2009年4月・5月・6月


2009年6月30日

吾妻ひでお先生の5月日記

久しぶりに覗いてみたら自分の原画展に御訪問いただいた時の事が載っていた(7ページ目上の方)。

影男の絵とかあるので興味ある方は御覧下さい。

吾妻ひでお先生は私のペンネームをずっと「あびゅきょ」と間違って記しておられるが自分も時々同じような間違いをするのでまあいいか。


2009年6月29日

国営の漫画アニメ博物館「国立メディア芸術総合センター」

なにやら漫画やアニメなどを収集、展示する「国立メディア芸術総合センター」(仮称)なる施設を造る造らないで揉めているような報道を聞いたが何をやっているのか。

景気対策云々で「はこもの」の一つとして与党の誰かが予算を付けたそうである。

100億ちょっととか。

それで「税金の無駄使い」だとか「国営漫画喫茶だ」とかで反対意見があって、漫画やアニメの現場からも「箱物よりもっと現場の待遇を改善することにお金を」と批判的な声が多いとか。

自分からすると、わざわざ国がお金をだして施設を作ってくれるというのだから「渡りに船」でのっかってしまえばいいのにと思ってしまう。

どうせ、本気で日本コンテンツ産業の事を次世代基幹産業にと考えている議員も官僚も居ないだろうし、適当な「思いつき」のレベルで企画されたものだろうとは推測するが、それでも「造る」と言ってんだから自由に使わせてもらえばいいじゃないかと思う。

実際、漫画原稿の保管とかは漫画家にとって切実な問題であることは確か。

これまでは本人が死んだりすればよほどの著名漫画家でない限り、いや著名であっても霧散する可能性は大きくて、基本漫画原稿は「破棄されて当たり前」な存在でもあった。

存命中であっても出版社のずさんな管理で紛失することも多かった訳で、もし公共の場できちんと管理保管してくれる施設があればそれに越したことはない。

現場の人たちまで反対する理由がよくわからない。

アニメ、漫画製作現場の環境劣悪は今に始まったことではないし、またこれからもそんなに変わらないだろう。

好きじゃなければ出来ない仕事だから逆に給与が多少良くなったとしても作品の質が上がるわけでもない。人気商売だから人気のないものが貧困なのはある意味覚悟しなければいけない。

結局、人気があるクリエーターだけが美味しい思いをするのは何処の世界でも同じ。

その人気クリエーターはお金があったとしても自分のことに手一杯で漫画界全体に貢献するために活動する人は稀有だ。出版社版元も売れない漫画家のことなど眼中にもない。

だから、公共の施設がどういう目的で作られるにしろ、施設が存在してくれれば今まで日の当たらなかった作品やクリエーターは救済されるんじゃないかと思う。

ヘンリーダーガーだって(漫画家ではないが)たまたま見識のある画商の目に留まったから世に知れたわけで、こういう公共施設があればマイナー作家でも人の目に触れるチャンスを得ることにもなる。

たとえ本人が死んだ後でも原稿が保管されていれば後世に可能性を残すことが出来る。

この施設を「無駄」と言っている人はそんなクリエーターの可能性などいらないと思っているのだろうか。

既存の施設を使えばよいという議論もあるが、でっかいものをわざわざ国の金で造ってくれるというのだ。「千載一遇」のラッキーをありがたく受け止めればいいじゃないか。

施設は多いに越したことはないのだから。

容積が増えれば増えるほど保存出来る作品や作家の数は多くなる。

この施設をあくまで否定する漫画、アニメ関係者ってなんだか心底貧乏根性が染み付いている感じがする。

いつまでも「ときわ荘」の時代ではないのだ。もう少し発想のステージを上げたらどうだろう?

たかだか100億円ちょっとだよ。こんなの他の無駄な公共事業に比べたらスズメの涙ほどのもの。

ありがたく頂戴いたしますと言えばよいのだ。

もっとも、与党も本気で漫画家やアニメーターなどのクリエーターの将来を考えて造っているわけではなく土建屋のために計画したのは明白。

野党もこの施設を「国営漫画喫茶」などという卑下した扱いで計画自体を潰そうとしているから現実化は難しそうだ。

国が本気で日本コンテンツ産業のことを考えているならば「児童ポルノ防止法改正案」なるものに賛成するはずもないが与党野党こぞって改正に向けて動いているらしいから、まあ「推して知るべし」。

このあたりの審議を見ていると絶望的になってくる。

結局のところ、未だ日本の行政立法に携わる者の中に、漫画、アニメの真の理解者は存在していないということだ。

フランスでは国営の漫画保存施設を税金で作っているというし別に国民からの反対もなかったそうだ。

遅かれ早かれ、かつての浮世絵と同じように日本の漫画原稿も国内から霧散し、わずかなものだけが欧米のコレクターの下に渡るだけと相成るだろう。

まあ、まじめに期待するだけ馬鹿馬鹿しいのかもしれない。


2009年6月27日

ポカポカ綾波

エヴァンゲリヲン新作映画「破」を観る。

どうせ観るなら情報が広がらないうちにと初日に映画館に足を運ぶ。

場所は例によって新宿東急ミラノ座。これまで繰り返しエヴァを見た場所だ。「エヴァ」に関しては正直感覚が麻痺しているので開き直ってここにする。

いや、ここしか思いつかなかっただけ。

ミラノ座前では何やらエヴァのイベントが開かれていた。窓口でチケットを買って入場。前売り券は特典付をローソンで予約していたのだが未だ取りに行っていない。どうせまた「箪笥の肥やし」になるからいいか。

初日のため当然混んでいるが座れないほどではない。

客層は若い人が殆ど。最近は「ヲタク」と「非ヲタク」の差があいまいでもはや混沌としている。家族連れや年配者の姿は殆ど見受けられないが。

映画が始まる。

「序」ほどの抵抗感はなかったがやっぱりこの場に居ることが時々耐え切れなくなる事がある。

内容に関しては敢えて言うこともない。

これは「新世紀エヴァンゲリオン」ではなく、「エヴァンゲリヲン」だ。

「エヴァ」の製作者が、ある意味自ら「自主製作映画」に近い形で同人誌のごとく「2次創作」している感覚。

もはや「エヴァ」はブランドであり、優良商品であるから造り手も受け手も一種の祭りとして「反芻」を楽しんでいる。

かつてオリジナルの「エヴァ」が背負っていたルサンチマンは消え去り、「愛は地球よりも重い」という「宇宙戦艦ヤマト」以来、使い古されてきた「お約束の」テーマに収まっている。

そのことに対して賞賛も批判もしない。

そんなことはもはや無意味だからだ。

映画が終わると拍手と歓声が上がった。仕込だったのかは知らない。たぶん自然発生的だったのだろう。

映画とその関連イベントを如何に楽しむかという「祭典」としての「エヴァンゲリヲン」は日本サブカルチャーの一角に強固な橋頭堡を築いたことは確かなようだ。

後はただ、自分がこの祭りの渦中に居ることにどれだけ耐えられるか否かだけ。

コミカルなシーンでも一切くすりとも笑いが漏れない劇場内で「信者」たちと共にただ黙々と映画を見続ける「儀式」に参加出来るか否か。

そして自分がスクリーンの向こう側、すなわち造り手のポジションにいないこと、見る側で燻る事に耐えられるか否か。

ただそれだけのこと。

耐えられれば若い頃のようにグッズを買い揃えたり、何回も映画館に足を運んだり趣くままに楽しめばいいのだ。

「エヴァ」がサブカルチャーの一翼を担い続ける限り、これから何回でも再構築されたパラレルワールド的「エヴァ」が作られていくだろう。

それに永遠に付き合っていくことが出来れば案外幸せというものだ。

よぼよぼになって綾波レイのフィギュアを握り締め、2049年公開「エヴァンゲRIOン駅前NERV綾波還暦のお祝い」の初回特典目的で行列に並んでいる時に映画館前で死ぬのも一興かもしれない。

ポカポカになれるよ。


2009年6月25日

行川アイランド

ドラマ『泣いてたまるか』を観ていたら千葉外房にあったテーマパーク「行川アイランド」が出てきた。

1960〜70年代のドラマや映画には当時開園まもないテーマパークとタイアップした作品が多い。

「船橋ヘルスセンター」「横浜ドリームランド」が舞台となってストーリーが進むのだ。

この「行川アイランド」はちょうどこのドラマが制作された1968年頃、家族で遊びに行った記憶がある。小学校3年生の時か。

「おせんころがし」という断崖絶壁な道路を通って至る「行川アイランド」はフラミンゴのダンスで有名だった。『泣いてたまるか』を観ていると宿泊した安房小湊漁村民宿の残像が蘇ってきたりする。

その「行川アイランド」も今や廃墟だそうだ。

2001年頃に閉園して跡地は荒れ放題。飼われていた動物達はどこかへ引取られていったらしい。

跡地には老人ホームが出来るという噂も。

そういえば「向ヶ丘遊園」や「横浜ドリームランド」の跡地も墓地などに生まれ変わっている。

かつて子供達の歓声で溢れたテーマパークには白骨と線香の匂い漂う黄泉の国での入り口と化すのである。

きっと廃園が決まった「多摩テック」も巨大な墓場か火葬場になるのだろう。

『泣いてたまるか』の画面いっぱいに元気よく走っていた若人、子供達の姿はもう「行川アイランド」には存在しない。

いや、すべての昭和遊園地から若い息吹は消えてしまったのだ。

夢の園から死の墓墳へ。

居るのは彷徨える亡霊と死に逝く老人達の冷たい影のみ。

40年前、子供達の前で優雅に踊ったフラミンゴは今や白骨と化し、2009年、デスバードとして死に逝く老人達を迎えるべく死の踊りを披露する。

今、ドラマを作るとしたらこれをテーマにすべきなのだ。

白骨姿の渥美清が生に執着する団塊の世代にこう語りかける。

「この日本はもうおしまいだ。さあ、若い頃楽しく遊んだ遊園地で死のう。森田健作も突っ張ってないで共に逝こうじゃないか。

そのまんま東が首相になりそうな日本に生きてどうなる?こんなの何かの悪い冗談だ。

さあ、おっちゃん、おばちゃん!一緒におせんころがしから飛び込もう!」

これこそ2009年版『泣いてたまるか』である。

そう、ドラマ『泣いてたまるか』がなぜ琴線にふれるのか?それはドラマ自体が「廃墟」だからであろう。

今や人も建物も朽ち果てボロボロなのに、そのドラマの中ではその「廃墟」がイキイキしているのだ。

「廃墟」が生きている!

