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パナマの音楽/ティピコ

ティピコ(tipico)とは

パナマで聞かれる音楽はやはり中南米の音楽が主体である。若い人たちはサルサやレゲエを好む。パナマ独自の音楽といえばTipicoになる。パナマのFM放送局にはTipicoだけを一日中流している局が2つある。また、パーティーともなれば、後半は当然のようにダンスパーティーとなる。ここで使われる曲はもちろんTipicoである。Tipicoは聴く音楽である以上に踊るための音楽である。

Tipicoとはパナマの音楽である。しかし伝統的な民俗音楽というわけではない。その国独自の音楽ということからすれば、日本でいえば演歌に相当するかもしれない。しかし、演歌とは全く違った音楽である。いわばパナマ独特のポピュラー音楽である。

なお、Tipicoとは、いわばMusica Tipica (Panameña)のことであり、日本語に直訳すれば「(パナマの)典型的な音楽」ということである。「Musica Tipica」の中の「Tipica(形容詞、女性形)」を男性名詞化したのが「Tipico」である。通常は「Tipico」で通っているが、形式張って言う時は「Musica Tipica」と言うらしい。

Tipicoのふる里」はアスエロ半島の東南部にあるLos Santos県である。有名な演奏者もこの地方出身の人が多い。しかし、今ではLos Santos地方だけの音楽ではなく、パナマ国民が共有する音楽である。

ティピコはアコーディオンとボーカル(主に男声)が核になっている。アコーディオンの演奏は「伴奏」や歌の間の「間奏」ではなく音楽的にも2本柱の1つである。曲を進める上でもアコーディオンの演奏とボーカルがほぼ交互に配置されている。これはバロック期(コレルリ、アルビノーニ、ビバルディ、テレマン等)の協奏曲において独奏楽器(あるいは独奏楽器群)とオーケストラが交互に主旋律を奏でるのにも似ている。演奏グループもアコーディオン奏者が率いているのがほとんどである。

曲はカリブ・ラテン独自の明るさと一種独特の哀愁が同居している感がある。ティピコ独自の節回しもあり、演奏全体からはやはり他の国の音楽と違うものを感じさせるが、その一方で「これぞパナマ独自の音楽」といえる程ではないように思われる。これは特に近年、より多くの人に聞いてもらうということからパナマあるいはTipicoのふる里と言われるLos Santosの独自性を次第に薄めていったためではないかと思われる。

演奏グループの構成

CDも出しているような本格的なTipicoの演奏グループの構成は、アコーディオン、ギター、ベース、グィロ、ティンバレス、コンガ、リードボーカル(主に男声だが女声をリードボーカルとするグループもある)、Salomaと呼ばれる女声ボーカル(主に合いの手をいれたりする)、バックコーラス(楽器演奏者のうち数人がバックコーラスも担当)といったところが標準である。

多くのグループはアコーディオン奏者をリーダーとしている。音楽的にはアコーディオンが核となるためである。Tipicoの演奏ではほぼボーカルとアコーディオンが交互にメロディーをとる。リードボーカルがメロディーをとっている時、アコーディオンは伴奏に回る。

ギターはリズムをとったり副旋律を奏したり、主旋律を補強したりすることが多い。

ベースは曲のハーモニーを底から支えるとともに、他の打楽器類と共にリズムをとる役割を果たしている(これは他のポピュラー音楽も同様である)。しかしパーティーの際等で演奏するような小さなグループではベースを欠くことも多い。

グィロ(Guiro:日本語ではギロと表記されることもある)は、本来はヒョウタンの類(日本のヒョウタンのようにくびれていない。形は細めの瓜といった感じである。)の実の中をくりぬき乾燥させたものの表面に細い溝を並べて掘り、この部分を細い棒でこすり、「ジー、チッ、チッ」といったような音でリズムをとる。大きなグループではより大きな音がでる金属製のグィロを使う。

ティンバレスは中南米独特の打楽器で、中太鼓二つを並べたようなものである。一般のポピュラー音楽におけるドラムスの役割を果たしている。小さいグループではこれの代わりに中太鼓程度の大きさのものを一つだけ脇に抱えるようにして演奏するものもある。

リズム楽器としては、これらに加えてコンガを用いる。グィロ、ティンバレス、コンガがTipicoにおけるリズム楽器の基本である。

リードボーカルは主に男声である。Nenito VargasやOsvaldo Ayala、Dorindo Cárdenasのようにアコーディオン奏者がリードボーカルも兼任しているような場合も多い。Nenito VargasがまだVictorioと共に演奏していた時はギターを演奏しながらリードボーカルをやっていた。Samy y Sandra Sandvalでは、女声(Sandra Sandval)がリードボーカルになっている。

