2009年1月・2月・3月


2009年3月 18日

近況。

3月20日(祝日)に都立産業貿易センター浜松町館 2F で開かれる航空宇宙系 同人誌即売会 東京とびもの学会に参加。

時間は11:00〜16:00。

また京都国際漫画ミュージアム「杉浦茂101年祭展」のトリビュートイラストコーナーにイラスト(148×100mm)を出展。

京都近郊で興味ある方は足を運ばれては如何がか。


2009年3月 17日

「NHK青春ラジカセ」

最近、NHKFMに「NHK青春ラジカセ」というコンテンツが出来た。

1980年代以前の放送番組録音テープをリスナーから送ってもらい、デジタルアーカイブス化する企画らしい。

要するにその頃の番組媒体が局内に残されていないから、やむなくリスナーのエアチェックしていたアナログカセットテープに頼っているということだろう。

楽曲の類ならば、後日CD化されたりしてかなりの年月が経った後でも購入することは可能だが、ラジオ番組などは権利関係が複雑に絡んで商品化が難しく、リアルタイムで録音していない限り後年になって再び聞くことは困難に近い。

特に音声記録自体が局に残っていない場合は尚更だ。

自分の家にも1980年代のラジオ番組エアチェックテープがいくつか残っているが、たまに聴くとタイムスリップしたようにあの頃の情景が甦ってくる。

無編集テープで何気なくCMとかジングルとかニュースとか交通情報なんかが残っていると尚よろしい。

放送内容だけでなく、イントネーションや雰囲気、そしてノイズや混信さえも貴重なアーカイブスとなってくれる。

特に1980年代はNHKFM,東京FMともよくBGMにしていたので、今聞き返すと何ともいえない「心地よさ」に包まれる。

当時、「成田フライトインフォメーション」という国際便フライト情報番組があったのだが、そのBGMに映画「大空港」のサントラが使
われていた。これも今聞くと非常に趣があるのだ。

他にも「カルピス気分は水玉もよう」とか「小室等の音楽夜話」とか「ユアポップス」とか10分ほどの小番組に琴線を擽るモノが多い。

1985年末に首都圏で2局目の民放FM「横浜FM」が開局。

新鮮さも相まってジングルや番組オープニングを片っ端からエアチェックしたことがあった。

しばらくずっと放置していたのだが、これが今聞くと凄くいいのである。この日記にも何回か取り上げた声優の山田栄子が担当していた「
ライドオンオートバックス」もその中のひとつで、わずか10回分程度しかテープが残っていないとはいえ、それは非常に貴重な記録であ
る。

こういった琴線に触れる1980年代のFM放送番組を、今NHKがアーカイブス化させているのは、やはり自分と同じような感覚を抱い
ている者が多いということかもしれない。

リアルタイムで流される番組よりも1980年代の番組の方が需要があるというのは何とも複雑なのだが、あの当時のFMには独特な雰囲
気があった事は確かだ。

FM誌に掲載された2週間分の番組表を頼りにエアチェックに勤しんだ時代。

インターネットの「デジタル太陽」が上る前、アナログ黄昏期の何ともいえない渋い空気があの頃のFMには漂っていたのだ。

おそらく、エアチェック世代が記録した膨大なカセットテープの中にあの時代のエッセンスがぎっちり詰まっているのだ。

それが四半世紀を経て熟成しまろやかな香りを漂わせてきた。

まさにチーズを発見した古の羊飼いのごとく、アナログエアチェックテープは高級なブランデーと同じ価値を有するに至ったことに皆
は気づき始めたのだ。

これは何と芳醇で心に染み入る至極の宝物であろうかと。

箪笥の奥に仕舞われている当時のエアチェックテープは今や宝と化しつつある。

これをデジタルアーカイブス化し公開すれば相当な取引が生まれるかもしれない。

無論、そのままネット上に公開することは著作権云々が絡んで難しいのかもしれないが、しかしそんな貴重なラジオ音声記録をこのまま死
蔵させ、朽ちるに任せるのは過去の文化遺産を破棄するに等しい。

だから、このNHKFMが試みている「青春カセットテープ」構想は正に時代が求めた必然的事業だったのである。

当時、FMで流されたちょっとしたCM、ニュース、ジングル、他愛のないDJの戯言がタイムマシーンとして脳にプラグインされる。

テープに残されたスクラッチノイズ、ヒスノイズすら記憶の刻印として貴重なデータとなる。

これは正に時間旅行のアプリケーションソフトだ。

超遅延エコーのごとく「あの頃」が甦る。


2009年3月 6日

退屈な「政局」

相変わらず無気力漂う日々。最初はブログとこの日記をシンクロさせようと思ったのだが、作成するパソコンが別々なので何だか微妙に趣が違う内容になってしまった。

といっても引き蘢りの下らない電波戯言には変らないのでどうでもよいのだが。

どうでもよいと言えば、テレビや新聞で流される「政局」とやらのニュース。

如何にも高度衰退期に相応しい退屈な展開。

何やら野党の党首が賄賂か献金だかで検察の捜査の手が入るとか入らないとか。これが「国策逮捕」だとかで与党と野党が対決云々。

もともとミスター自民党みたいな人が野党の党首に納まっている時点で誰もおかしいとは思わないのだろうか。

それにしてもラジオで 宮台真司が宣っていたが、検察の言う事を鵜呑みにするマスコミは馬鹿だというのも頷ける。

検察の特捜部なんて胡散臭い組織の代名詞だし、あの裏にはアメリカのCIAでも絡んでいるんじゃないかと思うくらい治外法権的な動きをするので、今回だって誰かの意志が働いているのは火を見るよりも明らか。

だが、そんなもの恐れていたら未来永劫日本の政治など変わりはしない。

本気で政権取りたいんだったら己を脅かす存在を実力で排除する位の気概が欲しいところだ。

例えば己の野望に立ち塞がる敵が検察とするならばTNT 火薬を満載させた10トントラックを検察庁に突っ込ませて庁舎ごと吹っ飛ばすとか、自衛隊を動かして戒厳令を布いて政敵を全部逮捕粛清するとか、その位の事をして初めて政権奪取というのである。

飯事みたいな政局ごっこは見ていてつまらない。

1960年代だったら、もう少しは面白い事をやっていたぞ。デモ隊が国会議事堂囲むとか、その一方で後楽園球場満員だとか、そんなダイナミックなパフォーマンスに溢れた「高度成長的ガンバリ」が何処にもない政局ごっこはもういい。

それになんだ。あの総務大臣は。

丸の内郵便局が文化財云々なんて微塵にも思っていないくせに、元経済財政政策担当大臣の悪知恵で郵便貯金とその資産を丸ごと外国人投資家に持ち逃げされそうになってあわてて「国士」面しているのは失笑もの。

自分達の利益になるならば平気で文化財など散々壊して更地にしてきたような偽政者と同類なのに今更「保存優先」か。その程度の政治家ばかりだから「郵政民営化」なんて気狂いじみた発想の元宰相と学者上がりの外国人投資家御用達操り人形に郵便局まるごと強奪されてしまったのだ。

振り込み詐欺にひっかかった後にあれこれ愚痴る小心者と同じレベル。

こんな茶番劇に真面目に付き合う方がどうかしている。

高度衰退期に相応しい低レベルの政局茶番劇はもう結構。

ニコニコ動画でネコが無邪気に戯れている映像を観ている方がよっぽど有意義である。

にゃ〜


2009年3月 5日

定額給付金自殺名所

ぼうーっと朝のワイドショーみたいな番組を観ていたらこの話題を連続してやっていた。

なにやら給付金の配布方法がうんたらかんたら述べていたがよく解らない。

役所から送られてくる案内に返送しないと貰えないとかなんだか面倒臭い。

手続きが億劫なのでしばらくほっぱらかしていると国庫に戻ってしまうとか。あと世帯主にまとめて振り込まれるらしいので、世帯内で意思疎通がない引き蘢りや鼻摘み者には行き渡らないみたいだ。

なにより「振り込め詐欺」の恰好のアイテムになりそうで、まあ御苦労な事である。

お金に執着のない自分としては「別にいいや」って気分になる。1万2千円の価値より手続きの億劫さが嫌だ。

つまり面倒臭いのだ。

学生時代、バイトをしてそのバイト料を受け取りに行かなかった事がある。

じゃあ何でバイトしたかというと、大学生はみんなバイトするものという強迫観念に駆られて嫌々ながらバイトしただけの事であってお金は別にいらなかったのだ。

当時は実家暮し、物欲もなかったので自分個人でお金を使う概念がなかった。買い物、付き合い一切なし。学校と家の往復のみ。服も小中学生の時に着ていたもので十分だった。

だからふつうの大学生が憶うような「バイトして何か買いたい」という発想がゼロ。あの頃から家に籠って妄想ばかりの日々なので実質、月に3000円でも余った。

それはさておき、そもそも給付金を「振り込み」なんて形式で給付するのが間違っている。

もっとダイナミックな発想がないのか?

