビットソン

 評判の悪い、この映画ですが、ケビン・コスナーよりも素敵なワイアット・アープを見せてくれたカート・ラッセル、最近では「ウルフ」で悪役を憎々しく演じていたジェームズ・スペイダー、そして、あの麗人、ジェイ・デビットソンと、1癖も2癖もある俳優たちが出演しているので、見に行ってきました。

***以下、ネタばれあり***

 面白かった。良質の娯楽作品だと思います。何も考えずに、楽しめば、いいのではないでしょうか。
 おそらく、エジプトの象形文字に関しては、世界最高の学者であるのもかかわらず、まるでさえず、ともすれば、人々の嘲笑の対象になってしまう人間が主人公の1人になっていて、それだけでも、僕は、この映画が好きになりました。そんな彼が、謎を鮮やかに解いていくのは、みものでした。また、彼が、未知の人々とコミュニケーションしていく様子は、コミカルであると同時に、暖かいものが感じられ、好きです。
 ピラミッドとハイテクの結び付きも、新鮮味はありませんが、印象に残りました。特に、大気圏外に飛び出した、ピラミッドには、ハッとするものがありました。このピラミッドの主が、ジェイ・デビットソンで、クールに演じていました。できたら、一切感情を見せずに、氷のような冷酷さを見せてくれたらなあと思いましたが、期待し過ぎでしょうか。
 一番気に入ったのは、ジェット戦闘機(というよりも怪鳥かな)です。禍禍しく、カッコよかったです。
 カート・ラッセルは、タフでクールでありながら、父性的暖かさを秘めている軍人を好演していました。ジェイ・スペンダーのずれている学者と、好対照でした。

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4/11 リトル・ビッグ・フィールド

1994年アメリカ映画
監督:アンドリュー・シェインマン
主演:ルーク・エドワーズ/ティモシィー・バスフィールド/アシュレイ・クロウ

 「スタンド・バイ・ミー」等の作品を送り出し、プロデューサーとしてはベテランのアンドリュー・シェインマンの初監督作です。
 主役が、最近では、'Mother's Boy"での演技が記憶に新しいルーク・エドワーズ。母親役に、映画というよりは、TVで活躍している、アシュレイ・クロウ。母親の恋人役に、「フィールド オブ ドゥリームズ」のティモシィー・バスフィールド。さらに、大リーグからは、3年連続奪三振王のランディ・ジョンソン。’94年度本塁打王のケン・グリフィーJr。そんな顔ぶれになっています。
 向こうの映画評では、この映画を'All I want is for you to enjoy yourselves--don't worry about errors or wins.'と言っていた人間が、やがて、野球を、ビジネスと考えるようになり、自分を見失ってしまうが、再び、野球を愛するようになる映画だと要約していました。最後に、'Life's never like that.'と締めくくり、辛口の評価を下していました。

***以下、ネタばれあり***

 11歳の野球好きの少年が、祖父から遺言で、大リーグのチームを譲り受け、オーナー兼監督として、活躍するというファンタジーです。監督として活躍するのですから、身体ではなく、頭脳を使って活躍します。この辺が、感情移入しにくく、向こうでの不人気になったのかな。少年役の、エドワーズも、冷たい2枚目系の顔で、更に、感情移入しにくくなるということになっています。そういうわけで、最初は、距離を置いて見ていたのですが、最後には、しっかりと感動してしまいました。
 僕は、むしろ、少年の成長の物語として見ました。父親のいない家庭。やがて、祖父も亡くなる。少年は、「男」としての役割を果たさなければなりません。そのためには、愛する人も、あえて切り捨てるという辛いこともしなければなりません。そんな様々な試練を乗り越えて、少年が、1人前の男になる物語です。
 もちろん、野球自身も大切な主役であるわけで、魅力的なシーンがありました。僕は、ショートが、ゴロをグラブで掬い上げて、グラブでそのままセカンドにトスするキーストンコンビネーションが一番気に入りました。ケン・グリフィーJrのお茶目なウィンクも素敵でした。最後の場面では、ランディ・ジョンソンの外角のスライダーを、少年の率いるチームの選手が、見事に捉え、逆らわずに流しますが、打球の行方は、見ての楽しみということで。
 洒落の分かる人は、最後まで、席を立たないでくださいね。

