2003年4月・5月・6月


2003年6月29日

水族館。

先日、池袋の『サンシャインシティー水族館』へ見学に赴く。

水族館は葛西臨海公園に続き2ケ所目。

鰯(いわし)が沢山泳ぐ水槽を眺めながら、自分との境遇の近さを感じる。大きく口を開けながら同じところをぐるぐる回っているのは辛そうだ。

イルカやアシカ類も狭い水槽に閉じ込められて気の毒である。彼等は望郷の憶いに駆られ、泣いているのだろうか?それとも故郷の海のことなど忘れ、次の餌の時間のことしか考えていないのか?

クリオネという天使のような形態をした大形プランクトンもいたが、水槽の底に数匹死にかけて沈んでいる固体を観て、気の毒になる。

ペットにしろ、野生動物にしろ、狭い空間に閉じ込められて「見せ物」にされているのは、どうもダメである。

巨大なマンボウもいたが「ウヲーン!ウヲーン」という望郷の叫びが聞こえた気がして吃驚した。

それでも水族館は嫌いではない。胎内のような気分が味わえるからだ。

子宮に還りたいと願っている人にはお勧めのスポット。

館内には、七夕の笹が飾られていて見学者が自由に短冊に書き込めるようになっていた。他愛のない願いが書かれた短冊が沢山吊るされていたので自分も一筆啓上した。

「人類補完計画」

書いた後、いささか後悔したが誰が見る訳でもなし、そのまま立ち去った。

来日中のロシアの少女デュオ『t.A.T.u』が、夕方NTVの情報番組に生出演していた。

予定されたイベント等キャンセルした理由を局アナが質問。『t.A.T.u』の二人はラフな姿勢のままで答える。隣に座っているのが元警察官僚OBという奇妙な構図が楽しい。

普段「おふざけ」番組に終始している民放アナが、ロシア人少女に対し「規則」「態度」「けじめ」等を説教しているのは実に滑稽だった。

米国系タレントにはいつもヘコヘコしているのにね。

そういう意味では『t.A.T.u』来日は意義深かったのかも。


2003年6月27日

原稿の管理。

最近、倒産した出版社から流出した漫画原稿が大量に古漫画書店で売買されている件が問題になっているようだ。

当事者の漫画家は、自分の原稿が預かり知らぬ場で勝手に売買されていることに驚き、古漫画書店に原稿の返却を要求、それに対し古漫画書店の方は正規の売買なのだから返却には応じられず、各自で買い取るべきと主張、更に漫画家個人の原稿管理の甘さをも指摘しているようだ。

詳しい概要は解らないし、法的に問題があるのかもよく解らない。

ただ、漫画家の立場から言わせてもらえば、古漫画書店の言い分は些か説得力に欠ける気がする。

だいたい、大量の原画が書店に持ち込まれた時点で「異常」だとは思わなかったのだろうか?

漫画家個人が自分の原画をあっさり売りに出すということは希有であろうし、まして複数の漫画家の原稿が何百枚も持ち込まれるということ自体が尋常ではない。

書店側はそんな「異常」を見過ごして原画を「売り物」にしてしまったのか?

当然、その原稿の作者本人に確認を取るべきではなかったろうか?インターネットの時代、確認を取る手段はいくらでもあろう。

漫画原稿の所有権は漫画家個人に帰属する。

その辺りが非常に曖昧なまま放置されてきた結果が今回の「事件」の一因ではなかろうか?

基本的に印刷出版された後の原稿は作者に返却されるのが慣例だ。だが、それは別に法律や規則で定められている訳ではなく、あくまで慣例だったり、出版社と漫画家個人の契約上の決まりに過ぎない。

漫画家が積極的に自分の原稿の返却を要求しないと原稿はなかなか戻ってこない。自動的に返却される訳ではないのだ。

そういう意味では漫画家自身も原稿の管理に細心の注意を払う必要があろう。

(といっても今回の事例は作家が原稿返却を頼んでも出版社側が応じなかったらしいので、その時点で論外なのだが・・。)

いままでの自分の経験からすると、規模の大きい出版社ほど、概ね原稿管理に関してはしっかりしていた。原稿の紛失や破損、流失が起こってはその出版社の信用に関る訳だから、大手出版社の場合は原稿管理をある程度任せておいても問題なかろう。一方で出版社の規模が小さくなるとどうしても管理が行届かなくなるのは仕方のない事。かつて、自分も初期の頃、行方不明になってしまった原稿が幾つかあったが、いずれも後者の場合だった。

勿論、大手出版社が100%安全という訳ではないし、中小出版社やフリー編集者でも原稿管理をしっかりやっている所は幾らでもある。

つまり、原稿のロストはどんな場合でも起こりうると覚悟しておいた方がよい。

出版社に対し、漫画家の立場は超売れっ子でない限り弱いものだ。本音としては相手を信用するしかない。

だから、原稿の管理を考える時、漫画家側がやるべき事は、出来るだけバックアップを取っておく事だ。

コピーやデータ化を習慣づけること(かつて行方不明になってしまった自分の原稿も高画質のコピーを取っておいたお陰で、後にそれを自費出版原稿として活用出来た)。

一番良いのは入稿する原稿自体をデータで作成すればよい。劣化のないデジタル原稿は幾らでもバックアップ可能であるから「原稿の紛失」の危険性はかなり低くなろう。しかし、まだ「データ入稿」可能な出版社は多くないし、漫画家の方も原稿をすべてデジタルで作成する情況には至っていない。

いかに、より多くの人達に自分の表現したい「世界」を伝えるか・・。、原稿はそのための最も重要な存在。

しかし、どんな素晴らしい原稿も書庫に納まったままではただの「タンスの肥」。

印刷されてこその原稿。

それに形あるものは、いずれ朽ち果てるのが定め。

それも忘れてはならない。


2003年6月23日

電子書籍続刊のために原稿のデータ化作業。

人に任せようと思えば可能なのだが、どうしても細かな所は自分で処理しないと気が済まない。

相変わらず非効率極まりない事ばかりやっている。

先日、教育テレビを観ていたら少子化社会のメカニズムみたいな講座をやっていた。

ノーベル賞を受賞したある経済学者が発想したものらしい。

それによると、自営業中心の乏しい社会では子供は「投資財」であったという。子供を持つ事は新たな労働力として生きていく上で必須の条件であったから、誰もが「投資」のために子を設けたという。その結果、多産社会が成立したという。

一方で、現在のような、就労(サラリーマン)中心の社会では子供は必ずしも労働力として確保する必要性はない。むしろ子供は「消費財」だという。子供を設けるということは、生活の必須条件ではなく、一種の「贅沢な嗜み」なのだと。

結果的に子供は「誰もが設ける」ものではなくなり、少子化社会になると。

なんとなくぼう〜っと聞いていただけなので、細かな理屈は憶えていないのだが・・。ただ全てを経済に結び付けて少子化社会を説明するのは無理がある気もするが。どうなのだろう?

いずれにせよ、最近の少子化対策云々は根源的な視点が欠けているような。

お金とか経済とか、そういう観点ではなく、生命の永々たる継承という哲学的観点から洞察しない限り情況は変わらないだろう。

全ての生き物が「投資」や「消費」のために子を設けている訳ではないのだからね。


2003年6月21日

信濃毎日新聞6月13日付夕刊に掲載された『マンガ家の世界』の誌面をこちらに紹介。


2003年6月19日

ダディー・グース

漫画本などめったに買わないのだが、最近躊躇わずに購入した本がある。

『少年レボリューション』ダディー・グース作品集(飛鳥新社)。

1960〜1970年代初頭のエネルギッシュな時代の世相を反映した諸々のエッセンスがぎっしり詰まったタイムカプセルのような本。

当時のマンガ雑誌は今と比べ物にならないほど、強烈な社会的、政治的メッセージで溢れかえっていた。

この本に収録されている作品が雑誌(青年漫画誌)に掲載されていたのは、自分がまだ小学校5〜6年の頃だったろうか?テレビでは盛んに学生運動のデモの様子が映し出されていた。子供ながらに「何で学生が火炎瓶やゲバ棒振り回しても許されるのかな?」と不思議に思っていた。少年漫画誌にはジョージ秋山の『アシュラ』『銭ゲバ』とか、山上たつひこの『光る風』とか猛烈に凄まじい作品が平然と連載されていた。

世界は米ソ冷戦下、ベトナム戦争とアポロ計画が同時平行に実践され、日本では佐藤栄作がずーと首相で、巨人が常勝を続け、街ではデモ隊が闊歩し、経済は成長するのが当たり前で・・。とにかく四六時中「お祭り」状態だった時代。

ダディー・グースの作品を読むとそんな時代の息吹きが蘇ってくる。

だがこれは郷愁ではない。

自分はそんな「お祭り」世代より若かったし、当時こんなマンガがあった事も知らなかった。たとえ知っていたとしても読んでいたろうか?

