1925年に設立されたトラベルエア社には、社長がクライド・セスナ、副社長がウオルター・ビーチ、そしてロイド・ステアマンが主任設計者という、その後のアメリカ軽飛行機界を代表するビッグ・スリーが顔を揃えていた。だが個性の強い大物バイロット/設計者のトロイカ経営がうまく行くわけもなく、ステアマンもセスナもまもなくトラベルエア社を去っていった。ひとり残ったビーチは1929年のナショナル・エア・レースに社運を賭け、最新技術を投入した。
スピード レーサー"R"型の開発を若きエンジニア、ハーブ・ロウドンに命じた。作業は極秘裏に進められ、噂を嗅ぎ付けたマスコミに機体が公開されることはなかったことから、ミステリーシップの名が生まれた。
1929年9月2日のナショナル・レース、50マイル周回レースに登場したダグラス・デービスの操縦する登録番号R514Kミステリーシップは、10万を超す大観衆の前に彗星のように現われた。平均時320km、バイロン・ミスによる10+1目のハンディキャップを克服しての優勝だった。
陸・海軍の複葉戦闘機がレースの勝利を独占していた時代が終わり、1930年代、専門メーカーの開発した民間の競速機によるスピード・レース時代、の幕開けを告げる快翔だった。画はフランク・M・ホークスの操縦で1900年8月に、ロスアンゼルス〜ニューヨーク大陸横断の新記録、13時間26分15秒を樹立したRシリーズの4番機NR1313。現在はシカゴ科学博物館に展示されている。 |