2003年7月・8月・9月
2003年9月30日
「ひきこもり」
先日の日記にも紹介したNHK教育『福祉ネットワーク』で「ひきこもり」のケアについて論じていた。
ところで「ひきこもり」とはどういう情況を指すのか?
自室に籠ると言っても仕事で何日間も缶詰め状態になっている人と対人恐怖等で引き蘢っているのとでは全然意味が違うだろう。何処で区別付けるのか?それに引き蘢る事自体に何か問題あるのだろうか?人に迷惑かけなければ、自室に引き蘢ろうと何しようと本人の自由。社会のシステムが人と直接交流しなくとも生きていける環境になったのだから、むしろ引き蘢って生活する方が適応性があるというもの。病扱いする方が間違っているんじゃないのか?
おそらく此所で対象となる「ひきこもり」とは社会との関係を断絶して「病的」に自閉している者を指すらしいが抽象的でよく解らん。そもそも正常と病の差って何だ?
それはさておき、番組内では「ひきこもり」に対する公的機関の支援として「ひきこもり」若者へのグループケアを紹介していた。「ひきこもり」を集団生活させて社会への復帰を促すというもの。
その中で妙だったのは、このグループケアに参加して社会復帰が出来たと紹介された20代前後の元「ひきこもり」女性。
かつては自室に籠り、誰とも会わない生活していたが今はコンビニでバイトしているとのこと。
ちょっと待て。
コンビニでバイト出来る位であれば、対人関係OKってことだからそもそも引き蘢らねば生きていけない訳でもあるまい。これはいわいる「ひきこもり」ではなく「たまたま自室に居る事が多かった女の子」に過ぎないんじゃないか?
以前、ある人から聞いた話である。
若い男性の「ひきこもり」の場合、ほぼ100%異性の交友関係はなく、異性どころか家族以外の人間関係すら皆無なのだが、若い女性の「ひきこもり」の場合は、奇妙な事に恋人や異性の友達が居るケースが多いらしい。
これが事実とすれば、若い女性の「ひきこもり」って、はたしてケアを必要とするような「病気」なのか?
実際、男と女では「ひきこもり」の解消理由が大きく異なるという。
女性の「ひきこもり」は結婚によって解消されるが、男性の場合は、自殺によって解消されると聞く。
この事実を踏まえて考えるならば、ケアの方法も自ずと男女別々に対処しなければならないだろう。
女性は結婚相談所。男性は安楽死センターへ。
もっとも女性の「ひきこもり」は自分の力で恋人を見つける事が出来るようだから公的機関がケアする必要もないようだ。一方、男子の方も安楽死センターなるものが現実化していない以上、死に方を自分で工面しなければならない。よって公的機関は「ひきこもり」に対し、女性には何も施す必要はないが、男性には一刻も早い安楽死センターの設立を急ぐ必要があろうか?
結論としては女性の「ひきこもり」は一過性の心身の不調だが、男性の「ひきこもり」は「死に至る病」と結論付けてよいだろう。
例によってNHK教育『福祉ネットワーク』では、上記のような具体案をなんら提示する事なく、建前論に終始していた。
公共放送なのだからもっと真摯に考えて頂きたいものだが。
いずれにせよ、内向的な人間を安直に「ひきこもり」で片付けるのは勘弁願いたい。
2003年9月26日
『整形美人』と「等身大美少女ドール」
例によって夕方、ぼうっとTVを灯けていたらフジTVで『整形美人』とかいうドラマの再放送をやっていた。器量の悪い女性が全身整形して幸せを勝ち取るストーリーらしい。双児の姉妹の姉が整形してモデルみたいな容姿になるのだが、自分としては、整形していない妹の方に好感が持てる。
それはともかく、器量の悪い(と思い込んでいる)女性が整形までして勝ち取ろうとする幸せとは何だろう?
結婚適齢期の男は剰っている。どんな酷い容姿の女性でも身分相応と言う亊を考えれば、整形せずとも幸せは容易に手に入る。整形を欲する女性はおそらく全男性の1%しか見ていないのだろう。他の99%は恋愛結婚対象外だ。もっと視野を広く持てぬのか?
彼女達には選択する権利がある。
だが、この2003年の日本に限って言えば、どんな器量の悪い女性でも決して不幸にはならない。遥か彼方の月にまで手を延ばさなくとも幸せにしてくれる男達はゴロゴロいる。
ただ気が付かないだけ。足元に転がっている石ころをひっくり返すだけでよい。そこには無数の浮かばれない男達が蠢いている。その一匹を摘む勇気さえあれば、その女の子は今すぐにでも幸せになれるのだ。
虫みたいな男はイヤなどと言えるかどうかは、自分の姿を鏡に映せばよいだろう。だが容姿など慣れればどうとでもなる。美人など三日も一緒にいれば飽きるもの。
田島陽子似の女性でさえ、その気になれば整形しなくとも幸せはすぐ其処にある。
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その夜、テレビ朝日で妙な番組を見た。
『人生の選択あなたはどちらの幸せ選びますかスペシャル』
まあ内容は他愛のないバラエティー番組なのだが、その中で等身大の美少女ドールと同居する50代独身男性の生活が紹介されていた。
肌触りも体重も質感も本物そっくりな等身大ドール。そんな美少女ドールと同居しているその男は「彼女」と一緒にお風呂に入ったり、食事したり、旅行したりと寝食共にする程の仲。彼はその美少女ドールに無償の愛を与え続けている。見返りは何もない。それでも彼にとってはこの生活が至福なのだ。
なぜなら「彼女」は決して彼の事を裏切らないから。
嗚呼、なんという究極の愛の姿であろうか!
