フォッカー社は、現在はプロペラ旅客機F50や中短距離用のジェット旅客機F100をつくっているが、戦前のわが国ではF-Vll型が主力旅客機として活躍したし、戦後もYS−11が登場するまでF27フレンドシップが日本の各地を結んでいた。このフォッカー社の旅客機Fシリーズの先駆となったのが、このF-llである(F-Iは計画だけで製作されていない)。 いまでこそ旅客機の名門と云われているフォッカーだが、第一次世界大戦中は、撃墜王リヒトフォーへンの愛機など、ドイツの主力戦闘機を次々と選り出した航空機メーカーだった。
戦後、社長のフォッカーはいち早く、故国オランダに移り、そこから旅客機の開発を指示した。F-Iは、戦闘機で成功した、支柱や張線のない厚い主翼に4人乗りの客室をもつ胴体を組み合わせた、当時としては斬新なスタイルの高性能機だった。しかし工場は敗戦ドイツに残されていたから、せっかく完成したF-I原型機も国外に持ち出すことを禁じられてしまった。オランダのKLM航空への売り込みのデモ飛行のためには、アクションドラマさながらの手段で監視の目をくぐり抜けて国外へ飛ばなければならなかった。
画はドラマのあとでKLMに採用された二機のうちの一機で、1920年9月30日にアムステルダム〜ロンドン線に初めて就航した機体である。 |