このページは全日本號に注目して掲載しています。
全貌というわりには、ほとんど分っていないに等しいですが、朝日新聞の紙面から、次を追うことができます。
尚、朝日新聞の記事は平田滋宜 氏のご協力を得ています。
 
 
掲載日記  事
 昭和12年7月20日 軍用機献納運動開始の報告。
 昭和12年9月1日 全日本號と命名、第一次献納として陸海軍にそれぞれ30機づつ献納、命名式はなしで戦地へ。
 昭和12年11月28日 第二次献納として陸海軍にそれぞれ15機づつ献納を決定。愛国号は、戦闘機10機、軽爆撃機5機。
陸海軍合計で、90機。
 昭和13年9月11日 第三次献納として陸海軍にそれぞれ5機づつ献納を決定。愛国号は戦闘機。
陸海軍合計で、100機。
 昭和16年12月12日 全日本號、陸海軍合計116機に達している。軍用機献納運動の強化を唱える。
 昭和17年9月3日 昨年9月20日の航空日までに、陸軍機85機、海軍機66機の合計151機を数えている。
今回、陸軍機(新鋭偵察機4機、新鋭軽爆撃機6機、新鋭重爆撃機3機)の献納を決定。
(第7次献納分か)
 昭和17年9月28日 全日本號海軍機、新鋭陸上攻撃機15機献納を決定。陸軍への13機は、第三回航空日に命名式が行われた。
 昭和18年2月8日 全日本號、昭和12年以来陸軍機71機、海軍機73機に
陸軍機(新鋭戦闘機14機)、海軍機(水上偵察機12機)の献納を決定、陸海軍機ぞれぞれ85機の合計170機に。
(第8次献納分か)
 昭和18年8月11日 新鋭戦闘機を陸海軍(海軍機は艦戦)に15機づつを献納決定、全日本號合計200機に。献納は5回に。
(献納が5回とは整合しないが、後ろから数えると第9次献納分か)
 昭和19年2月6日 新鋭戦闘機を陸海軍に15機づつの献納を決定、全日本號合計230機に。
(第10次献納分か)
 昭和19年6月27日 第11次献納分として、新鋭戦闘機を陸海軍に15機づつの献納を決定、全日本號合計260機に。
内訳は、陸軍機(新鋭戦闘機10機、新鋭重爆撃機5機)、海軍機(新鋭戦闘機10機、新鋭雷撃機5機)。
 昭和19年7月25日 第12次献納分として、新鋭戦闘機を陸海軍に20機づつの献納を決定、全日本號合計300機に。
 
 
 下は、献納運動を呼びかける絵葉書です。昭和14年8月とあります。
 
 
番号 機体名 機種 献納日時 献納式場所 献納次 出典 協力 備考
愛国150〜159 全日本戦闘機--第1次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国160〜169 全日本軽爆撃機--第1次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国170 全日本九七司偵--第1次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞、
日本航空機辞典(上)
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国171〜179 全日本偵察機--第1次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国225〜234 全日本戦闘機--第2次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国235〜239 全日本軽爆撃機--第2次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、
平田滋宜 氏
愛国296〜300 全日本戦闘機第3次献納分航空時代(S14-11)、
朝日新聞
柳沢光二 氏、平田滋宜 氏
愛国648〜649 全日本九七軽爆S16.09.20羽田 東京飛行場 絵葉書絵葉書
愛国650〜655 全日本九七戦絵葉書絵葉書
愛国? 全日本新戦闘機S16.09.20大阪第二飛行場 大阪朝日新聞
愛国?(3機) 全日本戦闘機S16.09.20大阪第二飛行場 大阪朝日新聞
愛国?(2機) 全日本S16.09.20札幌飛行場 北海新聞
愛国727〜730 全日本偵察機S17.9.21所沢第7次献納分?絵葉書、朝日新聞平田滋宜 氏絵葉書
愛国731〜736 全日本九九軽爆S17.9.21所沢第7次献納分?絵葉書、朝日新聞平田滋宜 氏絵葉書
愛国841〜843 全日本重爆撃機S17.9.21所沢第7次献納分?絵葉書、朝日新聞平田滋宜 氏絵葉書
愛国1449〜1462 全日本一式戦S18.5.22東京飛行場第8次献納分?絵葉書絵葉書
加藤戦闘隊長の追悼献納
愛国1772〜1786 全日本一式戦S18.9.20東京飛行場第9次献納分?絵葉書、朝日新聞絵葉書


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