そう、何も語らないその等身大美少女ドールに注がれる虚しい愛情こそが、現代日本独身絶望男性の声なき声を代弁しているように思えて心が痛む。
この男は誰からも愛される事はないのだ。だからこんな無機質の空虚な人形にすら愛の対象にしなければ生きていけないのだ。
この姿を誰が笑えるか。
これは日本絶望独身男性全てに当てはまる普遍的絶望なのだ。それは漆黒の闇より暗く深く終りがない。
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人は常に誰かに愛されたいと渇望する。
生まれながらに、それが叶う者はほんの僅かに過ぎない。
整形してまで愛される事を渇望する女性は、実は足元に「幸せ」が存在する事に気が付いていないだけ。人を「愛する」ことを放棄して「愛される」事だけ求めていては、たとえ『整形美人』に成れたとしても本当の幸せは獲得出来ないだろう。
そんな「愛されるだけ」の幸せを追い求めている女性に失望した男達は何時しか現実の女に見切りを付け、魂の宿らぬ人形に無償の愛を注ぐのだ。
一刻も早い人格移植OS搭載の等身大リアル美少女ドールの出現を願いたい。
ボークスでもホンダでもソニーいいから早く開発せよ。
2003年9月21日
野田秀樹作『カノン』
連日の暑さが一転して肌寒くなった雨の日曜日、西東京市民会館にて上演された「ドリームブレッド」という劇団の旗揚げ公演を観劇。
上演作品は野田秀樹作『カノン』。因に野田秀樹脚本の芝居を見るのは初めて。軸となるテーマがはっきりしていたので最後まで飽きる事なく見入ることが出来た。もっと観念的抽象的お芝居だと思っていたが、どちらかというと古典的でさえあった。BGMにバッハが使われていたので、自分の感性とかなりシンクロ率高かった。役者や演出、衣裳もよい。
この公演は知り合いの劇団員の方からのお誘いで見せてもらったのだが、終演後に挨拶した時、身体に擦り傷がいっぱい付いていたのが解った。そこまでして自己表現に打ち込む姿勢は素晴らしい。
20代前半というのは感性が漲っていて正に「無敵の季節」と言えようか。創作も恋愛も一直線で純粋だ。
「我が道に敗北はなし。ただ栄光あるのみ」
台風接近の冷たい雨の中、自分の若き日々を振り返りつつ独りとぼとぼ帰路に就くのであった。
2003年9月19日
『WPC EXPO 2003』
幕張メッセで開催されているパソコンのお祭りを3年ぶりに見に行く。タダ券が腐る程出回っているはずなのに何故か自分の手元には一枚もない。よって間抜けにも入場料2000円を支払う。因に入場券売り場には誰も並んでおらず。なぜなら99%の入場者が招待やダイレクトメールのタダ券持参なのだから。チケット買ってる自分の姿がなんとも虚しい。
それはさておき、パソコンショーと言っても見どころはコンパニオンと無料配布のグッズ位なもの。PCメーカーより電話会社やデジカメ関連がやたら元気だった。紙袋も布製の丈夫なものが増え美味しい。『au』と『NTTドコモ』の紙袋が人気だった。
コンパニオンで注目したのは沖電機のブース。
ロリっぽいツインテールの女の子がメイド風のウエイトレスコスプレをして笑顔でお出迎え。絶対これは「萌え」を狙っているとしか思えない。ここだけ変な雰囲気が漂っていた。
このブースに限らず、露なコスチュームで身をくねらすコンパニオンの周りには、冴えない風貌の男達が各種のデジカメを構え、上下舐め回すように群がっている。
まるで美しい華にたかるチャドクガの幼虫のごとし。
コンパニオンは営業スマイルで答えているが本音はこうだろう。
「この出来損ないのオス共。こっちは仕事だから相手してやってるけどお前らは所詮石の下のむじな。ゴミと同じ一生童貞結婚出来ない人間の屑!さっさと消えちまいな!このツエツエ蝿!」
その心の声を受信した途端、自分は恐怖にブルブルっと震え、一目散に会場を飛び出し京葉線で逃げるように帰路についた。
車窓から見えるディズニーランドと葛西臨海公園観覧車の灯りが哀しい。
2003年9月17日
「哲学するマントヒヒ」
NHK「みんなのうた」で流されていたシュールな曲とアニメ。
宇宙人に改造されるマントヒヒと朝日に蒸発する宇宙人。
ああ、儚きぞ人生。
2003年9月16日
『福祉ネットワーク』
教育テレビで時たま目にする障害者支援番組。
先日、自閉症や多動症等障害を持つ子供の親子キャンプみたいなレポートをやっていた。参加者は殆どが男児。女児も数人含まれていたが女児には悲愴感はない。
そう、可愛い女の子ならば多少障害があったとしても将来は明るい。結婚すれば経済的に健常者の男性に依存出来る生活が保証されているからだ。
一方、男児は救いがない。
健常者の男子でさえ自立して生きるのが難しい時代。まして障害を背負った男子がマトモな幸せを獲得出来る訳がないのだ。親が死んだら施設に放り込まれるか、野垂れ死が関の山。
剰った男子、それも障害持ちの男子はもはや「社会のお荷物」でしかない。
障害者の女性に無償の愛情を注ぐ男性はいても、障害者の男子に同様の愛を齎す女性はいない。
「稼ぎのない片輪男子に何の価値があるの?」それが若い女性の本音であるから仕方あるまい。
誰も悪くはないのだ。ただ障害を持って産まれた本人が不幸なだけ。
番組ではこのような現実を語る事もなく、偽善的な綺麗事に終始していた。これでは本当の福祉とは言えまい。
むしろ、悲劇的未来を避けるために、障害男児のための安楽死センター設立とかを真剣に考えるべきだろう。障害者、引き蘢りの男児にこれ以上苦痛を与えてまで生きる意味はないだろうから。
これが酷というならば、世の若き女性に対して「役にたたない不良品」男子に無償の愛を与えよと番組で問うべきだ。しかし、それで納得する女性がこの世界に存在するとはとても思えぬ。
だから需要のない「欠陥男子」はどこかで処分される運命しか残されていないのだ。
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先日、朝日新聞に終戦直後の人口比率表が掲載されていた。これによると昭和20年当時は、結婚適齢期の男女比率が、今とは逆に女性の方が剰っていたことが解る。理由はもちろん徴兵によって若い世代の男子が根こそぎ死んだからだ。
皮肉にも戦争によって大多数の残存男子は暫くの間、結婚に不自由することはなかった。昭和40年位までは40代男子の未婚率は一割にも達しない。
しかし、生まれてくる男女の比率は若干男の方が多い。病死や戦争という「間引き」がない限り、男子は剰るように出来ている。
今、秋葉原辺りを徘徊している男子は、おそらく本来は「間引き」されて処分されるべき「いらない人間」なのだろう。そう、逆に考えれば、こういった「ヲタク」男子は、かつてこの国が欧米列強に対して挑んだ総力戦があったからこそ存在しているのだ。もし太平洋戦争がなかったら、男子余剰の時代が続き「ヲタク」を産んだはずの父親、祖父は永遠に結婚も子も設ける事は出来なかったであろうから。
だから本来生きていてはいけない男子に結婚も子を設ける事も許されない。
障害男子、引き蘢り男子、ヲタク男子に生き残る権利はないのだ。逝くべき所は、戦場か安楽死センターだ。
NHK教育の『福祉ネットワーク』が伝えるべきことは、まずこれであろう。