生きた廃墟こそ廃墟マニア究極の嗜みではなかろうか!

僕らはそこに諸行無常を見い出し「形あるものいずれ全て朽ち果てる」という万物の掟を再確認するのである。

嗚呼、沁み入るなあ。

行川アイランドよ。デス・アイランドとして蘇れ!


2009年6月21日

『泣いてたまるか』

東京MXテレビで平日正午から放映されている1960年代後半に製作されたモノクロ民放ドラマ。

渥美清が主演で『男はつらいよ』のベースになったような独身男性悲哀溢れる作品だ。

ちょうど自分が小学生の頃に製作されていた。「巨人大鵬卵描き」真只中。佐藤栄作が永遠に日本の首相と思い込んでいた時代。テレビにもどっぷり漬かっていたはずだが、このドラマは不思議に全くといってよいほど記憶にない。

放映時間は日曜夜8時から。当時は家でNHK大河ドラマを観る習慣があったので完全にスルーだったのだろう。再放送されたり1980年代にリニューアルされたそうだがそれすらまったく知らない。

ところが、今MXテレビでこのドラマを「初めて」観ると面白くて面白くて仕方ない。

画面の角から角まで、台詞の一字一句全てがまるで渇いた砂に染み込んでいくように心を潤わすのはどうしてだろう。

もはや失われた1960年代の街並や「結婚」という絶対的通過儀礼に葛藤する当時の男女模様がこれでもかこれでもかと我が琴線を激しく震わすのだ。

但し観たとはいえ、僅か2話分。高校の先生演ずる渥美清が出身生徒の仲人したり地元の宮崎に帰ってお見合いするという他愛のないストーリーの回だけなのだが、当時の高度成長期真只中のもがくような青春群像がモノクロームの画面から激烈に溢れ出す。

昨今「格差社会」云々と言われるがこの頃はもっと貧富の差や都会と農村の格差は大きかった。その歪みをトラック運転手とパン工場娘との恋愛や都会に憧れる田舎娘の視点から捕らえる巧みな造りは素晴らしい。

そう。当時は若者層が人口比で卓越していたから「格差社会」も若さで打開していく「希望」があったのだ。トラックで学校の校庭に突っ込んでも警察は来なかったのだ。

画面全てに溢れる当時の街並はそれだけで「文化遺産」だ。

バブル経済崩壊以降、破壊殲滅されるがままの「日本昭和文化」がそのモノクロームフィルムにぎっしり詰まっているのも見逃せない。

ハイビジョンが束に掛ってもこの映像には勝てないだろう。

数多の1960年代屋外ロケドラマ、映画には制作者の意図とは関係なく「昭和文化遺産映像」の役割を担っていたのだ。

主人公の先生が高千穂でお見合いデートするシーンで地元の娘は37階建てビル(霞ヶ関ビル)や地下鉄のある東京に憧れてそこに暮す先生を羨ましく思うことを吐露する。

しかし先生は東京のネガティブな部分を諭して変な憧れは捨てよという。

結局、娘は説得されていずれ自分は隣村の男の元に嫁いで片ずくのだろうと語り、東京へ戻る先生を見送る。

もしこれと同じテーマで今ドラマを作ったら胡散臭い屑作品になっていただろうが、1960年代はリアルな「現実」とリンクしていたから素直に観れてしまう。

そう、ドラマに描かれている現実の風景に説得力があるのだ。

自分が10歳の時に作られたドラマ。その存在を40年間知らなかったのに今、50歳にして「初めて」観る事によって当時の「偉大さ」を悟るとは何とも不思議な感覚。

先日、古い家屋を保存している公園に出掛け、縁側のある床の間で暫し佇んでみた時も同じ感覚に囚われた。

そう、世田谷奥沢にあった母方の実家と造りが似ていて当時の感覚が蘇ってきたのである。廊下がぐるりと床の間を囲んでいたので子供の頃、よく「運動会」したものだ。巨人V9時代だから柴田、高田、土井、長嶋、王に成りきってつるつるな廊下で滑り込んだりしてよく親に怒られたものだ。

そんな1960年代的記憶が己の心の底をかき乱す。

別にあの頃がベストな時代だった訳ではない。コンビニも携帯もネットもない汲み取り便所の非衛生的選択肢の限られた公害全盛期で交通戦争と揶揄された「ストゲバ」1960年代が善かったはずはないのだ。

だが少なくとも、未来は「存在」した。

月に人類が立ったのだからね。

どんな非衛生的で乏しくて冷戦核戦争の危機があったとしても未来への展望さえあれば人は生きていけたのだ。

そんな時代を顧みるドラマや保存家屋に触れる時、やっぱりこの2009年は「どこか間違った2009年」にしか思えないのである。

今や「泣いてたまるか」ではなく「泣く気力もなし」である。

うそと欺瞞に満ちたものばかりで真実を覆い隠す時代に未来は存在しない。


2009年6月14日

ネルフ携帯を触る

ブログの方に写真入りで紹介しているのでよろしかったらどうぞ。


2009年6月13日

マイケル・クライトン「アンドロメダ病原体」

マイケルクライトンの「アンドロメダ病原体」を久しぶりに読み返す。

最近のインフルエンザ禍報道に触発されて小松左京の「復活の日」も読み返した。

両書とも30年近く前に購入したハヤカワ文庫版なのだがもう何回となく読み返した。

1960年代に書された作品であるにも拘わらずまったく古さを感じさせず、寧ろこれを凌駕する作品は現れていないのではと思うほど良く出来たSFだと感じる。

SFが真っ当な「サイエンスフィクション」として語れる時代の産物だったからかもしれない。

さて、この「アンドロメダ病原体」の後半に興味深い記述がある(小説の内容に拘わる部分なので未読の人は注意)。

これはおそらくフィクションなのだろうが、アメリカの製薬会社が「カロシン」という薬を開発したという件。

「カロシン」はがん細胞を殺し、ありとあらゆる病原菌を殺して人間を病魔から救う万能薬として期待が持たれた。

しかし臨床実験で処方された患者は病気は全快したものの、体内の有益な細菌まで殺してしまったために抵抗力や免疫機能を失って普段なら無害なはずの細菌に襲われて全員死亡してしまったエピソードである。

本書にはこの危険性を警告した医師の予言をこう記してある。

「彼は人類が何十世紀の歳月の間に、大方の微生物に対する微妙に調節された免疫性を身につけたことを指摘したのであった。ヒトの皮膚にも、空気中にも、肺にも、胃腸にも、そして血液の中にさえも何百種類もの細菌やウイルスが存在している。それらは危険な潜在力を持っているが、ヒトが長年の間に順応性を獲得した結果、今では疾患の原因になるごく小数に過ぎない。

しかし、これは丹念に積み重ねられた平衡状態である。

もしそこへあらいる細菌を殺すような新薬を投入すれば、このバランスは覆され、何十世紀もの進化の結果が破壊される。

そして重複感染・・新しい疾患を担った新しい微生物の問題への道を開くことになるのだ」

(「アンドロメダ病原体」マイケルクライトン作・浅倉久志訳/ハヤカワ文庫)

これを読んで思い起こされるのは昨今のインフルエンザ禍で取り立たされる「タミフル」という薬だ。

これさえ飲めば新型インフルエンザ予防になるとか盛んに宣伝しているが、前途した小説の記述を思い起こせば如何に「胡散臭い」かよくわかる。

「アンドロメダ病原体」はあくまでフィクションであるが、その元になった「科学的考証」は限りなく真実だ。この小説がリアリティーあふれる作品だったのも作者が現実の科学技術から想定しうる未来を可能な限り精密に組み立てたからだ。

WHOが何を根拠にこんな世界的パニックを起こしかねないような「警報」を発しているのかは知らない。

だが、この「新型インフルエンザ」が「極端に特異なもの」という根拠も希薄な上に、そして重篤者も殆ど居ないのにも拘わらず、「世界的大流行」パンデミックを盛んに騒ぎ立て続けるのはまったく理解しがたい。

もし、理由があるとすれば、何らかの既得権益が絡んでいるとしか思えない。

「タミフル」が特効薬だと騒ぎ立てれば当然、これを作った製薬会社は莫大な利益を上げよう。それに絡んだ政治家もね。

また、インフルエンザ禍により人々が外出を控えれば屋内で仕事を継続させる手段が必要になる。その唯一の方法はインターネットだ。

当然、高速インターネット等のIT関連企業は急速な需要を得ることが出来る。

アメリカの3大自動車企業がことごとく破綻しているにも拘わらずアメリカ国家が比較的冷静で居られるのは、もはや人間自体を運ぶ移動手段たる自動車に未来はないと踏んだからだ。

これからは人間ではなく情報のみを高速で大量に移動させる時代が来る。

そのための「呼び水」としてこの「インフルエンザ禍」が意図的に画策されたのではないか。

こう考えるとすっきりする。

無論この騒ぎによって犠牲となる人間の数は計り知れない。

「タミフル」は実に怪しげな薬だ。

「タミフル」を飲んだ若年層が異常行動を起こして死に至る事例も報告されている。

それに「タミフル」を飲んだところで新たに抗体をもったウイルスが出来れば意味がない。

またそれに対抗する薬を飲まなければ改善されないとなると、この薬を処方された患者は一生この薬を飲み続けなければ生きていけなくなる。

「タミフル」を売らんがための「インフルエンザ禍」だったとすれば、前途した「アンドロメダ病原体」の「カロシン事件」と同じことが起こるだろう。

「カロシン」は小説の中の架空の薬だが「タミフル」は実際に処方される薬なのである。

こんな「胡散臭い」事例が見え隠れするこの「インフルエンザ禍」を決して真に受けてはいけない。

「嘘と欺瞞」に満ちたパンデミックに踊らされることは自ら「死」を招くようなもの。

自分は絶対に「タミフル」は飲まない。

これを飲んだら最後、普通の風邪を起こすだけのインフルエンザに殺されてしまうだろう。

「タミフル」は対処療法の薬でインフルエンザウイルスを殺す薬ではないようだがどっちにしろ同じだ。

インフルエンザは人間とウイルスの平衡関係で成り立っている。

「タミフル」はそれを壊してヒトを重篤に至らしめる可能性がある。

それを知っているのは一部の医者と薬の開発者だけだろう。だから彼らは決して「タミフル」を服用しない。

「現実は小説より奇なり」とはよく言われることだが、正にこの「インフルエンザ禍」はこのことわざ通りである。

インフルエンザで重篤になるのは他の要素が複雑に絡むからだ。

「スペイン風邪」は第一次世界大戦という戦乱の中で非衛生状況が広範囲に存在していたからこそ大流行し致死率も高かった訳でそんな条件がもしなかったら誰も気が付かなかった季節性インフルエンザで終わっていたろう。

