中島試作戦闘機NC:陸軍九一式戦闘機二型(続き)

全幅:11.00m 、全長:7.30m、 自重:1,075kg、総重量:1,500kg、

最大速度:300km/h、上昇時間:3,000m/3'20"、航続時間:2時間

発動機:中島 空冷9気筒「寿」二型 排気量:24.1L、公称出力:580馬力(離昇)、

武装:7.7mm機銃×2、乗員:1名

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左の写真は尾部より胴体内部を見る。操縦席の床構造がよくわかる。全金属製骨組みの上に羽布をはり、青灰色の塗装(当時の陸軍機の標準色)が塗られている。真中の棒状のものは操縦桿です。座席s(シートパン)はない。 右の写真は逆に操縦席から、尾部の方向を見る。胴体の骨組み構造がよくわかります。下面には長年の埃が堆積しているが、上面は黄金(茶)色の塗装色がはっきりと残っている。

真中の操縦桿は左右に振ると床面両サイドの連結棒が上下し、エルロン(補助翼)を作動させる。またふっとペダル(中央床上の横に置いた棒状のもの)を前後に蹴ると索が引かれてラダー(方向舵)が作動する。

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メータ類は2個を残してあとは欠落しているが左右の燃料コック?などは作動しそうな感じさえする。

説明をしてくださった、副館長の田口氏。本機は茨城県の農家の倉庫にひっそりと保存されていたもので、写真にある胴体と水平安定板、メイギヤの骨格のみしかなく、主翼やエンジンは失われていた。田口氏は、これをベースに復元すべきか、それとも現状保存に努めるべきか思案されていたが、とにもかくにも現存する唯一の歴史的機体であり、手を加えずそのまま保存を私は願うものです。それにつけても、機体をくまなく検分したのですが、機体ナンバーなどを発見できないことが残念である。可能であればX線分析などで、再塗装されているとすれば、その下に隠れた履歴情報を得たいものです。

91式戦闘機は昭和3年2機のの試作から始まり、昭和6年から制式量産となり、昭和9年まで中島飛行機で約350機、他に石川島飛行機で約100機生産された。この間ときに実戦に使われることは無かったが、急激な特殊飛行を除いては構造上に起因する事故はほとんどなく、初期の国産機としては一応成功の部類に入るといわれていた。

そして国内はもとより上海の基地などにも配備され、征空用の戦闘機として、長距離飛行訓練などに使用されてことから、しばしば記録に残る飛行を行った。その一つとして、昭和7年の飛行第三連隊の新藤中尉による9000mへの上昇、昭和10年飛行第五連隊による立川八丈島往復長距離洋上飛行、同年所沢飛行学校機による日本一周飛行などが上げられる。また昭和11年の陸軍大空中分列式には指揮官徳川好敏大佐自らが本機を操縦し先頭に立って150機の大編隊を先導したのが有名である。

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