女王命 PART1

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『光の守護聖ジュリアスに一週間の休養を命じる』

地の守護聖ルヴァが精一杯のしかめ面をして手にした書類を読み上げる。
「女王陛下の御命令ですから」
そう付け加えるとルヴァは少し困ったような笑顔を、ベッドに横たわるジュリアスに向けた。
「陛下の御命令ならば…」
ジュリアスはいつもの彼からは考えられないほどの弱々しい声で応えた。

「一週間ですよ」
ルヴァはそう慰めながら思う。
一週間の休みをもらってこんなに哀しそうな顔をする人はそうはいない。
(もちろんそうでなければ陛下も休養を命じたりはなさらないでしょうけどね…)
ルヴァはジュリアスの上掛けを直しながら言った。
「体調が良くならなければもっと延びてしまいますよ。ここは諦めて寝たほうが賢い選択だと思いますけどねー。」

ジュリアスは、今自分がどんなに情けない顔をしているかを思い、せめてここにいるのがルヴァで良かった、と小さくため息をついてゆっくり目を閉じ、すぐに眠りに落ちた。

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金色の髪の少女アンジェリーク・リモージュが女王試験を経て新宇宙の女王に即位してから、聖地では二ヶ月余りの時が過ぎていた。女王のサクリアに満ち、若さあふれる彼女ではあったが、元々学生としても優等生だったわけではない。ロザリアという有能な補佐官が傍にいるとしても、いきなり女王としての執務をこなすのは難しいだろう。
──そうジュリアスは思っていた。
「少しでも仕事を楽にしてやらねば…」
自然にそう思うようになっていた。
…何故そう思うのかは余り考えないようにしていたが、もちろん解っていた。

アンジェリーク。今まで知っているどの女王とも違う、新しい力に満ちた少女。自分がどんどんこの少女に惹かれているのに気付いたときは信じられなかったが。
もうずいぶん長い間守護聖として生きて来て初めて知った、
──恋という感情──愛しいという気持ち──それ故の苦しさ。
だがもちろん誰よりも職務に忠実な守護聖であるジュリアスは、その気持ちを打ち明けることはできなかった。
そしてアンジェリークも…。

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(もうあとは告白するだけ…。いえ、今日あたり告げて下さるかも…。)
そんな気持ちで何度も森の湖に通った。誘ったり、誘われたり、祈りに応えたのかふっと現れることもあった。
(ああ、この方も私を……。)
でも言えなかった。
(この方はジュリアスさま。首座の…光の守護聖……誰よりも女王陛下を…)
(ではもし私が女王陛下なら……?)

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アンジェリークは少し後悔している。
…いやとても後悔しているような気がする。
ちょっと考えれば解ったことのような気がするが……
「女王になんかなるんじゃなかった」

「え?なにかおっしゃいました?陛下。」
ロザリアが書類から目を上げアンジェリークに言った。
「いえ、別に…なんでもないわ」
そうごまかすとアンジェリークはちらりと扉の上の時計を見上げた。
(…もうすぐだ!!)
果して、まもなく扉の向こうから威厳に満ちた声が響いてくる。
「失礼いたします。」
扉が開いて、長身に純白のローブをまとった、光の守護聖の金色に輝く姿が現れた。
アンジェリークのつまらなそうだった顔は一瞬にして、彼の光を浴びたかのように輝きを帯びる。が、次の瞬間また彼女の表情は曇った。
ジュリアスの長い腕に抱えられたひとかたまりの書類が目に入ったからだ。

書類をどうこうするのもイヤだが理由はそれだけではない。
(どーしてこの方はこんなに仕事をなさるのかしら)
ジュリアスの持っている書類は半端な量ではない。いくら仕事が速いからといって、普通一人の人間が一日でこなせる量だとは思えない。
(でもこの方はやってしまうのよね…たった一人で。)
しかもこんなカンジで毎日だ。さらにその書類の完成度が高い。今まで女王や補佐官がやってきた部分まで、最初のうちは大変であろう、とか言ってみんな書き込んできてしまう。彼女たちの仕事は、読んで、せいぜいサインをするだけだ。
…もっとも読むだけでも大変なのだが…。
(この方は…いつ寝てらっしゃるのかしら…)
アンジェリークは心配でならない。
「本日の分です。」
ジュリアスは手にした書類をどさっと脇机の上に置いた。
アンジェリークはジュリアスの顔をなんとなく見づらくなって一番上の書類に目を落とした。と、そこに『光の守護聖』という言葉があった。