たとえば、自治体ごとに給付分のお金を全て1円玉と5円玉に替えてそれをバキュームカーに詰め込み、その市町村管轄の幹線道路でばらまけばよいのである。

バキュームカーが噴出する給付金の1円玉、5円玉を住民が追っかけて拾い集めるのだ。

先導車からは運動会で掛るようなBGMを大音量で流しつつ、こうアナウンスする。

「愚民共!愚民共!給付金の時間だよ!こっちのバキュームカーはあーまいぞ!よっといで!よっといで!銭ゲバ!銭ゲバ!チェ・ゲバラ!儚い余命をこの泡銭で潤せ!1億総中流はもう終ったんだ!これが最後のお目零し!有り難く戴け!愚民共!」

これを聴いた住民はみんなサンタクロースみたいに袋を引きずってバキュームカーを追い掛ける。

やはりこれが一番だろう。住民の健康にもよい。メタボリック症候群解消で一石二鳥だ。

こっちの方法ならばインパクトがあって住民の記憶に残るから政策としても有効だろう。振り込め詐欺の危険性も減る。役所の手間も省けて役人も夕方5時定時に帰る事が出来てよい事尽くめではないか。

朝のワイドショーでは、続けて自殺名所の事もやっていたので、これもよい方法を提案したい。

いっそ自殺の名所なんだからそれを売りにすればよいのだ。

自殺志願者を誘致して、どんどん自殺してもらうのだ。ネガティブに考えるからよくないのである。

かつて団塊世代が青春期に観光旅行で訪れた所を人生最後の場所に如何?と宣伝すればよいのだ。

我も我もとやってくる団塊世代の自殺志願者が落す金で、その観光地は再び潤うであろう。

断崖絶壁の下には魚の生け簀を作っておく。そこに自殺者が落っこちれば魚の餌になって養殖魚を安く市場に出せよう。

自殺スポット横には「自殺展望レストラン」を設置して若いカップルが自殺者のダイナミックなダイビングの瞬間を観賞しながらディナーを堪能出来る。

勿論、使用肉は自殺者の肉だ。それも安全な「国産肉」。更に人間の肉だから狂牛病や鳥インフルエンザの心配もない。また反捕鯨団体からの抗議も受けなくて済む。何より「もったいない」精神に順応しているから国からも御墨付きが付く最優良食材。

これはミシュランも黙ってはいまい。5つ星確実である。

売店では銘菓『自殺者をみてしまいました』『自殺激写まんじゅう』など定番のお土産が並ぶ。

また自殺者の骨で作ったキーフォルダーやストラップが大人気。「いい旅夢気分」でもレポーター役のタレントが買い求めるであろう。

莫大な潜在需要はあるのだから、上手く軌道に乗ればディズニーランド並みの収益が期待出来る。

これからの基幹産業が「人の死」なのは誰もが認めるところ。火葬場とタイアップして運用すれば相乗効果大。

経団連会長や自動車企業の元相談役もこの噂を聞き付け、ウォーミングアップを始めているかもしれない。

こう書いてゆくと、自殺も楽しいレジャーの仲間入りが出来そうである。

いや、これからの基幹産業として雇用も創出するだろうからオバマも黙ってはいまい。

1960年代高度成長期、「トリスを飲んでハワイに行こう」というCMのキャッチフレーズがあったが、2009年高度衰退期のキャッチフレーズはこれで如何がか?

「給付金をもらって白浜三段壁から飛び下りよう!」

まさに今の時代にぴったりのコピーじゃないだろうか?


2009年2月 27日

電子コミック

最近は、いや事あるごとに「出版不況」やら「漫画雑誌の不振」のニュースを聞いたりするが、なんだか物心付いてから四六時中聞かされているようで特に今に始まったことでもないと思うけれど、いずれにしろネットの普及で紙媒体の雑誌が売れないということは事実だろう。

とはいえ、だからといって「電子書籍」が爆発的に普及している兆しは見えない。

自分も携帯やパソコンで閲覧する媒体に作品を発表しているが、正直利益には程遠い。

毎月売上明細の郵送費にすら達していないのではなかろうか?

確かに電子書籍は媒体に質量がないので製作経費もかからず、絶版にもなりにくいが、売れた分だけしか利益にならず、単価も安いので一度にまとまった収入にはなりにくい。

紙媒体だと初版だけだとしても刷った分の印税は入ってくるので多少の収入にはなってくれる。

先日、幻冬舎コミックスから出ている自分の単行本が台湾でも発売されるということでその分の印税が入ってきた。

何だかんだいっても紙媒体でないとお金になってくれない。

結局、ネットで観るモノは基本無料という慣習が身についてしまい、お金を払ってまで「電子書籍」を購入する流れには一向になってくれないというのが現状なのだろうか?

金を払うのはあくまで紙媒体ということか?

何やらアメリカのほうでは書籍全文ただで閲覧出来てしまうサイトがあるとかないとかで、物議をかもしているが、こうなるとますます有料の電子書籍の立場が危うくなってしまう。

最近普及してきたWebコミックも、雑誌としての製作経費がかからないから紙媒体より有利なはずなのになぜか短命で終わるケースを聞くことがある。

つまり雑誌不況なのに紙媒体雑誌が頑なに電子化しないのは、明らかに電子化が未だ利益を生むシステムになっていないことを象徴しているんじゃないのだろうか?

とはいえ、電子書籍も携帯コミックもその媒体なりの「読み方」があって、必ずしも紙媒体に対して劣っているという訳ではない。
多分「読まず嫌い」という部分もあるのだろう。

因みに自分が電子書籍で発表している作品「快晴旅団」と「風の中央鉄道」は以下のサイトにある。

http://www.ebookjapan.jp/shop/author.asp?authorid=198
また、同作品の携帯コミックサイトはこちら。

http://www.bbmf.co.jp/content/book.html

百聞は一見にしかずなので試してみるのも一興かもしれない。

よろしくのほどを。


2009年2月 26日

 陰々滅々の日々。

最近、悪天候が続く。まだ冬晴れのシーズンだというのに陽射しもなく陽もまだ短いので四六時中真っ暗な穴蔵にいるようだ。

目が覚めると夜なので雨戸を開ける亊なく1週間位ずっと夜が続いている感じ。

その上、なかなか次の仕事も決まらず、かといって原画展の準備をする訳でもない。

近所の放火騒動やらで精神的にモチベーションが上がらず陰々滅々とした日々だ。

生産性ある事が何も出来ずに「精神的寝たきり状態」。

仕方なく、描きかけだった別名義の18禁漫画原稿に手を入れるが掲載予定がある訳でもなく集中出来ない。

新しいPCは取りあえずネットとかは快適だが画像ファイルも画像を扱うアプリケーションも入っていない(というよりミニノートパソコンでフォトショップが動くのか?)ので使用範囲は限定されているから今一つ活用出来ていない。

アルプス電気のMD5000プリンタードライバーXP用をダウンロードするも何故か正常に動かない。

ウインドウズは慣れていないのであまりごちゃごちゃ設定を動かしたくないし、そもそも面倒臭いので放っておく。

ニュースを観たら何やら日本の映画がアカデミー外国語賞を受賞したらしい。

最近ほとんど映画を観に行っていないし、当然この作品も観賞はおろか映画のタイトル含めアカデミー賞にノミネートされている事すら知らなかった。

だからこの作品の内容に関して感想を評する事は出来ない。

ただ、もしこのタイトルでメディアに流れている情報だけでこの映画を観に行きたいかと言われれば、それはたぶんないだろう。

人の普遍的な死の場に立ち会う者を描いている映画(という情報しか自分の中にはない)らしいが、正直そんな情況が生理的に苦手な自分にとって敢えてお金を払って「葬式」実況を追体験したいとは思わない。

なんだかこちらまで線香臭くなりそうでしんどい。

ただでさえしんどい毎日なのに何で態々「しんどくなる」映画を観なければいけないのだ?