なぜ、今この時代のマンガが「面白い」かというと、今という2003年があまりにも「何もない」「冷えきった」時代だからだろう。

今、改めてダディー・グースのような作品を商業誌に持ち込んでも掲載は不可能だ。下手をするとコミケでさえ「販売停止処分」になるかもしれぬ。ありとあらゆる「自主規制」で雁字搦めの時代にこの類の作品はタブーだ。

ダディー・グースの面白さはそんな時代故の希少性にあるのだろう。

もし、現在この手の作品が普通に商業誌に掲載されていたら、誰も1970年代初頭の漫画など振り返ったりしない。

因に、この本に載っている作品の原稿はすべて失われているそうである。

当時は、マンガ原稿にしろアニメの設定画にしろ、すべて「使い捨て」の時代。

なぜならば次々に新しい作品が洪水のごとく押し寄せるから過去のモノにこだわる必要は皆無だったのだろう。当時の作家は、訪れてきたファンにあっさりと生原稿をプレゼントしていたそうだ。

今や有名作家の原稿や設定画なんて一財産稼げる程の値が付く「美術品」だ。

冷えきった時代だからこそ、熱き時代の息吹を欲するのだ。

それにしても、このダディー・グースの作品、まったく古さを感じさせないのは何故だろう?

むしろ「斬新」ですらある。

逆にこの手の作品がこれから増えそうな気がするのは自分だけだろうか?


2003年6月15日

夏服。

季節はいつのまにか夏。

東京は30度前後の暑さに。

久しぶりに外出してみると、夏着に衣替えした女性が異様に艶かしい。いったい何時から日本の夏はこんな破廉恥になってしまったのだろう。何処を向いても視野の中に艶かしい女性の姿が飛び込んでくる。

蒸し暑い重い湿気と汗が混じり合い、服と肌とが密着する。露になった身体の輪郭が窮屈そうに弾ける。そんな艶かしい女性が其処此所で蠢く。

淫猥な空気の中、窒息しそうだ。

もはやこの光景は尋常ではない。

夏こそ黒いベールをすっぽり被り、肌を見せぬのが身だしなみというものではないかな?

いずれ反動が来て、夏の女性はみんな黒装束なるかもしれない。


2003年6月12日

新作情報。

12日に発売された幻冬舎「月刊コミックバーズ」7月号の次号予告にある通り、8月号(7/12発売)に「影男煉獄巡り」シリーズ新作が掲載される。

タイトルは『絶望の陽のもとに』(16P)

詳しくは「最新情報」のページにて。


2003年6月11日

取材記事の掲載予定。

先日、取材を受けた記事は信濃毎日新聞の6/13夕刊と6/14朝刊に掲載される予定。

この新聞で定期的に連載されている『マンガ家の世界』というコラムだ。

長野県域の新聞なので読める人は限られてしまうが興味ある方は是非御覧下さい。

なお、都内だと東京駅新幹線ホーム(20、21番線)、新宿駅中央線特急ホーム(5、6番線)のキヨスクで、当日の信濃毎日新聞を販売しているそうだ(新聞社のHPより)。


2003年6月8日

最初の読者。

現在、執筆中の商業誌用絵コンテを知り合いに見てもらう。

基本的に絵コンテ段階で自分の商業作品を編集者以外に見せることはない。作画以前に第三者の意見を数多く聞いてしまうと焦点がぼやけ集中力が失せたりするからだ。

今回はたまたま希有な機会があったので例外的に、絵コンテ段階の作品を知人に見てもらった。

最初の読者の感想次第で、その作品の作画に対する意気込みが左右されてしまうのでちょっと心配だったが、良好な感想を得たのでほっとする。

最初の読者から「面白い」と言われると妙に嬉しい。

「良き理解者」を得る事は幸いである。


2003年6月7日

『マトリックス』の世界。

話題の映画はあまり観ない。ビデオを借りる習慣もないので唯一観るチャンスはテレビ放映の時くらい。

この『マトリックス』も今回のテレビ放映で初めて鑑賞した。

前半は難解でハードな本格的SFとして興味深かったが、後半は昨今のハリウッド映画に有りがちな勧善懲悪ハードアクションに終始した平凡な仕上がりで少々期待外れ。

ただ、この映画のテーマ「実はこの世界は何者かが造り上げた虚像で、真実は別の所に存在する」というシュチエーションは、時々自分の中にも感じる事がある。

自分という存在はもしかすると、何者かの「箱庭」で飼われている「実験動物」であり、全ての出来事は自分を飼っている「主人」が考えた「テスト」に過ぎないのではないか?そしてその「テスト」に「実験動物」たる自分がどのような反応を示すか、何処かで監視されているのではないかと?

はたしてこれは妄想か?しかし、ある「事象」に限って妙な事が不思議と重なるのだ。

全ての事象は一つの因果律によって法則ずけられている。

全ての出来事においてこの地上では重力の法則に逆らう現象も起きないし、割れた花瓶が時間の流れに逆らって元の形に戻る事もない。自転車のハンドルを右に切れば右に曲がるし、目が醒めれば明日になっている。そしてそれは大凡経験を積むに従って理解し克服し、その因果律の範囲内で自分をコントロール出来るようになっていく。

だが、ただ唯一「ある事象」だけが、その因果律に逆らいつづけている。

いくら経験を積んでも「それ」だけはコントロール不可能なのだ。

そしてその結末は決まって同じ。

大抵の事象はバリエーションが無数にあって同じ現象は決して現れないもの。なぜなら人は経験によって同じ結末になることを避ける方法を知っているからだ。

だがこの事象だけは、いくら対処しても、決まってある結末に到達する。

自転車のハンドルを右に切っても、その意思に逆らい何故か左に行ってしまうかのごとく・・。

つまり、この事象だけは「何者」かがこの「世界」の外から操作して、自分の意思では決してコントロール出来ないようにプログラミングしているのではないかと・・。

このことを誰かに話しても、殆ど取り合ってくれないか馬鹿にされるかのどちらかだ。

たしかに妄想と片付けてしまえばそれまでだが。

この世界には「世にも不思議な物語」が数多く存在する。そしてそれは人によってその対象が違う。

自分は霊魂の存在を信じないし、感じた事もないが、霊感が強い人にはそれが見えたり、感じたり出来る。これもまた、因果律に反している事象の一つだ。スカラー波云々主張する人達も、因果律に反するモノが見えたり感じたり出来るのだろう。

そういったこの「世界」の外からの干渉は、実は本当に存在するのかもしれない。

人はそれを「神の見えざる手」と呼称し、納得するしかないのだ。

そんな不可思議な瞬間を経験すると『マトリックス』の世界も嘘とは思えなくなる。

「真実の世界」は何処にあるのだろう?


2003年6月6日

三鷹の森ジブリ美術館。

一ヶ月程前に「ローソン」でチケットを予約していたジブリ美術館に赴く。

ここは完全予約制なので前もってチケットを買っておかねばならぬのが少々面倒なのだが。

平日だったのでたいして混んではいまいと思っていたが、最寄りのJR三鷹駅南口にある「ジブリ美術館」行きコミュニティーバス発着所には長蛇の列。客層は小さい子供を連れたお母さんお父さん、カップル、女性グループ、制服の女子高生、年配の女性が目立つ。いわいる「秋葉原系」男子は意外にも皆無であったのが印象的。

三鷹の森ジブリ美術館は井の頭公園に隣接する自然文化園の中にある。

三鷹駅からコミュニティーバスで約5分。バス停を降りるとすぐに美術館がある。想像していたよりも規模は大きく、スタッフも多い。

館内はいかにも「宮崎駿の世界」という感じで、一切手抜きなし。端から端まで宮崎氏本人のこだわりが垣間見れる。そこら中に本人自筆と思われる案内板や、オリジナルのイメージボード、コンテ、スケッチ等が所狭しと展示されている。螺旋階段、屋上庭園、迷路のような回廊、ステンドグラスなど凝りに凝った設計装飾に感心するばかり。ちょうど晴天だったので吹き抜けの天井から陽射しが明るく射込んでいた。

映像展示室「木星座」で上映されていたオリジナルの短編アニメや常設、企画展示室での「ラピュタ」に関する小アニメもよく造り込んである。

いずれもお金と時間と手間を惜しみなく注ぎ込んであり、「もの造りとは、かくあるべき」という手本みたいな所だ。

2時間程、館内を観て回ったあと休憩。

ガラス天井のカフェもあったのだが長蛇の列で入店を断念。屋外テラスでラムネを飲むに留める。

ミュージアムショップも人で込み合っていた。お土産買うのにも一苦労。平日とはとても思えぬ。小中学生らしき学童も結構見かけたのだが学校休んで来たのだろうか?

