大嫌い。(後編)


「昔、そなたによく似た少女がいた。」
エリューシオンの夕暮れの丘に座って、ジュリアスは、アンジェリークに言う。
「その少女も、そなたのように……なんと言えばいいのだろう…そう…だな、生きが良かった…とでも言えばいいのだろうか…ふふ。」
「え〜、それじゃあ、まるでお魚ですっ。」
「ああ、そうだな。小川で跳ねる魚のように、きらきらと輝いていて……元気が良くて…できるならそのままにしておきたかった。……普通の…少女のままに……」
「ジュリアスさま…?」
「うん?」
「その……女の子は……今…?」
「ん…?…ああ、心配ない。まだ達者でいる。もう、少女ではないが…」
「…好き……だった方…なんですか?」
アンジェリークは、ジュリアスの見せた表情に、少し嫉妬を覚え、思わず尋ねた。
「…そう、だな…若い、普通の…飾らぬ少女をみるのは初めてのようなものであったからな…確かに、どこか惹かれていたかも知れぬ。だが……恋…ではなかった…きっと。」
「ジュリアスさま……」
「恋……ではない。今ならわかる。……あのときは……こんな…」
ジュリアスは、アンジェリークを見つめた。美しい夕日が、ふたりの黄金の髪を緋色に染める。ジュリアスは、思わずアンジェリークの唇を見ていた。
……そして、首を横に振った。
「……どうかしている……」
「え……?」
「……いや、なんでもない。帰るぞ。」
ジュリアスは立ちあがった。そしてアンジェリークに手を差し出す。
「あ、あの……」
「帰りたくないのか…?」
「いえっ…、あの、帰ります。すみませんッ!」
アンジェリークは、慌てて、そのまま立ちあがった。そして、ジュリアスの差し出した手を無視してしまったことに気がついた。
(いけないッ!)
思わずジュリアスの顔を見る。ジュリアスは眉を顰めて、黙ってその手を降ろした。
(……どうしよう、ジュリアスさま、誤解なさった……?)
ジュリアスはそのままアンジェリークに背を向けて歩き出す。
アンジェリークは黙ってジュリアスについて行くしかなかった。


アンジェリークは遊星盤に乗ると、ジュリアスのほうを見た。
「あの、本当に、お乗りにならないんですか?えっと…」
「仕方があるまい。遊星盤は一人しか乗ることはできぬのだ。そなたはそれで帰るがいい。私はそれがなくともここに来られたではないか。案ずるな。先に戻っていろ。」
「は、はい……でも……」
「……案ずるなと言っているだろう。それに、別にそなたと一緒にそこに乗るのが厭でこんなことを言っているわけではないぞ。」
「……えっ、あ、わかりました。ごめんなさい!じゃあ、お先に失礼します。…本当に、お気をつけてくださいね?」
そう言って、アンジェリークは遊星盤ごと、夜空に消えて行った。
後に残ったジュリアスは、深いため息をつく。
「…まったく、馬鹿な考えだ。私はどうかしているのだ。……それに私は彼女に嫌われているのだぞ。」
そう言って、ジュリアスは飛空都市に帰ろうとした。

飛空都市に帰る、と言っても、ここにいるのはジュリアスそのものではない。
本体は今、王立研究員の転移の間にいる。
ただ意識のみがここに来ているのだ。
「だが、アンジェリークに触れることは出来たな…何故なのか…」
皮肉な微笑を浮かべながら、ジュリアスは帰らねば、と思った。

『非常に強い精神力と集中力とが必要になります。』

パスハの言葉を忘れたわけではない。
だが、ジュリアスの心は乱れていた。
アンジェリークが王立研究院に戻って何分待っても、そこに横たわるジュリアスの本体に意識は戻ってこなかった。


「ジュリアスさま、ジュリアスさま?!」
アンジェリークはジュリアスの体を力いっぱい揺する。
だが、まるでなんの反応もない。体も冷たい。
「ジュリアスさまっ!帰って来てくださいッ!」
その声を聴きつけて、次の間からパスハとサラが飛び込んで来た。
「どうしたのだ、アンジェリーク。」
「ジュリアスさまが、帰ってらっしゃいません!」
「…どこかを見廻ってらっしゃるなんてことは…」
「……でもサラさん。もう、私が帰ってきてから10分以上も経っているんです。エリューシオンの時間で言ったらもうどれくらいになるのか…」
「転移に失敗したのか……?」
「なんですって、パスハ!それって、いったいどうなるの?」
「……時空の狭間で迷ってらっしゃるのか…」
パスハはしばらく考えて、そして言った。
「サラ、おまえの水晶球には何か映っていないのか?」
「……ちょっと待ってて…ここじゃうまく見えないから隣りの部屋で見るわ。」
サラは次の間に戻って行く。
「ジュリアスさま……私のせいで……」
「大丈夫だ、アンジェリーク。ジュリアスさまはとても強い意思をお持ちなのだ。常人ならどうなるか保証はできぬが、あの方ならきっと帰っていらっしゃる。」
「……パスハさん……」
アンジェリークは涙を浮かべながら、横たわるジュリアスの冷たい頬をさすり、、一生懸命暖めようとしていた。


