050.フォッカー F7b/3m「サザンクロス号」旅客機[オランダ]

FOKKER F7b/3m "KINGSFORD'S SOUTHERN CROSS" TRANSPORT [NETHERLAND]

初飛行:1925年9月24日
全幅:21.86m、 全長:14.50m、 総重量:4,100(5,300)kg 、最大速度:190km/h/SL
発動機:ライト・ホワ一ルウイントJ5C 220馬力×3 、乗員/乗客:2/8名、


Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 長距離飛行、洋上での安全性を高めた3発エンジン、分厚い翼断面を持ち、支柱や張線をいっさい省いて空気抵抗を軽減した主翼。フォッカー独特の設計が、1920年代から30年代のベストセラー旅客機を生み出し、エンジンが異なる12もの改造タイプが誕生した。

 最初に登場したのは F.Z で1924年である。高翼の単葉機で典型的なフォッカーの構造様式である。原型から長距離輸送機として設計され、郵便物を搭載してアムステルダムからジャカルタまで飛行(勿論、離着陸を繰り返し)するなど航続性を発揮した。最初の F.Z 5機はKLMに売却し、次に F.Za を1925年に完成させた。構造様式は同じだが空力的に改善され、着陸装置も再設計して、エンジンも350馬力から525馬力まで目的に応じて装備できた。 そのため世界から引き合いが来て 42機が欧州各国で使われ、また日本でも使用された。

 このあと、アンソニー・フォッカーはアメリカの市場調査にでかけ、そこで自動車王ヘンリー・フォードが航空機に関心を持っていることを知った。そしてフォードはデトロイトを基点として3200kmの信頼性を見極めるレースを企画していたことから、アンソニーはそれに参加することを決心し、主設計者のプラッツに F.Za を更に安全かつ高性能にするため2基のエンジンを追加した F.Za-m を作らせた。フォードは、これを気に入って購入し、探検家リチャード・E・バードに極地探検に使うように与えたという。

  F.Za-m も優れ飛行機tして人気を博したが、これまた、やはり探検家のジョージ・フーバート・ウィルキンスは3機の F.Za-m を所有していたが、同じ機体構造で更に航続距離の長いものを望んでいた。そこで生まれたのが F.Zb-m である。一回り大きい機体であるが主翼は木張りであった。 このF.Zb-m は当時の民間航空輸送発展の先兵となり、70機余りがフォッカー自社で製作し、他に欧州各国をはじめ諸外国でもライセンス生産されKLMはた。おとより、エアフランス、スイス航空、アラ・リトリア、オーストラリア、カナダスペイン、さらに下記のように日本でも使用された。

 北極探検飛行、大西洋横断飛行、そしてキングスフォード・スミスのオークラン〜ブリスベーン南太平洋横断飛行など、その航続距離、安定性を生かし数々の冒険飛行に使用されている。

 作品はキングスフォードの愛機「サザンクロス号」が、記録飛行の後オーストラリア〜ニュージーランド間の郵便輸送飛行に従事していた時のエピソードをモチーフにしています。「片翼のエンジンがトラブルに見舞われ停止。反対側もオイル漏れで焼き付きかけ、飛行中に故障した方のオイルを抜きとって反対側に補給するという離れ業で危機を乗り切ったそうです。そんな情景を描いてみたかった(部分拡大画像はここをクリック)」と小池氏。

 日本では昭和4年にWright(ライト)社製のホワールウインドと名づけられたJ5型またはJ6型 星型9気筒200〜225馬力エンジンを装備したF.Zb-m 型旅客機が合計10機輸入され、日本航空輸送株式会社の東京〜福岡、福岡〜大連航空路用として用いられ、ダグラスDC-2や中島AT-2の登場する昭和13年ころまでの長距離主力機となっていた。

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