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先日、近所のおもちゃ屋に立ち寄った時、幼児向け(女児)玩具の中に「愛情のおけいこ」という人形を見つけた。これでお風呂やおしめ換えのシュミレーションをするらしい。だがその対象は赤ちゃんではなく「いらない人間」たる余剰男子の介護だとしたら・・。
パッケージに描かれている人形が自分の老いた時の姿に見え、恐怖にブルブルッと震えが来た。
数秒後、おもちゃ屋から一目散に逃げ出したのはいうまでもない。
2003年9月11日
「王立科学博物館」
宇宙ものを集めた食玩シリーズ。
某「ヲタク」評論家がプロデュースしたとあって凝った造りになっている。解説書も濃い。
だが一抹の虚しさも漂う。
自分達が子供時代を過ごした1960年代。それから40年後の21世紀には人類はすでに太陽系の各惑星に植民地をつくって宇宙旅行など当たり前と予想していたのに。
だが現実は全く逆。月にすら誰も住んでいないとは。
「宇宙時代」の夢は食玩という「御菓子のおまけ」の中に閉じ込められて、やがて記憶の果てに消え去って行くのだろう。
さて、同封された解説書の中に1960年代当時の少年マンガ雑誌が紹介されていた。表紙は宇宙飛行士や原子力潜水艦。男として血沸き肉踊る画像だ。これが少年の求める当然の普遍的な憧れなのだろう。
それから40年後。少年誌の表紙を飾るのは水着グラビアの類。去勢され骨抜きにされた挙げ句、少女の水着写真で誤魔化される今の少年。気の毒というより哀れだ。
食玩の主流もメカものより「リカヴィネ」のような美少女フィギュアが人気らしい。
そう、「宇宙時代」はおろか「女の子」さえバーチャルな作り物の中でしか獲得出来ない時代になってしまったのだ。
夢も憧れもすべて妄想の中。
現実の2003年がこんな惨めな世界だと予想した者は居たろうか・・。
かつて少年誌にはリアルなイラストを添えたSF特集記事が連載されていた。その中に『誰もいなくなった地球』という読み物ページがあった。廃墟になった都市。森林に埋もれたビル群。野生動物が闊歩する高速道路等のイラスト。人々は『方舟』のような巨大宇宙船で地球を脱出するのだ。その特集を貪るように読んだ記憶がある。
そんな「人類の滅亡」でさえ憧れに思えた1960年代は、とても幸いな時代だったのだろう。
2003年9月6日
樹木を愛でるということ。
9月になってから残暑がぶり返すという妙な天気が続く。
実家の庭には樹木が生い茂っているのだが、時々剪定して枝や木が除かれる。思い入れのある樹木があってもお構いなしに伐られる。庭の管理は父親がやっており、こちらの意思は全く考慮されない。
自分にとってこの庭の樹木は肺の一部のようなものであり、生命維持の相互リンクの対象でもある。枝の一本ですら失いたくはない。そんなにも大切な「聖地」であるのに自分には何の権限もないのだ。
バブル経済以降、このような都市部の庭は次々失われていく。樹木が生い茂る庭は「有効利用」されない土地と勝手に法律で決めつけ税を重くする。だから所有者は庭を潰してマンションやらアパートやら駐車場にしてしまうのだ。
こんな狂気の沙汰に付き合う程、自分は愚かではない。
だが、そんな意思を親族に伝えても聞く耳は持つまい。価値観が違い過ぎるのだ。
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確かこの庭は祖父の世代からあったと聞く。
自分の父方の祖父は比較的有名な演劇評論家だったという。早稲田の演劇図書館には祖父の著書が幾つか収められているはずだ。だが自分が生まれた時はすでに他界しており、どんな人物であったか知る由もない。
はたして祖父がこの庭にどのような思い入れをしていたかは知らない。だが後世、この狂気の沙汰の土地政策によって帝都の樹木が破壊されることを良しとしたろうか?
否。
この狂った制度に屈するほど愚かな孫にはなるつもりはない。だがこの歳になってもなお、自分にはどうすることも出来ないのだ。
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自分の最低限の夢は、都内に明治神宮のような庭を造園し、邪なる俗欲を排除し、結界を張り巡らして神聖なる領域を作る事だ。そしてその聖域を千年万年継承すること。
そのためには初期投資でも最低1兆円が必要となろう。個人の事業ではほぼ現実不可能である。
しかし、だからといって庭のないアパートやマンションに住む気は更々ない。そこまで自分を貶めてまで生きたいとも思わぬ。
だから何としても力がほしい。それも強大な。
2003年8月31日
コミティア65来場感謝。
東京流通センターで開かれたコミティアに参加。天気予報では曇り時々雨だったのであまり本を持って行かなかった。しかし天候は思ったよりも良くて人出も多く、早々に完売してしまった。
いずれにせよ、今年の夏は低温と雨に振り回されて終わりを告げた。
自由業だと夏休みは関係ないのだが、子供の頃より染み付いた印象によって「8月31日=もの哀しさを最も強く感じる日」。ちょうど日曜の夕方、テレビから『笑点』のテーマソングが流れてきて憂鬱になるのと同じか?
・
「NHKアーカイブス」で1975年当時のSFドラマ『謎の転校生』を放映していた。
映像も構成も今のレベルからすると滑稽な程稚拙なのだが、何故か不思議と引き込まれる魅力がある。
ドラマの中で主人公がこんな台詞を言っていた。
「お前達は、ブタよりも鈍感だ」
こういう強烈な台詞は痛快である。
主人公が真面目に語る核戦争の危機と科学万能の社会に対する警鐘は、当時の世相がまだ俗欲より崇高な理念を優先出来た時代を物語る。『70年代我らの世界』というドキュメンタリー番組もこの頃だ。堕落が当たり前のように受け入れられてしまった現在では、こんなドラマはもう永遠に地上波テレビでは制作されまい。
当時はまだ、若者が新しい時代を切り開く主役に成れると信じられた時代。放っておいても新しい理念が湧き出てきた。なにせ人口比で若年層が卓越していたのだ。
今、教育テレビで若者討論番組『しゃべりば』みたいなのがあるが、なんかただ「討論させられている」だけのようで滑稽だ。覇気の欠片も無い。70年代での「老人」と同じポジションだな。
もしかするとこのドラマに出てきた転校生は、1975年という「異世界」からやってきて2003年の我々に警告するために「NHKアーカイブス」に侵入したのかもしれぬ。つまりこのドラマはそのために28年前作られたのだ。
「お前達は、ブタよりも鈍感だ」という台詞は2003年の日本人に向けてのメッセージだったのかも。
2003年8月27日
火星大接近。
遂に6万年ぶりの火星大接近の日がやってきた。東京はあいにく曇りがちの天候だったが時々雲の合間からマイナス3等星に輝く火星を望むことが出来た。
にしても、目算違いで天体望遠鏡を買い逃してしまった。
悪天続きで火星観測に対するモチベーションが高まらず、ずるずると「買うか買うまいか」悩んでいたら、大方の望遠鏡は品切れに。実は自分の予想では今頃、売れ残りの天体望遠鏡が投げ売り状態になって安く手に入るのではないかと目論んでいたが、見事にアテが外れる。
そんなに買う人いたのか?
