優しい闇 PART・1




2度目の女王試験は終わった。

新しい宇宙の女王と補佐官も今朝方無事送り出した。
第256代の方の女王アンジェリークは、彼女らを送り出す寸前に、女王が(もちろん補佐官も)恋をしてもいいんだという事を告げた。そんなわけだから、教官か協力者たちの誰かが新宇宙に通うのに、次元回廊を使うことをこっそり許可しなくっちゃ、と思うアンジェリークである。そう言うわけで人の心配をするのは終わった。今度は自分の番だ、と彼女は少し鼻息を荒くして思っている。あのお堅い首座の守護聖と、今度こそ何とかならなけりゃ!…と。


もうすっかり公認というか、黙認というか、守護聖・補佐官には公然の秘密の女王陛下と光の守護聖の関係は、次の段階に進むのはいつか、という下世話な憶測の中にあった。
アンジェリークに失恋したゼフェルだの、ジュリアスに失恋したオスカーだのは、やいのやいの言われながら半ばやけくそで賭けめいたことをしているらしい。一体何を賭けの賞品にしているかは知らないが、あのクラヴィスさえ一口乗っていると言う噂である。
「こういうことは私の領分だからな…。見過ごすわけにもいくまい。」
と言う、謎の言葉と共に。


そんな思惑とは絶えず無関係のわれらが光の守護聖ジュリアスは、今日も執務室で書類の山に囲まれて仏頂面でペンを走らせている。女王試験が終わったので、王立研究員から、お堅いことではいい勝負の主任研究員のエルンストがせっせと資料や書類を運んでくるからだ。
女王試験のあおりを食って日の曜日の「約束」(いわゆるデート)も近頃とんとご無沙汰である。そんなこともあってジュリアスはしばし考えをめぐらし、今度アンジェリークと遠乗りにでも出かけるか、と思うのだった。だがいくらお堅いジュリアスと言えども、もういいかげん男と女の関係を考えてもいい頃だろうと思ってはいる。
ただ困ったことに相手は宇宙の女王である。それがジュリアスをためらわせている大きな要因であることは簡単に想像がつく。いくら前例があるのがわかったといっても、本来ならジュリアスにとって見れば重い不敬の罪にあたる行為なのだ。彼がその殻を破るのにはかなりの努力を要するのである。
そして熟考の末、(その間もしっかり仕事の手は動かしていたが)ジュリアスは守護聖としての面子より、男としての誇りを取ることにした。愛しい女性を喜ばせること、これが男として、よきパートナーとして為すべき大切なことだと思ったからである。
「さて、何と言って約束を取りつけたものだろうか…。」
「は…?」
ジュリアスはそこにまだエルンストが立っていたことなどすっかり忘れていたのでものすごく驚いたが、何とかポーカーフェイスを保つことができた。


ジュリアスのそんな心配は杞憂に終わった。何の苦もなく準備は整ったのだ。いや、苦がなさ過ぎである。いろいろたくらんでいる守護聖連中が、聖地では一晩で済むことだから、と主星の穴場のリゾート地にある瀟洒なホテルへ三泊四日の旅行をセッティングしていたのだった。
ジュリアスはもちろん「二人で聖地を離れるなんて」と嫌がったが、すっかり乗り気の女王陛下が『女王命令』を発動しそうになったので、いくらなんでもこんな女王命令もあるまい、とジュリアスは自分の意見を取り下げることにしたのだった。
そんなジュリアスの気持ちを知ってか知らずか自慢気にオスカーは言う。
「素晴らしいところですよ」
「ずいぶんと外界に詳しいようだな。研究熱心で結構なことだ。」
好意でやってくれているとは知りながら、つい皮肉を言ってしまうジュリアスであった。


「ジュリアス様たちはお出かけになったのか?」
「ええ。もっともジュリアス様はあまり乗り気でらっしゃらなかったようですけれど…」
「あの方は聖地を離れるのがお好きでないだけだ、わかってるだろ?リュミエール。」

「ええ、オスカー。ですが…こういうことは御本人の意思でなさるべきこと…」
「やれやれ。わかってない奴だな。あの方に任せておいたらいつになると思うんだ?」
「…そうでしょうか…。私はちゃんとお考えではなかったかと思いますが…。」
相変わらずかみ合わない会話を続ける炎と水の守護聖の思惑とは関係なく、聖地を発った女王陛下と首座の守護聖は目的地のホテルに到着した。
…もちろん、普通の新婚カップルのふりをして…??


