大嫌い。(前編)




「やっぱり私、やめる!」
女王候補アンジェリーク・リモージュはもう一人の女王候補ロザリア・デ・カタルヘナにそう告げて聖殿の廊下の目的の場所の前で踵を返した。
「ちょっと、あんたってば。ここまで来てなに怖気づいているの?」
「だって、ジュリアスさまってやっぱり怖いんですもの〜」
アンジェリークはもう泣きそうだった。



アンジェリークの育成している大陸のエリューシオンは、試験開始後五十日ほど経った今、ロザリアの育成しているフェリシアに較べて、だいぶ見劣りのするものであった。
理由は明白である。要領良く立ち回ることの出来ないアンジェリークには、苦手としている守護聖が何人かおり、その守護聖の力を効率的に育成に利用することが出来ないためであった。十分といえるのはやはり人当たりが良く近づきやすい守護聖の力、つまり風、水、緑、地、あとは何故だか向こうから寄ってくるので何とかなっている炎の力が少し、くらいなものである。
だからエリューシオンはのんびりと単調に育っていはいるが、それはおよそ覇気に欠けた、発展性のない育ち方といえる。なのでアンジェリークも頑張って、他の守護聖ともコミュニケーションを図り、なんとか育成を頼みに行ったり努力はしているのだ。
だがそれでも、育成に欠かせないもっとも大きな力が欠けている。それが光のサクリアだ。
そしてアンジェリークが最も苦手とする守護聖…それが光の守護聖、ジュリアスであった。
七回目の定期審査を終え、七回目の敗北を喫したアンジェリークはもういいかげん女王候補としての自信を失っていた。
(どうして私はこんなところで女王試験なんか受けているのかしら。私なんかどうせ無理なんだからさっさとロザリアを女王にして、私をパパやママやスモルニィのみんなのところに帰らせてくれればいいのに。)
そう思っている矢先にジュリアスからの呼び出しがかかった。。
「きっとあんたがあんまり女王候補として相応しくないから、ジュリアスさまもいいかげん堪忍袋の尾が切れたのだわ。」
そうロザリアはアンジェリークに告げ、一人では行きづらいだろうからとジュリアスのところにアンジェリークを引っ張っていこうとしたわけである。
ロザリアは決して意地悪でやっているわけではない。自分が女王試験で勝つ自信は十分にあるものの、相手がこの体たらくでは張り合いのないこと夥しいからである。
どうせ競うなら強い相手と存分に戦って勝ちたい。そのためには自分の時間を多少削ることなど厭わない、というのがロザリアの本当の性格である。だがアンジェリークはちっともわかってくれない。それどころか子供のように泣きながらだだをこねる始末だ。
「いや、ジュリアスさまになんか会いたくない、私、もうおうちに帰る!」
アンジェリークは本当にジュリアスに会いたくないわけではない。いや、むしろ見るだけでいいならいつまでも見ていたかった。初めて見た時、この世の中にこんなに美しくて気高い人がいるなんて、とまるで神様か天使でも見たような心持ちになったものだ。
だけどその美しい青い目はアンジェリークのそんな心を見透かしているような気がしたし、
その形の良い唇からはまさに正論ではあるがとても厳しい言葉しか出てこないのだ。
「アンジェリーク、いいかげんになさい。あなたは女王候補なのだからジュリアスさまの御指導をきちんと受けなければならないのよ!子供みたいにだだをこねないで!」
「いや、私もう女王試験なんか嫌、育成なんか嫌、ジュリアスさまなんか大嫌い!」
じたばたとロザリアを振り切ろうと振りまわした手が何かに当たった。
「ジュリアスさま…っ!」
ロザリアはちょっと蒼ざめてその『何か』に言った。
アンジェリークは、本当に血の引く音が聞こえたような気がした。
「何をやっているのだ、騒々しい。それでもそなたたちは誇りある女王候補か。」
「す、すみませんジュリアスさま。この子がジュリアスさまの呼び出しに応じようとしないので連れて来たのですけれど…」
「そうか。それは御苦労であったな、ロザリア。もうさがって良い。」
「は、はい、ジュリアスさま。」
「うむ。それからアンジェリーク。」
アンジェリークはジュリアスに後ろを取られたまま動くに動けず、恐る恐るジュリアスの顔を見上げていた。
「アンジェリーク。返事をせぬか。」
「は、はい…っ」