実は某カメラ量販店で望遠鏡(ビクセンVIPER-MC90L)とデジカメアダプター、そして火星観測用の高倍率アイピースがセットになって安く売っており、それを狙っていたのだがあっさり品切れ。
この望遠鏡はジョイスティックで操作出来る経緯台が付いている。口径も90cmとまずまず。俄に火星を見たいだけであるから、操作の難しい赤道儀付きを買ってもすぐ使いこなせる訳がない。このレベルでちょうどよかったのだが。
結局、間際になって慌てて買おうなんて考えるとろくな事はない。
ここは少し我慢して諦めるところなのだが、やはりどうしても自分の目で火星を大きく見てみたい。
そこで、約30年前購入し、今ではベランダに雨曝しになって放置されているスクラップ寸前の反射望遠鏡を引き出してきた。もう反射鏡も曇っていて、本体は錆でぼろぼろ。架台もない。それでも試しに覗いてみると、なんとか使えそうだ。
架台代りにカメラ用の三脚に乗せ、保存してあったアイピースを付けて火星に向けてみた。このクラスの望遠鏡では火星の模様を垣間見ることは無理で、かろうじて丸い火星の輪郭が確認出来るのみ。
それでも実際、この目で火星を確認出来た事は収穫だった。中学生の頃に購入した低価格の望遠鏡でまさか21世紀初頭の大接近中の火星を望むとは。
もう粗大ゴミとして処分しようかと思っていた錆だらけの望遠鏡に火星が映っている。
なんとも不思議な気分だ。
それはさておき、せっかくデジカメがあるのだから、なんとか火星を写してみようと考えた。接眼レンズごしにデジカメを直接押し当てて撮影。これをコリメート法というらしい。しかしアダプターもなく、手持ちではまともに写せるはずもない。それに自動導入ではないので火星はどんどん望遠鏡の視野から遠ざかる。雲間越しに10枚程撮ってみたがどれもボヤーとしてピンぼけぎみ。露出過多ぎみになって火星像も白く飛んでしまう。まともに丸く写ってもくれない。ブレブレ写真ばかり。
そこでフォトショップでフォトレタッチを試み、どうにか見れそうに処理してみた。
かなりいい加減でホントにこれが火星の正像なのか疑わしいが、それでもとりあえず「火星らしい」写真が出来た。たいした準備もなく、知識も機材もない情況で初めて撮った火星の天体写真である。
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大接近中の火星は南に面した窓側の僅かの視野に不思議と納まっている。
まるで覗かれているようだ(中央の枝の間の赤い点が火星)。
なぜ火星が禍々しい象徴と言われるのか、何となく解ったような気がした。
2003年8月24日
横田基地祭。
やっと猛暑が戻ったこの週末、3年ぶりに横田基地祭に赴く。
晴天と猛烈な暑さがあってこそのお祭り。特に航空関係は晴天でないと話にならない。
無意味に暑いと普段どうでもよい事がとても貴重に感じる。日陰や水を渇望して駐機場を彷徨うのがオツだ。油断すると熱射病でダウンする。
KC135の主翼下の日陰が今回のオアシス。F14が引退間近ということで機前には人垣が出来ていた。
甘ったるい米国製のスポーツドリンクをガブガブ飲み、大雑把なハンバーガーを食う。基地の中はアメリカなので変な事をしでかして憲兵に銃殺されても文句は言えない。そんな緊張感も一興だ。.
デジカメで夕日をバックに航空機群を撮って帰宅。
2003年8月21日
コミケの今後。
ある漫画家さんの日記(8月18日)に「コミケの今後」を占う記述があるというので一読してみた。
コミケに対する位置付けは、参加者それぞれ違うので一概には言えないが、興味深い内容だったので自分なりに感想を少々。
まずこの漫画家さんが述べるところによれば、現在のコミケには「最新の絵柄」というものは存在せず、それは今やネット上に移行しているという。だから描き手も受け手もコミケから離れ、ネット上にその活動の場を変えつつあるそうだ。
ところでコミケという場で「最新の絵柄」だけを探す目的の一般参加者ってどの位いるのだろう?確かにネット環境が普及して作品発表の場がネットに移行しているのは事実だろう。だが、かといってコミケ一般参加者がその絵柄をネットで見ただけで満足するとは思えない。逆にネットで「最新の絵柄」を見たらそれがどんな本に仕上がっているか気にならないか?作家をスカウトしたい編集者も、本人と会う機会を欲しているだろう。
送り手の作家(サークル参加者)の立場としても同じ事が言える。
実際のところ、自分の作品を公に知らしめるための手段として確かにネットは絶大なる効果を持つ。
だが自分の作品そのものをネットで公開しても本質的に得られるものは殆ど無いに等しい。
ネット上の作品には質量がない。
質量がないものに価値は付けられるだろうか?もしあったとすれば、作家たちは例外なくHP上の作品を全て有料で公開するだろう。だがそんな例はあまり聞かない(電子書籍が普及しない理由もこの辺りにある)。今後革新的な電子書籍システムが開発されない限り、この情況は変わらないだろう。
だから描き手は、自分の作品を紙の媒体、すなわち本(あるいは記憶メディア)にしてイベントで頒布する。
つまりたとえ「最新の絵柄」の発表の場がネット上に移行したとしても、作家は本を作るだろうし、読み手はその本を欲しがるだろう。そういった市場がある限り、それが原因でコミケ参加者が減るとはとても思えない。
「ファッションとして、もうコミケを発表の場とすることがダサくなりつつある」とこの漫画家さんは記されているが、はたしてそうか?