だから今回のインフルエンザもカタストロフを伴う禍が同時進行しない限り騒ぐようなものではないのだ。

WHOはそんなことくらい解らないのだろうか。

解ってやっているならこれほど悪質のものはない。

無論、「タミフル」製造製薬会社や高速インターネット企業群にとっては「願ってもない天の声」だがね。

「復活の日」や「アンドロメダ病原体」は想定しうる将来の禍を科学的根拠を元に見事に「予言」している小説だ。ある意味「未来指導書」でもある。

だからそれに近いことが現実に起こった場合、「嘘」や「欺瞞」も見抜くことが可能だ。

今騒がれているインフルエンザパンデミックが如何に「胡散臭い欺瞞を下敷きに画策されたデマゴギー」であるかはこの小説を読んでいれば容易に理解出来る。

一般の人も流石に「おかしい」と感づいたらしく、「フェーズ6」になったからといってマスクをする人も少ない。

だがこの「デマ」を画策した者はあの手この手で人々を騙そうとマスコミ総動員で「胡散臭い情報」を流してくるだろう。

特に北半球が冬に向かうシーズンは要注意だ。すでにこのパンデミックは2〜3年続くという関係者も居る。

この人は製薬会社から幾ら貰っているのかと疑いたくもなる。

そんなに付き合ってられるか。

もし、マイケル・クライトンが生きていればこの「偽」パンデミックを題材に面白い小説を書いてくれるに違いない。

タイトルは「タミフル・嘘と欺瞞」

ベストセラーになりそうだ。


2009年6月12日

40年

先日、久しぶりに幼稚園時代からの幼馴染と食事をする。

先日の原画展にも来て貰ったのだがしばらくゆっくり話もしていないので一席設けた。

歩いて3分くらいのところに住んでいるので会おうと思えばいつでも会えるのだがなかなかタイミングが合わない。

過去の日記でも何回か紹介したことがあるが彼は大手ゼネコンの技術者で海外出張も多かったのだが最近は地元勤務で落ち着いているようだ。

相変わらず独身で実家住まい。境遇は似ているが自分はニート引きこもりの一方、幼馴染はエリート社員な訳で生きているステージがまったく違うわけだが、住居や環境が近隣の上、長男で人生観が近いのか会話は不思議と噛み合う。

会話といっても小中学時代のクラスメートや先生の消息、阿佐ヶ谷周辺の環境の変化が主なテーマ。時間軸を垂直に辿る事が出来るのはこうして幼馴染と会うとき位だ。すでにクラスメートは息子娘が二十歳を迎える世代。正に気が遠くなる。独身者と既婚者の距離はもはや限りない。

50歳を迎える独身者はもう未来に対して希望とか展望はないに等しく、過去を振り返ることだけが「人生」となりつつあることに気が付く。

今更未来や現状を語ったところで虚しくなるだけ。

己の体力気力の減衰、親の介護、息苦しい社会情勢等など「負の義務」ばかり。

先細りで息苦しい未来しか見えない2009年。その先に新たな希望とかどう考えても思いつかない。

ふと、こんなことを妄想した。

40年前に配られた学校のプリントをクラスメートの女の子に今渡すことが出来たら。

あの時、渡し忘れたプリントを40年ぶりに届けるのだ。

いきなり女の子の実家に行ってプリントを差し出したらどうなるだろう?

勿論相手はこちらが誰だか解らないだろう。息子娘が出てきて「あんた誰?家のお母さんに何の用事?」と問われるかもしれない。

それでも自分はこう言うのだ。

「40年前、渡しそびれた学校のプリントがあったので今届けに来たんだ。ちょっと遅れてしまいごめん」

今や50歳になってしまったクラスメートの女の子にそのプリントを渡してみたら未来は変わるだろうか?

あるいは、自分が40年前に戻って10歳当時の女の子の前に現れてこう言うのだ。

「僕は40年後の僕だよ。君は40年後に僕の事を覚えているだろうか」

次世代に希望をバトンタッチ出来ない独身50男はこんな妄想をしながら余命を食い潰すのだ。

もっともそんなデカダンスな人生悲哀を夢想するのは自分だけで幼馴染はそんな悲観的感覚を持っていないだろう。経済力と社会的地位を獲得している彼にとっては幾らでもこの現実社会での自己現実は可能なのだから。彼が結婚しないのはニート引き籠もりが現実逃避しているのとは訳が違うのだ。

日を追うごとに社会から離反していくような刹那的恐怖と不安に苛まれるこの2009年。

ふと40年前と今とが昨日明日の差ぐらいにしか感じられなくなる瞬間がある。

40年前のクラスメートの女の子がすっと路地から現れたらどうしよう?

だが、今の自分は10歳ではなく、50歳なのだ。

恐るべき時間の隔たりがあることに驚愕し、この40年間はいったいなんぞやと自問自答する。

いや、自問自答する時点でだめなのだ。

二十歳近い娘息子を持ったクラスメートは、そんな自問自答している暇などなかろう。

次世代のために「自分」のことを考える暇はない。子供は勝手に育ち、勝手に未来を作り出す。

それを見守り育てていく世代が真っ当な50歳なのだ。

その対象が見出せない50歳は哀れな存在でしかない。

夜9時、会食を終え幼馴染と別れ家路に就く。

小学校の頃、よく遊んだ公園。夕方、久しぶりにここを通った時、日曜なのに子供の歓声は皆無だった。

少子高齢化はもはや重篤な段階まで来ているようだ。

ふと、無人の滑り台に40年前の自分の残像を見つける。

その残像は言う。

「お前の未来はこんな世界だったのか?これでいいのか?50歳の僕」

頭の中で筋肉少女帯の曲が響く。

「これでいいのだ。辛くともこれでいいのだ」

いや、いい訳ないだろう。

やっぱりこの2009年はどこか間違っている。


2009年6月1日

NERV携帯予約顛末記

ブログのほうに画像付記事あり)

忙しい最中であったらきっとスルーしたであろう「NERV携帯」予約。

たまたま時間があったのが運のツキ。結局手を出してしまう。

予約開始日は6月5日。事前の情報ではドコモショップのみ(他にネット受付もあったようだ)のはずだったが、秋葉原のヨドバシでも予約受付するというので悩んだ挙句、こっちにした。

予約者には特典もつくという情報に釣られた。

現地0625JST到着。列は33番目のカードを渡される。予想よりまったく人少ない。徹夜組含めて100人位いるんじゃないかと予想していたからまったく盛り上がりに欠ける。

20〜30代男性が殆ど。

30分経っても後から2〜3人しか来ない。これだと9時半開店時に来ても余裕で間に合う。

このまま帰ってもあまり後悔しそうにない。

正面入り口ではイベントステージみたいなものが設置されている。なんかイベントでもやるのだろうか。でも露天。今にも雨が降りそうな天候で出来るのか?因みに行列は屋根の下なので濡れる心配はない。

0700JST。目の前のドーナッツ屋がシャッターを開けて開店準備。

待っている列の人は本読んだり、ゲームしたり、携帯チェックしたりで時間を静かに潰している。

人増える様子なし。

自分の後ろは3〜4人。勢いなし。

予約の出だしでこれでは拍子抜けだ。

7時10分頃、女性が一人列に加わる。いやよく見ると列の中に3人ぐらいいるようだ。

7時20分頃、座っているのが疲れたのか立ってゲームしているのがいる。酒臭いのが一人。多分前夜から飲んでそのまま列に並んだのだろう。

この時点で43人。

1時間で10人ぐらいしか増えていない。

7時35分。「最後尾」のパネル運び込まれるが50人ぐらいしか集まっていない。

7時半過ぎて通勤の人増えてくる。予約待ちの列をちらりと見る程度。みんな忙しいのだ。

どうやら雨が降り出してきたようだ。

8時過ぎ、テラスのライト点燈。店員増えて何やら準備説明開始。

整理券配る。予約受付32番。

価格も公表された。一括払い97440円。列の中から「高い」という呟き漏れる。ただし10%ポイントが付くのでDSより実質お得。

予約受付や商品引渡し時期を指定しなければならない。

一応整理券受け取って列が捌けるのはあっという間。

9時半開店。

結局列は50人程度で解消。まだ整理券ずいぶんと余っている。この流れが続くと仮定したら今日いっぱいでも大丈夫かも。

イベントステージ前ではNERVの制服を着たお姉さん3人がチラシを配り始めた。

NERV携帯の実物もガラスケース越しに見ることが出来る。

正面のカバーには保護透明アクリル板が張ってあるようでNERVマークがこすれて消えるようなことはなさそうだ。マークも角度を変えて見ると色合いが変化するので特殊加工されているのかも。

ただ、何となく安っぽさはぬぐいきれず、これに10万近く投資するのはどうかなあとも思案するが実際触って使用してみないと何とも言えず。

秋葉原ヨドバシのNERV携帯予約表を見てみると全部で290枠があるようだ。

だがいまの時点で50ちょっと。開店前に全部捌けると予想していたのに何とも寂しい。

店内で予約を済ます。FOMAはFOMAカードを差し替えれば複数の末端を使い分けることが出来るので事実上従来の携帯を継承し、NERV携帯は結局「箪笥の肥やし」になる可能性大。

代替品が見込めないので自ずと慎重に扱うしかない。

携帯受け渡しは27日。予定期間までに受けとらないとキャンセル扱いとなるとか。

さあどうするか。

帰ってからネットを見るとドコモショップでの予約受付がトラブルで大変なことになっている事を知る。

それまでは売れ残り出るのではと危惧していたが、結局この日だけで殆ど全品予約満了になったとか。

実際の現場ではそんな勢いさっぱり感じなかったのだが。

でもなんだかキャンセルも多い予感もするし、果たしてこのNERV携帯、どう転がるやら。



2009年6月1日

NERVの携帯

ドコモから「NERV官給品」のコンセプトとして特別仕様携帯が発売されるそうである。

もともと携帯電話に良い印象を持っていなかった自分であるから「実用品」としての性能やコストパフォーマンスに関心はない。

携帯は最低限のコミュニケーションツールとして「義務感」で所有しているに過ぎない。

しかしこの「NERV官給品」はその価値観を根底から崩す製品だ。

いわいる「アニメグッズ」とは一線を画した「妄想の具現化」としてはハイレベルの存在だ。

玩具ではなく本物の「実用品」としての「NERV官給品」だからだ。

NERVは架空の組織ではあるが、そのフィクションを如何に現実世界に具現化するという究極の妄想を実践したという意味では称賛に値しよう。

実際自分はこんなものが出来たら面白かろうと思っていた。

携帯はコミュニケーションのための「手段」であって所有する事が「目的」ではないが、これは所有する事が「目的」の携帯だ。

ブランドモノの携帯と同じく、関心のない者にとってはタダでもいらないが、欲しい人間にとっては30万円出しても買うだろう。

限定3万台で価格は9万円以上するというのが巷での噂である。

これを「実用品」として使おうとする者からすれば高いのだろうが「NERV官給品」のオーナーとして名乗りを上げたい者からすれば大した金額ではなかろう。

果して自分はどう決断すべきか?

