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私たちの暮らしと水


 これは、平成21年度にいがた市民大学「21世紀の水問題を考える」を受講した際の修了レポートとして作成したものです。

−− 目  次 −−


1.水に依存した私たちの生活
(1) 生活用水
(2) 食糧・農業と水
(3) 工業や発電と水
2.環境と水
3.私たちは水とどうつきあうか
(1) 現状を認識する〜エネルギーと水に支えられた現代文明
(2) 水を大事に使う、効率的に使う(個々人の取り組みと公共施策)
4.私の実践(していること、まだしていないこと)
(1) 我が家の現状
(2) 入浴
(3) 洗濯
(4) トイレ
(5) キッチン
(6) その他
参考

1.水に依存した私たちの生活

私たちは水無には生きていけない。水は生命維持に不可欠なものである。目に見えるものとしては直接的に暮らしに直結した生活用水があるが、私たちの生活、そして人類の文明、特に近代文明を維持するためにこれ以外にも多くの水が消費されている。

(1) 生活用水

人間の生命維持に最低限必要な水分(日量)は2,300ミリリットル、うち飲料水として1,200ミリリットル程度とされている(他に食物から800ミリリットル、代謝水(摂取した栄養分が体内で代謝される際に生成する水)として300ミリリットル)。しかし現実にはこれを遙かに超える水を消費している。家庭内で消費される水としては、飲用、調理、風呂、水洗トイレ、洗濯等がある。これらのうち生命維持に必要な分以外は程度の差はあれ、それが必要という以上に生活の便利さのために消費されている。

文明の発達、そして都市化は汚れを忌み嫌うようになった。風呂やシャワーにより体の汚れを落とし、衣類は頻繁に洗濯し、排泄物はすぐさま流し去る。これらすべてに大量の水を消費している。特に近年水洗トイレが一般化したことは衛生環境の向上には好ましいことではあるが、一方ではこれが水消費量の増大の大きな要因となった。また近年は特に若年層の過度な清潔志向もあり、毎日の入浴・シャワーや「朝シャン」等も普通に行われるようになり、これも水消費量を増大させている。

上水道はこのように増大する水消費に対応しているが、その水質はそれら需要の内で最も高いレベル(清浄さ)が要求されるもの(飲料水)にあわせざるをえない。しかしながらこれだけの水質が求められる飲用、調理用の水消費は全体からすればわずかであり、多くの量を必要としている風呂やトイレ用水にとっては過剰品質であり、そのために多大なコストを要しているという問題もある。

しかしその一方で、上水道として高品質な水が供給されているにもかかわらず、多くの人は更なる安全やおいしさ、手軽さを求めてペットボトル入りの水や各種飲料を買って飲用している。

(2) 食糧・農業と水

私たちの食を支える農業では大量の農業用水が必要である。日本は豊富な降雨量とこれを蓄える樹木に覆われた山地があることから比較的農業用水が豊富である。しかし一方で食糧自給率(供給熱量ベース)は41%であり、残りは海外に依存している。そして食料の多くを依存している国々の多く(アメリカ、中国等)は日本よりも水が乏しい状況にある。米国中西部の穀倉地帯は豊富な地下水に依存しているが、周辺山地からの地下水供給量よりもはるかに多い量を汲み上げており、これを利用する上で限界が見えてきている。日本はより水資源に乏しい、あるいはそれが有限な資源である国から大量のバーチャルウォーターを食糧の形で輸入しているという問題を抱えている。

(3) 工業や発電と水

また私たちの生活は多くの工業製品を必要としているが、それらの生産にも水は欠かせない。一方で過去には工場において排出される排水による公害問題も発生した(次項参照)。

生活に直接、間接に必要な電力の生産にも水は不可欠である。それは水力発電にとどまらない。火力発電、原子力発電においても冷却水等で大量の水が必要となる。なお、水力発電(水路式)では上流で取水した水を水路によって発電所まで導き、落差を得るものであり、その間の河川流量が少なくなる。取水量が多量となる場合には河川の流量が激減し、河川環境が維持できなくなったり、鮭等の魚類の遡上、往来が困難となるという問題も生じている。

