BITTER SWEETS*3



確かに、この飛空都市での傷の治りは早いらしい。ジュリアスは5日後には何とか起きられるまでになった。まだギプスはしばらく外れないと言うことで、右腕は保護のために吊ったままではあるが。
「オスカーはおとなしくしているのか?ルヴァ。」
「え〜、まあ結局聖地に送還されることもなく、ごく軽い処分で済みそうですからね。あなたの口添えが良かったんでしょうねえ。まあもうしばらく私邸で謹慎中のようですけど。……さすがに彼もジュリアスに怪我を負わせたことがショックだったようで、おとなしくしているようですよ。」
「うむ、そうか。では早速様子を見に行ってやるとしよう。」
「あ〜、それはいいことですけど、大丈夫ですか〜?歩き回ったりしたら…。腰の打撲だってまだ痛いんじゃないですか〜?」
「何とか座っているだけなら大丈夫のようだ。馬車を呼んではくれぬか。」
「そうですか〜。わかりました。では、私もついていきますね。」
「……ああ。頼む、ルヴァ。」
ジュリアスはルヴァに支えられて、起き上がった。
「なんとか…歩けそうだ。ああ、そこの杖を取ってくれるか、ルヴァ。」
「ああ、この杖ですか。おや、これは懐かしい。」
ルヴァは、壁に立てかけてある古めかしいオーク材の杖を手にとって、そう言った。
ジュリアスも、その言葉に導かれるように目を細めたのだった。

「ジュリアスさま!お怪我は……歩いたりして、大丈夫なのですか?!」
ジュリアスがオスカーの部屋に入って、何とか椅子に腰掛けるのを見届けると、付き添って来たルヴァは気を利かせたかのようにドアの向こうに消えた。
「案ずるな。もう、どうということはない。幸い、聖地は陛下のご加護で傷の治りも早いのだ。あまり気に病むな、オスカー。」
「はい、申し訳ありませんでした…」
ジュリアスは、うなだれているオスカーを見つめた。
「よい、オスカー。そなたがアンジェリークのためにやったと言うことはわかっている。ただ少し、彼女を一人で馬に乗せるのには早すぎたようだな。」
「そのとおりです。俺は少し、焦っていたのかもしれません。」
「よい、オスカー。幸い彼女に怪我はなかったのだ。」
「………はい。」

ジュリアスは小さくため息をついた。そしてふと気がついたように、自分がここまで突いて来たオーク材の杖を取ると、オスカーに言う。
「ああそうだ、オスカー。この杖に見覚えはないか?」
オスカーはその言葉に顔を上げると、ジュリアスの手に握られている杖を見た。
「……?……」
「もう、二年以上前になるのか……。そなたにとってはもっと昔の話だがな。」
「……あの……?」
オスカーはその杖とジュリアスの顔を見比べた。ジュリアスは何のことを言っているのだろう…。その時、ノックの音がしてルヴァのすまなそうな顔が覗いた。

「あの〜、ちょっと、失礼しますよ〜。」
そう言って入って来たルヴァは、ジュリアスに近づくと耳打ちして何かを告げた。ジュリアスが頷くと、ルヴァはにっこりとオスカーに向かって笑う。
「では、オスカー。宮殿でお会いしましょうね〜。」
そう言って、ルヴァはドアの外に出て行った。今日はあくまでジュリアスの付き添いとしてきたつもりらしい。
「オスカー。」
ジュリアスはオスカーの方に向き直って、厳かに告げる。オスカーもその声の調子に、思わず居ずまいを正した。
「は、はい!」
「そなたの謹慎は、たった今解けた。今日はこれから身辺の整理をして、明日からの執務再開に備えるとよい。」
「……はっ!はい、ありがとうございます!」
ジュリアスは一瞬、何故か寂しそうな笑みを浮かべると、微笑んでオスカーに言う。
「これで明日からはまた女王候補に会うことができるぞ。よかったな、オスカー。」
「はい、ありがとうございます。」
ジュリアスはオスカーが同じ台詞しか言わないことに気づき、苦笑すると、杖を頼りにゆっくりと立ち上がった。オスカーが慌てて伸ばした手を拒むと、ジュリアスは言う。
「明日より、私も執務に戻る。しばらくの間、光と炎のサクリアが不足していたのが悪影響を与えぬよう、慎重に育成を再開するように。よいな。」
「承知いたしました。…あの、ジュリアスさまもお体を慈しまれますよう…、無理は…」
「案ずるな、オスカー。もう大丈夫だ。」
そう言って部屋を出て行くジュリアスを、オスカーは深く頭を垂れ、見送った。