望んでもいないのに斎場で他人の葬儀や出棺を見せられている感覚。

だったらこのような映画を観るまでもなく火葬場に行けばよいのだ。毎日人が焼かれているのだから。

火葬場君万歳だ。

どうしてこのような映画がアカデミー賞に選ばれたかは知らない。

きっと様々な事情があり、運もあるのだろう。

昔の黒澤明が描いた数々の映像作品から比べると、題材も映像も遥かにインパクトに欠ける気もするが、あの高度成長期真只中1950〜60年代という激烈なエネルギーが沸き立っていた時代の作品と同列に語る事自体、間違っているのだろう。

あの当時の日本映画がアメリカのアカデミー賞で絶賛される環境は存在しなかったし、それはプロ野球と同じで、今の日本選手大リーガーとV9時代の読売巨人軍のナインと比べたら遥かにV9選手の方がインパクトも強くエネルギッシュで実力も上のような気はするが、だからといって当時の王、長嶋が米大リーグで活躍出来る伝手はなかった訳で、これまた同列で語れないのと同じだ。

なんだか最近は大リーグもアカデミー賞も敷居が凄く低くなって基準も何だか曖昧になってきた。

自分の世代にとってはよく解らないし野球も映画も興味自体薄れてしまい、深い洞察もしなくなったので多分どうでもよくなってしまったのだろう。

カンヌ映画祭受賞作品も1970年代頃はアンドレイ・タルコフスキー「惑星ソラリス」やフランシス・コッポラ「地獄の黙示録」など己の琴線に触れる作品があったのに最近は観る気力さえ起きぬ作品ばかり。

多分、自分の感性とは全く別の分野に受賞対象のテーマが移ってしまったのだろう。

これも歳取ったせいか?そもそも映画に限らず他者の創作物に関心が向かなくなってしまったのは致命的だ。

では今、もし敢えて観たい最近上映中の映画はどれだと尋ねられたらなんだろう?

強いて上げれば『THE MOON』とか『ワルキューレ』か。

1960年代、米ソ宇宙競争の中での未知への挑戦記録は血湧き肉踊るし、ナチドイツ戦時下で己の信念に命を賭ける実話物は興味をそそる。

もっともハリウッド人気俳優が英語で演じる「米大衆向け反ナチ娯楽作品」であるからして大した期待はしていないが。

それでも魂の祭典、男のロマンを揺さぶるテーマが多少なりとも入っていれば映画館に足を運ぶ動機付けにはなろう。

少なくとも葬儀のシュミレーション(という情報しか自分の中にはない)を金を払って観るよりは心が晴れる。

むしろ旧ソ連時代のプロパガンダ映画『大祖国戦争』やナチスドイツ、レニ・リーフェンシュタール -作品『意志の勝利』みたいなものをニヤニヤしながら観賞していたい。

もし今自分が映画を作れるならばどんな映画を作りたいか?

やはり「ヒトラーユーゲント」第12SS装甲師団を忠実に描いた史実物だ。

ひたすらナチプロパガンダに導かれた若人の歓喜とリアルな戦闘シーンが『エルミタージュ幻想』みたいに延々ワンシーンで綴られる作品だ。

突撃突撃突撃の連続で次々に殉職していくナチ戦士をこれでもかこれでもかと描くのだ。

そのテーマそのままに「満州國再建戦士」という映画を撮ってみたい。

自衛隊クーデターと神聖日本建国。皇太子殿下の決起と愛子様覚醒。その神の電波に導かれ絶望独身男性が決起して満州國再建を目指し総員殉職するというプロパガンダ映画だ。

そう!やっぱり魂の祭典なのである。

プロパガンダ映画がどうしても作りたい!

それ以外のテーマに何も興味が湧かないのだ。

500億円くらい投資してくれれば素晴らしいプロパガンダ映画をこの世に体現出来るのにと悔やまれる。

この陰々滅々とした日々を吹き飛ばすのはやっぱりリアル社会で2.26事件みたいな情況が生まれないとダメなのかもしれない。

とにかく仮想現実という映画の中にまで、陰々滅々とした「葬式香典通夜線香棺桶納骨」なんていう死にたくなるようなモノを観たくないのである。

どうせ己の死は孤独死に決まっているし、死んでから10ヶ月後に発見され保健所で処分される運命。

綺麗に「送ってあげましょう」なんて悠長な時代はもう終ってしまうのである。

葬儀屋が儲けられる時代もそう長くはつづかないのだから勘弁して頂きたい。

棺桶じゃなくてこれからはゴミ清掃車に放り込まれる時代。

そういう先見的作品なら観てもよいのだが。

陰々滅々の日々はつづく。


2009年2月 24日

原画展のダイレクトメールが完成したのでトップページに公表。

最新情報にも概要を記した。

ダイレクトメールのイラストは10年前に「コミックエデン」という単発本に掲載された巻頭カラー作品『絶望廃墟要塞1999』からの流用である。今回の原画展コンセプトにシンクロしていたので採用した。

3000枚を印刷して一部はギャラリー様から顧客や会員に発送していただけるようだ。但しこれも実費。

今の所、全て自分の自費で賄っているが、引き続き奇特な出版社等からの協力、御支援を承りたい。

宜しくの程を。


2009年2月 23日

ブログ新設。

外部サイトにブログを設置した。内容は基本的にここのあびゅうきょ日記と同期したもの。

いわば日記のミラーサイトである。

この公式ホームページ内の日記はサイト開設当時から使っているホームページ作成ソフトで作ったもの。

すでに10年以上経っており、ソフトも製造中止になっている。だからパワーマックG3とアプリケーションに依存せずに日記を置ける場所を確保したかった。何か不都合が起きた時のバックアップは必須である。

これで新しいパソコンからもブログの方に日記を更新出来るようになった。

但し、内容は基本的に同じなので改めて両方読む必要性は全くない。

あくまでバックアップである。

トラックバックもコメントも書き込めない設定なので面白味もないが御容赦。


2009年2月 22日

初ウインドウズパソコン

従来使っているこのパワーマックG3/OS8.6、ブラウザIE5、ネットスケープ7では現在のネット環境に対応出来なくなっているので、仕方なく新しいパソコンを導入した。

パソコンといっても今、流行の激安ミニノートパソコンである。

量販店でバナナの叩き売りみたいに扱われているアレだ。

いろいろ物色した結果、購入したのはエプソンのEndeavor Na01 miniという機種。

余計な機能を省いて価格が抑えられている割には実用性が高く、画面も10.2インチあってミニノートにしては見やすい。

価格は単品で4万3千円程。

ただし、量販店では扱っていないので、直売店のある秋葉原へ赴いて購入した。カラーはホワイト。

光学ドライブが付いていないので、外付けのDVDドライブをヨドバシで6千円程で購入。合わせて5万弱。

まあこの位の価格でウインドウズパソコンを入手出来ればよしとする。

無論このレベルのパソコンではフォトショップなどの画像処理は困難かもしれないが、もともとその辺りは織り込み済み。

母艦機は結局マックにならざるを得ないのでウインドウズではネットやシンプルな表計算と割切る。

使用感は新鮮味も伴い、比較的快適だ。

サイトがストレスなく開けるのはよい。動画サイトも初めて観た。

素人がアップロードしたネコの画像がたくさんあってびっくりする。

ずっと10年前のシステムを更新せずに使用してきたので「浦島太郎」感覚。

もっとも、このミニノートパソコンを外へ持ち出して何かするというつもりはない。屋外でネットにアクセス出来るプロバイダーにも加入していない。もっとも携帯でさえ屋外で扱う事が稀な人間がミニノートなんて持ち出しても荷物になるだけ。