いずれにせよ、宮崎アニメに慣れ親しんだ者であれば入場料1000円は安い。

自分にとって一番印象的な宮崎作品は『未来少年コナン』。ジブリ以前の作品だが、企画展示等でやってもらえれば、また訪れたいものだ。

余談。

屋上庭園には『天空の城ラピュタ』に出てくる呪文の書かれた黒い立方体の石碑が置いてある。

そこでムスカのごとく、「まるで人がゴミのようだ!」と叫ぶのも一興なり。


2003年6月4日

「愛」

昨日、NHK総合で放映していた「プロジェクトX」を観ていたら、やたら「愛」の文字が出て来た。

ある電機会社技術スタッフが開発中のプラズマテレビ試作時、画面に出した文字が「愛」だったり、チームを纏めるために主任が叫んだ言葉が「愛」だったりと・・。

「愛」という言葉を発するのは容易い。

ただこれほどまでに観念的、抽象的な言葉もない。

それで思い出した事がある。

20年近く前、まだプロデビューする以前、足繁くいろいろな出版社に原稿を持ち込みしていた頃、ある編集者にこんなことを言われた。

編集者「君、漫画に一番大切なものは何か知っているかね」

私「はあ?」

編集者「それは愛だ」

私「・・・」

たしかに「愛」は重要だ。しかしこちらとしては自分の原稿が採用されるかどうか知りたいのであって、そんな抽象的な説教を受けるために持ち込みをしている訳ではない。

案の定、この出版社では不採用。

要するに、この時の自分にとって「愛」という言葉は「時間の無駄」だったのだ。

更にこんな事が思い出された。

遥か昔、初恋の女の子に振られかけ、必死になってその女の子の家に電話をかけた時の事。

私「ねえ、僕の話を聞いてよ」

女の子「今、私『わくわく動物ランド』を観ているの。邪魔しないで!」

私「あ・・愛してるよお!」

女の子「ふ〜ん。あ、そう・・」

そしてガチャンと電話を切られる(当時は黒電話)。

この時、生まれて初めて、女の子に「愛してる」という言葉を使った・・。

にも拘らず、何たる悲惨な結果であろうか。

以後、これがトラウマとなって、女の子に対し「愛してる」なんて言葉を軽々しく吐露出来なくなった。

結局のところ、自分にとって「愛」という言葉は、恐ろしく陳腐で惨めで抽象的な胡散臭い「記号」でしかなくなった。

勿論、好きな女性から「愛してる」と吐露されるのは嬉しい。

だが、自分がその「愛」の言葉を発する時、どうしようもない空虚感に襲われるのも確かだ。

自分が最も好きな言葉。よく作品の中でも引用する言葉。

〜『愛情は飽食か飢餓のどちらかだ』〜

「愛」が丁度良い時は殆どない。

大抵は有り余っているか、でなければ渇望しても何処にもないか、そのどちらかなのだ。

そんな、プラズマの揺らぎのような曖昧な存在である「愛」。

自分にとって「愛」という言葉は諦めとトラウマが混じりあって、このうえなく苦い(にがい)。

「愛」が甘く感じる時は来るのかな?


2003年6月2日

新聞取材。

阿佐ヶ谷某BARにて、ある新聞に連続掲載されている漫画家紹介コラムの取材を受ける。

2時間程、徒然なるままに他愛のないことを喋ってみる。

インタビューを受ける前は「人生の敗北者」とはなんぞや?みたいな刹那的なことを吐露しようかと思っていたが、実際ライターさんの前だと日々の雑談しか出てこなかった。

まあそれはそれでよかったのかもしれない。悶々と「絶望」を語っても「漫画家紹介」の記事にはならないからなあ。

それはさておき、お酒を飲みながらの取材だったので、最後の方は壮大なスケールの「妄想」談義にまで発展。独自の「地球外文明論」を展開し始める辺りで、自分でも何を言っているのか訳が解らなくなってきた。

いずれにせよ、このようなインタビューを受ける事はめったにないのでそれなりに楽しめた。

はたしてどんな記事になるのだろうか?


2003年6月1日

「ダービー」と「早慶戦」

日曜の昼下がりのスポーツ中継。この二つの中継映像を観てなんとなく妙な事に気が付いた。

ダービー馬がパドックを回っている中継画像を観ていた時のこと。そのパドックに着飾った男女が何人も群れているのが写った。どう観ても一般客が立ち入れる場所ではないので、特別招待された者か馬主関係者であろう。明らかに一般客とは客層が違う。おそらくかなりの高額所得者かステイタスの高い者と思われる。

きっとこの着飾った「招待客」は一般観客席にいる「その他大勢のギャンブラー」を見下ろし、優越感に浸っているのだろう。こんなふうに・・。

「我々は人生の成功者だ。一般客やテレビの前のオケラ共よ。お前達は一生パドック内には立ち入れないのだ。馬が走るごとに我らは富み、お前達は貧する。」とね。

同じく「早慶戦」の応援席にいる学生達の映像からも「声」が聞こえる。

「どうだ!オレ達は私大の雄、早稲田、慶応に合格出来た人生の成功者。早慶戦を応援出来るのは、我ら学歴社会の勝利者たるオレ達の特権だ。下々の俗人共。悔しいか!」と。

そんな「声なき声」がテレビから聴こえてくる度に、自分はテレビの前でがっくりと肩を落とす。

そして、いかに自分が「人生の敗北者」であるかを思い知るのである。

チャンネルはいつしかセ・リーグ最下位を爆走する「横浜ベイスターズ」の試合中継に切り替わっていた。


2003年5月30日

10年後の流行。

時たま深夜のNHK総合TVで、過去の流行りの情景を撮影したBGVをその時代の流行歌と共に流している事がある。先日は1991年頃の映像が観れた。

特に変化が激しいのは、女性の髪型、服装、体型であろうか?

これが同じ国の女性なのかと思う位の豹変さだ。10年前のヘアスタイルはロングかセミロングが主流で、染めている女性はほぼ皆無。年と共に、女性の容姿がどんどん幼くなっていくような気がする。

今の若い女性を見ると、少女と大人の女の境が著しく曖昧になって来た。

10歳前後の少女から20代後半までの女性の容姿、髪型、服装を比べてもそんな大きな差がない。

昭和30年当時は、「少女」と「婦人」の間には明確な境があった。「サザエさん」を例にすれば解ろう。

「サザエさん」の容姿は典型的な「おばさん」だ。当時の20〜30代女性のスタンダードな髪型である。

ところが今現在、「サザエさん」のような20〜30代女性はいるだろうか?

