2006年10月・11月・12月


2006年12月31日

コミックマーケット71来場御礼。

大晦日のビッグサイト『あびゅうきょ』スペースまでおこし下さり、この場を借りて御礼申し上げます。

今回はコミケットサークル参加12年の中、最も体調が悪い状態で挑んだ。数日前に体調を崩したばかり。しかし何とかビッグサイトまで辿り着くと不思議にもコンディションが回復。最後まで乗り切る事が出来た。

さて、今回は大晦日の開催や前代表の米澤氏死去直後とあって諸々の不安が重なってはいたが、人出は終了時の16時まで差程衰える事もなく、無事に終了した。

久しぶりに訪れて下さった方や差し入れ、寄稿したサークル代表の方からの挨拶等、いろいろ忙しく且つ有意義であった。

終了後、『漫画の手帖』代表の藤本氏のサークル一行の方から打上げのお誘いを頂いたが、体調が万全ではなかったためせっかくの御好意に添えず申し訳ない事をした。

藤本氏とは25年以上も前からお世話になっている。プロデビュー前より僕の作品に注目して下さり『漫画の手帖』にも寄稿したことがあった。コミケは人的交流の場としても大変有効な場であるから、やはり日々の健康管理は大切にしなければならない。

今年は仕事、健康を含め、不本意な年だった。

年初からペースを掴む事が出来ず、ずるずると一年が過ぎていった感じだ。

来年は自分の干支でもあるから今年の腑甲斐なさを取り戻せるような年である事を祈りたい。

来年もよろしくの程を。


2006年12月30日

コミックマーケットあびゅうきょサークルの御案内。

すでに最新情報等でもお知らせしているように、明日31日コミックマーケット71(12/29〜31・東京ビッグサイト午前10時〜午後4時)にて、今回もあびゅうきょサークルが出店します。

販売スペースは東1ホール”F”37a。

新刊は「クロッキーワークショップの日々」。及び別ペンネームの新刊。他既刊オフセット、コピー本等頒布予定。

会場の東京ビッグサイトへはJR山手線大崎駅経由りんかい線国際展示場駅下車が便利です。

お誘い合わせの上、御来場いただければ幸いです。


2006年12月25日

クリスマス諸々。

今年も暮れが迫ったにも拘わらず忘年会からは無縁で一件もない。

むしろ清々しい位だ。

ひたすら部屋に籠って原稿の日々。

イブの夜にコンビニに買い物に出たら近所のキリスト教会で恒例キャンドルサービスをやっていた。そんな厳かな風景はともかくも、この国では概ね家族や恋人同志でケーキやスモークチキンを囲む日と相場が決まっており、宗教行事云々はどうでもよい事。

ところでこの頃になると、ラジオの女性DJや女性リスナーからのメッセージで「クリスマスイブの自分の予定」を率先して宣うのをよく聴く。

別にこっちは知りたくもないのに諄い程言い聞かせてくる。

曰く「イブは仕事なんですよね」「独り静かに過します」「友達や家族と過します」

だからなんだと言うのだ?

ハッキリしているのは、「イブはデートなんです。羨ましいでしょ」とは決して言わない。

相変わらずイブの夜にはカップルを過剰な程見かける訳だから、かなりの女性は嘘をついているのだろう。

24日が本当に仕事かどうかは、この際どうでもよい事だ。

そもそも、若い女性がイブの夜にロマンティックに恋人と過す事自体を否定的に考える者は少ないだろう。

機会があれば、それを最優先にしたいと思っているはず。

にも拘らず「イブは仕事云々」と宣う理由は、恋人が本当に居ないとしても負け惜しみにしか聞こえぬ。

俗称「負け犬の遠吠え」だ。

どんなにキャリアを積んだ有能なOLだったとしても、イブの夜にデートしている女には勝てない。

24日にオフィスに閉じこもりせっせと仕事する女性より、仕事は出来なくとも早退してデートに赴く女性の方が、女として「勝ち組」である。

女がデートではないと嘘をつく最大の理由は同性からの妬みを恐れるからに他ならない。

だが、嘘ではなく本当にデートではなくて、仕事や同性の友人と過すしかない女性は、正直救いがたい。

女性として「落伍者」であるのに、自分は不幸ではない、デートより仕事優先とか、同性の友達が大切とか独りがよいとか、そんな欺瞞に縋り付いて自分を正当化し続ける理由はどこにあるのか?。

これは全てジェンダーフリーが齎した不幸な結果であり、女としての最大の武器を奪う政策が皮肉にも実りつつある訳なのだが、大半の女性はそれに気がつかない。

いくら男女同権と言えども、企業内で地位ある役職に就けるのは大半が男性だろう。所詮女が入り込む余地は狭い。たとえその地位を確保出来たとしても、それが女性として幸せかどうかは解らない。女を捨ててまで(たとえば風呂に何日間も入らないとか口汚く部下を罵るとか)その地位を獲たいのだろうか?

同性の友達だって、いつかは嫁いで消えていく。あっさり結婚してしまうのだよ。

結局は嫁いだ者の勝ち。玉の輿だ。

玉の輿まで行かなくとも「専業主婦」は女の王道である。

そんな王道を頑に拒絶し「女男共同参画」という欺瞞政策に唆されて、異性との交際よりも仕事や独りでいる事を優先させる女性が「イブはデートなんてしなくてよい」などと宣い、気がつけば寂しい独身女として嫁いだ同性から冷笑を浴びるのである。

男など腐る程いる。しかし己を顧みず天文学的な基準で男を選ぼうとするから、大半の男性は恋愛対象外。基準に見合ったとしても、当然そんな男は既婚者に決まっている。その男にはおそらく100人ぐらい女が集まって居るだろう。

日本が一夫多妻制なら一件落着というところだがそうもいかない。

結果、まったく価値観の合わない独身男女が溢れかえってしまうのだ。

剰った「いらない人間」たる独身男達は自分の絶望を受け入れざるを得ないから、クリスマスにこんな姿で生き恥を曝す事も徐々に慣れつつあるが、独身女のほうは厄介で、必ずや幸せがやってくると信じて疑わないから救いようがない。

イブにデートしないことを「正しい事」とし、デートしている同性に対し恥じ入るどころか敵対視するようになったら、その女性は哀しい。こんなにも巷には独身男が溢れかえっているというのに、頑にそれらを拒絶しつづける姿は、もはや病的だ。

飢餓状態の場で高級フランス料理をオーダーしているようなもの。

もっとも絶望独身男性の方は、最初からそんな常軌を逸した基準で「幸せさがし」している女性に期待も希望等持っていないので、新たなるステージで幸せを見い出そうと努力する。

バーチャル美少女は理不尽な要求もしないし裏切ったりしない。

「彼女達」は我々に優しく微笑む。

「幸せになろうね」

やがて「非現実」が「現実」を上回る時が来よう。

いや、すでに現実の女性の方が「非現実化」している訳で、むしろバーチャル美少女の方が「現実」的なのかもしれない。

イブにこの世の矛盾を垣間見た気がした。

メリークリスマス。


2006年12月23日

君も『ナーシ』に入ろう。

先日、日本の出生率がまたもや大幅に下がったという報道があった。すなわち、

『国立社会保障・人口問題研究所が20日公表した「日本の将来推計人口」によると、女性が一生に産む子供の数である合計特殊出生率は、標準的な「中位推計」で前回の1・39から1・26へと大幅に下方修正した。

また、人口も2055年に8993万人まで減る。 人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、05年の20・2%から55年に40・5%と倍増し、少子高齢化がさらに加速する』

だそうだ。

少なくとも、メディアが伝えるマトモなニュースとは、今や「統計」と「天気予報」位なものだから、これを事実として受け止めるならば、もうどうしようもない所までこの日本は堕ちている訳だ。

そんな事実が明白であるにも拘わらず、マスコミは相変わらず少子化の元凶である「ジェンダーフリー」主導の偏向報道に明け暮れている。真っ当な人間ならば卒倒してしまうだろう。

先日もまた、昭和を代表した著名人の訃報が相次ぎ、暗澹たる報道ばかりが流れた。

だが、別に暗い事だけが蔓延している訳ではない。明るく希望に溢れた出来事がない訳ではないのだ。

先日もJAXA通信試験衛星を搭載したH2A型ロケットが無事打ち上げられた。

最重量の衛星を打ち上げるためにH2Aには4本のブースターが取り付けられて、その力強いリフトアップは「血沸き肉踊る」日本男子の心を鼓舞したはずだ。

本来なら、トップニュースで、それも30分位を全てこの打上げ成功報道に使うのが当たり前であろう。

ところが日本のマスコミはその誇るべき偉業を殆ど無視した。当日夕方のニュースを観てもまったくその映像は現れず、NHKの7時のニュースでも僅かに一分未満の映像で短く伝えただけだ。

代りに流れたのは、アメリカに行って何十億円かは知らぬが、成金プロ野球選手の見下したような笑顔の画像や浮浪者と不良少年の痴話喧嘩と外国人犯罪と人の揚げ足取りの類。

そして愚にも就かない毎度の「子ども」(供を平仮名で書くのがミソ)を廻る茶番劇の数々。

陰々滅々たる情況をこれでもかと流し続けるマスコミはどこか粘着質な精神異常者を彷彿とさせる。

もっとも、メディアの背後には「ジェンダーフリー」やら「女男共同参画」というプロパガンダが牛耳っている訳で、報道が狂気に満ちている事も頷ける。

ところで先日、「NHKスペシャル」で興味深い映像を観た。

ロシアのナショナリズム台頭を紹介する番組だったのだが、そこに『ナーシ』という青年組織の大規模なデモが出てきた。お揃いの制服を纏い、ロシア海軍旗に似せた旗を振り、「男子は軍隊へ、女子は子を産め」と叫び行進する若い集団。

だが、いわいる「右翼」とは違い、普通の若者がボランティアに参加するような感覚。しかし真剣な眼差しで「愛国」を叫んでいる姿はちょうど昨年の中国で起こった「反日デモ」と様相が似ている。

『ナーシ』とは、ロシア大統領プーチンが作った愛国青年団で、言ってみればナチスドイツの『ヒトラーユーゲント』と全く同じ。

このような情況を日本メディアが評すると、やれ「日本のネット上に蔓延るネットウヨクと同じ」だとか「アイデンティティーを喪失した若年層の稚拙な行動」とか揶揄する訳であるが、どうして彼等を非難出来ようか?