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4/12 スリーサム

1994年アメリカ映画
監督:アンドリュー・フレミング
主演:ジョシュ・チャールズ/ステーブン・ボールドウィン/ララ・フリン・ボイル

 あまり期待せずに見にいったのですが、なかなかよい映画でした。

 主演の、ジョシュ(?)・チャールズは、ジェネレーションX世代の代表的俳優と見做されている人で、あのイーサン・ホークと同時に俳優生活を開始しています。インタビューによると、野球選手になりたかったそうですが、それがダメだったので、俳優になったそうです。1971年の生まれです。
 アレックス・アークェットが、出演しています。ルイス・アークェットの子供たち、ロザンナ、パトリシア、アレックスの中では、やっぱり、ロザンナが一番好きです。この人は、ひょっとしたら、大女優になるのではないでしょうか。

***以下、ネタばれあり***

 'deviant'の定義からこの映画は始まり、スノッブな大学生が主人公の映画かなと思ったのですが、ロマンチック・コメディでした。それも、セックスを主題にした、ロマンチック・コメディです。
 セックスについて、知的に、下品に、ユーモラスに、あけすけに語られます。ヘテロ・セックスだけでなく、ホモ・セックスに関しても同等に語られるところが、新しいのかな。主人公のエディは、ホモ。ルームメイトのスチュアートは、完全なヘテロ。同じく、ルームメイトのアレックス(女性)も、ヘテロ。スチュアートは、ステレオタイプの女好きの大学生ですが、スティーブン・ボールドウィンが、魅力的に、生き生きと演じています。この人は、「7月4日に生まれて」にも出演しているのか。エディは、スチュアートを愛し、スチュアートは、アレックスを愛し、アレックスは、エディを愛するという奇妙な3角関係が展開します。物語は、エディの視点で進んでいきます。ある意味では、この作品は、エディの自分探しの旅です。物語りが始まる時点ではエディは、まだ自分のセクシャリティにも自身がありません。まだ、男とも女とも寝たことのない彼は、自分が、ホモなのかへテロなのかつかみかねています。そんなエディの揺れが、この作品を面白いものにしています。そんなエディを熱愛するアレックスを演じるのは、ララ・フリン・ボイル。ツィン・ピークス(TV)にも出演していた人ですが、この人の演技も生き生きした魅力的なものでした。3人のキャラクターを楽しめば、それでいいのかなとも思います。
 映像は、とても美しく、音楽も、ティアーズ・フォア・フィアーズ等なかなかよかった。ジェネレーションX世代のお洒落なロマンティック・コメディといったところかな。

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4/13 アラビアのロレンス

イギリス映画
監督:デビッド・リーン
主演:ピーター・オトゥール/オーマ・シャリフ

 銀座の映画館で、70mmフィルム、テクニカラーの鮮やかな画面で見てきました。

 この名作に対して、いまさら感想でもないですが、少しだけ書いてみます。

 印象に残ったのは、ロレンスを英雄としてでなく、限界を持った人間として描いていることです。冒頭で、ロレンスは、あっけなく、オートバイ事故で命を落とします。そして、最後には、ロレンスが、政治的駆け引きのたんなる道具として使われたことが明らかになり、この作品は終わります。ジープにのり、故国に向かうロレンスは、ほとんど廃人です。「あの人は、自分自身を憎んでいる」と言って、アリの流す涙が、唯一の慰めです。
 遂には、「神かけて、もう砂漠は見たくない」と言い放つロレンスですが、ある意味で、この作品の主人公は、砂漠でしょう。その砂漠の魅力を堪能するためにも、この機会に見られることをお勧めします。公開は、14日(金)までです。

 この映画館、シャンゼリゼで、5月20日より、アキム特集が始まります。少し紹介しておきましょう。
 アキムは、ロベールとレオモンのエジプト生まれの兄弟プロデューサーで、フランス映画界において、重要な役割を果たしました。

 「望郷」(5/20-5/22);ダンディズムの極みジャン・ギャバン。
 「奥様ご用心」(6/1-6/2);世紀の美男子ジェラール・フィリップ
 「気のいい女たち」(6/6-6/7);今回の特集の目玉かな。かつては、ヌーヴェル・ヴァーグの三銃士と呼ばれ、今年は、エマニュエル・ベアール主演の新作「地獄」が公開される、クロード・シャブロルの日本未公開作。傑作だそうです。
 「ノートルダムのせむし男」(6/20-6/21);これは、ズバリ、アンソニー・クインの演技でしょう。
 「昼顔」(6/24-6/26);メキシコのシュルレアリスト、ルイス・ブニュエルの代表作の一つ。