HP上でしか作品を発表したことがない若いCG絵師にとって単に同人誌イベントがどういう所か知らないだけかも。あるいは同人誌そのものに知識がないとか。意外とイベントに疎いクリエーターは多いらしい。かく言う自分も同人誌界を知り、自費出版を始めたのは35歳近くになってからだ。
また買い手に関しても彼はこう予測されている。
「ファイル交換ソフトのコミュニティが整備され、サークル配置表通りの新刊&既刊が無料で手にはいるようになるであろう。共同購入で3時間も並ぶ時代は去り、一人が買って千人共有するだけになる」と。
ファイル交換ソフトとはどんなものを指すのかよく解らないのだが、もしかして違法コピーのことだろうか?仮にそのようなコミュニティーが出来たとしても、今までの買い手がそれで満足するか疑問だ。音楽やゲームと違い、同人誌は紙という媒体に印刷されてこそ価値がある。本の質感、デザインを含めてね。特に同人誌のような希少性を求められるものほど、その部分は重要になる。単に絵をスキャンしてパソコン上で閲覧したとして、それが従来の同人誌購読意欲にとって変わるとは思えない。
またこうも記されている。
「商業誌だけでも食えるプロが、遊び場としてのコミケに飽きてしまっている。
同人誌で食っているプロが、パロ標的の喪失・ネット海賊版・同人誌書店での
後売りなどによって、現場に出るモチベーションを失いつつある。」
飽きる飽きないかは、それこそ人各々であり、プロ参加者の総意とはとても思えない。実際自分は今年で9年目だが飽きたという感覚は全くない。プロ参加者が本の売り上げを競うだけの場と考えてコミケに参加していると考えるのはやや無理があろう。またプロ、アマチュア問わず、コミケは「遊び場」というより「お祭り」と位置付けている参加者の方が圧倒的に多いのではないかと思う。年2回の祭に集う事に意味がある訳で、まあ同人にとっては盆正月に「故郷」に還るという感覚に近いか。
・
コミケに限らず、人間は祭の場を欲する。
「ネット環境の充実=コミケの衰退」という図式は、むしろ逆のような気さえする。皮肉な事にネット環境が整う程、生身の人間との交流を欲する傾向が高くなる。日常が閉鎖的だからこそ同人や一般参加者にとってコミケという祀りは貴重な「神事」になり得る。
どんなにネットが普及しようとディスプレイとキーボードだけで人は維持出来ない。なぜなら人間は五感で快楽を得る生き物だからだ。どんな引き蘢りだろうがいずれは外に這い出さずにはいられなくなる。
拠り所を求めてね。
むしろ少子化、晩婚、高齢化という引き蘢り系の生活がスタンダードになればなるほどコミケという場は増長していく。
もしコミケが衰退するとしても、それはおそらくもっとグローバルな要因が絡んでくるだろう。
やがては「コミケの今後」を記した漫画家さんが指摘した通り(あるいは逆の)、現在のコミケとはまったく違うモノに質的変換していくかもしれない。
時代も変われば祭の在り方も変わるのである。
2003年8月20日
絵日記。
小学校の頃、夏休みには絵日記を付けていた。算数とか国語の宿題は最初から放棄していたのに、何故か絵日記や理科の観察日誌だけは率先して描いていた。日常の様々な情景を絵に残すという行為がその頃から好きだったのだろう。
今見ると文章も絵も稚拙極まりない代物なのだが、それを読むと当時の諸々の出来事が蘇ってきて興味深い。
なぜか毎朝、体温を計る情景が描かれているのは傑作。これは別に健康に気を使っている訳ではなく、学校行事のプール教室をサボるための「儀式」だった。そう、当時泳げなかった自分はプールが死ぬ程いやだった。
プール教室=「死の拷問」。
であるから夏休み中のプール教室をどうやったら回避出来るかに思考エネルギーの大半を消費していたのだ。まずは体温計の水銀柱を37度以上にするため、あらいる「工作」を附した。
それに成功すると絵日記には「熱が出てプール教室に行けなくて残念だった」と記すが、本音は天に昇る程嬉しかったのだ。
たとえこの「工作」に失敗しても、プール教室に行くふりをしつつ、朝9時から夕方4時くらいまで通学路の民家の影にずーっと隠れていた。セミ時雨の中、民家からは「夏休み子供まんが大会」で再放映されていた「マグマ大使」(モノクロ作品)の音声が流れていたのを思い出す。そんな中、じっと忍耐強くこの「いやな現実」が早く過ぎ去るのを待っていた。
この頃から「いかにして嫌な事から逃げるか」に全てを賭けていた。
そう、逃げるための言い訳人生の始まりがこの絵日記に集約されているのだ。
ネガティブ人生創世記である。
・
それはさておき、この絵日記に記されている頃の父親は、今の自分より若い。昭和40年代、99%の男子は結婚し、2児位設けるのが当たり前の時代。それに比べ、今の30〜40代男子が当時の同世代のように結婚子育てしている率は格段に下がった。当時「子供」だった男子は、今でも「子供」のまま三十路を越えてしまう。
今、絵日記を記してもそう変わらないだろう。マッチボックスのミニカー集めの代わりに海洋堂の食玩集めになるだけだ。
自動車のCMで「I am a father」というコピーがある。
あれを観る度、「父親になれない男は車を運転する資格なし。人生の敗北者!」と言われているようでブルブル震える。
まあ自動車を運転出来ない代わりに「ワールドタンクミュージアムで遊べるからいいや」と割り切るのも一興だろう。
小学生のまま火葬場行という人生もまた楽しい。
2003年8月17日
コミケット64。
御来場感謝。この場を借りて御礼申し上げます。
今回は実験的に新たなジャンルに挑んだ本も出してみた。お祭りの場なのでこんな戯れもよいかもしれない。但し、あくまで別ペンネームでの作品であるので当ホームページでの紹介や通販等は考えていない。
それはさておき、悪天候続きで、とても夏とは思えない程に肌寒い東京ビッグサイト。例年なら猛烈に暑い会場で息絶え絶えになって凌ぐのが通例なのに、なんと涼しさを通り過ぎて外は寒いくらいだ。水分補給もそれほど必要ない。あれ冬コミ?と錯覚してしまいそうになる。
午前中の人出は例年並だったが、午後2時近くになると閑散としてきた。早くから来た一般参加者は雨天を気にして早々に家路についたのだろう。一方で午後から来ようかと迷っていた人は悪天に出鼻を挫かれ外出を控えたのかもしれない。午前中はなんとか曇りを保っていたが、午後からは霧雨が降ってきた。
こんな天候のせいで今一つ盛り上がりに欠けたコミケット64であったが、個人的には充実していた。幸いにも今回は手伝っていただける方が二人も確保出来、余裕ある時間を過ごせた。一人でサークル参加すると気持ちのベクトルが内向きになってしまい、精神衛生上よろしくない。こういった場でこそ発散しなくてはコミケ参加の意味がないのだ。
閉会後、会場近くのレストランで打ち上げ。ロブスター、パエリア等を食す。
2003年8月16日
コミックマーケットあびゅうきょサークルの御案内。
すでに最新情報等でもお知らせしているように、明日17日コミックマーケット64(8/15〜17・東京ビッグサイト午前10時〜午後4時)にて、今回もあびゅうきょサークルが出店します。
販売スペースは東2ホールY38b。
新刊『廃棄物少女2003』の他に、当HPでは紹介していない別ペンネームでのオフセット、コピー誌新刊も販売予定。内容は現地にて御覧いただければ幸いです。
会場の東京ビッグサイトへはJR山手線大崎駅経由りんかい線国際展示場駅下車が便利です。
お誘い合わせの上、御来場いただければ幸いです。
2003年8月15日
雨。
これだけ執拗に降る雨も珍しい。雨の止み間がなくいつまでもだらだら降っている。台風や雷雨はどんなに激しい風雨でも雲域が東に抜けるとさっと晴れ間が広がる。ところがこの前線上の雨は同じところでいつまでも降る。気象衛星の画像を見ると関東の東海上にずっと雨雲が停滞している。風向きは北東風で典型的な悪天持続型。気温も20度前後。この時期にこんな気圧配置は異常だ。
1991年10月にも関東地方で似たような長雨がつづいたことがあった。地下水面が上昇して地盤が持ち上がり、JR武蔵野線の線路が寸断されたのを思い出す。この時も平年の5倍近くの降水量があった。
それにしても今年の夏の気候はこの時期をかき入れ時にしている商売にとっては踏んだりけったり。
梅雨はなかなか明けず、8月2日に明けたと思ったらすぐに台風10号が上陸。台風一過の晴天も束の間、御盆休日に入った途端に長雨。皮肉にも休暇明けの来週には夏空が広がるとか。
コミケもこのままいくと3日間雨天での開催になるのだろうか?