1960年代、日本の街頭に吹き荒れた若者の「新左翼活動」などは『ナーシ』と根本においては何ら変わらない。

『ナーシ』を非難するならば、火炎瓶を投げ、デモ隊に参加した当時の若者はどうなのだ。

現状の体制を憂い抗議の声を上げ行動した彼等のエネルギーが「左」か「右」だけの違いだ。若人の体制に対する意志の発散は、いつの時代にもあってしかるべきだ。

『ナーシ』も『ヒトラーユーゲント』も昨年の中国若人の反日デモも、他国からの不当な干渉を憂い自国の尊厳を守るため、強国として国際社会に訴えるべく行動した若者の当然なる権利だ。

ワイマール体制下で虐げられたドイツ。

過去、植民地の憂き目に合い、西欧や日本から搾取された中国。

ソ連崩壊で西側諸国から食い物にされつつあったロシア。

そんな屈辱的経験を経てきた国の若者が「愛国行動」「愛国組織」に躊躇なく参加する事に何の疑問があろう。

虐げられし若者が共に手を取り、愛国に立ち上がる事程「健全」な姿はない。

彼等の純粋な愛国行動は、人間として全く正しい。

その正しさを責める者は邪だ。

そのような正しき純粋な若人の行動を口汚く罵り、全否定する輩こそ危険視すべきだろう。

日本の純粋なる「憂国」訴えし若人達を「ネットウヨ」と罵り、ひたすら愛国心に縋る事を罵倒しつづける卑しき者共は、この日本若人がどんな情況に陥っているか、今一度考えてみればよい。

少子高齢化、人口減、貧富の差の拡大、就業のチャンスは奪われ、結婚、出産の機会も失い、日本男子としてのプライドは何処にもない。家、職場、学校、地域いずれにも自分が存在すべき場所がない。にも拘らず、連日マスコミはそんな虐げられている若人に「死人に鞭打つような」ジェンダーフリー報道で更なる「自己否定」を強要する。

そんな若人が国を憂い、抗議の声を上げるのに何を躊躇うか。

だが、日本には『ナーシ』も『ヒトラーユーゲント』もない。

誇りある街頭行動に出る事が許されぬからこそ、ネットがその「憂国」の言葉で埋め尽されるのである。

今、日本には『ナーシ』はない一方で、国を自壊させるような「女男共同参画」という悪しきプロパガンダに国税が湯水のように注ぎ込まれている。

少子を助長し、出生率を破壊的に低下させプライドある日本男子から尊厳を奪うごとき政策を官民マスコミ挙って支援している「文化大革命」のような国家破壊政策が公然と布かれる国に未来などあろうか?

だから虐げられし若人は立ち上がったのだ。

『ナーシ』の若人の顔は皆イキイキして血色もよく、希望と期待と誇りに満ちあふれていた。

『ヒトラーユーゲント』然り中国反日デモ若人然り。

これが「戦争への道」とか否定するのは簡単だ。

だが彼等の自然な行動の発端は、母国が搾取され虐げられてきた歴史にある。それもほんの十数年前。

これが危険な「戦争の道」というならば、戦争は遠の昔から始まっている。

その原因を作った歴史を看過し上手い汁を吸い続けた連中にこそ「戦争」の責任がある。

国を俗欲の赴くままに荒廃させ、パチンコとサラ金と牛丼屋のメリーゴーランドに一生縛り付けようとした連中が、この「戦争」の原因を作ったのだ。

だが、この日本には『ナーシ』のような誇りある組織も指導者もなく、ただただ「女男共同参画」という去勢政策によって、誇りある男子達は残り数ない人生を虚しく過さねばならない。

これを不幸と言わずしてなんだ?

いずれ、この惨めな日本は『ナーシ』によって鉄の意志を固めたロシア、そして「愛国反日教育」で武装した中国、韓国、北朝鮮の若人によってあっさりと攻め滅ぼされよう。

ロシア『ナーシ』の若人の瞳は美しい。生きる喜びに満ちた瞳だった。それに美少女美男も多い。

『ナーシ』に入団すると男女間の交際は奨励されて「産めよ増やせよ」状態であり、少子化対策にも役に立っているという。

何と羨ましいことか!

それに比べ日本若人はどうだ?

せいぜいネットに憂国を訴えるしかないから澱んだ死んだ魚の目で一日中パソコンの前で引き蘢り。

有り余る性欲は虚しい自慰のみで解消するしかなく、外へ出れば歩いているだけで「痴漢犯罪者」扱い。

同じ人生を歩むならどちらが良いか問うまでもなかろう。

『ナーシ』のない今の日本若人は惨じめの極みだ。

さあ!僕らも『ナーシ』を作ろうよ!


2006年12月18日

商業原稿多忙のため、日記更新が滞りぎみ。御容赦。

暖冬ぎみの12月。気候が穏やかで助かるのだが、痛い出費が続く。

先々月末に故障した外付けハードディスクは、なんとかソフマップワランティーにて解決したのだが、今度は内蔵MOドライブが故障。新たに購入する羽目に。こちらはワランティーが効かないので、ネットでOS8.6対応の製品を探し出す。価格3万6千円強。高い!

USB接続製品であればその三分の一の価格で買えるのだが、ファイヤーワイア−接続に比べ一割程の転送速度しかなく、効率を考えると致し方なかった。

最近、お金を使う事といったら、現状を維持管理するためだけだ。

何か欲しいとか、新たにあれが買いたいとか、最近は全くそういった欲望がない。

ただ単に故障したものを補修、更新するためだけ。機械はいずれ壊れてしまうので、その維持管理のみにお金が消費されていく。先日は転んだ弾みに自室のガラス窓が割れてしまい、その修繕にも一万円以上かかった。幸い怪我はなかったが、とにかく現状を維持するだけでもお金がかかる現実は恐ろしい。

だから、新しいわくわくするモノをここ数年買った記憶がない。

クリスマスだといって欲しい物品はない。手持ちのお金で買えるような「欲しいもの」はまったくない。どちらかというと金をくれてもいらないモノばかり。

とにかく余計なモノを買わせるようなうっとしいシステムはお断りである。

にも拘らず、金を使わせようとする輩が多い。

先日、電々公社からPHS終了のお知らせ電話がかかってきたが、終了にあたり、番号変更の告知サービスもなければ、携帯に移行するにも電話番号の引き継ぎもないし割高料金を押し付けられるわで、PHS終了に伴う全ての損失をユーザーに押し付ける旨の事を告げるだけ。一切のフォローなし。PHSユーザーを馬鹿にしているとしか思えない。

とにかく、割高の携帯を使わざるを得ないように、PHSユーザーを追い込む魂胆であろう。

そうはいくか!

そこまでして携帯に依存させて愚かな出費を続けさせようとするならばすっぱり携帯など捨ててやる。

思い知るがよい!電々公社!国際テレタイプ電話!柔らか銀行!

携帯電話会社に一銭もくれてやるかという気持ちになった。ラッキョウの皮向きみたいなメール依存中毒患者になりたくないし、いざとなればアマ無線があるから特段困りはしない。普通の連絡は家電話で十分。

とにかく、余計な出費を重ねる余裕なんてない。

パソコンやネット、携帯関連はユーザーに新しい機材購入を強要するため、日々システムを更新していく。メーカーは古いシステムを使い続けるユーザーを火炎放射器で焼き払うがごとく、穴から追い出し古い機材を捨てさせようとする。それに屈服する程、自分はお人好しではない。だから頑固に断固として今のシステムにしがみついてやろうと思う。

パソコンは6年前のOS8.6。PHSは11年前のNTTパーソナルパルティオ。このどこが悪い?