「本当に、怖い思いをさせてしまった。すまなかったな、お嬢……アンジェリーク。」
久しぶりにアンジェリークの前に姿をあらわしたオスカーは、その緋い髪をふわりと揺らしながら彼女に深く頭を下げた。
「あ、あのっ…、オスカーさま、私はなんともありません、もうお顔を上げてください、お願いしますっ…」
アンジェリークはすっかり恐縮してそう言った。オスカーは頭を上げて、アイスブルーの瞳に少し憂いの色を浮かべつつ、神妙な面持ちでアンジェリークをじっと見つめた。思わぬ視線に、アンジェリークは真っ赤になった。
「そうか、俺を許してくれるんだな、ありがとう、お嬢ちゃん。」
次の瞬間にはもう、オスカーは普段の表情に戻った。もっとも、オスカーの『普段の表情』なのだから、アンジェリークは改めて更に頬を赤らめなければならなかったが。

「あの、私がこんなこというのも変かもしれないんですけど、謹慎が解けて、本当によかったですね、オスカーさま。それに、ジュリアスさまのお怪我もだいぶよくなられたみたいですし……」
やっと落ち着いたらしいアンジェリークは、心からほっとしたような笑顔でそうオスカーに告げた。オスカーはその天使の笑顔を眩しく見つめて言う。
「ああ、俺はどうでもいいが、ジュリアスさまのことは本当によかった。あの方が執務もなされないほどのアクシデントというのはほとんどなかったはずだからな。」
「でも、オスカーさまって、本当に、ジュリアスさまのこと、尊敬してらっしゃるんですね。もちろんジュリアスさまが素晴らしい方だからなのはわかりますけど、でも、ジュリアスさまって、あの……オスカーさま以外の方からは、…あの……」
アンジェリークは、少し言葉に詰まる。こんなことをオスカーに言っていいものなのか。だがオスカーは彼女の言いたいことをすぐに察して、こう言った。
「ああ、あの方は確かに俺以外の守護聖からは煙たがられているな。それは俺にもわかる。いや、俺にだからこそわかるのかも知れん。確かにあの方の清廉潔白な生真面目さは時には俺にだって煙たいと思えるときもある。だがな、お嬢ちゃん。あの方は本当は誰よりも情熱的で優しい心を持った方なんだぜ。」
オスカーは、顔は笑っているが、その瞳は真剣そのものであった。アンジェリークはなんだか嬉しかった。少なくとも二人はそんなジュリアスの真実を知っている。オスカーと、そしてこの自分と。
「ええ、オスカーさま。私も知ってます。もっとも、最近存じ上げたばかりですけど…。でも、オスカーさまはいつからジュリアスさまのそんなところに気づかれたんですか?
最初からすぐに見抜くのって、とっても難しいと思うんですけど…」
オスカーは、ちょっと驚いたような顔をした。
「……お嬢ちゃん。そうだな。俺も確かに最初はあの方に近寄りがたかった。…だが……いや…そうだな…待てよ?……」
オスカーは何かを思い出そうとしているように見えた。
「俺は確かに最初は……いや、でもどうしてだかわからないが、俺はあの方が優しい方だということを心のどこかで信じていた…だが…どうして……」
「オスカーさま……?」
「俺は最初にあの方と引き合わされたときに、何故だか、あの方に初めて会ったような気がしなかったんだ……そう、もっと昔にどこかで……?…そうだ、最初にお姿を見たとき、本当に美しい方だと思って、そして……」
オスカーはこれらの言葉をアンジェリークに語っているわけではないようだった。まるで、自分に言い聞かせるように、確かめるように……。

――大天使さま……?!――

オスカーの脳裏にその時、ある記憶が鮮明によみがえったのだった。

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