2003年8月12日
高校野球。
先日、台風10号の影響でノーゲームになった試合があった。
前半リードしていたのは分の悪い北海道のチーム。しかしこのまま行けば勝利は確実だった。なにせ8点位リードしていたのだから。ところが雨が激しくなり4回途中で中断。そのままノーゲームとなる。彼等にとっては初戦突破という千載一遇のチャンスを逃してしまった事になる。
案の定、翌日の再試合では下馬評通り負けてしまった。
高校生といえば最も感受性の強い年齢。聖地甲子園での勝利が天の気紛れによって奪われたこの経験は、彼等にとって一生心の傷として付きまとうだろう。
「喜びは絶望への序章に過ぎぬ」とね。
彼等は事あるごとに「辛い辛い」と呟きながら生きていかねばならない。
気の毒だが人生の敗北者とはそういうもの。
運の悪い星の下に生まれた事を後悔するしかなかろう。
それもまた人生。
2003年8月10日
廃墟ロケハン。
ひょんな事から美味しい「廃墟」を発見する。
漫画作品の舞台としては絶好の場所。
但し薮に覆われ、蚊の大群がうようよしていてコンディションは最悪。
しかし、こういった所はすぐに写真を撮っておかないとあっさり取り壊されてしまう可能性がある。秋を待っていたらもう遅い。思い立ったらすぐに行動。それが鉄則だ。
台風一過の晴天下、デジカメでロケハン開始。午前中なので邪魔する人もなくスムーズに進む。まるで夏休みに里へ帰った子供のようにわくわくする。ここは放置された病院施設。無気味な雰囲気が漂うが、それがまた「美味しい」。
渾沌と無秩序、そしてかつて此処にいた人々の残滓を垣間見る処に廃墟の魅力がある。
面白い作品が描けそうだ。
2003年8月8日
自衛官募集ポスター。
自衛官募集ポスターにモーニング娘が採用されたそうだ。
制服姿と思いきや、普段着のモー娘が並んでいるだけ。これでは何の募集だかさっぱりだ。
キャッチフレーズも平凡でアピール度が低い。
自衛官は国家の為に死ぬのが商売なのだから、その部分をはっきりさせないといけないだろう。
まず、モーニング娘は全員日の丸鉢巻きに制服姿。そして両手には骨壷を大事そうに抱いている。ロケ地は無論、靖国神社。
そしてキャッチフレーズはこうだ。
「私達のために死んでちょうだい」
「貴男達は生きていたって仕方ないの。さあ!さあ死にましょう!」
「生と死は等価値なの。貴男は自衛官として死ぬために生まれてきたのよ」
このようなスローガンにすれば、引き蘢りの男性や行き場をなくした絶望男性、生きるのに疲れた青年達が大挙して自衛官に志願するだろう。
死を恐れぬ最強の自衛隊が編成出来るはずだ。
生き恥を曝すよりモーニング娘みたいな可愛い日本少女のために命を捧げる方がよいと思っている男達は多い。
其処の所を防衛庁はよく考えるべきだと思うのだが。
是非、この案を採用してほしい。好結果が得られるだろう。
2003年8月3日
夏が来た。
2日に梅雨明けした途端に「猛暑」。
やっと気象衛星画像も夏らしくなった。ここ一ヶ月全く晴れなかった夜空も南風が吹込んで雲を吹き飛ばしたようだ。
待望の火星も煌々と輝いている。4日の早朝3時過ぎ、南西の空に光る火星をデジカメに魚眼コンバータを付けて撮影してみた。無気味な程の赤い惑星火星はこの27日に地球に6万年ぶりに大接近する。
ところでデジカメ操作の方はまだ慣れておらず、失敗も多い。フイルム一眼レフカメラは手動の部分があるが、デジカメはそうはいかない。正式なオプションではない魚眼レンズを使用する時、微妙なフォーカス合わせとかは機械に設定させねばならず、これが面倒だ。少しずつコツを憶えて馴染ませるには、まだ時間がかかりそう。
2003年7月31日
夏は来ない?
二日前位にやっと蝉の鳴き声を聞く。
関東地方の梅雨明けは8月2日頃らしいと予想されているがどうなのだろう?