否。

皆無である。

皆、「少女」のまま大人になっていくのである。

今後、更にその情況は著しくなるかも知れない。5歳の幼女と35歳の女性の髪型、ファッションセンスが全く同じになり、その見分けすらつかなくなるかも。

それにしても女性の流行のダイナミックな変貌には吃驚する。たった10年で全てが入れ代わってしまうのだ。

10年前に「キャミソール」「茶髪」「ヒップハンガー」「携帯でメールチェック」なんて予測出来たろうか。

当然ながら10年後は予想もつかぬ。


2003年5月28日

絵皿。

あるコンビニがアニメ「世界名作劇場」の絵皿プレゼント企画をはじめた。

商品に付いているポイントシール25点分で一皿貰えるそうだ。

6月は『赤毛のアン』だというので密かにゲットしようかと思っている。

車椅子の少女。

お昼過ぎ、TBSテレビ系で車椅子の少女が主人公のドラマを放映していた。

初めて観たのでストーリーはよく解らない。

ハンディーキャップを負った可愛らしい少女が主人公のドラマは珍しくないが、観る方は微妙に複雑だ。

たとえば、主人公がプリティーガールではなく、30過ぎの冴えない独身男性だったらどうなるのだろう?そんなドラマはあまり視聴率稼げないんだろうなとか考えてしまう。

まあ、絵空事のフィクションにそんな野暮な事言っても仕方ないのだが。

先日、近所の中学校グラウンドを眺めた時のこと。

ちょうど体育の時間。授業を受けている女生徒の中に車椅子の少女がいた。一時的な怪我という感じではなかったので、おそらく障害者なのだろう。

最近は障害を持った学童も一般の学校に通い、健常者と同様の授業を受けることが可能になったようだ。たまたま目撃したのが女生徒だったので微笑ましかったが、これが男子生徒だったらどういう気持ちで眺めたろう。

こんな時、男はつくづく寂しい生き物だと思ってしまう。


2003年5月27日

夏の扉。

毎年夏になると現れるイモリが本格的に這いずり始めた。

季節的にもう初夏のはずなのだが、気候はまるで梅雨のようだ。

久しぶりに学生時代の同人誌を読み返してみる。

しかし、かつてのような甘い郷愁はもはや感じなくなってしまった。

全ての事象は時の流れと共に記憶の果ての向こうに消えて行くものなのかもしれない。

近所の和菓子屋では水羊羹が売り出された。

間もなく夏の扉が開く。


2003年5月26日

地震。

夕方、宮城県近海で起きた地震は東京でもかなり揺れた。

25年前、似たような震源地で『宮城県沖地震』というのがあった。

ちょうどその時、自分は学校から帰宅してTVを観ていた。

番組名は『銀座ナウ』。

せんだみつおが司会担当していたサテライトスタジオからの公開生放送番組。その放送中にグラグラ来たのを記憶している。

たしかちょうど「フィンガー5」が唄っていたのかな?いや、違うか?とにかく大きな揺れに出演者も吃驚していて、あたふたしていたのを憶えている。小堺一機やラビット関根も居たような・・。

まあ、どうでもいいような記憶が急に蘇った。


2003年5月24日

『笑っていいとも』

フジテレビ系のお昼ワイド長寿番組。

最近は殆ど観ていないが、たまにチャンネルを合わせるとまだ「友達の輪」コーナーが続いているらしい。

でも出てくる芸能人は皆、売れっ子ばかり。新作CD、お芝居、映画のプロモーションの宣伝を兼ねて出てくるので喋る事は当たり障りのない建前雑談に終始。舞台に飾られた花束も鬱陶しい。

ほとんど自己満足の世界。当人と関係者とファン以外にとっては面白くも何とも無い。

もし、自分がこのコーナーを構成出来るとしたらどうするか考えてみた。

売れっ子など出しても面白く無いので、出てくる芸能人は皆、挫折してうだつの上がらない「人生の敗北者」を厳選する。昼間から安アパートの自部屋に籠って、ぶつぶつ世の中を恨む独り言を吐いている端役のアクターや、干されて出番のない芸能人、役者、歌手がいい。更に半分頭がイカれた「世界征服」の妄想に終始するアーチスト等を呼ぶのだ。

コーナー名は『敗北者の末路』。

その舞台には花束はおろか、電報一本もない。当然友達も居らず、仕事もなく、家族からも見放されている。本人も無精髭、汚いジャージ姿、空ろな瞳で登場。

そして、白昼堂々タモリの前で普段の恨み辛み、絶望、嫉妬、嘆き、愚痴、妄想を思いっきり吐露させるのだ。

ネガティブトークの連発。

そして舞台の上でのたうち回り、ぶるぶる震え、泣叫び、客や視聴者に毒を吐き続ける。

無論、「芝居」ではない。すべて素である。中には本番中に自殺する芸人も出よう。

きっと実に爽快なコーナーとなるであろう。

客や視聴者はこんな哀れな出演者を観て「ああ、こんな人間にならなくてよかった」という安堵感にひたれる。

実に素晴らしい。

「人生の敗北者」はどうせ捨てるものがない訳だから言いたい事が言え、やりたいことが出来る。こういったギリギリ人間、ダメ人間の声を電波に乗せる事こそ真のエンターテイメントではないかな?

むしろ彼等こそ本物の「クリエーター」と言えるだろう。

いろいろな柵(しがらみ)で雁字搦めになって、言いたい事も言えないメジャーな売れっ子タレント、アーチストの営業トークなどうんざりだ。

「人生の敗北者」の心の叫びが地上波テレビで観たいなあ。


2003年5月22日

「かれぎゅう」

自分は小食だ。

好き嫌いは殆どないが量が食べられない。

一日一食でも耐えられる。

逆に量だけという「料理」は金を貰っても拒絶する。

学生街によくありがちな金属皿に量だけが売りの店は「食堂」というより「家畜の餌場」というイメージを抱く。

更に早食い競争や大盛りというコンテンツは、ただの「拷問」にしか感じない。それを好んでオーダーする者はおそらく「食」に対する価値観が違うのだろう。

ところで前々から牛丼屋にある「かれぎゅー」とかいうメニューが何であるか不思議であった。

噂によるとカレーに牛丼の肉が盛られているらしい。

それで最初にイメージしたのは「残飯」である。

カレーも牛肉もそれ自体は嫌いでは無いが、それを一つのどんぶりに混ぜて食すという発想が恐ろしい。

こんなチープな食べ物、せいぜい200円位なものかと思いきや、500円以上もする。

そういった「料理」はおそらく「飢えた」時以外は、とても口に出来ないだろう。

そんなメニューを出す牛丼チェーン店が至る所にあるのだが、「残飯」のようなものを食すほど庶民は飢えているのだろうか?

「かれぎゅう」を食すということは、ゴミ集積所で生ゴミを漁るカラスとそれほど違いはあるまい。

だからカラスを悪者には出来ないはずだ。

カラスも生ゴミを漁っている時、この世の絶望など微塵も感じていないはずだ。同じく「かれぎゅう」をかき込んでいる独身30〜40代男性も絶望なんて感じていないだろう。そんな暇もないか。

そういう意味では羨ましい存在だ。

「かれぎゅう」を食する者は人生捨てているか、悟っているかのどちらかだろう。

恐ろしい。


2003年5月20日

東京地方は一週間近く曇りや雨の肌寒い日が続き、気が滅入る。

もう梅雨なのか?

ここ数年、季節が一ヶ月先行しているようなので、そのパターンから言えば6月は真夏のカンカン照りになるかも。

所用でJR西国分寺駅に赴く。

ここは武蔵野線が交差していて、時々通る貨物列車の走行音が妙に懐かしい。

所用を済ませた後、近くのファミレスで雷雨を凌ぐ。

このファミレスは本当に価格が安く吃驚する。学校帰りの高校生やらがドリンクバー辺りで一服しているのを見ると、自分にもそんな時代があったことを思い出す。当時はファミレスなんてなく、ファーストフード屋も気軽に利用する雰囲気ではなかった。喫茶店は「不良」の行くところだと信じ込んでいた。精々、食券を買ってオーダーするカレーチェーン店の類。

曾て『牛友チェーン』というチープな牛丼、カレー店があった。価格は安いのだが、食事というより「餌」に近い。よくあんな「料理」とはいえない「まずいもの」を食べられたものだ。

それに比べ、今のファミレスの「安かろう、旨かろう」のメニューを見ると隔世の感あり。

無論、毎日利用していたらさすがに飽きるだろうが、月に何回かであれば十分な品質であろう。

某ファミレスのパンナコッタ(?)は旨い。


2003年5月19日

「情念」で描くということ。

ここ10日余りで、商業誌絵コンテ相当分と、自費出版原稿十数枚を仕上げる。

(そのため日記更新が滞っていた)