こうなったらメーカーと徹底抗戦だ。

硫黄島防衛の旧帝国陸軍栗林忠道中将のごとく、最後の一兵になるまで使い続けてやる。


2006年12月11日

月に願いを。

来年打ち上げる日本の月探査衛星計画にこんな企画があった。

衛星に自分の名前とメッセージを載せて送れるそうだ。以前、火星探査機で同じ企画があって自分も応募したのだが、その衛星は火星回周軌道投入に失敗し、今でも太陽を公転する軌道を回っている。

いずれにせよ、クリスマスも近いのでこんな「ロマン」に溢れた催しに参加するのも面白いかも知れない。

恋人同志、夫婦、親子でメッセージを送れば、今の気持ちが末永く月軌道上を回周し続けるなんてなかなか素敵じゃないか。

月を見上げればそこに絆を記したメッセージが浮かんでいる。

クリスマスイブに愛する人と一緒に投函すれば、どんな高いジュエリーよりも「高価なプレゼント」になる。メールは味気ないのでやはり往復ハガキに肉筆で記し応募するのがいい。

誰が言ったかは忘れたが「愛する事はお互いみつめ合う事ではなく、共に同じ方向を見据える事だ」という格言を思い出した。

「美人も3日一緒にいれば飽きる」という諺もあるが、みつめ合うだけではいずれどちらかが窮屈を感じて離れていくかも知れない。だが、二人が同じ目的、同じ未来を見据え歩む事が出来れば、もしかすると死ぬまで一緒に居られる可能性は高い。真のパートナーとは恐らくそういうものであろう。

たとえ離れて住んでいようと、月を見上げれば、そこに共に歩む目標がある。

これはとても大切な事だ。

愛すると言う事は、相手に対する思いやりであり、また許し合う事であろう。人間は過ちを犯す動物であり、相手に「完全」を求めれば、それは「裏切り」によって簡単に綻ぶ脆い存在だ。

だから許し合わねばならぬのだ。

もし、許す事が自分の人生に「損」であると少しでも思うのならば、人との交流を断って世捨て人となるか、「神様」を恋人にするか、世界中に憎しみをばら撒きながら朽ち果てるしかない。

今この時でも個人間、国家間で激しい憎しみの連鎖が繰り返されている。そしてお互いを許し合う事がなければ暴力の連鎖は永遠に繰り広げられよう。

それが人間の性と言ってしまえばそれまでだ。文明は建設と破壊の繰り返しの上に成り立っている。そしてこの自分も無数の屍の上に存在しているのだ。

人も国もただみつめ合って相手に自分を認めよと懇願するだけでは、いずれ破綻が来る。やがては相手を討ち滅ぼさねば居られなくなるのだ。

だからこそ賢者は悟ったのだ。

みつめ合う事よりも共に同じ方角を見据え、その目標に向って歩む事こそが共存共栄に繋がるのだと。

相手よりも如何に優るとか、そんな内向きの思考が蔓延する限り、希望はやってこない。そのステージで葛藤しても行く末はしれている。

昨今の「いじめ」云々も人同志の優劣が基本となっている現社会では永遠に解決される筈もなかろう。全ての解決案は嘘と欺瞞でしかない。

だから「月に願いを」。

愛する人と共に歩みたいなら「月へのメッセージ」を記そう。

共に月を見上げる事が出来る人を見出せたなら、その人は幸いである。

君にそんな人は居るだろうか?


2006年12月10日

コミケット71情報諸々。

今回はゲスト原稿や、ドラマCDのキャラクター設定とか他のクリエーター様との共同制作が多い。

因にドラマCDであるが、依頼を頂いたのが同人漫画関係ではなく、愛聴しているラジオのDJさん関係からであったので普段慣れないジャンルを扱う事になり、ちょっと戸惑う。

メインでキャラクター設定画を描かれている方は、美少女ゲーム等でかなり有名なクリエーターさんばかり。正直、土俵もジャンルも世代も違うので自分が参加して良いのかなあと悩んでしまった。とはいえプロデューサーさんが自分を選んで下さったので頑張って描いてみた。

因に自分が担当したキャラクターは巫女姿のローティーンの女の子。ドラマCDのブックレットに載るそうだが、きっと自分の絵だけ浮いているだろうなあ。

恥ずかしい。

まあでも、仕事として新鮮だったし、声優さんや挿入曲、シナリオを担当されている方々もメジャーで活躍されているので、商業ベースでも十分扱える企画だと思う。

自分も早くこのドラマCDを聴いてみたい。自ら描いたキャラクターに声が入るのはどんな気持ちであろうか?

もう一つは、むらかわみちおさんが出されている『宇宙戦艦ヤマト』カラーイラスト集への寄稿(トップページに色付け前の下絵をアップした)。

こちらも錚々たるメンバーで凄い人がゲスト原稿を寄せている。

そんなこんなで、自費出版と言えど、参加メンバーを見れば商業誌と何ら遜色ない企画にお誘い下さいまして、この場を借りて御礼申し上げます。

詳しくは「最新情報」に詳しく載せていますので宜しくの程を。


2006年12月2日

『ALWAYS 三丁目の夕日』

話題になっていたこの映画がテレビで放映されたので観賞す。

残念ながら前半の1時間は見損なってしまったが、総じてよい出来だった。CGも全体の色調が統一されていて違和感はなく邦画としては処理が上手い感じ。

舞台は昭和33年の東京。ちょうど皇太子が生まれる前年頃である。自分が物心付いた時は、すでにいわいる「三種の神器」はあって当たり前だったから、それより若干古いか。

その時代をリアルに再現するという主旨においてはレベルが高い作品だったと思う。模型においてのリアリズムと同じで、決して本物ではないけれど模型やミニチュアとしては完成度が高い。だから奇妙な事に過去の時代を扱っているにも拘わらず近未来SF作品を観ているような感覚だった。いや、「近過去」SFか?

だが、やはり現実の昭和33年の「空気」とは、何か程遠いものがある。

当時は、若い世代が多く何もかもバイタリティーに満ちて「群衆」というものを基準に世間が蠢いていた記憶がある。何をするにも「政治臭」がしていた。

まだ60年代安保とかには早かったのであるが、それでも人は「群衆」単位で行動していたんじゃないかと思う。だがこの映画にはそれがない。

個人や家族単位の事柄、事象はすべて「群衆」にかき消され、大した問題ではなかったというか、気にする余裕も時間もなかったのかも知れない。

自分をしみじみと振り返るなんてなかったのだ。

主人公の一人が「家族ができるってどんな感じだろう」と呟くシーンがあったが、おそらくあの時代にそんな気持ちを吐露する情況は存在しなかった。生きるためには家族単位、会社単位、学校単位、地域単位が当たり前で、それを疑問視する思考すらなかったろう。

ニュースもグローバルな話題が多く、米ソ冷戦下で世界が全力で突っ走っていた時代だ。

今のように小学生のいじめ云々とか通学路の安全云々などという「戯言」はニュースはおろか世間話にすら上らなかった。此所の家庭の事象や子供の安全など知った事かという時代だったのだ。

当時の映画、例えば「クレージーキャッツの無責任男」シリーズや「駅前喜劇」シリーズを観ると、もう何もかも前のめりで細かい事等一切気にせず怒濤のごとく突っ走っている。『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれたような繊細な気持ちを吐露する人物なんて存在しない。そんなことをやっていたら一瞬で「群衆」に踏みつぶされておしまいだ。

すべて「群衆」単位で世の中が動き、「ナンセンス」とか「ゲバ闘争」とか「ベトナムに自由を」とかノンポリ作品にさえ、必ずどこかしら「政治臭」のある言葉が出てくる。そんなグローバルな事柄を当たり前に叫んでいたのが1950〜70年代だったのだ。

かなり時代は近くなるが、60〜70年代には『ゲバゲバ90分』なんて番組があった。

『ゲバゲバ』である。

今で言えば『テロテロ90分』である。そんな番組今では作れまい。

ハナ肇がヒッピーの格好をして「あっと驚くタメゴロー。なに!」とかいうナンセンスな叫びが通用した時代である。

そんな1億総中流という、今から思えばパラダイスな時代を経て辿り着いた2006年がいかなる情況になっているかを『ALWAYS 三丁目の夕日』は如実に物語っている。

かつて日本が明るい「未来」を夢見た時代を「近過去SF」として描くしかない情況が如何に虚しい事か、我々は気が付くべきなのだ。

これは宇宙船の中に再現された「古き良き昭和30年代」に過ぎない。

そこにいるのは1950年代の日本人のコスプレをした哀れな「未来人」だ。

少子化、高齢化、人口減、貧富の差が拡大した絶望の21世紀日本人が現実から逃避するために1950年代コスプレパーティー会場に集って宴を繰り広げているに過ぎない。

一歩外へ出れば漆黒の闇、宇宙空間が広がっているだけ。

なにやら、この映画の続編が作られるようだが、そんな自慰に耽るような愚行に走るよりも、いっそ新東京タワー建設を背景とした21世紀版の『ALWAYS 三丁目の夕日』を作ったら如何か?

2007年。にょきにょきと新東京タワー建設の様子を、部屋の窓から何万人もの引き蘢り、ニート、独居老人が眺めている。孤独と絶望の中、今日も火葬場からの煙りで空が濁っている。コンビニの前で屯している少年が携帯を覗き込みながら呟く。

「さっさと死んだ方がいいか」

一人のニートが久しぶりに部屋から這い出して友人の葬式に向う。斎場からの帰り、新東京タワーを見上げるが一向に完成の様子はない。

誰かが言う。

「建設中止だよ。中国と戦争が始まるんだそうだ。でも若い人居ないから負けるよ。この國はまた終戦直後からやり直すのさ」

で夕日に浮かぶ建設中止となった新東京タワーを眺めるニートのシルエットでジ・エンド。

どうであろうか?

