top >憲法について

憲法について

近年、憲法改正についての議論が盛んになってきた。特に最近においては、安倍総裁の下、自由民主党は改憲を声高に言い、改憲のための手続き法を自民党の数を頼んだ強引なやりかたで成立させてしまった。

最近でも教育基本法の改定(改悪)や従軍慰安婦問題等の第二次世界大戦における日本の戦争責任等に関する言動でもわかるように、安倍首相は右寄りな思想を持っている(本人は右寄りとは自覚していないかもしれないが)。また自由民主党はこの前の衆議院議員選挙では郵政民営化を世に問うて大勝した。安倍首相と自由民主党は国会におけるその圧倒的優位をして国会において教育基本法の改定や憲法改正のための手続き法案の制定もごり押しした。この一連の流れは教育の国家統制を図り、日本を戦争ができる国にしようとするものである。

現国会における自民党優位は主に郵政民営化を世に問うて衆議院選挙を行った結果によるものであり、その際には「自由民主党は改憲をめざす」ということは国民にアピールはしていなかったはずである。改憲という国政における最大の問題を、事前に改憲を表に出さないで選挙戦を闘った自民党が、圧勝ということをバックに選挙の際に国民に問うてもいない改憲をしゃにむに推し進めようとするのはいかがなものであろうか。その後の参議院議員選挙では自民党は大敗北し、参議院における第一党の地位を民主党に譲らざるをえなかった。自民党とすれば度重なる大臣の失言がその原因としているようである。もちろんそれも一つの要因ではあろうが、国会での数を頼んだごり押しというやり方が国民の反発をかったのではなかろうか。

現国会における自民党優位は主に郵政民営化を世に問うて衆議院選挙を行った結果によるものであり、その際には「自由民主党は改憲をめざす」ということは国民にアピールはしていなかったはずである。改憲という国政における最大の問題を、事前に改憲を表に出さないで選挙戦を闘った自民党が、圧勝ということをバックに選挙の際に国民に問うてもいない改憲をしゃにむに推し進めようとするのはいかがなものであろうか。

現在の憲法は敗戦直後に、日中戦争そして太平洋戦争へと突き進んでいった日本の体質を改め、平和国家にしようとする米国GHQの意志があった。国民の多くもそれを望んでいた。その時の憲法改正においては、日本側も改正素案を出したのであるが、旧憲法(帝国憲法)を大幅に変えて日本を民主国家にしようとするものとは大きく異なっており、GHQとしては憲法素案の作成を日本側に任せるのではなく、GHQが作成したのである。

当時のアメリカは今とは違っており、日本を真に民主的な国にしようとしていた。またGHQにおける日本憲法素案作成も、理想主義に燃えた人々によって行われた。最終的には更に日本側とのすりあわせ、そして国会で承認されて成立したのであるが、このようなことを背景として、世界の国々の憲法の中でも特異な民主的でかつ平和な日本を希求したものとなった。

この憲法の精神が戦後復興とその後の日本の発展に大きく寄与したことは間違いない。民主的でかつ平和な国作りをめざすという意味で世界に誇れる憲法であるといえる。しかし、大きく発展した日本はそれなりの「力」を持つべきだとの考えも一方ででてきた。アメリカも当初は日本を戦争を起こさない平和国家にしようとの考えが優勢だったのであるが、その後の朝鮮戦争、東西冷戦の中、日本を自由主義陣営の一角に組み入れ、しかも東アジアの最大の拠点とする必要から、その対応を日本に求めたのであった。日本側もこれに応えるべく、連合国軍(実質は米軍)が朝鮮戦争を戦うために必要な資材の生産(これによるいわゆる「朝鮮特需」が日本の経済的発展のきっかけとなった)、GHQの指示による警察予備隊を作る等の対応を行った。警察予備隊は連合国軍が朝鮮半島に勢力を注ぐ分、日本国内の治安を代替えしてくれるものとして作られたものである。そしてこの警察予備隊が自衛隊の母体となる。

その後も日本が西側陣営で、かつ東側陣営の中国・北朝鮮のすぐ近くに位置するという状況から、憲法の「非戦」の精神はなし崩しにされ現在に至っているという状況である。

世界各地ではあちこちで紛争が発生している状況にある。そしてほとんどの国は国を守る軍隊を有している。しかし軍隊を保有していることは必ずしも平和をもたらすものではない。むしろ軍隊を持つ国同士が軍事力があるゆえにお互いに相手を軍事力で屈服させようとする。紛争をなくすためにあるべき軍事力が逆に紛争を起こし、これをあおることになっている。

