庭園編に行く
御訪問方々
 4年間を過ごした下宿等持院北山ハイツはもう取り壊されてありませんが、我が京都十刹筆頭寺院等持院はまだ健在。というわけで、観光地としても全然穴場な禅寺夢窓疎石開山の等持院の写真をUP。

 入り口には懐かしい感じの八百屋さんがあって、とても十刹筆頭の禅寺があるとは思えない。しかも、入り口に入ってしばらくは民家が建っている。おおっ。

 ようやくそれらしい雰囲気になってきた、我が下宿的等持院。

 看板を時代劇のように南町奉行所にしたら、そっくり。実際、撮影所だったそうである。さすが、我が下宿的等持院。

 鐘名も「等持院」と。さすが、我が下宿的等持院。さっさと中に入りましょう。入場料は400円。

 ウグイスばりとは何処にも書いていないけど、音がします、うぐいすの。こんな家に住んでみたい。

 いきなり現れるのが、達磨大師。霊光殿という部屋に夢窓疎石、地蔵尊ととも安置されている。そこには歴代足利将軍と徳川家康の木像がある。

 初代から3代。左が義満。幕末には徳川将軍の身代わりで過激派により鴨川の河原にさらされてしまった。こんなん写していいのかな。

 4、6、7、8代。5代木像はありません。酒浸り生活を送っていたため若くして逝去。

 さきほどの足利将軍の木像と並んで等持院の目玉といえば、芙蓉の花形の北の庭園である。しかし、天龍寺や龍安寺のようには知られていない。観光タクシーの運ちゃん(運転手:観光ガイドもしてくれる)は「ここは穴場です。観光ツアーでは絶対に入りません」。ま、バスの停車ができる駐車場がないからだろうけど、それにしてもひと気がない。駐車は、ひと声、管理の人に「とめました」というだけで良い。なんというアットホームな名刹。

 ここでは、400円で抹茶と和菓子を頂戴することができる。歩き疲れたら座り込んでごちそうになろう。サービスは午後4時まで。立つのが嫌になること請け合い。

 部屋に飾られた足利尊氏画。しかし、これは家来の高某(尊氏の弟直義と対立する)という説が支配的。そして、兄弟で争うこととなり、実子(弟直義の養子になる)とも対立関係になってしまう。その後も一族同士の争いが耐えない足利家であったが、最大は1467年応仁の乱である。いよ1467(いよむなし)応仁の乱。

 ちゃんとガイドが。しかし、なんで直置き?。

 くつろぐわずかな客。ずっと読書してても怒られません。実際にしている人がいます。

 そして、清漣亭と、もらったパンフに書いてあった茶室。その奥には立命館大学の建物(旧一号館)が。

 「自分の庭に欲しい」って思っても、置く庭がない。

 茶室から南方向を眺める。

 こんな庭園欲しいな。

 そして、再び立命の主張。

 ビニールスリッパで庭園を散策できます、下宿的等持院。

 広い天龍寺には及ばないけど、R寺のS庭よりは絶対いい。
 しかし、R寺には究極にタダでのんびりできる隠し庭園があるけど。
 次は、どこにいこうかな。