むしろこのような絶望の真実、日本の凋落を描く事こそ、これからの映画人の使命ではないだろうか?

もう1950年代は戻らない。

あるのは先細りの貧困で惨めで哀れな2010年代だ。

嗚呼辛い。


2006年11月28日

野球を描く。

一雨事に寒さが増してくるこの頃。とはいえ例年に比べそれ程冷え込みも厳しくなく、まだ秋の雰囲気を残している。

商業誌原稿と冬コミケット用原稿を同時進行。多忙につき日記更新も滞る。

自費出版原稿で野球シーンを描いてみる。不思議な事に投球ポーズとかバッティングポーズが奇妙にすらすら描けてしまう。

高学生時代、水島新司氏の野球漫画を真似して沢山落書きした記憶があって、それが何処かに残っているのだろう。いやそれ以上に大きいのは幼少の頃から野球に親しみつづけた環境。毎日のように巨人戦中継を観、キャッチボール三昧の日々であったから身体でポーズを憶えているのだ。

絵を描く事において幼少に頃に身に付けた事象が如何に重要かを改めて思い知る。


2006年11月18日

『大量死時代がやってくる』

先日、手塚治虫の『火の鳥未来編』を久々に読んだ。これが描かれた1960年代、日本はエネルギッシュな経済成長に漲っていた。

そんな希望が溢れていた時代に手塚治虫は、この作品で人類の衰退と滅亡を予言する。

もっとも当時も米ソ冷戦によって核戦争の危機は叫ばれていたのであるが、手塚はそういった近視眼的な滅亡ではなく、「何故だかは解らないが」25世紀を頂点として、人類文明は衰退を始め、やがて先祖帰りのように萎縮し、荒廃した地上を捨てて地下に引き蘢ってしまう暗澹たる滅亡前夜を描いていた。

これを最初に読んだのは自分が高校生の頃であったが、そんな衰退する文明を感動的にすら眺めつつも、それは遥か未来の出来事であって自分の世代には起こり得ない「絵空事」として読むに過ぎなかった。

同じように、最近読み返した滅亡漫画に宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がある。

こちらの方は、手塚の『火の鳥未来編』よりも近未来で、滅亡もまたさらなるリアリティーに満ちてはいるが、これも少なくとも自分達の世代で発生しうる滅亡の「予言」ではなかった。

手塚治虫も宮崎駿も、人類文明の衰退と滅亡を「いつか来る」確実な未来として描いたという部分において偉大なものがあるが、その終末はあくまでフィクションに過ぎず、自分達の世代には起こり得ないと誰もが信じていた。

少なくとも自分達が生きているうちには・・。

最近、メディアで流れる「訃報」の性格が俄に変わってような気がする。

かつて、訃報覧に載る人物は、自分達とは全く縁のない分野の人物か、あったとしても恐ろしく世代の離れた「雲の上の人」クラスであった。

たまに、世代の近い人物であっても、それは極々稀な事であって日常のレベルではない。

それが最近、変わってきた。

訃報覧に踊る名前が頻繁に同世代や縁のある人物に変換され始めたのである。

「あの人もこの人も」というふうにね。

そう、死と呼ばれる刈り入れ人がひたひたと忍び寄ってきたのだ。

恐ろしい!

人は言うだろう。

「お前ぐらいの世代になれば死ぬ奴も多くなるし、それだけ訃報覧で取り上げられる率も高くなる。驚くには当らない」と。

確かにそうだ。しかし何かが違う。そう、底知れぬ恐ろしさが黄泉の常闇からザワザワザワザワと聞こえるのだ。

その理由の一端を垣間見れる記事が19日付け朝日新聞付録『Be』に載っていた。

『大量死時代がやってくる』と題されたコラムには、今後日本人の死亡率がどのように推移するかを明確に示すグラフが載せられていた。

そのグラフは恐るべき右肩上がりの曲線を描く。

1982年の6.0を底に、じわじわと少しずつ上昇を続け2000年頃を境に急激に上昇し、2050年には先進国最大の死亡率14となると。

これは終戦直後の様相と同じ率で、バッタバッタと人間が大量に死んでいく事を意味する。

こんな死亡率急上昇は今まで西欧諸国でも記録されていないという。

尋常ではない恐るべき「死の宴」が、今まさにこの國で進行中なのだ。理由は無論、高齢者の割り合いがどんどん増えるから。

終戦直後の混乱時代がほんの20〜30年でやってくる。いや、上昇率だけに限ればすでに進行中なのだ。

だが来るべき「禍の時代」は死亡率上昇だけに留まらない。

終戦直後は確かに死亡率は高かったが出生率も高かった訳で、生まれてくる者も多かったからまだ救いはあった。

しかし今度迎える禍は出生率は落ち込んだままなのだ。

つまり、死だけがあって生が存在しない時代が来る。

まさに暗黒の死の時代だ。

恐ろしい!

死が死を呼び、死が全てを支配する時代が来るのだ。

街では屍に満ちあふれ、骸が宴を繰り広げる。

まさに、中世ヨーロッパのペスト禍の時代と同じ様相が、この日本でもうすぐ、いやもうすでに始まりつつあるのだ。

恐ろしい!恐ろしい!

上から下から右から左から東西南北あらいる所から死がやってくる。

あなたは、目覚めると新聞を見る。

1面から最終面まですべて訃報覧だ。あの人も死にこの人も死んだ。

あなたは今日のスケジュールを確認する。

朝から晩まで、葬儀、通夜、火葬場、法事で埋まっている。収入の大半は香典で消えていく。

気が付けばあなたは喪服で寝ていた。葬儀帰りでそのまま寝てしまったのだ。

テレビもネットも訃報と死の話題ばかり。無論CMもバナ−広告もすべて葬儀社と火葬場で埋め尽されている。携帯メールも大半が訃報で亡骸の写真が添付されているものばかり。死ぬ直前に自分の亡骸を撮ったものまである。これは携帯会社のサービスらしい。

あなたは外へ出る。

火葬場からの煙りで空は煤けて、何やら何処からか死臭が漂ってくる。街は線香の匂いで充満。彼岸でもないのに墓参りの人でいっぱい。

今日もまた、葬儀場には霊柩車の渋滞が出来ている。

かつて華やかな結婚式が行われていたホテルでは、メインイベントが葬儀である。各々個別に執り行なってはとても間に合わないから集団葬儀が一般的となる。

集団就職、集団結婚と同じ流れで集団葬式が行われるのだ。参列者も皆、70、80代だからその場でバタバタと死んでいく場合も多々あり、いちいち面倒だからついでにまとめて火葬場行きだ。

これだけ大量の死が日常化すると、死もコンビニエンス化してコンビニに「死体ボックス」が設置されよう。子供も身寄りもない高齢者が爆発的に増えたからこのような処置も必要だろう。

あなたは学校を通り過ぎる。久しく聞いていなかった子供の声を耳にし足を止める。

学校では、ほんの僅かな児童達が大量の骸と行く当てのない死を待つだけの老人に囲まれ、終末の詩を合唱する。

「僕らはみんな死んでいる。

死んでいるから死んでいる。

僕らはみんな死んでいる。死んでいるから死んでいる。

手の平を太陽に透かしてみればー

真っ黒に腐ってる僕の手首ー

死体だって死体だって屍だって

みんなみんな死んでいるんだ屍なんだ−」

(以下繰り替えし)

(無断転写禁/著作あびゅうきょ)

そして子供達は頭蓋骨をボールに骸サッカーを楽しむのである。

その子供の歓声を背中にあなたは家路に就く。

あなたはこうして24時間、死と付き合うのが一般的な日常となろう。そしてあなたも近いうちに死んでいく。

まさに滅びの時代がすぐそこにやってきているのだ。

これはフィクションではない。確実にやって来る僕らの世代におけるたったひとつの「現実」だ。

かつて手塚治虫が描いた「火の鳥未来編」で苦悩葛藤する主人公山之辺マサトは、現実の君であり僕なのだ。

もはや終末は「絵空事」ではなく現実としてすぐそこに迫っていたのだ。

現実の女の子に未来を託す術は失われて久しい。

出生率や初婚率を見れば解ろう。彼女達はもはやただの化物だ。

逃げる事なんて出来ない。ムーピーもいない。在るとしたら美少女フィギュアかディスプレイの向こうに居るバーチャル美少女だ。

さあ、美少女フィギュアを抱いて逃げよう!

何処に?

そうだ。『風の谷のナウシカ』に出てきた「永遠の庭」に。

ヒドラの庭師が造った安らぎの庭に。未来の人類に残してくれた安息の地に。

だがその庭も「絵空事」の中じゃないか!

嗚呼!だめだだめだだめだあ!逃げ場なんかない!何処にもない!

死の刈り入れ人が追っかけてくる!

ドンドコドンドコ追っかけてくる!

僕の首をピょーんと刎ねる為に恐ろしい鎌をビュンビュン振り回して迫ってくる!

死死死死。

老いと病と死しか待っていない絶望の國、日本。

どうしたらよいのだ?