国における軍隊は、個々の人間における武器(銃砲、刃物)の所持に例えることができる。米国は「自分の身は自分で守る」との考えから、銃砲の所有についてはかなり自由である。これに対して日本では警察官や自衛官をのぞいて基本的に銃を持つことはできない。銃はそれを持つ人を守ることができると同時に他人を攻撃する武器ともなる。また時には暴発して人を傷つけたり死なせたりすることもある。銃を持っていれば、何か諍いが起きたとき、銃の威力でそれを解決しようとする気を起こさせないとも限らない。軍隊も同様であると考える。

アメリカにおいては、1999年にコロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校での銃乱射事件、そして先般のバージニア工科大学銃乱射事件と、銃による大量殺人事件が発生している。またこの他にも銃による事件、事故も数多い。一方日本では銃の保有は規制されている。もちろんヤクザ等が違法に所有する銃とそれによる事件も無いわけではないが、アメリカほどの大きな事件、また多くの事件が発生するには至っていない。

自由民主党は日本をいわゆる「普通の国」、即ち軍隊を保有し、必要により軍隊により日本を守る…そのような国にするために憲法を改正しようとしている。国における軍隊と個人における銃を対比させて述べてきたが、国と国の間においても軍隊があることが必ずしもその国を守れないのではなかろうか。

銃を持つことがあたりまえのアメリカでも、銃を持つ人が銃の力により銃を持たない人を襲い、あるいは銃により威嚇して自分の思い通りにさせようとすることは違法であるとともに、そのようなことをした人は人々の信用や信頼を得ることは不可能であろう。国レベルの問題としても軍隊を持つ国が軍隊が無い、あるいは極めて軍事力レベルが低い国を軍事力で一方的に攻めた場合、攻めた側は国際的に問題視されるであろう。

日本はこれまでも建前上は戦わない、軍隊を持たないとしてきた。しかし自衛隊は専守防衛を任務とはしているものの、軍隊として見ても世界の中ではかなりの力を有しているといえる。しかし、現在の自衛隊は憲法上いわゆる「宙ぶらりん」のかたちにある。自由民主党とすれば自衛隊を合憲状態にし、日本をいわゆる「普通の国」にしようとしている。しかし、ここに述べたように、軍隊を持つことは必ずしもその国を守ることにはならない。何かの紛争が生じた場合に、「攻められる前に攻めろ」とばかりに、攻められる危険性も高い。

日本は(というより自民党政権、そして国民のかなりの部分も)いわゆる「普通の国」となるべく憲法を改正しようとしている。憲法はその国の「国格」を象徴し、世界にアピールするものでもある。国民の多くは平和を希求していると信じる。ここで言う平和は軍事力によりかろうじて保たれている平和ではない。真の平和を守るためにも憲法、特にその中でも9条の精神を保ち続けることが必要であると考える。

ただし、当方も別な意味での憲法改正が必要であると思っている。現在の憲法制定時に想定していなかったような社会の変化がでてきている。環境や資源といった身近なものから地球レベルのものにまで通じる問題、社会の歪みから来る新たな貧困問題〜持てる者と持たざる者の格差、等々。これらに対しても憲法レベルで国の方針をしっかりと示しておくべきではないでだろうか。憲法第9条は自由民主党の考えていることとは逆に、軍事力ではなく外交力、各種対外協力等の平和構築力で平和を維持すべく、自衛隊から「軍隊」としての性格を弱めることとし、その旨をしっかりと定めるようにすべきであろう。また憲法は前文、条文ともに今の私たちにとっては読みづらいものがある。内容や書き方も含めて今の私たちのための憲法とすべきではなかろうか。

しかし、今のところ「だから憲法は改正しよう」とは言わないでおきたいと思う。憲法を正しい方向で改正しようとする動きは、日本を「普通の国」にするために憲法を改正しようとする人々に悪用される危険性が大きい。下手をすれば「憲法を改正するのに賛成する人はこんなに多い。だから改定するのだ。」とばかりに変な方向に憲法をねじ曲げる理屈(屁理屈)の一つに利用されかねないためである。


2007年5月3日、憲法記念日にあたって、当方の現憲法あるいは憲法改正に関する動きに対する考えを述べた。なお、まだ舌足らずのところがある。また内容が十分に整理されていない。今後、上記文面をベースに手を入れていきたい。


(このページの冒頭に戻る)
”吉田信威 (YOSHIDA Nobui) のホームページ”に戻る