とりあえずいろいろ出来そうだ。


2009年2月 17日

狂気の業火。

金閣寺に放火した男を題材にした小説がある。著者はたしか三島由紀夫。

まだ読んだ事がないので内容は知らない。

が、金閣寺が昭和25年頃に放火されて全焼したのは史実。

もっとも放火する人間の心理云々を洞察する気は起きない。火を放たれた側にとっては禍以外の何ものでもないのだから。

放火という罪は殺人罪に匹敵する程、重い。

一瞬にして全てを灰燼に帰させ、時には人の命を奪う。

だが放火する側にはそんな理屈は通用しない。火付けは尋常ではない精神が突き動かす狂気の沙汰。

気狂いに何を諭そうとも無駄である。馬の耳に念仏だ。

そんな火付けの禍から身を守るには唯一己自身の力でその狂気を排除する以外にない。

空家にすれば、それは火付け気狂いに「獲物」を提供するようなもの。

たとえ、防犯カメラを設置しようとも気狂いには通用しない。

先日の北5丁目の薔薇庭園火災は管理者杉並区の怠慢以外の何ものでもなかった。

日が経つに連れてだんだんと怒りが込み上げてきた。

「トトロの家」なんてもてはやされるずっと以前から、あの家と庭は貴重な存在だった。

昭和40年頃まではありふれた東京郊外の閑静な風景に埋没して目立たぬ存在だったが、次々に周りの庭付き生け垣一戸建木造住宅が消えてゆき、特にバブル以降は急速に街並が破壊される中、奇跡的にも生き残ったことで希有な空間へと生まれ変わった。

更に宮崎駿が著書で取り上げたことで『トトロの住む家』等と呼称されるようになり、一躍「名所」になってしまった。

この件がなければ、遅かれ早かれ相続で取り壊されていたかもしれない。

幸運にもこれがきっかけで杉並区がこの土地を買い上げ、公園化を決断するまでは実に正しい選択であった。

銭ゲバと化した日本の不動産事情からすれば個人の力では如何ともし難い。貴重な建設物であったとしても所詮は他人の土地。行政の援助なしでの保全は不可能だったろう。

だから保存が決まった時は「世の中、満更でもない」と安堵したものだ。

しかし、先日、その守られたはずの希有な存在が目の前で炎上したのである。

これは悪夢以外の何ものでもなかった。

おそらく、金閣寺が炎上した時もそれを見守っていた者の脳裏には信じ難い「悪夢」として映ったであろう。

しかし、狂気の放火魔を責めても始まらない。

気狂いにチャッカマンである。100円ライター片手に電車道状態で突っ込んでくるキジルシに付ける薬はない。

対処法は実力で排除するしかないのにも拘らず、空家にするとは何たる失態か。

貴重な建物と自覚するならば、ボランティアを雇ってでも誰かを24時間駐在させるべきだったのである。

一応防犯カメラは据え付けられていたようだが、そんなものでキチガイが怯む筈もなかろう。

無人が一番いけない。誰かが居れば初期の段階であらゆる対処が可能だったはずだ。

こんな怠慢でルーズな管理していたのでは、善からぬ疑惑の目を向けられても仕方あるまい。

もし本気で、この貴重な庭園を守る気があるのならば、建物を再建して公園化を断行する責務が杉並区には課せられている。

万が一、公園化を断念し、この土地を民間の不動産屋に売り渡すような事があれば歴史が許さないだろう。

区に神罰が下る事を覚悟せよ。

ここは曾て、「お伊勢の森」と呼称されヤマトタケルが降臨したという伝説の地でもある。

その象徴としてこの北5丁目の薔薇庭園は未来永劫残すべき場所なのだ。

「トトロの家」云々よりずっと以前から「約束された神聖なる結界」の庭。

あの忌わしき炎はその神聖な場を汚す「邪」な勢力が放った地獄の魔手。奴らにこの神聖な土地を奪われてはならない。

宮崎駿氏も再建のために援助を差し伸べて然るべきだ。

ポニョで儲けた幾許かの金銭を此処に投資する意義は十分にあるんじゃないのか?

区に厳重に管理させて『ジブリ美術館別館』にでもすればよかろう。

いずれにしろ、金閣寺も寄付で再建成ったのだから、ここも寄付を募れば再建は不可能ではない。

燃やされてしまった失態を今更責めてもどうにもなるまい。要は今後どうしていくかだ。

間違っても不動産屋にくれてやるような愚行だけは犯すまいな。

ヤマトタケルが許さないぞ。

北5丁目の薔薇庭園が炎上した翌日、マスコミのヘリが「他人の不幸」の甘い汁を吸いにバタバタと煩く飛び回っていた。

だがそれは世間のごく当たり前な光景に過ぎない。

人は自分とは無関係な「不幸」を知る事によって安堵する。

因に金閣寺を放火した犯人はすぐに捕まり、裁きを受けた後、精神病院で病死したそうである。

三島由紀夫がその男と金閣寺との関係をどのように描いたのかは知らない。

現実として狂気の炎は全てを灰燼に帰させ、火を着けた下手人をも破滅に導く。

国宝だろうと空家だろうとその放たれた狂気の結末に救いはない。


2009年2月 15日

コミティア来場感謝。

2月のコミティアも無事終了。スペースにお越し頂いた方々にはこの場を借りて御礼申し上げる。

今回は原画展DM印刷前だったので元データを利用したチラシを制作。急遽作ったものだったので文字が一部不鮮明になってしまった。

いずれにしろ近日中に当ホームページにて正式告知する予定。

同人作家のお知り合いに期間中のお手伝いを依頼したりと結構慌ただしかった。

それから告知が遅れてしまったがコミティア87初売り『漫画の手帖』TOKUMARU3号の表紙を担当させて頂いた。

今回はサークル『楽書館』等で頒布されたと思う。

『漫画の手帖』の表紙絵を描いたのはなんと28年振り!

当時はまだ学漫時代でプロデビューすらしていなかった頃、『漫画の手帖』代表の藤本氏から声を掛けて頂いたのがきっかけだった。

こうして末長く支援していただける方がいらっしゃるのは大変に有り難い事だ。

まだコミックマーケットが数千人規模の黎明期だった1970年代半ばから存在していた創作系同人サークルの一つである『漫画の手帖』。

現在同人イベントの盛況はこういった老舗のグループによって支えられていることを忘れてはならない。


2009年2月 14日

明日、15日行われるオリジナル同人誌イベントCOMITIA87(2/15東京ビッグサイト東1ホール)のスペースは「は」12bです。

御都合のつく方は是非ともお越し下さい。

原画展のチラシ、ペーパーあります。


2009年2月 13日

今夜は風の強い夜。

寒冷前線が通過中でまだ南風が強く吹く午前2時半頃、コミュニティーFMを聞きながら原稿に向っていると、家の外で「ボンボン」と音が聞こえる。

風で何かがぶつかっているのかなと思ったが様子がおかしい。

消防車のサイレンも聞こえてきたので「どこかで火事かな」と外へ出てみると視界に大きな火柱が。

まさかこんな近所で火事が起こっていると思いも寄らなかったので愕然とする。

そして瞬間に何が起こったのか理解した。

『阿佐ヶ谷遊覧』にも描いた北5丁目の薔薇庭園がなんと炎上しているのだ。

ここは、昨年杉並区が「保存住宅」に指定し、土地も買い取って公園に整備する事が決まっていた。

「トトロの家」としても親しまれ、相続で取り壊される危機を乗り越えた希有な建物と薔薇の庭。

稀に見る幸運で生き残る事が出来たはずの貴重な建設物。

それがボンボン燃えているのだ。

何たる13日の金曜日的光景か!