結局、手塚治虫はこの恐るべき「未来」を垣間見る事なく逝ってしまった。ある意味幸せと言えよう。

また宮崎駿も豊かで希望溢れた1960年代日本の遺産を享受出来る最後の世代として逃げ切る事が出来よう。

いずれの世代もその終末を「絵空事」「遠い遥か未来の事」として描く余裕があったのだ。

だが、もう僕らにはそんな余裕も遺産も残されてはいない。

滅びと終末の後始末だけを義務付けられた我らには絶望が待っているだけ。

結局僕らは、手塚治虫や宮崎駿の漫画の中に自分の未来がある事を気が付かずに読んでいたのだ。

『火の鳥未来編』で25世紀を頂点とした文明衰退が、まさか21世紀初頭にやってこようとは、さすがの手塚治虫先生も予想出来なかったろう。

まったくもって「現実は小説よりも奇なり」である。

恐ろしい。


2006年11月15日

秋のメディア狂想曲。

久しぶりにJAXAのホームページを覗いてみたら12月に打ち上げられる予定の通信試験衛星の紹介ブログに変なキャラクターが。

名前は「きくはちぞう」

軌道上で巨大なアンテナを広げる状態から発想したマスコットと思われるが、成功した暁にはアニメ化でもするのだろうか?

いずれにしろ、アンテナ全開した姿は、何やらガンダムに出てきそうなメカニック。ただ、この巨大なアンテナは次世代衛星携帯電話用とのこと。そんな内向きなモノに投資するんじゃなくて深宇宙通信ネットワークとか太陽系外の文明からの電波をキャッチするプロジェクトに使ったらどうだと思う。

日本の実用衛星は大袈裟なものが多い割に役に立っているとは思えぬ。

一方で、科学衛星は多少はマトモか。

先日打ち上げられた太陽観測衛星『ひので』にしろ、来年の夏に打上げ予定の月探査機『SELENE』にしろ、科学的成果が期待出来るプロジェクト。

少なくとも、今の日本青少年にポジティブで未来志向な希望を与えるという意味においては、最も効果のある「国家的事業」ではなかろうか?

マスコミはもっとこういった話題を大々的に報ずればよいのに、相変わらず愚にもつかない事象を飽きもせず反芻し世間を弄ぶ。

で、この秋のキャンペーンは「いじめ」とか「自殺」のようだが、ところで昨年の今頃はどんなお題で騒ぎ立てていたのを憶えているだろうか?

たしか「鳥インフルエンザ」、「偽装欠陥マンション」辺りではなかったかと記憶しているが、たとえその全てを忘れ去ってしまっても誰も困りはしなかった。むしろ騒ぎ立てていた時の方が、よほど人々に禍を齎していたと思われる。

昨年も、今年もマスコミが面白がって取り上げた興味本意のキャンペーンによって随分と自殺者が出たようである。

こんな事に真面目に付き合っていたらどうなるかのよい事例であろう。

マスコミは「いじめ」を単に興味本意の素材として扱っているに過ぎない訳で、自ら騒ぎを増長させて被害者を増やしている己の罪深さをこれっぽっちも考えていない。

このメディアスクラムによって、死人が出ようと連中にとっては知った事ではないのである。

こんなキャンペーンは蕁麻疹と同じと考えてよかろう。姑くは激しいかゆみが出るが、何時の間にか何事もなかったように治まっている。だが暫くするとまた別の所でかゆみが始まってまた大騒ぎ。ところが根本的な治療を図ろうとする気はさらさらないから掻きむしった場所が酷く爛れるだけで終り。そしてその繰り返しである。メディアはその都度役に立たない怪しげな軟膏を売りつけて国民を欺くのだ。

そんな不毛な「治療ごっこ」をさも「国難」かのごとく、右往左往する偽政者達のパフォーマンスもまた救いがたい年中行事のひとつ。

面白がって騒ぎに便乗した餓鬼のいたずらかもしれない稚拙な「自殺予告」の手紙を、まるで敵国が攻め込んで来たかのごとく過剰反応して見せる様は、如何に政治家が暇を持て余しているかを如実に物語っていよう。

他にする事はないのか?

最近、テレビのゴールデンタイムにタレント『爆笑問題』の背の高い方が総理大臣になったらという仮定で様々な極論を述べるバラエティー番組がある。自分は殆ど見ていないが、驚いたことにそのバラエティー番組に「本物」の政治家が登場して「本気」(のようにみえる)で議論しているのである。

政治家が芸人と同じステージで国家を論じている様は冗談か?

政治家が副業でタレント業に勤しんでいるのか芸人の方が政治家を目指しているのかは定かではないが、民放というスポンサー付の番組で真理が語られる筈もなく、そんな場で「真面目に」政治等語られても誰が納得するのか?

もっとも、タレントと政治家が紙一重である事は重々承知。

先日、NHKでチャップリンの生い立ちを取り上げた番組を観たが、その中で映画『独裁者』のラスト6分がチャップリンの演説で占められたというエピソードがある。

その時点でチャップリンは政治家と何ら変わらなかった。喜劇俳優としてではない政治家としてのチャップリン。何かの拍子でチャップリンもヒトラーと同じ道を歩んだかもしれぬ。ヒトラーも然り。元々ヒトラーは画家志望だったのだからね。

立場が逆転していた事だってありえるのだ。

そうであれば、バラエティー番組の中で政策をアジる芸人が居たっておかしくないし、芸人レベルの政治家が居たって構わないだろう。

だが、そんな独裁者気取りの芸人と芸に興ずる政治家が胡散臭いバラエティー番組でメディアに踊らされる様を観ていると何だか全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「いじめ」も「自殺」問題も「高校履修」問題も結局このバラエティー番組の余興に過ぎない。

この余興で本当に自殺に追い込まれた人々は哀れの極み。死んでも死に切れない。

そして、暫くすれば「いじめ」問題等何事もなかったかのごとく忘れさられ、また別の余興で犠牲者が出るのである。

本気で日本青少年の将来を憂うのならば、まとめて種子島に連れていき、H2ロケットの打上げを目の前で見せればよい。

衛星が大気圏外に放出されるための膨大なエネルギーを身体で感じれば、自ずと希望は悟れるもの。

幾万の不毛な説教などゴミと化そう。テレビ、携帯、新聞、偽政者と一緒に屑箱に投じよ。

そう思わんか?きくはちぞう。


2006年11月12日

COMITIA78

創作同人誌イベントCOMITIA78来場感謝。

参加者お疲れ様でした。

この日は「木枯らし1号」が吹いて本格的に寒さを感じた日。ついこの前まで暑い夏だったのに、この季節感の転換の早さはなんなのだろう?

さて、東京ビッグサイト会場に着いたのがギリギリ10時半。危うくサークル入場制限を食らう寸前だった。

今回は以前お世話になった雑誌編集者の方等、貴重な出会いも多く、有意義であった。入場者は8月と比べ若干少ないかなあと言う感じ。

余談だが、会場で売られていたメロンパンを差し入れで頂き初めて食した。

やはり同人イベントに出ると冬のコミケットに向けて何か出さねばという創作意欲が高まる。

鈍った創作精神に気合いを入れ直して、前進せねば。


2006年11月11日

デジタルラジオ頓挫。

先日、朝日新聞に「デジタルラジオの将来に逆風」とかいうタイトルの記事があった。

何やら試験的に割り当てられたデジタル用周波数が使えなくなるとか。

アナログテレビがデジタル化して引っ越した後のVHF帯を使いたい業者がたくさん出現して追い出しを食らったらしい。

そもそもラジオはデジタル化を義務付けられている訳ではなく、現行でも十分その役目を果している訳ではあるが、ラジオ事業者はデジタル化によって更なる収益を謀りたいらしい。だがラジオという古典的メディアがつまらぬ欲を出すと身を滅ぼしかねない事は常々述べてきた。

そもそも音声という特化されたメディアが映像とかデータ配信を始めたら、それはラジオではなくて有象無象のネットのダウンロードサイトに呑み込まれてしまうだけ。暫くすれば跡形もなく合併吸収されてしまうのがオチだろう。

身分相応に、こじんまりとネットに頼らない音声メディアという「王道」を歩めばよいのである。

ラジオはシンプル イズ ベストだからこそ生き残れる。

いずれにせよデジタルラジオの問題点は多い。

暫定的に決められた周波数帯であるが、これは現アナログテレビの7ch。VHF帯の高い方だ。

FM放送帯よりも直線性がある波長帯だから見通し距離以上の所には電波が届かない。更にアナログ波と違ってイレギュラーな遠距離受信は見込めない。ある程度のレベル以下ではデジタル情報は再生出来ないのだ。

つまりノイズ混じりでも何とか聞こえるというラジオの利点はなくなる。あくまで安定的に受信出来る範囲内でしか聴く事が出来ないのだ。どの局がどの周波数帯に割り当てられるのかは知らないが、もし今のアナログラジオ並みのサービスエリアを維持するためには、至る所に中継局を設置しなければならない。それでもビルの影等に入ればデジタルラジオは使い物にならない。

無論、今のアナログAMラジオのように夜になったら遠い北海道や九州のラジオが聞こえてくる電離層の特性を活かした伝播効果も一切ない。

更に、デジタルラジオになれば、ノイズの一切ないCD並みの高音質な状態で聴く事ができると謳うが、今時、高音質の音声メディアなど腐る程ある訳で、今更ラジオが高音質になったところで誰が喜ぶのか?