『わが星の最大の祭りである天光祭ですが、本年は1000年目の節目でありますれば、もし出来ますなら光の守護聖さまにおいで願いたいというのが民の声であります。まことに勝手なお願いではございまするがぜひ御検討賜りたくお願い奉ります。』

アンジェリークはその書類をロザリアに見せながら言った。
「…ジュリアス?」
「はい。なんでございますか陛下。」
「この星に行ってみない?」
「は?…あっ。…いや、しかし…それは…」
「宇宙も新しくなったことだし、民も不安なことがあるかもしれないでしょう?あなたの姿を見ればきっと励まされると思うの…ねえ、ロザリア?」
「そうですわね。それはいい考えですわ、陛下」
「ですが、公務が…」
「あら、これも立派な公務でしょう?それともジュリアスは民の切実な願いなんてどうでもいいとおっしゃるのかしら?」
「…………承知致しました。参ります。」
「うふ。じゃあ決まったわ。…そうね、すぐに仕度して、今夜にでも発ってちょうだい。…シャトルを手配させて、ロザリア」
「かしこまりましたわ、陛下」
「今夜…。シャトルでですか…。」
「一緒に…そうね、マルセルも行かせましょう…♪」
「……御意。」
もうこうなったら私の負けだ…と、観念したジュリアスだった。

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「ジュリアスはもう発ったかしら。」
「ちょうど出発した頃ですわね。……いいんですの?陛下。ジュリアスを行かせてしまって。」
「だって…こうでもしないと休んでくれないでしょう?そりゃあ逢えないのはさびしいけれど…。いくらジュリアスでもシャトルの中にまで書類を持ちこんだりしないでしょうし…マルセルに一応見張ってもらってるけど…。だからいいの!」
「わかりましたわ。……仕事がんばりましょうね、陛下?」
「あっ……そ、そうね。よろしくね、ロザリア。」
「…アンジェリーク…。」
アンジェリークは明日のことを思って、ちょっと後悔した。
しかも女王陛下の心遣いは完全に裏目に出たのだった。

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頭痛がする…。シャトルに酔ったのだろうか。こんなことは今までなかった。ジュリアスはそういう訳ですっかり滅入っていた。マルセルは隣のベッドで健やかな寝息を立てている。ジュリアスは自分のベッドに腰をかけてため息をついた。睡眠は足りているはずがない。それは自覚していた。なのにまるで眠気を感じない。ただその眠気のかわりに頭痛はひどくなるばかりであった。
「陛下は私が邪魔なのだろうか…。」
普通ならこんなことは決して考えないはずのジュリアスである。でもそれに気づかないほど彼は参っていた。

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その星の祭は華やかだった。光と収穫に感謝する祭だと言っていた。ジュリアスは民たちの心からの歓迎を嬉しく思った。だが微笑んで手を振るのが精一杯で、あとは用意された椅子にかけたきり眉をしかめて目を伏せたままだった。
「ジュリアスさま。本当に大丈夫ですか?」
マルセルはもちろん出発した翌朝からジュリアスの様子が変なことには気づいていた。だが弱音を吐くような男ではないのも良く知っていたので、黙って様子を見るにとどめていた。しかし今日は本当につらそうだ。
「お部屋に戻られたほうがいいですよ。ここはぼくが何とかします。」
「いや、民たちに不要な心配をさせてしまう。祭が終わるまではここにいるべきだろう。そなたにも気を遣わせて済まぬな、マルセル。」
「いいえ、気になさらないでください。でも、本当に無理はしないでくださいね。」
マルセルは諦めた。こうなるとジュリアスはてこでも動くまい。だが本当に大丈夫なのだろうか…。