瞬間、これは恐らく放火だろうと悟る。

情況からして失火の可能性は薄い。

だが、漠然なる危惧は以前からあった。

すでに元住人は転居して久しく、土地は区の管理下に入っていたようだ。しかし入り口には「立ち入り禁止」の看板が立っているだけ。警備員が居るようにも思えない。

如何にも「無人の空家です」的な雰囲気。当然、夜間は真っ暗。周りは生け垣だからいくらでも侵入は可能だ。いったいいつから公園整備に入るんだろうと疑問に思っていた。こんな放置状態にしてるといずれ「不法侵入者」の餌食にされるんじゃないのかと、ここを通る度に不安に感じていたのは自分だけではあるまい。

だから炎を見た瞬間に「嗚呼、言わんこっちゃない。これはもうダメかもわからんね・・」と呟いてしまった。

果してどの程度のセキュリティーが敷かれていたのかは知らない。最近、近所で放火事件がいくつかあったのでそれなりの警備はあって然るべきと思っていたのだが。

未明の火事だったので現場がどうなっているか窺い知れぬ。周辺は立ち入り禁止。

いずれにしろ、もし火災原因が放火であれば管理する杉並区の落ち度に幾許かの責任はあろう。

はたして今後、北5丁目の薔薇庭園はどうなってしまうのか?再建するとしたら相当の費用が掛ろう。

にしても『阿佐ヶ谷レッドゲイブルズ』といい、この薔薇庭園屋敷といい、相続や火災で尽く姿を消していく。

希望は灰燼に帰し、絶望と不安と恐怖がひたひたと忍び寄る。

なんだかもう救いがないな。

悪夢を見ているようだ。

恐ろしい。


2009年2月 10日

眠い。

先日、原画展を予定しているギャラリースタッフと何回目かの打ち合わせ。

やっとDMが出来そうだ。

開催まで、あと3ヶ月強。

ギャラリーのショップで販売するモノの企画はいろいろ思い浮かぶのだが、どれも手に付いていない。

銅版画とか、透明水彩原画とか。

出版社に協力を依頼する活動も進まず。こちらはそろそろ急がないとまずい。雑誌に宣伝してもらうには少なくとも月刊であれば4月売りでないと間に合わない。

だとするともうそろそろ話を付けないといけないのだが。

同人も手掛ける漫画家が自費で主催する原画展は、いわば一人でイベント会場を貸し切る「オンリー同人誌即売会」みたいなもの。

それも1週間貸切り状態。

そんな時空間をいかに有効に使うか?すべてはこの準備段階にかかっている。

とにかく場所代だけでも大変。なにせ青山だ。目の前に青山学院大学のある一等地。

にも拘わらず身体が動かない。

眠い。一日12時間位寝ている。どうしようもない倦怠感。

眠たくなる事が唯一の楽しみ。寝ると全てから逃げられるが、結局目覚めると現実の問題に曝される。

恐ろしい。

先日テレビで、ある若手画家とそれを支援する画廊をテーマにした番組をやっていた。

その画家は一つの大作を仕上げるのに丸2年かかったという。

年収300万のサラリーマンと比較しても2年分、計600万円分の「時間」をこの大作制作のためにだけ費やしたのだとか。

彼が年収300万クラスのサラリーマンと同程度の生活するためにはその大作を1200万円で売らないといけない。

すなわち絵の価格の半分は画廊の取り分になるからそれだけの値が必要になってくる。

画廊はその画家のために最低でも1200万円で買い手を捜すのだ。

画家にとっては2年掛けた作品をその価格で売ることでやっと年収300万サラリーマンの所得に追い付くのである。

いずれにしろ奇特なパトロンを確保出来るか否かが芸術を本業にして生活出来るかの分かれ目だ。

これも運とかタイミング。

金融危機とか騒いでいるこの時代でも、金持ちは居る。

番組では、その絵が売れたかどうかのエピソードは述べられていなかったが、画廊はそんな新進気鋭の画家を支援するために日夜活動しているのだという。

絵に限らず、創作物を世に広く知らしめるためには「良き理解者」との出会いが必要である。

なんだか大変だ。


2009年2月 4日

特別展「1970年大阪万博の軌跡」 2009 in 東京

東京上野の科学博物館で開催されている大阪万博の回顧展みたいなものに行ってきた。

会場では当時のコンパニオンユニホームや縮小模型、今でも保存されている展示物の一部を見る事ができた。

展示規模は小さいが当時の日常の痕跡が垣間見れて興味深い。

大坂万博のコンパニオンは「ホステス」と呼称され、今と比べるとスタイルも容姿も「おばさん」であることが当時のフィルムからも解る。ホステスの手元が大写しになると皹(あかぎれ)だらけ。まだまだ家事が婦人達の主だった仕事だったのだ。

さらに万博会場で売られていたノベルティーグッズも展示されていた。これを眺めていると、まだ小学校5年生だったあの空気が蘇ってくる。ハイティーンの子供はなぜかテンガロンハット。

カビ臭いおもちゃ箱の底からタイムカプセルのごとく発掘されそうなキャラクター貯金箱とか灰皿とか、そんな「高度成長的」残骸が懐かしい。

売店ではそのノベルティーのデッドストックが幾つか売られていた。

パンフレットに残された当時の広告なんか見ると「ああ、こんなものが売られていたんだ」と感慨に耽ってしまう。

まだ発展途上の家電、自動車のそれは、しかしこの先21世紀へとつづく「可能性」に満ちていた。

今、金融危機なんとかで自動車会社が次々モータースポーツ競技から撤退するニュースを聴いて、やっぱりあの頃が日本の「経済的頂点」だったんだなと思えてくる。

上り坂の1970年と下り坂の2009年。

一日に80万人以上押し寄せた日もあったという大坂万博の凄まじいパワーはもう戻ってはこない。

帰り際、デッドストックの万博バッチを購入する。

包装のテープは黄ばんで剥がれ堕ち、バッチ自体も光沢が澱んでいる。

それでも期間中、6千万人を呑み込んだあの会場で売られていたという事実だけでも有り難いものである。

1970年の「未来」が羨ましい。


2009年1月 28日

ベリカードの仕事。

足立FM開局準備会様からの御依頼でベリカードのイラストデザインを制作させていただいた。

コミュニティーFMのヘビーリスナーとしては願ったり叶ったりの仕事であった。

こういう仕事は楽しい。

足立区青井周辺で聴ける準備会ミニFM放送局のカードである。受信報告書を出すとベリカードが貰える。

自分が高校生時代BCLブームというのがあり今でも40代前後の男子には馴染みがあるだろう。

当時、ベリカード収集熱が過熱して某人気海外放送局は受信レポートが殺到し本来の業務に支障が出る程であった。

「ウオークマン」の出現する前、まだ家庭用ゲームはおろか家庭用ビデオも普及していなかった頃、当時テレビのCMで観たソニースカイセンサーラジオシリーズは衝撃的であった。

アナログチューニングで聴く遥か遠くの放送局にロマンを感じたものだ。

怒濤の洪水のように情報が流れ込んでくる昨今のネット社会からは想像も出来ないが、どういう訳か当時の方が趣味として充実していた気がする。

受信する事自体が目的だったBCLと情報を得る手段に過ぎないネットを単純比較することは出来ないが、オンライン化された「聴こえて当たり前」の海外放送局にアクセスすることは稀だ。

内容は同じだったとしてもノイズ混じりに時々聴こえる「時空を越えた声」に意味があったのだろう。

やっぱり自分にはアナログラジオが向いている。


2009年1月 27日

あびゅうきょ原画展。

概要が固まってきたのでお知らせする。

以下がその概要である。

あびゅうきょ原画展

■企画概要■ 

『少女、電車、戦闘機、風景などをトーンを使わず、緻密な描写で表現し、

現代社会を鋭く風刺した作品を生み出してきたあびゅうきょ。

同人誌や青年コミック、自費出版と、幅広く活動。熱狂的かつディープな

ファンを唸らせる、描き込みが多く見ごたえのある貴重な原画60〜70点の

展示を中心に、現在に至るまでの活動をご紹介いたします。』

■展示会概要■

会期 : 2009年5月16日(土)〜5月24日(日)