リードボーカルが男声の場合は女声ボーカルが歌の合間等に合いの手を入れる。裏声を張り上げるような声を出したりもするが、これはヨーロッパアルプス地方の「ヨーデル」が起源ともいわれている。アルプス地方の人でパナマに来た人たちの痕跡がTipicoに残されているのであろうか。女声ボーカルはCDのジャケットを見ると「Saloma」と書かれているが、これは辞書で調べると「労働歌、舟歌」である。労働歌や舟歌では歌の合間等に作業の調子をあわせるため、呼吸を合わせるために合いの手を入れる(例えば「ボルガの舟歌」の「エイホーラ」)。Tipicoの場合も、男声のリードボーカルの合間等に女声ボーカルが合いの手を入れるが、この共通性からこの場合の女声ボーカルを「Saloma」というのではないかという…これは当方の勝手な推測である。誰か本当の事を知っている方がおられればご教授願いたい。なおSalomaは合いの手を入れるだけでなく、時に男声の1オクターブ上でメロディーを重ねることもある。

この他に楽器を演奏している人(のうち数人)がバックコーラスを受け持つ。

近年のTipico

元々のTipicoはダンス音楽であり、観賞用の音楽ではなかったであろう。楽器構成もアコーディオンとギターそしてグィロを含むいくつかの打楽器という編成であったものと思われる。ラジオ放送が始まり、レコードが作られるようになって、これらを通じてTipicoを聞くことができるようになったことが。そしてTipicoも踊る音楽という属性を有しつつ「聞かせる音楽」的な要素も強めていったものと思われる。そのような中から今日にみられるような「聞いても楽しい」Tipicoになっていったものであろう。時代は違うがかつてアメリカ南部で踊るための音楽であったジャズが今では「聞く音楽」にまでなったのと軌を一にするものであろう。とはいえTipicoは今も「踊るための音楽」の要素が大きい。

今のTipicoの演奏には思ったほどには「いかにもパナマ」といった土臭さはない。特に今「売れている」Samy y Sandra Sandovalや、Nenito Vargasが率いるLos Plumas Negrasはその感が強い。これはラジオやレコード(今ではCD)により広く聞かれるようになり、演奏する側としても「泥臭くない、聞きやすい」演奏をめざすようになっていったのであろう。

過去及び現在のTipico奏者の中から誰か1人を選ぶとしたら、多くのパナマ人はためらうことなくVictorioをえらぶであろう。故Victorio Vergara(1998年死去)はTipico界の巨星である。

私はVictorio Vergara以前のTipico演奏者、演奏グループを知らない。しかし、調べたところでは、Victorio以前あるいは同時代のアコーディオン演奏家としては、Gelo Cordova、Severito Batista、José Vergara、Fito Espino、Teresin Jaen、Yin Carrizo、Pepo Barria、Ceferino Nieto等がいる。しかしCDではVictorio及びそれ以降の演奏しか入手できない。最近ではVictorioのCDでさえも、最近のグループのものに比べて多く売れているというわけではない。クラシック音楽では、例えば指揮者でいえばフルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルター等の過去の人の演奏は今もなおCD等で聞かれている。しかしパナマではTipicoを含むポピュラー音楽では「古い演奏」はそれ程好まれないということなのであろう。また以前はかなりの有名な演奏家であったも、今ほどには録音をしていなかったのかもしれない。

Victorioはクラシック音楽でいうならば(時代は全く違うが)フルトヴェングラーやトスカニーニに相当する演奏家であり、Victorioのグループを継承したNenito Vargasも含め、最近の演奏家はこれに比べて「粒が小さい」ように思われる。Nenito Vargasはポピュラー音楽的な「うまさ」は十分に持っているが、Victorioにあったような、それを突き抜けたものは持っていないように思われる。

現在Tipico界で活躍している主なグループは下記のとおりである(括弧内はリーダー)。なお、当地では主にリーダー(主にアコーディオン奏者)名で呼ばれており、グループ名はあまり知られていないことが多い。Nenito Vargas/Los Plumas Negrasが最も「売れている」演奏者/グループなので、Los Plumas Negrasの名が比較的知られている程度である。