気象衛星の雲画像を見るとカタカナの『ノ』の字のように雲が長く関東近海に延びている。オホーツク高気圧がブロックしたまま。こういう情況ではとても盛夏は望めない。まるで秋の気圧配置だ。西日本の晴れ間も大陸から張り出した乾いた移動性高気圧のせいで、安定した晴天とはいえない。肝心の大平洋高気圧は今だ南の遥か大平洋上で燻っている。
8月には猛暑になるという予想もあるが、どう考えても関東地方が暑くなる要素はない。また冷たい北東風がぶり返すらしいし。
このまま梅雨明けなしに夏が終わる可能性も。
2003年7月30日
サマージャンボ宝くじ。
宝くじに当ると3億円貰えるとCMでやっていた。
いっそ、はずれなしで、買った人にもれなく3億円が貰えるようにすればいいのではないか?そうすればみんな「幸せ」になれる。10枚買えば30億円だ。
・
何処かの雑誌で、人生の「勝ち組の生活」なるものを紹介していた。
都内高級マンション、高級外車、ブランド品一式、株運用、海外に別荘、ハワイにバカンス云々・・。
自分にとっては、金をくれても欲しくないものばかり。こんな生活するくらいなら死んだ方がマシかもしれぬ。
マンションなんてただのコンクリートのタコ壷だ。地震一発で瓦礫の山。
よく「宝くじに当ったらどうする?」という夢があるが物欲のない自分にとってはどうでもよいこと。
もし、3億円当たったとしても、全部一円玉に両替えして、渋谷か新宿の繁華街のビルの上からスコップで全部ばらまく。
そして群がってきた老若男女に向かって叫ぶのだ。
「愚か者共め!」
これが、まあ3億円当たった時の夢であろうか。
現世に金で買う夢無し。
2003年7月28日
クレイジーケンバンドと氣志團。
自分は音楽に疎い。
だから流行りの曲やアーチストのこともよく解らない。ただ、この2つのバンドは前々から気になっていた。
一年半程前だったか、ニッポン放送でやたらこの二つのバンドがプッシュされていた。深夜番組を担当したり、キャンペーンで一日中このバンドの曲が掛かっていたり・・。「氣志團」ボーカルのDJは当時から面白かったし、クレージーケンバンドが初めてオールナイトニッポンを担当した時も興味深く聴いていた(因にこのバンドのボーカルは自分と同世代)。実に渋い曲で好感が持てた。
だがあくまで「知る人ぞ知る」的な魅力。現在の流行りとは正反対だ。泥臭くて80年代前半の感覚そのままが漂っていたから、特に若い人には受けないだろうなと・・。どう考えてもメジャーヒットしそうになかったのだ。
にも拘らず不思議だったのは、この2つのグループをニッポン放送が執拗にプッシュしていたこと。いかなる理由でプッシュしていたのか皆目見当がつかない。
気が付けば両バンドとも、テレビに出てくるほどのメジャーな「人気者」になっている。
確かに浜崎あゆみやSMAP、モー娘等、ビジュアル先行のアーチストばかりでは食傷ぎみになるのも解るのだが・・。
本人達も、何で「メジャー」になってしまったのが不思議に思っているのではないだろうか。
メカドッグワンワン!
2003年7月27日
丑の日。
珍しく「うなぎ」を外で食べる。この日にうなぎ屋に入ったのは初めて。
午後6時、店の前は行列。考えてみればクリスマスイブ時のケーキと同じようなものか。客層は高齢者が比較的多いが、カップルや若い女性客もいる。「鰻重」は4種類、900〜2500円、肝吸いや鉢合せが付くと高くなるようだ。
考えてみると、蒸し暑い時に鰻を食べるというのは不思議なもの。夏バテ解消とは言うが、暑い時に脂っこい鰻はかなりミスマッチ。むしろ、今年のような冷夏の時の方が旨く感じる。
風習とは不思議なものだ。
2003年7月26日
北東風。
例年、この時期になると自宅の屋根に登って夕涼みをするのだが、今年は異常だ。
寒いのである。
普通、この時期は生暖かい南風が吹き、熱帯夜の重たい空気が肌にまとわりつく。そんな中、遠雷のごとく伝わってくる何処かの花火大会の音を聞くのが嗜みだった。
ところが今年はそんな日が一日もない。
季節外れの北東風がびゅーびゅー吹き続け、赴きの欠片もない。曇天の夜空の下、ブルブル震えるだけ。
これまで蝉時雨もなく「夏」を感じさせる瞬間が一度もない。
コンビニで冷たいヨーグルトやゼリーを買い込むこともなく、このまま夏は終ってしまうのか?
天気図を見ると相変わらず、北からの気流が北日本周辺に流れ込むパターンが続いている。
大平洋高気圧はどこへ行ったのだ?
2003年7月25日
電子書籍新刊『風の中央鉄道』のおしらせ。
トップページにも記したようにオールカラーコミック『風の中央鉄道』がイーブック・イニシアティブ・ジャパンより電子書籍として発刊。
この作品は1990年、『快晴旅団』に次いで講談社コミックモーニング/パーティー増刊等で連載されたオールカラーコミックシリーズである。
また1991年から1995年にかけてモーニング、アフタヌーン等で掲載されたオールカラーシリーズ『永遠の祭り』『ブルーガーデン』も同時に収録されている。いずれのシリーズも試行錯誤の末、結局は単行本化されなかった作品群だ。
『快晴旅団』と同様にオールカラーという性格上、紙媒体での出版は現在のところ難しいため、電子書籍にて御覧いただければ幸いである。購読料は一部400円。
残念ながら、電子書籍新刊『風の中央鉄道』はウインドウズ版のみでマックでは読む事が出来ない。
なお、閲覧方法としてはebi.jブックリーダーをお勧めする(但しウインドウズのみ)。漫画をパソコンで読むために特化されているソフトなので閲覧しやすい。Adobe
eBook Readerは、どうしても洋書がベースになっているので右綴じのコミック閲覧には向いていない。
ダウンロード方法等、詳しくはイーブック・イニシアティブ・ジャパンのサイトにて。
宜しくお願い致します。
2003年7月23日
デジカメに魚眼コンバーターレンズを装着。
外は雨ばかり降っているので、部屋の中に転がっているものを適当に撮ってみた。
四隅が多少ケラレるが、一眼レフフィルムカメラと比べても遜色ない。
因に、この魚眼コンバーターレンズは今まで一眼レフ用に使っていたものを流用。専用アダプターチューブと口径変換アダプターを買ってきて(カメラ量販店で各種扱っている)繋いでみたらうまくいった。フィルムカメラの機材と共用出来るものはどんどん活用したい。
2003年7月21日
コミケ64新刊情報を最新情報にUP。
・
小学生時代の旧友同士3人で久しぶりに会う。
その内2人は20年振りの再会だ。だが暫く話すと、昨日会ったばかりのごとく当時の話で意気投合。お互い全く気を使わない仲なので、下らない話に華が咲く。
昔よく聴いたラジオの話で盛り上がったり。
1970年代初頭のTBSラジオ。土曜夜に「私のロストラブ」というアダルトな番組があった。中村メイコがDJで、リスナーからの性体験を紹介する内容。当時中学生だった旧友達は、ちょうど性の目覚めの頃なのでトランジスタラジオを寝床に持ち込み、こっそり聴いたものだった。
その当時の諸々の思い出が三人三様、それぞれ別の角度から立体的に検証出来て興味深い。
酒が入ると段々と危ない話題に火がつく。
旧友の一人が自分達が通っていた幼稚園、小学校、中学校の生徒数が少子化で激減し廃校やクラス減になっていると嘆く。これから空き校舎とか校庭はどうなるんだ?と。
そこでいくつか提案をする。
「東京23区内なんだから大丈夫。老人ホームと火葬場を一体化させた施設にしてはどうか?」とか「校庭は墓地がよい」とか「カラスが多いから屋上は鳥葬場に適している」とか・・。
旧友も同意したようで、これからの少子高齢化にマッチしたシステムだと絶賛。彼は大手ゼネコンの技術者なので「会社立て直しには絶好の国家的事業だね」と感心される始末だ。
3人とも独身なので最後は人生投げやりな刹那的話題に。
楽しくも虚しい宴であった・・。
2003年7月20日
デジカメ。
やっとのことでデジカメを購入。
これまでのフィルムカメラでは現像等経費が掛かり過ぎていたのでデジカメ導入は必須。しかし、なかなか性能と価格の折り合いがつかず迷っていたのだが、今回は幸運だった。
機種はニコンのCOOLPIX885。
一世代前の300万画素デジタルカメラ。型落ちで安くなった新品を定価の4分の1で購入。別売のコンバーターレンズ装着可能で魚眼、望遠画像も撮れる優れもの。記憶メディアを128MBにすれば印刷に耐えうる画質で150枚以上撮る事が出来る。
ただ、バンドルされていた付属ソフトがOS8.6に対応していなかったため、前バージョンのソフトをニコンのHPからダウンロード。これでデジカメの画像を直接パソコンに転送可能。
試しに何枚か撮ってみたが、フィルムカメラより画像が美しく画角もしっくりいく。画像処理もフォトショップで簡単に。あとは画像管理ソフトがあればいうことなしだが・・でもこれはタダではない。
結局、デジカメもいろいろお金はかかってしまうらしい。
2003年7月16日
プロ野球オールスター中継。
夜、テレビを灯すと、オールスター戦をやっていた。何でこんな時期に?