時間 : 12:00〜18:00

会場 : GoFa(Gallery of Fantastic art)

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル2F

主催 : GoFa(Gallery of Fantastic art)

企画 : MATエンタープライズ

■タイトル案■

『絶望廃墟要塞2009』

『快晴旅団2009』
(どちらにするかまだ未定)

■展示、販売企画案■

●展示スペースA、B

* 作画年代別に、「学生慢画時代」、「プチアップルパイ」、

「コミックモーニングオールカラー」、「影男」の4つのゾーンに分け、原画

約60〜70点(1点が大きいサイズのもの、その他はB4サイズ)を展示。

* 影男のオブジェ1点を展示。

●ギャラリーショップ

* 描き下ろし透明水彩画(B5)3〜5点を展示、販売。

* 既存の作品からアートグラフ3〜5点を展示、販売。

* アートプリントセット(複製原画)5組の展示、販売

* 同人誌、商業誌の販売。

* クリアケース内にあびゅうきょテレホンカードを展示。

**************************************************************
とまあ、こんな感じである。

今後、ギャラリー様との交渉で多少内容に変更の可能性があることを御承知置き頂きたい。

もはや「待ったなし」だ。

自らが立てた企画なのでもうネガティブなことは考えない。

うだうだ迷ったって始まらないのだ。

成功に向けて前進あるのみである。日本海海戦時のごとくZ旗を掲げよう。

各位御支援を賜れれば幸いである。


2009年1月 24日

自費出版『大泉学園妄想花嫁』をとらのあなで委託販売していただいている。

宜しくの程を。


2009年1月 23日

原画展のこと。

ギャラリーを決めたのが昨年9月頃だったか?

少しづつは具体化しているもののどうもテンションが上がってこない。

初めての上に、殆ど自分だけの企画立案だから不安と焦りばかりが先行し具体的な行動が伴わない。

つくづくこういうイベントは苦手だ。

理想のイメージは出版社がすべてお膳立てして自分は原画を提供するだけ。費用も出版社持ちという夢みたいな構想を描いていたのだが、そんなのは売れっ子だけの話。

大抵の場合は実費である。

それもかなりの出費を強いらねばならない。趣味で仲間内だけの発表会なら手軽に安く上げてもよかろうが、取りあえずプロなのだからある程度「営業効果」も狙わねばいけない。

それに見合うだけの企画構成がないと成功は覚束ない。

それをほぼ全部自分でやらねばならないのだからしんどい。

イベント立案が得意な者ならば苦にもならぬだろうが、正直この手のイベント立ち上げはまったくの門外漢である。

個展というのはまず人を呼ばねば話にならない。

そのための活動を第一義的に考えねばならぬのにそれが面倒でしんどい。

もうこの時点で自分にはイベント主催の素質がないことがよく解る。

漫画雑誌にコンスタントに連載でもしていれば放っておいても「宣伝効果」もあろうからその部分を補えようが、今現在そのような情況でもない。

単行本合わせとか出版社と相談しながら相乗効果を狙って原画展をタイアップさせるのが理想であろうが、自分には肝心の交渉能力が欠けている。

ただ時間がずるずると過ぎ去っていくだけ。

賢い者であれば要領よく交渉を進めてスポンサーだって見つけられよう。

知恵もコミュニケーション能力も人脈もないまま、はたしてどうやってこの原画展を成功させる事が出来るのか?

開催スケジュールは決まりつつあるが準備の方法すら解らない。

本来なら、もう広報活動を始めていなければならないのに何もしていない。というより何をしたらいいのか解らないのだ。

ギャラリーのスタッフ様に全てを任せる訳にも行かず、もう暗中模索である。

この手のイベントはプロデュース次第だ。

その能力がまったくゼロの自分が始めてしまった己の原画展企画。

まったくもって困ったものである。

何とかしなければ。


2009年1月 22日

パソコンからエアチェック

現在使用中の1999年に購入したパワーマックG3であるが、背面に音声出力端子があるのに最近気が付いた。

ステレオミニジャックだ。

パソコンからじっくり音を聴くケースは殆どなかったのだが録音したい媒体もあったのでこれでやっとエアチェック出来る。

ミニジャックからコンポのアンプ入力端子に繋いでみるとちゃんと音が出てきた。

これでカセットテープに撮っておける。

そんなのパソコン内でファイルにして保存しておけばいいじゃないかとも思えるが、やり方が解らない。それに音、動画共々OS8.6ではアプリケーションが対応していない。

動画サイトは殆ど全滅。視聴不可能なものばかり。

今日もH2ロケット打上げを見ようとJAXAのサイトにアクセスしてみたがWMPのバージョンが対応していないので音しか聴こえない。

ジャバもフラッシュ何とかも最新バージョンはすべて対応していないので使い物にならない。

ブラウザはIE5とネットスケープ7を使っているが開けないサイトや字組みがおかしくなるサイトが多くなって精神衛生上よろしくない。

だからといってOSをバージョンアップしたら今使っているアプリケーションや周辺機器が動かなくなるのでそれも出来ない。

だから我慢するしかない。

せめて音だけでもラジカセに録音出来るようになっただけよしとしなければならないか。

しかし、いままでスピーカーから聴こえていた警告音が止まってしまったのでなんだか戸惑ってしまう。

このパソコンを購入してまもなく10年が経つ。

故障しない限り買い替えるつもりはない。なのに対応するアプリケーションがどんどん少なくなっていく。

これが当たり前だといわれても自分は納得出来ない。

30年くらい使ってやっと元がとれると考えているからまだ1/3だ。


2009年1月 15日

レーザーディスクの終焉。

今日の朝日新聞にレーザーディスクプレーヤー製造中止の報が載っていた。

1980年代後半から1990年代半ばまで釈迦利器になって『未来少年コナン』や『新世紀エヴァンゲリオン』を始めとするLD、LD-BOXを買い集めたのを思い出す。今でも高級なタンスの肥として大半が未開封のまま大切に保存している。

当時は「絵の出るレコード」とか「半永久的に劣化しない映像メディア」と謳われマニア心を誘った。ビデオに代わる次世代映像保存媒体として今後未来永劫このメディアは受け継がれていくだろうと確信していた。

VHDが主流にならなくて何度胸を撫で下ろしたか。

変な話、お気に入りアニメや映画のLDを入手したら敢えてプレーヤーで再生させる事もなくそのまま保存する事で満足してしまった。

だからその時点でプレーヤーがなくてもよかったのだ。プレーヤーは一度買ったが半年も経たずに壊れてしまい、マトモに再生したのはその期間のみ。

半永久的に劣化する事がない映像を手元に置いておける。それだけが目的だったのかもしれない。その内、結婚して息子が出来たら一緒にこのLDを再生して、感動を次世代に継承するのだと夢想した事もある。

ところがそれからわずか20年程でこのメディアは消滅しようとしている。

プレーヤーがなければLDはただのプラスチックの円盤に成り果てる。ネットでは「まだLDプレーヤーなんか作っていたのか」という声も聞くが、自分の中では未だに「最新映像メディア」という意識が残っているので、逆になんでなくなるのか不思議でならない。

録音媒体は未だカセットテープが現役でTDKのAE90を愛用している。最近は11本まとめて1000円位だから随分安くなったものだ。以前は西友ブランドのモノがあったがあれはもうないのだろうか?