「まあ、素敵なお部屋!海もよく見えるのね…。ねえ、ジュリアスさま?!」
「……………。」
「…もおっ、大丈夫ですってば、ジュリアスさま。三泊っていっても聖地に帰ればただ一晩明けているだけですよ。それに今はただの旅行客です。今だけ女王とか守護聖とか、忘れてください。ね、お願いですから!」
「陛下…忘れてよいというものではありません…。私たちの関係も聖地の中で守られてこそ続けて来ることができたのです。……やはりこんなことをしてはいけない、すぐに聖地に帰りま……」
ジュリアスがそこまで言いかけた時に彼の顔面めがけて大きなクッションが強烈な勢いで飛んできた。ジュリアスはそれをまともに食らって思わず咳きこんだ。
「何をなさる……」
「ジュリアスさまのばかぁーっ!!」
アンジェリークはそう叫ぶと部屋を飛び出してどこかに走って行く。
「いけません…!!」
ジュリアスは後を追おうとしたが、したたかに埃を吸い込んだのとクッションのかどが目に入ったのとでまともに顔が上げていられない。よろめきながら廊下に出たときにはもうそこにアンジェリークの姿はない。
「…なんということだ…。」
ジュリアスは呆然としつつも、アンジェリークの行方を追った。


ジュリアスがアンジェリークを見つけたのは夕暮れのビーチの木陰だった。
「…陛………アンジェリーク…。」
「……………」
「さあ、もう部屋に帰ろう。とりあえず今晩は泊まっていってもよいから…。」
「…………」
「アンジェリーク…?」
ジュリアスがのぞき込むと、アンジェリークは涙の乾いた顔ですうすう寝息を立てていた。ジュリアスはため息をつくとアンジェリークの隣に座りこんだ。
「昔もこんなことがあったな……。」
ジュリアスは苦笑して、あの頃より少し進化した二人の間を、彼女を胸で支えることで表現した。真っ赤に染まる海を追いかけるように夜の帳は下りてゆくのだった。


「ジュリアスさま、ごめんなさい…。」
上気した頬でベッドに横たわるジュリアスにアンジェリークは半べそをかいた顔でそう言った。夜半まであの状態で浜辺にいたせいか、いつものように過労気味のジュリアスが熱を出してしまったのだ。それほど高熱ではないが、空しく何もない一夜が過ぎた朝の今もベッドから出られない。
「かまわぬ、アンジェリーク。こんなことで熱など出す私が情けないだけだ。そなたのせいではない。気にするな。」
「…苦しくはないですか?どこか痛いところは…?」
「大事無い。しばらく寝ていれば回復する。少し体が重く感じられるだけだからな。」
「やっぱりジュリアスさまは聖地からお出にならないほうがよかったのですね…。」
「……そういうわけではなかろう。少し間が悪かっただけだ。私とて外界で仕事をしたことだって何度となくあるぞ……済まぬが少し眠らせてもらう…。」
ジュリアスは少し拗ねたようにいうと目を閉じた。
「はい、ジュリアスさま…。」
アンジェリークは「なんか、もう、最悪…」と呟くと自分も隣のベッドに潜り込んだ。


「どこか散歩にでも出かけたらどうだ?」
ジュリアスの熱は夕方になって下がった。アンジェリークは落ち込んだ様子のまま部屋でぼおっとしている。さすがに見かねたジュリアスが思わずそう言った。
「…一人で出かけても、いいんですか…?」
アンジェリークはとてもそんな気にはなれなかったが、皮肉っぽくそう言ってみた。
「……済まぬ……。」
自分の言い過ちに気付いたジュリアスは素直に詫びる。
「…済まなかった。本意でないとは言えここに来てしまった以上、折角のこの時を大切にせねばならなかったのに、こんなことになってしまって…。」
不機嫌なアンジェリークは鋭く言葉尻を捕らえる。
「本意でない…?ジュリアスさまはやはり私と二人きりになることなど望んでらっしゃらなかったのですねっ?私がせがんだから厭々…」
「そうではないっ…そうではないのだ!」
「じゃあ、どうだっておっしゃるんですか?」
「……私が…自分でそなたを誘おうと思っていたのだ…。」
「ジュリアスさま…?!」
「…そなたと一夜を過ごすために……。それがなし崩しにこんなことになってしまって、すっかり決まりが悪くなってしまった…。」
「それじゃあ…。」
「今宵、そなたを私のものにしたい。……そなたを抱きたいのだ…。よいか…?」
アンジェリークは驚いた表情のまま、こくんと頷く。
「……汗をかいた…。湯を浴びて来る…。」
ベッドから出てシャワールームに消えたジュリアスをアンジェリークは真っ赤になって見送った。


二度目の夜が更けていく中、月明かりだけの仄暗い部屋の中に二人は立っていた。
ジュリアスはアンジェリークの肩を抱くと、ほんのわずかに震える手を背中から腰に伸ばしていった。そして自らの唇でアンジェリークの唇を塞ぐと、ためらいつつもその舌で押し開いていった。ゆっくりと、そしてだんだんと貪るように、ジュリアスの接吻は続く。アンジェリークは体が芯から痺れてゆくのを感じた。やがてひざから力が抜けてがくりと体が崩れる。ジュリアスは驚いて抱きとめ、そうっとベッドにアンジェリークを横たえた。アンジェリークの顔は涙に濡れている。
「怖いか…?」
ジュリアスの声は驚くほど優しい。
「だいじょうぶ…です…。」
「…いやだと思ったら言ってくれ…。よいな?はじめるぞ…?」
「はい、ジュリアスさま。」
ジュリアスは慣れない手つきでたどたどしくアンジェリークの体を辿り始めた。