ジュリアスは、頼りない声で答えたアンジェリークをそのサファイア・ブルーの鋭い目でぎろり、と睨んだ。アンジェリークは縮みあがった。
「そなたの言い分はよくわかった。私も、やる気がないなら家に帰れと言いたいところだがそうはいかぬ。エリューシオンはまだ未熟な大地だ。この地の育成はそなたに任せたのだ。ロザリアはフェリシアで手一杯なのだし、私たちとて暇ではない。これはそなたの仕事だ。どんなやり方でもそなたが育てねば大陸は荒廃するしか道はない。そなたにしか出来ぬことはきちんとやり終えてから帰ってもらわねばならぬ。私が嫌いならそれでも構わぬが、やるべきことはやってもらうぞ。」
まったくジュリアスの言うことはいつでも正論である。彼はそれほど厳しいことを言うだけの行いをしているのだ。だけど、だからと言って…みんなが彼のように完璧に物事をこなせるわけがない。けれど、どうしてそんなことが言えるだろう。
だからアンジェリークは何も言えずにただ泣きじゃくるばかりであった。
「さ、アンジェリーク。お部屋に帰りましょう。もう一度ジュリアスさまのおっしゃったことを良く考えてきちんと育成するのよ。わからなかったら私が…」
「ロザリア。育成は各自が責任を持って行うものだ。そなたはフェリシアだけで手一杯のはず。そうではないのか?」
「は、はい。申し訳ありません、ジュリアスさま。アンジェリーク、行きましょう。」
ロザリアは泣きじゃくるアンジェリークを伴って帰って行った。
ジュリアスは硬い表情でそんな二人を見送ってから振り返り、真後ろにある自分の執務室のドアを開けた。
執務室の中ではオスカーが、苦笑いをしながら立っている。
「まったく手厳しいですね、ジュリアスさま。私まで耳が痛い。けれどどうしてあなたはそんなにあの女王候補だけに厳しいのですか?」
「何を言っているのだオスカー。私はあの娘があまりにも不甲斐ないので黙ってはいられなくなっただけのことだ。別に彼女だけにこだわっているつもりはないが?」
「女王試験が無事終わって、新しい女王に相応しい娘が女王になれば良いだけのこと。ロザリアには立派な女王の資質があるではありませんか。アンジェリークなど構わずとも……ましてやあれほど泣かれたり嫌われたりするほどのことをしなくてもいいのではありませんか?あれでは気の毒だ。」
「あのくらいで泣いているようではこれからどこに行っても、何をやっても上手くゆかぬだろう。気の毒ではない、彼女のためだ。」
「気の毒なのは彼女ではありませんよ。ジュリアスさま、あなたの方です。」
「なんだと?」
「ジュリアスさまの本当の気持ちを知れば、アンジェリークだってあなたのことを恐れなくとも良いはず。私が彼女の誤解を解いて差し上げましょうか?」
「余計なことはするな、オスカー。本当の気持ちも何も、私は女王試験が無事に成功裏に終わること以外に何も望んではいない。」
(まったく、女性のことになるとまったくの初心者でいらっしゃるからな。ご自分のお気持ちさえ気づいてらっしゃらないのだ。)
オスカーは予想通りのジュリアスの答えに再び苦笑いし、参った、という感じに両手を広げ、部屋から出ていこうとつつ、立ち止まって言った。
「では、涙にくれるお嬢ちゃんを慰めに行って来ますよ。まあ、それくらいは構わないでしょう?」
「勝手にしろ。」
オスカーが部屋を出ていくと、ジュリアスはどかんと椅子に腰を掛け、大きな溜息をつく。
(大嫌い…か。)
やはりそこまで言われては、流石のジュリアスと言えどもショックに違いなかった。
それにオスカーの言うことも本当だった。ジュリアスはアンジェリークのような娘を今まで見たことがない。明るく、奔放で、泣いたり、笑ったり、表情がくるくる変わる。確かにロザリアと較べて無作法で、落ち着きもなく、取りたてて何かに秀でているわけではない。だが…だから、と言うべきなのか、ジュリアスには目が離せなかった。
だからこそ女王試験も途中で投げて欲しくなどなかった。
エリューシオン云々と言うのは建前だ。大陸はフェリシアの影響も少しは受けるし、彼女がいなくても自然にゆっくりと成長していくはずである。だが……何故かわからないがジュリアスはアンジェリークに最後まで諦めて欲しくないのだ。
だったら励ませば良いものを、逆にこう言うことになるのは、それが彼の性分であり、オスカーの思うとおり女性の扱いを知らないからに他ならない。
まったく損な性格である。