最近メタルテープがもう売っていないと聞いて吃驚した。本屋に行けば雑誌コーナーで『FMレコパル』を捜したりするのだがすでに廃刊になって久しい事さえ忘れている。

もう10年以上前になくなっているモノなのに何故に「あるはずだ」という錯覚をするのだろう。

DAT、MD等のデジタル録音メディアはそれに馴染む前に市場から消えつつあるから親しむ間もなかった。

だからLDの次世代媒体DVDだってすぐになくなるだろうと疑っているから未だにソフトを買ったことすらない。

だがビデオレンタル屋に行くとビデオテープなんて何処にもなくほぼ全てがDVDに入れ代わっている。仕方なく安いプレーヤーを買ったのだが部屋にあるテレビが1979年製でビデオ入力端子がない。

仕方なくビデオデッキから入力して無理矢理再生しているが何だか画面が歪んでいる。

どうにも納得がいかぬ。これが最新映像メディアか?

自分は家庭用ゲーム機を何一つ買った事も使った事もない。だからそういったゲーム機すら知らない。

自分にとって最新AV機器といえば、あくまでレーザーディスク止りだ。

それ以降のあらいるデジタルAV機器は自分の知る範疇にはない。

ビデオ店からビデオが消え去り、LDが消え去っていく「現実」はどうにも呑み込めない。

自分の納得行く2009年オーディオ事情はいまでもアナログカセットが進化しつづけ、山下達郎がマクセルUD1の進化型『マクセルUD2009』をアナログテレビでCMしている世界なのだ。

『いい音しか生き残れない』のはあくまでアナログの世界であって、デジタルの世界ではなかったのだ。

LDは未来永劫、永遠に感動の画像を残してくれるはずだった。

ところが「半永久的」というのは事実ではなく、長くとも50年位で劣化してしまうらしい。いくら大切に保存していたとしてもやがては再生不可能に。だがその寿命の尽きる前にプレーヤーがなくなってしまうとは。

それでも大金を投入して買ったアニメのLD-BOXを手放そうとは思わない。

たとえ再生出来なくとも記憶の中に残る映像がここにあると信じられるだけでいいのだ。

封入された特典やリーフレットにはレアな価値がある。

『エヴァ』のLD-BOXに封入された諸々の特典、限定グッズはLD自体よりも存在観がある。実は未だ未開封で何が入っているのか解らないLD-BOXもある。

今後どうなっているのか知らないが、こういったレアLD-BOXの美品は再生の如何に拘わらず「それが存在する」という理由だけで価値が高まる日が来るかもしれない。

『エヴァシリーズ』LDを秋葉原の石丸電気で購入し続けた日々が昨日のようだ。初回のプレスは爆発的に売れて何処の店にも在庫がなくて買えないファンが難民のように彷徨っていたのを思い出す。

嗚呼、あの頃が懐かしい。

石丸のCD、LD割り引きサービス券が未だ財布に残っている錯覚すらある。

そうだ。まだLD売り場はまだ残っている。残っているに違いない!


2009年1月 14日

「何もしない必要とされない傷つきたくない」人達。

きょうもテレビで「解雇された派遣社員」の話題が流されていた。

少し前のニュースでも取り上げられていたのだが、解雇後ハローワークに通っても結局再就職が困難な例が目立つとか。何故なら求人票を見ても自分に適さない職種ばかりだからだという。

たとえば、接客業や営業、介護サービス業だ。

もともとコミュニケーション能力に欠けているとどうしてもそのような職種には向かないのは事実。

最近、メディアで取り上げられている派遣社員というのは概ね製造業に勤めていた人で、自ずと対人関係が苦手な場合が多いと推測される。

だからこそ、あえて製造業派遣という道を選んでいるのかもしれない。

もともと生き方が対外に向っていない人達なんだろうと思う。

そうでなかったら病気や障害を抱えていない限り、もっと若い内から職業の選択肢はあったであろう。

そんな人達が今更自分が避けてきた対人関係の職に就きたいとも思わないだろうし、第一そんな能力もないのだ。

生活のために製造業派遣労働していたというよりも人に拘わりたくないから非対人労働を選択していたというのが正しいのだろう。

接客するくらいなら死んだ方がマシという人達もいるかもしれない。

正直、営業やサービス業というのは相当のコミュニケーション能力が必須だし、メンタル面でもタフでなければやっていけない。

己を滅して他人に奉仕するというような仕事は確かに過酷で、多少の給金と引き換えに自分の傷つきやすい内面を売ったりはしたくあるまい。物言わぬ機械に向っていた方がずっと楽だ。

それでもちょっと昔であれば、己の心の傷を補う程の「希望の未来」を抱けたものだが、今やジリ貧の日本。傷ついて失ったものはもう永遠に戻っては来ない。

「傷つき損」なのである。

今日、テレビで放映されていたのは、解雇された製造業派遣社員が介護サービスに再就職するという話題。

如何にも対人関係が苦手そうな元派遣40代独身女性がぎごちなく介護業に接する様は、見ていてこちらのほうが辛くなる。

介護サービスなど人の心を深く洞察しなければやっていけない仕事だ。尋常な人間とのコミュニケーションすら難しい者が痴呆等で壊れかかっている老人の面倒など見れるはずもなかろう。

更に下の世話など耐え切れまい。

不況といわれても、このような介護サービスや接客業が慢性的に人手不足なのはこれを例にとっても解る。

物心付いた頃から何不自由なく生活環境が整い、飢餓もなく爆弾も飛んでこない場所で生きてきた者が今更他人の糞尿の後片付けや、赤の他人に笑顔で接客なんていう忍耐と苦痛を伴う日常を欲っするだろうか。

そんな辛い仕事ならいっそ引き蘢って生活保護を受けた方がマシなんじゃないかと。

多分、大統領に就く事が出来る男(女)は、介護業も難無くこなせるだろう。

それは自分が否応なく多くの人間から必要とされているからだ。介護サービス業に長けた人間はおそらく何でも出来るだろう。人から求められるというのはそういうことだ。痴呆老人から資産家まで人望の厚い者はどんな階層だろうと常に必要とされる。

逆に人から必要とされない人間は何をやっても「お呼びでない」のだ。

どんな単純な仕事すら「使えない」。それを分かっているからますます仕事などしたくなくなる。

職場で「使えない奴・・」と罵られながら従事する仕事など誰が就きたいか。

自分の居場所がない者は今後ますます増えるだろう。

嫌な仕事に耐えられたのは「将来」があったからだ。

「将来」も「人望」もない人間に嫌な仕事を請け負う謂れはない。

製造業はどんどん首を切るが、営業、接客、介護業種へは決して人は流れない。

巷は「何もしない必要とされない傷つきたくない」人間で溢れかえるだろう。しかしそれが「現実の日本」だ。

ごく一部の人間にしか「明るい将来」が見出せない国の姿はこういうものだ。


2009年1月 13日

久しぶりに阿佐ヶ谷某BARの話題。

しばらく日記でこの店の話をしていなかったので妙に新鮮だ。

マスターは常連のお客さん達と時々近郊に散歩する企画を立てている。

新たな散歩企画はないかと尋ねられたので少し考えてみた。

空間を水平に散策するのではなくて、過去の地図を開いて旧跡廃墟を廻るのはどうだろうと。

曾て川だった暗渠の上を辿るとか、時空を垂直に散策するのだ。

いろいろ調べればここ杉並にも曾て古戦場だったり、第二次大戦時の戦跡だってあるだろう。

その大半は住宅街として上書きされ跡形もないのだが、それでも何か見つけられるかもしれない。

この店のマスターは自分と同期なのでお互い昭和40年代の記憶の痕跡が最も多く残っていると思われる。しかしもはや当時の街並さえマトモに残ってはいないのだ。

気が付くと自分自身すら過去に置き去られた「忘却」の存在なのではと恐ろしくなる。

跡形もなく更新されていくあらゆる事物の一つとして時間の彼方に流されていく虚無感。

季節外れのクリスマスソングが流れる店の中で、なんだかもう今は何年の何月だかどうでもよくなってきた。

連休の夜なのに人影少ない成人の日。

それでも時々晴れ着の女性を見かけるのには驚く。減少の一途を辿る二十歳代がまだ世の中には残っているのだ。

でもこんな姿もまもなくなくなろう。

閑散とした冬の夜をとぼとぼ家に向う。途中コンビニに寄るが、やっぱり客が少ない。

そしていずれ誰も居なくなるのだろうか?