何回かこの日記でも記したが、自分の場合、商業誌と自費出版の制作過程は根本的に違う。

商業誌は実際の絵に入る前に、入念な下準備を要するが、自費出版は徒然なるままペンを走らせる。

そんな徒然なるまま絵を描いていると、稀にとてつもない空想、妄想力によって普段絶対に描けないような作品が生まれる事がある。

それはつまり情念で絵を描いていることを意味する。

もっとも感受性豊かな頃は、それが当たり前だった。

そんな「ナチュラルハイ」状態になると、勝手に筆が動いてくれる。考える前に描けるのだ。

面白くて仕方がない。

ところがである。得てしてそんな作品は、一旦冷静になって客観的に眺めると、とても直視出来ないような「お粗末」な代物だったりする。

歳を重ねるに連れ、自分の絵を客観視する事に慣れると、なかなか「情念で描いた絵」というのは受け入れがたいモノになる。

逆に言えば、若ければそんな情念だけで描いた作品でも突っ走れるということだろう。

漫画に限らず、表現活動というものは、自分の情念を信じて創造出来るうちが華なのだ。

冷静に客観視しながら仕事するようになると、それはもう「創造」ではなく「作業」だ。

しかし、その「作業」を粛々とにこなせる者だけがプロとして生き残っていけるのだろう。

「情念」で創作するということは、ある意味、マスターベーションと同じ。

「自費出版」=「自慰行為」なのかもしれぬ。

だがそれもまた創作活動には必要不可欠なのだ。


2003年5月12日

ボブ・ディラン

『NHKアーカイブス』で25年前のルポ番組を放映していた。

村上龍がレポーターとなり、1960年代の学生運動に関った著名人にボブ・ディランの思い出等をインタビューする構成。

自分はボブ・ディランがどういう人かよく知らない。多分1960年代にメッセージ性の強い曲を唄っていたフォーク歌手なのだろう。世代が違うので思い入れもない。

にしても、登場する「60年代学生運動の闘士」の騙り調は独特のモノがある。25年前の30〜40代男性は風貌が薄汚なくとも、それなりにサマになっているな。妙にポジティブなのだ。この自信はどこから来ているのだ?

ベトナム戦争とアポロ計画を同時に実践していた1960〜70年代は善くも悪くもエネルギーがあったのだろうね。

振り返って、2003年現在の30〜40代男性は、存在感そのものがない。

薄汚い人間はただ汚いだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

ただ「生ゴミ」として其処に存在しているだけ。その上、ネガティブ思考なので覇気もない。

「夢の」21世紀初頭に生きる「働き盛り」の30〜40才代男子が、まるで腐った生ゴミレベルの存在だったなんて誰が予測出来たろうか?

ボブ・ディランを崇拝出来た世代から比べると、なんと惨めな世代なのだろう。


2003年5月5日

コミティア64

御来場感謝。

ここでお詫び。HP上でスペースナンバーを「D16a」と記していたが、正しくは「P16a」であった。「D」と「P」を書き間違えてしまい、御迷惑をおかけしてしまった。これに気が付いたのはイベント当日であった・・。

さて、今回もコミティア合わせのコピー本を作ってみた。刷ったのは30部程。もっと作ろうかと思ったのだが時間がなかった。但しコンビニコピー本は制作手間を考えると50部が限界のような気がする。

ところで今回は、幸いにも知人にお手伝いしてもらえたので、少しだけ会場を見て回った。

興味深かったのは、アダルト系サークル。

本そのものよりも、それを売っている御本人の姿にびっくり。男性ばかりと思いきや、セクシーで美人の女性が相当数いらっしゃった。直視するのが恥ずかしい位のH本をニコニコしながら売っている。

絵も本人も可愛いので、妄想も2倍になる。それも計算の内だろうか?

ここに限って言えば「天は二物を与える」ようだ。


2003年5月1日

六本木ヒルズ。

先月25日にオープンした六本木ヒルズに赴く。都内周辺に超高層ビルが建つと必ずチェックする性分。

塔マニアの悲しい性。

森タワー52階展望ロビー「東京シティービュー」は確かに絶景。

10メートル以上の吹き抜け、足元までガラス張り、360度見渡せる構造は今までの展望ロビーとはステージが違う。時間も日の出前から午前1時まで開放されている。

まあ今どき入場料1500円は高過ぎと思うが・・。

で、この六本木ヒルズには村上隆がデザインしたという変なマスコットキャラクターが「何匹」か居る。

「六本人」とかいうコンセプトで「ロクロク星」から来たという設定。

その中の「ピーちゃん」というキャラクターのコメントがガイドブックに載っていたので引用する。

「ピーーー(私はピーちゃん。)

ピーピッ(私は道に迷った。)

ピーピピーッ(みんなで六本木に来ました〜。)

ピピピピピッ(で今はたのし〜〜〜。)」

かなりイカレテいる。

スカラー波でも浴びているのだろうか?

実はこのピーちゃん、展望ロビーの真ん中に鎮座しているのだ。

かなりアブないキャラクターなので人気者になるかもしれない。

ピ〜。


2003年4月29日

永遠の傍観者。

雑用で東京都下多摩市多摩センターに寄る。

連休初日の夕暮れ、ピューロランド帰りの家族連れやカップルで混雑している蕎麦屋に一人で入る。

親子連れの父親らしき男性はおそらく自分より年下だろう。子供をあやすのに大変だが幸せそう。

隣に座ったカップルも当然年下。女性の方がなにやら盛んに男性に話し掛けている。男の方は寡黙に頷き彼女の話を聞いている。彼もまた満足そうだ。他愛のない会話が続く。

どちらも自分にとっては縁のない情景。

傍観者としてただ眺めるだけ。

彼等はたぶん「人生の勝利者」として過不足ない生涯を全うするのだろう。

休日にピューロランドでパートナーや家族と共に過ごすなんて、なんと恵まれた人生なのであろう。

それに比べて自分は「人生の敗北者」として、一人黙って蕎麦を啜るだけ・・。

彼等から見ると自分はゴミのような存在なのだ。

永遠の傍観者。

そんな妄想しながらしばらくぼうーとカップルや家族連れを眺めていたら、警戒心を抱かれたようだ。不審な「怪しい奴」と思われたのだろう。特に家族連れの子供やカップルの女性の方が敏感に反応したようだ。

「パパ、変な人がいるよ」

「やだ。気味の悪い男がいるわ」

勿論、実際に声が聞こえた訳ではない。

だがしかし・・。

居た堪らなくなって、食事を終えると一目散に店から飛び出し、逃げるように多摩都市モノレールに飛び乗る。

暗闇の武蔵野をうねうね走るモノレールは、まるで暗黒星雲を通過する「銀河鉄道999」。

しかし、自分の隣にメーテルはいない。


2003年4月28日

J-WAVE

最近、知り合い関係にJ-WAVEをBGMにしている者が多い。

理由はよく解らないが、試しに夕方から夜に掛けてJ-WAVEに合わせてみた。

開局当時は時報もなく「AZ WAVE」とかいうインターミッションが挿入されて独特の雰囲気があったが、今はAMラジオとあまり変わらない。

「GROOVE RINE」という番組は既存の曲をアレンジして繋ぎ合わせたり、他愛のないトークの連続。

まあBGMとしては堅苦しくなくてよいかも。

プロ野球中継オンリーのシーズンに入ったAMラジオからの避難場所としては最適であろう。


2003年4月27日

哀れな者達。

今や携帯、メール環境に対応するのは老若男女問わず当然の時代。

ところが自分の周辺には、その両方を持たない者が結構いる。特に40代独身男性に多い・・というかそんなのばかりである。

たとえば学生時代からの知り合い男性T。

40を過ぎたのに、今だ無職で実家に燻っている。連絡手段は実家の一般加入電話のみ。電話をすると大抵は母親か妹が出て、本人に取り次ぐ(それもいやいやながら)。

本人が電話に出ても落ち着かない。聞くと同居の父親が長電話に文句を言うらしい。それで親子喧嘩が絶えないと言う。

お前は中学生か?