アンジェリークは重い足取りで自分の部屋を出て行く。
(今日こそ、光のサクリアをお願いしなくっちゃ……でも…)
ジュリアスに会うのが辛い。どうせ自分なんか絶対嫌われているのだし、もうきっと相性も最悪に違いない。ああ、どうしよう。
……などと思いながら歩いてたものだから、アンジェリークの足はいつの間にか聖殿とはまったく違う方向に向いていた。占いの館である。
(せめて、なんかサラさんにアドバイスでも受けなくっちゃ、たまんないもん…)
そう考えてアンジェリークは入り口の幕を捲った。
「お邪魔しま〜す、サラさん…」
と、挨拶して顔を上げたアンジェリークの目に移ったものは、幕屋の奥で光の守護聖と館の主が抱き合っている(アンジェリークにはそう見えた)光景であった。
もちろん、この二人は抱き合ってなどいなかった。
「あらごめんなさい、ジュリアスさま。」
サラはそう言って慌ててジュリアスから離れた。こんなところをパスハに見られたら大変、である。もちろん、真相はなにものかにつまずいてよろけたサラが、たまたま大陸の育成について相談に来ていたジュリアスに抱きとめられただけのことである。
「まあ、金の髪の女王候補さん、いらっしゃい。」
その言葉に、ジュリアスも入り口の方を振り向いた。
「あ……、ご、ごめんなさいっ!失礼しました!」
だがアンジェリークはそう言うとすごい勢いで幕屋を飛び出して行った。
何が起きたのかわかっていないジュリアスが呆然と見送っていると、サラが言った。
「まあ大変。あの子、誤解したわ。」
「…誤解…だと?」
「ええ、私とジュリアスさまが抱き合っていたと思ったんですわ。きっと。」
「……な、何を…ι だが、そう見えたとしても彼女が慌てて出ていったのはそう言う理由ではない。彼女は私が大嫌い、だそうだ。」
ジュリアスはちょっと拗ねたような顔をした。
恋にかけては誰よりもエキスパート、と自負するサラは、くすっと笑って、水晶球を覗きこみ、そして言った。
「ジュリアスさま?あの子はジュリアスさまを嫌ってなんかいませんわ。そう、多分きっと、好きなんです、ジュリアスさまのこと。」
「何を言っている。彼女が私にそうはっきりと言ったのだ。」
「目に見えること、耳に聞こえることだけが真実ではないでしょう?」
「なに…?」
「お気に障ったらすみません。ですけど、ジュリアスさまももう一度冷静にあの子のこと、考えてあげてください。あの子はすっかりあなたに怯えているんです。」
「怯えている…?」
「女の子というものは、そうしたものですわ。特に好きな人の前では嫌われるのが怖くって、つい焦って失敗もするでしょうし、その人が好きなら好きなほど上がってしまいます。ジュリアスさまみたいに潔癖な方なら尚のことですわね。」
「私のせい……だと言うのか?」
「そうは申しませんけれど、ジュリアスさまが…そう、笑いかけて差し上げるだけでも全然違ってくると思いますわ。あの子のことが、気になるのでしょう?」
サラの言うことに何故かジュリアスは反発できなかった。何故だか真実を突かれた気がした。気になる…と、ここでサラが言った意味がジュリアスにも理解できた。
「そうかも知れぬ…。」
サラはジュリアスの素直な返答ににっこりと微笑んだ。
「お二人の相性はとてもよろしいんですのよ。後は、お二人次第。」
「相性、だと?」
「ああ、誤解なさらないで。別に恋愛以外でも相性がいいと言うのはとってもいいことですわ。育成にだって、相性は必要なのは御存知でしょう?」
「それくらいわかっている!……いや、すまなかった。私はどうも怒ってばかりいるようだな。やはり、改めるべきであろうな。」
「ええ、ジュリアスさまの微笑まれたお顔って、とても素敵でらっしゃいますわ。」
ジュリアスはちょっと頬を赤く染めたまま、会釈をして占いの館を出た。



女王候補アンジェリークの行方がわからなくなったのはその晩の
ことだった。


つづく

本当は完成させてから出したかったんです…。でも、まあいいや。
今の甘々ジュリリモが夢みたいな女王候補時代のお話。でもなん
だかCDドラマ(夢天使)のようだ…。はうん。

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