寒い。


2009年1月 9日

己を「人の宿命」に放り投げることが出来るか?

伊集院光のラジオで『アルアルナイナイ』コーナーというのがあって、今週は「正月に親戚が集まった時にありそうな事」がお題だった。

いうまでもなく、伊集院のラジオは「あり得ない絵空事」を如何にもありそうな嘘で楽しむのが主旨である。

ニートにとって「お正月の親戚集会の場」はまさしく絵空事の世界だ。

要らない人間として親類縁者から「無気味な存在」扱いされているから、そんな場所に出られるはずもなかろう。

だが人は一人では生きられないのであって、引き蘢りだっていつかはどうにかしなければならない。

簡単に死ねる訳ではないのだから、自立出来ない限り誰かのお世話になる運命だ。

1970年代後半頃、紅白歌合戦に敢えて出場しない事がもてはやされた時代があった。「体制に反抗する」ことがステイタスだったシンガーソングライターは、紅白辞退を己のアイデンティティーとした。

それと同じく、正月に親戚集会に出ないことが「かっこよさ」と信じ、ひとり部屋に閉じこもって夢想に浸る若者がもてはやされた。

だが時代は過ぎ、「高度経済衰退」が始まった2008年になるとそんな事はいっていられなくなった。

昨年末の紅白を見ても解るように、一昔前なら当たり前に紅白辞退するようなJポップグループが喜び勇んで出場している。

なぜならば、表現活動の場が萎縮して、悠長な自己主張だけではやっていけなくなったから。

同じく、正月の親類縁者の場に顔を出さないのは、もはや「かっこいい反抗」ではなくなり、相手にされない切り捨てられた存在として面子が立たないからである。

つまり、親族から見放されたという事。

それでも自立出来きていれば誰の世話にならなくともなんとかなろうが「引き蘢り」「ニート」では如何ともし難い。

誰かの助けを得なければ生きていけないのに、親族から見捨てられたらおしまいである。

この時代に独立独歩で生きて行ける人間など希有である。だから「寄らば大樹」ではないが家族だろうが企業だろうが取りあえず凌げる「大きな器」に逃げ込んで延命を計るしかないのである。

それがこれからの日本人が生き残る「作法」なのだ。

そんな時代にも拘らず、正月に親族の集いの場に呼ばれない、あるいは出る顔がない、というのは「人生終了」と同意語であろう。

年末、どこぞの公園で寒さを凌いでいた元派遣社員もまた、これと同じく企業から「お呼びでない」と捨てられた存在。

いわば親族から見放されたニート、引き蘢りと同じ処遇を味わっているのだ。

日本の経営者はセーフティーネットでこれらの「要らない人間」を救えと宣うが、実は少し前まで日本の企業で当たり前だった「終身雇用」こそが最大かつ有効なセーフティーネットだった訳で、それを放棄した時点で、そんなものはもう詭弁にもならない。

企業の利益が経営者と株主だけのモノにされた時から、一部の恵まれた正社員を除いて、あとは全て使い捨ての奴隷か家畜である。

それを悟ったから「反抗」を謳い文句にしていたシンガーソングライターは慌てて「恵まれた正社員」たる紅白歌合戦出場メンバーにしがみつき、「反抗的」息子娘は手の平を返して「良き親類縁者」の仲間入りをするのである。

その恵まれた「生き残り」グループの環から漏れたものは、もはや生き残る事は出来ない。

そこまで日本は「零落れて」しまったのだ。

人は伴侶を娶り、子供を生み育てるという「生命の循環」に組み込まれた生き物である。結局、その宿命から逃れる事は出来ない訳で、子を設ける事即ち生きる原動力となる。

望むと望まざるとに拘わらず、親となってしまったならば子のためにがむしゃらに生きなければならなくなる。

その「正当なる人生経路」だけが最後の選択肢になる。

とりあえず人は親にならなくとも生きてはいけるが、それは子供にかわる「人生の拠り所」を持っている者に限る。

だがそんは人間は希有だ。大抵はそんな「拠り所」の意義は希薄で嫌になったら簡単に己の意思で放棄出来てしまう。

だが子供はそんな訳にはいかないのだ。

人を含めた哺乳類、いや有性生殖する数多の生き物はこの宿命から逃れる事は出来ない。

自分をその宿命に放り投げて無理矢理生きていくのが「人の道」というものだろう。

引き蘢り、ニート、おひとり様、アラフォー独身女性と呼称される存在は、この「人の道」から逸脱している。

遅かれ早かれこれらは淘汰され惨めに消え去っていくだろう。

同じように制度として「人の道」から外れた「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」も賞味期限切れ商品のごとく、何の未練もなくきれいさっぱり丸ごと破棄される時も近かろう。

結局生き残るのは、お正月の親類縁者の集いでの妻子持ち常連メンバーであり、紅白歌合戦での常連アーチストであり、大企業に縁故で就職出来た特別待遇正社員だけである。

その他はみんな「要らない人間」「ゴミ」と化す。

これがこれからの日本なのだ。

所詮人生はこんなもの。ひとは己の子供の肥となって死んでいく。これ以外の何があろうか?

伊集院光の『アルアルナイナイ』コーナーで、家にやってきた甥が、引き蘢り部屋にいる自分をじっと隙間から眺めているというネタがあった。

「人生の敗北者」と勝利者親族の甥。

嫌な構図である。

そして勝利者の子息である甥は引き籠りの親族を眺め、こう呟くのだ。

「嗚呼、こんな人間になりたくないや」

反面教師として役立ったと自分を慰めるだけでも救いとしなければなるまい。

辛いけどどうしようもない。


2009年1月 4日

謹賀新年

2009年が明けた。

三賀日は晴天に恵まれてひきこもりの身体を虫干しするのに最適だった。といっても出掛けたのは二日目だけだったが。

かつて正月のテレビは否応に存在感が強かったが最近はどうにも何だか記憶に残らない。

家族で一緒に見るという習慣がなくなって、一人で見ても普段と同じなのだから、つまりテレビがつまらなくなったというよりテレビを囲む風習が消えて、そうしたらテレビの存在感も希薄になったという事か?

結局、年末深夜の1960年代日活映画が最も面白かったというのは本当に後ろ向きで困る。

石原裕次郎が当時最新鋭の携帯テレビ片手にジャガーを乗り回し、マスコミの寵児として「ヒューマニズム」を謳いながらジープを東京から熊本へ運ぶドラマは馬鹿みたいだと思うと共に、この馬鹿さが日本の戦後エネルギーだった訳で、東名高速も新幹線もない凸凹の道をひたすら疾走する姿はそれを追い掛ける女の情念と共に「凄まじい希望の未来」が垣間見れる訳だ。

その果てに辿り着いた2009年は老人ばかりの生き詰まった世界。教育テレビが「砂の嵐」を放映した理由は電力不足でも何でもなく、パフォーマンスとしての「地球へのやさしさ」。

もうがむしゃらに疾走する事は止めてただ立ち止まらなければいけなくなった瞬間に人は墓場に一直線だ。

走る事を止めた時、有り余った余剰人間は切り捨てられる。

そんなまっ逆さま21世紀にお正月もへったくれもあるまい。

切られた派遣社員は如何なる存在なのだろう?がむしゃらに生きるための闘争を選択する訳でもなく、なんだかこのまま消え去るのも一興ではないか、と考えているのかもしれない。

子を生み育てるという「生命の循環」を放棄した生物は、もう生き続ける必然性はない。

面倒臭くなったら人生辞めればよい、という選択もある。

もう家族揃ってお正月という日本の原風景が昔話になるつつある2009年。

家族を設ける事が生きる証と気付いた時には、もう遅すぎるのだ。

お年玉を貰う事も、あげる事もない独身者はこうして人生の敗北を悟る。

楽しいお正月は何処にいった?


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