自分の所有しているドコモの携帯は入手してから一年半。NTTドコモPHS廃止に伴う移行だったので実質無料だった。

無論、買い換えなんて一切想定せずにPHS同様10年近く使ってやろうと思っていた。

しかし「NERV官給品」を見せられるとどうしても欲しくなる。

携帯は壊れたり紛失する可能性が高い製品だし代用品は「NERV官給品」仕様でない可能性がある。リスクも価格もハードルが高い。

買い換えではなくて、従来の携帯を現状のまま使い続けつつ「NERV官給品」のオーナーになることは可能だろうか?

つまり「タンスの肥」である。

コレクションとしては王道だろうがそれでは「NERV官給品」としての独自内部コンテンツが楽しめない。

やはり「実用品」として実践するところに「NERV官給品」の意味があるのだから寝かせておくのはもったいない。

年月を経て傷がついたり汚れていくのも「NERV官給品」としての趣きだ。

さてどうする?

6月5日午前10時からドコモショップで予約開始だ。

そもそもこのコンセプトモデルは自分のような趣味思考をもつ人間をターゲットにストライクど真ん中を狙った製品である事は明らか。

そんな「絶好球」をみすみす見送る勇気はあるか?

次にまた「絶好球」が来るか解らないのだ。

「見送ってよかった」という人生はなんだか虚しい。

というより、この手のモノに関心を寄せられなくなった時点で「活力ある人間」としてどうかと思う。

何事も醒めて冷静になってしまうというのは老化の始まりでもある。

「散財」覚悟で所有欲を満たせるか?あるいは見送る事で「賢明な金銭感覚を維持した」と自分に言い聞かせるのが正しいのか?

難しいところではある。

いずれにせよ「鳴らない電話」には変りないが。


2009年5月31日

「ミュージアムショップ」新設。

生活も元の「引き蘢り」パターンに戻りつつある。いいのか悪いのか・・。

原画展で作った幾つかのアイテムの在庫が若干あったので改めて描いた水彩画も含めた原画、版画頒布サイトを作ってみた。

これまでは自費出版書籍頒布が主だったが、これを機会に頒布アイテムを増やしてみようと思う。

宜しくの程を。


2009年5月28日

原画展総括。

総括と言うほど大袈裟では無いが、取りあえずまとめ。

まだ諸々事後処理、振り込み、発送などが残っており完全に終了している段階では無いのだが少しは落ち着いてきた。

何をおいてもまずは来場して戴いた方々、ギャラリーを提供して頂いたGoFaスタッフの方々、手伝って頂いた知人関係者に改めて御礼申し上げたい。

何もかも初めての試みだったのでどうなる事かと思ったが、とにかく最後まで無事に終えた事が何よりであった。

自分の原画を一堂に展示するという構想を現実化出来た事だけでも収穫。

印刷を前提としたB4サイズの原稿がこうしてパネルに並べる事によって全く異なる「一枚絵」として映ることが新鮮であった。

雑誌掲載前提の絵を描く事と、一枚絵を展示販売することとは使うエネルギーが異なり戸惑う事もあったが、むしろ自分にとってはこの手法こそが必要ではないかとも思う。

原稿一枚を3日かけて仕上げていてはとても商業漫画のベースでは限界がある。

それを補完するために「一枚絵」としての価値を見い出す。自分のようなタイプの漫画家にはこれが必要不可欠な事なのかも知れない。

 収支も相当の赤字覚悟で挑んだが、何とか最小限の支出で済みそうだ。雑費その他を除けばトントンかも。青山で初の自主開催という条件を考慮すれば良くやった方だ。

水彩原画、版画、アートプリントなど好調に頒布出来たことが幸いした。もう少し価格設定、頒布方法を上手にしていたら黒字になっていたかもしれない。

ただ今回は利益を出す事は最初から毛頭考えていなかったので予想外の健闘かもしれない。

景気の底、豚インフルエンザ禍の真只中で自分ながら良く頑張ったと思う。

一方で、自主開催にならざるを得なかった点は残念だ。目算としてこの時期に「影男シリーズ」完結編コミックスを発刊し相乗効果としての出版社タイアップ原画展として盛り上げたかったがその狙いは叶わなかった。

出版社の方針や都合はそんなに売れていない漫画家一個人で決められるものではないので致し方ないのだが。

いずれにしろ今回は初めての試みとして許される「失敗」も多々あったが、これを教訓に次回はよりステージアップしたイベントにしてみたい。

自主開催は多少金銭に余裕がないと難しい。それになにもかも自分で準備するから本業のほうが疎かになってしまう。商売として企画するならばやはり「利益」の見込める商業ベースでのイベントを目指す必要があるだろう。

そのためにはもう少し売れるものを描く必要があるのだが。

まあそれは儚き夢か。

相変わらず接待、接客が苦手という理由もあったがギャラリーで仲間内わいわいオープニングパーティー等は催さなかった。もっともそんなに人が集まるとも思わなかったし、飲食するには狭かったかもしれない(原則としてあのギャラリー内では飲食は奨められない。給湯施設もない)。

それに飲食と観賞の場はそれぞれ別であるべきというへんなポリシーがあって両立が苦手なのだ。

結局打上げもしなかったし、この辺り「自己完結」してしまったのは反省材料かも。

自主開催は人に任せられない分、自分が全て矢面に立つことになる。

辛い事やネガティブな言葉も直接受け止めねばならない。だからタフでないととてもやり遂げる事は難しい。

その分、助けになってくれる人の有り難みは骨身にしみるのだ。

普段引き蘢っていると解らない事が多い。だが世間で揉まれている「社会人」にとってこれが当たり前なのだ。

自分にとっては「非日常」の9日間だったが妙に世間に溶け込んだ気がする。


2009年5月24日

原画展9日目最終日。

いよいよ原画展最終日。

BGMは「PSY・S」を静めに流す。

開場時から多くの方に来場していただき、人の途切れる事はなかった。プログラムもこの日早々に完売してしまい購入出来なかったファンの方には大変申し訳ない。

自分はもう体力の限界に来ているらしく、毎日3〜4時間の睡眠時間しか取れなかったため受付カウンターで半分居眠り状態。睡魔と闘い接客を続けた。

18時全日程終了。

この9日間、長いようで短かった。自分にとってはまさに「非日常的」時空間であった。

来場者、スタッフの皆様にはこの場を借りて深く御礼申し上げる。

後片付けはあっという間。ギャラリースタッフIさんの手際は見事なもので展示原画が展示パネルから元の原稿入れに次々納まっていく。

自分がやっていたら丸一日掛っても終らないだろう。こういった絵を丁寧かつ迅速に扱う「作業」をマスターしている人のサポートなくしては自分の原画展示はなし得なかっただろう。まったく心強い。

売約済み原画等の発送や自分の備品返送作業がまだ残っているのであと1日ギャラリーに通う事になるが、これで暫く青山オーバルビルも見納めである。

ロビーのカフェで売っていたドーナツも美味しかった。

取りあえずお疲れさまである。

姑くは身体を休めたい。


2009年5月23日

原画展8日目。

ラスト二日の週末土曜がやってきた。

天候は晴れて暑い。

BGMはパヒュームの「ゲーム」。本当は引き続きバッハなどのクラシックにしたかったが、どうも会場備え付けのプレーヤーとの相性が悪いらしく、無難なパヒュームをリピートさせた。

午後3時位までは週末とは思えない程閑散としていた。そう言えば、JR山手線新宿渋谷間が妙に空いていた。

普段の週末は座る事が難しいのに奇妙な光景。

言うまでも無く「インフルエンザ禍」のせい。

マスクをした乗客も目立ってきた。

なんだか小松左京の『復活の日』でも似たような描写があった。違うのは重篤者が全然いないこと。つまりこれはインフルエンザ禍ではなくなにか「別の」種類のものだ。

とにもかくにも気味が悪い。お盆や暮と同じような情況が突然出現したというか。

そんな理由もあって来場者がないのかなと思っていたが15時過ぎた辺りからどっと押し寄せてきた。

漫画家仲間、大学サークル先輩、某バーマスター、コミュニティーFMのDJさんや声優さんなど一挙に訪れて下さったのであたふた対応に追われてしまう。

開場と同時に来場というのは初日に商品を獲得する目的で訪れる方以外はあまり多くない。

最初の週末とはやはり様相は違う事が分った。

金曜日に続いて18時過ぎても会場は賑わっていた。

いよいよこの原画展も明日を残すだけ。

そこで、一枚だけポストカード大水彩原画を書き下ろし原画販売を試みる。

『おたまじゃくしくんといっしょ』4作目。

黄昏時に丘の上の公園で宇宙艦隊の発進を眺めているという「宇宙戦艦ヤマト」的シチュエーション。

価格は4万5千円。前作3つは予備知識なく比較的安く設定してしまったため今回は多少値を上げてみた。

すでに最終日であり、原画購入目的のお客さんは来そうにもないので売れ残り覚悟であるが興味のある方はどうぞ。

まだ、額装もしていないので実際展示出来るか微妙なのだが。


2009年5月22日

原画展7日目。

金曜日。ウイークデーラスト。

天候は曇り時々晴れ。風がやや強い。

BGMはグレングールドのバッハピアノ曲、グレゴリオ聖歌、筋肉少女帯など。

開場備え付けのCDプレーヤーが時々CDを読み取らなくなってしまう。特にクラシックCDは止まる。

午後16時位までは閑散としていたが、17時頃からお忙しい中、クリエーターさんが続々来場。MM先生、YK先生等親睦ある漫画家諸氏に原画を観て頂く。

そろそろ図版プログラムが残り少なくなってきた。

売れ残りを避けるために適性部数発行したのだが、先行頒布したコミティアで予想より多く売れてしまい、原画展での頒布が若干足りなくなってしまったか?