40過ぎてやる事とは到底思えぬ。

携帯かメール環境整えろと忠告するが聞く耳を持たない。金がないとか、自分には必要無いとか、果ては文明批判までする始末。そんな御託を述べている端から電話の後ろで家族との言い争いが始まる。

救いのない程哀れなのだ。

交通事故の後遺症で多少のハンディーキャップを負っており、同情の余地はあるものの、もはや生きる屍に近い。

実際のところ、人望厚き者や才覚を有する者ならば携帯やメールアドレスなど持たなくとも一向に構わぬ。むしろ、無い方が雑念を排する効果を生もう。

重要な連絡は信頼出来る誰かが本人に代わって受け答えしてくれるものだ。

しかしそれは「孤高」を獲得した希有な才人のみに言えることであって、大抵の凡人にとって、携帯やメールアドレスは最低限のコミュニケーション必須アイテムだ。ましてや凡人以下の40代独身男性が、これらのコミュニケーションアイテムを有しないということは、つまり基本的に「いらない人間」と判断されても仕方あるまい。

事実、そんな男達はマトモな人間関係が作れず(あったとしても職場か近親者のみ)、異性との付き合いも出来ないから、結婚はおろか、恋人さえいない。いや、異性の友人すら皆無の場合が多い。それでいて妙に人恋しがる。その原因が自らのコミュニケーション・ツール欠如にあるのに、それを認めようともしない。

挙げ句の果て、世間から忘れ去られてしまう。

携帯番号やメールアドレスを尋ねられ「持ってません」と答える事がいかに恥ずかしいことか気が付いていないのだ。

「いらない人間」の典型であろう。

みっともない生き恥人生を歩んでいる40代独身男性がいかに多い事か。

ただでさえ「障害者」扱いされているというのに、その自覚が無さ過ぎるのだ。

実際、心身に障害を背負った40代独身男性は哀れの極みに近い。

上に記した知り合いTだけでなく、障害を負った独身40代男性の知人と数人縁があるのだが、気の毒という同情よりも「お前、何で生きているんだ?」と声を掛けたくなる。

そう、生きてる意味がないのだ。

障害を背負った独身男性は、あきらかに「いらない人間」でしかない。

健常者の独身男性でさえ「障害者」「邪魔物」扱いされるこの世の中。実際に障害を負ってしまったら絶望の極みと言うしかあるまい。

これが女性の場合、多少なりとも器量がよかったならば救いの手が多方から差伸べられ、ハンディーキャップを埋められようし、結婚も可能だろう。

一方、うだつの上がらない凡人独身無職40代障害者男性に対し、救いの手を差し伸べる若い女性はいるか?

否。

そんな女性は絶対にいない。

「いらない人間」に無償で愛の手を差し伸べる女性など、今の世に期待する方がどうかしているのだ。

この世の春を謳歌する若い女性達の横を、背を丸めて通り過ぎる絶望独身40代男性がいる。

携帯もメールアドレスもなく地味な服装で足を引きずる知り合いTの姿を見ていると、「哀れな者」というものがどんな存在か手に取るように解るのだ。

哀れの極み。

それでも生きていかざるを得ない。


2003年4月26日

『ずっと彼氏がいないあなたへ』

そんなタイトルの本が売れているそうだ。

サブタイトルにはこう記されている。

「かわいくて性格もいいし、仕事も出来る。そんな彼女に恋人がいないのは何故?!」

「何故?」と言われても・・。

その疑問を説く以前に、そのような事例に当てはまる女性が本当に存在するのだろうか。

たぶん実情はこうだ。

恋人が出来ないと主張する大半の女性には実はたくさんの「恋人」がいるのだ。本人が「恋人」と自覚していないだけで、客観的に見たら多くの異性に慕われていたりする「恋人」だらけのモテモテ女性だったりする。それを本人は決して「恋人」とせず、ただの異性の友達として扱っているのだろう。

たぶんそのような女性は、誠意ある男性をただの便利な道具としてしか見ないのだ。

友達扱いされたその女性の「恋人」達の身からすれば心外であろう。というより哀れ。

要するに贅沢な悩みなのだ。いや、悩みにすらならない。ただの戯れ事の類。

そんな女性にとって恋人とは、ベッカムかジャン・レノかキムタク等が高級外車でお迎えしてくれるレベルをいうのだろう。

そんな「お伽話」の中で悩んでいる女性に「何故?」と問われても答えようがない。

所詮は幸せ者の戯れ事。

それを恰も「悩み事」と表するのは悪い冗談といえよう。

一方で本当に深刻に悩むべき者達がいる。

それが絶望独身男性。

「お伽話」の中で悲劇のヒロインを演じる幸せな女性達と違って、絶望独身男性は正真正銘、リアルな世界で異性との接点が絶望的にないのだ。

彼等にとっては恋人どころか、異性の友達さえ存在しない。異性との会話すら殆どないに等しい。

彼等が嘆く「彼女が出来ない」というのは洒落ではなく深刻な事実なのだ。

そこでこんなタイトルの本を考えた。

『ずっと彼女がいないあなたへ』。

ところがそんな本は聞いた事もないし、ベストセラーになったという話も知らない。

なぜなら本当に悩んでいる数百万の絶望独身男性を救う事など絶対に出来ないから。

そしてそんな「いらない人間」を救う必要はないと世の中が判断しているからなのだろう。

もし『ずっと彼女がいないあなたへ』という本があったとしても、その内容はほんの数行で完結する。

即ち

「さっさとJR中央線にでも飛び込めば?楽になれるかも・・。完」

まあ、こんなものだろう。

『ずっと彼氏がいない』女性は幻だが『ずっと彼女がいない』男は現実である。

現実に悩む者達のほうが切り捨てられる無情な世界。

しかしそれが世の中というもの。

気の毒だが運命として諦めるしかなかろう。

『ずっと彼氏がいないあなたへ』(岩月謙司著WAVE出版/1200円)

別に薦めはしないが・・。「お伽話」が好きであれば読んでみるのも一興かも。


2003年4月25日

『Smart Girls』

コンビニの女性誌コーナーで変な写真雑誌を見つける。

セルフポートレートのような素人&タレント写真集(撮っているのはプロらしいが)。ヌードも掲載されている。

サブタイトルには「おしゃれ&ヌードを撮ろう」とか記されていた。

何か生理的に違和感が・・。

男性誌の女性ヌードだとフェロモンというオブラートに包まれて被写体に対する目的がはっきりしているのだが、女性誌のセルフヌードはその辺りがあやふやでどう鑑賞すべきか脳が反応しない。

自らが本人の自己満足のために撮るヌードは生臭さが漂い、妙な汚らしさがある。

すべてのセルフポートレートがそんな印象を与える訳ではない。きっとこの雑誌に掲載されている女性の類に拒絶感を抱くのだろう。

巻末には原宿?辺りを歩く女性に自らの性に対する諸々の質問を投げかけるコーナーがあるが、これも「生臭い」。

誰一人として結婚するまで処女を守り続け、純血を全うするなんて答える者はおらず、Hの回数や関係のあった異性の人数を競う回答に終始する女子ばかり。

ある意味当然かもしれぬ。

女性が女性のために自らの裸体を曝し「古典的女性像」の呪縛から解放するために作られているのがこの雑誌の目的だとすれば、そもそも「処女と純血」を訴える理由はないのだ。

・・にしても生臭さ漂う写真雑誌に変わりはない。

「おしゃれヌード」=「生魚写真」なのか?


2003年4月24日

『みんなのうた』

「ひとりガイナックス」こと新海誠氏が担当したアニメがNHK『みんなのうた』で流れている。

ハムスターと女の子が出てくる3分位の作品。

あえてマニアックな要素を排した素朴な仕上がりに好感が持てた。

夕暮れの空の描写が美味しい。


2003年4月22日

修理。

前々から調子の悪かったA電気のプリンター『MD5000』を修理に出す。

不具合をサポートセンターに問い合わせたところ、修理が必要とのことだった。

修理といっても、サービスマンが家まで出張してくれる訳ではない。こちらが実費で機械そのものをサービスセンターまで運ばなければならないのだ。

これが大変。一応外箱は平にして保存してあったのだが、梱包材はすでに廃棄した後。機械が破損しないようにパッキン等で梱包しなければならない。下手をすると輸送途中の衝撃の方が危ない気がする。このA電気のサービスセンターは全国で一ケ所しかないらしい。それも首都圏ではなく、東北の僻地・・。当然、宅配便を利用するしか手段はない。

アフターサービスとしてはあまりにもユーザーの負担が大きすぎるような。

パソコン周辺機器に限らず、電気製品の修理というのはコストパフォーマンスが悪すぎる。

時間と手間、それに高い修理代の割にはマトモに治っていない場合がある。何回修理に出してもダメな事が多々あった。本気で治す気があるのかと疑いたくもなる。また修理に出した結果、逆に調子が更に悪くなった例さえある。