気がつくと、ジュリアスは、深い霧の中のような所を漂っていた。
「ここは、どこなのだ。いったい、私は……そうか、エリューシオンからの転移に失敗したのだな…ふ、どうも…心乱れていたようだ。」
ジュリアスは苦笑いをした。今まで持ったことのないような新しい感情が、ジュリアスの心を乱している。
「これが……恋、というものなのだろうか。ふふ、オスカーにでも訊いて見なければわからぬがな……私が……あのような少女に……いや、彼女はただの少女ではない…。」
そう、ジュリアスにはもうひとつはっきりと気がついていたことがあった。

「次の女王は、きっと彼女…アンジェリークだ。
この荒削りだがきわめて強い女王のサクリア。それに、新しい宇宙に相応しい、今までの女王にはなかった…人を、そして万物をも変える可能性を持つ力の奔流。大いなる生命力と慈愛、そして母性。
…間違いない…彼女は次の宇宙、新しい宇宙の女王になるために生まれた女性だ。
そう、……誰かの翼の陰に入るべき者ではない…。
その白く大きな翼で、宇宙全てを覆うべき者なのだ……。」

その時、ジュリアスの中に強い力が流れ込んで来た。
『ジュリアスさま!』
「アンジェリークか!?」
『ジュリアスさま!御無事でらっしゃるんですね!』
「うむ、大事ない。ああ……アンジェリーク、そこで私を導いてくれ。大丈夫、そなたがそこにいれば……私には帰る道がわかる。」
『ジュリアスさま…』

アンジェリークが握っていたジュリアスの冷たい掌に次第に暖かみが戻り、頬に赤みが射し、青い瞳が開いた。
「アンジェリーク。」
「ジュリアスさま!」
ジュリアスはすぐに起きあがる。
「あ、ジュリアスさま、すぐに起きては……」
「ん…サラか…。パスハも…。すまなかった、心配を掛けたようだな。だが私はもうなんともない。……アンジェリーク。」
「は、はい……。」
「私はまだたくさんのことをそなたに教えねばならない。だが、そなたにはそれを学ぶべき力もあるし、器もある。しっかり、私が導く。ついて来るのだぞ、よいな。」
「ジュリアスさま……はい、わかりました、がんばります!」
「うむ。…ではパスハ、サラ。本当に世話を掛けたな。無事に済んだこと、そなたたちの力に負うところも多い。心より感謝する。ありがとう。」
「いえ、ジュリアスさま。王立研究院主任として当然の事をしたまで。そのようなお言葉、恐れ多く存じます。」
「そうですわ、ジュリアスさま。それにまだまだ先は長うございます。これからも私たち、及ばずながらお力になりとうございますのよ。そのお言葉が頂けるとしたら、まだ先のこと。そうでございましょう?」
「ふふ、そうであったな。では、これからも力になってくれ。期待しているぞ。」
「御意にございます。」
「承知致しました。」

帰って行くジュリアスとアンジェリークを見送ってからパスハはサラに言う。
「水晶球に、何が映ったのだ?」
「あら…うふふ。そうね、ジュリアスさまがここに来る途中で迷ってらっしゃるのはすぐにわかったわ。アンジェリークの力ならあの方を導ける事も…。」
「…だが、おまえのその顔は、もっと先の事を見たと言っているぞ。」
「流石ね、パスハ。そうよ、もっと先。アンジェリークとジュリアスさまの幸せそうな姿が見えたわ。二人とも背中に大きな白い光の翼をつけて…」
「……アンジェリークは女王になれぬのか?」
「…あら、どうして?」
「女王になれば、誰とも結ばれる事は出来ぬのではないのか?」
「ふふ、どうかしら?みんながそう思っているだけじゃないのかしら。ふふっ」
サラは悪戯っぽく笑って、恋人に抱きついた。


「寮の者やロザリアに、心配掛けた事、よく謝るのだぞ、アンジェリーク。」
夜も更けて、女王候補寮の玄関までアンジェリークを送っての別れ際、ジュリアスは、そう言ってアンジェリークを見つめた。
「はい、ジュリアスさま。」
アンジェリークもまっすぐジュリアスを見つめる。
(この瞳を、独占してはならぬ。)
ジュリアスは、そう自分に言い聞かせる。
「それでは、な。ゆっくり休むのだぞ、アンジェリーク。」
「はい、……あのっ!」
「……なんだ?」
「あの、今日は本当にごめんなさい、あの…大嫌い、なんて言ってしまって、あれ、本気じゃなくって…いいえ、口が滑ってあんなこと言ってしまったけど、本当は…っ」
「よい。わかっている。気にしておらぬからそなたももう忘れるがよい。」
ジュリアスはそう言ったが、本心は少しホッとしたのは言うまでもない。
「は、はい。本当に今日は御迷惑をお掛けしました!では、おやすみなさいませ!」
アンジェリークの部屋の窓に灯りがつくまで、ジュリアスはそこに立っていた。


「大嫌い……か。ふふ、あながち、悪い言葉ではないのかも知れぬな。そもそも想いが深くなければ言えぬ言葉のような気がする……」
そうひとりごちながら、帰り道を辿るジュリアスに優しい夜風が吹き抜けて行く。

思えば、これがジュリアスの初めての恋の始まりであった。

おしまい

ようやっと完結です。
この先はたぶん『女王命令』だね。

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