 全部で、17作品が上映されます。僕の好みの映画だけを紹介してみました。

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4/15 恋ざんげ

フランス映画
監督:アレクサンドル・アストリュック
主演:アヌーク・エーメ/ジャン・クロード・パウカル

 アルゴス・フィルム特集で、今日は、「愛の亡霊」と「恋ざんげ」を見てきました。

 「愛の亡霊」は、大島渚の1978年の作品で、カンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞しています。吉行和子の演技が、光っています。
 「恋ざんげ」は、映画批評家アレクサンドル・アストリュックの映画監督デビュー作。このことからも分かるように、ヌーヴェル・ヴァーグの先駆けとなった作品です。台詞は全く無く、ナレーションのみです。マノエル・デ・オリヴェイラの「アブラハム渓谷」は、ある意味では、この映画のパロディだったのですね。オリヴェイラは、やっぱり、お茶目だ。

***以下、ネタばれあり***

 「愛の亡霊」は、いま感想を書くには、重過ぎるので、「恋ざんげ」のほうを。
 原題は、「深紅のカーテン」。冒頭に終末が提示されます。馬で駆けて、街を去る男。建物の窓から、風に誘われて、外に孕む(深紅の)カーテン。そのカーテンの向こうには、生を失った若く美しい女性。以上のものが、端正な映像で表示されます。カットの繋ぎは、極めて滑らかです。まさに、古典主義の作品です。
 そして、テーマは、エロスと死。女性が、魅力的です。顔を赤らめてしまうような、激しい情欲を持ちながら、表面は、無情と思えるほどに、冷ややか。彼女は、性的恍惚の中で、命を失います。ここにあるのは、情熱の純粋な姿でしょう。
 その純粋さを、際立たせるために、滑稽で、愚かな彼女の両親が対置されます。男は、軍服のカッコよさが全てという、空っぽの人間です。男も彼女の引き立て役でしょう。
 ここには、端正に描かれた、美しい情熱の姿があります。
 カメラ万年筆論うんぬんよりも、そのことの方が、僕には大切でした。

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4/18 JM

1994年アメリカ映画
監督:ロバート・ロンゴ
主演:キアヌ.リーブス/ディナ・メイヤー/ビートたけし

 ’80年代ニューヨークのブライテスト・ホープ・アーティスト、ロバート・ロンゴの初監督作と僕も思っていたら、この人には、1988年に'Arena Brains'という作品がありました。あのレイ・リオッタも出演しています。ロンゴのアートには、映画の影響が強いようで、サム・ペキンパー、サミュエル・フラー、ゴダール、ファスビンダーらの映画を抜きにしては、彼のアートは、語れないようです。
 エンド・ロールに、ヴィジュアル・アドヴァイザーとして、シド・ミードの名前がクレジットされていました。改めて説明する必要はないでしょうが、「ブレードランナー」の美術デザインを手掛けた人です。
 主役のキアヌ・リーブスのあだ名は、'the Wall'だそうで、なんとなく分かるなあ。高校時代は、ラテン語以外は、全くダメで、うちひしがれていたそうです。以前彼は、自分はけっきょくのところ、テッド役をやった俳優として、記憶されるだろうと語っていましたが、今回を始め、様々な興味深い役をこなしている彼のことですから、むしろ、芸域の広い、オールマイティの役者として記憶されるのではないでしょうか。近作の'Feeling Minnesota'では、結婚式で、兄弟の花嫁に恋する流れ者を演じているそうです。どんな演技を見せてくれるのか、とても楽しみです。

***以下、ネタばれあり***

 けっこう評判の悪いこの映画ですが、僕は、最初から、最後まで、手を握り締めながら、夢中で見ていました。最近人と感性がずれはじめたかな。それはそれとして、今後、SF映画のベスト3を挙げろと言われたら、迷わずこの作品をその1つに挙げるでしょう。
 感傷家の僕は、この映画を、'Boy meets Birl'の映画として、見ました。お金と野心のために、自分の子供時代の記憶を売り、荒廃した世界にあって、「ルーム・サービスが欲しい」という俗な願いしか持てない、ジョニーが、ジェーンと出会うことによって、人を愛することを知り、世界と和解する映画です。そして、もう1人の主人公、都市。エンド・ロールに、'demon city,Sinzyuku'とありましたが、都市に未来ではなく、荒廃を見るロンゴのセンスは、とても好きです。最後に、ロンゴは、そんな都市の象徴である超高層ビルを燃やしてみせます。
 でも、さすがに、ウィルス砲には、笑ってしまいました。ギブソンのユーモアなのだろうか。あと、ハイテクをテーマにした映画の宿命なのでしょうが、技術の進歩に追い付いていません。ジョニーの運ぶ記憶の容量は、320Gバイトですが、現在、非同期伝送モードで、光ケーブルを使えば、600Gビット/秒の通信が可能です。ファックスで、暗号画像を送る暇があったら、ジョニーの運ぶ記憶は、完全に送られるわけで、そもそも、この物語は成立しません。
 最後にけちをつけましたが、大好きな映画です。