2.環境と水

環境面でも汚濁物質を流し去り、薄め、そして生物化学的な反応で分解・無害化するのにも水は大きな役割を果たしている。人々の生活が環境に及ぼす影響がまだ微少だった頃は、生活用水等が河川に流れ出しても、それは自然浄化能力の範囲内のことであった。また当時の汚濁物質には現在見られるような化学合成物質は無く、全てが微生物により容易に分解されるものであった。

しかし、明治期以降、特に戦後の経済成長期の頃からは生活レベルの向上を大きな要因として、家庭からも大量の汚濁物質が河川に流れ込むようになった。合成洗剤をはじめとする化学合成物質も河川を汚す要因の一つになった。

日本の工業の発展初期段階では工場排水はほとんど処理されることなく河川に放流されていた。それは特定物質による公害問題を発生するとともに、工業の発展により河川の浄化能力をはるかに超える量の汚濁物質が流れ込むことになった。

これら生活及び産業による水質汚濁は環境の許容値を超え、人間の生活環境、生存環境にも大きな影響を及ぼすことになった。このようなことを背景に水質汚濁防止法をはじめとする法規制がかけられ、また下水道の整備等も進められたが、河川もかなり水質が改善されてきたが、河川環境が完全に良好になるまでには至っていない。

なお、下水道については、設備や運営経費が多額のものとなり、その分を全て利用者(=住民)に負担してもらうことが困難等の理由から、多くの下水道事業が赤字となっている。

3.私たちは水とどうつきあうか

水を巡る現状は以上に述べてきたように多くの問題を抱えている。これらに対処するためには社会や行政が対応しなければならない面も大きいが、一方で私たち個々人も考えなくてはならない問題でもある。以下、私たちが水というものに対してどう向き合ったら良いかについて私なりに考察してみた。

(1) 現状を認識する〜エネルギーと水に支えられた現代文明

現在の私たちの生活は大量の水無しには成り立たないものになっている。しかし私たちはそのことに対して無自覚であり、そのこともあり多くの水を無駄遣いしている。エネルギーについても同様なことがいえるが、最近ではエネルギーについてはテレビ等でこれを取り扱った番組もく、人々の中にはこれに関心を持つ人も少なくない。しかし水に関しては放送で取り上げられることも少なく、一般の人々の関心も高くはない。

「20世紀の戦争は石油を巡るものであり、21世紀は水を巡るものになる」、あるいは世界の水問題が深刻化するという意味において「21世紀は水の世紀」との見方がある。日本は一部地域で降水不足となった際に水不足が問題となることがあるものの、全体としては水に恵まれていることもあり、一般の人々の水に対する関心は薄い。しかし既に論じてきた中にもあるように現在の日本における水利用等に関しては問題なしとはいえない。

水を巡る問題についても、行政(国)やマスコミにおいてエネルギー同様に国民に対して問題提起するとともに、教育の場面でも水の大切さを教え、どのようにしたらよいかを指導・教育する等により国民の多くが水に対して関心を持つようになることを期待したい。

(2) 水を大事に使う、効率的に使う(個々人の取り組みと公共施策)

水に関する現状を認識するようになれば、人々は水を大事に使うようになることが期待される。まず出来ることとして次のようなことが考えられる。

ただし、これらの中には個人の意識だけに頼ることは限界があるものもある。風呂の残り湯を利用するにしても、毎回バケツに汲んでくるようでは長続きしない。

一度使用した水を有効利用するシステムとして「中水道」という考え方がある。中水道とは排水を浄化して再利用するものである。中水道は地域として取り組む場合には下水道における処理水等を利用するのであるが、個々の家庭において適用する場合には雨水や汚れの程度が低い雑排水(風呂水等)、家庭用浄化槽からの排水等の汚れの程度が少ない水を貯水槽に貯めるようにしておき、水洗トイレや屋外用洗浄用水等に利用する。