そんなことになったらデジタル放送音声エアチェック規制とかで、ラジオ放送すら一回限りの録音しか出来ないとか面倒な事になりかねない。

ラジオなどノイズがあってこそ趣があるのであって、ノイズがなくなれば誰もが有り難がるとでも考えているのだろうか?

ラジオのユーザーはそんなものは望んでいない。

あくまで手軽にシンプルに情報を聴取する媒体としての役割だ。

それでもデジタルがやりたいと言うのであれば、ラジオなど廃業してデジタルテレビの隅っこに間借して細々零細データ配信業者として一から始めたら如何か?遅かれ早かれテレビに合併吸収されるのは目に見えてはいるが。

皮肉にもデジタルラジオを推進しているのは、「見えるラジオ」をいち早く取り入れた局だという。

その「見えるラジオ」が、今どのような情況なのか、ちょっと考えればデジタルラジオの将来も見えてこよう。

自分も「みえるラジオ」サービス開始早々から専用ラジオを購入したが、面白かったのはごく初期の試験的な時期だけで、今や電源を入れる事すらなくなった。「みえるラジオ」を活かす独自の斬新な番組構成がどれ程あるのか、ちょっと聴いただけでも解ろう。

結局、大半のラジオユーザーは文字情報を必要としなかったのである。

デジタル化され、聴取条件の不自由さや末端機器の煩雑さにより、ラジオ自ら首を絞めかねない情況になることを危惧しているのは自分だけではあるまい。

やれ、デジタルだ、ネットだ、携帯ワンセグだと踊らされても、ラジオというメディアにそれらは馴染まない。

デジタルという煩雑さから逃れるところにラジオがあるのであって、そのラジオが煩雑さを背負えば存在価値はない。

ラジオがデジタル、ネット主流のメディア最前線に立つことはありえない。

デジタルを否定するところにラジオの唯一生き残る場がある。


2006年11月3日

入間航空祭

毎年恒例、文化の日に開催される入間航空祭に今年も赴く。

幸い今年は好天に恵まれブルーインパルスも青空に映えた。

今回は殺伐とした場所は避けようと考えていたのだが、よい写真を撮りたいという誘惑に負けて、またもや航空ファンの殺到している滑走路脇付近に陣取ってしまった。

だが、毎年反省するのだが早朝から来て最前列を確保しない限り、期待通りの写真を撮る事は困難になる。二、三列目に居ると前は塞がるし、後ろからは邪魔物扱いされるしで、落ち着ける情況ではない。こういう中途半端な場所に居るとろくな事はないので避けるのが身のためであろう。本来脚立持ち込みは禁止なのだが、かなりの人が脚立で撮影していた。これだけの人込みの中、最前列を確保するか脚立を使用しない限り、航空機の離発着やブルーインパルスの地上演技(?)を見る事は不可能。

来場者のマナーも大切だが基地側ももう少し考えてほしいものである。

それはさておき、今年は22万人の人出があったにも拘わらず、例年の足の踏み場もない程の混雑振りではなかった。たぶん一般開放された領域が例年よりも広かったことが原因だろう。いつもの倍くらいあった感覚。端から端まで歩くのに相当時間がかかった。

いずれにせよ、よい写真を撮るだけが航空祭の魅力ではない。写真だけに固執すると気持ちが貧する。数年前まではもっと大らかな気分で来場していたのに、何か余裕のない過ごし方をしている。

因に土産は『ブルーインパルスカレー』。

未食なのでどんな味がするのかは解らないが。

パソコンの調子が怪しい。

爆弾マークのシステムエラーが時たま出るようになった。外付けハードディスクが異常を起こした時に、パソコン本体もシステムにダメージを受けたのかもしれない。

ディスクの初期化なんてぞっとする。以前にもパソコンが不調に陥り、初期化せざる負えなくなった時があったが、復帰させる労力は並み大抵の事ではなかった。

更に今回はバックアップの外付けハードディスクも修理中なので頭が痛い。

年末に向けていろいろ忙しいのに、もしパソコンが使えなくなったら仕事にならない。

困ったものだ。


2006年10月26日

ナンバーポータビリティと『ほしのこえ』

携帯電話の番号が会社を変えても同じままという制度が始まったらしく、テレビや新聞で連日連夜大騒ぎだ。

今、自分は10年以上前のPHS(NTTパーソナル製)のを使ってはいるが、NTTドコモがPHSサービスを終了させても、更新せずにいようかとも考えている。

確かに出先で連絡を取り合うのは便利なツールかも知れないが、はたして常時繋がっているような状態がそんなによいものか疑問に思う。

先日、NHKBSで新海誠氏のアニメ『ほしのこえ』が放映されていた。

恋人が宇宙空間に出征し、だんだんとコミュニケーションの間隔が長くなっていく。メールの返信が8年後とかそんな設定だ。

だが、むしろ瞬時にコミュニケーション出来る環境よりも、時空間のギャップが大きい程、お互いの絆は深まるんじゃないかと思う事がある。

『ほしのこえ』の主人公は何年も同じ携帯をもち続け、恋人からのいつ来るか解らないメールを待ち続ける。

傷だらけになってぼろぼろになっても尚、その携帯を手放さないのは、それが唯一恋人との絆だからだ。

短周期に携帯を買い替えるのが常識のような今日。

だが毎朝、大量に来ているのはスパムメールばかり。携帯、ネット伝いにやってくる9割の情報は不要なものばかりであることはいまさらいうまでもない。

そのゴミの中から有効なものを探し出す手間、時間が限り無く無駄に思えてくる。

そんな情報の下水道のような道具を嬉しそうに電車の中で操る女性達をみていると、これは絶対に価値観は相容れないなあとも思う。

機種を代えようが会社を代えようが、真新しい携帯からは強い絆は生まれない。

限り無く希薄な安っぽい、いつでも切れるような人間同志が時間を潰し合う風潮が蔓延するだけ。

携帯会社はナンバーポータビリティ制度のために、繋がらない場所をなくすとかいっているが、空恐ろしい事である。

一人で居たい、そんな人間の安息の地が奪われた時、人は人ではなく、電信柱に乗っかっているようないつでも交換可能なただの中継機と化す。

むしろ今、必要なのは携帯を捨てるためのナンバーダストシュート制度だろう。

「今なら携帯捨て時放題!電話番号を捨て、自分を取り戻そう!」

案外、携帯を乗り換えるより、こっちを希望する人間の方が多いかも。お得感最高!なにせ今までの携帯代がゼロになる上、自分の時間がタダで手に入れられるのだ。

もしかすると、これが最も賢い選択かもしれない。

ナンバーダストシュート。今が捨て時だよ。


2006年10月24日

職務質問。

昨日、JR阿佐ヶ谷駅で職務質問を警官から受けた。

いきなり所持品を見せろという。

その時の格好はドイツ軍迷彩ジャケットに大きな黒いディーバッグ。顔は無精髭。以前にも同じ格好で職務質問を受けた事があり、そんなに怪しいのかと頭に来る。

こっちからすればミニスカートの婦女子の方が公然猥褻で取り締まるべきだと思うのだが。

それはさておき、こちらを呼び止めた警官はディーバッグやポーチの中まで見せろという。別に疚しい事は何もなかったので、そんなに見たきゃ見ろという態度で駅前で中味をばらまく。

いつも持ち歩いているコンパスを警官が見つけて「何に使うんですか?」とか言ってきたので頭に来ていた自分は、「これは所持禁止なのか?持っていたら犯罪者なのか?」と逆に詰め寄る。いちいちバックの中を懐中電灯で調べるものだから、増々頭に来て怒鳴る。「調べるんなら駅前の人間全部調べたらどうだ!何で自分だけ調べるんだ!」と怒鳴ってみる。実際、毎日虐げられている自分が、何で駅前で警官に職務質問されねばならないのか猛烈に憤怒の念が沸き上がる。

怪しいものが出てこなかったので、三分程で解放されたが、腹の虫が納まらず、捨て台詞でこう言い放ってやった。

「駅前にパチンコサラ金放置しといてふざけるな!犯罪の温床は見てみぬふりか!お前等上司のOBが犯罪集団の輩の処に天下って旨い汁吸ってんだぞ!恥を知れ!」

警官は特に聞いては居なかったようだが、本当に頭に来たのだ。

職務質問は、オウム真理教事件の頃もよくされた記憶がある。

高円寺や阿佐ヶ谷にはオウム施設やショップがたくさんあって、一度高円寺のショップに資料素材集めのためにオウムグッズを買いに行った事があった。店を出るといきなり警官に呼び止められて身元を聞かれる。

買い物する事自体、犯罪ではないのだから疚しい事はない。堂々と渡り合わなければ付け込まれるだけ。

たまに重厚な無線機や資料のためのエアガンとか持ち歩いているが、男の証を所持して何が問題なのか?