毎日が眠い。

なにせ、ほぼ一人で作品制作、企画、展示、営業、販売、レジ、搬入管理、使い走りをやっている。将軍と一兵卒すべて自分が兼任して戦争遂行しているようなもので、寝ている時間がない。

一日3時間位か?そろそろ体力の限界だが最後までこの貴重な原画展を闘争し抜くのだ。

それにしても100年に一度の「恐慌」に加え、「インフルエンザ禍」真只中にイベントを開く己の「ネガティブ」才能には我ながら感心する。

人々が節約に走り、世間が「引き蘢り」を奨励しているこの時期に、敢えて普段引き蘢っている自分が率先して絵画売買イベントするなんて凄いタイミングなのだろう。

誰か誉めてほしいものである。

ぶぎゃー。

いよいよ土日を残すのみ。

とにかく解り難い場所なので写真つき案内を参照してください。


2009年5月21日

原画展6日目。

この日も蒸し暑い晴天。

きょうのBGMはバッハマタイ受難曲、PSY・S、アル・プロジェクト(以前、ファンの人が編集部経由で仕事のBGMにと贈ってくれたもの)と多彩。

片っ端からDMを配ったので親族も来る。

普段自分の漫画家活動の事など一切話さない親に己の姿を曝すのはかなり勇気がいる。それに世代が違い過ぎるので、まず漫画の世界の事など何も解らずやって来るから、ほかのお客さんに恥ずかしい。

とはいえ、これもイベントとして一興かも。

とりあえずまったりと6日目も終了。

そろそろ在庫をつくアイテムも出始めた。

帰り、渋谷の「東急のれん街」で惣菜を買う。少々高いがよい記念だ。

後3日。

よろしく。


2009年5月20日

原画展5日目。

ほぼ中日。今日は晴天で夏日。渋谷から歩くと暑い。

朝、ギャラリーに研修?に来ているアメリカ人の女性が私の原画を御覧になっていたので単行本を贈呈したら大変喜んでくれた。

おそらく母国アメリカで日本の漫画に接して日本語を学び、日本のヲタク文化に傾倒して留学した人のようだ。

水曜日にも拘わらず来客は増え続ける。水曜が休日の方も多いのか?背広姿のファンの方もいた。

来場者には記帳して頂いているのだが平日は自由業の方や学生が多いようだ。遥々遠くから足を運ばれるファンの方や締切りに追われる合間に時間を割いて来場していただける同業者の方もいて恐縮の限り。

気兼ねなく観賞いただければと、ごく親しい方以外にはお声は掛けないのだが、みなさんじっくり観賞して頂けているようでほっとする。

ギャラリー中央には大きな椅子があってイラストファイルや感想ノートを設置してある。これが有効に働いているようだ。1時間近く粘っていかれる方も多い。

きょうのBGMは筋肉少女帯、バッハ声楽曲、PSY・Sと多彩。

因に筋肉少女帯はギャラリースタッフの中にもファンがいたので敢えて持ち込んだもの。

相変わらず場所が分かりにくいとの意見が多い。

写真つき案内を参考にされると幸いです。

明日もよろしく。


2009年5月19日

原画展4日目。

昨日は迷子のサラリーマンがやってきたが、今日は空調の定期点検の業者がやってきた。オフィスビルの一角を利用したギャラリーなものだから結構平日は慌ただしい。

きょうはお手伝いもなく、一人まったり。平日は売り上げもお客さんも土日の1/10。

ギャラリースタッフのお話だと、どの作家の個展もこんなものだとか。

平日は落ち着いて閲覧出来るので長く留まるファンの方も多い。

売り上げや来客数は昨日よりも多かった。

本日のBGMも冨田勲の『ドーン・コーラス』。チェンジするタイミングを逸してしまった。

終了時間の18時まではあっという間に過ぎるが、原画展が始まったこの4日間は普段より物凄く長く感じる。まだ火曜日だ。

帰ってもいろいろ忙しく、睡眠時間は3〜4時間。普段の1/3。

だから起きて活動している時間が3倍に増えたと言う事。

それにこんなに規則正しく生活するのは25年ぶり。大学卒業して暫くバイトに出ていた時以来だ。

何だか奇妙な感覚。

明日も宜しく。


2009年5月18日

原画展3日目。

月曜日。天候は晴れ。暑い。

初めてのウイークデーなので慌ただしい土日とは対照的にまったりとしていた。

それでも開場すぐに来場して頂けたファンの方もいて有り難い。

本日のBGMは冨田勲の『ドーン・コーラス』。

このギャラリーは青山のオフィスビルの中にあるので、ウイークデーは背広姿のビジネスマンが目立つ。何を迷ったのか一人の会社員が間違えて入場しようとして慌てて戻っていった。

この日は学生時代の腐れ縁の後輩とその友人が支援に駆け付けてくれた。2人とも「桑沢デザイン研究所」出身なのだが訳あってデザインの仕事には就いていない。

来客も落ち着いていたので世間話やエヴァンゲリオン談義で過す。

さて、頒布商品なのだが、水彩原画が売れてしまったので新たに手描き肉筆頒布商品を増やしてみた。

詳しくは特設ページを見て頂きたい。

様々な関係者から「原画販売価格設定が安すぎる。倍でも売れるよ」と告げられてしまった。

原画の「適性価格」などあって無いようなもの。作家各々で価格帯はまったくバラバラだそうである。

今回の原画価格は自分で納得済みだったので後悔はしていない。

ただ、この原画展はほぼ全て実費で賄っているので出来るだけ赤字は縮小しなければならない。青山という一等地にあるギャラリーを借りているので場所代だけでも負担は大きい。だがプロである以上、多少なりとも利益を出す努力はするのは当たり前。

自分の実力に見合った価格設定と利益を追求するプロ意識のせめぎ合いは辛いものがある。

暫くして、このギャラリーでよくアートショーを開催するT先生がやってきた。ギャラリースタッフとの打ち合わせらしかったが、私をスタッフの誰かと間違えて話し掛けてきた。

私が現アートショーの主催者兼作家と知ると「作家自身が受け付けやっているとは思わなかった」と言われてしまった。

売れっ子作家さんから見れば本人の展示会などはギャラリーや出版社任せになろうが、自分が主催するとなるとそうもいかないのです(汗)。

ただ、T先生も多忙ながらもちゃんと私の原画を見て感想も述べて頂けたので実に有り難い。

終了後、お手伝い2人と近くのファミレスへ。

ふと、近くの席に異様に洗練されたオシャレ大学生グループがいるのに気が付いた。何だかトレンディ−ドラマ(死語)に出てくるようなハイソな集団だ。

最初は不思議だったが知人の一言で納得。

「ああ、青山学院大学の学生ですよ」

改めてとんでもないところで原画展を開いている事に吃驚する自分であった。

また明日もよろしく。

因に影男オブジェは現在こんな感じ。


2009年5月17日

最初の週末を乗り切る

原画展二日目の日曜日。生憎の天気であったがなんとか本降りの雨は避けられた。

朝から続々とお客さんが来られる。有り難い事だ。

接客や会計も少しづつ慣れてきて初日のようなミスは激減した。

14時頃にはH.A先生も御訪問承り恐縮の極み。敢えて声などは掛けなかったのでゆっくり御覧になれたかも知れない。

感想ノートにもイラストを残して頂き嬉しい限り。

また、20年ぶり位に会う旧友や、家族連れ、ラジオ関係の知人、お子さん連れのお知り合いにも来て頂けた。

この感覚は同人イベントとは違う「より開かれた自己表現」として新鮮であった。

影男のオブジェと記念撮影する方もいる。ギャラリー内の作品撮影は原則禁止だが影男との記念撮影は許可を取っていただければ問題ないことにした。

因にギャラリー内のBGMは自分が決められるのでこの日は冨田勲シンセサイザー曲の「ダフニスとクロエ」を流す。

初日は同じトミタの「月の光」だった。

まだ1週間あるので是非お越しを。


2009年5月16日

いよいよ原画展『絶望廃墟要塞2009』の初日がやってきた。

前日、知人のクリエーター2人とギャラリースタッフの協力によってあっという間に設営が完了。

前々日から様々な準備で徹夜状態だったがランニングハイのような情況で何とか乗り切る。

この30年間、描き溜めた原画に囲まれるというのは作者本人も初めての経験だったのでなんとも言えない感覚だ。

そう、本当に奇妙だ。

部屋の中で悶々と妄想を具現化したものが一つの空間に曝されるというのは、なにか出産にも似た感覚。

これまでは本人と編集者位しか目にしなかった生々しい線の洪水が、この空間にいっぺんに配置される。

はたしてどれだけの人がこの妄想絵巻に興味を示し、来場してもらえるのか?

そして16日、正午開場。

すでに何人かの方が開場前より来られていた。この時間帯は自分一人で接客。ギャラリースタッフの方一人がサポートしてくれたがまだまだ準備不足の部分も多く、金銭のやり取りで躓く。

同人イベントで多少は経験あってもギャラリーとなると勝手が違う。

あれもこれも足らないでお客さまには迷惑をかけてしまった。

それでも、高価な原画やジクレ版画に次々と買い手がつき、早い段階で水彩画は完売となった。

前日まで値を付けるのに悩み、売れ残り覚悟で挑んだがとても有り難い事である。

この場を借りて、お買い上げ下さったファンの方に御礼申し上げる。

13時回って売り子さんが支援にやってきてやっと一息。

来場者の方はみなさんじっくりと原画を見て頂けているようで多少は安堵する。

中学校時代の幼馴染みや花を贈って頂けた同人仲間、また昔の自分の絶版商業誌を持ってきてくれたファンの方々には感謝の念でいっぱいである。

ネガティブ思考が凝り固まった自分にとっては何ともこそばゆい感じであるが、それが「人との繋がり」とはなんぞやという答の一つであろう。

しかしまだ原画展は始まったばかり。

諸々の失敗や行き違いは未だにぞろぞろ発生している。普段やり慣れない事を無理矢理自分に課しているから尽く失敗が発生し、自分では手に負えない事も多い。特に人間同士の関係に事細かく気を使わねばいけないが、社交性ゼロに近い自分がどこまで耐えられるか恐怖は尽きない。

失敗は誰もが犯す事で、それに如何に対処するかが世間を生きる術なのだろう。

24日まで開催中であるから、まあどんなものか覗きに来てほしい。また会場のルートが分かりにくいので写真つき案内を作ってみたので参照してほしい。


2009年5月15日

原画展いよいよ明日開催!

