垂直尾翼のメーカー名を見て、おやっと思う人が多いかもしれない。自動車のフォードが旅客機を製作していたこともあったのだ。作品に描かれた5-ATは、エンジンを420馬力のワスプに強化したタイプで、自重にほぼ等しい2トンの積載量を持ち、13の客席を設置できた。
フォード・トライモーター社の前身は小さな単葉機を製作していたスタウト・メタル・エアプレーン社であり、ヘンリー・フォードが興味を持ってこの会社を1924年に買収した。そして3発の輸送機の研究を続け、その結果が4-AT機であり、1926年6月に初飛行を行った。デザイン様式的に似ているフォッカーFZb-3mより更に一回り大きい機体でドイツのユンカースのように全体にアルミの波板を張った全天候型で、エンジンはライトJ-6 300馬力を装備していた。 イラストの5-AT機はエンジンをプラットアンドホィットニーのワスプ420馬力を装備し、主翼面積も少し大きく乗客を2人増やした派生版である。
そして1926年から1933年までに200機が生産され、ほとんどのアメリカのエアラインが購入し、米国航空輸送機の歴史(WWU戦前)上、後のDC3につぐ名誉ある地位を得ていた。
その中でトランスコンチネンタル航空輸送が開始した旅客機と夜行列車を乗り継ぐ大陸横断輸送に使用されたが、片道料金で自動車が買えるという高額な運賃がたたって、この路線は間もなく廃止。そして、170Km/h前後という低速な巡行速度のため、新星ボーイングやダグラス機に太刀打ちできず、トライモーター自体もやがて姿を消していった。
「波板の機体は描くのがシンドイけど、愛らしい飛行機ですね」と小池さん。"ブリキのガチョウ"と呼ばれたそのシンドイ波板の機体を見ていると、自動車王へンリ一・フォードの飛行機にかけた意気込みを感じそうだが、彼の熱意はトライモーターを最後に空には帰つてこなかったようだ。
米国には現在も飛行可能なトライモーターが数機残っており、2004年オシュコシュのエアショーに仕事で行ったおりに15分ほどの飛行を体験した。 ゆったりと離陸するイメージは白鳥のような趣ではあるが、機内のエンジン騒音はひどいもので、実にやかましいガチョウであった。 |