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4/24 マークスの山

1995年日本映画
監督:崔洋一
主演:中井貴一/萩原聖人/名取裕子

 映画が始まる前、刑事役の中井貴一のお父さん、佐田啓二が、「いっぺん行ってみたいな」と、鎌倉映画ワールドの宣伝をしていました。同じく「行ってみるか」と映画ワールドの宣伝をしている笠智衆は、お父さんの方が、ハンサムだと書いていましたが、僕もそう思います。合田雄一郎=中井貴一と聞いたときは、正直がっかりしたのですが、見てみれば、ピッタリでした。
 エンド・ロールに、音楽;佐々木麻美子とありました。この人は、初期のピッチカートファイブでリードヴォーカルをとっていた人ですね。野宮真貴と違って、透明さが魅力の人でした。「RAMPO」でも、音楽を担当していたし、映画音楽に本格的に取り組んでいくのでしょうか。

***以下、ネタばれあり***

 殺人者と、その恋人である看護婦と、刑事の映画です。
 看護婦に特に惹かれました。大きな空洞を抱えて生きている人間。その空洞が、如実に感じられました。名取裕子の演技力がもたらすものでしょう。子供の時、両親に殺されそうになった殺人者も、空洞を抱えています。かろうじて死から逃れた、子供の殺人者は、自分の中から両親の記憶を抹殺し、その後に空洞ができます。そして、その空洞には、マークスという名の殺人者が住みつきます。そんな看護婦と殺人者が惹かれ合うのはとてもよく分かりました。
 この映画のハイライト・シーンは、刑事が、ベットに横たわる看護婦を訊問するところでしょう。それまで、たんにタフな一匹狼的人間と見えていた刑事が、看護婦の持つ空洞に呼応するように、彼もまた大きな空洞を抱え込んだ人間であることを露にするのです。看護婦は、刑事が、自分や殺人者と同じタイプの人間であることを知り、殺人者を助けてくれるように頼みます。
 空洞を抱え込んだ、刑事が、山頂で看護婦のユニ・フォームを抱きしめて死んでいる、殺人者の目から「涙」が流れでるのを見るシーンは感動的でした。
 空洞を抱え込んで生きている3人の人間。その空洞をかろうじて埋めてくれるのが、あの山なのでしょう。

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4/25 親愛なる日記

1994年イタリア映画
監督:ナンニ・モレッティ
主演:ナンニ・モレッティ/レナート・カルペンティエリ/ジェニファー・ビールス

 楽しみにしていたナンニ・モレッティの「親愛なる日記」を日比谷シャンテ・シネ2で見てきました。嬉しくって、ついJCBカードを窓口で見せるのを忘れてしまいました(JCBカードを見せると、料金が300円安くなります)。
 モレッティは、監督・脚本・俳優の3役を兼ねて、映画を撮ってきた人で、今回の作品では、監督ナンニ・モレッティその人として登場します。つまり、今回の作品は、「私小説」です。それも、明るくユーモアに満ちた私小説です。
 モレッティの友人である監督たちもけっこう出演しています。モレッティから、ぎゅうぎゅうに締め上げられる、映画批評家も、本業は映画監督です。カルロ・マツァクラティ。「 別の人生」という作品があります。カブリオーレ(オープン・カー)に乗っていて、突然モレッティに話しかけられ、「がんばって」と去っていく、カッコいい男性も、監督です。ジウリオ・バセ。もちろん、アレクザンダー・ロックウェルも、妻のジェニファー・ビールス(「フラッシュ・ダンス」)と共に出演します。彼は、ビールスを主演に「イン・ザ・スープ」という作品を撮っていますね。