一方で婦女子のハレンチな服装はなぜ許される?一向に合点が行かぬ。

さて、阿佐ヶ谷での職務質問の件だが、どうやら長野県諏訪の方で行方不明になった12歳の少女に絡む警戒の一環らしいと後になって気が付く。諏訪だと中央線沿線になるので、各駅に警官を配置して怪しい者を捜していたのだろう。

テレビでこの事件をやっていたのだが、「連れ去られた」筈の少女が報道を見て吃驚して名乗り出たそうな。

連れ去りというか、ただの家出だろ。

その上同行していたという男性ともネットの出会い系サイトで同意の上だったんだから、この12歳の馬鹿少女こそ責められるべきだ。

お陰でいい迷惑を被ったのである。

ここまで迷惑かけても、被害者面出来る日本の婦女子児童はいい時代に生まれたものである。

こっちは生きているだけで馬鹿馬鹿しくなるが。


2006年10月23日

外付けハードディスクトラブル。

2002年1月に購入し、データーバックアップ保存の主力だった80GBの外付けハードディスクAH80FC(ヤノ電器製)が突如トラブルを起こし、認識しなくなった。

これまでまったく順調で、トラブルの気配すらなかったので正直吃驚。

あるアプリケーションソフトで作業中に、今までにない異常なシグナルを発し、接続が切られる旨のダイヤログがパソコン画面に表示された。そしてそのままディスクの電源がオフになってしまったのだ。

それ以来、この外付けハードディスクは認識出来なくなり、中のデータも読めなくなってしまった。

実は、もう容量もいっぱいだったのでそろそろ新しいハードディスクを増設しようと考えていた矢先。このトラブル発生がもう少し遅ければ、中のデータを新しいハードディスクにコピーしておけたかもと悔やむが後の祭りである。

最重要なデータはMOやCDRにもバックアップしてあったのだが、この外付けハードディスクのみに保存してあったデータもあってかなりの損失。

パソコン本体がクラッシュしたり、ディスクの初期化を迫られた時も、この外付けハードディスクのお陰でデータの復帰は容易だったが、そのバックアップの主力がいきなりトラブルとは想定外。

購入から4年と9ヶ月。大凡ハードディスクの寿命は4〜5年と聞いているので、やはり寿命だったのか?それとも作業中のアプリケーションに何らかの異常があったのか?

いずれにせよ、この問題を解決しなければならぬ。

壊れたハードディスクのデータ救出は可能だろうか?方法はいろいろあるらしく、このハードディスクメーカーにも「データレスキュー」サービスがあるらしい。

問題は価格で、救出出来たとしても7万円(新しいHDD価格込み)近くかかるという。

とにかくお金がかかる。とはいえ、失ったデーターはお金で買えないのも事実。悩むところだ。

このハードディスクドライブを買った店はソフマップ。幸い5年間保障のワランティに入っていたので修理だけなら無料。データ救出が無理なのならばこのワランティで対応するしかあるまい。

このHDDの問題は別としても、新しい外付けハードディスクドライブは早急に導入しなければいけない。80GBでは納まらないのだ。

だが、大きな問題に直面する。

OS8.6で使える外付けHDDは殆どないのだ。

量販店に行って調べてみるも、大抵の製品はOS9以上のサポートのみ。店員に聞いても知識がなく要領を得ない。

ネットで捜してみると、結局OS8.6で使えそうなのは従来から使っていた製品と同じヤノ電器製のみ。

だが何故か、ヤノ電器のHDDは量販店にもマック専門店にも置いていないのだ。取り寄せかネット通信販売に頼るしかない。

なんだか物凄く手間がかかってしんどい。

OSやパソコン本体が5年以上古くなると、対応製品を捜すのもデータ保存方法も著しく困難を極める作業になる。

メーカーは利益を生まぬ古い製品や旧バージョンはどんどん切り捨てていく。

ユーザーは常に新しい製品を買い、OSをバージョンアップしつづけない限り、デジタルで作り上げた「創作物」は維持出来ない。

常に新たなシステムにデジタルデータを更新するという猛烈な手間と出費を強いられるのだ。データ量は膨大になるから一年中その作業に没頭しなければならぬ。

10年もバージョンアップを怠れば、古いデータはもはや読み取る事も保存する事も不可能になろう。

一体何のためのデジタル化なのだ?

一瞬で壊れるデジタルデータ。常に更新されるシステムに合せなければならないデジタルデータ。

正直、うんざりしてきた。

いや、いっそ開き直ってデジタルデータなんてそもそも短命でその場で消えていくものと割切ったほうがよいかもしれない。とはいえ、昨今の創作物の大半はデジタル化されたもの。簡単に消失しては困るのだ。

パソコンを導入してから約7年を過ぎた。

100GBに迫るデーターがいつのまにか蓄積されたけれど、はたしてこれを如何に維持管理していくか考えると頭が痛い。

一瞬にして失われるデジタルデータの喪失感というのは精神衛生上も好ましくない。

いくらバックアップを心掛けていても必ず失うものが出てくる。

そろそろ、この膨大なデジタルデータの保存方法を根本的に見直すべき時代に来たのではないかと深く危惧する。


2006年10月21日

初の『ディズニーシー』

自分にとって最も縁遠いところであったディズニーリゾートの世界。一生行く事はない筈だったこのメリケンテーマパークに親族連れで赴く事になった。

朝9時、平日にも拘らず舞浜駅前はお客でごった返す。朝からみんな真剣である。

『ディズニーシー』へはディズニーリゾートラインというモノレールに乗るのだが、これが本格的な路線で下手な私鉄よりも立派。

窓やつり革がミッキーマウスの形をしているのを除けば、一般の営業モノレールと変わらない。

つまり、「本物」が「夢の形」をしているのだ。

入る前から度肝を抜かれる。そう、ここは本気で夢を実践する場らしい。

そして『ディズニーシー』駅に到着。

一言で言えば「1/1スケールの精巧なジオラマ世界」。何もかもが徹底的に作り込まれて吃驚する。人が実際住んでいてもおかしくない街並が続く。「夢の世界」は子供騙しでは再現出来ない事を知らしめる。

「百聞は一見に如かず」とはよく言うが、何となくイメージしていたディズニーのテーマパークとは全然違い、何というかレベルの高い万国博覧会に来た感じで、お客のこちらまで真剣に楽しまなくては申し訳ないとまで思ってしまう「魔力」のようなものがある。

そう、「作り物」と解っていてもその世界に順応させてしまう魔術だ。

まるで自分が『ディズニーシー』というジオラマの中のフィギュア人形になった錯覚すら感じるのだ。

リピーターが多いというのも頷けるし、世間で言われるディズニーのイメージとも全然違う。正直、『ディズニーシー』は一人で行っても楽しめる場所かも知れない。

一日一回開かれる『レジェンド・オブ・ミシカ』『ブラッシーモ』という水上ショーも初めて見たが、これまた尋常ではなかった。スピード感溢れ、光や水を効果的に演出し、見る者を圧倒させる作りは、ちょっと桁違いだ。山車も精巧且つ豪華にデコレーションされ、陳腐さの欠片もない。オリンピック開会式イベントのごとし。これを毎日開催しているとは信じがたい。

お金、人、時間をふんだんに注ぎ込んで「夢の世界」を見せるパワーは、恐ろしい程である。

正直、ミッキーマウスやドナルドは居なくてもよいような気がするが、そこはディズニーだから定番キャラクターが存在しなくては成り立たないのであろう。

ただ、自分にとっては、いわいるアトラクションは不要である。親族連だったのでどうしても付き合いでアトラクションに乗らざるおえなかったのであるが、Gがかかって狭い闇の空間を高速で移動する情況は、単なる拷問であり、どんなアトラクションも苦痛にしかならなかった。自分が耐えられるアトラクションは精々メリーゴーランドまでだ。

いずれにせよ、初めての『ディズニーシー』体験は意外にも好印象であった。

事前に緻密な計画を立てて回ったのもよい結果になったのかも知れない。

だか、この「夢の世界」は膨大な資金提供者があってこそ成り立つのだ。その動員力とスポンサーが尽きた時、「夢」は終る。

いや、もしかすると何時の日か『ディズニーシー』が閉園し、廃墟になったその時が真の「夢の國」の姿なのかも。

誰もいない蔦からむ廃屋に、ディズニーが目指す真理が存在するのだ。

その時は是非此処に住んでみたいと思う。


2006年10月19日

秋に想う「神の火」。

絵コンテ作業やら、ドラマCDのキャラクター設定作業やらで忙殺・・という程ではないのだが、なんとなく気が付けばもう10月も中旬を過ぎている。

今月初めのスーパー低気圧が大平洋沿岸を北上した後、秋の好天が続いて気持ちがよい。近年、秋と言えば長雨だったので、この好天続きは珍しい。

こういう時こそ何処かに出かけるべきなんだが無駄に時間が過ぎていく。

エネルギーをどこかに収束しなければならないのだが、何故か惚けてしまい惰眠を重ねる。

世情は北朝鮮の核実験で少し揺れ動いているようにも見えるが、学校のいじめ自殺等と同レベルの扱いでテレビから流れてくるのを聴いていると、なんだかどうでもいいような気分になる。

たとえ核ミサイルが飛んでこようとも、同じ日のニュースには痴漢や児童に絡む話題を飽きもせず流すのであろうね。

そう、今、世情を操る者にとって、核実験は痴漢と大して変わらない出来事なのだ。

科学の叡智を結集して作られた人類の存亡を左右する最終兵器と、女性が電車の中で尻を触られる行為が同意語で扱われる今の時代とは、一体なんなのだ?