かつて自分が小学生の頃、オールスター戦は夏休みの初日(7月21日頃)から三試合実施されていた。民放の他にNHKも中継しており、国民的行事に近かった。
オールスターテレビ観戦は夏休みのオープニングセレモニーのようなもの。蝉時雨の中、庭でバーベキューをしながら家族揃ってオールスター戦を観るのが慣しになっていた。当時は巨人V9戦士がメイン。王、長嶋を中心にプロ野球全体が動いていた時代。当時の子供は全てジャイアンツの帽子を被っていた。
その頃のオールスター戦と比べ、いまの球宴は何とも存在感がない。
現在セリーグ、パリーグを代表する看板選手って誰だ?FA制度が出来てからは選手や球団に思い入れすることすら虚しくなった。
そもそも何故、夏休み前の平日に開催するのだろう?これではペナントレース中の試合と何ら変わらない。情緒の欠片すらなし。ただでさえ大リーグ人気に押されているというのに、こんな日程では球宴をやっていることすら気が付かれないと思うのだが。
それに『サンヨーオールスター』という名称では、まるで社会人野球のようだ。
夏の匂いを運んできたあのオールスター戦は、もはや過去の郷愁の彼方に消えたのだろうか?
2003年7月15日
梅雨寒。
梅雨寒が続く。
東京では東風が卓越して曇りや雨ばかり。気温も20度前後の日さえある。悪天で火星観望も出来ない。
去年の今頃は、結構暑かった記憶があるので対照的。
気象衛星の動画をみると日本海の北を中心に反時計回りの気流の流れが見える。大陸からの寒気が此処に留まって渦を巻いているようだ。このままの情況が続くと、今年は冷夏になるかもしれぬ。
2003年7月12日
「絶望の陽のもとに」台詞補足。
12日発売の月刊『コミック・バーズ』8月号に掲載された影男シリーズ新作「絶望の陽のもとに」の台詞について若干の補足。
表紙に記述された文章の中で「花嫁衣裳が白いのは白装束・・」とあるが「白装束」の部分は「死に装束」と記すつもりであった。
但し「白装束」でも意味が繋がるのでこのまま解釈しても可。
あと本文中の小さい吹き出し二ケ所が空欄。ここには女の子がビールを飲む時の「グビッ」という擬音と影男が黙して語らず「・・・」が入る。ストーリーに深く関る台詞ではないので問題ないが、気になる読者の方は上記の台詞を書込んで下さい。
背景がごちゃごちゃしているので、小さい吹き出しが背景画に埋もれて空欄のままというのは、たまにある。
次回作、鋭意執筆中。
次は長篇なり。
2003年7月7日
自転車。
学生時代以来、20年ぶりに自転車を復活させて半年程経つ。こんなに便利な乗り物だったのかと改めて認識。それに価格が安い。下手をすると「使い捨て」のレベル。
20年前と比べて吃驚したことが幾つかある。まず、無灯火が多い。それから雨の日にも傘をさして乗っている人が増えた。自転車と言えども衝突すれば大事だ。
以前は無灯火などすぐに警官に注意されたが、最近は放置状態なのかもしれない。
いずれにせよ、夜道を無灯火で走るのは勘弁願いたい。
2003年7月2日
火星。
現在火星軌道上にあるアメリカの火星探査機から、最近撮影されたこの写真。
地球と月、そして木星が一緒のフレームに写っている。
これを見ると昨今伝えられる諸々の殺伐とした出来事がどうでもよく感じられてしまう。
逆になぜこうしたロマン溢れる映像がニュースとして大きく伝えられないのか不思議だ。猥雑なことに終始する病んだメディアにはこういった美しき「人類の英知」より、「野蛮な汚物」しか視野に入らないのだろう。
・
それはさておき、来る8月27日には、火星が地球に大接近する。
地球からの距離5576万km。
厳密に計算すると、これだけの距離に接近するのはおよそ6万年ぶりとか。
自分がまだ幼い頃、図鑑で見た火星と地球の軌道図で、この数百年内に両惑星が最も近づく年が2003年であるのを知り「遥か未来の事だなあ」とあっけに取られたのを思い出す。そんな「遥か未来」がついに来てしまったのだ。
1976年、アメリカの火星探査機「バイキング」が写した火星のパノラマ写真。
それを新聞で見たのが高校生の時だったか?
火星の赤い平原「クリセ」と「ユートピア」。その果てしない平原に降り注ぐ太陽光、朝霜、風紋・・。
それを見て以来、火星は憧れの地となった。何回か自分の作品でも題材にしたし、現在、火星に向けて巡航中の日本の火星探査機「きぼう」には、一般から募集した数万のネームが刻まれたプレートが積まれているが、その中に自分の名も記されているはずだ。
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火星が大接近したからといって、裸眼で火星の地形が良く見える訳でもない。小望遠鏡で見てもただの赤い点。だが探査機が火星に着陸する以前は、地球から望遠鏡で垣間見る以外になかったから大接近時は貴重な観測期間なのだ。
火星は何故かロマンや空想を掻き立ててくれる惑星だ。数々の著名なSF作家が火星を題材に名作を世に送りだした。だからたとえ不鮮明でもこの裸眼で火星を眺めたいと思う。むしろ遥か遠くから不鮮明な像を眺めるからこそ想像力が発揮出来るのかもしれない。
久しぶりに望遠鏡を購入したくなった。最近はデジカメで気軽に火星の写真が撮れるらしい。
ちょっとチャレンジしてみるか。
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