詳しくは原画展特設ページを参照願います。

Z旗を掲げお待ちしております。

影男は既に来場中!


2009年5月14日

原画展特設ページ開設

原画展もいよいよ今週土曜日より始まる。

正直どうなるか全く予想がつかないまま、真っ暗な道をひたすら走っている感じ。頒布用のポストカード版下ミスや行き違いもあったりしてバタバタしながらも否応無しに予定日がやってくる。

特設ページを作った。まだ頒布アイテムの価格が未定なものもあるが多少の参考にはなるかも。

ギャラリーでも告知して頂いているのでチェックしてほしい。

宜しくの程を


2009年5月8日

台湾版『晴れた日に絶望が見える』

知り合いが先日、台湾旅行の折に台北アニメイトで買ってきた台湾版『晴れた日に絶望が見える』。

幻冬舎コミックスとライセンス契約している長鴻出版社のもの。

印税は入っていたのだが現物の入手は日本では難しいので知り合いに購入をお願いしておいた。カラーページは若干くすんでいて今一つの印刷だったが本文ページはそれ程の劣化はなく許容出来る範囲に仕上がっている。

なにより全文、台湾の現地語に訳されているのが興味深い。

にしても靖国神社のシーンとか大丈夫かな?

台北アニメイトに平積み中。


2009年5月6日

いろいろ御礼

5月5日のコミティアではたくさんの御訪問を戴き、この場を借りて感謝申し上げる。

またもろもろ当スペースにて売り子その他お手伝い頂けた知人各位にも御礼申し上げる。

この日はうっかり原画展のDMを忘れてしまい一旦ビッグサイトから自宅に戻るという大きなロスをしてしまったため開場からお昼過ぎまでスペースを留守にしてしまった。その間やむなく売り子さんにスペースを預ける。

5月のコミティアは一年中で最も盛況で売り上げも大きい。ある程度それを見越して普段より多めに搬入したのだがそれでも早々に売り切れてしまったアイテムが出てしまい御迷惑をかけてしまった事をお詫びする。

搬入数のさじ加減はなかなか難しい。

午後からは雨も降り出す生憎の天候。最近のコミティアは雨に祟られる事が多いような気もする。

翌日、6日は別名義ペンネームでの18禁イベントに参加。この手のジャンルは初めてだったが比較的コミティアでもお会いする参加者が多かった。

小規模イベントは人の流れが極端で独特のパターンがあるように見受けられる。殆どの一般参加者は事前にお目当てのサークルをチェックして購入を済ますとすぐに会場を後にするらしく昼前にピークが終ってしまう感じ。じっくり会場全体を廻る参加者は少ないようだった。

それでも搬入分の8割程は頒布出来たので初参加にしては上出来か。

6日も午後から本降りの雨。二日続きのイベントサークル参加は体力を消耗するのでかなりくたくたになる。

夜、脱力感で惚けながらテレビをザッピングしているとMXテレビで『パンダコパンダ雨降りサーカス』を放送していた。

頭の中で「パンダコパンダ」の曲が何回も響いた。


2009年5月 2日

いろいろ告知

原画展もあと半月、GWが挟まれているからあまり余裕もないが少しづつ準備は整いつつある。

ポストカード8種の入稿完了。原画展で販売予定のジクレー版画も仕上がってきた。一点売りの作品なのではたしてどうなるか。

原画展告知の方も4月30日売り幻冬舎「月刊コミックバーズ」や5月8日発売太田出版エロティクスFに掲載してもらっている。

因に「エロティクスF」には新作イラストが掲載。トップページを参照。

またGW中の5/5に開かれるCOMITIA88には原画展の図版カタログも先行頒布予定。DMもあわせて配布予定であるので宜しくの程を。

明細は最新情報を参照願いたい。


2009年5月 1日

過剰反応馬鹿国家日本

こんなインチキみたいな「伝染病騒ぎ」に本気で振り回される「過剰反応馬鹿」にはなりたくないと常々思う日々。。

数年前の5月、酷い咳に悩まされた事があった。咳は一ヶ月も続き「ただの風邪ではない」と不安になった。

病名もよくわからぬまま自然治癒したが、今でもあれは尋常ではない病原菌の仕業ではないかと疑っている。

ただのアレルギーだったかも知れないが本当の原因など解らぬまま。

そんな呼吸器系疾患は年がら年中あらいる人が罹っているわけで、流行性インフルエンザでも年間何万人もの死者が出ていると言われている。

それがニュースにならないのは交通事故と同じく「ありふれた死」だから。

インフルエンザでの死はだからごくごく「ありふれた事象」に過ぎないのだ。

ではなぜ今騒ぐのか?

報道では豚とか鳥とかを介して毒性の強い新型のインフルエンザが突然変異して人に移って致命的大流行を起こす危険があるからだという。
ではそんな突然変異は今までなかったのか?

否。

スペイン風邪とかで大流行した時は人がたくさん死んだという。

だが別にあの時の流行も予め予測してから大流行したなんて話は聞かない。

当たり前だ。

インフルエンザが「これから毒性が強い奴を流行らすんでよろしく」なんて言う筈もなかろう。

そんなものは予測不可能だし、大地震と同じでいつ起きるかなんて誰にもわからない。

インフルエンザは日々変異を繰り返しているから何が安全で何が危険だなんて予測など付く訳もなかろう。

それに人の体質も千差万別なのだから一様にウイルスに犯され重篤になる訳でもない。

そんな「予測不可能」なインフルエンザの大流行をさも「これから流行りますよ。全員うつりますよ。みんな死にますよ」のごとく騒ぎ立てる昨今の状況は滑稽ですらある。

胡散臭い「大地震予言」のペテン妄言と大して変わらない。

なんだ?パンデミックって?そんなにありがたい言葉か?「大流行」と言えばいいものを変にカタカナにすると何かご利益でもあるか?

厚生大臣よろしく深夜に記者会見して「スワ!新型インフルエンザ患者発見か!」と騒ぎ立てる様はどこか狂っている。

今の今まで交通事故死をスルーしていたのに、いきなりこれからは一人事故死する度に緊急記者会見するがごとき異常さだ。

感染者が確認されたらイベント中止だとか外出自粛だとかペストのごとき過剰反応のほうがインフルエンザ疾患よりも恐ろしい「伝染病」に思えて仕方ない。

昨今、北朝鮮のミサイルや某タレントの痴話騒ぎに日本中ひっくり返るような過剰反応しているがこっちのほうがよっぽど危険な「病気」だ。。

たかが痴漢ごときに人民裁判のごとく鬼の首を獲ったかのように一個人を社会的に抹殺することさえ厭わない異常さはいったい何処から来た?

このほうがよっぽど怖い。

恰も過剰な免疫反応でばたばた死んでいったスペイン風邪と同じではないか?

防疫すべきなのはインフルエンザではなく、科学的根拠なき世迷言に異常反応する集団ヒステリーであろう。

マスコミや行政はインフルエンザも痴漢並みに「重罪」にしないと気がすまないらしい。

A型B型香港型ソ連型と列挙して「何某型」は危険だが「なんとか型」は安全だとか喚いているが何の根拠があるんだ?

そんなシンプルな構図で伝染病が流行るのなら毎年人類はとっくに絶滅しているだろう。

何十億年の生命進化の中で生物は気が遠くなるような複雑な多様性を獲得しこの地上に繁栄し続けている。

単純な一形式のインフルエンザで人類すべてが脅威に晒されるなんて現実にはありえない。

むしろ変質したインフルエンザを受け入れることによって己の抵抗力や免疫を高める効果があろう。

メディアはそれを伝えるべきであって、まるで「無菌室に逃げ込め」のごとき世迷言をばら撒く愚行は直ちにやめるべきだ。

そもそも鳥インフルエンザやらサーズやらを殊更危険視して「防疫の準備を怠るな!」なんて騒ぎ出したのはつい最近のこと。

太古の昔からそんなインフルエンザ変異などいくらでも繰り返されてきたのに何で今になって急に危険視するのだ?

誰かが恣意的に危険を煽っているとしか思えない。

幾ら空港で防疫しようがマスクしようがインフルエンザは何処にだって侵入してくる。

元々人に宿ることを常にするインフルエンザが一夜にして敵対関係に成る訳なかろう。

そんなことが出来るのは神様だけだ。

いつからインフルエンザでの死が特別になったのだ?

どう考えたってインフルエンザを出汁にしているに過ぎないではないか。

みんな気が狂っているんじゃないか?

遅かれ早かれ日本にもその「新インフルエンザ」患者は見つかるだろう。

気の毒にその「患者」は普段であればただの風邪で終わったはずなのに黒死病患者のごとく扱われ人生を狂わされるのだ。そして親類縁者みな隔離され、自宅近所は焼き払われるかもしれない。

たかが「風邪」でね。

そのうち咳ひとつでもすれば保健所に密告され隔離病棟に放り込まれるようになろう。

たかが「風邪」で。

そのうち人々は気が付くのだ。

インフルエンザごときでなんで身柄を拘束されなければいけないのだと?。

むしろこの騒動は人から行動の自由を奪うために考え出された口実ではないかってね。

だが、気づいた時には遅すぎるのだ。

数年前、酷い咳が続いたとき、自分の周辺でも似たような症状の人がいた。

百日咳が流行しているかもしれなかったが真偽の程は解らない。

しかし何だか得体の知れない恐怖を感じ取ったことは確かだ。

「何かがある」と。

しかしマスコミは何一つ「流行り病」のことは伝えなかった。

この身で感じる現実と、メディアが流布する「現実」が年を追うごとにどんどん離反していく。

自分は己の五感で嘘と現実を嗅ぎ分けねばならぬと最近強く思うようになった。

だから天気や地震など自分の感覚で確認できる事象以外のマスコミ報道は基本的に信用していない。

その最たるものがこの「新型インフルエンザ騒ぎ」だ。

ここまで胡散臭く、且つ大規模で悪質な茶番はそう多くはあるまい。

インフルエンザで死ぬことを心配するならばこのデマに巻き込まれてパニックで死ぬことを警戒したほうがよい。

それが懸命な人間の選択する道だ。

マスクもいらないし薬もいらない。

必要なのはこのデマを無視すること。

愚か者にならないための必須条件だ。

さあ!GW後半は思いっきり外出するぞ!

普段引きこもりを「人非人」扱いしているマスコミが引きこもりを奨励するようなデマを流している今こそ逆に外で活動してやろう。

そして思いっきり横浜で成田で羽田で深呼吸だ!