家庭におけるこのような水の高度利用については、まだ人々が普通に導入を検討しようとするところにはまだなっていない。またこのための設備を設置しようとすれば多額の経費を要する。このようなことから家庭での雨水や処理水の利用はまだ一般的なものにはなっていない。その普及のためには行政における啓蒙普及活動と共に、使いやすくて低価格な設備の開発が課題であり、企業における取り組みが望まれる。企業においてはこの他にも家庭や産業における節水技術の開発を一層進めることが期待される。

また地域レベルでの中水道利用として、下水道処理水を河川に放流するのではなく、この程度の水質でも良いような工業用水として利用したり、公園の噴水や親水公園等の用水としてもっと利用することを考えたい。

多くの人が水を安易に無駄遣いしてしまうのも、水の価格(=水道料金)が安いことにある。消費者の意識としてはどうしても価格が安ければそれを節約しようとは思わないところがある。例えば家族の人数等から標準使用水量を計算し、これ以下の場合は単価を安くし、これを超える場合には単価を高くする等の方法も考えられて良いのではなかろうか。これまでは上下水道料金等の公共料金は住民、特に低所得者層の人々に対する生活保障的な考えもあって、低く抑えられてきた。しかしこのことが水を大切に使わないという風潮をも招いてきた要因ともなってきた。

上下水道料金を含む公共料金は、コストに見合った金額を徴収し、一方でそれが生活に支障をきたすような低所得の人達に対しては別途生活保護施策を講ずるべきであろうと考える。

4.私の実践(していること、まだしていないこと)

(1) 我が家の現状

当家のトイレからの排水は単独浄化槽により処理され、これ以外の排水(キッチン、洗濯、浴室、洗面)は処理せずに共に家の脇の流れ(秋葉川)に流している。昨年(2009年)に当家の家の前に下水道が敷設されたが、家も古くなってきており立て替えも検討しなければならないことから、今のところは排水を下水道に流すための工事は行っていない。

(2) 入浴

入浴に関しては、夏場はシャワーだけで済ませることにしている。以前は夏も風呂に入っていたが、JICAの専門家としてパナマに赴任していた時、住んでいた家(アパート)には浴槽はなくシャワーだけであった。この間にシャワーで体の汚れを落とすことに慣れた(入浴せずともシャワーで十分)ということもあり、日本に戻ってからも暖かい季節(5月半ば〜10月)はシャワーで済ませるようになり、この期間は風呂を沸かすことは希になった。家族の人数が多い場合はともかくとして、一人での生活では浴槽に湯を張って入浴するよりもシャワーで済ませる方が水の使用量は少ない。なお、寒い時期にも入浴は毎日ではなく2〜3日に1回としている。

(3) 洗濯

洗濯は週に1回としている(まとめ洗い)。1回に少ない量を多回数洗濯するよりも、1回に多い量(とはいっても洗濯機が1回に洗える適量の範囲内)を少ない回数洗濯する方が使用水量は少なくて済む。洗濯機は洗濯する衣類の量を自動的に計量し、それに適した水量を設定することにしている(4段階)。多くの場合水量は量の多い方から2番目となる。あまり洗濯物の量が多すぎても洗浄能力が落ちることが懸念されるので、この程度が洗浄能力と使用水量の両面から考えればちょうど良いのではないかと思っている。

また洗剤としては自然界で分解されやすい粉石けん(主成分は脂肪酸ナトリウム)を適量使っている。

(4) トイレ

風呂を沸かす時期には水洗トイレの水を流すのに、風呂の残り湯をバケツで汲んで用いている。

(5) キッチン

現状では処理せずに共に家の脇の流れ(秋葉川)に流している。このため秋葉川をできるだけ汚さないように次のようなことに配慮している。

(6) その他

家庭菜園の潅水については風呂の残り湯がある場合には、これを使うことにしている。


参考

水に関しすることを取り上げたテレビ番組について、最近当方が見たものの中に参考になったものや印象に残ったものをここに掲げる。水に関することがこのような良質な番組においてとりあげられ、国民の水に対するより一層の意識向上が図られることを期待したい。


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