基本的に故障したら「もうダメだと悟れ」ということらしい。

とはいえ、愛着のある機械や慣れ親しんだ機械の場合、安易に新品に買い替えるという訳にもいかない。

どうにかならないものか。


2003年4月20日

寒暖の差。

急に温かくなって暖房どころか冷房が必要な陽気になったりする。身体が気候についていかない。

一雨ごとに新緑が眩しくなってくる。

なんともう蚊が出現した。同時にいつものヤモリが窓の裏に現われた。

すでにシーズンは完全に入れ代わってしまったらしい。


2003年4月16日

フル・ムーン

夕闇に包まれる頃、ふと東の空を見ると煌々と満月が上って来た。

視直径33’27”。距離35万7150km。

月と地球の距離が最も近づいている時期。

こんな時はいろんな意味で高揚感が得られるとか。

満月のパワーは侮れない。

しかしそのエネルギーを発散する対象がない者にとっては空しく月を見上げるだけの夜。

星野之宣の漫画で月を題材とした『残像』という作品がある。

その中でこんな台詞があった。

「人間って必ず運命の別れ道があって・・それを踏み違えてしまうとどんどん別な方へ・・悔いや未練や名残りのようなものだけがいつまでも残されて・・・」

いずれ地球の引力圏を離れ、永遠に遠ざかってしまう月をモチーフに、人の出会いと別れを説いた名作だった。

地球と月の関係と同じく、人にも月のような衛星を持つ者と持たない(持てない)者がいる。

引力が強い者は常に周りに人が集まって来るし、なかなか離れていかない。

一方、人を引き付ける力を持たない者は生涯孤独である。

たった一つの衛星、月すら獲得出来ない絶望独身男性にとって、その生涯は一貫して「悔いや未練や名残りのようなもの」で一杯だ。

煌々と照る満月の夜。

月が出ている事すら気が付かない絶望独身男性達が、今日も「吉野屋」のカウンターで独り寂しく飯を食っているのだろう。

たまには「はなまるうどん」に入って月見うどんでも食べよう。


2003年4月15日

t.A.T.u

先日、愛聴しているFM局から妙なフレーズのポップスが流れてきた。

英語ではなくロシア語なのである。

「t.A.T.u」というロシア人女性デュオグループらしい。

夜間、中波ラジオを聴いていると、時々極東ロシアの局が混信してロシア語のポップスが聞こえてくることがある。

妙に新鮮だった。

だがそれらのロシアンポップスが日本の市場で広がる事はこれまで無かったように思う。

この「t.A.T.u」は欧米で人気に火がついて日本にも波及したらしいが・・。

英語バージョンもあるのだが、やはり母国語で唄っている方が心地よい。

・・にしても「t.A.T.u」デュオ二人組の女の子の生まれた年が1984年と1985年とは・・。

自分にとってはつい昨日のこと。

溜息である。


2003年4月11日

パートナー。

同人誌イベントのサークル参加者の中に仲睦まじいカップルを見かける事がある。

ただの手伝いなのか、共同で同人活動しているのか、恋人同志か、あるいは夫婦か、見ただけでは判別出来ないが、いずれにしろ微笑ましい。

孤独になりがちな同人創作活動において異性のパートナーを持つということは希有な事である。

一つの同人イベントで見渡してもそんな「カップルサークル」は全体の1〜2%位か?

クリエーターにとってパートナーとは、自分の創作活動の良き理解者であったり助言者だったりする。また心身において癒しや安らぎを齎してくれる対象だったりする。

もっとも若いうちは特定のパートナーなど必要なく、不特定多数のサークル仲間同志でわいわい活動する方が楽しいだろう。しかし30歳を越えてもなお、創作活動に勤しむクリエーターの場合、単独参加は侘びしいものを感ずる。

無論、人によっては幾つになろうと特定のパートナーなど必要ないというクリエーターもいるだろう。

確かに独りは身軽だ。誰に気兼ねする事なく自由に動き回れる。それにパートナーがいるクリエーターが必ずしも至福だとは言えまい。見えないところで多大な苦労を抱えているかもしれない。

だが結局のところ、人は独りでは生きていけない。いずれ孤独の中、老い朽ち果てるだけ。

孤高を悟ればそれでよし。

だがそんな崇高な悟りを開ける者は億に一人も居まい。孤高を気取ったところでそれは単に「世捨て人」だ。

俗世の中で生きる限り、パートナーなしの人生は惨めな「いらない人間」でしかない。


2003年4月9日

自分史。

なんとなくコンビニで女性誌を立ち読みする。

いわいる「お約束」の恋愛特集記事で「こんな男性嫌われる」みたいなコラムがあるが、その中でよく対象にされるのが「自分の生きてきた経歴をやたら喋りたがる男」というのがある。

男からすれば自分の事を理解してほしいという純粋な気持ちなのだろうが、女性の立場からすると鬱陶しいらしい。

一方で、女性の悩みとか相談をちゃんと聞いてくれる男性は人気がある。

というより、相談を受けた段階で男性の方は聞き手に徹することが出来る訳で、わざわざ自分のことを話題にする必要はないのだ。つまり、自分史を語る情況というのは女性の方からポジティブな反応がなく、仕方なく自分の事を喋っているうちに、自分史の話題に陥って嫌われてしまうと。

まあ悪気があって「自分史」を語っている訳でもないのだが、なんとも気の毒。

もっとも男性の方が饒舌で話題豊富であれば、わざわざ自分史など語る必要はない。趣味とか日常の話題で十分盛り上がる。

自分史を語る男というものは常に自分の事しか頭にないのだ。

最初から話題の選択肢がない訳で、そんな男は女性からすると「鬱陶しいだけ」なのだろう。

自分の事を理解してほしいという意思が強い程、女性から遠ざけられてしまう男達。

そんな「いらない人間」たる絶望独身男性が今日も独り寂しく「吉野屋」のカウンターで飯を食っているのだろう。そしてますます自分のことしか考えられなくなる。

まさに絶望スパイラルである。

そんな男は一生涯、女性に縁がない。

魅力のない男性がいくら自分史を語っても無駄である。

そんな「恋愛障害者」たる男達に春は来るのだろうか?

女性雑誌を棚に戻し、コンビニを出ると夜空には朧(おぼろ)げな半月が眠たそうに浮かんでいた。


2003年4月7日

古(いにしえ)のアルバムと『鉄腕アトム』。

今日は『鉄腕アトム』の誕生日。

先日、久しぶりに幼馴染みの家を訪れた。

築50年近くであろうか?鬱蒼とした樹木と垣根に囲まれ『トトロ』に出てきたような文化住宅よりも更に古い造りの家。

阿佐ヶ谷でもこんな家は珍しい部類に入ろう。

仄かな裸電球の明かりが時を半世紀前に戻す。

彼は奥の書斎から幾つかの古いアルバムを持ち出した。

最初のは古い戦艦の写真集だった。

昭和初期、長崎M造船所の技師も務めていたという彼の祖父はマル秘級の写真をたくさん撮っていた。

見せてもらったアルバムに載っていた戦艦は、第一次世界大戦後のワシントン条約で軍縮のため破棄される長門級戦艦の一隻。こんな写真がまだ残っていたのだ。

今でも細かいディティールがはっきり判る程の鮮明なプリントなので実に貴重な逸品である。

戦艦の写真と共に、当時の造船技師たちの姿も写っている。男子は皆ヒゲを貯え立派そうだ。必死になって欧米列強に負けんと頑張っていた当時のエリート技師の姿を見ると「生きる目標」のステージが今とは比べものにならないほど壮大であったことが肌で感じられる。

「プロジェクトX」の更に上を行く時代があったのだ。

次に彼が出してきたのは自分達の幼稚園から中学校までの写真集やアルバム。

幼馴染みとはこの間ずっと同窓である。

久しぶりに幼稚園時代の遠足集合写真を見て、ふと興味深いことに気が付いた。

園児達の後ろにその母親達が写っているのだが、間違いなくほぼ全員が「専業主婦」であることだ。

当時(昭和30年後半〜40年代前半)、母親が「専業主婦」であることは当たり前で、仕事を持った母親など、何か余程の事情がある場合に限られていた。逆に言えば当時の母親は子育てのみに専念出来たのだ。というより専念すること自体になんの疑問も抱かなかったのだ。

その姿は妙に凛々しい。

そういう状況下で、自分達は育てられた。

この子供時代の事を思い返すと「生きていた」というより「生かされていた」ようなもの。

これはもしかすると猛烈に幸福なことだったのかもしれぬ。日本の経済高度成長期に育った世代というものは、戦争や災害の危機に曝される事なく、母親の愛情をフルに受け、ぬくぬくと育ってしまったのだ。

