愛国号は何号まで、そして何機あった?
 愛国号は何号まであったのでしょうか。私が知り得ているのは愛国7166「浄土宗法泉寺坂部」号)が最も大きい数字です。 この愛国番号と献納日時は純然と比例しているわけではないので単純には言えませんが、7100機くらいはあったかもしれないと推測されます。 因みに朝日新聞(S20.01.30付)によれば、「昨年12月までに献納いたした主なものは、飛行機5982、戦車装甲車279・・・」となっています。
 一方の海軍報国機になりますと、私が古本屋で偶然見つけた絵葉書に昭和19年12月の報国4416号(横井忠俊 氏に提供しました)があり、 その横井氏の調査では報国5929号が知られています。番号通りであれば、6000機くらいあったことになります。
  これらについて、横井氏は航空情報での発表の中で、「昭和17年12月8日までの総機数は1024機となる」(中略) 「5000機を超えた献納機があったとは到底思えないので、ある時期以降(おそらくは昭和19年頃)の番号は一貫番号でないべきと考えるべきであろう。」として、 「少な目に見積もっても1700〜1800機はあったであろう」と述べられています。
 これについては同感に思っていたのですが、昭和18年秋〜19年春にかけての「一村一機」献納にも近い状態を知ると、愛国号番号に匹敵する実数はあったようにも思えます。

愛国号と絵葉書
 100番以降の愛国号に関する私の主要な情報ネタは絵葉書で、東京に居りますので神田古本屋街でそのほとんどを購入しています。
戦後も50年を経て最近は売りに出される絵葉書の数自体が減ってきているためか、労力に見合った収穫があるとは限らなくなってきました。 ただ嬉しいことに、インターネットで古本を扱うお店やそれらの集合体のページや絵葉書を専門に扱うページなどが出来てきており、 そこから購入することもできるようになりました。特に地方の献納絵葉書を入手することもできるようになって、ありがたいことです。
 
 神田の古本屋で絵葉書を漁っていた頃には、いつも必ず置いてある絵葉書というのがありました。 愛国 2234「石崎プレス釦(ボタン)」がそれで、いつもお目にかかりました。かなりの数が印刷されたのか、関係者が大量に放出したのか。 この間も久しぶりに行ったら、ちゃんと置いてありました。
   こいういう絵葉書は袋(献納記念の袋)付きで売っている場合もあり、表面に陸軍省、裏面には実際に製作したxx写真館名が印刷されています。 この袋を含めて絵葉書代も費用も献納金から賄われていると思いますが、どれくらいの数が印刷されていたのでしょうか。 愛国325「東京鋳物」号の献納報告書では3000枚が交付されたとあり、そのあたりであったと思われます。(東京鋳物号は昭和14年ですので、後半はもっと少ないでしょが。)
 これら絵葉書は初期の愛国号では写真から絵(油絵の感じが多いです)に描き起こしているのが多く、「愛国」の文字も忠実に再現しているようです。 愛国69なんて、金縁の豪華版といった感じですし、初期の方は気合が入っているといったところでしょうか。
それが愛国100号を超える頃からでしょうか、段々と妙な絵になってきて、機種も不明になってきます。 そして機数が更に増えてくるに従って、写真に愛国番号と献納者を書き込んだ(修正した)だけの絵葉書になっています。

愛国号献納王
 献納者は個人と団体に大別できます。
判明している中では、個人として最も多く献納した人物は、小布施新三郎 氏(左写真)でしょう。
氏は東京の株式仲買人で、愛国1〜2号の献納式翌日に献納を申し出て、知られている分では10機を献納しています。 当時「愛国号献納王」と呼ばれたのも納得です。
 ・愛国 3(91戦)
 ・愛国 4(88軽爆)
 ・愛国 5(88偵察1型)
 ・愛国 37(91戦)
 ・愛国 137〜140(95戦)
 ・愛国 141〜142(94偵)
いや〜、すごいもんです。今で言えば、航空自衛隊にF-15イーグル数機を寄贈するのと感覚的には一緒でしょうから、相当な資産家であったことが伺えます。
   さて団体ではどうしょうか。
全体の1割程度しか分っていない状況では確固としたことは言えませんが、多分、朝日新聞社の呼びかけによる全国献納機運動が最多献納団体だと思われます。このことを朝日新聞社に問い合わせたことろ、次の回答を頂きました。
 朝日新聞社の「軍用機献納運動」は昭和12年に始まり、20年8月の終戦と同時に終わりました。 その間、全国民から寄せられた寄託金で作られ、「全日本号」の名称で贈った機数は陸海軍各150機、計300機でした。
 紙面から拾った一覧は、こちらです。
尚、横井資料(航空情報'87-2,3,12)によると、海軍報国号では5機分の全日本n号の番号重複があるとのことで、 愛国号も同様であると思われます。つまり、155機づつとなります。 朝日新聞でもこれ以上の詳細は分らないとのことで、実数はもう少し増える可能性があるかと思います。
 下は昭和14年10月の献納式で配布された絵葉書とその袋です。朝日新聞によれば初回の全日本号の献納命名式はなかった模様なので、この昭和14年の命名式が初回だと思われます。
 
全日本号献納運用記念ピン(昭和12年)と愛国全日本号の記念絵葉書(昭和14年10月) 愛国全日本号絵葉書  全日本号献納運用記念ピン 

 
横山大観と「大観」号
 高名な日本画家である横山大観氏も、献納運動に一役買われています。
「大観」号という献納機があることは知っていたのですが、経緯が分ったのは1987年8月15日に放映されたNHK教育TV「戦闘機を買った名画」でのことでした。 画伯は「海山二十題」という連作(山の題材で10点、海を題材にも10点の大きい絵でした)を製作され、その売り上げ金で
  昭和15年5月に陸軍には九七重爆と九七戦、海軍には九六艦戦と九六陸攻をそれぞれ1機づづ献納されています。
個人のレベルで重爆までも献納されているのは、画伯だけではないでしょうか。また、そのこと自体も凄いのですが、絵画とは軍用機を4機も買えるほど高額なものかと知らされました。
 下は、画伯の献納された九七重爆の絵葉書です。



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