カーチスライトがコンドル II の開発に取り掛かったとき、ボーイングはすでに全金属製・低翼・単葉・双発・引込脚の近代旅客機247の開発を進めおり、またダグラスも革新的なDC-1(DC-2)の設計に取り掛かっている
と伝えられていた。
カーチスが打った手は、引込脚など一部の新技術を、複葉の主翼や鋼管溶接・羽布張り構造という手慣れた技術に組み合わせて、一日も早く実用性の高い飛行機を送り出すことだった。
コンドル II の初飛行は僅か9日だがボーイング247に先行できた。ボーイング247に比べ、防音や暖房の行き届いていた太い胴体のゆったりした豪華な客室や温水の出るトイレなどに特色があった。アメリカン航空やイースタン航空などの受注に成功し、1933年からその幹線に就航した。特に初めての寝台を使った夜間飛行は、乗客の評判も良く、利用率も高かった。
しかしダグラスDC-2が就航し、発展型DST/DC-3の構想が始まると、アメリカでのコンドル II の全盛時代はあっけなく終わってしまった。1936年末には全てが海外に売却されてしまった。 |