新型インフルエンザ君!僕は君と友達だ。嫌われ者同士仲良くしようよお!

2009年4月 28日

胡散臭い「新型インフルエンザ」

「100年に一度の恐慌」と散々不安を煽った挙句に今度は「新型インフルエンザ」ですか。

ゴールデンウイークがこれからだというのに新たな風評被害でますます消費は落ち込むのは目に見えているのに何を考えているのだか。

こんなもの百害あって一利なし。

煽られる側にとってはいい迷惑だ。

大体、本当に致命的な伝染病だったのならば、もっと状況は特殊な事例になっているはず。

インフルエンザで何人死亡と伝えられても、その死亡は従来普遍的に存在する平均的な死者数と本当に極端に違うのかどうかも疑わしい。

ひとつの都市が数日にして壊滅するような状況なら解るがどうもそんなレベルでもないらしい。

もし実際にそんな「致命的伝染病」が発生しているならば、おそらく逆に当局は最後まで隠匿するだろう。報道なんかいっさいされない。

公表したところで何がどうなるものでもないからね。精々パニックを引き起こすぐらい。

あるいは、本当に致命的状況になるまで誰も気が付かないままだろう。

小松左京の小説「復活の日」みたいにね。

そもそもインフルエンザなど突然変異するのが当たり前な生命体なんだから今更騒ぐような事か。

豚とか鳥とか、そんなのインフルエンザの勝手なんだから好きにさせときゃいい。

むしろ日常茶飯事にありとあらゆるタイプのインフルエンザは日々流行していて人間はそれに抗体を作りつつ進化し続けているのだ。

そもそも自分の宿主を壊滅させるインフルエンザなんているか。

むしろヒトを適正な数に保つ役割を背負っているかもしれないから人類はインフルエンザに感謝すべきなのだ。

地球生命史の普遍的なルーチンに過ぎぬ事を殊更煽るのはおかしい。

ではなぜ煽るのかといえば他に目的があるからだろう。

大抵は既得権者が暴利を貪るときとか敵を追い落とすために使う常套手段だ。

恣意的な煽りで無垢な一般人を生贄に祭り上げる儀式を行い、その司祭として民から財産を吸い上げる算段だ。

やってることは中世の魔女狩りと同じ。

教会がマスコミに変わっただけ。

「100年に1度の金融恐慌」も「豚インフルエンザ」も真に受けた者が酷い目にあう。

こんなものは無視するのが一番だ。

もしこれが禍というのならばその報道自体が新型の「デマ禍」だ。本当に知るべきこと伝えるべきことは他にたくさんある。

年間3万人の自殺者や少子高齢化という「現実の危機」はどうした?

既得権者にとっては儲け話にならないからスルーか?

まあそんなところであろう。

生き残りたければこんなデマに煽られないことだ。

真実は自分で探し出す時代。信用できるのは自分の目と耳だけだ。己で真実を見極める知力だ。

もしかするとメキシコに永遠の生命を維持する泉が発見されたのかも。

アステカ帝国の神殿奥深くに隠された謎の発掘戦艦がいよいよ起動するのだ!

ノアの方舟発見か?

それを独り占めにしたい既得権者が他の人間を近づかせないために流したデマかもしれない。

むしろ今、メキシコに行った者が「人類の勝ち組」に成れるかも。

そうだ!ゴールデンウイークはメキシコに行こう!


2009年4月 27日

快晴の新緑萌える

原画展のプログラム(図版)を入稿するためR印刷へ。以前は京王線中河原駅から徒歩20分近くかかったが先月南武線に最寄の駅が出来、徒歩5分の近さとなった。

入稿を終えると、同じ南武線沿線にある版画工房へ。

原画展で頒布するジクレー版画に試し刷りをチェック。なかなか良い出来。

この日は午前中、冬晴れのような快晴。季節が新緑眩しい上に日光が高いので不思議な感覚だ。

春から初夏へはだんだん大気の湿気が増えて視界が悪くなる季節なのだが大気が澄み切った状態で新緑のシーズンを迎えると正に風景が「萌え」て見える。

街や電車内は新年度始まりなので若い学生が目立つ。

夕方、吉祥寺駅周辺は新歓コンパの学生たちでごった返していた。未だこの日本には若年層がこれだけ存在するのかと意外な気がする。

二十歳前、自分が大学のサークルに入ったばかりの頃を思い出す。

新緑に萌えていた八王子奥地の大学中庭でぼうっと空を見上げていた。きらきら光る4発の旅客機が紺碧の成層圏をゆっくりと動いていた。

そして漫画を描き始めたのだ。

あれから30年以上。

まだ自分は生きている。

この駅周辺に集まっている学生たちも30年後の己の人生を決定付ける体験とか出会いとかあるのだろうか?

ふと、タイムスリップしてその30年前の新入生歓迎コンパの場に飛んだとしたらと妄想する。

そして待ち合わせしている自分を眺めてこう呟く。

「30年後にお前はこんなふうになるのだ。妻も子供も経済力もない哀れな50歳にね」

すると30年前の自分はこちらを見てこう思うだろう。

「気味の悪い中年男がいる。嗚呼あんなふうになりたくないなあ」

そう、30年前、たしかそんな人影を見たような気がする。

そうか!あれは自分の30年後だったのか。

今気が付いた。

うぎゃー。


2009年4月 24日

吾妻ひでお先生の日記

25年近く昔から付き合いのある「漫画の手帖」藤本編集長からいただいたメールで知ったのだが、どうやら漫画家の吾妻ひでお先生が私の作品を気に入って下さったらしく、公式日記にもその記事が載っていた。(1ページ目と11ページ目)

藤本氏が私の同人誌を吾妻ひでお先生に送ったのがきっかけのようだ。

「雲の上」の存在のようなメジャー漫画家の方が私の描いたキャラクターを模写しているという事実だけでもビックリ。

模写していただいた絵は去年の冬コミ新刊「大泉学園妄想花嫁」に出てきた女の子。ついでに影男も描いて下さっている。

恐縮の極み。

昔、「プチアップルパイ」という季刊誌で仕事していた時に吾妻ひでお先生の『ぶらっとバニー』が掲載されていたのを思い出す。

いや、それにもまして『ふたりと5人』『エイトビート』である。週刊少年チャンピオン黄金期の大漫画家氏に模写していただけるとはなんとも不思議な感覚。

ありがたいことである。


2009年4月 22日

マイクロマガジン社刊『マンガ論争勃発2』

初刊につづき新刊のカバーイラストも担当させて頂きましたマイクロマガジン社刊『マンガ論争勃発2』がやっと発刊される。

編・著 永山薫・昼間たかし  カバーイラスト/あびゅうきょ

協 力 コミックマーケット準備会

全国同人誌即売会連絡会

定 価 1,500円(本体1,429円+税5%)発行日 2009/5/1

判型/頁数 A5判 /224ページ

依頼を受けて描いたのが昨年の10月頃だったろうか。著者の永山薫・昼間たかし両氏がじっくりと練り上げて取材に時間をかけたため発刊が延びてしまったようだ。

先日見本が送られてきたのだが、やはり紙の媒体として一冊の本にまとめられると分かりやすい。

ネット上の渾沌とした言葉の氾濫から事の本質を見極めるためには欠かせない必読書。

カバーイラスト共々よろしくお願いの程を。


2009年4月 16日

原画展まで1ヶ月

いよいよあと1ヶ月である。

先日、原画展に展示する原稿を最終的に選択。全部で70枚程になろうか。

時系列順に学生時代の原稿から最近の商業原稿まで約30年分の中から70点を選ぶ。厳選しないとキリがない。結構大変である。

また図版目録も製作中。

更には複製原画としてジクレー版画工房に版画制作を依頼する。

ジクレー版画は近年注目を浴びている複製技法。試験的に1点制作を試みることにした。

そろそろ知り合い関係にDMも発送しなければならない。

本格的な準備はこれからである。


2009年4月 13日

原画展までそろそろ1ヶ月

あと1ヶ月と迫った自分の原画展。

今の所、「とらのあな」「まんだらけ」の首都圏各店鋪にDMを置かせて戴いている位だが、今後各媒体で告知活動展開予定である。

そのためにいろいろ慣れない交渉事とか連絡に追われて普段自分のペースではない日々。

いつもなら部屋の中で悶々と原稿を描いているだけで、そのうち下らない妄言が浮んでこの日記に記したりするのだがその暇もない。

かといって自主開催の原画展雑務は直接お金になる訳ではないからまさしく「貧乏暇なし」状態。

告知から作品展示構成から頒布用製品制作まで何から何まで全部自分がやるしかない。

それもみんな苦手な分野ばかりだから効率も悪くまったく作業が進まない。

つくづくダメである。

漫画もアシスタントが使えないから一人で描くしかない。

原画展などの自主企画も人に手伝ってもらうノウハウが解らないから結局自分一人で手配するしかない。

この逆も然りで人の原稿を手伝う事も出来ないし、人の企画を手伝う自信もない。

普段から独り籠っている生活だから仕方ないといえばそれまでなのだ。

他者を介在させて何かを為す事が本当にダメだ。

自分は組織の中で仕事をする能力が絶対的に欠けている。

それでも好意的に原画展告知に協力して下さる方がたくさんいらっしゃるので感謝の極みである。

この場を借りて御礼申し上げる。

とにかくネガティブな事をダラダラ垂れる暇もなくなってきた。

あと1ヶ月と少し。ゴールデンウイークは準備で忙殺されそうである。


2009年4月 11日

朝の連続ドラマ『つばさ』

コミュニティーFMや西武鉄道安比奈線が舞台となるドラマゆえ、ちょっと興味がある新シリーズ。

いつもしかめっ面の主人公女子とどうやら鉄ちゃんらしい変な声の弟が気になるが、全体の雰囲気としては70年代の破天荒な民放ドタバタ生ドラマの劣化コピーのような作り。

何だか見ていて気の毒になる。

高度成長期の「元気さ」を無理矢理この時代に再現しようとも、所詮シミュレートの域を出ない。もはや時代のエネルギーが冷め切っている2009年では墓場で宴会芸を見せられているようなもの。

時代にはそれぞれにシンクロするうねりというものがあって、それに合わせてこそ大衆ドラマが成立するのだ。

今どき、朝っぱらから空元気見せられても苦痛以外の何ものでもない。

1970年代の「元気」は今の時代には通用しない。

だから自分がシナリオを作るとしたらこうだ。

主人公の女の子はコミュニティーFMで突如神からのお告げを受ける。迷える独身ニート男子リスナーはその神のお告げを信じて放送局に集い彼女を教祖化して「聖母熊谷電波教会」を設立する。