***以下、ネタばれあり***

 映画は、全部で、3章からなり、第1章が、ローマ巡り。第2章が、シチリア周辺の島巡り。そして、第3章が、医者巡りです。例えば、第1章では、トロツキスト(極左主義)のケーキ職人を主人公にした50年代風ミュージカル映画の話が出て来たりと、声を出して笑わずにはいられない作品ですが、これは、モレッティにとっての「神曲」かなと思いました。最後に、モレッティが、目を開けて、朝の新鮮な水を飲むシーンがありますが、その目は、生きる喜びに、きらきら輝いていて、その思いを強くしました。
 僕は、第1章が一番好きかな。ローマ巡りの足になるのは、ヴェスパ。昔、あるところの王女が、お転婆に乗りこなしたのも、このスクータでしたね。モレッティのヴェスパは、左ブレーキレバーが前方に下がっていて、モレッティは、このブレーキレバーを人さし指1本で操っていました。ああすると操作しやすいのかなあ。そんなヴェスパに乘るモレッティは、「フラッシュ・ダンス」が、僕の人生を変えたと大まじめに語り、笑わせてくれます。どこまで本気なんだろう。パゾリーニ監督の殺害現場、オスレティア海岸に行く場面では、ケルン・コンサートでのキース・ジャレットの一音一音を際立たせるようなピアノが流れ、モレッティの思いを伝えていました。
 生きるって、素敵なことなんだな、楽しいことなんだな、そんなことを感じさせてくれる映画です。

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4/27 白い馬

1995年日本映画
監督:椎名誠
主演:バーサンフー/ダシュビルジェ/サラントゥヤー

 椎名誠の「ガクの冒険」「うみ・そら・さんごのいいつたえ」「あひるのうたがきこえてくるよ」に続く、第4作目の作品です。前3作では、音楽を高橋幸宏が担当していましたが、今回は、別の人です。残念。でも、音楽は素敵でした。撮影監督が、高間賢治。前回の「あひる・・・」でもそうでしたね。動物の描写や自然の描写に、前回の「あひる・・・」と共通するものが強く感じられます。

***以下、ネタばれあり***

 前回の「あひる・・・」では、男とあひるの関係が、父親と子供の関係のメタファーになっていました。今回の作品では、劇中話での青年と白い馬の関係が、恋のメタファーになっていました。それはとても美しい恋の物語でした。それと同時に、この白い馬の伝説は、美しいもの、人並み優れたものは、悲劇をもたらすものだということを教えます。少年に、馬首琴でこの物語を語って聞かせた老人は、白い馬に乗ってレースに臨む少年の前に現われ、そのことを改めて少年に思い起こさせます。少年と白い馬は、先頭集団に躍り込みますが、少年と白い馬を悲劇へと追いやる代わりに、少年のムチが、空高くはじき飛ばされ、少年と白い馬は、レースを失います。空高くはじけ飛んだムチ。それは、本来少年と白い馬を襲うはずだった、悲劇を象徴していて、パセティックな美しさを持っていました。少年は、栄光の死を得る代わりに、負けた屈辱を味わいます。そして、来年こそはと思うのです。ここには、椎名誠の思想があるようで、興味深いものがありました。
 とてもいい映画です。

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4/28 激流

1994年アメリカ映画
監督:カーティス・ハンソン
主演:メリル・ストリープ/ケビン・ベーコン/デビッド・ストラザーン

 予告篇で見た、メリル・ストリープ身体は、まるで重量級のレスリングの選手のようで、びっくりしました(ファンの方々、ごめんなさい)。でも、映画を見て納得。あの逆巻く激流をボートで乗りきるには、この身体がなくてはね。しかし、ストリープは、この身体のままで、「マディソン郡の橋」のヒロインを演じるのだろうか。うーむ。

***以下、ネタばれあり***

 監督が、あの「ゆりかごを揺らす手」のカーティス・ハンソンということで、質の高いサスペンスを期待したのですが、それは、期待外れでした。むしろ、この映画は、ファミリー・アドベンチャーとして見たほうがいいようです。夫は、妻の期待に答えようと、好きでもない仕事に、打ち込み、家庭を顧みない。妻は、それを理解できない。夫は、子供からも、犬からも、疎んじられている。そんな家族が、冒険を通して一体となる映画です。いや、そんなホーム・ドラマ的要素も省いて、純粋に冒険映画として楽しむのが一番正しいのかな。雄大で美しい自然。それが、この映画にはたっぷりあります。そして難所中の難所である、猛烈な急流に挑戦する3人の人間。この急流を乗り切ったとき、これら3人の人間は、敵も味方もなく、声を上げ、全身で喜びを表わします。急流を捉える、映像は本当に素晴らしいものでした。激流を、上空を移動しながら捉えた、スピーディーで、ダイナミックなショットが特に気に入りました。
 後半の激流シーンが、動の美しさを表わしていたとすれば、タイトル・ロールの、ストリープが、ボストンの川でシングル・ボートを漕ぐシーンは、静の美しさを表わしていました。僕は、こっちの方が好きかな。

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