更に小学校時代の集合写真を見る。

男児はなぜかほぼ全員が坊ちゃん刈りのヘアスタイルに「ジャイアンツ」の野球帽。その上、質素で無個性な服。この画一性はなんだ?まったく滑稽の極み。個性の欠片も無い。なんだか単に大量生産された部品みたいなものとして男児は扱われていたのだな。

一方で、女児は個性豊か。

こんな可愛いクラスメイトがいたのか?と思うぐらい「萌える」子がたくさん写っている。今でも通用するような髪型にミニスカート。まさにロリロリなのだ。

自分は思わず、幼馴染みにこう呟く。

「この子可愛かったんだあ。信じられん。あの当時は何も感じなかったのに。もし今、彼女達に会いに行ったらどうなるかな?」

するとその幼馴染みはこう答えた。

「阿呆か。今頃中学生くらいの娘がいるよ。育児に大変だろうから自分の小学生時代のことなど一々振り返ったりしないさ」

そう。女性は過去などにこだわらない。こんなふうに30年以上前のアルバムなど開きはしない。いや、アルバムそのものすら破棄されているだろう。

ここに写っている「萌え」少女たるクラスメートは、もうただの幻なのだ。

先の幼稚園時代の集合写真に写っていた40年近く前の母親の姿と合わせて考えると、女というものは何と偉大で超越した存在なのだろうと感慨に耽る。

アルバムに載っている少女の大半は母親として人生を成就させている。そこに輪廻を垣間見ることが出来た。

それに比べ、男達の存在感の希薄さはどうだ?

当時の男子クラスメートの消息を知っても、何一つ感慨を感じない。

一流企業に入った者、無職の者、結婚した者、独身のままの者、死んだ者。

ただそれだけであってそれ以上でもそれ以下でもないのだ。

曾て戦艦を造っていた気概溢れる男達の姿はどこにもない。

アルバムを見終わった後、近くのうどん屋で夕食。

徐に幼馴染みにこう訪ねる。

「なぜお前は独身のままなのだ?家系もエリート。その上、一流企業の技術者として世界を飛び回っている男が結婚しないなんて信じられん。相手はいくらでもいるだろう?自分の優秀な遺伝子を残そうとしないなんて犯罪だぞ。それに長男だろ。日本の将来を考えたらどうだ」と。

すると幼馴染みは、あまりまじめに聞こうともせず、代わりに自分の兄弟の子、つまり甥や姪の話を楽しそうに話す。

多分、彼には彼なりの人生設計があるのだろう。もしかして、すでにパートナーがいるのかもしれぬ。自分のような包容力のまったくないダメ人間から比べれば、彼はエリート中のエリート。下らない「人生の敗北者」の戯言など真面目に聞くだけ無駄と悟っているのだろう。

確かに結婚した(出来る)男が「正しき良識ある人」とは限らない。

得てして、独身男性の方が理知的であることが多い。妻帯者の男性と話しても何処か独善的だったり差別的だったりするが、独身男性は人の話をちゃんと聞くし、理解しようとする。それが独身故の理由かどうかは解らない。無論そうでない男も多いだろう。むしろ人によっては逆のイメージを抱く場合もあろう。

だがしかし、それでいいのか?

『鉄腕アトム』は今日生まれたのだという。

だが、現実の2003年4月7日に「科学の子」は産まれなかったし、誰も産もうとしなかった。

半世紀後、そこにあった現実は「科学の子」どころか「人間の子」さえ獲得出来ない「絶望」だ。

『鉄腕アトム』の「誕生日」を祝う事は、過去のアルバムを紐解いて自らの空虚を確認する行為と似ている。

1950年代に手塚治虫が描いた「希望」は、所詮妄想で終わった。

妄想を祝っても空虚なだけだ。


2003年4月5日

書評。

いくつかの雑誌に単行本『晴れた日に絶望が見える』の書評が小さいながらも掲載されているようだ。

「ぱふ」「ダ・ヴィンチ」「クイック・ジャパン」「J-Wings」等・・。

こんなマイナー漫画本を取り上げて頂き、感謝。

これからも宜しくお願いします。


2003年4月4日

ヘンリー・ダーガー

渋谷区外苑前にあるワタリウム美術館で開催されていた「ヘンリー・ダーガー展」を観る。

ヘンリー・ダーガーとは1973年に81歳で死んだ自閉症ぎみのアメリカ人妄想家。

生涯に渡ってひたすら妄想世界に籠って自分だけの「妄想王国」の物語を膨大な文章とイラストに綴っていた男だ。彼の死後、アパートの大家が彼の部屋を片付けていたら大量にそんな「がらくた」が出て来たことで発覚した。

大家がたまたま美術関連の仕事に携わっていたため、彼の「作品」が世に知れ渡った訳だが、もしそんなものに何の関心も示さない大家だったら、間違い無く燃えるゴミの日に全部出されて藻屑と消えていただろう。

少女と軍隊のコラージュを妄想作品に纏めているのだが、絵的には稚拙であるにも拘らず、妙な魅力がある。

絵に限らず、魅力的で人を引き付ける創作物というものは、手先の技術で得られるものではない。そこから沸き立つ情念のようなものが有るか無いかで決まる。一生涯、ひたすらこの妄想物語に固執しつづけた異常なまでの情念がその絵からは感じられる。

にしても、ヘンリー・ダーガーは生まれた国と時代が悪かった。

もし、今の日本で生まれ育っていたら、間違い無く美少女アニメ漫画系の同人誌を作ってコミケにサークル参加していただろう。その上かなりの人気を得て、ファンも付いて友達や恋人も出来て案外幸せな生涯を送れたかもしれない。

そう、今の日本にはヘンリー・ダーガーみたいな「ひきこもり」自閉症的妄想人間が社会参加出来る「場」があるのだ。

ある意味、この国は妄想人間にとって「楽園」なのだ。


2003年4月3日

出会い。

4月は新しい人との出会いが多くなるシーズン。

但し、それは一般世間での話。自分のような仕事環境だと4月になったからといって出会いが増える事なんて全くない。

基本的に出会いなどない職種なのだ。

ただ、時たま気紛れ的に接点が生まれることがある。大抵は一期一会で終わる事が多い。むしろそちらの方が楽だったりもする。特に異性の場合はそうだ。

絶対的にコミュニケーション能力のない自分にとって、異性との継続的な人間関係を維持することは至難の技だ。唯一可能性を見い出すとすれば、すべてを相手に依存しても関係が成り立つような情況しか思い当たらない。

依存されるのは苦痛にしかならない。

これはある意味、包容力の欠如であろうか?

包容力とは、例えば経済力とか体格的優位差とか存在観とか優しさとか、まあそんな類であろう。少なくとも自分にそんなものは微塵もない。そしてこれから先も得る事はないだろう。

包容力の無い者が、異性から依存を求められても途方に暮れるだけ。そして結論は最初から見えている。

一方で、女性は今もって、男性から依存される事を嫌う。これでは継続的な人間関係が成立するはずがない。だから最初から期待も希望も抱かない。

先日、ある若い女性から「下を向いて歩く事」や「ため息を吐く事」を諭された。

似たような諭しはもう何回も受けていたので驚きもしない。むしろ、何故そんな事を諭すのかと?

逆に言えば、何故、男は女性の前でいつも元気よくはつらつと健康的に清潔でいなければならないのか?

自分はこれからも「下を向いて歩き」続けるし、「ため息をたくさん吐き」続ける。

その絶望の原因が女性にある事は誰もが承知のはず。社会的弱者の立場にあった時代とは根本的に異性との接し方を変えねばならぬのに、今だ女性は男性に対し半世紀前の価値観を求めてくる。上手く行かないのは当たり前だ。

だがそれをこちらから諭しても不毛。

なぜなら女性にとってそんなことを諭す男性は「いらない人間」だから。

要するに「いらない人間」は相手にされないのだ。

おそらく、そんな「いらない人間」たる絶望独身男性がこの日本には何百万といて、日々耐え忍んでいるのだろう。

「いらない人間」にとって、出会いは不毛と絶望の連鎖でしかない。

だから「下を向いて歩き」続けるし、「ため息をたくさん吐き」続けるのだ。

これからもずっとね。


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