彼女は練炭や塩素ガスを市内に無料配布するボランティア活動に乗り出し「いらない人間」をこの世の苦行から解放していく。

お陰で熊谷市の財政負担は減って、彼女は一般市民からも「神の降臨だ」と崇められ初代熊谷王国神官巫女王に即位する。

弟は姉に命じられ入間川岸に巨大な火葬場を建設。西武鉄道安比奈線を火葬専用線「安比奈火葬鉄道」として復活させて全国から自殺者の遺骸を輸送させる任務につく。

実家の和菓子屋も葬儀用贈答菓子製造で潤い、遂には皇室御用達にまで上り詰める。

英樹も感激。巨万の富を築いた西条英樹は東条英機と改名。熊谷王国初代宰相に上り詰める。

遂に熊谷コミュニティーFMは出力1万キロワットに増力。かつてのモスクワ放送を凌駕するまでになり巫女王の「神の声」は全世界規模にまで広がる。

如何であろう。

実際のストーリーも「女の子が伝説のDJとなって実家の和菓子屋を救う」とあるので強ちこのシナリオも間違ってはいまい。

『つばさ』の今後が楽しみである。


2009年4月 2日

花見

今年は先月末に開花宣言してから急に寒くなったため、いつまで経っても2,3部咲きで昨年のように綺麗に咲きそろわない。

だから何だかフケみたいで汚い咲き方だ。

とはいえ、例年のごとくお花見だけはもう3回も行った。

付き合い事は苦手なのに何故か花見だけは嫌いではない。主賓が天然の桜だからかもしれない。

先週の土曜日は花見の掛け持ちだった。

昼は同人の知り合いと新宿御苑。夜はラジオ関連の知人と中浦和の公園。

そして今週は学生時代のサークルの腐れ縁と井の頭公園。

いずれも寒くて暖を取りつつの花見。

井の頭公園周辺は女子大も多く、昼は女性グループが多く居た。

その中で40代後半独身男3人がもさもさと平日の昼間にレジャーシートで宴など、一歩間違えばホームレスと変わらない。

出てくる話題も4半世紀前在籍していたサークル同輩の消息位のもの。

すでに息子娘が大学生になっているのもいる。つまり、周りで宴に興じる二十歳前後の若人を養っているということ。

逆に観れば父親と同じ年齢の大の男が平日昼真っから花見をしているのである。

なんと惨めなことか。

それを察したのか周りの若人は我々3人から心なし距離を置いているようだ。

アルコールがかなり回った頃、同席していた独身ニートTがいきなり隣の女子大生グループに声をかけ始めた。

勿論、女子大生たちはこちらを「汚物集団」と認識していたので、声をかけられても完全無視。そしてそそくさと撤収していった。

恥の上塗りとはこういうことである。

ただでさえ「塵」扱いされているというのにその「塵」から声を掛けられた訳で女子大生からすれば屈辱的な辱めを受けたに等しい。

こっちまで巻き添えのなるのは御免こうむりたかったので、Tに対し「変質行為は一人の時にやってくれ」と諭したが聞く耳は持たない。

Tは言う。

「今頃、あの女子大生たちは俺たちの事をキモイキモイと噂しているに違いない。俺たちは女子大生の日常における話題のひとつを提供し存在意義を示したのだ。キモイと言われてウレシー!!」

結局、50近くになる独身ニートにとって桜の宴ですることといえばそんな自虐的迷惑行為位のもの。

頭にきたのでいっそやるのなら全裸になって女子大生グループに飛び込んで失禁せよとアドバイスしたが、そこまでの勇気はないらしい。

今頃、娘息子のために働いている同輩と比べ、何とみっともない人生か。

この辺りにも「格差社会」が見え隠れする。

折りしも新年度で新入社員の話題がテレビラジオから聞かれるが、自分たちの世代では大学卒業後、就職するのが当たり前だった。

「通過儀礼」が明確だったので卒業後就職と同時に人が変わったように「会社人間」となった者もまだ多かった。というよりそれが当たり前の時代。

でも多分、今の新卒者にとっては卒業即「会社人間」にはならないのだろうな。

会社に入ったらゲームもネットもアイポッドも私用携帯も尽く捨てて会社のためにすべてを捧げるなんて若者は恐らくいない。終身雇用が終焉した時代に会社に身を捧ぐなんて発想自体なかろう。

「100年に一度」の金融危機なんて経営者やマスコミは騒ぐけれど、だから会社にご奉仕しなければ生きていけないなんて思っておる大卒者も居ないはず。

結局自由な時間を捨てなくともソコソコ生きてはいけるから就職結婚子育てなんていう「通過儀礼」はなくなったのだ。

だからフレッシュマン諸君は入社式でさも悟ったように「100年に1度の金融危機」云々垂れる経営者にこういってやればよい。

「無能な経営者だから大損したんだろ。このスットコドッコイ!俺たちは若い!お前は100年に一度というが、100年生きたのか?いい加減なこと言うな。マヌケ!」

これで内定取り消されても大したことはないのだ。今の時代ではね。

1970年代オイルショックの頃は危機に対応しなけりゃ将来がない訳だからみんな必死になってトイレットペーパーやらネオンサイン消灯に躍起になったものだが、この「金融危機」では下々の者は至って冷静というか、もう諦め切っているから誰も慌てない。
慌てたところでどうせ将来の夢など叶わず、終身雇用、結婚、出産なんていう「安定した中流家庭」など遥か過去の夢。

ならば慌てず騒がずじっとしているほうが賢いのだ。

「100年に一度」なんて騒いでいる連中は一握りの金融ゲーマーの口車に乗って大損を食らった無能な財界人がその損失のつけを下々の懐から取り戻そうと躍起になっているだけ。

そんな企みにまんまと騙されるほど人々は間抜けではなくなった。

車ももう豊かさの必須アイテムではない。いらないものはいらないのだ。

なくては生きていけない時代でもない。だからデジタルテレビは普及しない。

改変期、地上波テレビにチャンネルを合わしてみると何処もかしこも4半世紀前のドリフターズやお笑いバラエティーをリピートして放送している。

今やもう新しい創造をテレビに望めなくなったのはこれを観ても明らか。

結局、希望は過去にあって、未来はただ衰退だけだから「希望」のあった過去の遺物に頼るしかないのだ。

過去を振り返ることが唯一の希望ならば、もう誰も未来を見ない。

胡散臭い「金融危機」も実際ありもしない「未来の金脈」を追い求めたからで、そんなのものは最初から幻だったのである。

新たな価値観が生まれない限りジリ貧は続く。

少子高齢化、自殺者年間3万人以上の世の中だ。

そんな時代に旧態依然とした既得権益者だけが得をする「欧米金融システム」に乗っかったから馬鹿をみた。

この現状で「会社人間」になることは自殺行為に等しい。

釈迦力になったところで既得権者に搾るだけ搾り出されて捨てられるのがオチだろう。

だからみんな諦めに近い冷静さを保てるのである。

今は「深く静かに潜航」する者が賢い。

財界人や無能政治家がメディアを通して流布する世迷言を信じることは身を滅ぼすのと同意語だ。

既成概念を超越した「何か」が動き出すまでじっとしていればよろしい。

北朝鮮のロケットに右往左往する日本の「小者」ぶりはなんと愚かしいことか。

パトリオット配備など大っぴらに公表してどうする?軍事常識的に考えてありえない。ピクニックのつもりか?

ただのデモストレーションならばやっていることは北朝鮮と同レベルだ。

そのうち、世界情勢が変わってオセロみたいに国際社会で孤立するのは日本の方になることだって考えられる。

あんなの放っておけばよい。本当に脅威と思うならイスラエルがイラクの原子炉を空爆したように先制攻撃すればよい事。

自国を自分の力で守れないからみっともないデモストレーションを始めてしまうのだ。

何もかも惨めったらしくて辟易する。

もっとも「高度経済衰退期」に入った日本に期待すること自体間違っているのだが。


アルコールもなくなったので40代独身ニート男3人は花見を終え、とぼとぼ吉祥寺駅に向かう。

周りは20代前後の若者で溢れている。彼らにはとりあえず「若さ」という武器がある。

だが、妻も子も経済力もない50近くになろうとする独身ニートに、残された人生を生き抜く方策はあるのだろうか?

くだらない戯言をぶつぶつ垂れる事位は出来るかもしれない。

しかし身体が動かなくなった時が最期だ。

もはや、面倒見てくれる人も介護人を雇うことも出来ぬ独身ニートに残された道はない。

2009年の桜は貧相だ。

その貧相さが己の人生の合わせ鏡のように感じて恐怖が襲う。

あと何年、桜を見ることが出来るだろうか。

恐ろしい。


2009年4月 1日

エヴァンゲリヲンの続き映画

新作エヴァの映画が6月に公開されるそうだ。

なんかプロモーションフィルムが公開されていたから観た。

噂だと従来のエヴァにはないキャラクターやストーリー展開があるそうだ。アスカも「そうりゅう」ではなく「しきなみ」というファーストネームに。

調べてみると「しきなみ」は帝国海軍駆逐艦「綾波」の同型艦の名だった。

前回の映画はTV版にほぼ忠実だったので方針が変わったのだろうか?

というより、庵野氏も本音では新作が作りたいのかも。

とはいえ、諸々の事情があってそうもいかないのかもしれない。

従来のエヴァの世界観の呪縛のなかでどう料理するのだろうか?

あまりに破綻させると「エヴァ」ではなくなってしまうし、かといって焼き直しのレベルでは新鮮味に欠けるし。

それはさておき、1995年の初放映から13年だ。

あれから13年も経ってしまったというのにまだ取り合えず生き延びている自分。

世界は破綻しつつあり、絶望の扉を見たというのにまだ続いている世界。

このまま放っておいても「これでいいのだ」世界の中でぬるま湯に浸かって生き恥を晒すのも一興なのか?

だが、前売り券を買うために並ぶ元気はもうない。というかお金がない。

ところで1974年「宇宙戦艦ヤマト」、1979年「機動戦士ガンダム」、1995年「新世紀エヴァンゲリオン」という3大テレビアニメ革命に次ぐ作品は来るのだろうか?

いや、その媒体としての地上波テレビが崩壊の一途を辿っている現状では、それを望むのは無理か?

これからはこの3大アニメをネット上で永遠にリメイクして反芻するだけの時代が来るのかも。

そしてその視聴者は皆高齢者。

辛い。


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