ふと、ラジオからは『ポルノグラフィティ』の「アポロ」が流れくる。

「僕らが産まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号は月にいってたんだよ」

何回聴いても、いいフレーズだ。

そう、僕らが産まれてくる前後、人類は猛烈にして、偉大なる「神の火」の実験を繰り返していたのだ。1950〜60年代、米ソの核実験は最高潮に達し、巨大なキノコ雲が毎年何十本も大気圏内に立ち上がっていた。

1961年10月、今から45年前、旧ソ連は人類史上最大の50メガトン核爆発実験を実施した。

この核爆弾は『爆弾の皇帝』と称される。

今でもこの記録は破られていない。

50メガトンといえば、先日の北朝鮮の核実験が1キロトン以下というから規模(5万倍以上)の程度が解ろう。

その衝撃波は地球を三周りしたという。

そんなビッグイベントが毎年行われていたなんて、もううらやましくッて仕方ない。

巨神兵の吐く「神の火」が、ライブで実施されていたのだ。

人々は核実験に敬意と恐れを抱き、「キノコ雲」は庶民の生活の一部になっていた。アニメでも「メガトンパンチ」とか普通に使われていたし。当時の漫画には「ヨットで核実験を見に行くキチガイたち」みたいなタイトルの作品があった。核実験もキチガイという言葉もタブーではなかったのである。

もっとも核実験は軍事機密の部分も多かったから、気軽に見物という訳にもいかず、見学ツアーもTV中継もなかったので結局は後に記録映像でしか見る事は出来なかったのであるが、それでも当時はこの偉大なる核実験を痴漢と同列に扱うなんて不謹慎な事はなかった。

核実験報道の次は有人宇宙飛行、そして世界各国で繰り広げられていた人類の叡智を賭けた闘争のニュースでいっぱいだった。そんな科学中心の社会が永遠に続くんだと少年時代の自分はジャイアンツの野球帽を深く被り、未来を夢見ていたのだ。

だが、45年後、毎日テレビで垂れ流されるのは、愚にも付かない婦女子児童の痴話事、パチンコ賭博高利貸し、自殺、牛丼の類ばかり。

なんなんだ?これは?

無論2006年現在、人類の科学的叡智溢れる出来事が全くない訳ではない。

ただ、報道されていないだけ。

たとえば、事あるごとに紹介しているが、アメリカの火星探査車の活躍は今尚続いている。

先日、探査車『オポチュニティ』が巨大な火星のクレーターの淵にまで達した。そして、高解像カメラを積んだ新たな火星回周衛星がその探査車を軌道上から見事に捉えている写真が公開された。SF小説で読んだ大冒険叙情詩が現在進行形なのである。

まさにロボットによる「火星征服」なのである。フロンティア開拓なのである。

しかし、なぜかマスコミはこの偉業を無視しつづける。約三年間の血湧き肉踊る冒険ドライブはNASAのこのサイトで見る事は出来るが、火星で進行中の偉大なる人類の冒険が常時テレビや新聞のトップを飾る事はないのだ。

今のマスコミにとって、この人類の科学的勝利における大冒険よりも、JR中央線の痴漢のほうが重大ニュースらしい。

そんなニュースばっかり流されたんじゃ、世の中そんなレベルの人間ばかりになってしまおう。というかもうなってるしね。

45年前のロシア北極圏で炸裂した「神の火」。

この神々しき風景を、僕らはもう見る事は出来ないのだろうか?

この「神の火」を拝めば人々は神の存在を科学に見て悟り、希望溢れる未来を歩めるようになるかもしれない。

少なくとも今よりはマトモだ。


2006年10月9日

映画『キャッチボール屋』

10月21日(土)新宿K's cinemaにてロードショー公開される映画『キャッチボール屋』(大崎章監督)にちょこっとだけエキストラ出演。

昨年の東京国際映画祭で出展された作品だ。

前半の公園シーンで独り佇んでスケッチしている男として出演。

僅かなシーンだけだがちゃんと映っている。

あのエヴァンゲリオン監督庵野秀明さんも出演しているという異色作品。

ロケ先でお会いして少しお話出来た時間が貴重だった。




2006年10月7日

爆弾低気圧と「台風一過」

5日から6日にかけて首都圏は長い暴風雨に見舞われた。

北東の強い風と雨。天気図を見ても台風など接近してはいない筈なのに、情況は暴風雨。

どうやら南海上にあった台風16号と17号が秋雨前線上の低気圧に「ワープ」していきなり首都圏を暴風雨に巻き込んだようだ。この爆弾低気圧はそういう意味で台風崩れというか巨神兵の断末魔のごとく、長時間首都圏に居座った。

明けて7日、やっとこの低気圧が抜けて、東京は台風一過の大晴天。

富士山まで望める視界の良さに澄み渡った青空が眩しい。

そんな中、コミックマーケット元代表米澤嘉博氏の告別式に赴く。

所用先から向ったので喪服ではなく普段着(といっても一応黒尽くめだったが)で、会場のある麻布十番のお寺へ。

多数の弔問客でごった返す境内。しかしコミケ代表の葬儀らしく焼香列もイベント同様にスタッフが整然と仕切る。意外だったのは9割方がちゃんとしたスーツの喪服姿。同人誌イベント参加者の弔問が大多数を絞めているので、もっとラフな服装の人も多いのではないかと思ったが相反して喪服が圧倒的。

もっとも親族の方々も列席する葬儀であるから当然と言えば当然だが、自分のように荷物とか抱えたまま普段着で来てしまい無礼この上ない。つくづく自分が冠婚葬祭に場違いな存在であると思い知る。

それにしても、あのコミケ会場では見る事のない整然とした参加者達の弔問の姿には、妙な感慨深さが込み上げる。

30年近く前のコミケットは、学芸会に毛の生えたような、本当に「子供の遊び」の延長みたいな催しだったのに、今、目の前に存在するのは、正に真っ当な大人社会の「儀式」である。参加者も20〜40代のれっきとした社会人であって、ここまで育て上げた米澤氏の偉業に改めて感謝しなければならない。

葬式嫌いの自分が率先して弔問したのも、やはりこの集いの場によって数々の出会いや仕事のチャンスを与えて頂いた事に対する深い感謝の念を示したかったのであろう。

同じ想いの人間が多いのか、弔問者を見るとおそらく古参のサークル参加者と思われる男子が多い。女子もちらほら見かけたが圧倒的に少ない。古臭いかも知れないが、やはり組織の「絆」「恩義」というか、そういうものを大切にするのが男なのかも。

午後三時半、式場沿道を埋めた列席者の間を、米澤氏の亡骸を乗せた霊柩車が通り過ぎる。

なぜか拍手が巻き起こる。

急に現実味のない奇妙なお芝居の中にいるような錯覚に囚われた。コミケットも代表の死も実は虚構で、すべては虚ろな夢が見た戯れに過ぎないのだと。

いや、しかしこれは紛れもない現実なのだ。

この集いと表現の場は紛れもなく存在し、またこれからも存在していくであろう。

台風一過の輝く陽射しと深い青空が印象的な一日だった。


2006年10月1日

コミケット代表米澤嘉博氏死去。

この報を聞いて正直吃驚した。

コミックマーケットに参加し始めてから12年。今やなくてはならない自費出版発表の場のコミックマーケット代表が急逝されたことは、いろんな意味で重く感じられる。

米澤嘉博氏とは個人的に会った事はない。ただ、世代が近く、おそらく私の作品もかなり前から読んでおられたのではないか?

事実、以前『ダ・ヴィンチ』という雑誌の同人誌紹介コラムで私の本を取り上げて下さった事があった。

直接コミケットの運営を知る訳ではないが、コミックマーケットは殆ど米澤嘉博氏のカリスマ性で成立していたと言っても過言ではなかろう。参加者の一人として感じる事は長年に渡ってこの巨大イベントを維持出来たのはやはりこの人の指導力あってこそだったような。

カタログの「ごあいさつ」や「コミケットアピール」等、米澤氏のメッセージによってこのイベントの情況が参加者に伝わり、安心感を得られたものだった。世間からスケープゴートの恰好の対象になりうるこのイベントを存続できたのは、正に米澤氏の手腕にかかっていたのだろう。

本当のところは解らない。これだけ巨大化してしまえば米澤氏が居なくなっても運営はなるようになってしまうのかも知れない。

ただ、これまで米澤氏に支えられたイベントが、特段後継者引き継ぎを検討された事もないままに突然の急逝を迎えた事はやはり参加者として不安を感じてしまう。

巨大イベントといってもあくまでアマチュアの催しであり、国や自治体、大企業が主導しているイベントではない。官僚の天下りがスタッフにいる訳でもなく巨大な力に何時押し潰されるかも解らない。

いずれにしろ、53歳はあまりにも早すぎる。

自分の周りでも同人仲間や漫画家が若くして亡くなる例は珍しい事ではないが、米澤氏の死は同人誌界において余りに大きな損失。あと20年くらいは生きて磐石な後継体制を整えてこの国におけるコミックマーケットの存在価値を普遍化させて欲しかったと思う。

まだまだこのイベントを異端視する輩は大勢いる。今後、米澤氏の側近が集団で運営管理していくそうだが、ぜひとも参加者が納得出来る運営をお願いしたい。

コミケットは30年続いている。そして70回も開かれ続けた。

今や、アマチュアイベントとしては日本最大級の動員数を誇る。

これが奇蹟だったのか、必然だったのかは解らない。

ただ米澤氏が育てたこの「偉業」は後継者によってこれからも続けていく義務があろう。

継続は力なり。

合掌。


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