祭は終わった。ジュリアスはやっとの思いで立ち上がると民たちに微笑んで手を振り、その場を辞した。
頭痛は絶頂に達していた。足が鉛のように重かった。マルセルはローブの陰から手を添えて、ジュリアスをかばうように控え室に戻って椅子に掛けさせると、予定より早くこの星を出発する旨を傍に従っていた大臣に告げた。
「今夜のうちに発ちましょう。今シャトルをお願いしましたから。」
「済まぬな…そなたにはすっかり…世話を掛けてしまったな。」
「いつも迷惑ばっかり掛けてるんですから…たまにはいいじゃないですか、逆っていうのも。」
「……ああ、しかしそなたはだんだん…」
そう言いかけてジュリアスは、まだ立ったままのマルセルを見上げた…はずだった。

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「ジュリアスさま!しっかりしてください…!」
…返事はない。驚いたのはマルセルである。
あのジュリアスが目の前でくずおれるように椅子に沈み込んでしまったのだ。ただ事ではない。しかもここは主星と遠く離れた辺境の星である。周りには誰もいない。他の守護聖も、陛下も…。
「ど、どうしよう…。落ち着け、落ち着くんだマルセル!」
とりあえずシャトルの手配はできている。あとはなんとかこの人を連れて乗ってしまえばいいんだ…。そう自分に言い聞かせながらもマルセルはやはり泣きたい気分だった。

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連絡を受けた聖地は大騒ぎだった。
青天の霹靂、いや鬼の霍乱か。やはりひどい言われようだったが、とにかくほとんどの者がうろたえていた。もちろん一番慌てていたのはアンジェリークである。
「落ち着いてください、陛下。今あなたがここで慌ててもしょうがないでしょう?」
「だけどロザリア、私が無理やり行かせたばっかりに…私のせいだわ。どうしよう、ジュリアスにもしものことがあったら…。私…。」
「もしものことなんてあるわけないでしょ、ジュリアスに限って。大丈夫、ただの過労に決まってるわ。」
「過労死ってのだってあるのよ、ああ…聖地にいる限り大丈夫だったのに…私のせいだわ…。」
「もう、アンジェリーク!わからないの?光のサクリアはいつもとほとんど変わらず感じられるでしょっ?!それが何よりの証拠よ、落ちつきなさいっ!!」
「あのー」
緊張感のない声が響く。
「ジュリアスたち、着いたけどー?」
二人が声のする方にばっと振り向くと、
「ジュリアス生きてるからねー、あんまり心配すんじゃないよー。」
いつのまにかはいって来ていたオリヴィエが軽くウィンクをして見せた。

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「ご心配をお掛けしまして、申し訳ございません。」
マルセルに支えられたジュリアスが謁見室に姿をあらわすと、アンジェリークはへなへなと玉座に腰を下ろした。威厳をなんとか取り戻したロザリアがジュリアスに訊く。
「挨拶はあとでよろしいから、私邸に帰ってお休みになったら?」
「いや、せめてご報告だけでも…。」
「ジュリアスさま、ぼくがやります。大丈夫ですからお休みください。」
マルセルが有無を言わさぬ強い語調でそう言うのを聞き、意を決して立ちあがったアンジェリークは、震えた、しかし大きな声で言った。
「女王命令です。ジュリアス、私邸に戻って休みなさい。」
「………わかりました。」
ジュリアスは叱られた子供のような顔でがっくりとうなだれ、つぶやくように答える。傍に来ていたオスカーは、その様子にためらいながらもマルセルからジュリアスのエスコート役を引き継いだ。
「ジュリアスさま。お屋敷に仕度ができております。戻りましょう。」
「…わかった。…それでは陛下、失礼いたします。」
ジュリアスは精一杯に力を振り絞って立ちあがると、凛と胸を張って謁見室を辞したので、当ての外れたオスカーは慌ててあとに続いたのだった。

───────────────2に続く────────────────