なお、この中ではNenito Vargasが率いるLos Plumas Negrasが最も「売れている」グループである。これにUlpiano Vergara/Los Distinguidos、Samy y Sandra Sandoval/Los Patrones de la Cumbiaを加えた3グループが現在の代表的な演奏者/グループということができる。

演奏者(グループ)

Victorio Vergara/Los Pulmas Negras

Victorio VergaraはTipicoの演奏者の中でひときわ輝く巨星である。冒頭の日本の演歌との比較でいえば、「美空ひばり」に相当するであろうか。Tipicoの話をしていて「Victorio」といえば当然の事ながらそれはVictorio Vergaraのことを指す。

Victorio Vergaraの演奏にはラテン・カリブ的な土俗さはさほど感じられない。パナマ人以外の人が聞いても、それ程パナマの風土を感じさせるものではない。VictorioはそれまでのTipicoに濃厚にあった土俗性、ローカル性を少なくし、都会人にもそして外国人にも容易に受け入れられるようなTipicoにしたのではなかろうか。

その一方で、Victorio Vergaraのアコーディオンには名人芸ともいえるような音の動きがある。音が軽々と動き回る感がある。Victorioの演奏では濃度の高さと良い意味での「軽さ」が高いレベルで共存している。また彼自身の奏でるメロディーやグループの音作りも、思わず「はっ」とさせるものがありながら、聞き終えると「なるほど」と思わせてしまうところがある。

Victorio Vergaraと共に演奏していた頃のNenito Vargasのギターは、他のグループにおけるギター以上に重要な位置づけであり、単にアコーディオンや歌のバックにいるというよりも、もっと積極的に歌やアコーディオンの対旋律を奏したり、曲によってはアコーディオンのメロディーの上にオブリガードをつけていたりもしていた。

Victorioは1998年に惜しくもこの世を去った。Victorioの棺はパナマシティから故郷のLos Santosに向かい、その死を惜しむ人たちが長い列を作って棺に従ったという。

Nenito Vargas/Los Pulmas Negras

Victorioと演奏を共にしたグループ(Plumas Negras)は、その一員であり、このグループでVictorioに次いでナンバーツーの位置にあったNenito Vargas(それまではギターとリードボーカルを担当)が楽器をアコーディオンに持ち替えて引き継いだ。Nenito VargasにはVictorioのようなレベルの高い音楽性は無い。またVictorio時代の良い意味での「軽さ」は失われたように思われる。やや重くなった車体を強力なエンジンで疾駆させているという感がある。その一方でより多くの人の耳になじむ曲作り、音作りをめざしたようである。彼らは現在最も人気のあるグループである。ただし、一層ポピュラーになった代わりに失ったもの(音楽性)も大きいように私には思える。クラシック音楽で言うならば、Plumas Negrasはベルリンフィルであり、Victorio Vergaraはフルトヴェングラー、そしてNenito Vargasはカラヤンに相当するであろう(私はカラヤンがあまり好きではないので、このような例えをするのであるが…)。

Ulpiano Vergara

Ulpiano Vergara(Victorioと同姓であるが関係はあるのであろうか?)は独特のリズム感で曲を押し進めていく感があり、加えて彼のアコーディオンにも独特の節回しがある。「独特」とはいっても妙に「ツボ」にはまった感じがして、悪い感じはしない。VictorioやNenito Vargasに比べても純粋に楽しい音楽づくりがなされているようである。現在の人気の点ではNenito VargasやSamy y Sandra Sandvalの次といった感じではあるが、私としては逆に今最も「聞きでのある」人ではないかと思っている。

Samy y Sandra Sandval

現在ある有名グループの中ではSamy y Sandra Sandvalが最もポピュラー音楽的であるといえよう。Sandra Sandvalの女性ボーカルは通常のポピュラー音楽にあと一歩のところまできている。因みにSamy Sandvalはアコーディオン奏者で彼女の兄である。

Osvaldo Ayala

現在の演奏家の中でもOsvaldo Ayalaの演奏には他のに比べて多少パナマの風土を感じさせるものがある。また彼のボーカルはメロディというよりもメッセージソング的な語りかけるような雰囲気がある。独特の個性を感じる人である。

Dorindo Cardenas

年齢的にはVictorioと同世代の人であるが、現在も活躍している。Victorioのようなうまさには乏しい。しかし、ちょっと素人的な声と雰囲気であり、ちょっとかすれ気味の声が一種独特の「ひなびた」雰囲気をかもしだす。この人の演奏を聴いていたらなぜか、かつての日本の俳優の「笠智衆」を思い出した(姿が似ているというわけではないのだが)。



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